富士電機 の歴史

創業

1923年

創業者

※古河電気工業

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

12,276億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1923年の合弁設立が、後発の富士電機に他社との協業を頼る作法を残したのか
A 出資の体裁が整っても現金が入らなければ、後発の会社は設備も増産も自前の資金では賄えず、外部の技術・資本・販路を借りて埋め合わせるほかない。1923年8月に古河電気工業とドイツ・シーメンスの合弁で発足した富士電機製造は、資本金1,000万円のうちシーメンス引受の300万円が機械の現物と技術報償金で振り替えられ、現金は入らなかった。日立・三菱・明電舎が先行する重電市場へ技術だけを持って参入したため、1925年稼働の川崎工場も借入に頼り、後発が他社の力を借りて補う体質が早くから根づいた
Q なぜ1969年に重電後発の富士電機が自動販売機へ進出したのか
A 先発の東芝・日立・三菱に拮抗できない領域で規模を競うより、後発でも勝てる隣接の市場へ資源を移すほうが、重電4社の中で小型の富士電機には現実的だった。1969年9月、家電の販売不振で三重工場の仕事が細るなか、成長余地のある自動販売機が次の事業に選ばれた和田恒輔氏は製造だけでなく設備資金のリースや材料供給まで一貫して担う体制を最初から整え、ツガミや三菱重工が先行する市場へ後から入りながら参入から約4年で国内シェア首位を取った。1987年には子会社が国内シェア40%でトップに立ち、家電の敗北を自販機が埋め合わせた
Q なぜ2009年の大赤字を経た富士電機が、パワー半導体への集中とデンソーとの共同投資へ進んだのか
A 総合電機として広く張る路線は先発に拮抗できず、リーマン・ショックでは多角化した事業が一斉に需要消失に晒されて純損失733億円を出した。そこで自社が強いパワエレ制御と組み合わせて差別化できるパワー半導体へ資源を絞り込み、2010年にSiCモジュールを開発、2012年には持株会社体制を解消して事業を一体運営へ戻した。需要の読みにくいEV向けの増産を単独で抱えないため、富士電機は2024年11月、完成車側の顧客であるデンソーを共同投資に引き入れた。2社で2,116億円を投じ、うち705億円を経済産業省が補助し、EV本格化前に生産能力を確保する道を選んだ

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1923年〜 シーメンスとの合弁が背負った現金不足という創業期の採算上の負担

富士電機の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1923年 富士電機製造を設立
  2. 1925年 川崎工場を新設し重電機の製造を開始
  3. 1931年 全従業員の16%にあたる205名の削減と、名取和作社長の退任 9期のうち7期が赤字の合弁会社は、何を削って収支を合わせたか
  4. 1935年 通信機部門の分離独立と富士通信機製造の設立 伸び始めた弱電を本体に抱えるか、別の資本を立てて外に出すか——資金の窮屈な合弁会社の分岐
  5. 1953年 半導体部門に参入
  6. 1969年 自動販売機の製造を開始
  7. 1976年 経営不振の家電部門を3社に再編

現物出資の合弁会社、川崎工場への借入依存

1923年8月、古河電気工業とドイツ・シーメンス社の資本・技術提携により富士電機製造株式会社が設立された。資本金1,000万円のうちシーメンスは300万円を引き受けたが、払い込みは機械器具の現物100万円と技術報償金200万円で振り替えられ、現金は入らなかった。「富士」の社名は「古河(富)」「シーメンス(士)」に由来する合弁の象徴で、日立・三菱電機・明電舎に出遅れていた古河財閥が、第一次世界大戦敗戦後のドイツ経済インフレ下で技術輸出を模索するシーメンスと条件を合わせた形となる。後発の富士電機にとって、シーメンスからの現物出資は技術供与と同時に現金不足という構造を会社に埋め込むものとなり、発足直後の資金繰りを強く縛った。 [1][2][3]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1923年8月 古河電気工業とドイツ・シーメンスの資本・技術提携により富士電機製造株式会社を設立
    • [2]設立時資本金1,000万円・シーメンス出資比率30%(出資300万円)
    • [3]日立・三菱電機・明電舎の先発に対し古河財閥は重電後発で、シーメンスは第一次大戦後ドイツの技術輸出を模索する立場

