沿革年表 1917〜2026年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
野田醤油株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
野田醤油の設立は、200を超える商標と16の醸造蔵を持つ一族八家が、家業単位の最適化を放棄して統合を選んだ判断に特徴がある。水運優位の低下と全国市場の拡大という環境変化に対し、分散生産のまま対応するのではなく、統合による規模確保とブランド集約を選択した。短期の確実性よりも投下資本を通じた将来のシェア獲得を優先した意思決定が、その後の成長余地を規定した。
1917
1-12月
組織再編
万上味醂を吸収合併
みりん大手の万上味醂株式会社(現流山キッコーマン)を吸収合併した。野田醤油設立から約7年での合併で、醤油主軸の中にみりんという調味料隣接事業を取り込み、製品ポートフォリオの広がりを得た。
1925
1-12月
野田争議・解雇で収束
歴史的意義yutaka sugiura
野田争議は、量産化と工程標準化を進める近代化投資が、旧来の職人的労働慣行との摩擦を生んだ事例である。全員解雇という強硬対応は事業継続を最優先した判断であり、結果として近代的工場運営への移行を加速させた。一方で、企業城下町における雇用と地域経済の関係は、強硬策だけでは解決しない構造的課題であり、近代化の推進と地域社会の安定をどう両立するかという論点を提起した。
1928
1-12月
重要事項
関西工場を新設
歴史的意義yutaka sugiura
関西工場の新設は、生産効率の最大化ではなく市場対応力の強化を優先した立地判断であった。需要地に近い場所で生産することで輸送コストを抑制し、供給の即応性を確保する考え方は、後の北米現地生産にも通じる供給戦略の原型である。野田で確立した工程管理を異なる立地に移植できた点は、醤油製造の標準化が拠点展開の前提条件であったことを示している。
1930
1-12月
重要事項
醤油国内シェア1位
歴史的意義yutaka sugiura
1920年代から1930年代の醤油産業は、近代化に適応できない中小醸造家が急速に淘汰される局面にあった。野田醤油はこの環境を利用し、量産設備とブランド統一への集中投資を継続することで、競合との差を拡大した。業界が縮小均衡へ向かう中で積極投資を選んだ判断は、結果としてシェア首位を固定化し、後発企業が覆しにくい競争構造を形成した。
1934
1-12月
東京証券取引所に株式上場
1949
1-12月
FY51
1951/12
売上高
65.7億円
当期純利益
4.1億円
FY52
1952/12
売上高
81.9億円
当期純利益
4.5億円
FY53
1953/12
売上高
90.8億円
当期純利益
4.6億円
FY54
1954/12
売上高
103億円
当期純利益
4.9億円
FY55
1955/12
売上高
107億円
当期純利益
6億円
FY56
1956/12
売上高
117億円
当期純利益
7.2億円
重要事項業務提携
KIKKOMAN INTERNATIONAL, INC. を設立(米国)
歴史的意義yutaka sugiura
売上14万ドルに対して広告費11万ドルという投資判断は、短期的な収益性を度外視した市場開拓の姿勢を示している。この判断を可能にしたのは、国内醤油事業の安定収益と、合弁パートナーによる販路確保という二つの条件であった。醤油を日本料理ではなく肉料理の調味料として訴求した点は、現地の食文化に合わせた需要創出の原型であり、後の北米事業の成長を支える基盤となった。
FY57
1957/12
売上高
131億円
当期純利益
6.9億円
FY58
1958/12
売上高
139億円
当期純利益
7.3億円
FY59
1959/12
売上高
145億円
当期純利益
7.8億円
醤油国内シェアを拡大
醤油製造において技術革新(NK式)により原材料ロスを抑制。これにより生産効率を高め、醤油の価格引き下げを実施。同時並行で整備した全国の営業網が後押しとなり、国内における醤油の生産量シェアを拡大した。
FY60
1960/12
売上高
155億円
当期純利益
8.2億円
吉幸食品工業株式会社を設立(トマト加工品)
トマト加工品(トマトジュース・トマトケチャップ)に参入するために、長野県に吉幸食品工業を設立。その後、1963年にキッコーマンと米デルモンテと合弁方式に資本形態を変更し、実質的にデルモンテの日本法人として運営された。トマト加工品では国内の先発企業であるカゴメと競争する形となった
FY61
1961/12
売上高
169億円
当期純利益
8億円
株式上場
大阪証券取引所に株式を上場
東京証券取引所に続き、大阪証券取引所にも株式を上場した。資本市場での認知度向上と関西圏での投資家層拡大を狙った上場であったと推察される。
重要事項
利根コカ・コーラボトリング株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
コカ・コーラのボトリング事業への参入は、自社ブランドの創出ではなく確立されたブランドの活用を選んだ判断であった。製造・物流・地域販売という既存能力を転用しつつ製品開発リスクを負わない形での多角化は、醤油メーカーにとってリスクを抑えた事業拡張であった。一方で下請け的な事業構造はキッコーマン自身の競争力を蓄積しにくく、後年の株式譲渡に至る遠因ともなった。
FY62
1962/12
売上高
185億円
当期純利益
8.9億円
マンズワイン株式会社を設立
山梨県勝沼にワイナリー(ぶどう畑)を新設して国産ワイン製造に参入。1964年から「マンズワイン」の販売を開始するも、ワインの市場が小さく苦戦へ
FY63
1963/12
売上高
209億円
当期純利益
9.9億円
キッコーマン醤油株式会社に商号変更
FY64
1964/12
