アドバンテストの沿革(1954〜2024年)
アドバンテストの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1954 1-12月 | founding | タケダ理研工業株式会社を設立 政府機関である「通信省電気試験所」に勤務していた武田郁夫氏(当時30歳)は、日立や三菱などの大企業が出がけない「計測分野」に着目。1954年に研究開発型ベンチャー企業としてタケダ理研工業(現アドバンテスト)を創業。創業地は武田氏の出身地である豊橋市内とした。
武田氏は1975年に社内クーデータによって解任されるまで、タケダ理研の創業者として経営トップを歴任した。この間、研究開発型ベンチャー企業として経営し、ICテスターの開発に成功するなど、現在のアドバンテストの主力事業を創出した。
ただし、1954年の創業時点において、すでに日本国内では横河電機・山武ハネウェル・北辰電機の3社が戦前から工業計器の領域に参入しており、タケダ理研は後発参入に相当した。このため、1970年代にICテスタを開発して半導体製造装置(検査装置)に参入するまでは、計測器の中堅企業として成長を遂げた。
武田郁夫氏の祖父は明治時代に豊橋鉄道や発電会社を創業した実業家・武田賢治氏であり、実家からの金銭的な支援もあったものと推察される。 | 技術偏重と経営管理の欠如が共存した創業20年の帰結 | |||
1957 1-12月 | 東京に本社移転 1957年2月にタケダ理研工業は本店を愛知県豊橋市から東京都板橋区に移転。1959年には改めて本社および工場を東京都練馬区旭町(1-32-1)に移転し、創業地である愛知県豊橋ではなく、首都圏における生産販売体制を構築した。 | |||||
1967 1-12月 | ミニコンピュータによる計測器の開発に投資 | |||||
1972 1-12月 | 国産初のICテスタ「T320」を発売 集積回路(IC)の普及に合わせ、アドバンテストは半導体のテスタ装置に着目。通産省からの補助金をえて、4年の研究を経て1972年に国産初となる集積回路向けのテストシステム「T320」を発売。電卓やカラーテレビに使用される半導体のテスタとして注目を集める。 | |||||
1975 1-12月 | コンピュータ計測事業で失敗・最終赤字に転落 1973年のオイルショックによって、1975年3月期にアドバンテストは創業後初となる赤字(売上高80億円・最終赤字1億円・有利子負債50億円)に転落。 | |||||
武田郁夫氏が解任(社内クーデター) 創業者の武田郁夫はコンピューター分野に着目して研究開発投資を行っていたが、メインバンクは財務リスクが高いことや、銀行から派遣されたアドバンテストの常務と武田郁夫のコミュニケーションがうまくいかなかったことも災いし、メインバンクは融資を拒んで創業者の退任を要求するに至った。 | ||||||
FY76 1976/3 | crisis | 富士通が救済支援・ICテスタに注力 1976年に武田郁夫氏はアドバンテストを研究開発型の企業として存続させるために、電機試験所時代の元上司であった清宮博氏(せいみや・ひろし|富士通・当時社長)に相談。1950年代に武田氏は清宮氏からエレクトロニクスに関する研究開発で、研究姿勢などの指導を受けており、長年にわたって信頼関係が存在した。
なお、清宮氏は1974年から1976年まで富士通の社長を歴任したが、持病の悪化により1976年4月に逝去した人物であった。すなわち、武田氏がタケダ理研の救済を相談した段階で、清宮氏は病床に伏しており、残されたタイムリミットに限られた状況であった。
富士通の清宮社長は、元部下であり起業家でもある武田郁夫氏を評価。富士通としてタケダ理研の救済を決定し、同社への出資を決定した。富士通の支援によってタケダ理研は信用を回復し、銀行からの救済融資を受けて倒産を回避するに至った。
1976年2月にタケダ理研の社長として、富士通から派遣された海輪利正氏が就任した。以後、タケダ理研は、実質的に富士通によって経営再建に着手した。
社長就任直後に海輪社長は、従来のタケダ理研において原価計算が存在しなかったことを問題視した。そこで、採算を明確にするために、機種別の原価管理を開始。販売面においても営業人員による値引きを禁止し、原価管理および販売の改革を実施した。
