沿革年表 1922〜2025年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
会社設立
旭絹織株式会社を設立
ビスコース・レーヨン糸を製造販売する「旭絹織株式会社」を設立した。後に延岡アンモニア絹絲・日本ベンベルグ絹絲との合併を経て旭ベンベルグ絹絲となる、旭化成グループ創業母体の一つに当たる。
1922
1-12月
重要事項会社設立
日本窒素が延岡工場を新設
歴史的意義yutaka sugiura
旭化成の創業過程が示す構造的な特徴は、アンモニア合成という単一の化学技術が肥料・繊維・火薬という異なる事業領域への展開を可能にした点にある。延岡の水力発電で得た安価な電力と、そこから生まれるアンモニアを共通の原料基盤とすることで、一見無関係に見える事業群が有機的に接続された。この「共通基盤型の多角化」は、戦後の旭化成が化学・住宅・医薬品へと事業を広げていく際の思考の出発点になったと考えられる。
1923
1-12月
組織再編
延岡アンモニア絹絲株式会社を設立
資本金1,000万円で「延岡アンモニア絹絲株式会社」を設立した。アンモニア・硝酸等の化成品とレーヨン繊維を一体で扱う構造で、現在の旭化成株式会社が法的連続性をもつ起点に当たる。
1931
1-12月
食品事業に参入(グルタミン酸ソーダ)
苛性ソーダ(レーヨン原料)の生産時に発生する塩素ガスを有効活用するため、グルタミン酸ソーダの製造を開始。
1935
1-12月
日本窒素化学工業を発足(旭ベンベルグ絹糸と日本窒素火薬が合併)
1943
1-12月
商号を旭化成工業株式会社に変更
1946
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
旭ダウを合弁設立・合成樹脂に進出
FY53
1953/3
事業部制を採用・多角化を本格化
FY59
1959/3
アクリル繊維「カシミロン」の製造開始
FY60
1960/3
「サランラップ」の製造開始
FY61
1961/3
重要事項社長交代
宮崎輝氏が代表取締役社長に就任
宮崎輝氏の多角化経営で注目すべきは、参入初期の赤字を「健全」と位置づけた点にある。全社の財務が悪化しない範囲に投資額を限定し、既存事業の黒字を原資として新規事業の赤字を許容する仕組みは、多角化のリスクを定量的に管理する手法であった。加えて異分野からの人材登用を組み合わせ、既存事業の発想に縛られない事業開発を実現した。ただしこの手法は撤退基準を曖昧にする副作用も伴い、後の「選択と集中」への転換を不可避にした。
経営判断をよむ →
希望退職者を募集
FY62
1962/3
ALC「へーベル」の製造を開始
軽量気泡コンクリート「へーベル」の製造を開始し、建材事業へ本格進出した。1972年の住宅事業「ヘーベルハウス」展開につながる素材で、繊維・化学から建材・住宅へと多角化を広げる重要な一歩となった。
FY68
1968/3
業務提携
山陽石油化学を設立
歴史的意義yutaka sugiura
石油化学参入で注目すべきは、エチレンセンター建設の10年以上前から旭ダウを通じて樹脂の顧客基盤を先行構築していた点にある。先に川下の販路を確保し、後から川上の原料供給体制を整える「逆算型」の参入戦略であった。宮崎輝氏が社内の反対論を押し切れたのも、旭ダウの高収益が投資回収の蓋然性を裏付けていたためと考えられる。「この機を逃せば永遠にチャンスを失う」という時間軸の判断が、売上高に匹敵する投資の意思決定を規定した。
FY69
1969/3
FY71
1971/3
売上高
2,322.24億円
当期純利益
71.55億円
FY72
1972/3
売上高
2,540.61億円
当期純利益
50.46億円
設備投資
山陽エチレンが年産35万トンのエチレンセンターを完成
山陽石油化学グループの「山陽エチレン株式会社」が、岡山県水島で年産35万トン規模のエチレンセンターを完成させた。山陽石油化学設立から4年での完成で、石油化学事業の生産基盤が整った。
FY73
1973/3
売上高
2,684.41億円
当期純利益
64.7億円
重要事項
旭化成ホームズを設立・住宅事業に参入
歴史的意義yutaka sugiura
住宅事業で興味深いのは、建材の技術選定で失敗した後に「撤退」ではなく「技術の入れ替え」を選択し、さらに販売方式まで抜本的に見直した点にある。シリカリチートからALC、代理店から直販と、事業の構成要素を一つずつ入れ替えながら最適解に到達している。加えてALCの「高価だが高性能」という特性から首都圏の高級住宅市場に照準を絞った判断は、製品特性と市場選択の整合性を重視した戦略設計の好例といえる。
FY74
1974/3
売上高
3,652.86億円
当期純利益
161.29億円
重要事項
旭メディカルを設立・医療機器に参入
歴史的意義yutaka sugiura
人工腎臓への参入は、ベンベルグ繊維から派生した中空糸技術を医療分野に転用した事例である。技術の発見自体は偶然の要素が大きいが、それを事業化する組織の判断は計画的であった。繊維研究者を医療機器開発に配置転換し、販売では外部提携で販路を確保するなど、自社技術と外部リソースを組み合わせた参入設計が3年での黒字化を支えた。繊維メーカーの技術蓄積が参入障壁となり、後発が模倣しにくい競争優位を構築した点が構造的に注目される。
FY75
1975/3
売上高
4,336.95億円
当期純利益
83.17億円
FY76
1976/3
売上高
4,578.14億円
当期純利益
30.42億円
FY77
1977/3
売上高
4,734.3億円
当期純利益
45億円
FY78
1978/3
売上高
4,413.23億円
当期純利益
48.89億円
FY79
1979/3
売上高
4,247.06億円
当期純利益
71.02億円
FY80
1980/3
売上高
5,419.42億円
当期純利益
118.09億円
新規事業
宮崎電子を設立しホール素子事業へ参入
「宮崎電子株式会社」(現旭化成エレクトロニクス)を設立し、磁気センサ素子(ホール素子)事業へ参入した。繊維・化学を起点とする会社から半導体素子分野への進出で、後のLSI・電子事業の母体となった。
FY81
1981/3
売上高
5,956.93億円
当期純利益
137.07億円
FY82
1982/3
売上高
5,924.07億円
当期純利益
107.74億円
FY83
1983/3
売上高
6,295.45億円
当期純利益
107.96億円
旭マイクロシステムを設立・半導体に参入
FY84
1984/3
売上高
7,064.64億円
当期純利益
111.18億円
重要事項新規事業
リチウムイオン電池の基本構造を確立し特許出願
経営判断をよむ →
FY85
1985/3
売上高