1925年4月、川崎工場が投資額578万円・敷地4.8万坪で稼働を開始した。それまでの間、富士電機製造はシーメンス製品の輸入・販売や同社が日本に持っていた貯蔵品の引き継ぎ販売で事業をつないだ。設立時資本金の過半を超える投資だったが、シーメンスからの現金払込がないため、資金は金融機関からの借入で賄われた。工場長にはシーメンスから派遣された外国人が就き、製作第一号品の配電盤に始まり発電機・電動機・変圧器・扇風機・探照灯・量水計などを電力会社向けに量産する体制が組まれた。しかし日立・三菱電機・明電舎の先発企業が握る市場で、後発参入の富士電機は販売に苦戦し、1928年度の1,034万円をピークに1931年度まで3期連続の減収となる。借入金利負担と固定資産償却が利益を圧迫する構造が定着し、創業期の収益回復の道筋は見えないまま昭和恐慌期に入った。 [4][5][6][7]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1925年4月 川崎工場が稼働を開始し重電機の製造を開始
    • [5]後発参入で販売に苦戦(先発は日立・三菱電機・明電舎)し、生産品目は発電機・電動機・変圧器・配電盤・扇風機・探照灯・量水計など
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]工場建屋完成までの間はシーメンス製品の輸入・販売と、同社が日本に所有していた貯蔵品の継承販売で営業をつないだ
    • [7]川崎工場の製作第一号品は配電盤で、以後 電動機・変圧器・発電機へと製造機種を広げた
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1923年8月 古河電気工業とドイツ・シーメンスの資本・技術提携により富士電機製造株式会社を設立
    • [2]設立時資本金1,000万円・シーメンス出資比率30%(出資300万円)
    • [3]日立・三菱電機・明電舎の先発に対し古河財閥は重電後発で、シーメンスは第一次大戦後ドイツの技術輸出を模索する立場
    • [4]1925年4月 川崎工場が稼働を開始し重電機の製造を開始
    • [5]後発参入で販売に苦戦(先発は日立・三菱電機・明電舎)し、生産品目は発電機・電動機・変圧器・配電盤・扇風機・探照灯・量水計など
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]工場建屋完成までの間はシーメンス製品の輸入・販売と、同社が日本に所有していた貯蔵品の継承販売で営業をつないだ
    • [7]川崎工場の製作第一号品は配電盤で、以後 電動機・変圧器・発電機へと製造機種を広げた

1931年、9期中7期赤字と人員削減205名

1931年、富士電機は全従業員の16%にあたる205名を削減し、残る社員には昇給停止と手当減額を実施した。名取和作社長は経営不振の原因について、設立時のシーメンス現金出資が実現しなかったことと、川崎工場新設の借入依存を挙げている。「最初の株金払込がわずか250万円で、そのうちシーメンスの分は現金の払込がなく、工場建設が始まってからも株金払込は思うように取れなかったので、全て銀行からの借入金で賄った。また固定資産の償却も所定通り行ったから、それとこれとあわせるとほぼ赤字に匹敵することがわかった」(名取和作)。名取社長は同年4月に引責辞任し、二代目社長に吉村萬治郎氏が就いて創業以来の赤字経営の打開に着手する。製品コスト低下の対策と景気回復が重なり、わずか2年半で繰越赤字を全額補填して黒字へ転換、1935年4月決算では年6分の初配当を実施した。 [8][9]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]1931年4月の名取社長辞任を受け、二代目社長に吉村萬治郎が就任して赤字経営の打開に着手
    • [9]製品コスト低下策と景気回復で約2年半で繰越赤字を全額補填し黒字転換、1935年4月決算で年6分の初配当を実施

