川崎重工業の沿革・歴史的証言

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1878年〜2025

川崎重工業の1878年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1878
1-12月
会社設立
川崎築地造船所を創業
築地から神戸へ——立地選択が造船業の命運を分けた
1881
1-12月
会社設立
川崎兵庫造船所を開設
1881年3月、川崎正蔵が兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設した。よって築地造船所に続く第二拠点を関西に設け、1886年の官営兵庫造船所の借受けと併合を経て、神戸を本拠とする造船業の基盤が築かれていった。
1886
1-12月
会社設立
官営兵庫造船所を借受け川崎造船所と改称
1886年5月、川崎正蔵は官営兵庫造船所(東川崎町)を借り受け、川崎兵庫造船所と併合のうえ商号を「川崎造船所」に変更した。すなわち築地起源の造船事業が神戸へ完全に軸足を移した節目となり、後の株式会社化(1896年)に至る前段の体制整備が進んだ。
1896
1-12月
株式会社川崎造船所を設立
海軍依存の事業構造が生んだ好況と危機の振り子
1906
1-12月
設備投資
兵庫工場を開設
1906年9月、兵庫工場を開設した。よって造船以外の機械・車両分野を含む事業基盤の拡張が進み、後の鉄道車両事業(1928年・川崎車輌として分離)の前段となる重工業多角化の足場が形成されていった。
1919
1-12月
川崎汽船株式会社を設立
川崎造船は第一次世界大戦の好況を受けて1918年1月に船舶部を発足し海運事業に参入、11隻の汽船を保有した。しかし1919年に大戦が終結し好況も終わったため、同年4月に海運事業の分離を決定。汽船11隻を現物出資して川崎汽船を設立した。設立当時は40万株中39.9万株を川崎造船所が保有し、子会社として運営された。その後、終戦による財閥解体に伴い1949年に川崎汽船は株式を上場し、川崎重工との資本関係を解消、単独の海運会社として独立した。
1922
1-12月
設備投資
岐阜工場を開設
1922年12月、岐阜工場を開設した。すなわち神戸以外への生産拠点拡張の一環であり、後年に分離する航空機事業(1937年・川崎航空機工業)と関わる重要拠点として位置づけられた。
1928
1-12月
鉄道車両事業を分離・川崎車輛を設立(担保設定)
1931
1-12月
軍縮を受けて和議申請
国策としての存続——政府が造船所を潰せなかった構造
1937
1-12月
航空機事業を分離・川崎航空機工業を設立
1939
1-12月
商号を川崎重工業に変更
1940
1-12月
設備投資
川崎航空機 明石工場を開設
1940年9月、川崎航空機工業株式会社の明石工場を開設した。よって戦時下の航空機需要拡大に応える生産体制が整備され、戦後における航空機事業(後のP-3C対潜哨戒機ライセンス生産・ボーイング向け部品生産)の拠点として継承されていった。
FY50
1950/3
再建整備計画が認可(造船・造機・電機の3部門のみ)
戦後の財閥解体により、川崎重工業もグループの解体が決定。川崎重工業は「造船・造機・電機」の3事業で再発足した。一方、子会社などで運営していた4事業「海運・航空機・鉄道車両・製鉄業」について完全な分離を決定。海運業は川崎汽船、航空機製造は川崎航空機、鉄道車両は川崎車輛、製鉄業は川崎製鉄(現JFE)として分離し、各社の株式上場を通じて川崎重工との資本関係を解消した。
FY51
1951/3
組織再編
製鉄事業を分離し川崎製鐵を設立
1950年8月、製鉄事業を分離し川崎製鐵株式会社を設立した。すなわち戦後の財閥解体に基づく再建整備計画(1949年認可)の一環であり、海運(川崎汽船)・航空機・車輌に続く分離により、川崎重工は「造船・造機・電機」の3部門に集約された。
FY62
1962/3
事業部制を採用
FY66
1966/3
国内生産拠点を拡充
二輪車の北米展開を開始
FY69
1969/3
産業ロボットに参入
FY70
1970/3
川崎重工・川崎航空機・川崎車輛のが3社合併
FY71
1971/3
汽車製造株式会社を合併
FY76
1976/3
売上高
4,901億円
当期純利益
106億円
産業用ガスタービンの民需営業を開始
FY77
1977/3
売上高
5,399億円
当期純利益
130億円
経営合理化に着手
FY78
1978/3
売上高
5,660億円
当期純利益
96億円
FY79
1979/3
売上高
5,014億円
当期純利益
-58億円
P-3C対潜哨戒機のライセンス生産を開始
FY80
1980/3
売上高
5,015億円
当期純利益
27億円
FY81
1981/3
売上高
6,475億円
当期純利益
28億円
FY82
1982/3
売上高
7,643億円
当期純利益
42億円
海外進出
米国にKawasaki Motors Mfg.を設立
1981年12月、米国に「Kawasaki Motors Manufacturing Corp., U.S.A.」を設立した。よって1966年の二輪車北米展開(American Kawasaki Motorcycle)に続く現地生産機能の整備が進み、北米における二輪車事業の本格的なローカル生産体制が確立された。
FY83
1983/3
売上高
6,868億円
当期純利益
-58億円
FY84
1984/3
売上高
7,026億円
当期純利益
-68億円
FY85
1985/3
売上高
7,150億円
当期純利益
58億円
組織再編
空調・ボイラ事業を川重冷熱工業に承継
1984年6月、空調・汎用ボイラ事業を分離し、川重冷熱工業株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち中核の重工業から専業子会社への切り出しが進み、後年(2021年8月)の株式交換による完全子会社化までグループ内で運営される事業形態となった。
