富士電機の沿革・歴史的証言
1923年〜2025年
富士電機の1923年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1923 1-12月 | 会社設立 | 富士電機製造株式会社を設立 古河電気工業とドイツ・シーメンスの資本技術提携による合弁。資本金1,000万円、シーメンス出資比率30%、出資は機械現物と技術供与対価 | 重電分野における後発参入、ドイツ技術導入の主要経路 | |||
1925 1-12月 | 組織再編 | 川崎工場を開設し重電機の製造を開始 投資額578万円、敷地面積4.8万坪。設立時資本金の過半に相当する投資 | 後発参入の生産基盤、初期の借入依存を招いた設備投資 | |||
1927 1-12月 | 組織再編 | 家庭電器部門に進出 | ||||
1931 1-12月 | 経営再建のため全従業員の16%を削減、名取和作社長が引責辞任 1923年度から9期中7期が赤字、205名削減と昇給停止・手当減額 | 設立後9年で経営危機に陥り、後の構造改革型経営の原点 | ||||
1933 1-12月 | 組織再編 | 通信機部門に進出 | ||||
1935 1-12月 | 組織再編 | 通信機部門を分離し富士通信機製造(現富士通)を設立 通信省の指定工場化を受けた事業分離 | 後の富士通グループの起点、重電と通信の分業体制確立 | |||
1942 1-12月 | 組織再編 | 松本工場を開設 戦時増産対応 | 後のパワー半導体主力工場の原点 | |||
1943 1-12月 | 組織再編 | 吹上工場を開設 | ||||
組織再編 | 豊田工場を開設 | |||||
1944 1-12月 | 組織再編 | 三重工場を開設 | ||||
FY50 1950/3 | 株式上場 | 東京証券取引所に株式を上場 | ||||
FY54 1954/3 | 組織再編 | 半導体部門に進出 スイスのエッシャウイス社との提携でガスタービンにも着手 | 後の富士電機の事業柱となる半導体事業の発祥 | |||
FY64 1964/3 | 組織再編 | 中央研究所を開設 | ||||
FY69 1969/3 | 組織再編 | 川崎電機製造を吸収合併 神戸・鈴鹿の2工場を増加 | 後のパワー半導体拠点となる鈴鹿を獲得 | |||
FY70 1970/3 | 自動販売機の製造を開始 家電事業の販売不振で三重工場に新事業が必要となり、市場成長が期待できる自販機に着眼。ツガミ・三菱重工等が先発 | 参入から約4年で国内シェア1位を確保、後の食品流通事業の起点 | ||||
FY71 1971/3 | 米国富士電機社を設立 現富士電機アメリカ社 | |||||
FY74 1974/3 | 組織再編 | 大田原工場を開設 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 1,848億円 | 当期純利益 0億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 2,071億円 | 当期純利益 8.5億円 | 組織再編 | 経営不振の家電部門を3社に再編 富士電機冷機・富士電機家電・富士電機総合設備 | 家電事業の構造不振に対する組織的対応 | |
FY78 1978/3 | 売上高 2,160億円 | 当期純利益 17億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 2,407億円 | 当期純利益 27億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 2,594億円 | 当期純利益 37億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 2,952億円 | 当期純利益 41億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 3,301億円 | 当期純利益 47億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 3,422億円 | 当期純利益 45億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 3,548億円 | 当期純利益 42億円 | ||||
FY85 1985/3 | 売上高 3,812億円 | 当期純利益 68億円 | 組織再編 | 商号を「富士電機株式会社」に変更 | 製造からホールディングスを経る商号変更の起点 | |
FY88 1988/3 | 自販機で国内シェア1位(40%)を確保 子会社の富士冷機製造 | 自販機市場でのトップシェア確立 | ||||
