沿革年表 1887〜2026年における重要度別の出来事(合計37件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
会社設立
山葉寅楠がオルガン製作に成功
山葉寅楠が浜松の小学校でオルガンを修理し、同年にオルガン製作に成功した。日本楽器製造の前史となる楽器国産化の起点に位置付けられる。
1887
1-12月
重要事項会社設立
日本楽器製造を設立
歴史的意義yutaka sugiura
山葉寅楠は医療機器の修理に従事していた人物であり、楽器製造の専門教育を受けていない。オルガンの修理依頼を契機に楽器構造を独学で習得し、輸入品を分解・模倣する過程で製造技術を確立した。精密機械の修理で培った観察力と加工技術が、楽器という異分野への参入を可能にした。明治期の産業勃興において、専門人材が不在の領域では隣接分野からの技術転用が産業創出の経路となりうることを示す事例である。
1897
1-12月
ピアノ製造を開始
歴史的意義yutaka sugiura
ピアノとハーモニカは価格帯こそ異なるが、どちらも景気変動に左右される嗜好品である。高価格帯は不況で買い控えられ、低価格帯は輸入品との価格競争にさらされる。価格帯の幅を広げても需要の性質が同一である限り、景気後退期には全製品が同時に打撃を受ける。リスク分散が機能するのは需要構造が異なる事業間であり、同一の消費行動に依存する製品群の拡張は真の分散にはならないという構造を、105日のストが証明した。
1899
1-12月
スト終息により経営再建
歴史的意義yutaka sugiura
川上嘉市は外部から招聘された再建者であったが、就任と同時に株式を取得したことで、再建の過程が支配権の確立と不可分になった。危機を収束させた実績は「川上家に任せればよい」という社内の合意を形成し、株主構成の分散がこれを牽制する力を持たなかった。再建のために付与された裁量が、再建完了後も回収されず世襲化したという経緯は、日本企業における「恩義による支配の固定化」の典型例であり、以後60年にわたる同族経営の起点となった。
1927
1-12月
プロペラの量産を決定
軍需に対応して航空機向けプロペラの生産を決定。1938年に資本金を400万円から875万円(+475万円増資)に増資して投資資金を確保した。1939年天竜工場、1945年に佐久良工場をそれぞれ新設した。終戦時点でヤマハの従業員数は1万名に及んだ。終戦後にプロペラの生産技術(工作機械)は、二輪車への参入に活用され、ヤマハ発動機の設立に至っている。
1938
1-12月
東京証券取引所に株式上場
1949年にヤマハは株式上場を実施し、川上家による株式持分は5%未満となった。主要株主は生命保険などの金融機関が中心であった。ただし、川上家はヤマハの実質的な創業者として振る舞い、1992年に更迭されるまで川上家による「資本の裏付けなき同族経営」が続いた。
1949
1-12月
川上源一氏が社長就任
川上嘉市の息子である川上源一(当時38歳)が、日本楽器製造の社長に就任。以後1980年代までヤマハの経営に従事
FY50
1950/3
売上高
18.2億円
経常利益
1.42億円
FY51
1951/3
売上高
20.5億円
経常利益
1.8億円
FY52
1952/3
売上高
34.7億円
経常利益
2.78億円
FY53
1953/3
売上高
40.1億円
経常利益
2.81億円
ヤマハ音楽教室を組織化
歴史的意義yutaka sugiura
ヤマハ音楽教室は需要の創出装置であると同時に、顧客の囲い込み装置でもあった。ヤマハの教材で育った生徒はヤマハの楽器を買い、ヤマハの教室で教える側に回る。教育・販売・製造の循環構造は、競合メーカーには模倣しにくいエコシステムを形成した。スタインウェイもベーゼンドルファーもこの設計を実現していない事実は、需要創出の本質がメーカー単体の力ではなく教育インフラの組織化にあったことを示している。
FY54
1954/3
売上高
55.5億円
経常利益
3.56億円
ヤマハ発動機株式会社を設立
ヤマハ社長の川上源一は、終戦後にGHQから工作機械と工場が返還されたのを受け、需要が急増していた二輪車への参入を決定。1955年にヤマハの子会社「ヤマハ発動機(資本金3000万円)」を設立した。その後1961年にヤマハ発動機が株式上場したため、両社の資本関係は希薄化し(1980年代にはヤマハが39%を保有する大株主)、「創業者は同一だが資本面では関係会社」という位置付けで運営された。
FY55
1955/3
売上高
56億円
経常利益
3.19億円
FY57
1957/3
売上高
75億円
経常利益
2.51億円
海外進出
