1958〜2022
売上高: 億円
■単体 | ■連結
4081億円
2022.3 | 売上収益
売上高_計上利益金率: %
○単体 | ○連結
372億円
2022.3 | (親)当期利益
1897
会社設立

日本楽器製造を設立

明治時代に山葉寅楠氏が浜松でオルガンの修理を開始。その後ヤマハを設立してピアノ製造に参入へ

1897年
オルガン製造を開始(山葉寅楠氏)
1889年
合資会社山葉風琴製作所を設立
1897年
日本楽器製造株式会社を設立
1899年
ピアノ製造を開始
1915年
ハーモニカ製造を開始
1927

労働争議により経営危機へ。住友系の川上嘉市が経営再建に尽力

1920年代を通じて静岡県浜松は工場都市として栄えたものの、その代償として労働争議が頻発した。中でも、すでに大規模工場を構えるほどに成長していた日本楽器製造(ヤマハ)が組合の標的とされ、大規模な労働争議に巻き込まれた。

労働争議を解決するために、取引先の銀行であった住友銀行は、住友財閥系の企業に勤めていた川上嘉市を、1927年に日本楽器製造の社長として送り込んだ。その後、労働問題を解決し、生産体制は元に戻った。

この経緯から、日本楽器製造の社長は、川上嘉市が歴任する形となった。以後、1992年に至るまで、川上家がヤマハの経営に従事した。

1949
株式上場

東京証券取引所に株式上場

まとめ
1897〜1949
売上不明
■単体 | ■連結
利益率不明
○単体 | ○連結
1950

川上源一(当時38歳)が、代表取締役社長に就任

川上嘉市の息子である川上源一(当時38歳)が、日本楽器製造の社長に就任。以後1980年代までヤマハの経営に従事

1955
会社設立

ヤマハ発動機株式会社を設立

当時のヤマハの社長であった川上源一は、終戦後にGHQ接収されていた工作機械と工場が返還されたのを受けて、当時需要が急増しつつあった二輪車への参入を決めた。 そして、1955年にヤマハの子会社として「ヤマハ発動機(資本金3000万円)」を設立した。その後、1961年にヤマハ発動機は株式を上場したため、ヤマハとヤマハ発動機の資本関係は希薄となった(1980年代にはヤマハが大株主として39%を保有)。このため、ヤマハ発動機とヤマハは「創業者は同一だが、資本面では関係会社」という位置付けて運営された。

まとめ
1950〜1966
売上高: 億円
■単体 | ■連結
567億円
1966.4 | 売上高
売上高_計上利益金率: %
○単体 | ○連結
22.5億円
1966.4 | 計上利益金
1971
新規事業

半導体製造に本格参入

1971年にヤマハは半導体に参入し、電子オルガン・電子ピアノ向けの音源用のLSIの開発製造を行なっていた。

当時はデジタル技術の普及期であり、音源LSIの技術は確立されていなかったため、ヤマハは開発および製造を行うことで、音源用のLSIの先駆的な存在となった。

生産拠点としては、静岡県の豊岡工場に加え、1976年には鹿児島に子会社の生産拠点を新設した。

1990年代には、HDD向けの薄膜磁気ヘッドに本格投資を行い、国内シェア20%を確保するなど、音源に拘らない半導体部品の事業も拡大した。

まとめ
1967〜1979
売上高: 億円
■単体 | ■連結
2819億円
1979.4 | 売上高
売上高_計上利益金率: %
○単体 | ○連結
60.4億円
1979.4 | 当期純利益
1991

薄膜磁気ヘッドの生産開始

1991年
磁気ヘッドの生産開始
1999年04月
磁気ヘッドから撤退
1992

労働組合が川上浩氏の社長辞任を要求

川上源一氏のワンマン経営が大問題に発展。川上家が経営から退くことで責任を取ったが、ヤマハにとって「負の歴史」に

1980年
河島博氏が社長退任
1983年
川上浩氏が社長就任
1992年
川上浩氏が社長退任
1992年
上島清介氏が社長就任
1992

希望退職者を募集

1996

天龍半導体工場を新設

半導体への投資を進めるも特損計上。半導体事業を統括していた石村社長は引責辞任へ

1997年
石村和清氏が社長就任
1998年04月
天龍半導体工場の操業開始
1999年04月
天龍半導体工場の操業停止
1999年07月
ロームに100億円で売却
2000年
石村和清氏が社長退任
1999 03月
業績低迷

最終赤字407億円に転落

まとめ
1980〜1999
売上高: 億円
■単体 | ■連結
5637億円
1999.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
-158億円
1999.3 | 当期純利益
2000

ヤマハ発動機の株式売却を開始

半導体およびリゾート事業の損失を株式売却で穴埋めへ。ヤマハ発動機の持株がヤマハの財務危機を救う

2000年03月
トヨタにヤマハ発動機の株式5%を売却
2008年03月
関係会社株式売却益を計上
610億円
2001

伊藤修二氏が社長就任

2005 03月
業績低迷

慢性的な赤字体質へ

リゾートおよび楽器製造で業績不振。拠点閉鎖を含めて事業再編を開始

2005年03月
国内リゾート4施設で減損
-139億円
2009年03月
国内生産拠点の再編・不採算事業の譲渡を発表
2009年03月
最終赤字転落(減損損失155億円による影響)
-206億円
当期純利益
2010年03月
最終赤字転落
-49億円
当期純利益
2012年03月
最終赤字転落(法人税調整額による影響)
-293億円
当期純利益
2012 08月

希望退職者の募集

まとめ
2000〜2012
売上高: 億円
■単体 | ■連結
3566億円
2012.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
-293億円
2012.3 | 当期純利益
2013

中田卓也氏が社長就任。収益性重視の経営に転換

収益性重視の経営へ転換。海外生産移管により原価率を改善

2013年03月
中田卓也氏が代表取締役社長に就任
2013年03月
事業部制を廃止。機能別組織に移行
2013年03月
製造工程における原価改善を重視
2013年03月
管楽器生産を豊岡工場に集約
2013年03月
国内主力工場の人員削減
2017年03月
売上高営業利益率10.2%を達成
2018 06月
業績好調

時価総額1兆円を突破

まとめ
2013〜2023
売上高: 億円
■単体 | ■連結
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結