株式上場 | 富士電機冷機の株式を東証二部に上場 翌1989年9月に一部指定 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 9,093億円 | 当期純利益 167億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 8,999億円 | 当期純利益 77億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 8,340億円 | 当期純利益 36億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 8,563億円 | 当期純利益 38億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 8,904億円 | 当期純利益 58億円 | ||||
FY97 1997/3 | 売上高 9,453億円 | 当期純利益 81億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 9,827億円 | 当期純利益 74億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 8,520億円 | 当期純利益 -173億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 8,518億円 | 当期純利益 -74億円 | 組織再編 | 社内カンパニー制を導入 電機システム・機器制御・電子・民生機器 | 総合電機の縦割り化の仕組み導入 | |
FY01 2001/3 | 売上高 8,910億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 97億円 | ||||
FY02 2002/3 | 売上高 8,391億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -32億円 | ||||
FY03 2003/3 | 売上高 8,324億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 39億円 | 企業買収 | 三洋電機自販機の全株式を取得 吹上富士自販機に商号変更 | 自販機事業の規模拡大 | |
FY04 2004/3 | 売上高 8,561億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 55億円 | 組織再編 | 純粋持株会社制へ移行し富士電機ホールディングスに商号変更 電機システム・機器制御・電子・情報関連の各事業を分社化 | 総合電機としての集権構造から事業別の自律運営へ | |
FY05 2005/3 | 売上高 8,442億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 77億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 8,972億円 | 当期純利益 186億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 9,080億円 | 当期純利益 231億円 | ||||
FY08 2008/3 | 売上高 9,221億円 | 当期純利益 0億円 | ||||
FY09 2009/3 | 売上高 7,666億円 | 当期純利益 -733億円 | 組織再編 | 水環境事業を分離しメタウォーターを発足 日本碍子子会社との合併 | ||
企業買収 | 受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継 新設の富士電機機器制御に事業集約 | 低圧受配電事業の外部化、選択と集中の一例 | ||||
最終赤字▲733億円・営業赤字▲188億円に転落 リーマンショックで電子デバイス部門(HDD向けモータ販売低迷)を中心に悪化。事業構造改革費用184億円を特損計上(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円) | 会社史上屈指の大型赤字、事業ポートフォリオ見直しの契機 | |||||
FY10 2010/3 | 売上高 6,912億円 | 当期純利益 0億円 | 社長交代 | 北澤通宏が取締役社長に就任 前任は伊藤晴夫。リーマン後の赤字を受けた経営体制刷新 | 後に会長CEOとして約15年率いる長期経営の始点 | |
経営計画 | パワー半導体SiCモジュールを開発 電力損失改善、後続のパワエレ戦略の原点 | 後のEV・再エネ向け事業の核となる技術基盤 | ||||
FY11 2011/3 | 売上高 6,890億円 | 当期純利益 0億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 7,035億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 118億円 | ||||