メキシコに販売子会社を設立
メキシコにYamaha de México, S.A. de C.V.を設立した。1960年の米国法人設立に先立つ中南米進出の第一歩で、ヤマハ海外販売網の起点に位置付けられる。
FY58
1958/3
売上高
87.1億円
経常利益
2.84億円
エレクトーン・スポーツ用品に参入
歴史的意義yutaka sugiura
エレクトーンとFRP応用製品はともに楽器製造技術からの派生であったが、前者は「音楽をする人」に売り、後者は「スポーツをする人」に売る事業であった。ヤマハが持つ音楽教室・楽器店のネットワークはエレクトーンの販路として機能したが、アーチェリーやスキーには無力であった。技術の転用は工場の都合では可能でも、既存の販売基盤から離れるほど競争力は希薄化する。多角化の成否を分けたのは製造技術の近さではなく、顧客接点の連続性であったと考えられる。
FY59
1959/3
売上高
99.2億円
経常利益
3.36億円
海外進出
ロサンゼルスに現地法人を新設
歴史的意義yutaka sugiura
川上源一が商社経由を全面排除した理由は、商社が競合製品も扱うためブランドの主導権を失うことにあった。耐久消費財ではアフターサービスが購入後の顧客接点となり、ここを他社に委ねることは実質的に顧客関係を譲渡することに等しい。年間150台からの出発でも100%子会社で直接販売にこだわった判断は、短期の販売効率より長期のブランド支配を優先する設計であった。10年後に世界シェア30%を確保した事実が、この設計の有効性を裏づけている。
FY60
1960/3
売上高
145.9億円
経常利益
4.85億円
FY61
1961/3
売上高
198億円
経常利益
6.28億円
FY62
1962/3
売上高
267億円
経常利益
9億円
ピアノ国内シェア1位
FY63
1963/3
売上高
339億円
経常利益
11.3億円
FY64
1964/3
売上高
279億円
経常利益
16.7億円
FY65
1965/3
売上高
583億円
経常利益
19.8億円
海外進出
西独にYamaha Europa GmbHを設立
西ドイツ(当時)に販売子会社Yamaha Europa GmbHを設立した。すなわち欧州市場への直接進出を開始し、後の欧州統括会社設立の母体となった。
FY66
1966/3
売上高
567億円
経常利益
22.5億円
FY67
1967/3
売上高
483億円
経常利益
32億円
レクリエーション事業に新規参入
歴史的意義yutaka sugiura
川上源一自身がレクリエーション事業を「企業のアクセサリー」と呼んだ時点で、この投資の目的は収益ではなく経営者の構想の実現にあった。収益を目的としない投資は、通常であれば取締役会や株主が歯止めをかける。しかし持株比率5%未満で経営を支配する川上家に対して、分散した機関投資家は異議を唱えず、社内にも反対できる者はいなかった。350億円の投じられた先が示しているのは、ガバナンスの空白が資本配分の歪みとして顕在化する構造である。
FY68
1968/3
売上高
474億円
経常利益
24.6億円
株式上場
日本初の株式時価発行を実施
日本初の株式時価発行を実施した。資本市場における先駆的な資金調達手法を採用した動きとなった。
FY69
1969/3
売上高
585億円
経常利益
36.5億円
FY70
1970/3
売上高
763億円
当期純利益
39.4億円
半導体製造に本格参入
エレクトーンで培った製造技術を応用し、半導体製造に参入。
FY71
1971/3
売上高
912億円
当期純利益
44.1億円
オーディオ機器に新規参入
音楽を軸とした多角化として、オーディオ機器(ステレオなど)に新規参入。
FY72
1972/3
売上高
1,026億円
当期純利益
46.7億円
FY73
1973/3
売上高
1,229億円
当期純利益
50.9億円
FY74
1974/3
売上高
1,654億円
当期純利益
57.1億円
FY76
1976/3
売上高
2,092億円
当期純利益
48億円
FY77
1977/3
売上高
2,537億円
当期純利益
53億円
FY78
1978/3
売上高
2,759億円
当期純利益
46億円
FY79
1979/3
売上高
2,819億円
当期純利益
60億円
FY80
1980/3
売上高
3,038億円
当期純利益
67億円
FY81
1981/3
売上高
3,296億円
当期純利益
69億円
FY82
1982/3
売上高
3,462億円
当期純利益
56億円
河島博氏が社長退任(実質解任)
FY83
1983/3
売上高
3,349億円
当期純利益
32億円
