沿革年表 1887〜2026年における重要度別の出来事(合計37件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
会社設立 | 山葉寅楠がオルガン製作に成功 山葉寅楠が浜松の小学校でオルガンを修理し、同年にオルガン製作に成功した。日本楽器製造の前史となる楽器国産化の起点に位置付けられる。 | 1887 1-12月 | ||||
重要事項会社設立 | 日本楽器製造を設立 歴史的意義yutaka sugiura 山葉寅楠は医療機器の修理に従事していた人物であり、楽器製造の専門教育を受けていない。オルガンの修理依頼を契機に楽器構造を独学で習得し、輸入品を分解・模倣する過程で製造技術を確立した。精密機械の修理で培った観察力と加工技術が、楽器という異分野への参入を可能にした。明治期の産業勃興において、専門人材が不在の領域では隣接分野からの技術転用が産業創出の経路となりうることを示す事例である。 | 1897 1-12月 | ||||
ピアノ製造を開始 歴史的意義yutaka sugiura ピアノとハーモニカは価格帯こそ異なるが、どちらも景気変動に左右される嗜好品である。高価格帯は不況で買い控えられ、低価格帯は輸入品との価格競争にさらされる。価格帯の幅を広げても需要の性質が同一である限り、景気後退期には全製品が同時に打撃を受ける。リスク分散が機能するのは需要構造が異なる事業間であり、同一の消費行動に依存する製品群の拡張は真の分散にはならないという構造を、105日のストが証明した。 | 1899 1-12月 | |||||
スト終息により経営再建 歴史的意義yutaka sugiura 川上嘉市は外部から招聘された再建者であったが、就任と同時に株式を取得したことで、再建の過程が支配権の確立と不可分になった。危機を収束させた実績は「川上家に任せればよい」という社内の合意を形成し、株主構成の分散がこれを牽制する力を持たなかった。再建のために付与された裁量が、再建完了後も回収されず世襲化したという経緯は、日本企業における「恩義による支配の固定化」の典型例であり、以後60年にわたる同族経営の起点となった。 | 1927 1-12月 | |||||
プロペラの量産を決定 軍需に対応して航空機向けプロペラの生産を決定。1938年に資本金を400万円から875万円(+475万円増資)に増資して投資資金を確保した。1939年天竜工場、1945年に佐久良工場をそれぞれ新設した。終戦時点でヤマハの従業員数は1万名に及んだ。終戦後にプロペラの生産技術(工作機械)は、二輪車への参入に活用され、ヤマハ発動機の設立に至っている。 | 1938 1-12月 | |||||
東京証券取引所に株式上場 1949年にヤマハは株式上場を実施し、川上家による株式持分は5%未満となった。主要株主は生命保険などの金融機関が中心であった。ただし、川上家はヤマハの実質的な創業者として振る舞い、1992年に更迭されるまで川上家による「資本の裏付けなき同族経営」が続いた。 | 1949 1-12月 | |||||
川上源一氏が社長就任 川上嘉市の息子である川上源一(当時38歳)が、日本楽器製造の社長に就任。以後1980年代までヤマハの経営に従事 | FY50 1950/3 | 売上高 18.2億円 | 経常利益 1.42億円 | |||
FY51 1951/3 | 売上高 20.5億円 | 経常利益 1.8億円 | ||||
FY52 1952/3 | 売上高 34.7億円 | 経常利益 2.78億円 | ||||
FY53 1953/3 | 売上高 40.1億円 | 経常利益 2.81億円 | ||||
ヤマハ音楽教室を組織化 歴史的意義yutaka sugiura ヤマハ音楽教室は需要の創出装置であると同時に、顧客の囲い込み装置でもあった。ヤマハの教材で育った生徒はヤマハの楽器を買い、ヤマハの教室で教える側に回る。教育・販売・製造の循環構造は、競合メーカーには模倣しにくいエコシステムを形成した。スタインウェイもベーゼンドルファーもこの設計を実現していない事実は、需要創出の本質がメーカー単体の力ではなく教育インフラの組織化にあったことを示している。 | FY54 1954/3 | 売上高 55.5億円 | 経常利益 3.56億円 | |||
ヤマハ発動機株式会社を設立 ヤマハ社長の川上源一は、終戦後にGHQから工作機械と工場が返還されたのを受け、需要が急増していた二輪車への参入を決定。1955年にヤマハの子会社「ヤマハ発動機(資本金3000万円)」を設立した。その後1961年にヤマハ発動機が株式上場したため、両社の資本関係は希薄化し(1980年代にはヤマハが39%を保有する大株主)、「創業者は同一だが資本面では関係会社」という位置付けで運営された。 | FY55 1955/3 | 売上高 56億円 | 経常利益 3.19億円 | |||