FY13 2013/3 | 売上高 7,457億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 263億円 | 組織再編 | 富士電機株式会社に商号再変更し事業会社を統合 富士電機システムズを吸収合併、デバイステクノロジー・日本AEパワーシステムズ変電事業・リテイルシステムズ等を集約 | 持株会社体制を解消し事業会社として再統合、意思決定の一元化 | |
設備投資 | 松本工場でパワー半導体の増産投資 | パワー半導体成長期の設備拡張 | ||||
FY14 2014/3 | 売上高 7,599億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 195億円 | ||||
FY15 2015/3 | 売上高 8,106億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 279億円 | 株式上場 | メタウォーター株式を東証一部に上場 | ||
FY16 2016/3 | 売上高 8,135億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 306億円 | 設備投資 | 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設 | パワー半導体開発機能の集約 | |
FY17 2017/3 | 売上高 8,377億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 409億円 | ||||
FY18 2018/3 | 売上高 8,934億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 377億円 | ||||
FY19 2019/3 | 売上高 9,149億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 402億円 | ||||
FY20 2020/3 | 売上高 9,006億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 287億円 | ||||
FY21 2021/3 | 売上高 8,759億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 419億円 | ||||
FY22 2022/3 | 売上高 9,102億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 586億円 | 売上高9,102億円・営業利益748億円、コロナ禍後の反発で前年比大幅増 | |||
FY23 2023/3 | 売上高 10,094億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 613億円 | ||||
FY24 2024/3 | 売上高 11,032億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 753億円 | 売上高1兆1,032億円・営業利益1,060億円の過去最高益 EV向けパワー半導体が好調 | 初の売上1兆円突破と最高益更新 | ||
FY25 2025/3 | 売上高 11,234億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 922億円 | 社長交代 | 近藤史夫が社長に就任、北澤通宏は会長CEOに | ||
経営計画 | デンソーとパワー半導体の協業投資を決定 2社合計投資額2,116億円、うち経産省補助705億円。松本工場でエピウエハーおよびパワー素子を増産 | 国内パワー半導体の増産に向けた大型官民投資 | ||||
企業買収 | 富士古河E&Cを株式交換で完全子会社化 商号を富士電機E&Cに変更、2025年1月に東証スタンダード市場の上場廃止 | グループ再編で工事・エンジニアリング事業を完全内部化 | ||||
2024年度営業利益1,176億円・純利益922億円で過去最高を更新 | ||||||
経営計画 | 事業戦略説明会で北米DC向け本格展開・SiC生産能力2.5倍等を発表 2026年度からデータセンター向け北米本格展開、SiC能力2.5倍拡大 | パワー半導体とエネルギー事業の二軸での成長シナリオ明示 |
- 富士電機製造株式会社を設立
古河電気工業とドイツ・シーメンスの資本技術提携による合弁。資本金1,000万円、シーメンス出資比率30%、出資は機械現物と技術供与対価
重電分野における後発参入、ドイツ技術導入の主要経路 - 川崎工場を開設し重電機の製造を開始
投資額578万円、敷地面積4.8万坪。設立時資本金の過半に相当する投資
後発参入の生産基盤、初期の借入依存を招いた設備投資 - 家庭電器部門に進出