1933年4月には電話部を設置して通信機器に進出したが、戦時下に通信省の指定工場となった関係で1935年6月に通信機部門を分離し、富士通信機製造株式会社(現富士通)を設立した。満州事変後の電源開発需要に対応してドイツのJ・M・フォイト社と技術提携し、1936年から水車の製造を始めている。1942年から1944年にかけて松本・吹上・豊田・三重の各工場が相次いで立ち上がり、戦時増産の拠点が揃う。このうち松本工場は後にパワー半導体の主力工場となり、三重工場は戦後の家電と自動販売機の拠点に変わった。戦時期の工場網は財閥解体と戦後復興を経ても富士電機の生産基盤として残り、半導体・自販機という新規事業の受け皿として後年まで残った。合弁という出自で得た技術蓄積が、戦後の事業多角化の足場となる。 [10][11][12][13][14]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1933年4月 通信機部門に進出(製造を開始)
    • [11]1935年6月 通信機部門を分離し富士通信機製造株式会社(現富士通)を設立
    • [13]1942-1944年に松本(1942/10)・吹上(1943/3)・豊田(1943/5)・三重(1944/6)の各工場が立ち上がる
    • [14]松本工場は後にパワー半導体主力工場、三重工場は戦後の家電・自動販売機拠点となる
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]満州事変後の電源開発需要に対応してドイツのJ・M・フォイト社と技術提携し、1936年から水車の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]1931年4月の名取社長辞任を受け、二代目社長に吉村萬治郎が就任して赤字経営の打開に着手
    • [9]製品コスト低下策と景気回復で約2年半で繰越赤字を全額補填し黒字転換、1935年4月決算で年6分の初配当を実施
    • [12]満州事変後の電源開発需要に対応してドイツのJ・M・フォイト社と技術提携し、1936年から水車の製造を開始
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1933年4月 通信機部門に進出(製造を開始)
    • [11]1935年6月 通信機部門を分離し富士通信機製造株式会社(現富士通)を設立
    • [13]1942-1944年に松本(1942/10)・吹上(1943/3)・豊田(1943/5)・三重(1944/6)の各工場が立ち上がる
    • [14]松本工場は後にパワー半導体主力工場、三重工場は戦後の家電・自動販売機拠点となる

1949年上場、1953年半導体参入、1969年の自販機進出

1949年5月、同社は東京証券取引所に株式を上場した。1953年10月には半導体部門に進出し、同じ年にスイスのエッシャウイス社との提携でガスタービン生産も開始する。電源開発ブームで重電各社の受注は積み上がり、同社の受注残は「30億円以上に達している」(新日本経済 1952/06)状況にあった。ただし同じ記事は「電動機メーカーとしては東芝、日立、三菱に比べると小型であるが、水車の制作部門をもち、また水車整流器メーカーとしても定評がある」(新日本経済 1952/06)と位置づけており、重電4社の中で小型のプレイヤーという認識が業界に定着していた。1961年に千葉工場、1963年に中央研究所が加わり、1968年には川崎電機製造を吸収合併して神戸・鈴鹿の2工場を獲得した。個別事業の収益性はいずれも先発企業と拮抗する水準になく、広さと深さの両立は課題として残った。 [15][16][17][18][19]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1949年5月 東京証券取引所に株式を上場
    • [16]1953年10月 半導体部門に進出。同年スイスのエッシャウイス社との提携でガスタービンにも着手
    • [19]1961年に千葉工場(1961/8)、1963年に中央研究所(1963/9)が加わり、1968年に川崎電機製造を吸収合併し神戸・鈴鹿の2工場を獲得
    • [17]1952年6月時点で受注残は「30億円以上に達している」
    • [18]業界内で東芝・日立・三菱に比べ小型だが水車・水車整流器に定評があるという位置づけ