7,652.93億円
当期純利益
140.1億円
重要事項組織再編
東洋醸造と合併
歴史的意義yutaka sugiura
東洋醸造の事例で注目すべきは、親会社から派遣された小川三男氏が、派遣元の旭化成本体を上回る医薬品事業を独自に構築した点にある。旭化成が直接参入した医薬品は収益化に至らなかったのに対し、東洋醸造では発酵技術を活かして売上の過半を医薬品に転換するまでに至った。事業を生む力が本社ではなく傘下企業に宿ったという構図は、多角化企業における新事業開発の主体がどこに置かれるべきかという問いを投げかけている。
FY92
1992/3
売上高
13,058億円
当期純利益
305億円
FY93
1993/3
売上高
12,320億円
当期純利益
182億円
FY94
1994/3
売上高
11,515億円
当期純利益
87億円
FY95
1995/3
売上高
11,549億円
当期純利益
77億円
FY96
1996/3
売上高
12,101億円
当期純利益
92億円
FY97
1997/3
売上高
12,915億円
当期純利益
253億円
FY98
1998/3
売上高
12,816億円
当期純利益
208億円
FY99
1999/3
売上高
11,718億円
当期純利益
173億円
重要事項事業売却
食品・酒類から事業撤退を開始
旭化成の選択と集中で注目すべきは、多角化の推進者である宮崎輝氏の急逝を契機に経営陣が即座に路線転換に着手した点にある。拡大路線の限界は社内で認識されていたが、宮崎氏の存在が方針転換を阻んでいた構図が浮かぶ。山本一元社長が導入した部門別バランスシートとROE経営はデュポン・ダウの影響を受けたものであり、日本の化学企業が欧米型の資本効率経営を取り入れた初期の事例である。撤退においても雇用を維持した点は旭化成固有の制約と配慮を示す。
経営判断をよむ →
FY00
2000/3
売上高
11,944億円
当期純利益
205億円
商号を旭化成株式会社に変更
FY01
2001/3
売上高
12,694億円
当期純利益
251億円
蛭田史郎
FY02
2002/3
売上高
11,953億円
当期純利益
51億円
事業売却
蛭田史郎
焼酎・低アルコール飲料事業を譲渡
焼酎および低アルコール飲料事業をアサヒビール株式会社およびニッカウヰスキー株式会社へ譲渡した。1992年の東洋醸造合併で取得した酒類事業からの段階的撤退の一環で、コア事業への資源集中を進めた。
FY03
2003/3
売上高
11,936億円
当期純利益
-667億円
蛭田史郎
持株会社制に移行
FY04
2004/3
売上高
12,535億円
当期純利益
276億円
蛭田史郎
FY05
2005/3
売上高
13,776億円
当期純利益
564億円
蛭田史郎
FY06
2006/3
売上高
14,986億円
当期純利益
596億円
蛭田史郎
FY07
2007/3
売上高
16,237億円
当期純利益
685億円
蛭田史郎
FY08
2008/3
売上高
16,967億円
当期純利益
699億円
藤原健嗣
FY09
2009/3
売上高
15,531億円
当期純利益
47億円
藤原健嗣
FY10
2010/3
売上高
14,335億円
当期純利益
252億円
藤原健嗣
FY11
2011/3
売上高
15,559億円
当期純利益
602億円
藤原健嗣
FY12
2012/3
売上高
15,732億円
親会社株主に帰属する当期純利益
557億円
浅野敏雄
米ZOLLを買収(医療機器)
FY13
2013/3
売上高
16,666億円
親会社株主に帰属する当期純利益
537億円
浅野敏雄
FY14
2014/3
売上高
18,977億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,012億円
小堀秀毅
米Polyporeを買収(セパレーター)
FY15
2015/3
売上高
19,864億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,056億円
重要事項不祥事
小堀秀毅
旭化成建材の杭打ちデータ偽装が発覚
経営判断をよむ →
FY16
2016/3
売上高
19,409億円
親会社株主に帰属する当期純利益
917億円
水島製作所のエチレンセンターを停止
小堀秀毅
事業持株会社に移行
FY17
2017/3
売上高
18,829億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,150億円
小堀秀毅
FY18
2018/3
売上高
20,422億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,702億円
小堀秀毅
米Sage Automotiveを買収
FY19
2019/3
売上高
21,704億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,475億円
小堀秀毅
米Veloxis medicalsを買収
FY20
2020/3
売上高
21,516億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,039億円
工藤幸四郎
FY21
2021/3
売上高
21,060億円
親会社株主に帰属する当期純利益
797億円
工藤幸四郎
FY22
2022/3
売上高
24,613億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,618億円
組織再編
工藤幸四郎
プライム市場へ移行
東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。
FY23
2023/3
売上高
27,264億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-919億円
米Bionovaを買収
米Forcus関連5社を買収(住宅)
工藤幸四郎
非注力事業を売却
FY24
2024/3
売上高
27,848億円
親会社株主に帰属する当期純利益
438億円
企業買収
工藤幸四郎
スウェーデンCalliditas Therapeuticsを買収
スウェーデンの製薬企業「Calliditas Therapeutics AB」を買収し連結子会社化した。腎疾患領域の希少疾病薬を取り込み、2020年のVeloxis買収に続く米国医薬品事業の強化策となった。
FY25
2025/3
売上高
30,373億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,349億円
  1. 会社設立
    旭絹織株式会社を設立