FY89
1989/3
海外進出
米国にKawasaki Rail Carを設立
1989年2月、米国に「Kawasaki Rail Car, Inc.」(連結子会社)を設立した。よって1997年のニューヨーク市交通局向け地下鉄車両の製造開始に先立ち、北米における鉄道車両事業の現地生産・納入体制が整えられることとなった。
FY90
1990/3
ボーイング向け航空機部品生産を本格化
FY93
1993/3
売上高
10,905億円
当期純利益
143億円
FY94
1994/3
売上高
10,702億円
当期純利益
171億円
FY95
1995/3
売上高
10,704億円
当期純利益
102億円
FY96
1996/3
売上高
10,862億円
当期純利益
165億円
FY97
1997/3
売上高
12,242億円
当期純利益
225億円
NY市交通局向け地下鉄車両の製造開始
FY98
1998/3
売上高
12,972億円
当期純利益
185億円
FY99
1999/3
売上高
12,021億円
当期純利益
-61億円
FY00
2000/3
売上高
11,496億円
当期純利益
-186億円
FY01
2001/3
売上高
10,604億円
当期純利益
-103億円
FY02
2002/3
売上高
11,445億円
当期純利益
62億円
IHIとの造船事業の統合を白紙撤回
FY03
2003/3
売上高
12,395億円
当期純利益
130億円
組織再編
船舶事業と精密機械事業を分社
2002年10月、船舶事業を分離して株式会社川崎造船を、精密機械事業を分離して株式会社カワサキプレシジョンマシナリを連結子会社として設立した。すなわちIHI造船との統合白紙撤回(2001年)後の事業ポートフォリオ整理として、各事業の独立採算化が進められた。
FY04
2004/3
売上高
11,602億円
当期純利益
63億円
FY05
2005/3
売上高
12,415億円
当期純利益
114億円
FY06
2006/3
売上高
13,224億円
当期純利益
164億円
FY07
2007/3
売上高
14,386億円
当期純利益
297億円
FY08
2008/3
売上高
15,010億円
当期純利益
351億円
FY09
2009/3
売上高
13,385億円
当期純利益
117億円
FY10
2010/3
売上高
11,734億円
当期純利益
-108億円
FY11
2011/3
売上高
12,269億円
当期純利益
259億円
組織再編
造船・精密機械・プラント子会社を再合併
2010年10月、株式会社川崎造船・株式会社カワサキプレシジョンマシナリ・カワサキプラントシステムズ株式会社を合併した。よって2002年以降に分社化した子会社群を本体に再統合し、グループ内事業の重複解消とシナジー追求を狙った組織再編となっている。
FY12
2012/3
売上高
13,037億円
親会社株主に帰属する当期純利益
233億円
FY13
2013/3
売上高
12,888億円
親会社株主に帰属する当期純利益
308億円
FY14
2014/3
売上高
13,854億円
親会社株主に帰属する当期純利益
386億円
長谷川氏が社長解任
造船事業における三井造船との統合計画を受けて、川崎重工業における社内不満が噴出。経営不振に陥っている三井造船との統合計画を疑問視する声が大きくなった。この結果、2013年6月の臨時取締役会において長谷川社長の解任動議が出され、賛成10に対して反対3によって可決。村山氏が新社長に就任した。
FY15
2015/3
売上高
14,861億円
親会社株主に帰属する当期純利益
516億円
FY16
2016/3
売上高
15,410億円
親会社株主に帰属する当期純利益
460億円
建設機械事業から撤退
FY17
2017/3
売上高
15,188億円
親会社株主に帰属する当期純利益
262億円
船舶海洋事業の構造改革
FY18
2018/3
売上高
15,742億円
親会社株主に帰属する当期純利益
289億円
FY19
2019/3
売上高
15,947億円
親会社株主に帰属する当期純利益
274億円
FY20
2020/3
売上高
16,413億円
親会社株主に帰属する当期純利益
186億円
FY21
2021/3
売上高
14,884億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-193億円
グループビジョン2030を策定
事業ポートフォリオの変革を目的として、2020年11月に10年間の経営方針として「グループビジョン2030」を策定
FY22
2022/3
売上高
15,008億円
親会社株主に帰属する当期純利益
218億円
組織再編
車両事業と二輪事業を分社化
2021年10月、車両事業を分離して川崎車両株式会社(連結子会社)に承継し、モーターサイクル&エンジン事業を分離してカワサキモータース株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち2020年策定の「グループビジョン2030」に沿う事業ポートフォリオ変革の一環として、コンシューマ事業の独立化を進めた。
FY23
2023/3
売上高
17,256億円
親会社株主に帰属する当期純利益
613億円
FY24
2024/3
売上高
18,492億円
親会社株主に帰属する当期純利益
253億円
防衛省向け販売が好調
FY25
2025/3
売上高
21,293億円
親会社株主に帰属する当期純利益
880億円
  1. 会社設立
    川崎築地造船所を創業
    築地から神戸へ——立地選択が造船業の命運を分けた
  2. 会社設立
    川崎兵庫造船所を開設