1969年9月、富士電機は自動販売機の製造を開始した。家電事業の販売不振で三重工場に生産すべき家電が不足し、将来の市場成長が見込める新規事業として自販機に着眼した経緯だった。自販機進出の社内提案者は後の社長和田恒輔で、「1966年、私は自動販売機部門に進出することを提案した。業界には10年遅れての参入だったが、思い切って自販機の製造、その設備資金のリース、ベンディング材料の取り扱いと最初から一貫体制を整えた」(日経産業新聞 1987/12/23)と振り返っている。ツガミや三菱重工といった先発企業がいたが、製造に徹せず販売まで自社で担うモデルを取り、参入から約4年で国内シェア1位を獲得した。先発に勝てない領域を見切り、後発でも勝てる隣接領域に資源を移し替える判断が、以降の富士電機の事業再編パターンとなった。 [20][21][22][23]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1969年9月 自動販売機の製造を開始
    • [21]家電販売不振で三重工場に新事業が必要となり市場成長の見込める自販機に着眼。先発はツガミ・三菱重工
    • [23]参入から約4年で自販機の国内シェア1位を獲得(製造に留まらず販売まで自社で担うモデル)
  • 日経産業新聞(1987年12月23日)
    • [22]自販機進出の社内提案者は後の社長和田恒輔。1966年に進出を提案し製造・リース・材料の一貫体制を整えたと回想
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1949年5月 東京証券取引所に株式を上場
    • [16]1953年10月 半導体部門に進出。同年スイスのエッシャウイス社との提携でガスタービンにも着手
    • [19]1961年に千葉工場(1961/8)、1963年に中央研究所(1963/9)が加わり、1968年に川崎電機製造を吸収合併し神戸・鈴鹿の2工場を獲得
    • [20]1969年9月 自動販売機の製造を開始
    • [21]家電販売不振で三重工場に新事業が必要となり市場成長の見込める自販機に着眼。先発はツガミ・三菱重工
    • [23]参入から約4年で自販機の国内シェア1位を獲得(製造に留まらず販売まで自社で担うモデル)
    • [17]1952年6月時点で受注残は「30億円以上に達している」
    • [18]業界内で東芝・日立・三菱に比べ小型だが水車・水車整流器に定評があるという位置づけ
  • 日経産業新聞(1987年12月23日)
    • [22]自販機進出の社内提案者は後の社長和田恒輔。1966年に進出を提案し製造・リース・材料の一貫体制を整えたと回想

1977年〜 総合化、持株会社化、そして2009年の大赤字

富士電機の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1984年 商号を「富士電機」に変更
  2. 1987年 自販機で国内シェア1位(40%)を確保
  3. 1988年 家電敗北から自動販売機への転換と富士電機冷機の自立 家電で先発大手に敗れた総合電機は、どの市場で稼ぐ体制に組み替えたか
  4. 2003年 純粋持株会社制へ移行し富士電機HDに商号変更
  5. 2008年 水環境事業を分離しメタウォーターを発足
  6. 2008年 受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継
  7. 2009年 最終赤字▲733億円・営業赤字▲188億円に転落

自販機シェア40%と、1984年の商号変更

1984年9月、同社は商号を「富士電機株式会社」に変更した。1987年12月には子会社の富士電機冷機が自販機で国内シェア40%のトップとなり、1988年2月には同社株式を東証二部に上場、翌年9月に一部指定となる。業界紙は「富士電機が家電ブームに乗り遅れたことで、昭和40年代後半から停滞期を迎えたわけだが、その瀬戸際で、1969年に自販機を始め、家電部門は生き返ったのである」(日経ビジネス 1985/01/07)と評し、家電敗北を自販機で補った構図を指摘した。1994年から1996年にかけて中国・フィリピン・マレーシアに現地生産会社を設立し、アジア生産網を整えた。1999年4月には社内カンパニー制を導入し、電機システム・機器制御・電子・民生機器の4カンパニーに分ける縦割り運営へ移行する。カンパニー間の連携不足と重複投資という別の課題も抱えた。 [24][25][26][27][28][29]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1984年9月 商号を「富士電機株式会社」に変更
    • [26]1988年2月 富士電機冷機株式を東証二部に上場、翌1989年9月に一部指定
    • [28]1994-1996年に中国・フィリピン・マレーシアに現地生産会社を設立
    • [29]1999年4月 社内カンパニー制を導入(電機システム・機器制御・電子・民生機器の4カンパニー)
  • 日経ビジネス(1988年7月18日)
    • [25]1987年12月 子会社の富士電機冷機が自販機で国内シェア40%のトップ
  • 日経ビジネス(1985年1月7日)
    • [27]家電ブームに乗り遅れ昭和40年代後半から停滞、1969年の自販機で家電部門が生き返ったとの業界評