組織再編
事業部制を導入
歴史的意義yutaka sugiura
事業部制は各部門に損益責任を課す一方、投下資本に対する収益性を全社横断で評価する仕組みを欠いていた。各事業部が売上拡大を優先した結果、重複投資と固定費の膨張が進み、低収益事業が楽器事業のキャッシュフローに寄生する構造が固定化した。分権化は市場対応の速度を上げたが、資本効率を監視する経営管理の不在が多角化の歯止めを外し、後年の撤退コストを膨張させた。1983年の導入から2013年の廃止まで30年を要した事実が、組織設計の修正の難しさを示している。
FY84
1984/3
売上高
3,389億円
当期純利益
35億円
社名を「ヤマハ株式会社」に変更
創業100周年を機に、社名を日本楽器製造株式会社からヤマハ株式会社に変更した。すなわち長年使われてきた商標「ヤマハ」を正式な商号に格上げする改称となった。
FY87
1987/3
FY88
1988/3
売上高
3,918億円
当期純利益
54.1億円
海外進出
天津雅馬哈電子楽器有限公司を設立
中国に電子楽器製造・販売子会社「天津雅馬哈電子楽器有限公司」を設立した。中国における製造拠点確保の最初期の動きで、以後の中国生産シフトの基盤となった。
FY89
1989/3
売上高
3,975億円
当期純利益
36.7億円
重要事項
2期連続減益
ピアノ市場では音楽教室と楽器店の一体ネットワークがヤマハの参入障壁として機能した。しかし電子楽器はカシオやローランドが量販店経由で販売可能な商材であり、教室を介さずに購入できる構造が市場を変えた。ヤマハの競争優位は「教室→販売」の導線に依存しており、この導線が迂回された市場では優位性が希薄化する。ピアノの飽和と電子楽器の販路変化が同時に進行した1990年前後は、需要創出型モデルの射程が限定的であることが露呈した局面であった。
経営判断をよむ →
FY90
1990/3
売上高
3,846億円
当期純利益
42.5億円
薄膜磁気ヘッドの生産開始
FY91
1991/3
売上高
3,834億円
当期純利益
40.7億円
重要事項
川上家が退任意向
歴史的意義yutaka sugiura
川上家の持株比率は5%未満であったが、主要株主は持合い関係にある生命保険や銀行であり、経営への介入は相互不干渉の暗黙の了解によって封じられていた。取締役会も川上家が人事権を握る以上、自浄作用は期待できなかった。ガバナンスの担い手がすべて機能停止した状態で、唯一声を上げる動機と手段を持っていたのが労働組合であった。株主主権論では想定されない経路でガバナンスが作動した事実は、持合い時代の日本企業統治の空白を浮き彫りにしている。
FY92
1992/3
売上高
5,128億円
当期純利益
57.4億円
希望退職者を募集
FY93
1993/3
売上高
4,834億円
当期純利益
18.2億円
FY94
1994/3
売上高
4,456億円
当期純利益
-39.8億円
FY95
1995/3
売上高
4,825億円
当期純利益
53.3億円
天竜半導体工場を新設
半導体への投資を進めるも特損計上。半導体事業を統括していた石村社長は引責辞任へ
FY96
1996/3
売上高
5,312億円
当期純利益
94.3億円
FY97
1997/3
売上高
6,047億円
当期純利益
140億円
FY98
1998/3
売上高
6,089億円
当期純利益
134億円
伊藤修二
FY99
1999/3
売上高
5,637億円
当期純利益
-158億円
伊藤修二
ヤマハ発動機の株式売却を開始
-
FY00
2000/3
売上高
5,278億円
当期純利益
-407億円
最終赤字407億円に転落
半導体事業における天竜工場の新設により損失計上へ
伊藤修二
FY01
2001/3
売上高
5,191億円
親会社株主に帰属する当期純利益
133億円
伊藤修二
FY02
2002/3
売上高
5,044億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-102億円
伊藤修二
FY03
2003/3
売上高
5,247億円
親会社株主に帰属する当期純利益
179億円
伊藤修二
FY04
2004/3
売上高
5,395億円
親会社株主に帰属する当期純利益
435億円
企業買収
伊藤修二
Steinberg Media Technologiesを買収
ドイツの音楽制作用ソフトウェア開発・販売会社Steinberg Media Technologies GmbHを買収した。デジタルオーディオワークステーション分野への本格参入であり、ハード偏重からソフト融合への布石となった。
FY05
2005/3
売上高