    1881年3月、川崎正蔵が兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設した。よって築地造船所に続く第二拠点を関西に設け、1886年の官営兵庫造船所の借受けと併合を経て、神戸を本拠とする造船業の基盤が築かれていった。

  3. 会社設立
    官営兵庫造船所を借受け川崎造船所と改称

    1886年5月、川崎正蔵は官営兵庫造船所(東川崎町)を借り受け、川崎兵庫造船所と併合のうえ商号を「川崎造船所」に変更した。すなわち築地起源の造船事業が神戸へ完全に軸足を移した節目となり、後の株式会社化(1896年)に至る前段の体制整備が進んだ。

  4. 株式会社川崎造船所を設立
    海軍依存の事業構造が生んだ好況と危機の振り子
  5. 設備投資
    兵庫工場を開設

    1906年9月、兵庫工場を開設した。よって造船以外の機械・車両分野を含む事業基盤の拡張が進み、後の鉄道車両事業(1928年・川崎車輌として分離)の前段となる重工業多角化の足場が形成されていった。

  6. 川崎汽船株式会社を設立

    川崎造船は第一次世界大戦の好況を受けて1918年1月に船舶部を発足し海運事業に参入、11隻の汽船を保有した。しかし1919年に大戦が終結し好況も終わったため、同年4月に海運事業の分離を決定。汽船11隻を現物出資して川崎汽船を設立した。設立当時は40万株中39.9万株を川崎造船所が保有し、子会社として運営された。その後、終戦による財閥解体に伴い1949年に川崎汽船は株式を上場し、川崎重工との資本関係を解消、単独の海運会社として独立した。

  7. 設備投資
    岐阜工場を開設

    1922年12月、岐阜工場を開設した。すなわち神戸以外への生産拠点拡張の一環であり、後年に分離する航空機事業(1937年・川崎航空機工業)と関わる重要拠点として位置づけられた。

  8. 鉄道車両事業を分離・川崎車輛を設立(担保設定)
  9. 軍縮を受けて和議申請
    国策としての存続——政府が造船所を潰せなかった構造
  10. 航空機事業を分離・川崎航空機工業を設立
  11. 商号を川崎重工業に変更
  12. 設備投資
    川崎航空機 明石工場を開設

    1940年9月、川崎航空機工業株式会社の明石工場を開設した。よって戦時下の航空機需要拡大に応える生産体制が整備され、戦後における航空機事業(後のP-3C対潜哨戒機ライセンス生産・ボーイング向け部品生産)の拠点として継承されていった。

  13. 再建整備計画が認可(造船・造機・電機の3部門のみ)