2002年4月には三洋電機自販機を買収(吹上富士自販機と改称)し、自販機事業の規模を拡大した。同年10月には変電機器事業を日本AEパワーシステムズに移管し、2004年には富士物流株式の一部を豊田自動織機に譲渡して連結子会社から外す。業界誌は「翻って『総合』に固執した3社は、その良さを発揮できた時代もあったが、年々、看板が色あせている」(日経ビジネス 1997/10/27)と総合電機モデルそのものの限界を指摘しており、同社も名ばかりの総合路線から事業の絞り込みへ方針を変える流れにあった。選択と集中の動きは2000年代を通じて続き、個別事業で単独首位を狙える領域を残し、規模だけで勝負する領域は他社との合弁・譲渡で外に出すという仕分けで行った。合弁出自の富士電機にとっては、他社との共同運営は相性の良い手段でもあった。 [30][31][32][33]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]2002年4月 三洋電機自販機の全株式を取得(吹上富士自販機に改称)
    • [31]2002年10月 変電機器事業を日本AEパワーシステムズに移管
    • [32]2004年 富士物流株式の一部を豊田自動織機に譲渡し連結子会社から外す
  • 日経ビジネス(1997年10月27日)
    • [33]『総合』に固執した3社の看板が色あせているとの総合電機モデル限界の業界評
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1984年9月 商号を「富士電機株式会社」に変更
    • [26]1988年2月 富士電機冷機株式を東証二部に上場、翌1989年9月に一部指定
    • [28]1994-1996年に中国・フィリピン・マレーシアに現地生産会社を設立
    • [29]1999年4月 社内カンパニー制を導入(電機システム・機器制御・電子・民生機器の4カンパニー)
    • [30]2002年4月 三洋電機自販機の全株式を取得(吹上富士自販機に改称)
    • [31]2002年10月 変電機器事業を日本AEパワーシステムズに移管
    • [32]2004年 富士物流株式の一部を豊田自動織機に譲渡し連結子会社から外す
  • 日経ビジネス(1988年7月18日)
    • [25]1987年12月 子会社の富士電機冷機が自販機で国内シェア40%のトップ
  • 日経ビジネス(1985年1月7日)
    • [27]家電ブームに乗り遅れ昭和40年代後半から停滞、1969年の自販機で家電部門が生き返ったとの業界評
  • 日経ビジネス(1997年10月27日)
    • [33]『総合』に固執した3社の看板が色あせているとの総合電機モデル限界の業界評

2003年、富士電機ホールディングスへの純粋持株会社化

2003年10月、同社は電機システム事業・機器制御事業・電子事業・情報関連システム等の開発部門を会社分割により分社化し、商号を富士電機ホールディングス株式会社に変更して純粋持株会社へ移行した。承継先は富士電機システムズ(電機システム事業)・富士電機機器制御(機器制御事業)・富士電機デバイステクノロジー(電子事業)・富士電機アドバンストテクノロジー(開発部門)となり、総合電機の事業会社化が進んだ。2008年4月には富士電機水環境システムズが日本碍子子会社と合併してメタウォーターが発足、同年10月には富士電機機器制御の受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継する。事業単位で外部資本との統合を進めつつ、グループ本体を身軽にする組み換えだった。 [34][35][36][37]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2003年10月 会社分割で電機システム・機器制御・電子・情報関連システム等を分社化し、商号を富士電機ホールディングス株式会社に変更して純粋持株会社へ移行
    • [35]承継先は富士電機システムズ・富士電機機器制御・富士電機デバイステクノロジー・富士電機アドバンストテクノロジー
    • [36]2008年4月 富士電機水環境システムズが日本碍子子会社(NGK水環境システムズ)と合併しメタウォーターが発足
    • [37]2008年10月 富士電機機器制御の受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継