FY57 1957/3 | 売上高 75億円 | 経常利益 2.51億円 | ||||
海外進出 | メキシコに販売子会社を設立 メキシコにYamaha de México, S.A. de C.V.を設立した。1960年の米国法人設立に先立つ中南米進出の第一歩で、ヤマハ海外販売網の起点に位置付けられる。 | FY58 1958/3 | 売上高 87.1億円 | 経常利益 2.84億円 | ||
エレクトーン・スポーツ用品に参入 歴史的意義yutaka sugiura エレクトーンとFRP応用製品はともに楽器製造技術からの派生であったが、前者は「音楽をする人」に売り、後者は「スポーツをする人」に売る事業であった。ヤマハが持つ音楽教室・楽器店のネットワークはエレクトーンの販路として機能したが、アーチェリーやスキーには無力であった。技術の転用は工場の都合では可能でも、既存の販売基盤から離れるほど競争力は希薄化する。多角化の成否を分けたのは製造技術の近さではなく、顧客接点の連続性であったと考えられる。 | FY59 1959/3 | 売上高 99.2億円 | 経常利益 3.36億円 | |||
海外進出 | ロサンゼルスに現地法人を新設 歴史的意義yutaka sugiura 川上源一が商社経由を全面排除した理由は、商社が競合製品も扱うためブランドの主導権を失うことにあった。耐久消費財ではアフターサービスが購入後の顧客接点となり、ここを他社に委ねることは実質的に顧客関係を譲渡することに等しい。年間150台からの出発でも100%子会社で直接販売にこだわった判断は、短期の販売効率より長期のブランド支配を優先する設計であった。10年後に世界シェア30%を確保した事実が、この設計の有効性を裏づけている。 | FY60 1960/3 | 売上高 145.9億円 | 経常利益 4.85億円 | ||
FY61 1961/3 | 売上高 198億円 | 経常利益 6.28億円 | ||||
FY62 1962/3 | 売上高 267億円 | 経常利益 9億円 | ||||
ピアノ国内シェア1位 | FY63 1963/3 | 売上高 339億円 | 経常利益 11.3億円 | |||
FY64 1964/3 | 売上高 279億円 | 経常利益 16.7億円 | ||||
FY65 1965/3 | 売上高 583億円 | 経常利益 19.8億円 | ||||
海外進出 | 西独にYamaha Europa GmbHを設立 西ドイツ(当時)に販売子会社Yamaha Europa GmbHを設立した。すなわち欧州市場への直接進出を開始し、後の欧州統括会社設立の母体となった。 | FY66 1966/3 | 売上高 567億円 | 経常利益 22.5億円 | ||
FY67 1967/3 | 売上高 483億円 | 経常利益 32億円 | ||||
レクリエーション事業に新規参入 歴史的意義yutaka sugiura 川上源一自身がレクリエーション事業を「企業のアクセサリー」と呼んだ時点で、この投資の目的は収益ではなく経営者の構想の実現にあった。収益を目的としない投資は、通常であれば取締役会や株主が歯止めをかける。しかし持株比率5%未満で経営を支配する川上家に対して、分散した機関投資家は異議を唱えず、社内にも反対できる者はいなかった。350億円の投じられた先が示しているのは、ガバナンスの空白が資本配分の歪みとして顕在化する構造である。 | FY68 1968/3 | 売上高 474億円 | 経常利益 24.6億円 | |||
株式上場 | 日本初の株式時価発行を実施 日本初の株式時価発行を実施した。資本市場における先駆的な資金調達手法を採用した動きとなった。 | |||||
FY69 1969/3 | 売上高 585億円 | 経常利益 36.5億円 | ||||
FY70 1970/3 | 売上高 763億円 | 当期純利益 39.4億円 | ||||
半導体製造に本格参入 エレクトーンで培った製造技術を応用し、半導体製造に参入。 | FY71 1971/3 | 売上高 912億円 | 当期純利益 44.1億円 | |||
オーディオ機器に新規参入 音楽を軸とした多角化として、オーディオ機器(ステレオなど)に新規参入。 | FY72 1972/3 | 売上高 1,026億円 | 当期純利益 46.7億円 | |||