5,340億円
親会社株主に帰属する当期純利益
196億円
重要事項事業売却
多角事業の整理
歴史的意義yutaka sugiura
1992年に川上家が退任してから2005年の事業整理本格化まで13年を要した。この遅延は、経営者が交代しても事業を支える雇用・取引先・地域社会の利害関係はそのまま残るためである。合歓の郷やキロロを閉じることは、地域の雇用と税収を直撃する。一括撤退ではなく段階的売却を選んだのは社会的配慮であると同時に、撤退の意思決定がいかに政治的な調整を要するかを示している。多角化の「入り口」は経営者一人で決められるが、「出口」は利害関係者全員の合意を要する。
梅村充
FY06
2006/3
売上高
5,340億円
当期純利益
281億円
梅村充
FY07
2007/3
売上高
5,503億円
当期純利益
278億円
企業買収
梅村充
ベーゼンドルファーを買収
オーストリアの老舗ピアノメーカー L.Bösendorfer Klavierfabrik GmbHを買収した。すなわち高級ピアノ市場での自社ブランドラインアップを補完する買収であり、世界三大ピアノブランドのひとつを傘下に収めた。
FY08
2008/3
売上高
5,487億円
当期純利益
395億円
梅村充
FY09
2009/3
売上高
4,592億円
当期純利益
-206億円
梅村充
FY10
2010/3
売上高
4,148億円
当期純利益
-49億円
梅村充
FY11
2011/3
売上高
3,738億円
当期純利益
50億円
中田卓也
FY12
2012/3
売上高
3,566億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-293億円
中田卓也
希望退職者の募集
FY13
2013/3
売上高
3,669億円
親会社株主に帰属する当期純利益
41億円
組織再編
事業部制を廃止
歴史的意義yutaka sugiura
1983年に導入した事業部制を30年後に廃止して機能別組織に戻したという事実は、組織設計に普遍的な正解がないことを示している。多角化の拡張期には分権化が合理的であったが、事業を絞り込む縮小期には全社横断の意思決定が不可欠であった。中田卓也社長が成し遂げた営業利益率の二桁化は、戦略の転換以上に組織の「形」を変えたことで実現した。原価改善という実務課題に対する最大の制約が、技術でも人材でもなく組織構造であったという発見が、この転換の本質であった。
企業買収
中田卓也
米Line 6を買収
米国の楽器・音響機器メーカー Line 6,Inc.(現Yamaha Guitar Group,Inc.)を買収した。デジタル系ギターアンプ・エフェクター事業を取り込み、エレクトリック楽器分野の品揃えを強化した。
FY14
2014/3
売上高
4,103億円
親会社株主に帰属する当期純利益
228億円
中田卓也
FY15
2015/3
売上高
4,321億円
親会社株主に帰属する当期純利益
249億円
中田卓也
FY16
2016/3
売上高
4,354億円
親会社株主に帰属する当期純利益
326億円
中田卓也
FY17
2017/3
売上高
4,082億円
親会社株主に帰属する当期純利益
467億円
中田卓也
FY18
2018/3
売上高
4,329億円
親会社株主に帰属する当期純利益
543億円
中田卓也
時価総額1兆円を突破
FY19
2019/3
売上高
4,374億円
親会社株主に帰属する当期純利益
437億円
中田卓也
FY20
2020/3
売上高
4,142億円
親会社株主に帰属する当期純利益
346億円
中田卓也
FY21
2021/3
売上高
3,726億円
親会社株主に帰属する当期純利益
266億円
中田卓也
FY22
2022/3
売上高
4,081億円
親会社株主に帰属する当期純利益
372億円
企業買収
山浦敦
米Cordoba Music Groupを買収
米国のギター・関連商材の企画開発・製造・販売会社 Cordoba Music Group, LLCを買収した。アコースティック・クラシック系ギター領域を補完し、北米でのギター事業を拡張する一手となった。
FY23
2023/3
売上高
4,514億円
親会社株主に帰属する当期純利益
381億円
山浦敦
FY24
2024/3
売上高
4,628億円
親会社株主に帰属する当期純利益
296億円
山浦敦
FY25
2025/3
売上高
4,620億円
親会社株主に帰属する当期純利益
133億円
FY26
2026/3
売上高
4,653億円
親会社株主に帰属する当期純利益
237億円
  1. 会社設立
    山葉寅楠がオルガン製作に成功