    戦後の財閥解体により、川崎重工業もグループの解体が決定。川崎重工業は「造船・造機・電機」の3事業で再発足した。一方、子会社などで運営していた4事業「海運・航空機・鉄道車両・製鉄業」について完全な分離を決定。海運業は川崎汽船、航空機製造は川崎航空機、鉄道車両は川崎車輛、製鉄業は川崎製鉄(現JFE)として分離し、各社の株式上場を通じて川崎重工との資本関係を解消した。

  14. 組織再編
    製鉄事業を分離し川崎製鐵を設立

    1950年8月、製鉄事業を分離し川崎製鐵株式会社を設立した。すなわち戦後の財閥解体に基づく再建整備計画(1949年認可)の一環であり、海運(川崎汽船)・航空機・車輌に続く分離により、川崎重工は「造船・造機・電機」の3部門に集約された。

  15. 事業部制を採用
  16. 国内生産拠点を拡充
  17. 二輪車の北米展開を開始
  18. 産業ロボットに参入
  19. 川崎重工・川崎航空機・川崎車輛のが3社合併
  20. 汽車製造株式会社を合併
  21. 産業用ガスタービンの民需営業を開始
  22. 経営合理化に着手
  23. P-3C対潜哨戒機のライセンス生産を開始
  24. 海外進出
    米国にKawasaki Motors Mfg.を設立

    1981年12月、米国に「Kawasaki Motors Manufacturing Corp., U.S.A.」を設立した。よって1966年の二輪車北米展開(American Kawasaki Motorcycle)に続く現地生産機能の整備が進み、北米における二輪車事業の本格的なローカル生産体制が確立された。

  25. 組織再編
    空調・ボイラ事業を川重冷熱工業に承継

    1984年6月、空調・汎用ボイラ事業を分離し、川重冷熱工業株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち中核の重工業から専業子会社への切り出しが進み、後年(2021年8月)の株式交換による完全子会社化までグループ内で運営される事業形態となった。

  26. 海外進出
    米国にKawasaki Rail Carを設立

    1989年2月、米国に「Kawasaki Rail Car, Inc.」(連結子会社)を設立した。よって1997年のニューヨーク市交通局向け地下鉄車両の製造開始に先立ち、北米における鉄道車両事業の現地生産・納入体制が整えられることとなった。

  27. ボーイング向け航空機部品生産を本格化
  28. NY市交通局向け地下鉄車両の製造開始
  29. IHIとの造船事業の統合を白紙撤回
  30. 組織再編
    船舶事業と精密機械事業を分社

    2002年10月、船舶事業を分離して株式会社川崎造船を、精密機械事業を分離して株式会社カワサキプレシジョンマシナリを連結子会社として設立した。すなわちIHI造船との統合白紙撤回(2001年)後の事業ポートフォリオ整理として、各事業の独立採算化が進められた。

  31. 組織再編
    造船・精密機械・プラント子会社を再合併

    2010年10月、株式会社川崎造船・株式会社カワサキプレシジョンマシナリ・カワサキプラントシステムズ株式会社を合併した。よって2002年以降に分社化した子会社群を本体に再統合し、グループ内事業の重複解消とシナジー追求を狙った組織再編となっている。

  32. 長谷川氏が社長解任

    造船事業における三井造船との統合計画を受けて、川崎重工業における社内不満が噴出。経営不振に陥っている三井造船との統合計画を疑問視する声が大きくなった。この結果、2013年6月の臨時取締役会において長谷川社長の解任動議が出され、賛成10に対して反対3によって可決。村山氏が新社長に就任した。

  33. 建設機械事業から撤退
  34. 船舶海洋事業の構造改革
  35. グループビジョン2030を策定

    事業ポートフォリオの変革を目的として、2020年11月に10年間の経営方針として「グループビジョン2030」を策定

  36. 組織再編
    車両事業と二輪事業を分社化

    2021年10月、車両事業を分離して川崎車両株式会社(連結子会社)に承継し、モーターサイクル&エンジン事業を分離してカワサキモータース株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち2020年策定の「グループビジョン2030」に沿う事業ポートフォリオ変革の一環として、コンシューマ事業の独立化を進めた。

  37. 防衛省向け販売が好調

参考文献・出所

有価証券報告書 沿革
川崎重工業社史
日本近代造船史
川崎重工業 有報
日経ビジネス
有価証券報告書
決算説明資料
川崎重工業 プレスリリース
IR 決算説明QA FY25-3Q 2026/2
川崎重工業 グループビジョン2030
プレスリリース 液化水素運搬船契約 2026/1