FY73 1973/3 | 売上高 1,229億円 | 当期純利益 50.9億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 1,654億円 | 当期純利益 57.1億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 2,092億円 | 当期純利益 48億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 2,537億円 | 当期純利益 53億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 2,759億円 | 当期純利益 46億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 2,819億円 | 当期純利益 60億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 3,038億円 | 当期純利益 67億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 3,296億円 | 当期純利益 69億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 3,462億円 | 当期純利益 56億円 | ||||
河島博氏が社長退任(実質解任) | FY83 1983/3 | 売上高 3,349億円 | 当期純利益 32億円 | |||
組織再編 | 事業部制を導入 歴史的意義yutaka sugiura 事業部制は各部門に損益責任を課す一方、投下資本に対する収益性を全社横断で評価する仕組みを欠いていた。各事業部が売上拡大を優先した結果、重複投資と固定費の膨張が進み、低収益事業が楽器事業のキャッシュフローに寄生する構造が固定化した。分権化は市場対応の速度を上げたが、資本効率を監視する経営管理の不在が多角化の歯止めを外し、後年の撤退コストを膨張させた。1983年の導入から2013年の廃止まで30年を要した事実が、組織設計の修正の難しさを示している。 | |||||
FY84 1984/3 | 売上高 3,389億円 | 当期純利益 35億円 | ||||
社名を「ヤマハ株式会社」に変更 創業100周年を機に、社名を日本楽器製造株式会社からヤマハ株式会社に変更した。すなわち長年使われてきた商標「ヤマハ」を正式な商号に格上げする改称となった。 | FY87 1987/3 | |||||
FY88 1988/3 | 売上高 3,918億円 | 当期純利益 54.1億円 | ||||
海外進出 | 天津雅馬哈電子楽器有限公司を設立 中国に電子楽器製造・販売子会社「天津雅馬哈電子楽器有限公司」を設立した。中国における製造拠点確保の最初期の動きで、以後の中国生産シフトの基盤となった。 | FY89 1989/3 | 売上高 3,975億円 | 当期純利益 36.7億円 | ||
重要事項 | 2期連続減益 歴史的意義yutaka sugiura ピアノ市場では音楽教室と楽器店の一体ネットワークがヤマハの参入障壁として機能した。しかし電子楽器はカシオやローランドが量販店経由で販売可能な商材であり、教室を介さずに購入できる構造が市場を変えた。ヤマハの競争優位は「教室→販売」の導線に依存しており、この導線が迂回された市場では優位性が希薄化する。ピアノの飽和と電子楽器の販路変化が同時に進行した1990年前後は、需要創出型モデルの射程が限定的であることが露呈した局面であった。 | FY90 1990/3 | 売上高 3,846億円 | 当期純利益 42.5億円 | ||
薄膜磁気ヘッドの生産開始 | FY91 1991/3 | 売上高 3,834億円 | 当期純利益 40.7億円 | |||
重要事項 | 川上家が退任意向 歴史的意義yutaka sugiura 川上家の持株比率は5%未満であったが、主要株主は持合い関係にある生命保険や銀行であり、経営への介入は相互不干渉の暗黙の了解によって封じられていた。取締役会も川上家が人事権を握る以上、自浄作用は期待できなかった。ガバナンスの担い手がすべて機能停止した状態で、唯一声を上げる動機と手段を持っていたのが労働組合であった。株主主権論では想定されない経路でガバナンスが作動した事実は、持合い時代の日本企業統治の空白を浮き彫りにしている。 | FY92 1992/3 | 売上高 5,128億円 | 当期純利益 57.4億円 | ||
希望退職者を募集 | ||||||
FY93 1993/3 | 売上高 4,834億円 | 当期純利益 18.2億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 4,456億円 | 当期純利益 -39.8億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 4,825億円 | 当期純利益 53.3億円 | ||||
