信越窒素肥料株式会社を設立
長野県で算出する石灰石を原料とし、豊富な水力発電を生かして肥料を製造するために「信越窒素肥料株式会社」が地元の財界人によって設立された。初代社長には小坂順造氏が就任。設立当時は信越地方のローカル企業であり、肥料製造ではイビデン・日本窒素などと競合した。
新潟県に直江津工場を新設
窒素の本格生産を開始
群馬県に磯部工場を新設
戦争の勃発を受けて軍需品の生産に参入。1945年にかけて、金属マグネシウム・金属ケイ素・フェロシリコンを事業化した。
商号を信越化学工業株式会社に変更
祖業の肥料製造から、金属素材への製造に多角化したことを受けて社名を変更
大同化学工業株式会社を吸収合併
戦時下による企業統合。福井県武生市の工場を取得(武生工場)
東京証券取引所に株式上場
ダウコーニング社と特許実施権契約を締結(シリコーン)
樹脂材料であるシリコーンの製造に関する特許実施権を獲得
シーメンス社と特許実施権契約を締結(シリコン)
半導体材料であるシリコンの製造に関する特許実施権を獲得。すでに直江津工場で金属ケイ素を製造していたが、高純度のシリコンを製造するための技術を習得した
天然ガス原料の塩ビ生産を開始
子会社として信越ポリマーを設立
ダウコーニングと合弁。信越半導体株式会社を設立
半導体向け材料「シリコンウエハー」の製造を本格化