沿革年表 1920〜2026年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
東洋コルク工業株式会社を設立
広島県内のコルク製造業者を再建するために、地元の有力者によって1920年に東洋コルク工業(現マツダ)を設立。1921年に機械の発明家である松田重次郎氏が社長(2代目)に就任し、1922年から圧搾コルク板の製造を開始。1925年には工場火災による設備焼失などに見舞われつつも、コルク板の量産によって業容を拡大した。
1920
1-12月
東洋工業株式会社に商号変更
コルク板で得た収益で、工作機械、三輪車製造、自動車の研究開発に投資することで、経営の多角化を志向。1927年には商号を「東洋工業株式会社」に変更し、コルク板以外の事業展開を図った。戦時中は軍から「三八式歩兵銃」の生産を要請され、1938年には「陸海軍共同管理工場」として指定。1945年に終戦を迎えるまで、マツダは三八式歩兵銃を量産する軍需企業として発展した。
1927
1-12月
研究開発
工作機械の生産開始
コルク板に続く新規事業として工作機械の生産を開始した。多角化路線の一環で、自動車・内燃機関へ続く技術蓄積の起点となった。
1929
1-12月
三輪トラックの生産開始
自動車の将来性に着眼し、四輪車より安価な三輪トラック「マツダ号」の生産を開始。エンジンなどの内燃機関も内製化することで、技術の蓄積を志向した。
1931
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
松田恒次氏が社長就任
FY51
1951/3
三輪車トラックの増産投資
1950年代の国内輸送は四輪トラックが高額のため三輪車が主流であった。マツダは三輪車の増産投資を実施し、有力メーカーとして認知された。当時の国内市場ではダイハツと競合。1956年にダイハツが「ミゼット」を発売しシェアを拡大したのに対し、1959年にマツダも「K360」を発売して対抗した。
FY53
1953/3
四輪車に参入
1958年にマツダは四輪車に参入。国内における所得水準の上昇によって、従来の三輪車ではなく、四輪車が普及することを見据えた。
FY59
1959/3
軽乗用車を発売
軽自動車市場へ参入し、軽乗用車の販売を開始した。所得水準の上昇に伴うモータリゼーションの裾野拡大に対応する位置づけであった。
FY61
1961/3
業務提携
独NSU・バンケル社とロータリーエンジン技術提携
ロータリーエンジンの基本特許を保有するドイツのNSU社・バンケル社と技術提携を締結した。後の1967年のロータリーエンジン搭載車発売へ向けた技術導入の出発点となった。
小型乗用車を発売
小型乗用車を発売し、四輪乗用車の品揃えを拡張した。1958年の四輪参入以降の量産化路線を進める一里塚となった。
FY65
1965/3
宇品工場を新設
乗用車専門工場として、広島市内に宇品工場を新設
FY67
1967/3
海外に販売現地法人を新設
ロータリーエンジン搭載の四輪車を輸出するために、欧米を中心に販売のための現地法人を新設
FY68
1968/3
重要事項
ロータリーエンジン搭載車を発売
歴史的意義yutaka sugiura
ロータリーエンジンの実用化は、社内外の批判を押し切り世界初の量産化を成し遂げた技術的勝利であった。しかし環境規制の強化とオイルショックという外部環境の急変が、マツダ最大の武器をそのまま最大の弱点へと転じさせた。独自技術への集中投資は競合との差別化の源泉となりうるが、その技術を取り巻く事業環境が変化した場合には脆弱性をも内包する——技術的な勝利が市場での勝利を保証しないという革新者の根源的なリスクを、この事例は鮮明に示している。
FY70
1970/3
売上高
2,217億円
当期純利益
91億円
FY71
1971/3
売上高
2,705億円
当期純利益
81億円
FY72
1972/3
売上高
3,443億円
当期純利益
82億円
海外進出
ドイツに販売子会社を設立
ドイツに販売子会社マツダモータース(ドイツランド)GmbHを設立し、欧州での販売基盤を整備した。輸出依存度の高い事業構造に対応する布石であった。
FY73
1973/3
売上高
4,562億円
当期純利益
84億円
FY74
1974/3
売上高
5,182億円
当期純利益
54億円
FY75
1975/3
売上高
4,965億円
当期純利益
-17億円
赤字転落・経営危機
1973年10月のオイルショックで石油価格が高騰し、燃費性能に劣るロータリーエンジン搭載車の販売が国内外で低迷。マツダは在庫を抱え、1975年10月に経常赤字に転落した。メインバンクの住友銀行はこれを問題視し、以後マツダは実質的に住友銀行の管理下に置かれ、有力完成車メーカーとの協業を模索した。1975年から1980年代のマツダは「住友自動車」とも形容された。
FY76
1976/3
売上高
5,882億円
当期純利益
11億円
FY77
1977/3
売上高
6,283億円
当期純利益
11億円
FY78
1978/3
売上高
6,863億円
当期純利益
26億円
FY79
1979/3
売上高
8,352億円
当期純利益
73億円
重要事項
米フォードと資本提携を締結
