沿革年表 1926〜2026年における重要度別の出来事(合計36件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
余剰電力を化学工業に転換、信越窒素肥料を設立
歴史的意義yutaka sugiura
信越窒素肥料の設立は、電力会社が余剰電力の消化先として化学工業を選んだという、供給者側の論理から生まれた事業である。需要があったから参入したのではなく、原料(電力と石灰石)が先にあり、その出口として石灰窒素を選んだ。この「供給起点」の事業設計は、後の信越化学がシリコーン→塩ビ→半導体シリコンへと事業を転換していく際の原型でもある。余っている資源をどう活かすかという発想は、100年を経ても信越化学の事業開発の底流にある。
1926
1-12月
直江津工場で石灰窒素の製造を開始
電気炉六基、窒化炉二十四基。製品はカーバイド、石灰窒素、黒鉛電極。新潟県直江津の日本石油精油工場跡地に建設。
1927
1-12月
設備投資
磯部工場を建設、金属マンガンの製造を開始
群馬県安中市に磯部工場を建設し、金属マンガンの製造を開始した。後にシリコーン・半導体シリコン・希土類磁石・光ファイバー用プリフォームなどを手がける主力工場へ発展した。
1938
1-12月
社名を信越化学工業に変更
資本金一千万円に増資。磯部金属試験所で金属マグネシウム、直江津工場でメタリックシリコン、フェロシリコンなど、化学肥料以外の製品が増加したことを反映。
1940
1-12月
企業買収
大同化学工業を吸収合併し武生工場を取得
大同化学工業株式会社を吸収合併し、福井県武生市の同社工場を武生工場として石灰窒素等の製造を開始した。後年の希土類磁石・レア・アース製造の拠点となった。
1945
1-12月
東京証券取引所に株式上場
戦後の証券民主化の流れの中で上場。大同化学工業を吸収合併(1946年)し、武生工場を取得済み。
1949
1-12月
重要事項業務提携
「肥料屋」からの脱却、日本初のシリコーン事業化
歴史的意義yutaka sugiura
シリコーン参入の意思決定で注目すべきは、経営陣と現場が同時期に同じ問題意識を共有していたことである。社報創刊号に「肥料屋から抜け出したい」という投書と、徳三郎の「有機合成に努力を傾ける」という談話が並んでいた事実は、トップダウンの号令ではなく組織全体の危機感が転換を後押ししたことを示している。技術的にはGEの特許導入だが、その決断の背景にあったのは「肥料屋ではいられない」という全社的な自己認識の変化であった。
1953
1-12月
直江津工場で塩化ビニルの製造を開始
国内13番目・最後発での参入。食塩電解設備と塩ビ製造設備を新設。「第二の信越化学の誕生」と位置づけられた。
1957
1-12月
磯部工場で高純度シリコン「スーパー・シリコン」の製造を開始
シリコーン工場の副産物トリクロロシランを精製し、多結晶→単結晶の製造。西独ジーメンス社の技術を導入。トランジスタ、ダイオード、太陽電池等の半導体素材。
1960
1-12月
信越ポリマーを設立
プラスチックの加工成型を行い、最終需要市場への直結を目指す子会社。
直江津工場でセルロース誘導体(メトローズ)の製造を開始
米ダウ・ケミカル社からメチルセルロース製造技術を導入。後に医薬品添加物やタイル用接着剤など多様な用途に展開。2003年のドイツ・SE Tylose買収へつながる。
1962
1-12月
信越半導体を設立
ダウコーニング社との合弁で設立。半導体シリコンウエハーの製造に特化。1979年にダウコーニングからの合弁解消申し入れを受け、信越化学の100%子会社に。白河工場(1984年)での大規模一貫生産へ発展。
1967
1-12月
企業買収
信越石油化学工業を吸収合併
メタノール等を製造していた信越石油化学工業株式会社を吸収合併した。石油化学領域の事業統合により、塩化ビニル・メタノール系製品の生産体制を整理した。
茨城県鹿島に塩ビ工場を建設
エチレン法による塩化ビニル製造を開始。鹿島コンビナートに進出し、国内塩ビ生産能力を大幅に拡大。ノンスケール技術を世界に先駆けて完成。
FY71
1971/3
売上高
428.84億円
当期純利益
16.08億円
FY72
1972/3
売上高
438.53億円
当期純利益