事業面においては、赤字転落の原因となったミニコンピュータによる計測器事業から撤退し、ICテスタの新製品開発に注力。ICの技術革新に対応するために、新製品比率(発売後1ヶ月未満の製品と定義)の向上を目指し、1976年時点の売上高に占める新製品比率4%から、1981年度には同45%へと増加した。なお、1980年3月期時点における販売高のうち、22.6%が富士通向けであり、富士通が半導体事業の遂行にあたってタケダ理研の製品を採用することで、顧客としても経営再建を支援した。
ICテスターの販売拡大によって、タケダ理研は業績を改善。1983年2月に東京証券取引所第2部に株式上場し、富士通による再建を完遂するに至った。株式上場前の1982年3月期において、売上高の30%が日立製作所、同26%が富士通向けであった。 | 「原価計算ゼロ」から始まった富士通流の経営再建 | |||
FY77 1977/3 | 売上高 77.4億円 | 当期純利益 5.5億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 75.5億円 | 当期純利益 5.5億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 83.2億円 | 当期純利益 2.3億円 | LSI向け検査装置「100MHzテストシステム」を開発 1979年にアドバンテストは、電電公社(現NTT)の武蔵野電気通信研究所と共同開発したICテスターとして「100MHzテストシステム」を開発した。
同システムによって、1981年までにアドバンテストはICのテスターにおいて先発のフェアチャイルド社に次ぐ世界2位(シェア12.8%)を確保。フェアチャイルド社は40.5%のシェアを確保しており独走していたが、タケダ理研は1975年時点のシェア4位から、1981年時点でのシェア2位へと台頭した。 | |||
FY80 1980/3 | 売上高 120億円 | 当期純利益 5.5億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 176億円 | 当期純利益 12.3億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 209億円 | 当期純利益 14.5億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 273億円 | 当期純利益 20.2億円 | founding | 東京証券取引所第2部に上場・再建完了 タケダ理研は1983年2月に東京証券取引所第2部に株式を上場。創業者である武田郁夫氏は1975年のクーデターによって株式の大半を放出しており、上場直前の1982年6月期における株主構成は筆頭株主が富士通(28.00%)であり、武田郁夫氏は5.68%を保有するに限られていた。
なお株式上場後も筆頭株主の富士通はアドバンテストの株式を保有。2005年に富士通はアドバンテストの一部の株式を売却(売却額899億円・売却前の保有比率20.45%)し、2017年に全株式を売却(売却額530億円・売却前の保有比率11.35%)し、1976年から続いていた資本関係を解消した。
富士通によるアドバンテスト株式の取得価額は不明だが、1000億円以上の売却益を確保したと推定される。
1981年度の時点で、LSI向けテスターの市場(市場規模はグローバルで約1,000億円)において、タケダ理研は世界シェア3位(9.5%)を確保。世界トップシェアはフェアチャイルドが確保していたが、タケダ理研は世界市場に食い込んだ。
なお、電子計測器の国内メーカーとしては、タケダ理研(アドバンテスと)のほかに、横河電機、アンリツ、安藤電気、岩崎通信機、松下通信工業の6社が存在しており、アドバンテストは「ICテスター」の市場を確保することで、電子計測器業界の新興企業として認知された。 | 救済出資から40年で1,000億円超の投資回収 | |
FY84 1984/3 | 売上高 392億円 | 当期純利益 38.3億円 | ||||
FY85 1985/3 | 売上高 647億円 | 当期純利益 77.5億円 | 群馬工場を新設 | |||
FY86 1986/3 | 売上高 665億円 | 当期純利益 70.9億円 | 商号を株式会社アドバンテストに変更 | |||