    山葉寅楠が浜松の小学校でオルガンを修理し、同年にオルガン製作に成功した。日本楽器製造の前史となる楽器国産化の起点に位置付けられる。

  2. 会社設立
    日本楽器製造を設立
    山葉寅楠は医療機器の修理に従事していた人物であり、楽器製造の専門教育を受けていない。オルガンの修理依頼を契機に楽器構造を独学で習得し、輸入品を分解・模倣する過程で製造技術を確立した。精密機械の修理で培った観察力と加工技術が、楽器という異分野への参入を可能にした。明治期の産業勃興において、専門人材が不在の領域では隣接分野からの技術転用が産業創出の経路となりうることを示す事例である。
  3. ピアノ製造を開始
    ピアノとハーモニカは価格帯こそ異なるが、どちらも景気変動に左右される嗜好品である。高価格帯は不況で買い控えられ、低価格帯は輸入品との価格競争にさらされる。価格帯の幅を広げても需要の性質が同一である限り、景気後退期には全製品が同時に打撃を受ける。リスク分散が機能するのは需要構造が異なる事業間であり、同一の消費行動に依存する製品群の拡張は真の分散にはならないという構造を、105日のストが証明した。
  4. スト終息により経営再建
    川上嘉市は外部から招聘された再建者であったが、就任と同時に株式を取得したことで、再建の過程が支配権の確立と不可分になった。危機を収束させた実績は「川上家に任せればよい」という社内の合意を形成し、株主構成の分散がこれを牽制する力を持たなかった。再建のために付与された裁量が、再建完了後も回収されず世襲化したという経緯は、日本企業における「恩義による支配の固定化」の典型例であり、以後60年にわたる同族経営の起点となった。
  5. プロペラの量産を決定

    軍需に対応して航空機向けプロペラの生産を決定。1938年に資本金を400万円から875万円(+475万円増資)に増資して投資資金を確保した。1939年天竜工場、1945年に佐久良工場をそれぞれ新設した。終戦時点でヤマハの従業員数は1万名に及んだ。終戦後にプロペラの生産技術(工作機械)は、二輪車への参入に活用され、ヤマハ発動機の設立に至っている。

  6. 東京証券取引所に株式上場

    1949年にヤマハは株式上場を実施し、川上家による株式持分は5%未満となった。主要株主は生命保険などの金融機関が中心であった。ただし、川上家はヤマハの実質的な創業者として振る舞い、1992年に更迭されるまで川上家による「資本の裏付けなき同族経営」が続いた。

