マツダの沿革・歴史的証言

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1920年〜2025

マツダの1920年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1920
1-12月
東洋コルク工業株式会社を設立
広島県内のコルク製造業者を再建するために、地元の有力者によって1920年に東洋コルク工業(現マツダ)を設立。1921年に機械の発明家である松田重次郎氏が社長(2代目)に就任し、1922年から圧搾コルク板の製造を開始。1925年には工場火災による設備焼失などに見舞われつつも、コルク板の量産によって業容を拡大した。
1927
1-12月
東洋工業株式会社に商号変更
コルク板で得た収益で、工作機械、三輪車製造、自動車の研究開発に投資することで、経営の多角化を志向。1927年には商号を「東洋工業株式会社」に変更し、コルク板以外の事業展開を図った。戦時中は軍から「三八式歩兵銃」の生産を要請され、1938年には「陸海軍共同管理工場」として指定。1945年に終戦を迎えるまで、マツダは三八式歩兵銃を量産する軍需企業として発展した。
1929
1-12月
研究開発
工作機械の生産開始
コルク板に続く新規事業として工作機械の生産を開始した。多角化路線の一環で、自動車・内燃機関へ続く技術蓄積の起点となった。
1931
1-12月
三輪トラックの生産開始
自動車の将来性に着眼し、四輪車より安価な三輪トラック「マツダ号」の生産を開始。エンジンなどの内燃機関も内製化することで、技術の蓄積を志向した。
FY50
1950/3
東京証券取引所に株式上場
FY51
1951/3
松田恒次氏が社長就任
FY53
1953/3
三輪車トラックの増産投資
1950年代の国内輸送は四輪トラックが高額のため三輪車が主流であった。マツダは三輪車の増産投資を実施し、有力メーカーとして認知された。当時の国内市場ではダイハツと競合。1956年にダイハツが「ミゼット」を発売しシェアを拡大したのに対し、1959年にマツダも「K360」を発売して対抗した。
FY59
1959/3
四輪車に参入
1958年にマツダは四輪車に参入。国内における所得水準の上昇によって、従来の三輪車ではなく、四輪車が普及することを見据えた。
FY61
1961/3
軽乗用車を発売
軽自動車市場へ参入し、軽乗用車の販売を開始した。所得水準の上昇に伴うモータリゼーションの裾野拡大に対応する位置づけであった。
業務提携
独NSU・バンケル社とロータリーエンジン技術提携
ロータリーエンジンの基本特許を保有するドイツのNSU社・バンケル社と技術提携を締結した。後の1967年のロータリーエンジン搭載車発売へ向けた技術導入の出発点となった。
FY65
1965/3
小型乗用車を発売
小型乗用車を発売し、四輪乗用車の品揃えを拡張した。1958年の四輪参入以降の量産化路線を進める一里塚となった。
FY67
1967/3
宇品工場を新設
乗用車専門工場として、広島市内に宇品工場を新設
FY68
1968/3
海外に販売現地法人を新設
ロータリーエンジン搭載の四輪車を輸出するために、欧米を中心に販売のための現地法人を新設
ロータリーエンジン搭載車を発売
「技術で勝ち、時代に敗れる」革新者の逆説
FY73
1973/3
海外進出
ドイツに販売子会社を設立
ドイツに販売子会社マツダモータース(ドイツランド)GmbHを設立し、欧州での販売基盤を整備した。輸出依存度の高い事業構造に対応する布石であった。
FY76
1976/3
赤字転落・経営危機
1973年10月のオイルショックで石油価格が高騰し、燃費性能に劣るロータリーエンジン搭載車の販売が国内外で低迷。マツダは在庫を抱え、1975年10月に経常赤字に転落した。メインバンクの住友銀行はこれを問題視し、以後マツダは実質的に住友銀行の管理下に置かれ、有力完成車メーカーとの協業を模索した。1975年から1980年代のマツダは「住友自動車」とも形容された。
FY80
1980/3
米フォードと資本提携を締結
1979年11月にマツダは米フォードと提携。フォードがマツダ株式24.5%を取得して筆頭株主となり、実質的にフォード日本法人として生き残りを図った。資本関係は2015年の完全売却まで続いた。以後、マツダはメインバンクの住友銀行と大株主フォードに支配される体制となり、代表取締役の去就など経営トップ人事は複雑化し混乱を招く布石となった。
FY82
1982/3
防府工場を新設
FY83
1983/3
設備投資
防府西浦乗用車工場を新設
防府地区に乗用車専門の西浦工場を新設し、輸出向けを含む乗用車の量産能力を増強した。前年の防府中関変速機工場と合わせ、防府を主力生産拠点に位置づけた。
FY85
1985/3
マツダ株式会社に商号変更
米国に現地生産子会社を新設
1985年にマツダは北米に現地生産子会社を新設し、現地生産を開始した。1992年にフォードとの共同出資による合弁方式に移行したが、2013年にフォードとの提携解消を受けて現地生産から撤退。
FY89
1989/3
国内販売5チャンネル体制を発表
1989年にマツダは国内乗用車販売を改革し、従来の「車種別3チャネル(マツダ系・オート系・オートラマ系)」から5チャネルへ拡大。日産4・トヨタ5に対抗しシェア拡大を狙った。当時、車種拡大には販売チャネル増大が有利と判断した。1992年2月には防府第2工場を新設し、生産・販売への積極投資を遂行した。
FY92
1992/3
売上高
27,224億円
当期純利益
93億円
設備投資
防府第二工場を新設
5チャネル体制への対応として、防府地区に第二工場を新設した。販売チャネル拡大に応じた量産能力増強の柱となったが、その後の販売不振局面では稼働率低下の重荷ともなった。
FY93
1993/3
売上高
25,934億円
当期純利益
12億円
業務提携
フォードと米AAI社を均等出資合弁化
米国の現地生産拠点であるオートアライアンスインターナショナル(AAI)をフォードとの均等出資合弁会社へ移行した。これによってフォード車・マツダ車を共同生産する体制となり、北米事業のフォード依存が一段と深まった。
米フォードと戦略的協業を発表
FY94
1994/3
売上高
21,882億円
当期純利益
-489億円
FY95
1995/3
売上高
22,041億円
当期純利益
-411億円
FY96
1996/3
売上高
18,428億円
当期純利益
-118億円