11.92億円
武生工場で希土類磁石の製造を開始
福井県武生工場において希土類磁石の製造を開始した。レア・アース製造(1967年)から派生した磁性材料事業であり、後にハードディスクドライブやモーター用途へ展開した。
FY73
1973/3
売上高
533.83億円
当期純利益
15.66億円
業務提携
米国テキサスに塩ビ製造子会社シンテックを設立
歴史的意義yutaka sugiura
シンテック設立時の年産10万トンは米国21社中13位であり、その時点で世界最大手への道筋を描ける者はいなかった。この成長を可能にしたのは、技術的にはノンスケール重合技術、戦略的には「フル生産、全量販売」、財務的には無借金経営による逆張り投資である。しかし最も重要だったのは、テキサスの安い原料というロケーションの選択かもしれない。製造業の競争力は技術と経営だけでなく、立地が規定する部分が大きい。
FY74
1974/3
売上高
761.03億円
当期純利益
25.18億円
海外進出
S.E.H.マレーシアを設立
信越半導体の子会社として S.E.H.マレーシア SDN.BHD. を設立し、半導体シリコンの加工拠点とした。米国シンテック設立と同年の海外展開であり、半導体・塩ビの両軸でグローバル化が進んだ年となった。
小田切新太郎が社長就任
長野県須坂市出身の生え抜き社員。「中興の祖」と評される。合弁会社の契約書に優先交渉権条項を埋め込み、シンテック・信越半導体の100%子会社化を決断。金川千尋を見出しシンテック社長に据えた。
FY76
1976/3
売上高
837億円
当期純利益
13億円
重要事項企業買収
取締役会の反対を押し切り、シンテックを完全子会社化
取締役会の多数が反対した買収を社長が押し切る──この構造は日本企業では極めて稀であり、それが正解だったという事実はさらに稀である。小田切の判断を支えたのは、テキサスの原料優位性という構造的要因の認識と、合弁状態では投資の自由度が制約されるという実務的洞察であった。合弁契約に優先交渉権を埋め込んでおいたこと自体が、将来の子会社化を視野に入れた設計であった可能性がある。
経営判断をよむ →
FY77
1977/3
売上高
964億円
当期純利益
13億円
金川千尋がシンテック社長に就任
三井物産出身。1962年に信越化学に転職し、海外事業を担当。シンテック設立を企画立案。以後32年間にわたりシンテックと信越化学のトップとして経営を主導。「フル生産、全量販売」を確立。
FY78
1978/3
売上高
956億円
当期純利益
12億円
海外進出
シンエツハンドウタイアメリカを米国に設立
信越半導体の子会社として米国に半導体シリコンの製造拠点を設立した。シンテック(塩ビ)に続く米国第二の生産拠点であり、半導体ウエハーの北米生産体制を確立した。
FY79
1979/3
売上高
1,015億円
当期純利益
16億円
FY80
1980/3
売上高
1,375億円
当期純利益
36億円
FY81
1981/3
売上高
1,390億円
当期純利益
24億円
FY82
1982/3
売上高
1,498億円
当期純利益
19億円
FY83
1983/3
売上高
1,576億円
当期純利益
43億円
磯部工場で光ファイバー用プリフォームの製造を開始
シリコーン・半導体シリコンの技術を活かした高純度ガラス加工技術の応用。
FY84
1984/3
売上高
2,061億円
当期純利益
78億円
金川千尋
シンテック、年産90万トンで米国内塩ビメーカー首位に
米国内シェア約20%。2位のオキシデンタル、3位のBFグッドリッチを上回る。
FY90
1990/3
売上高
4,250億円
当期純利益
277億円
重要事項
金川千尋
金川千尋が社長就任、「フル生産、全量販売」を全社方針に
金川千尋の経営が特異なのは、差別化が困難な汎用品市場で極めて高い利益率を実現した点にある。通常、汎用品は価格競争に陥り、利益率は低位に収斂する。金川はこの常識を、無借金経営による逆張り投資とフル稼働による規模の経済で覆した。重要なのは、この手法がシンテック単独で12年間検証された後に全社に展開されたことである。経営手法を別の子会社で先行実証し、全社に展開するという手順自体が、リスク管理の方法論であった。
経営判断をよむ →
FY91
1991/3
