沿革年表 1955〜2025年における重要度別の出来事(合計36件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
ヤマハ発動機株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
ヤマハ発動機の創業は、楽器メーカーが戦時に蓄積した工作機械約1000台という遊休資産の再活用から始まった。200社が乱立する二輪車市場への後発参入は一見リスクの高い判断だが、手作業中心の競合に対して工作機械を前提とした量産体制を持ち込める点に構造的な優位があった。親会社から市場価格を下回る7000万円で設備を譲り受け初期償却を抑えた点も、月産500台の損益分岐点を早期に突破するための設計であった。
1955
1-12月
FY57
1957/4
売上高
24.7億円
当期純利益
0.9億円
FY58
1958/4
売上高
44.4億円
当期純利益
1.1億円
北川自動車に資本参加
FY59
1959/4
売上高
86.8億円
当期純利益
2.8億円
昌和製作所に資本参加
FY60
1960/4
売上高
145億円
当期純利益
9.7億円
マリン事業に新規参入
エンジンの製造技術を応用して、ボート・船外機に参入
FY61
1961/4
売上高
193億円
当期純利益
3.7億円
特約店を整備
歴史的意義yutaka sugiura
後発参入のヤマハ発動機が短期間で173店の特約店を確保できた背景には、二輪レースでの優勝実績による評判形成と、親会社ヤマハの全国営業所を販売拠点として間借りした「販路の転用」があった。しかし各拠点は4名前後の小規模体制であり、小売店への直販ではなく特約店経由の間接販売という構造上の脆弱性を抱えていた。1961年に新製品の売り出しが不振に陥ると特約店契約の解除が相次ぎ、急速な販路構築が安定性を犠牲にしていたことが露呈した。
FY62
1962/4
売上高
170.6億円
当期純利益
1.3億円
重要事項
東証に株式上場
歴史的意義yutaka sugiura
ヤマハ発動機の上場過程では、設備投資の資金需要に応じた増資の繰り返しにより、親会社ヤマハの持株比率が45%まで低下して資本上は関連会社へと変化した。一方で社長には1992年までヤマハの川上源一が就任し続け、資本の希薄化と人的支配の継続という矛盾した構造が並存していた。借入依存から自己資本比率33.9%への改善と引き換えに、親子関係の曖昧さという長期的な論点を内包した上場であった。
販売不振で減収
歴史的意義yutaka sugiura
1963年の減収は、国内二輪車市場が普及期を終えて保有更新中心の需要構造へ移行した帰結であった。注目すべきは、ヤマハ発動機が生産規模の縮小ではなく北米向け輸出による稼働率維持を選択した点である。国内需要の回復を待たず外需で生産数量を補完するこの判断は、以降のヤマハ発動機の事業モデルの原型となった。量産設備の固定費を輸出で吸収する構造は、磐田工場新設と北米販売法人設立へとつながる一連の戦略の出発点であった。
FY63
1963/4
売上高
148.2億円
当期純利益
0.7億円
FY64
1964/4
売上高
176.1億円
当期純利益
2.8億円
FY65
1965/4
売上高
245億円
当期純利益
4.1億円
FY66
1966/4
売上高
248億円
当期純利益
6.7億円
磐田工場を新設
歴史的意義yutaka sugiura
ホンダとスズキが四輪車参入を選んだ1960年代に、ヤマハ発動機は二輪車の輸出拡大に経営資源を集中させた。磐田工場の敷地面積51万㎡は浜北工場の約7倍であり、将来の増産を前提とした大規模投資であった。国内市場の成熟を輸出で補い、量産による単位コスト引き下げで北米・欧州を攻めるこの戦略は、FY1965の4万台からFY1977の130万台へと輸出を30倍以上に拡大させ世界シェア2位の確立に帰結した。
FY67
1967/4
売上高
272億円
当期純利益
9.2億円
北米向け車種「350R1」を発表
FY68
1968/4
売上高
300億円
当期純利益
7.8億円
FY69
1969/4
売上高
413億円
当期純利益
8.9億円
FY70
1970/4
売上高
526億円
当期純利益
10.2億円
海外拠点の拡充
日本国内における集中生産によるコストダウンのため、販売台数を増加させるために欧州・南米・東南アジアに現地法人を設立
FY71
1971/4
売上高
704億円
当期純利益
14億円
FY72
1972/4
売上高
948億円
当期純利益
25億円
FY73
1973/4
売上高
1,221億円
当期純利益
42億円
船外機でマーキュリー社と合弁契約を締結
FY74
1974/4
売上高
1,484億円
当期純利益
36億円
FY75
1975/4
売上高
1,767億円
当期純利益
29.1億円
FY76
1976/4
売上高
1,666億円
当期純利益
22.3億円
海外進出
Yamaha Motor Corporation, U.S.Aを設立
歴史的意義yutaka sugiura
輸出台数が130万台に達した段階で、代理店依存の販売体制では価格設定・在庫管理・販売政策の統制が困難になった。Yamaha Motor Corporation, U.S.A.の設立は、数量拡大に伴う販売管理の内製化という必然的な判断であった。ホンダが50cc中心で展開したのに対し、中・大排気量帯に注力して単価と数量の双方を引き上げた棲み分けも注目に値する。北米シェア21.2%でホンダに次ぐ2位を確保した時点での体制整備であった。