2008年3月期の連結売上高は9,221億円・営業利益358億円と堅調だったが、2009年3月期はリーマン・ショックで状況が一変する。同社は売上高7,666億円・営業赤字188億円・純損失733億円を計上し、事業構造改革費用184億円(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円)を特別損失に計上した。電子デバイス部門のHDD向けモータ販売低迷が中心要因で、1931年の人員削減以来の会社史上屈指の構造改革となる。多角化した事業ポートフォリオが一斉に需要消失に晒された影響は、持株会社化で行った事業別分社化が、景気変動下では個別の損益を前に可視化する形となり、赤字事業への対応が次の経営体制に残された最初の課題となった。 [38][39][40]

  • 富士電機 有価証券報告書 第133期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [38]2008年3月期 連結売上高9,221億円・営業利益358億円
  • 富士電機 有価証券報告書 第134期(2009年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [39]2009年3月期 売上高7,666億円・営業赤字188億円・純損失733億円、事業構造改革費用184億円(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円)を特損計上
    • [40]中心要因は電子デバイス部門のHDD向けモータ販売低迷で、1931年の人員削減以来の大規模構造改革
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2003年10月 会社分割で電機システム・機器制御・電子・情報関連システム等を分社化し、商号を富士電機ホールディングス株式会社に変更して純粋持株会社へ移行
    • [35]承継先は富士電機システムズ・富士電機機器制御・富士電機デバイステクノロジー・富士電機アドバンストテクノロジー
    • [36]2008年4月 富士電機水環境システムズが日本碍子子会社(NGK水環境システムズ)と合併しメタウォーターが発足
    • [37]2008年10月 富士電機機器制御の受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継
  • 富士電機 有価証券報告書 第133期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [38]2008年3月期 連結売上高9,221億円・営業利益358億円
  • 富士電機 有価証券報告書 第134期(2009年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [39]2009年3月期 売上高7,666億円・営業赤字188億円・純損失733億円、事業構造改革費用184億円(人員対策82億円・固定資産46億円・棚卸資産45億円)を特損計上
    • [40]中心要因は電子デバイス部門のHDD向けモータ販売低迷で、1931年の人員削減以来の大規模構造改革

2010年〜 北澤通宏社長在任中の「パワー半導体集中」という経営選択

富士電機の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 パワー半導体とパワーエレクトロニクスへの投資集中 総合電機の幅を残したまま、投資をどこへ寄せたか
  2. 2010年 北澤通宏氏が取締役社長に就任
  3. 2012年 純粋持株会社への移行と、9年後の事業会社への再統合 事業ごとに分けた体制は、なぜ9年で畳まれたか
  4. 2013年 松本工場でパワー半導体の増産投資
  5. 2014年 メタウォーター株式を東京証券取引所一部に上場
  6. 2016年 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設
  7. 2022年 近藤史郎氏が社長に就任

2010年SiCモジュール開発と2012年の事業統合

2010年4月、リーマン後の赤字決算を受けて北澤通宏氏が取締役社長に就任した(前任は伊藤晴夫氏)。2010年、同社はパワー半導体SiCモジュールを開発し、電力損失改善技術の商品化に着手する。SiC(炭化ケイ素)は従来のシリコン半導体より高温・高電圧で動作でき、EV用インバータや再エネ向けに用途が広がっていた時期で、富士電機はインフィニオン・三菱電機といった競合に対して、パワー半導体とパワエレ制御の組み合わせに賭ける方向を選ぶ。総合電機として広く張るのではなく、自社が強い制御技術と組み合わせて差別化できる領域にデバイス側の投資を集中させる発想で、リーマン後の赤字決算が戦略の絞り込みを後押しした。 [41][42]