1979年11月にマツダは米フォードと提携。フォードがマツダ株式24.5%を取得して筆頭株主となり、実質的にフォード日本法人として生き残りを図った。資本関係は2015年の完全売却まで続いた。以後、マツダはメインバンクの住友銀行と大株主フォードに支配される体制となり、代表取締役の去就など経営トップ人事は複雑化し混乱を招く布石となった。
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FY80
1980/3
売上高
10,311億円
当期純利益
157億円
FY81
1981/3
売上高
11,631億円
当期純利益
199億円
防府工場を新設
FY82
1982/3
売上高
11,797億円
当期純利益
254億円
設備投資
防府西浦乗用車工場を新設
防府地区に乗用車専門の西浦工場を新設し、輸出向けを含む乗用車の量産能力を増強した。前年の防府中関変速機工場と合わせ、防府を主力生産拠点に位置づけた。
FY83
1983/3
売上高
13,642億円
当期純利益
256億円
FY84
1984/3
売上高
14,318億円
当期純利益
297億円
マツダ株式会社に商号変更
FY85
1985/3
米国に現地生産子会社を新設
1985年にマツダは北米に現地生産子会社を新設し、現地生産を開始した。1992年にフォードとの共同出資による合弁方式に移行したが、2013年にフォードとの提携解消を受けて現地生産から撤退。
国内販売5チャンネル体制を発表
1989年にマツダは国内乗用車販売を改革し、従来の「車種別3チャネル(マツダ系・オート系・オートラマ系)」から5チャネルへ拡大。日産4・トヨタ5に対抗しシェア拡大を狙った。当時、車種拡大には販売チャネル増大が有利と判断した。1992年2月には防府第2工場を新設し、生産・販売への積極投資を遂行した。
FY89
1989/3
設備投資
防府第二工場を新設
5チャネル体制への対応として、防府地区に第二工場を新設した。販売チャネル拡大に応じた量産能力増強の柱となったが、その後の販売不振局面では稼働率低下の重荷ともなった。
FY92
1992/3
売上高
27,224億円
当期純利益
93億円
業務提携
フォードと米AAI社を均等出資合弁化
米国の現地生産拠点であるオートアライアンスインターナショナル(AAI)をフォードとの均等出資合弁会社へ移行した。これによってフォード車・マツダ車を共同生産する体制となり、北米事業のフォード依存が一段と深まった。
FY93
1993/3
売上高
25,934億円
当期純利益
12億円
米フォードと戦略的協業を発表
FY94
1994/3
売上高
21,882億円
当期純利益
-489億円
FY95
1995/3
売上高
22,041億円
当期純利益
-411億円
タイに現地生産子会社を設立
フォードと合弁でタイにおける現地生産を開始
FY96
1996/3
売上高
18,428億円
当期純利益
-118億円
重要事項
米フォードが追加出資
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FY97
1997/3
売上高
18,941億円
当期純利益
-175億円
FY98
1998/3
売上高
20,414億円
当期純利益
-68億円
FY99
1999/3
売上高
20,570億円
当期純利益
387億円
FY00
2000/3
売上高
21,615億円
当期純利益
261億円
FY01
2001/3
売上高
20,158億円
当期純利益
-1,552億円
FY02
2002/3
売上高
20,949億円
当期純利益
88億円
井巻久一
FY03
2003/3
売上高
23,645億円
当期純利益
241億円
井巻久一
FY04
2004/3
売上高
29,161億円
当期純利益
339億円
井巻久一
FY05
2005/3
売上高
26,955億円
当期純利益
457億円
井巻久一
中国に現地生産子会社を設立
フォードおよび現地企業と合弁で、中国における現地生産を開始
FY06
2006/3
売上高
29,198億円
当期純利益
667億円
井巻久一
FY07
2007/3
売上高
32,474億円
当期純利益
737億円
山内孝
FY08
2008/3
売上高
34,757億円
当期純利益
918億円
山内孝
米フォードの提携解消へ
リーマンショックにより米国における自動車販売が低迷。米フォードは経営危機に陥ったため、2008年までに同社が保有していたマツダ株式の段階的な売却を決定した。これによりマツダは、1979年から続いたフォードとの提携解消を決定した。
FY09
2009/3
売上高
25,359億円
当期純利益
-714億円
山内孝
FY10
2010/3
売上高
21,639億円
当期純利益
-64億円
山内孝
FY11
2011/3
売上高
23,256億円
当期純利益
-600億円
海外進出
小飼雅道
メキシコに住友商事との合弁工場を設立
住友商事との合弁により、メキシコに完成車組立子会社マツダモトールマヌファクトゥリングデメヒコを設立した。北米向けの新たな生産拠点として、後に量産を開始する基盤を築いた。
FY12
2012/3
売上高