売上高
4,669億円
当期純利益
265億円
金川千尋
FY92
1992/3
売上高
4,783億円
当期純利益
245億円
金川千尋
直江津工場でフォトレジスト製品の製造を開始
新潟県直江津工場において半導体露光プロセス用のフォトレジスト製品の製造を開始した。マスクブランクス(2005年)と並ぶ半導体材料事業の主力製品群となり、先端ロジック向けで世界シェアを獲得した。
FY93
1993/3
売上高
4,609億円
当期純利益
159億円
金川千尋
FY94
1994/3
売上高
4,644億円
当期純利益
175億円
金川千尋
FY95
1995/3
売上高
5,229億円
当期純利益
268億円
金川千尋
FY96
1996/3
売上高
5,751億円
当期純利益
378億円
金川千尋
FY97
1997/3
売上高
6,244億円
当期純利益
406億円
金川千尋
FY98
1998/3
売上高
6,932億円
当期純利益
420億円
金川千尋
FY99
1999/3
売上高
6,427億円
当期純利益
433億円
金川千尋
オランダで塩ビ合弁事業を買収
Shell Nederland ChemieとAkzoNobelから買収し、欧州に塩ビ生産拠点を獲得。日米欧の三極体制を確立。
FY00
2000/3
売上高
6,788億円
当期純利益
482億円
金川千尋
シンテック、年産200万トン突破で世界最大の塩ビメーカーに
EVCやオキシデンタルなど100万トン規模のメーカーを大きく上回る。1974年の操業開始から27年で年産20倍に。
FY01
2001/3
売上高
8,074億円
当期純利益
645億円
海外進出
タイにアジアシリコーンズモノマー・シンエツシリコーンズタイランドを設立
シリコーンモノマーの製造会社「アジアシリコーンズモノマー Ltd.」と加工会社「シンエツシリコーンズタイランド Ltd.」をタイに設立した。シリコーン事業のアジア生産拠点として位置づけられた。
金川千尋
FY02
2002/3
売上高
7,750億円
当期純利益
685億円
金川千尋
FY03
2003/3
売上高
7,975億円
当期純利益
730億円
金川千尋
ドイツClariant AGからセルロース事業(SE Tylose)を買収
メチルセルロースの世界的大手を傘下に収め、機能性化学品事業を大幅に強化。1962年の自社製造開始から41年を経て、グローバルトップクラスの地位を確立。
FY04
2004/3
売上高
8,328億円
当期純利益
748億円
金川千尋
FY05
2005/3
売上高
9,674億円
当期純利益
931億円
金川千尋
直江津工場でマスクブランクス製造を開始
半導体フォトリソグラフィ工程に不可欠な部材。合成石英技術を基盤とし、先端品で世界シェア1位に。
FY06
2006/3
売上高
11,279億円
当期純利益
1,150億円
金川千尋
FY07
2007/3
売上高
13,046億円
当期純利益
1,540億円
金川千尋
FY08
2008/3
売上高
13,763億円
当期純利益
1,835億円
森俊三
FY09
2009/3
売上高
12,008億円
当期純利益
1,547億円
森俊三
FY10
2010/3
売上高
9,168億円
当期純利益
838億円
森俊三
金川千尋が会長就任、森俊三が社長就任
金川は代表権を保持し、引き続き経営の最終意思決定者として関与。20年間にわたる社長在任中に13期連続最高益を記録。
FY11
2011/3
売上高
10,582億円
当期純利益
1,001億円
森俊三
FY12
2012/3
売上高
10,477億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,006億円
森俊三
FY13
2013/3
売上高
10,254億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,057億円
森俊三
FY14
2014/3
売上高
11,658億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,136億円
斉藤恭彦
FY15
2015/3
売上高