FY87 1987/3 | 売上高 419億円 | 当期純利益 23.2億円 | ||||
FY88 1988/3 | 売上高 541億円 | 当期純利益 30.1億円 | ||||
FY90 1990/3 | Advantest (Singapore) Pte. Ltd.を設立 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 807億円 | 当期純利益 37億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 619億円 | 当期純利益 0億円 | アジア市場の重視を宣言 1990年代を通じて、DRAMを中心とした半導体生産の拠点は、日本から韓国・台湾に遷移しつつあった。そこで、アドバンテストはアジア市場を重視する「アジアへ思い切ったパワーシフトを」という方針を掲げ、アジアで販売拠点を充実させる方針を打ち出す。 | |||
FY94 1994/3 | 売上高 620億円 | 当期純利益 3億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 804億円 | 当期純利益 31億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 1,463億円 | 当期純利益 199億円 | 半導体検査装置で世界シェア約40% | |||
FY97 1997/3 | 売上高 1,612億円 | 当期純利益 247億円 | 群馬R&Dセンターを新設 | |||
FY98 1998/3 | 売上高 2,574億円 | 当期純利益 435億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 1,417億円 | 当期純利益 188億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 1,671億円 | 当期純利益 223億円 | ||||
FY01 2001/3 | 売上高 2,622億円 | 当期純利益 470億円 | ||||
FY02 2002/3 | 売上高 952億円 | 当期純利益 -229億円 | ||||
FY03 2003/3 | 売上高 977億円 | 当期純利益 -129億円 | 北九州R&Dセンターを新設 | |||
FY04 2004/3 | 売上高 1,724億円 | 当期純利益 173億円 | ||||
FY05 2005/3 | 売上高 2,394億円 | 当期純利益 380億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 2,539億円 | 当期純利益 413億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 2,350億円 | 当期純利益 355億円 | ||||
FY08 2008/3 | 売上高 1,827億円 | 当期純利益 165億円 | ||||
FY09 2009/3 | 売上高 766億円 | 当期純利益 -749億円 | 市況悪化により赤字転落 半導体の市況悪化により、729億円の赤字に転落。だが、2009年3月期時点のアドバンテストは無借金経営のため、財務体質に大きな影響は無し | |||
FY10 2010/3 | 売上高 532億円 | 当期純利益 -114億円 | ||||
FY11 2011/3 | 売上高 996億円 | 当期純利益 31.6億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 1,410億円 | 当期純利益 -21.9億円 | ||||
FY13 2013/3 | 売上高 1,329億円 | 当期純利益 -38.2億円 | ||||
FY14 2014/3 | 売上高 1,118億円 | 当期純利益 -355億円 | 3期連続の赤字転落 | |||
FY15 2015/3 | 売上高 1,638億円 | 当期純利益 167億円 | ||||
FY16 2016/3 | 売上高 1,621億円 | 当期純利益 66.9億円 | ||||
FY17 2017/3 | 売上高 1,559億円 | 当期純利益 142億円 | ||||