天竜半導体工場を新設 半導体への投資を進めるも特損計上。半導体事業を統括していた石村社長は引責辞任へ | FY96 1996/3 | 売上高 5,312億円 | 当期純利益 94.3億円 | |||
FY97 1997/3 | 売上高 6,047億円 | 当期純利益 140億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 6,089億円 | 当期純利益 134億円 | ||||
| 伊藤修二 | FY99 1999/3 | 売上高 5,637億円 | 当期純利益 -158億円 | |||
| 伊藤修二 | ヤマハ発動機の株式売却を開始 - | FY00 2000/3 | 売上高 5,278億円 | 当期純利益 -407億円 | ||
最終赤字407億円に転落 半導体事業における天竜工場の新設により損失計上へ | ||||||
| 伊藤修二 | FY01 2001/3 | 売上高 5,191億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 133億円 | |||
| 伊藤修二 | FY02 2002/3 | 売上高 5,044億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -102億円 | |||
| 伊藤修二 | FY03 2003/3 | 売上高 5,247億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 179億円 | |||
| 伊藤修二 | FY04 2004/3 | 売上高 5,395億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 435億円 | |||
企業買収 | 伊藤修二 | Steinberg Media Technologiesを買収 ドイツの音楽制作用ソフトウェア開発・販売会社Steinberg Media Technologies GmbHを買収した。デジタルオーディオワークステーション分野への本格参入であり、ハード偏重からソフト融合への布石となった。 | FY05 2005/3 | 売上高 5,340億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 196億円 | |
重要事項事業売却 | 多角事業の整理 歴史的意義yutaka sugiura 1992年に川上家が退任してから2005年の事業整理本格化まで13年を要した。この遅延は、経営者が交代しても事業を支える雇用・取引先・地域社会の利害関係はそのまま残るためである。合歓の郷やキロロを閉じることは、地域の雇用と税収を直撃する。一括撤退ではなく段階的売却を選んだのは社会的配慮であると同時に、撤退の意思決定がいかに政治的な調整を要するかを示している。多角化の「入り口」は経営者一人で決められるが、「出口」は利害関係者全員の合意を要する。 | |||||
| 梅村充 | FY06 2006/3 | 売上高 5,340億円 | 当期純利益 281億円 | |||
| 梅村充 | FY07 2007/3 | 売上高 5,503億円 | 当期純利益 278億円 | |||
企業買収 | 梅村充 | ベーゼンドルファーを買収 オーストリアの老舗ピアノメーカー L.Bösendorfer Klavierfabrik GmbHを買収した。すなわち高級ピアノ市場での自社ブランドラインアップを補完する買収であり、世界三大ピアノブランドのひとつを傘下に収めた。 | FY08 2008/3 | 売上高 5,487億円 | 当期純利益 395億円 | |
| 梅村充 | FY09 2009/3 | 売上高 4,592億円 | 当期純利益 -206億円 | |||
| 梅村充 | FY10 2010/3 | 売上高 4,148億円 | 当期純利益 -49億円 | |||
| 梅村充 | FY11 2011/3 | 売上高 3,738億円 | 当期純利益 50億円 | |||
| 中田卓也 | FY12 2012/3 | 売上高 3,566億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -293億円 | |||
| 中田卓也 | 希望退職者の募集 | FY13 2013/3 | 売上高 3,669億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 41億円 | ||