20,330億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,077億円
最終赤字転落・構造改革プランを策定
2012年3月期にマツダは1077億円の最終赤字に転落。リーマンショックにより2009年3月期に最終赤字へ転落し、以降、4期連続の最終赤字に転落した。2012年にマツダは「構造改革プラン」を策定。北米からの現地生産撤退や、固定費削減(間接部門の社員を海外販売の一線に配置転換)などを遂行。
小飼雅道
北米現地生産から撤退
収益性改善のために、フォードとの合弁による現地生産(ミシガン州・AAI社)からの撤退を決定。合弁会社の株式をフォードに売却し、北米向けの車種はメキシコ工場および国内(防府工場)での生産に切り替え
FY13
2013/3
売上高
22,052億円
親会社株主に帰属する当期純利益
343億円
設備投資
小飼雅道
メキシコ工場で量産車生産を開始
2011年に設立したメキシコの完成車組立子会社で量産車の生産を本格的に開始した。北米市場向けの供給網が、フォード合弁拠点からメキシコ自社拠点へ切り替わる転換点となった。
FY14
2014/3
売上高
26,922億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,356億円
小飼雅道
FY15
2015/3
売上高
30,338億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,588億円
重要事項
小飼雅道
米フォードが株式完全売却
経営判断をよむ →
FY16
2016/3
売上高
34,066億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,344億円
丸本明
FY17
2017/3
売上高
32,143億円
親会社株主に帰属する当期純利益
937億円
重要事項
丸本明
トヨタ自動車と業務資本提携を締結
2017年8月にトヨタと資本提携を決定。相互に500億円を出資する形を取り、トヨタはマツダの株式5.05%を取得、マツダはトヨタの株式0.25%を取得した。資本提携の狙いは、マツダにおけるEVなどの技術開発で協業することによる合理化と、米国における現地生産への投資であった。現地生産では合弁会社を設立し、マツダは新型のSUV「CX-50」、トヨタは小型車のカローラを生産する構想を発表した。
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FY18
2018/3
売上高
34,740億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,120億円
重要事項業務提携
米国にトヨタ合弁マツダトヨタマニュファクチャリングUSAを設立
トヨタとの資本業務提携に基づき、米国アラバマ州に完成車組立合弁会社マツダトヨタマニュファクチャリングUSA(MTMUS)を設立した。北米生産の主力拠点として位置づけ、CX-50・カローラの共同生産を計画した。
丸本明
FY19
2019/3
売上高
35,641億円
親会社株主に帰属する当期純利益
631億円
丸本明
FY20
2020/3
売上高
34,302億円
親会社株主に帰属する当期純利益
121億円
丸本明
FY21
2021/3
売上高
28,820億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-316億円
重要事項業務提携
毛籠勝弘
米TMT合弁で新工場を稼働・CX-50を量産
歴史的意義yutaka sugiura
フォードとの提携ではマツダは筆頭株主に経営を支配され、自社の戦略的自由度は制約されていた。トヨタとの合弁は折半出資による対等な枠組みとして設計され、マツダが自社ブランドの価値を前面に打ち出す余地が確保された。同じ「北米現地生産」でも出資構造と力関係の設計が企業の自律性を左右する——フォード時代の受動的展開とトヨタ時代の能動的戦略の対比は、提携の「質」が事業の方向性を根本から規定することを示唆している。
FY22
2022/3
売上高
31,203億円
親会社株主に帰属する当期純利益
815億円
株式上場
毛籠勝弘
東証プライム市場へ移行
東京証券取引所の市場区分再編に伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。グローバル投資家を含む投資家層への適合を維持した形となった。
FY23
2023/3
売上高
38,267億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,428億円
毛籠勝弘
FY24
2024/3
売上高
48,276億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,076億円
毛籠勝弘
FY25
2025/3
売上高
50,188億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,140億円
FY26
2026/3
売上高
49,182億円
親会社株主に帰属する当期純利益
351億円
  1. 東洋コルク工業株式会社を設立

