長野県で算出する石灰石を原料とし、豊富な水力発電を生かして肥料を製造するために「信越窒素肥料株式会社」が地元の財界人によって設立された。初代社長には小坂順造氏が就任。設立当時は信越地方のローカル企業であり、肥料製造ではイビデン・日本窒素などと競合した。
窒素の本格生産を開始
戦争の勃発を受けて軍需品の生産に参入。1945年にかけて、金属マグネシウム・金属ケイ素・フェロシリコンを事業化した。
祖業の肥料製造から、金属素材への製造に多角化したことを受けて社名を変更
戦時下による企業統合。福井県武生市の工場を取得(武生工場)
樹脂材料であるシリコーンの製造に関する特許実施権を獲得
半導体材料であるシリコンの製造に関する特許実施権を獲得。すでに直江津工場で金属ケイ素を製造していたが、高純度のシリコンを製造するための技術を習得した
半導体向け材料「シリコンウエハー」の製造を本格化
米ロビンテック社と合弁で塩ビ生産会社シンテックを設立。ただし塩ビ相場の暴落を受けてロビンテックが撤退を表明したため、1979年に信越化学はシンテックを完全子会社化した
ダウコーニングが合弁撤退を表明したため、信越化学が信越半導体を完全子会社化
国内塩ビ事業で年間30〜40億円の赤字
国内塩ビの原料調達先を切り替え
1990年以降、長らく信越化学の経営に従事。金川千尋氏は三井物産を経て1962年に入社。1990年から2010年まで20年にわたって代表取締役社長を歴任。2010年以降は代表取締役会長を歴任。2023年に96歳で逝去
主力事業(半導体向けシリコン・塩ビ・シリコーン)への投資を決断。5年間で4500億円の投資計画を策定し、1000億円をワラントで調達。特に、半導体メーカーによる300mmウエハーの実用化を前に、信越化学は300mm口径のシリコンウエハーの量産を決定
塩ビなどの化学品に加えて、半導体向けシリコンウエハーの好調で増収増益を記録
特に半導体向けの投資がストップ。シリコンウエハーが打撃に
シリコンウエハーが収益貢献
2018年からルイジアナ州にて新工場の建設を開始。14.9億ドルを投資。2021年に稼働
2023年1月1日に金川千尋氏は96歳にて逝去