  • 富士電機 有価証券報告書 第134期【表紙】【役員の状況】
    • [41]2010年4月 北澤通宏が取締役社長に就任(前任は伊藤晴夫)
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [42]2010年 パワー半導体SiCモジュールを開発し電力損失改善技術の商品化に着手

2012年4月、同社は持株会社体制を解消する。富士電機システムズを吸収合併して商号を「富士電機株式会社」に戻し、富士電機デバイステクノロジー・富士電機リテイルシステムズを富士電機に吸収合併し、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も承継した。2003年に純粋持株会社化したのとは逆方向で、事業別の分社化から事業一体運営への再統合という判断だった。2013年には松本工場でパワー半導体の増産投資、2016年には鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設する。デバイスからシステムまでの垂直統合で顧客に一貫提案するモデルに切り替え、リーマン後の構造改革と並行してパワー半導体への経営資源の傾斜配分が進んだ。 [43][44]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]2012年4月 持株会社体制を解消し富士電機システムズを吸収合併、商号を「富士電機株式会社」に戻す(デバイステクノロジー・リテイルシステムズも吸収、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も承継)
    • [44]2013年 松本工場でパワー半導体の増産投資、2016年 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設
  • 富士電機 有価証券報告書 第134期【表紙】【役員の状況】
    • [41]2010年4月 北澤通宏が取締役社長に就任(前任は伊藤晴夫)
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [42]2010年 パワー半導体SiCモジュールを開発し電力損失改善技術の商品化に着手
    • [43]2012年4月 持株会社体制を解消し富士電機システムズを吸収合併、商号を「富士電機株式会社」に戻す(デバイステクノロジー・リテイルシステムズも吸収、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も承継)
    • [44]2013年 松本工場でパワー半導体の増産投資、2016年 鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設

過去最高益とEV向けパワー半導体の牽引

リーマン後の2010年3月期営業利益9億円からの回復は緩やかに進み、2014年3月期に営業利益331億円、2018年3月期に559億円まで拡大した。コロナ禍後の2022年3月期には売上高9,102億円・営業利益748億円、2023年3月期に売上高1兆94億円・営業利益888億円で初めて売上1兆円を突破する。2024年3月期は売上高1兆1,032億円・営業利益1,060億円・純利益753億円と過去最高を記録し、EV向けパワー半導体が牽引役となった。2009年の大赤字から15年で収益力を回復させた背景にあるのは、パワー半導体への集中投資と同時に行った事業ポートフォリオの絞り込みで、総合電機的な幅広さを残しながらも稼ぎ頭を絞り込む構造へ切り替わった。 [45]

  • 富士電機 有価証券報告書 第143期(2018年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [45]2010年3月期営業利益9億円・2014年3月期331億円・2018年3月期559億円

2022年4月、北澤氏は会長CEOに退き、近藤史郎氏が社長に就任する。同年11月、富士電機とデンソーはパワー半導体の共同投資を決定した。2社合計投資額は2,116億円で、このうち705億円については経済産業省が補助を決定する。富士電機は松本工場でのエピウエハーおよびパワー素子の増産に投資する方針を表明した。2025年3月期は売上高1兆1,234億円・営業利益1,176億円・純利益922億円とさらに最高益を更新し、パワー半導体が富士電機の成長エンジンとなった。シーメンスとの合弁から始まった富士電機が、101年を経てデンソーとの共同投資に踏み切った構図は、合弁・他社協業という創業期の遺伝子と特定分野への集中投資が結び付いた形と言える。 [46][47][48][49]

