沿革年表 1878〜2026年における重要度別の出来事(合計38件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 川崎築地造船所を創業 歴史的意義yutaka sugiura 川崎正蔵氏の造船業参入において注目すべきは、東京築地から神戸への拠点移転の決断にある。明治期の海運業は神戸が中心となりつつあり、立地の優劣が受注力を左右する構造であった。官営兵庫造船所の払い下げを50ヵ年分割で獲得できたことは明治政府の信認の証であり、この移転によって三菱に次ぐ地位を確立した。造船業において立地選択が競争力の源泉となることを示す事例である。 | 1878 1-12月 | ||||
会社設立 | 川崎兵庫造船所を開設 1881年3月、川崎正蔵が兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設した。よって築地造船所に続く第二拠点を関西に設け、1886年の官営兵庫造船所の借受けと併合を経て、神戸を本拠とする造船業の基盤が築かれていった。 | 1881 1-12月 | ||||
会社設立 | 官営兵庫造船所を借受け川崎造船所と改称 1886年5月、川崎正蔵は官営兵庫造船所(東川崎町)を借り受け、川崎兵庫造船所と併合のうえ商号を「川崎造船所」に変更した。すなわち築地起源の造船事業が神戸へ完全に軸足を移した節目となり、後の株式会社化(1896年)に至る前段の体制整備が進んだ。 | 1886 1-12月 | ||||
重要事項 | 株式会社川崎造船所を設立 歴史的意義yutaka sugiura 川崎造船所は株式会社化と大型ドック建設によって海軍艦艇の建造能力を確立し、造船業の主力企業へと成長した。しかし、この成長は海軍需要への高い依存を伴うものであり、軍拡期には業績が急伸する一方で軍縮期には需要が激減する振り子構造を抱えた。松方幸次郎を社長に据えた人事も官需獲得の合理性を示すが、裏を返せば海軍との関係に依存した経営であった。1931年の和議申請に至る経営危機の根因は、この時期に形成された事業構造にあった。 | 1896 1-12月 | ||||
設備投資 | 兵庫工場を開設 1906年9月、兵庫工場を開設した。よって造船以外の機械・車両分野を含む事業基盤の拡張が進み、後の鉄道車両事業(1928年・川崎車輌として分離)の前段となる重工業多角化の足場が形成されていった。 | 1906 1-12月 | ||||
川崎汽船株式会社を設立 川崎造船は第一次世界大戦の好況を受けて1918年1月に船舶部を発足し海運事業に参入、11隻の汽船を保有した。しかし1919年に大戦が終結し好況も終わったため、同年4月に海運事業の分離を決定。汽船11隻を現物出資して川崎汽船を設立した。設立当時は40万株中39.9万株を川崎造船所が保有し、子会社として運営された。その後、終戦による財閥解体に伴い1949年に川崎汽船は株式を上場し、川崎重工との資本関係を解消、単独の海運会社として独立した。 | 1919 1-12月 | |||||
設備投資 | 岐阜工場を開設 1922年12月、岐阜工場を開設した。すなわち神戸以外への生産拠点拡張の一環であり、後年に分離する航空機事業(1937年・川崎航空機工業)と関わる重要拠点として位置づけられた。 | 1922 1-12月 | ||||
鉄道車両事業を分離・川崎車輛を設立(担保設定) | 1928 1-12月 | |||||
重要事項 | 軍縮を受けて和議申請 歴史的意義yutaka sugiura 川崎造船所の和議申請は、海軍需要への過度な依存がもたらした経営危機であった。しかし、海軍艦艇を建造する技術と設備を持つ大規模造船所は国内に限られており、日本政府はその解散を国益に反するものと判断して特別融資で存続を支えた。経営としては破綻しながらも国策として存続が許された構造は、軍需産業が持つ政治的な不可分性を示している。皮肉にも、その後の軍拡により業績は好転し、軍需依存はさらに深化した。 | 1931 1-12月 | ||||
航空機事業を分離・川崎航空機工業を設立 | 1937 1-12月 | |||||
商号を川崎重工業に変更 | 1939 1-12月 | |||||
設備投資 | 川崎航空機 明石工場を開設 1940年9月、川崎航空機工業株式会社の明石工場を開設した。よって戦時下の航空機需要拡大に応える生産体制が整備され、戦後における航空機事業(後のP-3C対潜哨戒機ライセンス生産・ボーイング向け部品生産)の拠点として継承されていった。 | 1940 1-12月 | ||||
再建整備計画が認可(造船・造機・電機の3部門のみ) 戦後の財閥解体により、川崎重工業もグループの解体が決定。川崎重工業は「造船・造機・電機」の3事業で再発足した。一方、子会社などで運営していた4事業「海運・航空機・鉄道車両・製鉄業」について完全な分離を決定。海運業は川崎汽船、航空機製造は川崎航空機、鉄道車両は川崎車輛、製鉄業は川崎製鉄(現JFE)として分離し、各社の株式上場を通じて川崎重工との資本関係を解消した。 | FY50 1950/3 | |||||