売上高
237億円
当期純利益
6.1億円
FY65
1965/12
売上高
259億円
当期純利益
7.1億円
FY66
1966/12
売上高
292億円
当期純利益
8億円
FY67
1967/12
売上高
333億円
当期純利益
9.3億円
FY68
1968/12
売上高
359億円
当期純利益
10.8億円
業務提携
JFC(米国)に経営参加
米国の日本食品卸「JAPAN FOOD CORPORATION」(後のJFC INTERNATIONAL)に経営参加した。1957年設立の販売現法に続く流通網の確保で、北米における日本食材市場の拡大に呼応した動きであった。
FY69
1969/12
売上高
395億円
当期純利益
11.8億円
FY70
1970/12
売上高
458億円
当期純利益
13.4億円
FY71
1971/12
売上高
520億円
当期純利益
16.5億円
重要事項海外進出
醤油の北米現地生産
歴史的意義yutaka sugiura
北米現地生産は、当時の財務規模からすれば純利益2~3年分に相当する集中投資であり、役員会の慎重論を創業家の茂木家が押し切る形で決議された。品質再現への不安と収益回収の不確実性が存在する中で判断を継続できたのは、創業家の意思決定構造があったからである。結果として発酵食品の海外量産という経験が参入障壁となり、後発企業が容易に模倣できない競争条件を形成した。
FY72
1972/12
売上高
567億円
当期純利益
16.7億円
FY73
1973/12
売上高
749億円
当期純利益
16.9億円
FY74
1974/12
売上高
943億円
当期純利益
17.8億円
FY75
1975/12
売上高
942億円
当期純利益
13.3億円
FY76
1976/12
売上高
1,037億円
当期純利益
14.2億円
FY77
1977/12
売上高
1,133億円
当期純利益
15.2億円
FY78
1978/12
売上高
1,170億円
当期純利益
31.2億円
FY79
1979/12
売上高
1,228億円
当期純利益
30億円
キッコーマン株式会社に商号変更
FY80
1980/12
売上高
1,238億円
当期純利益
21.2億円
FY81
1981/12
売上高
1,288億円
当期純利益
16億円
FY82
1982/12
売上高
1,311億円
当期純利益
29.2億円
海外進出
シンガポールにKIKKOMAN(S)を設立
シンガポールに販売会社「KIKKOMAN (S) PTE. LTD.」を設立した。北米偏重だった海外戦略をアジアに広げる起点となり、東南アジア華人圏への醤油普及活動を本格化させた。
FY83
1983/12
売上高
1,349億円
当期純利益
35.3億円
FY84
1984/12
売上高
1,365億円
当期純利益
37億円
マンズワインで異物混入事件が発生
FY85
1985/12
千歳工場を新設
FY86
1986/12
デルモンテ商標の使用権を取得
歴史的意義yutaka sugiura
デルモンテ商標権の取得は、ロイヤリティ解消とアジア展開の加速を同時に狙った投資判断であった。会計上は特別損失を計上せず償却が完了したが、アジア地域での売上拡大は想定を下回り、事業としての収益貢献は限定的にとどまった。会計上の健全性と事業上の成果が乖離する構造は、商標権投資の評価において損益だけでなく機会費用を含めた検証が必要であることを示している。
FY90
1990/12
海外進出
台湾に統萬股份有限公司を設立
現地資本との合弁形態で台湾に「統萬股份有限公司」を設立した。台湾は中華圏で最初の現地法人で、同社のアジア醤油普及戦略における要となる拠点となった。
FY92
1992/12
売上高
2,117億円
当期純利益
49億円
FY93
1993/12
売上高
2,035億円
当期純利益
47億円
牛久崇司
FY94
1994/12
売上高
2,010億円
当期純利益
66億円
重要事項経営体制
牛久崇司
茂木友三郎氏が社長就任、米国流トップダウン体制へ転換
経営判断をよむ →
FY95
1995/12
売上高
2,033億円
当期純利益
44億円
重要事項組織再編
牛久崇司
「守り」から「攻め」へ方針転換、プロダクト・マネジャー制を導入
経営判断をよむ →
FY96
1996/12
売上高
2,060億円
当期純利益
72.8億円
設備投資
オランダにKIKKOMAN FOODS EUROPEを設立
オランダに製造会社「KIKKOMAN FOODS EUROPE B.V.」を設立した。1972年の北米現地生産に続く欧州初の自社工場で、米国型のローカル製造・ローカル販売モデルを欧州市場にも展開する構造変化となった。
牛久崇司
FY97
1997/12
売上高
2,143億円
当期純利益
57.1億円
牛久崇司
カリフォルニア工場を新設
FY98
1998/12
売上高
2,294億円
当期純利益
52.1億円
牛久崇司
FY99
1999/12
売上高
2,217億円
当期純利益
52.8億円
海外進出
牛久崇司
中国・昆山に統万微生物科技を設立
台湾統萬グループとの合弁で、中国・江蘇省昆山に「昆山統万微生物科技有限公司」を設立した。台湾資本を介した中国大陸進出の形で、現地生産による中国市場の開拓を開始した。
FY00
2000/12
売上高
3,267億円
当期純利益
61.5億円
牛久崇司
決算期変更により赤字転落
FY01
2001/12
売上高
299億円
当期純利益
-4億円
牛久崇司
FY02
2002/12
売上高
3,368億円
当期純利益
53億円
牛久崇司
FY03
2003/12
売上高
3,425億円
当期純利益
83億円
牛久崇司
ヒゲタ醤油株式会社に資本参加