12,555億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,286億円
斉藤恭彦
FY16
2016/3
売上高
12,798億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,488億円
斉藤恭彦
斉藤恭彦が社長就任
20代でシンテックに駐在し、30年以上米国での事業拡大に従事。金川千尋の右腕として信頼された人物。「資本コストを上回るROEを強く意識」する経営を標榜。
FY17
2017/3
売上高
12,374億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,759億円
斉藤恭彦
FY18
2018/3
売上高
14,414億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,662億円
斉藤恭彦
FY19
2019/3
売上高
15,940億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,091億円
斉藤恭彦
岩塩から塩ビまでの完全一貫生産体制を構築
歴史的意義yutaka sugiura
シンテックの一貫生産体制の構築は、1974年の操業開始→1976年の子会社化→段階的な設備増強→2008年のVCM自製→2020年のエチレン自製という、50年にわたる積み上げの帰結である。各段階は独立した投資判断であったが、振り返れば「外部依存の一つ一つを内部化していく」という一貫した方向性があった。これは計画されたグランドデザインというよりも、その時々の合理的判断が結果的に一本の線でつながった帰結と見るべきだろう。
FY20
2020/3
売上高
15,435億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,140億円
斉藤恭彦
FY21
2021/3
売上高
14,969億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,937億円
斉藤恭彦
FY22
2022/3
売上高
20,744億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,001億円
斉藤恭彦
金川千尋会長が逝去
1月1日、96歳で肺炎により逝去。1978年のシンテック社長就任から45年間、2023年3月期に過去最高の営業利益9,982億円を記録した信越化学の経営を主導した。
FY23
2023/3
売上高
28,088億円
親会社株主に帰属する当期純利益
7,082億円
斉藤恭彦
シンテック、プラケマイン新工場稼働で年産能力364万トンに
ルイジアナ州プラケマインの新工場が稼働。1974年の操業開始時(10万トン)から50年で36倍に拡大。岩塩→エチレン→VCM→塩ビの完全一貫生産体制で世界最大手の地位を盤石に。
FY24
2024/3
売上高
24,149億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,201億円
斉藤恭彦
三益半導体工業を完全子会社化
TOB総額約680億円。半導体シリコンウエハーの加工を手がける三益半導体を上場廃止させ完全子会社化。シリコンウエハーの垂直統合をさらに強化。
FY25
2025/3
売上高
25,612億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,340億円
FY26
2026/3
売上高
25,740億円
親会社株主に帰属する当期純利益
4,745億円
  1. 余剰電力を化学工業に転換、信越窒素肥料を設立
    信越窒素肥料の設立は、電力会社が余剰電力の消化先として化学工業を選んだという、供給者側の論理から生まれた事業である。需要があったから参入したのではなく、原料(電力と石灰石)が先にあり、その出口として石灰窒素を選んだ。この「供給起点」の事業設計は、後の信越化学がシリコーン→塩ビ→半導体シリコンへと事業を転換していく際の原型でもある。余っている資源をどう活かすかという発想は、100年を経ても信越化学の事業開発の底流にある。
  2. 直江津工場で石灰窒素の製造を開始