- 経営再建のため全従業員の16%を削減、名取和作社長が引責辞任
1923年度から9期中7期が赤字、205名削減と昇給停止・手当減額
設立後9年で経営危機に陥り、後の構造改革型経営の原点 - 通信機部門に進出
- 通信機部門を分離し富士通信機製造(現富士通)を設立
通信省の指定工場化を受けた事業分離
後の富士通グループの起点、重電と通信の分業体制確立 - 松本工場を開設
戦時増産対応
後のパワー半導体主力工場の原点 - 吹上工場を開設
- 豊田工場を開設
- 三重工場を開設
- 東京証券取引所に株式を上場
- 半導体部門に進出
スイスのエッシャウイス社との提携でガスタービンにも着手
後の富士電機の事業柱となる半導体事業の発祥 - 中央研究所を開設
- 川崎電機製造を吸収合併
神戸・鈴鹿の2工場を増加
後のパワー半導体拠点となる鈴鹿を獲得 - 自動販売機の製造を開始
家電事業の販売不振で三重工場に新事業が必要となり、市場成長が期待できる自販機に着眼。ツガミ・三菱重工等が先発
参入から約4年で国内シェア1位を確保、後の食品流通事業の起点 - 米国富士電機社を設立
現富士電機アメリカ社
- 大田原工場を開設
- 経営不振の家電部門を3社に再編
富士電機冷機・富士電機家電・富士電機総合設備
家電事業の構造不振に対する組織的対応 - 商号を「富士電機株式会社」に変更製造からホールディングスを経る商号変更の起点
- 自販機で国内シェア1位(40%)を確保
子会社の富士冷機製造
自販機市場でのトップシェア確立 - 富士電機冷機の株式を東証二部に上場
翌1989年9月に一部指定
- 社内カンパニー制を導入
電機システム・機器制御・電子・民生機器
総合電機の縦割り化の仕組み導入 - 三洋電機自販機の全株式を取得
吹上富士自販機に商号変更
自販機事業の規模拡大 - 純粋持株会社制へ移行し富士電機ホールディングスに商号変更
電機システム・機器制御・電子・情報関連の各事業を分社化
総合電機としての集権構造から事業別の自律運営へ - 水環境事業を分離しメタウォーターを発足
日本碍子子会社との合併
- 受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継
新設の富士電機機器制御に事業集約
低圧受配電事業の外部化、選択と集中の一例 - 最終赤字▲733億円・営業赤字▲188億円に転落
リーマンショックで電子デバイス部門(HDD向けモータ販売低迷)を中心に悪化。事業構造改革費用184億円を特損計上(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円)
会社史上屈指の大型赤字、事業ポートフォリオ見直しの契機 - 北澤通宏が取締役社長に就任
前任は伊藤晴夫。リーマン後の赤字を受けた経営体制刷新
後に会長CEOとして約15年率いる長期経営の始点 - パワー半導体SiCモジュールを開発
電力損失改善、後続のパワエレ戦略の原点
後のEV・再エネ向け事業の核となる技術基盤 - 富士電機株式会社に商号再変更し事業会社を統合
富士電機システムズを吸収合併、デバイステクノロジー・日本AEパワーシステムズ変電事業・リテイルシステムズ等を集約
持株会社体制を解消し事業会社として再統合、意思決定の一元化 - 松本工場でパワー半導体の増産投資パワー半導体成長期の設備拡張
- メタウォーター株式を東証一部に上場
- 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設パワー半導体開発機能の集約
- 売上高9,102億円・営業利益748億円、コロナ禍後の反発で前年比大幅増
- 売上高1兆1,032億円・営業利益1,060億円の過去最高益
EV向けパワー半導体が好調
初の売上1兆円突破と最高益更新 - 近藤史夫が社長に就任、北澤通宏は会長CEOに
- デンソーとパワー半導体の協業投資を決定
2社合計投資額2,116億円、うち経産省補助705億円。松本工場でエピウエハーおよびパワー素子を増産
国内パワー半導体の増産に向けた大型官民投資 - 富士古河E&Cを株式交換で完全子会社化
商号を富士電機E&Cに変更、2025年1月に東証スタンダード市場の上場廃止
グループ再編で工事・エンジニアリング事業を完全内部化 - 2024年度営業利益1,176億円・純利益922億円で過去最高を更新
- 事業戦略説明会で北米DC向け本格展開・SiC生産能力2.5倍等を発表
2026年度からデータセンター向け北米本格展開、SiC能力2.5倍拡大
パワー半導体とエネルギー事業の二軸での成長シナリオ明示
歴史的証言
最初の株金払込がわずか250万円で、そのうちシーメンスの分は現金の払込がなく、工場建設が始まってからも株金払込は思うように取れなかったので、全て銀行からの借入金で賄った。また固定資産の償却も所定通り行ったから、それとこれとあわせるとほぼ赤字に匹敵することがわかった