FY77
1977/4
売上高
2,204億円
当期純利益
34.1億円
FY78
1978/4
売上高
2,903億円
当期純利益
39.3億円
FY79
1979/4
売上高
2,740億円
当期純利益
41.6億円
FY80
1980/4
売上高
3,384億円
当期純利益
60.1億円
FY81
1981/4
売上高
4,280億円
当期純利益
85.7億円
重要事項
二輪車増産(HY戦争)
HY戦争の構図は、ヤマハ発動機がホンダの四輪車投資を好機と見てシェア首位奪取を宣言し、ホンダがBCGを起用して「10年間は尻尾を踏むのも怖い会社にする」方針で全面報復した非対称な競争にある。ヤマハ発動機は国内シェア差を3.5%まで縮めたが、ホンダの価格攻勢と新製品投入の前に無配へ転落した。相手の報復余力を過小評価したまま数量競争を仕掛けた判断は、川上源一の意思決定と増産路線の限界を同時に露呈した。
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FY82
1982/4
売上高
5,158億円
当期純利益
71.1億円
重要事項
赤字転落・再建計画を策定
江口秀人の再建手法は、不稼働設備に縄を張って休止を可視化し、隠れた損失を初年度に350億円として一括処理するという徹底したものであった。年産350万台から150万台への半減は「食べていけるか見通しがない」まま断行されており、段階的縮小ではなく全損計上を選んだ判断が際立つ。増産路線の損失を先送りせず損益分岐点を引き下げた上で再建の起点とする手法は、2009年の構造改革にも通底する同社の危機対応の原型となった。
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FY83
1983/4
売上高
4,199億円
当期純利益
-106億円
産業用ロボットに新規参入
FY84
1984/4
売上高
3,288億円
当期純利益
-350億円
Yamaha Motor Manufacturing Corporation of Americaを設立
FY87
1987/4
台湾山葉機車工業を設立
米フォード向け自動車エンジンの製造を開始
FY88
1988/4
FY89
1989/4
売上高
5,226億円
FY90
1990/4
売上高
5,925億円
FY91
1991/4
売上高
6,927億円
FY92
1992/4
売上高
6,952億円
当期純利益
92.2億円
ヤマハとの合併説を否定
FY93
1993/4
売上高
6,767億円
当期純利益
60.7億円
FY94
1994/4
売上高
6,527億円
当期純利益
26億円
FY95
1995/4
売上高
6,662億円
当期純利益
40.3億円
FY96
1996/4
売上高
7,328億円
当期純利益
36.7億円
FY97
1997/4
売上高
8,509億円
当期純利益
136億円
Yamaha Motor Vietnamを設立
FY98
1998/4
売上高
8,517億円
当期純利益
148億円
国内4販社を統合
重要事項
マリン事業の構造改革
マリン事業は創業以来「日本にマリンレジャーを広げる」という使命のもとで赤字を許容する「聖域」と化していた。長谷川社長が認めた通り、欧米並みの普及率を根拠にした成長期待が先行し、市場環境との乖離は拡大し続けていた。1998年の構造改革は志度工場閉鎖で転換に応じた従業員が12名にとどまるなど人的コストも伴う判断であった。船外機への資源集中は、マリン事業の理念と収益性の矛盾に初めて決着をつけた転機である。
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FY99
1999/4
売上高
8,081億円
当期純利益
97.4億円
梶川隆
トヨタ自動車と業務提携を締結
FY00
2000/4
売上高
8,771億円
当期純利益
110億円
梶川隆
FY01
2001/4
売上高
8,840億円
当期純利益
76.1億円
梶川隆
FY02
2002/4
売上高
9,468億円
当期純利益
95.3億円
梶川隆
FY03
2003/4
売上高
10,131億円
当期純利益
255億円
梶川隆
FY04
2004/4
売上高
10,119億円
当期純利益
381億円
組織再編
梶川隆
決算期を3月31日から12月31日に変更
決算期を3月31日から12月31日に変更した。海外売上比率の高さに合わせ、グローバル子会社の決算期と整合させる目的の制度変更であった。
FY05
2005/4
売上高
13,752億円
当期純利益
640億円
梶川隆
FY06
2006/4
売上高
15,820億円
当期純利益
772億円
梶川隆
グローバルパーツセンターを新設
FY07
2007/4
売上高
17,567億円
当期純利益
712億円
梶川隆
Yamaha Motor Philippines を設立
FY08
2008/4
売上高
16,038億円
当期純利益
18億円
柳弘之
ヤマハマリン袋井工場を新設
FY09
2009/4
売上高
11,536億円
当期純利益
-2,161億円
重要事項
柳弘之
赤字転落。構造改革を開始
2009年の構造改革は、1983年のHY戦争後と同様に一括損失計上による体制刷新を採用した。12工場25ユニットから7工場14ユニットへの集約、希望退職932名、事業別損益分岐点の設定は、規模拡大を前提としない経営への明確な転換を意味する。特別損失1037億円を含む最終赤字2161億円は、従来の事業規模を前提とした固定費構造を清算するための意図的な処理であった。以降の事業運営が損益分岐点を基準に設計される前提がこの年に確立された。