国内醤油市場の低迷を受けて、キッコーマンはヒゲタ醤油(千葉県銚子市)への資本参加を決定。キッコーマンは19.5%の株式を保有。1966年からキッコーマンはヒゲタ醤油と販売委託契約を締結していたが、資本関係を深める方向にシフト。出資を受けたヒゲタは収益性改善のために不採算事業(海外・パッキング)から撤退するなど、事業整理を実施した。
FY04
2004/12
売上高
3,346億円
当期純利益
92億円
牛久崇司
FY05
2005/12
売上高
3,446億円
当期純利益
94億円
事業売却
牛久崇司
焼酎事業をサッポロビールに譲渡
歴史的意義yutaka sugiura
焼酎事業への参入は1990年代の需要拡大を前提とした判断であったが、ブームの終息とともに需要は収縮した。九州系焼酎メーカーが築いた産地性やブランドの蓄積は、設備投資の規模では代替できない競争優位であった。120億円の投資と15億円の特別損失は、成長市場の見極めと参入障壁の評価が投資判断において不可分であることを示している。
FY06
2006/12
売上高
3,599億円
当期純利益
101億円
染谷光男
FY07
2007/12
売上高
3,926億円
当期純利益
107億円
染谷光男
理研ビタミンと業務資本提携を締結
FY08
2008/12
売上高
4,139億円
当期純利益
114億円
紀文フードケミファを買収
キッコーマンは健康飲料(豆乳など)の強化を決定。子会社であった紀文フードケミファ(上場企業)の株式の完全取得を決定。取得原価は154億円で、のれんとして79億円を計上した。買収の狙いは、飲料(投入など)の拡大で、従来の中心だったボトリング(コカ・コーラの下請け)ではなく製品開発に注力する方向性を打ち出す
染谷光男
利根コカ・コーラボトリングの株式を一部譲渡
コカコーラ向けボトリング事業の子会社「利根コカコーラボトリング」について、131億円で株式譲渡。保有比率は50%以下(売上高の連結対象外)となり、全社売上高は大幅減収となった
FY09
2009/12
売上高
4,126億円
当期純利益
27億円
持株会社制に移行
染谷光男
FY10
2010/12
売上高
2,856億円
当期純利益
86億円
染谷光男
FY11
2011/12
売上高
2,834億円
当期純利益
77億円
堀切功章
FY12
2012/12
売上高
2,832億円
親会社株主に帰属する当期純利益
89億円
堀切功章
FY13
2013/12
売上高
3,002億円
親会社株主に帰属する当期純利益
110億円
堀切功章
FY14
2014/12
売上高
3,431億円
親会社株主に帰属する当期純利益
125億円
堀切功章
FY15
2015/12
売上高
3,713億円
親会社株主に帰属する当期純利益
153億円
堀切功章
FY16
2016/12
売上高
4,083億円
親会社株主に帰属する当期純利益
199億円
堀切功章
創立100周年
1917年12月の野田醤油株式会社設立から100周年を迎えた。一族8家の合同を起点に、国内シェア1位確立、米国現地生産、グローバル醤油普及を経て世紀をまたいだ節目となった。
FY17
2017/12
売上高
4,021億円
親会社株主に帰属する当期純利益
238億円
堀切功章
グローバルビジョン2030を策定
歴史的意義yutaka sugiura
グローバルビジョン2030は、数十年にわたる海外での醤油普及活動の蓄積を前提として策定された。短期的な販売拡大ではなく現地の食文化への浸透を重視してきた活動が、コロナ禍における家庭内調理の増加を契機に需要として顔在化した。計画的に市場を創出したというよりも、地道な活動の蓄積と外部環境の変化が重なった結果であり、需要基盤の形成には長い時間軸が必要であることを示す事例である。
FY18
2018/12
売上高
4,306億円
親会社株主に帰属する当期純利益
238億円
堀切功章
FY19
2019/12
売上高
4,535億円
親会社株主に帰属する当期純利益
259億円
中野祥三郎
FY20
2020/12
売上高
4,686億円
親会社株主に帰属する当期純利益
265億円
中野祥三郎
FY21
2021/12
売上高
4,681億円
親会社株主に帰属する当期純利益
288億円
組織再編
中野祥三郎
プライム市場へ移行・国内食品/飲料事業を統合
東京証券取引所の市場区分の見直しによりプライム市場へ移行した。同時にキッコーマン食品がキッコーマン飲料を吸収合併し、国内食品事業を一本化した。
FY22
2022/12
売上高
5,164億円
親会社株主に帰属する当期純利益
389億円
中野祥三郎
海外子会社2社を売却
CL社とARG社を売却。日本・アジアの食品を取り扱う卸売の拡大で増収増益へ
FY23
2023/12
売上高
6,188億円
親会社株主に帰属する当期純利益
437億円
業務提携
中野祥三郎
理研ビタミンとの資本・業務提携を解消
2008年6月から続けてきた理研ビタミンとの資本・業務提携を解消した。家庭用ドレッシング等の協業領域で当初想定していた相乗効果が得にくい状況となり、関係を整理する判断であったと推察される。
FY24
2024/12
売上高
6,608億円
親会社株主に帰属する当期純利益
564億円
中野祥三郎
FY25
2025/12
売上高
7,089億円
親会社株主に帰属する当期純利益
616億円
FY26
2026/12
売上高
7,455億円
親会社株主に帰属する当期純利益
616億円
  1. 野田醤油株式会社を設立
    野田醤油の設立は、200を超える商標と16の醸造蔵を持つ一族八家が、家業単位の最適化を放棄して統合を選んだ判断に特徴がある。水運優位の低下と全国市場の拡大という環境変化に対し、分散生産のまま対応するのではなく、統合による規模確保とブランド集約を選択した。短期の確実性よりも投下資本を通じた将来のシェア獲得を優先した意思決定が、その後の成長余地を規定した。
  2. 組織再編
    万上味醂を吸収合併