    ビスコース・レーヨン糸を製造販売する「旭絹織株式会社」を設立した。後に延岡アンモニア絹絲・日本ベンベルグ絹絲との合併を経て旭ベンベルグ絹絲となる、旭化成グループ創業母体の一つに当たる。

  2. 会社設立
    日本窒素が延岡工場を新設
    旭化成の創業過程が示す構造的な特徴は、アンモニア合成という単一の化学技術が肥料・繊維・火薬という異なる事業領域への展開を可能にした点にある。延岡の水力発電で得た安価な電力と、そこから生まれるアンモニアを共通の原料基盤とすることで、一見無関係に見える事業群が有機的に接続された。この「共通基盤型の多角化」は、戦後の旭化成が化学・住宅・医薬品へと事業を広げていく際の思考の出発点になったと考えられる。
  3. 組織再編
    延岡アンモニア絹絲株式会社を設立

    資本金1,000万円で「延岡アンモニア絹絲株式会社」を設立した。アンモニア・硝酸等の化成品とレーヨン繊維を一体で扱う構造で、現在の旭化成株式会社が法的連続性をもつ起点に当たる。

  4. 食品事業に参入(グルタミン酸ソーダ)

    苛性ソーダ(レーヨン原料)の生産時に発生する塩素ガスを有効活用するため、グルタミン酸ソーダの製造を開始。

  5. 日本窒素化学工業を発足(旭ベンベルグ絹糸と日本窒素火薬が合併)
  6. 商号を旭化成工業株式会社に変更
  7. 東京証券取引所に株式上場
  8. 旭ダウを合弁設立・合成樹脂に進出
  9. 事業部制を採用・多角化を本格化
  10. アクリル繊維「カシミロン」の製造開始
  11. 「サランラップ」の製造開始
  12. 希望退職者を募集
  13. ALC「へーベル」の製造を開始