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FY10
2010/4
売上高
12,941億円
当期純利益
183億円
柳弘之
FY11
2011/4
売上高
12,761億円
当期純利益
269億円
柳弘之
FY12
2012/4
売上高
12,076億円
親会社株主に帰属する当期純利益
74億円
柳弘之
四輪車に参入(凍結)
歴史的意義yutaka sugiura
1960年代にホンダとスズキが四輪車に進出した際、ヤマハ発動機は二輪車の輸出拡大を選んで四輪車参入を見送った。半世紀後の2013年に改めて参入を表明したが、量産段階への移行で工程確立と投資規模の壁に直面し2018年に凍結された。中止ではなく「凍結」という表現は完全撤退を避ける余地を残す判断であった。二度にわたり四輪車を選ばなかった事実は、二輪車とマリンを軸とする事業構造の強固さを逆説的に示している。
FY13
2013/4
売上高
14,104億円
親会社株主に帰属する当期純利益
440億円
柳弘之
FY14
2014/4
売上高
15,212億円
親会社株主に帰属する当期純利益
684億円
柳弘之
FY15
2015/4
売上高
16,311億円
親会社株主に帰属する当期純利益
600億円
柳弘之
FY16
2016/4
売上高
15,028億円
親会社株主に帰属する当期純利益
631億円
日髙祥博
浜松ロボティスク事務所を新設
FY17
2017/4
売上高
16,700億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,016億円
日髙祥博
FY18
2018/4
売上高
16,731億円
親会社株主に帰属する当期純利益
933億円
日髙祥博
FY19
2019/4
売上高
16,647億円
親会社株主に帰属する当期純利益
757億円
日髙祥博
新川およびアピックヤマダを買収
FY20
2020/4
売上高
14,712億円
親会社株主に帰属する当期純利益
530億円
重要事項事業売却
日髙祥博
浜北工場の閉鎖を決定
浜北工場は1955年の創業時にYA-1を生産した原点的な拠点であり、その閉鎖決定は象徴的な意味を持つ判断であった。磐田工場への機能集約による原価改善と固定費構造の合理化が目的とされたが、2025年に「2031年まで操業継続」が決定され全面閉鎖は延期されている。創業地であっても拠点再編を優先する姿勢を示しながら、実行段階で延期を余儀なくされた経緯は、生産拠点の統廃合がコスト合理性だけでは貫徹できない現実を浮き彫りにしている。
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FY21
2021/4
売上高
18,124億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,555億円
組織再編
日髙祥博
東証プライム市場へ移行
東京証券取引所の市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。
FY22
2022/4
売上高
22,484億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,744億円
日髙祥博
FY23
2023/4
売上高
24,147億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,601億円
設楽元文
FY24
2024/4
売上高
25,761億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,192億円
組織再編
設楽元文
ヤマハロボティクスHDが新川等を吸収合併・商号変更
ヤマハロボティクスホールディングスが新川・アピックヤマダ・PFAを吸収合併し、ヤマハロボティクス株式会社へ商号変更した。2019年に買収した産業用装置事業群の組織統合であり、ロボティクス領域の指揮系統を一本化した。
FY25
2025/4
売上高
25,342億円
親会社株主に帰属する当期純利益
161億円
シルチェスターが株式追加を取得
英国系の投資ファンド(シルチェスター・インターナショナル)が、ヤマハ発動機の株式を追加取得。2025年10月時点で8.79%の株式を保有し、ヤマハ発動機における推定第2位の大株主となった。
事業撤退
汎用エンジン事業・発電機事業から撤退
1969年から手がけてきた汎用エンジン事業、および1973年から販売してきた発電機事業から同月をもって撤退した。半世紀以上にわたる主力周辺事業の整理であり、二輪・マリン・産業用ロボット領域への経営資源集中を進めた。
  1. ヤマハ発動機株式会社を設立
    ヤマハ発動機の創業は、楽器メーカーが戦時に蓄積した工作機械約1000台という遊休資産の再活用から始まった。200社が乱立する二輪車市場への後発参入は一見リスクの高い判断だが、手作業中心の競合に対して工作機械を前提とした量産体制を持ち込める点に構造的な優位があった。親会社から市場価格を下回る7000万円で設備を譲り受け初期償却を抑えた点も、月産500台の損益分岐点を早期に突破するための設計であった。
  2. 北川自動車に資本参加
  3. 昌和製作所に資本参加
  4. マリン事業に新規参入