    みりん大手の万上味醂株式会社(現流山キッコーマン)を吸収合併した。野田醤油設立から約7年での合併で、醤油主軸の中にみりんという調味料隣接事業を取り込み、製品ポートフォリオの広がりを得た。

  3. 野田争議・解雇で収束
    野田争議は、量産化と工程標準化を進める近代化投資が、旧来の職人的労働慣行との摩擦を生んだ事例である。全員解雇という強硬対応は事業継続を最優先した判断であり、結果として近代的工場運営への移行を加速させた。一方で、企業城下町における雇用と地域経済の関係は、強硬策だけでは解決しない構造的課題であり、近代化の推進と地域社会の安定をどう両立するかという論点を提起した。
  4. 関西工場を新設
    関西工場の新設は、生産効率の最大化ではなく市場対応力の強化を優先した立地判断であった。需要地に近い場所で生産することで輸送コストを抑制し、供給の即応性を確保する考え方は、後の北米現地生産にも通じる供給戦略の原型である。野田で確立した工程管理を異なる立地に移植できた点は、醤油製造の標準化が拠点展開の前提条件であったことを示している。
  5. 醤油国内シェア1位
    1920年代から1930年代の醤油産業は、近代化に適応できない中小醸造家が急速に淘汰される局面にあった。野田醤油はこの環境を利用し、量産設備とブランド統一への集中投資を継続することで、競合との差を拡大した。業界が縮小均衡へ向かう中で積極投資を選んだ判断は、結果としてシェア首位を固定化し、後発企業が覆しにくい競争構造を形成した。
  6. 東京証券取引所に株式上場
  7. 業務提携
    KIKKOMAN INTERNATIONAL, INC. を設立(米国)
    売上14万ドルに対して広告費11万ドルという投資判断は、短期的な収益性を度外視した市場開拓の姿勢を示している。この判断を可能にしたのは、国内醤油事業の安定収益と、合弁パートナーによる販路確保という二つの条件であった。醤油を日本料理ではなく肉料理の調味料として訴求した点は、現地の食文化に合わせた需要創出の原型であり、後の北米事業の成長を支える基盤となった。
  8. 醤油国内シェアを拡大