  7. 川上源一氏が社長就任

    川上嘉市の息子である川上源一(当時38歳)が、日本楽器製造の社長に就任。以後1980年代までヤマハの経営に従事

  8. ヤマハ音楽教室を組織化
    ヤマハ音楽教室は需要の創出装置であると同時に、顧客の囲い込み装置でもあった。ヤマハの教材で育った生徒はヤマハの楽器を買い、ヤマハの教室で教える側に回る。教育・販売・製造の循環構造は、競合メーカーには模倣しにくいエコシステムを形成した。スタインウェイもベーゼンドルファーもこの設計を実現していない事実は、需要創出の本質がメーカー単体の力ではなく教育インフラの組織化にあったことを示している。
  9. ヤマハ発動機株式会社を設立

    ヤマハ社長の川上源一は、終戦後にGHQから工作機械と工場が返還されたのを受け、需要が急増していた二輪車への参入を決定。1955年にヤマハの子会社「ヤマハ発動機(資本金3000万円)」を設立した。その後1961年にヤマハ発動機が株式上場したため、両社の資本関係は希薄化し(1980年代にはヤマハが39%を保有する大株主)、「創業者は同一だが資本面では関係会社」という位置付けで運営された。

  10. 海外進出
    メキシコに販売子会社を設立

    メキシコにYamaha de México, S.A. de C.V.を設立した。1960年の米国法人設立に先立つ中南米進出の第一歩で、ヤマハ海外販売網の起点に位置付けられる。

  11. エレクトーン・スポーツ用品に参入
    エレクトーンとFRP応用製品はともに楽器製造技術からの派生であったが、前者は「音楽をする人」に売り、後者は「スポーツをする人」に売る事業であった。ヤマハが持つ音楽教室・楽器店のネットワークはエレクトーンの販路として機能したが、アーチェリーやスキーには無力であった。技術の転用は工場の都合では可能でも、既存の販売基盤から離れるほど競争力は希薄化する。多角化の成否を分けたのは製造技術の近さではなく、顧客接点の連続性であったと考えられる。
  12. 海外進出
    ロサンゼルスに現地法人を新設
    川上源一が商社経由を全面排除した理由は、商社が競合製品も扱うためブランドの主導権を失うことにあった。耐久消費財ではアフターサービスが購入後の顧客接点となり、ここを他社に委ねることは実質的に顧客関係を譲渡することに等しい。年間150台からの出発でも100%子会社で直接販売にこだわった判断は、短期の販売効率より長期のブランド支配を優先する設計であった。10年後に世界シェア30%を確保した事実が、この設計の有効性を裏づけている。
  13. ピアノ国内シェア1位
  14. 海外進出
    西独にYamaha Europa GmbHを設立

    西ドイツ(当時)に販売子会社Yamaha Europa GmbHを設立した。すなわち欧州市場への直接進出を開始し、後の欧州統括会社設立の母体となった。

  15. レクリエーション事業に新規参入
    川上源一自身がレクリエーション事業を「企業のアクセサリー」と呼んだ時点で、この投資の目的は収益ではなく経営者の構想の実現にあった。収益を目的としない投資は、通常であれば取締役会や株主が歯止めをかける。しかし持株比率5%未満で経営を支配する川上家に対して、分散した機関投資家は異議を唱えず、社内にも反対できる者はいなかった。350億円の投じられた先が示しているのは、ガバナンスの空白が資本配分の歪みとして顕在化する構造である。
  16. 株式上場
    日本初の株式時価発行を実施

    日本初の株式時価発行を実施した。資本市場における先駆的な資金調達手法を採用した動きとなった。

  17. 半導体製造に本格参入

    エレクトーンで培った製造技術を応用し、半導体製造に参入。

  18. オーディオ機器に新規参入

    音楽を軸とした多角化として、オーディオ機器(ステレオなど)に新規参入。

  19. 河島博氏が社長退任(実質解任)
  20. 組織再編
    事業部制を導入
    事業部制は各部門に損益責任を課す一方、投下資本に対する収益性を全社横断で評価する仕組みを欠いていた。各事業部が売上拡大を優先した結果、重複投資と固定費の膨張が進み、低収益事業が楽器事業のキャッシュフローに寄生する構造が固定化した。分権化は市場対応の速度を上げたが、資本効率を監視する経営管理の不在が多角化の歯止めを外し、後年の撤退コストを膨張させた。1983年の導入から2013年の廃止まで30年を要した事実が、組織設計の修正の難しさを示している。
  21. 社名を「ヤマハ株式会社」に変更