組織再編 | 製鉄事業を分離し川崎製鐵を設立 1950年8月、製鉄事業を分離し川崎製鐵株式会社を設立した。すなわち戦後の財閥解体に基づく再建整備計画(1949年認可)の一環であり、海運(川崎汽船)・航空機・車輌に続く分離により、川崎重工は「造船・造機・電機」の3部門に集約された。 | FY51 1951/3 | ||||
事業部制を採用 | FY62 1962/3 | |||||
国内生産拠点を拡充 | FY66 1966/3 | |||||
二輪車の北米展開を開始 | ||||||
FY67 1967/3 | 売上高 695億円 | 当期純利益 16億円 | ||||
FY68 1968/3 | 売上高 875億円 | 当期純利益 20億円 | ||||
産業ロボットに参入 | FY69 1969/3 | |||||
重要事項組織再編 | 川崎重工業が川崎航空機工業・川崎車輛を吸収合併し総合重工業として再出発 6代社長・砂野仁が主導し、1968年3月発表・1969年4月1日実施。松方幸次郎以来の「陸海空にわたる総合重工業」の理想のもと、分かれていた造船・航空・車両を一社へ統合した。川崎航空機工業を率いた四本潔が7代社長に就任 分割・再編で分かれた祖業を約20年ぶりに一つの経営体へ再統合。以後の造船・航空・車両・二輪などの多軸ポートフォリオの骨格を形づくった合併 | FY70 1970/3 | 売上高 2,159億円 | 当期純利益 62億円 | ||
汽車製造株式会社を合併 | FY71 1971/3 | 売上高 2,461億円 | 当期純利益 72億円 | |||
FY72 1972/3 | 売上高 2,909億円 | 当期純利益 78億円 | ||||
FY73 1973/3 | 売上高 3,439億円 | 当期純利益 67億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 4,360億円 | 当期純利益 92億円 | ||||
FY75 1975/3 | 売上高 5,181億円 | 当期純利益 106億円 | ||||
産業用ガスタービンの民需営業を開始 | FY76 1976/3 | 売上高 4,901億円 | 当期純利益 106億円 | |||
経営合理化に着手 | FY77 1977/3 | 売上高 5,399億円 | 当期純利益 130億円 | |||
FY78 1978/3 | 売上高 5,660億円 | 当期純利益 96億円 | ||||
P-3C対潜哨戒機のライセンス生産を開始 | FY79 1979/3 | 売上高 5,014億円 | 当期純利益 -58億円 | |||
FY80 1980/3 | 売上高 5,015億円 | 当期純利益 27億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 6,475億円 | 当期純利益 28億円 | ||||
海外進出 | 米国にKawasaki Motors Mfg.を設立 1981年12月、米国に「Kawasaki Motors Manufacturing Corp., U.S.A.」を設立した。よって1966年の二輪車北米展開(American Kawasaki Motorcycle)に続く現地生産機能の整備が進み、北米における二輪車事業の本格的なローカル生産体制が確立された。 | FY82 1982/3 | 売上高 7,643億円 | 当期純利益 42億円 | ||
FY83 1983/3 | 売上高 6,868億円 | 当期純利益 -58億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 7,026億円 | 当期純利益 -68億円 | ||||
組織再編 | 空調・ボイラ事業を川重冷熱工業に承継 1984年6月、空調・汎用ボイラ事業を分離し、川重冷熱工業株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち中核の重工業から専業子会社への切り出しが進み、後年(2021年8月)の株式交換による完全子会社化までグループ内で運営される事業形態となった。 | FY85 1985/3 | 売上高 7,150億円 | 当期純利益 58億円 | ||
海外進出 | 米国にKawasaki Rail Carを設立 1989年2月、米国に「Kawasaki Rail Car, Inc.」(連結子会社)を設立した。よって1997年のニューヨーク市交通局向け地下鉄車両の製造開始に先立ち、北米における鉄道車両事業の現地生産・納入体制が整えられることとなった。 | FY89 1989/3 | ||||
ボーイング向け航空機部品生産を本格化 | FY90 1990/3 | |||||