FY18 2018/3 | 売上高 2,072億円 | 当期純利益 181億円 | ||||
FY19 2019/3 | 売上高 2,824億円 | 当期純利益 569億円 | ||||
FY20 2020/3 | 売上高 2,758億円 | 当期純利益 535億円 | ||||
FY21 2021/3 | 売上高 3,127億円 | 当期純利益 697億円 | ||||
FY22 2022/3 | 売上高 4,169億円 | 当期純利益 873億円 | ||||
FY23 2023/3 | 売上高 5,601億円 | 当期純利益 1,712億円 | 市況好転により過去最高益を達成 台湾・中国・韓国における半導体生産が拡大した結果、アドバンテストの業績も好転。2023年3月期には過去最高の純利益1712億円を記録した。 | |||
FY24 2024/3 | 売上高 4,865億円 | 当期純利益 781億円 |
- タケダ理研工業株式会社を設立
政府機関である「通信省電気試験所」に勤務していた武田郁夫氏(当時30歳)は、日立や三菱などの大企業が出がけない「計測分野」に着目。1954年に研究開発型ベンチャー企業としてタケダ理研工業(現アドバンテスト)を創業。創業地は武田氏の出身地である豊橋市内とした。 武田氏は1975年に社内クーデータによって解任されるまで、タケダ理研の創業者として経営トップを歴任した。この間、研究開発型ベンチャー企業として経営し、ICテスターの開発に成功するなど、現在のアドバンテストの主力事業を創出した。 ただし、1954年の創業時点において、すでに日本国内では横河電機・山武ハネウェル・北辰電機の3社が戦前から工業計器の領域に参入しており、タケダ理研は後発参入に相当した。このため、1970年代にICテスタを開発して半導体製造装置(検査装置)に参入するまでは、計測器の中堅企業として成長を遂げた。 武田郁夫氏の祖父は明治時代に豊橋鉄道や発電会社を創業した実業家・武田賢治氏であり、実家からの金銭的な支援もあったものと推察される。
技術偏重と経営管理の欠如が共存した創業20年の帰結 - 東京に本社移転
1957年2月にタケダ理研工業は本店を愛知県豊橋市から東京都板橋区に移転。1959年には改めて本社および工場を東京都練馬区旭町(1-32-1)に移転し、創業地である愛知県豊橋ではなく、首都圏における生産販売体制を構築した。
- ミニコンピュータによる計測器の開発に投資
- 国産初のICテスタ「T320」を発売
集積回路(IC)の普及に合わせ、アドバンテストは半導体のテスタ装置に着目。通産省からの補助金をえて、4年の研究を経て1972年に国産初となる集積回路向けのテストシステム「T320」を発売。電卓やカラーテレビに使用される半導体のテスタとして注目を集める。
- コンピュータ計測事業で失敗・最終赤字に転落
1973年のオイルショックによって、1975年3月期にアドバンテストは創業後初となる赤字(売上高80億円・最終赤字1億円・有利子負債50億円)に転落。
- 武田郁夫氏が解任(社内クーデター)
創業者の武田郁夫はコンピューター分野に着目して研究開発投資を行っていたが、メインバンクは財務リスクが高いことや、銀行から派遣されたアドバンテストの常務と武田郁夫のコミュニケーションがうまくいかなかったことも災いし、メインバンクは融資を拒んで創業者の退任を要求するに至った。
- 富士通が救済支援・ICテスタに注力
1976年に武田郁夫氏はアドバンテストを研究開発型の企業として存続させるために、電機試験所時代の元上司であった清宮博氏(せいみや・ひろし|富士通・当時社長)に相談。1950年代に武田氏は清宮氏からエレクトロニクスに関する研究開発で、研究姿勢などの指導を受けており、長年にわたって信頼関係が存在した。 なお、清宮氏は1974年から1976年まで富士通の社長を歴任したが、持病の悪化により1976年4月に逝去した人物であった。すなわち、武田氏がタケダ理研の救済を相談した段階で、清宮氏は病床に伏しており、残されたタイムリミットに限られた状況であった。 富士通の清宮社長は、元部下であり起業家でもある武田郁夫氏を評価。富士通としてタケダ理研の救済を決定し、同社への出資を決定した。富士通の支援によってタケダ理研は信用を回復し、銀行からの救済融資を受けて倒産を回避するに至った。 