組織再編 | 事業部制を廃止 歴史的意義yutaka sugiura 1983年に導入した事業部制を30年後に廃止して機能別組織に戻したという事実は、組織設計に普遍的な正解がないことを示している。多角化の拡張期には分権化が合理的であったが、事業を絞り込む縮小期には全社横断の意思決定が不可欠であった。中田卓也社長が成し遂げた営業利益率の二桁化は、戦略の転換以上に組織の「形」を変えたことで実現した。原価改善という実務課題に対する最大の制約が、技術でも人材でもなく組織構造であったという発見が、この転換の本質であった。 | |||||
企業買収 | 中田卓也 | 米Line 6を買収 米国の楽器・音響機器メーカー Line 6,Inc.(現Yamaha Guitar Group,Inc.)を買収した。デジタル系ギターアンプ・エフェクター事業を取り込み、エレクトリック楽器分野の品揃えを強化した。 | FY14 2014/3 | 売上高 4,103億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 228億円 | |
| 中田卓也 | FY15 2015/3 | 売上高 4,321億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 249億円 | |||
| 中田卓也 | FY16 2016/3 | 売上高 4,354億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 326億円 | |||
| 中田卓也 | FY17 2017/3 | 売上高 4,082億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 467億円 | |||
| 中田卓也 | FY18 2018/3 | 売上高 4,329億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 543億円 | |||
| 中田卓也 | 時価総額1兆円を突破 | FY19 2019/3 | 売上高 4,374億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 437億円 | ||
| 中田卓也 | FY20 2020/3 | 売上高 4,142億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 346億円 | |||
| 中田卓也 | FY21 2021/3 | 売上高 3,726億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 266億円 | |||
| 中田卓也 | FY22 2022/3 | 売上高 4,081億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 372億円 | |||
企業買収 | 山浦敦 | 米Cordoba Music Groupを買収 米国のギター・関連商材の企画開発・製造・販売会社 Cordoba Music Group, LLCを買収した。アコースティック・クラシック系ギター領域を補完し、北米でのギター事業を拡張する一手となった。 | FY23 2023/3 | 売上高 4,514億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 381億円 | |
| 山浦敦 | FY24 2024/3 | 売上高 4,628億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 296億円 | |||
| 山浦敦 | FY25 2025/3 | 売上高 4,620億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 133億円 | |||
FY26 2026/3 | 売上高 4,653億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 237億円 |
- 山葉寅楠がオルガン製作に成功
山葉寅楠が浜松の小学校でオルガンを修理し、同年にオルガン製作に成功した。日本楽器製造の前史となる楽器国産化の起点に位置付けられる。
- 日本楽器製造を設立山葉寅楠は医療機器の修理に従事していた人物であり、楽器製造の専門教育を受けていない。オルガンの修理依頼を契機に楽器構造を独学で習得し、輸入品を分解・模倣する過程で製造技術を確立した。精密機械の修理で培った観察力と加工技術が、楽器という異分野への参入を可能にした。明治期の産業勃興において、専門人材が不在の領域では隣接分野からの技術転用が産業創出の経路となりうることを示す事例である。