    醤油製造において技術革新(NK式)により原材料ロスを抑制。これにより生産効率を高め、醤油の価格引き下げを実施。同時並行で整備した全国の営業網が後押しとなり、国内における醤油の生産量シェアを拡大した。

  9. 吉幸食品工業株式会社を設立(トマト加工品)

    トマト加工品(トマトジュース・トマトケチャップ)に参入するために、長野県に吉幸食品工業を設立。その後、1963年にキッコーマンと米デルモンテと合弁方式に資本形態を変更し、実質的にデルモンテの日本法人として運営された。トマト加工品では国内の先発企業であるカゴメと競争する形となった

  10. 株式上場
    大阪証券取引所に株式を上場

    東京証券取引所に続き、大阪証券取引所にも株式を上場した。資本市場での認知度向上と関西圏での投資家層拡大を狙った上場であったと推察される。

  11. 利根コカ・コーラボトリング株式会社を設立
    コカ・コーラのボトリング事業への参入は、自社ブランドの創出ではなく確立されたブランドの活用を選んだ判断であった。製造・物流・地域販売という既存能力を転用しつつ製品開発リスクを負わない形での多角化は、醤油メーカーにとってリスクを抑えた事業拡張であった。一方で下請け的な事業構造はキッコーマン自身の競争力を蓄積しにくく、後年の株式譲渡に至る遠因ともなった。
  12. マンズワイン株式会社を設立

    山梨県勝沼にワイナリー(ぶどう畑)を新設して国産ワイン製造に参入。1964年から「マンズワイン」の販売を開始するも、ワインの市場が小さく苦戦へ

  13. キッコーマン醤油株式会社に商号変更
  14. 業務提携
    JFC(米国)に経営参加

    米国の日本食品卸「JAPAN FOOD CORPORATION」(後のJFC INTERNATIONAL)に経営参加した。1957年設立の販売現法に続く流通網の確保で、北米における日本食材市場の拡大に呼応した動きであった。

  15. 海外進出
    醤油の北米現地生産
    北米現地生産は、当時の財務規模からすれば純利益2~3年分に相当する集中投資であり、役員会の慎重論を創業家の茂木家が押し切る形で決議された。品質再現への不安と収益回収の不確実性が存在する中で判断を継続できたのは、創業家の意思決定構造があったからである。結果として発酵食品の海外量産という経験が参入障壁となり、後発企業が容易に模倣できない競争条件を形成した。
  16. キッコーマン株式会社に商号変更
  17. 海外進出
    シンガポールにKIKKOMAN(S)を設立

    シンガポールに販売会社「KIKKOMAN (S) PTE. LTD.」を設立した。北米偏重だった海外戦略をアジアに広げる起点となり、東南アジア華人圏への醤油普及活動を本格化させた。