  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [46]2022年4月 北澤氏が会長CEOに退き近藤史郎氏が社長COOに就任
    • [47]2022年4月 北澤通宏が会長CEOに退いた(前任は2021年6月時点で代表取締役社長)
  • 日経XTECH(2024年12月2日)
    • [48]2024年11月 富士電機とデンソーがパワー半導体共同投資を決定。2社合計投資額2,116億円、うち705億円を経済産業省が補助
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [49]シーメンスとの合弁から101年を経てデンソーとの共同投資に踏み切ったという系譜の記述
  • 富士電機 有価証券報告書 第143期(2018年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [45]2010年3月期営業利益9億円・2014年3月期331億円・2018年3月期559億円
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [46]2022年4月 北澤氏が会長CEOに退き近藤史郎氏が社長COOに就任
    • [47]2022年4月 北澤通宏が会長CEOに退いた(前任は2021年6月時点で代表取締役社長)
  • 日経XTECH(2024年12月2日)
    • [48]2024年11月 富士電機とデンソーがパワー半導体共同投資を決定。2社合計投資額2,116億円、うち705億円を経済産業省が補助
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [49]シーメンスとの合弁から101年を経てデンソーとの共同投資に踏み切ったという系譜の記述

富士電機の沿革1923〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
富士電機製造を設立
川崎工場を新設し重電機の製造を開始
家庭電器部門に参入
全従業員の16%にあたる205名の削減と、名取和作社長の退任9期のうち7期が赤字の合弁会社は、何を削って収支を合わせたか 詳細を読む★★★
通信機部門に参入
通信機部門の分離独立と富士通信機製造の設立伸び始めた弱電を本体に抱えるか、別の資本を立てて外に出すか——資金の窮屈な合弁会社の分岐 詳細を読む★★★
松本工場を新設
吹上工場を新設
三重工場を新設
和田恒輔東京証券取引所に株式を上場
和田恒輔半導体部門に参入★★
金成増彦中央研究所を新設
前田七之進川崎電機製造を吸収合併
前田七之進自動販売機の製造を開始★★
前田七之進米国富士電機社を設立
前田七之進大田原工場を新設
宍戸福重経営不振の家電部門を3社に再編★★
阿部栄夫商号を「富士電機」に変更
中尾武自販機で国内シェア1位(40%)を確保
中尾武家電敗北から自動販売機への転換と富士電機冷機の自立家電で先発大手に敗れた総合電機は、どの市場で稼ぐ体制に組み替えたか 詳細を読む★★★
沢邦彦社内カンパニー制を導入
沢邦彦純粋持株会社制へ移行し富士電機HDに商号変更★★
伊藤晴夫水環境事業を分離しメタウォーターを発足★★
伊藤晴夫受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックに承継★★
伊藤晴夫最終赤字▲733億円・営業赤字▲188億円に転落★★
北澤通宏パワー半導体とパワーエレクトロニクスへの投資集中総合電機の幅を残したまま、投資をどこへ寄せたか 詳細を読む★★★
北澤通宏北澤通宏氏が取締役社長に就任
北澤通宏純粋持株会社への移行と、9年後の事業会社への再統合事業ごとに分けた体制は、なぜ9年で畳まれたか 詳細を読む★★★
北澤通宏松本工場でパワー半導体の増産投資
北澤通宏メタウォーター株式を東京証券取引所一部に上場
北澤通宏鈴鹿工場でパワエレテクニカルセンターを新設
近藤史郎近藤史郎氏が社長に就任
近藤史郎デンソーとパワー半導体の協業投資を決定
近藤史郎富士古河E&Cを株式交換で完全子会社化
近藤史郎2024年度営業利益1,176億円・純利益922億円で過去最高を更新
出典・参考
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 新日本経済(1952年6月)
  • 日経産業新聞(1987年12月23日)
  • 日経ビジネス(1988年7月18日)
  • 日経ビジネス(1985年1月7日)
  • 日経ビジネス(1997年10月27日)
  • 富士電機 有価証券報告書 第133期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 富士電機 有価証券報告書 第134期(2009年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 富士電機 有価証券報告書 第134期【表紙】【役員の状況】
  • 富士電機 有価証券報告書 第143期(2018年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 富士電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【役員の状況】
  • 日経XTECH(2024年12月2日)

免責事項およびポリシー