30億円以上に達している/電動機メーカーとしては東芝、日立、三菱に比べると小型であるが、水車の制作部門をもち、また水車整流器メーカーとしても定評がある
1966年、私は自動販売機部門に進出することを提案した。自販機産業は中規模のマーケットだったがその伸びは大きいと見られかつ業務用民生品であるために販売網づくりに要する人材及び資金も比較的少なくてすむ。首脳は直ちにゴーサインを出した。業界には10年遅れての参入だったが、思い切って自販機の製造、その設備資金のリース、ベンディング材料の取り扱いと最初から一貫体制を整えた
あの地味な富士電機が、街角で良く見かける自販機では断然トップなのだ/富士電機が家電ブームに乗り遅れたことで、昭和40年代後半から停滞期を迎えたわけだが、もし家電部門がそのまま沈没したら、もっと深刻な事態になっただろう。その瀬戸際で、1969年に自販機を始め、家電部門は生き返ったのである
翻って『総合』に固執した3社は、その良さを発揮できた時代もあったが、年々、看板が色あせている
「川崎工場が敷地がほとんど一杯になりましたので、大型機器工場の分工場という意味で、千葉に敷地を買って工場を建設する企画をもっております。その敷地は約13万坪、来年の春には埋め立てが完成して、工場を作るようになりますが、それやこれやの関係で、資金を相当必要と致します」「火力発電に進出するために、できるだけの努力をいまやっております」
「私は、電気機械産業というものは、電力をつくる発電所、あるいは電気機関車、近代的な自動装置など産業関係のものばかりでなく、家庭で使ういろいろな電気器具、あるいは1年も2年もかかるような計算をほんの僅かな時間で計算してしまう機械設備、それから近く必ず原子力発電が進出してきますので、それらを考えますと、総括的にいって、電気の機械産業はいわゆる成長産業であると考えております。従いまして技術に自信がある、経営が真面目であるというならば、私は前途が非常に明るいと思うのであります」
記者:ところで和田社長の頃までは富士電機も勢いが盛んでしたけど、その次の後継者の金成さんあたりから業績がダウンしてきたようですね
和田:ダウンしたということはないですがね。金成くん(現在常任相談役)は東京大学を出てわが社に入ったんですが、彼のお父さんは上田の大地主で、多額納税の貴族議員をなさっておられて、地元への世話もよくされておったそうですね。なかなか人望のある人でしたよ。その人から初代社長の名取さんが紹介を受けて、家もいいし人間もいいようだから考えてみたらどうかということで一応形式的な試験をして、それで入社してきたんですね。会社に入ってみるといろんな事を知っているし、また考え方もしっかりしていて、いい人材なのでだんだんに仕込んでいきましてね。そうしているうちに、先代の名取社長なんかも私の後継者としてどうかというような話も出はじめましたので、私も当時身辺に随分優秀な人材もいましたが、結局金成君に後を継いでもらうように決心しました。ただ、今考えてみますとね、他の事は非常に良いのですが商売を実際に自分でやったことがない。だからその点でまだ不完全なところがありました。
記者:商売人の資質に欠けていたわけですね。
和田:そうですね。それでちょうどその頃から家電ブームが起こって各社とも一斉に力を入れはじめたのですが、その時、私は少し出遅れましてね。他者と比べて随分苦労をしました。金成君が社長になってからは、私の後をうけて、他社のまきかえしを狙って随分スピーディーに動きましたが、他社も同様積極的にやっておる上に、スタート時点で出遅れたということでなかなかうまくいかない。後から食い込もうとしてもなかなか店が捕まらない。いい店は、すでに他社にとられていますからね。それで仕方なく、二流の店でも捕まえられるのは捕まえて、やったんですがね・・・。
記者:技術開発力はもておられたんでしょうけど、時代に即座に対応してゆく営業、販売姿勢というものがなかったのでしょうね。
和田:そうですね。物を造る方は一定の技術水準さえ持っておればなんとか対応できるのでしょうが、販売の方はそう簡単にはいきませんからね。(中略)東芝さんにしても、日立さんにしても、古くからある企業だけどそのあたりの対応は早いですね。東芝さんなんかの場合だと、ランプを東京電気の頃からやっていたから、販売のネットは、もとからもっていましたけどね。
私は以前から、水力発電のみならず火力発電も並行してやるべきだと考えていた。しかし、終戦直後の混乱が続く中で、水力発電機器の製造や、戦前から関係のあった会社との技術提携の復活など困難な問題を抱えて、火力への進出はのびのびにならざるをえなかった。やがて水力開発の諸条件が悪化し、急速に火力に移行する情勢となり、このままでは近い将来、当社の電力部門の受注は急減することが懸念された。
その後、当社は朝鮮動乱以来の好況に恵まれ、2割5分、3割の配当を実施するほどの安定経営を確立しえたので、1955年初めに蒸気タービン製造に乗り出す決意をした。しかし、今になって考えてみれば、もっと早くこの分野への進出を決断すべきだったと思っている。