    電気炉六基、窒化炉二十四基。製品はカーバイド、石灰窒素、黒鉛電極。新潟県直江津の日本石油精油工場跡地に建設。

  3. 設備投資
    磯部工場を建設、金属マンガンの製造を開始

    群馬県安中市に磯部工場を建設し、金属マンガンの製造を開始した。後にシリコーン・半導体シリコン・希土類磁石・光ファイバー用プリフォームなどを手がける主力工場へ発展した。

  4. 社名を信越化学工業に変更

    資本金一千万円に増資。磯部金属試験所で金属マグネシウム、直江津工場でメタリックシリコン、フェロシリコンなど、化学肥料以外の製品が増加したことを反映。

  5. 企業買収
    大同化学工業を吸収合併し武生工場を取得

    大同化学工業株式会社を吸収合併し、福井県武生市の同社工場を武生工場として石灰窒素等の製造を開始した。後年の希土類磁石・レア・アース製造の拠点となった。

  6. 東京証券取引所に株式上場

    戦後の証券民主化の流れの中で上場。大同化学工業を吸収合併(1946年)し、武生工場を取得済み。

  7. 業務提携
    「肥料屋」からの脱却、日本初のシリコーン事業化
    シリコーン参入の意思決定で注目すべきは、経営陣と現場が同時期に同じ問題意識を共有していたことである。社報創刊号に「肥料屋から抜け出したい」という投書と、徳三郎の「有機合成に努力を傾ける」という談話が並んでいた事実は、トップダウンの号令ではなく組織全体の危機感が転換を後押ししたことを示している。技術的にはGEの特許導入だが、その決断の背景にあったのは「肥料屋ではいられない」という全社的な自己認識の変化であった。
  8. 直江津工場で塩化ビニルの製造を開始

    国内13番目・最後発での参入。食塩電解設備と塩ビ製造設備を新設。「第二の信越化学の誕生」と位置づけられた。

  9. 磯部工場で高純度シリコン「スーパー・シリコン」の製造を開始

    シリコーン工場の副産物トリクロロシランを精製し、多結晶→単結晶の製造。西独ジーメンス社の技術を導入。トランジスタ、ダイオード、太陽電池等の半導体素材。

  10. 信越ポリマーを設立

    プラスチックの加工成型を行い、最終需要市場への直結を目指す子会社。

  11. 直江津工場でセルロース誘導体(メトローズ)の製造を開始

    米ダウ・ケミカル社からメチルセルロース製造技術を導入。後に医薬品添加物やタイル用接着剤など多様な用途に展開。2003年のドイツ・SE Tylose買収へつながる。

  12. 信越半導体を設立

    ダウコーニング社との合弁で設立。半導体シリコンウエハーの製造に特化。1979年にダウコーニングからの合弁解消申し入れを受け、信越化学の100%子会社に。白河工場(1984年)での大規模一貫生産へ発展。

  13. 企業買収
    信越石油化学工業を吸収合併

    メタノール等を製造していた信越石油化学工業株式会社を吸収合併した。石油化学領域の事業統合により、塩化ビニル・メタノール系製品の生産体制を整理した。

  14. 茨城県鹿島に塩ビ工場を建設

    エチレン法による塩化ビニル製造を開始。鹿島コンビナートに進出し、国内塩ビ生産能力を大幅に拡大。ノンスケール技術を世界に先駆けて完成。

  15. 武生工場で希土類磁石の製造を開始

    福井県武生工場において希土類磁石の製造を開始した。レア・アース製造(1967年)から派生した磁性材料事業であり、後にハードディスクドライブやモーター用途へ展開した。

  16. 業務提携
    米国テキサスに塩ビ製造子会社シンテックを設立
    シンテック設立時の年産10万トンは米国21社中13位であり、その時点で世界最大手への道筋を描ける者はいなかった。この成長を可能にしたのは、技術的にはノンスケール重合技術、戦略的には「フル生産、全量販売」、財務的には無借金経営による逆張り投資である。しかし最も重要だったのは、テキサスの安い原料というロケーションの選択かもしれない。製造業の競争力は技術と経営だけでなく、立地が規定する部分が大きい。
  17. 海外進出
    S.E.H.マレーシアを設立

    信越半導体の子会社として S.E.H.マレーシア SDN.BHD. を設立し、半導体シリコンの加工拠点とした。米国シンテック設立と同年の海外展開であり、半導体・塩ビの両軸でグローバル化が進んだ年となった。

  18. 小田切新太郎が社長就任

    長野県須坂市出身の生え抜き社員。「中興の祖」と評される。合弁会社の契約書に優先交渉権条項を埋め込み、シンテック・信越半導体の100%子会社化を決断。金川千尋を見出しシンテック社長に据えた。