タイに現地生産子会社を設立
フォードと合弁でタイにおける現地生産を開始
FY97
1997/3
売上高
18,941億円
当期純利益
-175億円
米フォードが追加出資
FY98
1998/3
売上高
20,414億円
当期純利益
-68億円
FY99
1999/3
売上高
20,570億円
当期純利益
387億円
FY00
2000/3
売上高
21,615億円
当期純利益
261億円
FY01
2001/3
売上高
20,158億円
当期純利益
-1,552億円
FY02
2002/3
売上高
20,949億円
当期純利益
88億円
FY03
2003/3
売上高
23,645億円
当期純利益
241億円
FY04
2004/3
売上高
29,161億円
当期純利益
339億円
FY05
2005/3
売上高
26,955億円
当期純利益
457億円
FY06
2006/3
売上高
29,198億円
当期純利益
667億円
中国に現地生産子会社を設立
フォードおよび現地企業と合弁で、中国における現地生産を開始
FY07
2007/3
売上高
32,474億円
当期純利益
737億円
FY08
2008/3
売上高
34,757億円
当期純利益
918億円
FY09
2009/3
売上高
25,359億円
当期純利益
-714億円
米フォードの提携解消へ
リーマンショックにより米国における自動車販売が低迷。米フォードは経営危機に陥ったため、2008年までに同社が保有していたマツダ株式の段階的な売却を決定した。これによりマツダは、1979年から続いたフォードとの提携解消を決定した。
FY10
2010/3
売上高
21,639億円
当期純利益
-64億円
FY11
2011/3
売上高
23,256億円
当期純利益
-600億円
FY12
2012/3
売上高
20,330億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,077億円
海外進出
メキシコに住友商事との合弁工場を設立
住友商事との合弁により、メキシコに完成車組立子会社マツダモトールマヌファクトゥリングデメヒコを設立した。北米向けの新たな生産拠点として、後に量産を開始する基盤を築いた。
最終赤字転落・構造改革プランを策定
2012年3月期にマツダは1077億円の最終赤字に転落。リーマンショックにより2009年3月期に最終赤字へ転落し、以降、4期連続の最終赤字に転落した。2012年にマツダは「構造改革プラン」を策定。北米からの現地生産撤退や、固定費削減(間接部門の社員を海外販売の一線に配置転換)などを遂行。
FY13
2013/3
売上高
22,052億円
親会社株主に帰属する当期純利益
343億円
北米現地生産から撤退
収益性改善のために、フォードとの合弁による現地生産(ミシガン州・AAI社)からの撤退を決定。合弁会社の株式をフォードに売却し、北米向けの車種はメキシコ工場および国内(防府工場)での生産に切り替え
FY14
2014/3
売上高
26,922億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,356億円
設備投資
メキシコ工場で量産車生産を開始
2011年に設立したメキシコの完成車組立子会社で量産車の生産を本格的に開始した。北米市場向けの供給網が、フォード合弁拠点からメキシコ自社拠点へ切り替わる転換点となった。
FY15
2015/3
売上高
30,338億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,588億円
FY16
2016/3
売上高
34,066億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,344億円
米フォードが株式完全売却
FY17
2017/3
売上高
32,143億円
親会社株主に帰属する当期純利益
937億円
FY18
2018/3
売上高
34,740億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,120億円
トヨタ自動車と業務資本提携を締結
2017年8月にトヨタと資本提携を決定。相互に500億円を出資する形を取り、トヨタはマツダの株式5.05%を取得、マツダはトヨタの株式0.25%を取得した。資本提携の狙いは、マツダにおけるEVなどの技術開発で協業することによる合理化と、米国における現地生産への投資であった。現地生産では合弁会社を設立し、マツダは新型のSUV「CX-50」、トヨタは小型車のカローラを生産する構想を発表した。
業務提携
米国にトヨタ合弁マツダトヨタマニュファクチャリングUSAを設立
トヨタとの資本業務提携に基づき、米国アラバマ州に完成車組立合弁会社マツダトヨタマニュファクチャリングUSA(MTMUS)を設立した。北米生産の主力拠点として位置づけ、CX-50・カローラの共同生産を計画した。
FY19
2019/3
売上高
35,641億円
親会社株主に帰属する当期純利益
631億円
FY20
2020/3
売上高
34,302億円
親会社株主に帰属する当期純利益
121億円
FY21
2021/3
売上高
28,820億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-316億円
FY22
2022/3
売上高
31,203億円
親会社株主に帰属する当期純利益
815億円
業務提携
米TMT合弁で新工場を稼働・CX-50を量産
「従属」から「対等」へ——提携が問う自律性
FY23
2023/3
売上高
38,267億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,428億円
株式上場
東証プライム市場へ移行
東京証券取引所の市場区分再編に伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。グローバル投資家を含む投資家層への適合を維持した形となった。
FY24
2024/3
売上高
48,276億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,076億円
FY25
2025/3
売上高
50,188億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,140億円
  1. 東洋コルク工業株式会社を設立