1976年2月にタケダ理研の社長として、富士通から派遣された海輪利正氏が就任した。以後、タケダ理研は、実質的に富士通によって経営再建に着手した。 社長就任直後に海輪社長は、従来のタケダ理研において原価計算が存在しなかったことを問題視した。そこで、採算を明確にするために、機種別の原価管理を開始。販売面においても営業人員による値引きを禁止し、原価管理および販売の改革を実施した。 事業面においては、赤字転落の原因となったミニコンピュータによる計測器事業から撤退し、ICテスタの新製品開発に注力。ICの技術革新に対応するために、新製品比率(発売後1ヶ月未満の製品と定義)の向上を目指し、1976年時点の売上高に占める新製品比率4%から、1981年度には同45%へと増加した。なお、1980年3月期時点における販売高のうち、22.6%が富士通向けであり、富士通が半導体事業の遂行にあたってタケダ理研の製品を採用することで、顧客としても経営再建を支援した。 ICテスターの販売拡大によって、タケダ理研は業績を改善。1983年2月に東京証券取引所第2部に株式上場し、富士通による再建を完遂するに至った。株式上場前の1982年3月期において、売上高の30%が日立製作所、同26%が富士通向けであった。
「原価計算ゼロ」から始まった富士通流の経営再建 - LSI向け検査装置「100MHzテストシステム」を開発
1979年にアドバンテストは、電電公社(現NTT)の武蔵野電気通信研究所と共同開発したICテスターとして「100MHzテストシステム」を開発した。 同システムによって、1981年までにアドバンテストはICのテスターにおいて先発のフェアチャイルド社に次ぐ世界2位(シェア12.8%)を確保。フェアチャイルド社は40.5%のシェアを確保しており独走していたが、タケダ理研は1975年時点のシェア4位から、1981年時点でのシェア2位へと台頭した。
- 東京証券取引所第2部に上場・再建完了
タケダ理研は1983年2月に東京証券取引所第2部に株式を上場。創業者である武田郁夫氏は1975年のクーデターによって株式の大半を放出しており、上場直前の1982年6月期における株主構成は筆頭株主が富士通(28.00%)であり、武田郁夫氏は5.68%を保有するに限られていた。 なお株式上場後も筆頭株主の富士通はアドバンテストの株式を保有。2005年に富士通はアドバンテストの一部の株式を売却(売却額899億円・売却前の保有比率20.45%)し、2017年に全株式を売却(売却額530億円・売却前の保有比率11.35%)し、1976年から続いていた資本関係を解消した。 富士通によるアドバンテスト株式の取得価額は不明だが、1000億円以上の売却益を確保したと推定される。 1981年度の時点で、LSI向けテスターの市場(市場規模はグローバルで約1,000億円)において、タケダ理研は世界シェア3位(9.5%)を確保。世界トップシェアはフェアチャイルドが確保していたが、タケダ理研は世界市場に食い込んだ。 なお、電子計測器の国内メーカーとしては、タケダ理研(アドバンテスと)のほかに、横河電機、アンリツ、安藤電気、岩崎通信機、松下通信工業の6社が存在しており、アドバンテストは「ICテスター」の市場を確保することで、電子計測器業界の新興企業として認知された。
救済出資から40年で1,000億円超の投資回収 - 群馬工場を新設
- 商号を株式会社アドバンテストに変更
- Advantest (Singapore) Pte. Ltd.を設立
- アジア市場の重視を宣言
1990年代を通じて、DRAMを中心とした半導体生産の拠点は、日本から韓国・台湾に遷移しつつあった。そこで、アドバンテストはアジア市場を重視する「アジアへ思い切ったパワーシフトを」という方針を掲げ、アジアで販売拠点を充実させる方針を打ち出す。
- 半導体検査装置で世界シェア約40%
- 群馬R&Dセンターを新設
- 北九州R&Dセンターを新設
- 市況悪化により赤字転落
半導体の市況悪化により、729億円の赤字に転落。だが、2009年3月期時点のアドバンテストは無借金経営のため、財務体質に大きな影響は無し
- 3期連続の赤字転落
- 市況好転により過去最高益を達成
台湾・中国・韓国における半導体生産が拡大した結果、アドバンテストの業績も好転。2023年3月期には過去最高の純利益1712億円を記録した。