  19. 金川千尋がシンテック社長に就任

    三井物産出身。1962年に信越化学に転職し、海外事業を担当。シンテック設立を企画立案。以後32年間にわたりシンテックと信越化学のトップとして経営を主導。「フル生産、全量販売」を確立。

  20. 海外進出
    シンエツハンドウタイアメリカを米国に設立

    信越半導体の子会社として米国に半導体シリコンの製造拠点を設立した。シンテック(塩ビ)に続く米国第二の生産拠点であり、半導体ウエハーの北米生産体制を確立した。

  21. 磯部工場で光ファイバー用プリフォームの製造を開始

    シリコーン・半導体シリコンの技術を活かした高純度ガラス加工技術の応用。

  22. シンテック、年産90万トンで米国内塩ビメーカー首位に

    米国内シェア約20%。2位のオキシデンタル、3位のBFグッドリッチを上回る。

  23. 直江津工場でフォトレジスト製品の製造を開始

    新潟県直江津工場において半導体露光プロセス用のフォトレジスト製品の製造を開始した。マスクブランクス(2005年)と並ぶ半導体材料事業の主力製品群となり、先端ロジック向けで世界シェアを獲得した。

  24. オランダで塩ビ合弁事業を買収

    Shell Nederland ChemieとAkzoNobelから買収し、欧州に塩ビ生産拠点を獲得。日米欧の三極体制を確立。

  25. シンテック、年産200万トン突破で世界最大の塩ビメーカーに

    EVCやオキシデンタルなど100万トン規模のメーカーを大きく上回る。1974年の操業開始から27年で年産20倍に。

  26. 海外進出
    タイにアジアシリコーンズモノマー・シンエツシリコーンズタイランドを設立

    シリコーンモノマーの製造会社「アジアシリコーンズモノマー Ltd.」と加工会社「シンエツシリコーンズタイランド Ltd.」をタイに設立した。シリコーン事業のアジア生産拠点として位置づけられた。

  27. ドイツClariant AGからセルロース事業(SE Tylose)を買収

    メチルセルロースの世界的大手を傘下に収め、機能性化学品事業を大幅に強化。1962年の自社製造開始から41年を経て、グローバルトップクラスの地位を確立。

  28. 直江津工場でマスクブランクス製造を開始

    半導体フォトリソグラフィ工程に不可欠な部材。合成石英技術を基盤とし、先端品で世界シェア1位に。

  29. 金川千尋が会長就任、森俊三が社長就任

    金川は代表権を保持し、引き続き経営の最終意思決定者として関与。20年間にわたる社長在任中に13期連続最高益を記録。

  30. 斉藤恭彦が社長就任

    20代でシンテックに駐在し、30年以上米国での事業拡大に従事。金川千尋の右腕として信頼された人物。「資本コストを上回るROEを強く意識」する経営を標榜。

  31. 岩塩から塩ビまでの完全一貫生産体制を構築
    シンテックの一貫生産体制の構築は、1974年の操業開始→1976年の子会社化→段階的な設備増強→2008年のVCM自製→2020年のエチレン自製という、50年にわたる積み上げの帰結である。各段階は独立した投資判断であったが、振り返れば「外部依存の一つ一つを内部化していく」という一貫した方向性があった。これは計画されたグランドデザインというよりも、その時々の合理的判断が結果的に一本の線でつながった帰結と見るべきだろう。
  32. 金川千尋会長が逝去

    1月1日、96歳で肺炎により逝去。1978年のシンテック社長就任から45年間、2023年3月期に過去最高の営業利益9,982億円を記録した信越化学の経営を主導した。

  33. シンテック、プラケマイン新工場稼働で年産能力364万トンに

    ルイジアナ州プラケマインの新工場が稼働。1974年の操業開始時(10万トン)から50年で36倍に拡大。岩塩→エチレン→VCM→塩ビの完全一貫生産体制で世界最大手の地位を盤石に。

  34. 三益半導体工業を完全子会社化

    TOB総額約680億円。半導体シリコンウエハーの加工を手がける三益半導体を上場廃止させ完全子会社化。シリコンウエハーの垂直統合をさらに強化。