    広島県内のコルク製造業者を再建するために、地元の有力者によって1920年に東洋コルク工業(現マツダ)を設立。1921年に機械の発明家である松田重次郎氏が社長(2代目)に就任し、1922年から圧搾コルク板の製造を開始。1925年には工場火災による設備焼失などに見舞われつつも、コルク板の量産によって業容を拡大した。

  2. 東洋工業株式会社に商号変更

    コルク板で得た収益で、工作機械、三輪車製造、自動車の研究開発に投資することで、経営の多角化を志向。1927年には商号を「東洋工業株式会社」に変更し、コルク板以外の事業展開を図った。戦時中は軍から「三八式歩兵銃」の生産を要請され、1938年には「陸海軍共同管理工場」として指定。1945年に終戦を迎えるまで、マツダは三八式歩兵銃を量産する軍需企業として発展した。

  3. 研究開発
    工作機械の生産開始

    コルク板に続く新規事業として工作機械の生産を開始した。多角化路線の一環で、自動車・内燃機関へ続く技術蓄積の起点となった。

  4. 三輪トラックの生産開始

    自動車の将来性に着眼し、四輪車より安価な三輪トラック「マツダ号」の生産を開始。エンジンなどの内燃機関も内製化することで、技術の蓄積を志向した。

  5. 東京証券取引所に株式上場
  6. 松田恒次氏が社長就任
  7. 三輪車トラックの増産投資

    1950年代の国内輸送は四輪トラックが高額のため三輪車が主流であった。マツダは三輪車の増産投資を実施し、有力メーカーとして認知された。当時の国内市場ではダイハツと競合。1956年にダイハツが「ミゼット」を発売しシェアを拡大したのに対し、1959年にマツダも「K360」を発売して対抗した。