- ピアノ製造を開始ピアノとハーモニカは価格帯こそ異なるが、どちらも景気変動に左右される嗜好品である。高価格帯は不況で買い控えられ、低価格帯は輸入品との価格競争にさらされる。価格帯の幅を広げても需要の性質が同一である限り、景気後退期には全製品が同時に打撃を受ける。リスク分散が機能するのは需要構造が異なる事業間であり、同一の消費行動に依存する製品群の拡張は真の分散にはならないという構造を、105日のストが証明した。
- スト終息により経営再建川上嘉市は外部から招聘された再建者であったが、就任と同時に株式を取得したことで、再建の過程が支配権の確立と不可分になった。危機を収束させた実績は「川上家に任せればよい」という社内の合意を形成し、株主構成の分散がこれを牽制する力を持たなかった。再建のために付与された裁量が、再建完了後も回収されず世襲化したという経緯は、日本企業における「恩義による支配の固定化」の典型例であり、以後60年にわたる同族経営の起点となった。
- プロペラの量産を決定
軍需に対応して航空機向けプロペラの生産を決定。1938年に資本金を400万円から875万円(+475万円増資)に増資して投資資金を確保した。1939年天竜工場、1945年に佐久良工場をそれぞれ新設した。終戦時点でヤマハの従業員数は1万名に及んだ。終戦後にプロペラの生産技術(工作機械)は、二輪車への参入に活用され、ヤマハ発動機の設立に至っている。
- 東京証券取引所に株式上場
1949年にヤマハは株式上場を実施し、川上家による株式持分は5%未満となった。主要株主は生命保険などの金融機関が中心であった。ただし、川上家はヤマハの実質的な創業者として振る舞い、1992年に更迭されるまで川上家による「資本の裏付けなき同族経営」が続いた。
- 川上源一氏が社長就任
川上嘉市の息子である川上源一(当時38歳)が、日本楽器製造の社長に就任。以後1980年代までヤマハの経営に従事
- ヤマハ音楽教室を組織化ヤマハ音楽教室は需要の創出装置であると同時に、顧客の囲い込み装置でもあった。ヤマハの教材で育った生徒はヤマハの楽器を買い、ヤマハの教室で教える側に回る。教育・販売・製造の循環構造は、競合メーカーには模倣しにくいエコシステムを形成した。スタインウェイもベーゼンドルファーもこの設計を実現していない事実は、需要創出の本質がメーカー単体の力ではなく教育インフラの組織化にあったことを示している。
- ヤマハ発動機株式会社を設立
ヤマハ社長の川上源一は、終戦後にGHQから工作機械と工場が返還されたのを受け、需要が急増していた二輪車への参入を決定。1955年にヤマハの子会社「ヤマハ発動機(資本金3000万円)」を設立した。その後1961年にヤマハ発動機が株式上場したため、両社の資本関係は希薄化し(1980年代にはヤマハが39%を保有する大株主)、「創業者は同一だが資本面では関係会社」という位置付けで運営された。
- メキシコに販売子会社を設立
メキシコにYamaha de México, S.A. de C.V.を設立した。1960年の米国法人設立に先立つ中南米進出の第一歩で、ヤマハ海外販売網の起点に位置付けられる。
- エレクトーン・スポーツ用品に参入エレクトーンとFRP応用製品はともに楽器製造技術からの派生であったが、前者は「音楽をする人」に売り、後者は「スポーツをする人」に売る事業であった。ヤマハが持つ音楽教室・楽器店のネットワークはエレクトーンの販路として機能したが、アーチェリーやスキーには無力であった。技術の転用は工場の都合では可能でも、既存の販売基盤から離れるほど競争力は希薄化する。多角化の成否を分けたのは製造技術の近さではなく、顧客接点の連続性であったと考えられる。
- ロサンゼルスに現地法人を新設川上源一が商社経由を全面排除した理由は、商社が競合製品も扱うためブランドの主導権を失うことにあった。耐久消費財ではアフターサービスが購入後の顧客接点となり、ここを他社に委ねることは実質的に顧客関係を譲渡することに等しい。年間150台からの出発でも100%子会社で直接販売にこだわった判断は、短期の販売効率より長期のブランド支配を優先する設計であった。10年後に世界シェア30%を確保した事実が、この設計の有効性を裏づけている。
- ピアノ国内シェア1位
- 西独にYamaha Europa GmbHを設立
西ドイツ(当時)に販売子会社Yamaha Europa GmbHを設立した。すなわち欧州市場への直接進出を開始し、後の欧州統括会社設立の母体となった。
- レクリエーション事業に新規参入川上源一自身がレクリエーション事業を「企業のアクセサリー」と呼んだ時点で、この投資の目的は収益ではなく経営者の構想の実現にあった。収益を目的としない投資は、通常であれば取締役会や株主が歯止めをかける。しかし持株比率5%未満で経営を支配する川上家に対して、分散した機関投資家は異議を唱えず、社内にも反対できる者はいなかった。350億円の投じられた先が示しているのは、ガバナンスの空白が資本配分の歪みとして顕在化する構造である。