    軽量気泡コンクリート「へーベル」の製造を開始し、建材事業へ本格進出した。1972年の住宅事業「ヘーベルハウス」展開につながる素材で、繊維・化学から建材・住宅へと多角化を広げる重要な一歩となった。

  14. 業務提携
    山陽石油化学を設立
    石油化学参入で注目すべきは、エチレンセンター建設の10年以上前から旭ダウを通じて樹脂の顧客基盤を先行構築していた点にある。先に川下の販路を確保し、後から川上の原料供給体制を整える「逆算型」の参入戦略であった。宮崎輝氏が社内の反対論を押し切れたのも、旭ダウの高収益が投資回収の蓋然性を裏付けていたためと考えられる。「この機を逃せば永遠にチャンスを失う」という時間軸の判断が、売上高に匹敵する投資の意思決定を規定した。
  15. 設備投資
    山陽エチレンが年産35万トンのエチレンセンターを完成

    山陽石油化学グループの「山陽エチレン株式会社」が、岡山県水島で年産35万トン規模のエチレンセンターを完成させた。山陽石油化学設立から4年での完成で、石油化学事業の生産基盤が整った。

  16. 旭化成ホームズを設立・住宅事業に参入
    住宅事業で興味深いのは、建材の技術選定で失敗した後に「撤退」ではなく「技術の入れ替え」を選択し、さらに販売方式まで抜本的に見直した点にある。シリカリチートからALC、代理店から直販と、事業の構成要素を一つずつ入れ替えながら最適解に到達している。加えてALCの「高価だが高性能」という特性から首都圏の高級住宅市場に照準を絞った判断は、製品特性と市場選択の整合性を重視した戦略設計の好例といえる。
  17. 旭メディカルを設立・医療機器に参入
    人工腎臓への参入は、ベンベルグ繊維から派生した中空糸技術を医療分野に転用した事例である。技術の発見自体は偶然の要素が大きいが、それを事業化する組織の判断は計画的であった。繊維研究者を医療機器開発に配置転換し、販売では外部提携で販路を確保するなど、自社技術と外部リソースを組み合わせた参入設計が3年での黒字化を支えた。繊維メーカーの技術蓄積が参入障壁となり、後発が模倣しにくい競争優位を構築した点が構造的に注目される。
  18. 新規事業
    宮崎電子を設立しホール素子事業へ参入

    「宮崎電子株式会社」(現旭化成エレクトロニクス)を設立し、磁気センサ素子(ホール素子)事業へ参入した。繊維・化学を起点とする会社から半導体素子分野への進出で、後のLSI・電子事業の母体となった。

  19. 旭マイクロシステムを設立・半導体に参入
  20. 組織再編
    東洋醸造と合併
    東洋醸造の事例で注目すべきは、親会社から派遣された小川三男氏が、派遣元の旭化成本体を上回る医薬品事業を独自に構築した点にある。旭化成が直接参入した医薬品は収益化に至らなかったのに対し、東洋醸造では発酵技術を活かして売上の過半を医薬品に転換するまでに至った。事業を生む力が本社ではなく傘下企業に宿ったという構図は、多角化企業における新事業開発の主体がどこに置かれるべきかという問いを投げかけている。
  21. 商号を旭化成株式会社に変更
  22. 事業売却
    焼酎・低アルコール飲料事業を譲渡

    焼酎および低アルコール飲料事業をアサヒビール株式会社およびニッカウヰスキー株式会社へ譲渡した。1992年の東洋醸造合併で取得した酒類事業からの段階的撤退の一環で、コア事業への資源集中を進めた。

  23. 持株会社制に移行
  24. 米ZOLLを買収(医療機器)
  25. 米Polyporeを買収(セパレーター)
  26. 水島製作所のエチレンセンターを停止
  27. 事業持株会社に移行
  28. 米Sage Automotiveを買収
  29. 米Veloxis medicalsを買収
  30. 組織再編
    プライム市場へ移行

    東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。

  31. 米Bionovaを買収
  32. 米Forcus関連5社を買収(住宅)
  33. 非注力事業を売却
  34. 企業買収
    スウェーデンCalliditas Therapeuticsを買収

    スウェーデンの製薬企業「Calliditas Therapeutics AB」を買収し連結子会社化した。腎疾患領域の希少疾病薬を取り込み、2020年のVeloxis買収に続く米国医薬品事業の強化策となった。