  8. 四輪車に参入

    1958年にマツダは四輪車に参入。国内における所得水準の上昇によって、従来の三輪車ではなく、四輪車が普及することを見据えた。

  9. 軽乗用車を発売

    軽自動車市場へ参入し、軽乗用車の販売を開始した。所得水準の上昇に伴うモータリゼーションの裾野拡大に対応する位置づけであった。

  10. 業務提携
    独NSU・バンケル社とロータリーエンジン技術提携

    ロータリーエンジンの基本特許を保有するドイツのNSU社・バンケル社と技術提携を締結した。後の1967年のロータリーエンジン搭載車発売へ向けた技術導入の出発点となった。

  11. 小型乗用車を発売

    小型乗用車を発売し、四輪乗用車の品揃えを拡張した。1958年の四輪参入以降の量産化路線を進める一里塚となった。

  12. 宇品工場を新設

    乗用車専門工場として、広島市内に宇品工場を新設

  13. 海外に販売現地法人を新設

    ロータリーエンジン搭載の四輪車を輸出するために、欧米を中心に販売のための現地法人を新設

  14. ロータリーエンジン搭載車を発売
    「技術で勝ち、時代に敗れる」革新者の逆説
  15. 海外進出
    ドイツに販売子会社を設立

    ドイツに販売子会社マツダモータース(ドイツランド)GmbHを設立し、欧州での販売基盤を整備した。輸出依存度の高い事業構造に対応する布石であった。

  16. 赤字転落・経営危機

    1973年10月のオイルショックで石油価格が高騰し、燃費性能に劣るロータリーエンジン搭載車の販売が国内外で低迷。マツダは在庫を抱え、1975年10月に経常赤字に転落した。メインバンクの住友銀行はこれを問題視し、以後マツダは実質的に住友銀行の管理下に置かれ、有力完成車メーカーとの協業を模索した。1975年から1980年代のマツダは「住友自動車」とも形容された。

  17. 米フォードと資本提携を締結

    1979年11月にマツダは米フォードと提携。フォードがマツダ株式24.5%を取得して筆頭株主となり、実質的にフォード日本法人として生き残りを図った。資本関係は2015年の完全売却まで続いた。以後、マツダはメインバンクの住友銀行と大株主フォードに支配される体制となり、代表取締役の去就など経営トップ人事は複雑化し混乱を招く布石となった。

  18. 防府工場を新設
  19. 設備投資
    防府西浦乗用車工場を新設

    防府地区に乗用車専門の西浦工場を新設し、輸出向けを含む乗用車の量産能力を増強した。前年の防府中関変速機工場と合わせ、防府を主力生産拠点に位置づけた。

  20. マツダ株式会社に商号変更
  21. 米国に現地生産子会社を新設

    1985年にマツダは北米に現地生産子会社を新設し、現地生産を開始した。1992年にフォードとの共同出資による合弁方式に移行したが、2013年にフォードとの提携解消を受けて現地生産から撤退。

  22. 国内販売5チャンネル体制を発表

    1989年にマツダは国内乗用車販売を改革し、従来の「車種別3チャネル(マツダ系・オート系・オートラマ系)」から5チャネルへ拡大。日産4・トヨタ5に対抗しシェア拡大を狙った。当時、車種拡大には販売チャネル増大が有利と判断した。1992年2月には防府第2工場を新設し、生産・販売への積極投資を遂行した。

  23. 設備投資
    防府第二工場を新設

    5チャネル体制への対応として、防府地区に第二工場を新設した。販売チャネル拡大に応じた量産能力増強の柱となったが、その後の販売不振局面では稼働率低下の重荷ともなった。

  24. 業務提携
    フォードと米AAI社を均等出資合弁化

    米国の現地生産拠点であるオートアライアンスインターナショナル(AAI)をフォードとの均等出資合弁会社へ移行した。これによってフォード車・マツダ車を共同生産する体制となり、北米事業のフォード依存が一段と深まった。

  25. 米フォードと戦略的協業を発表
  26. タイに現地生産子会社を設立

    フォードと合弁でタイにおける現地生産を開始

  27. 米フォードが追加出資
  28. 中国に現地生産子会社を設立

    フォードおよび現地企業と合弁で、中国における現地生産を開始

  29. 米フォードの提携解消へ

    リーマンショックにより米国における自動車販売が低迷。米フォードは経営危機に陥ったため、2008年までに同社が保有していたマツダ株式の段階的な売却を決定した。これによりマツダは、1979年から続いたフォードとの提携解消を決定した。

  30. 海外進出
    メキシコに住友商事との合弁工場を設立

    住友商事との合弁により、メキシコに完成車組立子会社マツダモトールマヌファクトゥリングデメヒコを設立した。北米向けの新たな生産拠点として、後に量産を開始する基盤を築いた。