FY93 1993/3 | 売上高 10,905億円 | 当期純利益 143億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 10,702億円 | 当期純利益 171億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 10,704億円 | 当期純利益 102億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 10,862億円 | 当期純利益 165億円 | ||||
NY市交通局向け地下鉄車両の製造開始 | FY97 1997/3 | 売上高 12,242億円 | 当期純利益 225億円 | |||
FY98 1998/3 | 売上高 12,972億円 | 当期純利益 185億円 | ||||
| 大橋忠晴 | FY99 1999/3 | 売上高 12,021億円 | 当期純利益 -61億円 | |||
| 大橋忠晴 | FY00 2000/3 | 売上高 11,496億円 | 当期純利益 -186億円 | |||
| 大橋忠晴 | FY01 2001/3 | 売上高 10,604億円 | 当期純利益 -103億円 | |||
| 大橋忠晴 | IHIとの造船事業の統合を白紙撤回 | FY02 2002/3 | 売上高 11,445億円 | 当期純利益 62億円 | ||
組織再編 | 大橋忠晴 | 船舶事業と精密機械事業を分社 2002年10月、船舶事業を分離して株式会社川崎造船を、精密機械事業を分離して株式会社カワサキプレシジョンマシナリを連結子会社として設立した。すなわちIHI造船との統合白紙撤回(2001年)後の事業ポートフォリオ整理として、各事業の独立採算化が進められた。 | FY03 2003/3 | 売上高 12,395億円 | 当期純利益 130億円 | |
| 大橋忠晴 | FY04 2004/3 | 売上高 11,602億円 | 当期純利益 63億円 | |||
| 大橋忠晴 | FY05 2005/3 | 売上高 12,415億円 | 当期純利益 114億円 | |||
| 大橋忠晴 | FY06 2006/3 | 売上高 13,224億円 | 当期純利益 164億円 | |||
| 大橋忠晴 | FY07 2007/3 | 売上高 14,386億円 | 当期純利益 297億円 | |||
| 長谷川聰 | FY08 2008/3 | 売上高 15,010億円 | 当期純利益 351億円 | |||
| 長谷川聰 | FY09 2009/3 | 売上高 13,385億円 | 当期純利益 117億円 | |||
| 長谷川聰 | FY10 2010/3 | 売上高 11,734億円 | 当期純利益 -108億円 | |||
組織再編 | 長谷川聰 | 造船・精密機械・プラント子会社を再合併 2010年10月、株式会社川崎造船・株式会社カワサキプレシジョンマシナリ・カワサキプラントシステムズ株式会社を合併した。よって2002年以降に分社化した子会社群を本体に再統合し、グループ内事業の重複解消とシナジー追求を狙った組織再編となっている。 | FY11 2011/3 | 売上高 12,269億円 | 当期純利益 259億円 | |
| 村山滋 | FY12 2012/3 | 売上高 13,037億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 233億円 | |||
| 村山滋 | FY13 2013/3 | 売上高 12,888億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 308億円 | |||
| 村山滋 | 長谷川氏が社長解任 造船事業における三井造船との統合計画を受けて、川崎重工業における社内不満が噴出。経営不振に陥っている三井造船との統合計画を疑問視する声が大きくなった。この結果、2013年6月の臨時取締役会において長谷川社長の解任動議が出され、賛成10に対して反対3によって可決。村山氏が新社長に就任した。 | FY14 2014/3 | 売上高 13,854億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 386億円 | ||
| 金花芳則 | FY15 2015/3 | 売上高 14,861億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 516億円 | |||
| 金花芳則 | 建設機械事業から撤退 | FY16 2016/3 | 売上高 15,410億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 460億円 | ||
| 金花芳則 | 船舶海洋事業の構造改革 | FY17 2017/3 | 売上高 15,188億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 262億円 | ||
| 金花芳則 | FY18 2018/3 | 売上高 15,742億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 289億円 | |||