    エンジンの製造技術を応用して、ボート・船外機に参入

  5. 特約店を整備
    後発参入のヤマハ発動機が短期間で173店の特約店を確保できた背景には、二輪レースでの優勝実績による評判形成と、親会社ヤマハの全国営業所を販売拠点として間借りした「販路の転用」があった。しかし各拠点は4名前後の小規模体制であり、小売店への直販ではなく特約店経由の間接販売という構造上の脆弱性を抱えていた。1961年に新製品の売り出しが不振に陥ると特約店契約の解除が相次ぎ、急速な販路構築が安定性を犠牲にしていたことが露呈した。
  6. 東証に株式上場
    ヤマハ発動機の上場過程では、設備投資の資金需要に応じた増資の繰り返しにより、親会社ヤマハの持株比率が45%まで低下して資本上は関連会社へと変化した。一方で社長には1992年までヤマハの川上源一が就任し続け、資本の希薄化と人的支配の継続という矛盾した構造が並存していた。借入依存から自己資本比率33.9%への改善と引き換えに、親子関係の曖昧さという長期的な論点を内包した上場であった。
  7. 販売不振で減収
    1963年の減収は、国内二輪車市場が普及期を終えて保有更新中心の需要構造へ移行した帰結であった。注目すべきは、ヤマハ発動機が生産規模の縮小ではなく北米向け輸出による稼働率維持を選択した点である。国内需要の回復を待たず外需で生産数量を補完するこの判断は、以降のヤマハ発動機の事業モデルの原型となった。量産設備の固定費を輸出で吸収する構造は、磐田工場新設と北米販売法人設立へとつながる一連の戦略の出発点であった。
  8. 磐田工場を新設
    ホンダとスズキが四輪車参入を選んだ1960年代に、ヤマハ発動機は二輪車の輸出拡大に経営資源を集中させた。磐田工場の敷地面積51万㎡は浜北工場の約7倍であり、将来の増産を前提とした大規模投資であった。国内市場の成熟を輸出で補い、量産による単位コスト引き下げで北米・欧州を攻めるこの戦略は、FY1965の4万台からFY1977の130万台へと輸出を30倍以上に拡大させ世界シェア2位の確立に帰結した。
  9. 北米向け車種「350R1」を発表
  10. 海外拠点の拡充