- 日本初の株式時価発行を実施
日本初の株式時価発行を実施した。資本市場における先駆的な資金調達手法を採用した動きとなった。
- 半導体製造に本格参入
エレクトーンで培った製造技術を応用し、半導体製造に参入。
- オーディオ機器に新規参入
音楽を軸とした多角化として、オーディオ機器(ステレオなど)に新規参入。
- 河島博氏が社長退任(実質解任)
- 事業部制を導入事業部制は各部門に損益責任を課す一方、投下資本に対する収益性を全社横断で評価する仕組みを欠いていた。各事業部が売上拡大を優先した結果、重複投資と固定費の膨張が進み、低収益事業が楽器事業のキャッシュフローに寄生する構造が固定化した。分権化は市場対応の速度を上げたが、資本効率を監視する経営管理の不在が多角化の歯止めを外し、後年の撤退コストを膨張させた。1983年の導入から2013年の廃止まで30年を要した事実が、組織設計の修正の難しさを示している。
- 社名を「ヤマハ株式会社」に変更
創業100周年を機に、社名を日本楽器製造株式会社からヤマハ株式会社に変更した。すなわち長年使われてきた商標「ヤマハ」を正式な商号に格上げする改称となった。
- 天津雅馬哈電子楽器有限公司を設立
中国に電子楽器製造・販売子会社「天津雅馬哈電子楽器有限公司」を設立した。中国における製造拠点確保の最初期の動きで、以後の中国生産シフトの基盤となった。
- 薄膜磁気ヘッドの生産開始
- 川上家が退任意向川上家の持株比率は5%未満であったが、主要株主は持合い関係にある生命保険や銀行であり、経営への介入は相互不干渉の暗黙の了解によって封じられていた。取締役会も川上家が人事権を握る以上、自浄作用は期待できなかった。ガバナンスの担い手がすべて機能停止した状態で、唯一声を上げる動機と手段を持っていたのが労働組合であった。株主主権論では想定されない経路でガバナンスが作動した事実は、持合い時代の日本企業統治の空白を浮き彫りにしている。
- 希望退職者を募集
- 天竜半導体工場を新設
半導体への投資を進めるも特損計上。半導体事業を統括していた石村社長は引責辞任へ
- ヤマハ発動機の株式売却を開始
-
- 最終赤字407億円に転落
半導体事業における天竜工場の新設により損失計上へ
- Steinberg Media Technologiesを買収
ドイツの音楽制作用ソフトウェア開発・販売会社Steinberg Media Technologies GmbHを買収した。デジタルオーディオワークステーション分野への本格参入であり、ハード偏重からソフト融合への布石となった。
- 多角事業の整理1992年に川上家が退任してから2005年の事業整理本格化まで13年を要した。この遅延は、経営者が交代しても事業を支える雇用・取引先・地域社会の利害関係はそのまま残るためである。合歓の郷やキロロを閉じることは、地域の雇用と税収を直撃する。一括撤退ではなく段階的売却を選んだのは社会的配慮であると同時に、撤退の意思決定がいかに政治的な調整を要するかを示している。多角化の「入り口」は経営者一人で決められるが、「出口」は利害関係者全員の合意を要する。
- ベーゼンドルファーを買収
オーストリアの老舗ピアノメーカー L.Bösendorfer Klavierfabrik GmbHを買収した。すなわち高級ピアノ市場での自社ブランドラインアップを補完する買収であり、世界三大ピアノブランドのひとつを傘下に収めた。
- 希望退職者の募集
- 事業部制を廃止1983年に導入した事業部制を30年後に廃止して機能別組織に戻したという事実は、組織設計に普遍的な正解がないことを示している。多角化の拡張期には分権化が合理的であったが、事業を絞り込む縮小期には全社横断の意思決定が不可欠であった。中田卓也社長が成し遂げた営業利益率の二桁化は、戦略の転換以上に組織の「形」を変えたことで実現した。原価改善という実務課題に対する最大の制約が、技術でも人材でもなく組織構造であったという発見が、この転換の本質であった。
- 米Line 6を買収
米国の楽器・音響機器メーカー Line 6,Inc.(現Yamaha Guitar Group,Inc.)を買収した。デジタル系ギターアンプ・エフェクター事業を取り込み、エレクトリック楽器分野の品揃えを強化した。
- 時価総額1兆円を突破
- 米Cordoba Music Groupを買収
米国のギター・関連商材の企画開発・製造・販売会社 Cordoba Music Group, LLCを買収した。アコースティック・クラシック系ギター領域を補完し、北米でのギター事業を拡張する一手となった。