    創業100周年を機に、社名を日本楽器製造株式会社からヤマハ株式会社に変更した。すなわち長年使われてきた商標「ヤマハ」を正式な商号に格上げする改称となった。

  22. 海外進出
    天津雅馬哈電子楽器有限公司を設立

    中国に電子楽器製造・販売子会社「天津雅馬哈電子楽器有限公司」を設立した。中国における製造拠点確保の最初期の動きで、以後の中国生産シフトの基盤となった。

  23. 薄膜磁気ヘッドの生産開始
  24. 川上家が退任意向
    川上家の持株比率は5%未満であったが、主要株主は持合い関係にある生命保険や銀行であり、経営への介入は相互不干渉の暗黙の了解によって封じられていた。取締役会も川上家が人事権を握る以上、自浄作用は期待できなかった。ガバナンスの担い手がすべて機能停止した状態で、唯一声を上げる動機と手段を持っていたのが労働組合であった。株主主権論では想定されない経路でガバナンスが作動した事実は、持合い時代の日本企業統治の空白を浮き彫りにしている。
  25. 希望退職者を募集
  26. 天竜半導体工場を新設

    半導体への投資を進めるも特損計上。半導体事業を統括していた石村社長は引責辞任へ

  27. ヤマハ発動機の株式売却を開始

    -

  28. 最終赤字407億円に転落

    半導体事業における天竜工場の新設により損失計上へ

  29. 企業買収
    Steinberg Media Technologiesを買収

    ドイツの音楽制作用ソフトウェア開発・販売会社Steinberg Media Technologies GmbHを買収した。デジタルオーディオワークステーション分野への本格参入であり、ハード偏重からソフト融合への布石となった。

  30. 事業売却
    多角事業の整理
    1992年に川上家が退任してから2005年の事業整理本格化まで13年を要した。この遅延は、経営者が交代しても事業を支える雇用・取引先・地域社会の利害関係はそのまま残るためである。合歓の郷やキロロを閉じることは、地域の雇用と税収を直撃する。一括撤退ではなく段階的売却を選んだのは社会的配慮であると同時に、撤退の意思決定がいかに政治的な調整を要するかを示している。多角化の「入り口」は経営者一人で決められるが、「出口」は利害関係者全員の合意を要する。
  31. 企業買収
    ベーゼンドルファーを買収

    オーストリアの老舗ピアノメーカー L.Bösendorfer Klavierfabrik GmbHを買収した。すなわち高級ピアノ市場での自社ブランドラインアップを補完する買収であり、世界三大ピアノブランドのひとつを傘下に収めた。

  32. 希望退職者の募集
  33. 組織再編
    事業部制を廃止
    1983年に導入した事業部制を30年後に廃止して機能別組織に戻したという事実は、組織設計に普遍的な正解がないことを示している。多角化の拡張期には分権化が合理的であったが、事業を絞り込む縮小期には全社横断の意思決定が不可欠であった。中田卓也社長が成し遂げた営業利益率の二桁化は、戦略の転換以上に組織の「形」を変えたことで実現した。原価改善という実務課題に対する最大の制約が、技術でも人材でもなく組織構造であったという発見が、この転換の本質であった。
  34. 企業買収
    米Line 6を買収

    米国の楽器・音響機器メーカー Line 6,Inc.(現Yamaha Guitar Group,Inc.)を買収した。デジタル系ギターアンプ・エフェクター事業を取り込み、エレクトリック楽器分野の品揃えを強化した。

  35. 時価総額1兆円を突破
  36. 企業買収
    米Cordoba Music Groupを買収

    米国のギター・関連商材の企画開発・製造・販売会社 Cordoba Music Group, LLCを買収した。アコースティック・クラシック系ギター領域を補完し、北米でのギター事業を拡張する一手となった。