    日本国内における集中生産によるコストダウンのため、販売台数を増加させるために欧州・南米・東南アジアに現地法人を設立

  11. 船外機でマーキュリー社と合弁契約を締結
  12. 海外進出
    Yamaha Motor Corporation, U.S.Aを設立
    輸出台数が130万台に達した段階で、代理店依存の販売体制では価格設定・在庫管理・販売政策の統制が困難になった。Yamaha Motor Corporation, U.S.A.の設立は、数量拡大に伴う販売管理の内製化という必然的な判断であった。ホンダが50cc中心で展開したのに対し、中・大排気量帯に注力して単価と数量の双方を引き上げた棲み分けも注目に値する。北米シェア21.2%でホンダに次ぐ2位を確保した時点での体制整備であった。
  13. 産業用ロボットに新規参入
  14. Yamaha Motor Manufacturing Corporation of Americaを設立
  15. 台湾山葉機車工業を設立
  16. 米フォード向け自動車エンジンの製造を開始
  17. ヤマハとの合併説を否定
  18. Yamaha Motor Vietnamを設立
  19. 国内4販社を統合
  20. トヨタ自動車と業務提携を締結
  21. 組織再編
    決算期を3月31日から12月31日に変更

    決算期を3月31日から12月31日に変更した。海外売上比率の高さに合わせ、グローバル子会社の決算期と整合させる目的の制度変更であった。

  22. グローバルパーツセンターを新設
  23. Yamaha Motor Philippines を設立
  24. ヤマハマリン袋井工場を新設
  25. 四輪車に参入(凍結)
    1960年代にホンダとスズキが四輪車に進出した際、ヤマハ発動機は二輪車の輸出拡大を選んで四輪車参入を見送った。半世紀後の2013年に改めて参入を表明したが、量産段階への移行で工程確立と投資規模の壁に直面し2018年に凍結された。中止ではなく「凍結」という表現は完全撤退を避ける余地を残す判断であった。二度にわたり四輪車を選ばなかった事実は、二輪車とマリンを軸とする事業構造の強固さを逆説的に示している。
  26. 浜松ロボティスク事務所を新設
  27. 新川およびアピックヤマダを買収
  28. 組織再編
    東証プライム市場へ移行

    東京証券取引所の市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。

  29. 組織再編
    ヤマハロボティクスHDが新川等を吸収合併・商号変更

    ヤマハロボティクスホールディングスが新川・アピックヤマダ・PFAを吸収合併し、ヤマハロボティクス株式会社へ商号変更した。2019年に買収した産業用装置事業群の組織統合であり、ロボティクス領域の指揮系統を一本化した。

  30. シルチェスターが株式追加を取得

    英国系の投資ファンド(シルチェスター・インターナショナル)が、ヤマハ発動機の株式を追加取得。2025年10月時点で8.79%の株式を保有し、ヤマハ発動機における推定第2位の大株主となった。

  31. 事業撤退
    汎用エンジン事業・発電機事業から撤退

    1969年から手がけてきた汎用エンジン事業、および1973年から販売してきた発電機事業から同月をもって撤退した。半世紀以上にわたる主力周辺事業の整理であり、二輪・マリン・産業用ロボット領域への経営資源集中を進めた。