| 橋本康彦 | FY19 2019/3 | 売上高 15,947億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 274億円 | |||
| 橋本康彦 | FY20 2020/3 | 売上高 16,413億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 186億円 | |||
| 橋本康彦 | グループビジョン2030を策定 事業ポートフォリオの変革を目的として、2020年11月に10年間の経営方針として「グループビジョン2030」を策定 | FY21 2021/3 | 売上高 14,884億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -193億円 | ||
組織再編 | 橋本康彦 | 車両事業と二輪事業を分社化 2021年10月、車両事業を分離して川崎車両株式会社(連結子会社)に承継し、モーターサイクル&エンジン事業を分離してカワサキモータース株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち2020年策定の「グループビジョン2030」に沿う事業ポートフォリオ変革の一環として、コンシューマ事業の独立化を進めた。 | FY22 2022/3 | 売上高 15,008億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 218億円 | |
| 橋本康彦 | FY23 2023/3 | 売上高 17,256億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 613億円 | |||
| 橋本康彦 | 防衛省向け販売が好調 | FY24 2024/3 | 売上高 18,492億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 253億円 | ||
重要事項 | 橋本康彦 | 潜水艦をめぐる裏金・防衛事業の不正が露呈 経営判断をよむ → | FY25 2025/3 | 売上高 21,293億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 880億円 | |
FY26 2026/3 | 売上高 23,113億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,082億円 |
- 川崎築地造船所を創業川崎正蔵氏の造船業参入において注目すべきは、東京築地から神戸への拠点移転の決断にある。明治期の海運業は神戸が中心となりつつあり、立地の優劣が受注力を左右する構造であった。官営兵庫造船所の払い下げを50ヵ年分割で獲得できたことは明治政府の信認の証であり、この移転によって三菱に次ぐ地位を確立した。造船業において立地選択が競争力の源泉となることを示す事例である。
- 川崎兵庫造船所を開設
1881年3月、川崎正蔵が兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設した。よって築地造船所に続く第二拠点を関西に設け、1886年の官営兵庫造船所の借受けと併合を経て、神戸を本拠とする造船業の基盤が築かれていった。
- 官営兵庫造船所を借受け川崎造船所と改称
1886年5月、川崎正蔵は官営兵庫造船所(東川崎町)を借り受け、川崎兵庫造船所と併合のうえ商号を「川崎造船所」に変更した。すなわち築地起源の造船事業が神戸へ完全に軸足を移した節目となり、後の株式会社化(1896年)に至る前段の体制整備が進んだ。
- 株式会社川崎造船所を設立川崎造船所は株式会社化と大型ドック建設によって海軍艦艇の建造能力を確立し、造船業の主力企業へと成長した。しかし、この成長は海軍需要への高い依存を伴うものであり、軍拡期には業績が急伸する一方で軍縮期には需要が激減する振り子構造を抱えた。松方幸次郎を社長に据えた人事も官需獲得の合理性を示すが、裏を返せば海軍との関係に依存した経営であった。1931年の和議申請に至る経営危機の根因は、この時期に形成された事業構造にあった。
- 兵庫工場を開設
1906年9月、兵庫工場を開設した。よって造船以外の機械・車両分野を含む事業基盤の拡張が進み、後の鉄道車両事業(1928年・川崎車輌として分離)の前段となる重工業多角化の足場が形成されていった。
- 川崎汽船株式会社を設立
川崎造船は第一次世界大戦の好況を受けて1918年1月に船舶部を発足し海運事業に参入、11隻の汽船を保有した。しかし1919年に大戦が終結し好況も終わったため、同年4月に海運事業の分離を決定。汽船11隻を現物出資して川崎汽船を設立した。設立当時は40万株中39.9万株を川崎造船所が保有し、子会社として運営された。その後、終戦による財閥解体に伴い1949年に川崎汽船は株式を上場し、川崎重工との資本関係を解消、単独の海運会社として独立した。
- 岐阜工場を開設
1922年12月、岐阜工場を開設した。すなわち神戸以外への生産拠点拡張の一環であり、後年に分離する航空機事業(1937年・川崎航空機工業)と関わる重要拠点として位置づけられた。
