赤井電機の沿革(1924〜2000年)

赤井電機の創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1924
1-12月
赤井電機製作所を個人創業
赤井舛吉氏がソケットラジオ部品を製造するために東京都港区で創業
1947
1-12月
赤井電機(2代目)を創業
戦時中に赤井電機(初代)は同業他社のとの合併により消滅した。そこで、終戦直後の1947年に赤井三郎氏(実父が赤井舛吉氏)は、赤い電機を復活させて、再び独立起業をはかった。 赤井三郎氏は1947年から1973年に急逝するまで赤井電機の経営に従事。1968年に株式上場を果たすなど、終戦直後は町工場であった赤井電機の業容拡大に貢献した。
1951
1-12月
テープレコーダーに参入。輸出に特化
後発参入から輸出特化型メーカーへの転換過程
1957
1-12月
生産設備に積極投資。輸出に注力
FY65
1965/11
売上高
26.9億円
当期純利益
1.19億円
FY66
1966/11
売上高
52.1億円
当期純利益
6.23億円
FY67
1967/11
売上高
76億円
当期純利益
8.02億円
FY68
1968/11
売上高
107億円
当期純利益
13.8億円
東京証券取引所第2部に株式上場
企業経営の透明性を高めるために株式上場を選択。財務体質は良好で、売上高純利益率12.8%(FY1968)の高収益企業として注目を集めた。
FY69
1969/11
売上高
142億円
当期純利益
20.1億円
FY70
1970/11
売上高
172億円
当期純利益
22.2億円
FY71
1971/11
売上高
187億円
当期純利益
17.2億円
FY72
1972/11
売上高
195億円
当期純利益
17.3億円
FY73
1973/11
売上高
216億円
当期純利益
17.5億円
FY74
1974/11
売上高
247億円
当期純利益
7.11億円
赤井三郎氏が社長在任中に急逝
実質創業者である赤井三郎氏が年末のスキー旅行の際に急逝。後任社長をめぐる後継争いなどが発生し、赤井電機の経営は迷走。1981年に三菱銀行出身の社長が就任して銀行支援を受けに至った。
FY75
1975/11
売上高
290億円
当期純利益
4.75億円
ビデオに参入。円高ドル安で収益性が悪化
輸出特化型の事業モデルが抱えていた構造的な限界
FY76
1976/11
売上高
368億円
当期純利益
11.2億円
FY77
1977/11
売上高
425億円
当期純利益
7.2億円
FY78
1978/11
売上高
475億円
当期純利益
3.56億円
FY79
1979/11
売上高
526億円
当期純利益
2.84億円
FY80
1980/11
売上高
778億円
当期純利益
3.05億円
FY81
1981/11
売上高
905億円
当期純利益
-5.67億円
三菱銀行が経営支援
円高の進行でビデオとオーディオ機器の輸出が不振。資産売却が要に
FY82
1982/11
売上高
908億円
当期純利益
-62.3億円
FY83
1983/11
売上高
807億円
当期純利益
20.4億円
FY84
1984/11
売上高
800億円
当期純利益
4.11億円
FY95
1995/11
セミテックグループが経営支援
三菱電機が再建を断念。香港系企業のセミテック社が支援へ
FY00
2000/11
民事再生法の適用申請(倒産)
  1. 赤井電機製作所を個人創業

    赤井舛吉氏がソケットラジオ部品を製造するために東京都港区で創業

  2. 赤井電機(2代目)を創業

    戦時中に赤井電機(初代)は同業他社のとの合併により消滅した。そこで、終戦直後の1947年に赤井三郎氏(実父が赤井舛吉氏)は、赤い電機を復活させて、再び独立起業をはかった。 赤井三郎氏は1947年から1973年に急逝するまで赤井電機の経営に従事。1968年に株式上場を果たすなど、終戦直後は町工場であった赤井電機の業容拡大に貢献した。

  3. テープレコーダーに参入。輸出に特化
    後発参入から輸出特化型メーカーへの転換過程
  4. 生産設備に積極投資。輸出に注力
  5. 東京証券取引所第2部に株式上場

    企業経営の透明性を高めるために株式上場を選択。財務体質は良好で、売上高純利益率12.8%(FY1968)の高収益企業として注目を集めた。

  6. 赤井三郎氏が社長在任中に急逝

    実質創業者である赤井三郎氏が年末のスキー旅行の際に急逝。後任社長をめぐる後継争いなどが発生し、赤井電機の経営は迷走。1981年に三菱銀行出身の社長が就任して銀行支援を受けに至った。

  7. ビデオに参入。円高ドル安で収益性が悪化
    輸出特化型の事業モデルが抱えていた構造的な限界
  8. 三菱銀行が経営支援

    円高の進行でビデオとオーディオ機器の輸出が不振。資産売却が要に

  9. セミテックグループが経営支援

    三菱電機が再建を断念。香港系企業のセミテック社が支援へ

  10. 民事再生法の適用申請(倒産)

参考文献・出所

有価証券報告書
オール大衆 1969/11
大阪経済評論 1968/12
現代トップ経営者の事業哲学 1968/12
証券 新規上場会社紹介 1968/12
日経産業新聞
各種報道
AKAI Professional公式情報