  31. 最終赤字転落・構造改革プランを策定

    2012年3月期にマツダは1077億円の最終赤字に転落。リーマンショックにより2009年3月期に最終赤字へ転落し、以降、4期連続の最終赤字に転落した。2012年にマツダは「構造改革プラン」を策定。北米からの現地生産撤退や、固定費削減(間接部門の社員を海外販売の一線に配置転換)などを遂行。

  32. 北米現地生産から撤退

    収益性改善のために、フォードとの合弁による現地生産(ミシガン州・AAI社)からの撤退を決定。合弁会社の株式をフォードに売却し、北米向けの車種はメキシコ工場および国内(防府工場)での生産に切り替え

  33. 設備投資
    メキシコ工場で量産車生産を開始

    2011年に設立したメキシコの完成車組立子会社で量産車の生産を本格的に開始した。北米市場向けの供給網が、フォード合弁拠点からメキシコ自社拠点へ切り替わる転換点となった。

  34. 米フォードが株式完全売却
  35. トヨタ自動車と業務資本提携を締結

    2017年8月にトヨタと資本提携を決定。相互に500億円を出資する形を取り、トヨタはマツダの株式5.05%を取得、マツダはトヨタの株式0.25%を取得した。資本提携の狙いは、マツダにおけるEVなどの技術開発で協業することによる合理化と、米国における現地生産への投資であった。現地生産では合弁会社を設立し、マツダは新型のSUV「CX-50」、トヨタは小型車のカローラを生産する構想を発表した。

  36. 業務提携
    米国にトヨタ合弁マツダトヨタマニュファクチャリングUSAを設立

    トヨタとの資本業務提携に基づき、米国アラバマ州に完成車組立合弁会社マツダトヨタマニュファクチャリングUSA(MTMUS)を設立した。北米生産の主力拠点として位置づけ、CX-50・カローラの共同生産を計画した。

  37. 業務提携
    米TMT合弁で新工場を稼働・CX-50を量産
    「従属」から「対等」へ——提携が問う自律性
  38. 株式上場
    東証プライム市場へ移行

    東京証券取引所の市場区分再編に伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。グローバル投資家を含む投資家層への適合を維持した形となった。

歴史的証言

松田重次郎(松田恒次の回想)
荷馬車にエンジンをつけろ。あれくらいのスピードなら、たいした馬力もいるまい
東洋工業(社側コメント)
特に工作機械は当社が前に工作機械製造を行っていたことから、現在の工作機械中、当社の生産になるものも少なくなく、大きな強みとなっている
新日本経済(業界観測)
現行の小型4輪車の増産で、これと競合し、次第にその需要は後退する運命にある
日経新聞(R360クーペ価格報道)
値段はKRBB型が30万円/四輪乗用車としては前例のない安さ
新日本経済
かつて三輪車メーカー"マツダ"として世に知られた自動車メーカーであったが、今や、軽四輪から大衆車中心の経営に衣替え、押しも押されもしない総合自動車メーカーに発展している
ダイヤモンド
大型合併時代に挑戦する一匹狼
日経ビジネス
経営の「奇跡」を生むかRE/技術が東洋工業という企業を変えたといえよう/資本提携を白紙に還元した松田社長の判断が高く評価される
読売新聞
東洋工業のロータリーエンジンについてのテスト結果として燃料消費効率が悪いことが証明されている
東洋工業(AM制度拡大方針)
国内の販売力強化のため、現在1年交代(千数百人)で行っている全国販売店への出向制度を対象人員5000人、出向期間3年に強化したい

参考文献・出所

有価証券報告書
大阪経済評論 1952/08
新日本経済 1954/07
ダイヤモンド 1956/04/28
日経新聞 1960/04/22
日経新聞 1960/10/28
日経新聞 私の履歴書 1965/10
新日本経済 1966/12
ダイヤモンド 1968/10/14
日経ビジネス 1972/10
読売 1974/01/10
日経 1977/12/09
プレジデント 1978/01
トヨタ自動車工業 社史
日経新聞
決算説明会 FY22
決算説明会 FY23
決算説明会 FY24
決算説明会 FY25-2Q 2025/11
決算説明会 FY25-3Q 2026/02/10
マツダ中期経営計画フェーズ2
日刊工業新聞 2024/05/24
日経ビジネス 2025/01/17
東洋経済オンライン 2023/12/28