- 鉄道車両事業を分離・川崎車輛を設立(担保設定)
- 軍縮を受けて和議申請川崎造船所の和議申請は、海軍需要への過度な依存がもたらした経営危機であった。しかし、海軍艦艇を建造する技術と設備を持つ大規模造船所は国内に限られており、日本政府はその解散を国益に反するものと判断して特別融資で存続を支えた。経営としては破綻しながらも国策として存続が許された構造は、軍需産業が持つ政治的な不可分性を示している。皮肉にも、その後の軍拡により業績は好転し、軍需依存はさらに深化した。
- 航空機事業を分離・川崎航空機工業を設立
- 商号を川崎重工業に変更
- 川崎航空機 明石工場を開設
1940年9月、川崎航空機工業株式会社の明石工場を開設した。よって戦時下の航空機需要拡大に応える生産体制が整備され、戦後における航空機事業(後のP-3C対潜哨戒機ライセンス生産・ボーイング向け部品生産)の拠点として継承されていった。
- 再建整備計画が認可(造船・造機・電機の3部門のみ)
戦後の財閥解体により、川崎重工業もグループの解体が決定。川崎重工業は「造船・造機・電機」の3事業で再発足した。一方、子会社などで運営していた4事業「海運・航空機・鉄道車両・製鉄業」について完全な分離を決定。海運業は川崎汽船、航空機製造は川崎航空機、鉄道車両は川崎車輛、製鉄業は川崎製鉄(現JFE)として分離し、各社の株式上場を通じて川崎重工との資本関係を解消した。
- 製鉄事業を分離し川崎製鐵を設立
1950年8月、製鉄事業を分離し川崎製鐵株式会社を設立した。すなわち戦後の財閥解体に基づく再建整備計画(1949年認可)の一環であり、海運(川崎汽船)・航空機・車輌に続く分離により、川崎重工は「造船・造機・電機」の3部門に集約された。
- 事業部制を採用
- 国内生産拠点を拡充
- 二輪車の北米展開を開始
- 産業ロボットに参入
- 汽車製造株式会社を合併
- 産業用ガスタービンの民需営業を開始
- 経営合理化に着手
- P-3C対潜哨戒機のライセンス生産を開始
- 米国にKawasaki Motors Mfg.を設立
1981年12月、米国に「Kawasaki Motors Manufacturing Corp., U.S.A.」を設立した。よって1966年の二輪車北米展開(American Kawasaki Motorcycle)に続く現地生産機能の整備が進み、北米における二輪車事業の本格的なローカル生産体制が確立された。
- 空調・ボイラ事業を川重冷熱工業に承継
1984年6月、空調・汎用ボイラ事業を分離し、川重冷熱工業株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち中核の重工業から専業子会社への切り出しが進み、後年(2021年8月)の株式交換による完全子会社化までグループ内で運営される事業形態となった。
- 米国にKawasaki Rail Carを設立
1989年2月、米国に「Kawasaki Rail Car, Inc.」(連結子会社)を設立した。よって1997年のニューヨーク市交通局向け地下鉄車両の製造開始に先立ち、北米における鉄道車両事業の現地生産・納入体制が整えられることとなった。
- ボーイング向け航空機部品生産を本格化
- NY市交通局向け地下鉄車両の製造開始
- IHIとの造船事業の統合を白紙撤回
- 船舶事業と精密機械事業を分社
2002年10月、船舶事業を分離して株式会社川崎造船を、精密機械事業を分離して株式会社カワサキプレシジョンマシナリを連結子会社として設立した。すなわちIHI造船との統合白紙撤回(2001年)後の事業ポートフォリオ整理として、各事業の独立採算化が進められた。
- 造船・精密機械・プラント子会社を再合併
2010年10月、株式会社川崎造船・株式会社カワサキプレシジョンマシナリ・カワサキプラントシステムズ株式会社を合併した。よって2002年以降に分社化した子会社群を本体に再統合し、グループ内事業の重複解消とシナジー追求を狙った組織再編となっている。
- 長谷川氏が社長解任
造船事業における三井造船との統合計画を受けて、川崎重工業における社内不満が噴出。経営不振に陥っている三井造船との統合計画を疑問視する声が大きくなった。この結果、2013年6月の臨時取締役会において長谷川社長の解任動議が出され、賛成10に対して反対3によって可決。村山氏が新社長に就任した。
- 建設機械事業から撤退
- 船舶海洋事業の構造改革
- グループビジョン2030を策定
事業ポートフォリオの変革を目的として、2020年11月に10年間の経営方針として「グループビジョン2030」を策定
- 車両事業と二輪事業を分社化
2021年10月、車両事業を分離して川崎車両株式会社(連結子会社)に承継し、モーターサイクル&エンジン事業を分離してカワサキモータース株式会社(連結子会社)に承継した。すなわち2020年策定の「グループビジョン2030」に沿う事業ポートフォリオ変革の一環として、コンシューマ事業の独立化を進めた。
- 防衛省向け販売が好調