  18. マンズワインで異物混入事件が発生
  19. 千歳工場を新設
  20. デルモンテ商標の使用権を取得
    デルモンテ商標権の取得は、ロイヤリティ解消とアジア展開の加速を同時に狙った投資判断であった。会計上は特別損失を計上せず償却が完了したが、アジア地域での売上拡大は想定を下回り、事業としての収益貢献は限定的にとどまった。会計上の健全性と事業上の成果が乖離する構造は、商標権投資の評価において損益だけでなく機会費用を含めた検証が必要であることを示している。
  21. 海外進出
    台湾に統萬股份有限公司を設立

    現地資本との合弁形態で台湾に「統萬股份有限公司」を設立した。台湾は中華圏で最初の現地法人で、同社のアジア醤油普及戦略における要となる拠点となった。

  22. 設備投資
    オランダにKIKKOMAN FOODS EUROPEを設立

    オランダに製造会社「KIKKOMAN FOODS EUROPE B.V.」を設立した。1972年の北米現地生産に続く欧州初の自社工場で、米国型のローカル製造・ローカル販売モデルを欧州市場にも展開する構造変化となった。

  23. カリフォルニア工場を新設
  24. 海外進出
    中国・昆山に統万微生物科技を設立

    台湾統萬グループとの合弁で、中国・江蘇省昆山に「昆山統万微生物科技有限公司」を設立した。台湾資本を介した中国大陸進出の形で、現地生産による中国市場の開拓を開始した。

  25. 決算期変更により赤字転落
  26. ヒゲタ醤油株式会社に資本参加

    国内醤油市場の低迷を受けて、キッコーマンはヒゲタ醤油(千葉県銚子市)への資本参加を決定。キッコーマンは19.5%の株式を保有。1966年からキッコーマンはヒゲタ醤油と販売委託契約を締結していたが、資本関係を深める方向にシフト。出資を受けたヒゲタは収益性改善のために不採算事業(海外・パッキング)から撤退するなど、事業整理を実施した。

  27. 事業売却
    焼酎事業をサッポロビールに譲渡
    焼酎事業への参入は1990年代の需要拡大を前提とした判断であったが、ブームの終息とともに需要は収縮した。九州系焼酎メーカーが築いた産地性やブランドの蓄積は、設備投資の規模では代替できない競争優位であった。120億円の投資と15億円の特別損失は、成長市場の見極めと参入障壁の評価が投資判断において不可分であることを示している。
  28. 理研ビタミンと業務資本提携を締結
  29. 紀文フードケミファを買収

    キッコーマンは健康飲料(豆乳など)の強化を決定。子会社であった紀文フードケミファ(上場企業)の株式の完全取得を決定。取得原価は154億円で、のれんとして79億円を計上した。買収の狙いは、飲料(投入など)の拡大で、従来の中心だったボトリング(コカ・コーラの下請け)ではなく製品開発に注力する方向性を打ち出す

  30. 利根コカ・コーラボトリングの株式を一部譲渡

    コカコーラ向けボトリング事業の子会社「利根コカコーラボトリング」について、131億円で株式譲渡。保有比率は50%以下(売上高の連結対象外)となり、全社売上高は大幅減収となった

  31. 持株会社制に移行
  32. 創立100周年

    1917年12月の野田醤油株式会社設立から100周年を迎えた。一族8家の合同を起点に、国内シェア1位確立、米国現地生産、グローバル醤油普及を経て世紀をまたいだ節目となった。

  33. グローバルビジョン2030を策定
    グローバルビジョン2030は、数十年にわたる海外での醤油普及活動の蓄積を前提として策定された。短期的な販売拡大ではなく現地の食文化への浸透を重視してきた活動が、コロナ禍における家庭内調理の増加を契機に需要として顔在化した。計画的に市場を創出したというよりも、地道な活動の蓄積と外部環境の変化が重なった結果であり、需要基盤の形成には長い時間軸が必要であることを示す事例である。
  34. 組織再編
    プライム市場へ移行・国内食品/飲料事業を統合

    東京証券取引所の市場区分の見直しによりプライム市場へ移行した。同時にキッコーマン食品がキッコーマン飲料を吸収合併し、国内食品事業を一本化した。

  35. 海外子会社2社を売却

    CL社とARG社を売却。日本・アジアの食品を取り扱う卸売の拡大で増収増益へ

  36. 業務提携
    理研ビタミンとの資本・業務提携を解消

    2008年6月から続けてきた理研ビタミンとの資本・業務提携を解消した。家庭用ドレッシング等の協業領域で当初想定していた相乗効果が得にくい状況となり、関係を整理する判断であったと推察される。