    広島県内のコルク製造業者を再建するために、地元の有力者によって1920年に東洋コルク工業(現マツダ)を設立。1921年に機械の発明家である松田重次郎氏が社長(2代目)に就任し、1922年から圧搾コルク板の製造を開始。1925年には工場火災による設備焼失などに見舞われつつも、コルク板の量産によって業容を拡大した。

  2. 東洋工業株式会社に商号変更

    コルク板で得た収益で、工作機械、三輪車製造、自動車の研究開発に投資することで、経営の多角化を志向。1927年には商号を「東洋工業株式会社」に変更し、コルク板以外の事業展開を図った。戦時中は軍から「三八式歩兵銃」の生産を要請され、1938年には「陸海軍共同管理工場」として指定。1945年に終戦を迎えるまで、マツダは三八式歩兵銃を量産する軍需企業として発展した。

  3. 研究開発
    工作機械の生産開始

    コルク板に続く新規事業として工作機械の生産を開始した。多角化路線の一環で、自動車・内燃機関へ続く技術蓄積の起点となった。

  4. 三輪トラックの生産開始

    自動車の将来性に着眼し、四輪車より安価な三輪トラック「マツダ号」の生産を開始。エンジンなどの内燃機関も内製化することで、技術の蓄積を志向した。

  5. 東京証券取引所に株式上場
  6. 松田恒次氏が社長就任
  7. 三輪車トラックの増産投資

    1950年代の国内輸送は四輪トラックが高額のため三輪車が主流であった。マツダは三輪車の増産投資を実施し、有力メーカーとして認知された。当時の国内市場ではダイハツと競合。1956年にダイハツが「ミゼット」を発売しシェアを拡大したのに対し、1959年にマツダも「K360」を発売して対抗した。

  8. 四輪車に参入

    1958年にマツダは四輪車に参入。国内における所得水準の上昇によって、従来の三輪車ではなく、四輪車が普及することを見据えた。

  9. 軽乗用車を発売

    軽自動車市場へ参入し、軽乗用車の販売を開始した。所得水準の上昇に伴うモータリゼーションの裾野拡大に対応する位置づけであった。

  10. 業務提携
    独NSU・バンケル社とロータリーエンジン技術提携

    ロータリーエンジンの基本特許を保有するドイツのNSU社・バンケル社と技術提携を締結した。後の1967年のロータリーエンジン搭載車発売へ向けた技術導入の出発点となった。

  11. 小型乗用車を発売

    小型乗用車を発売し、四輪乗用車の品揃えを拡張した。1958年の四輪参入以降の量産化路線を進める一里塚となった。

  12. 宇品工場を新設

    乗用車専門工場として、広島市内に宇品工場を新設

  13. 海外に販売現地法人を新設

    ロータリーエンジン搭載の四輪車を輸出するために、欧米を中心に販売のための現地法人を新設

  14. ロータリーエンジン搭載車を発売
    ロータリーエンジンの実用化は、社内外の批判を押し切り世界初の量産化を成し遂げた技術的勝利であった。しかし環境規制の強化とオイルショックという外部環境の急変が、マツダ最大の武器をそのまま最大の弱点へと転じさせた。独自技術への集中投資は競合との差別化の源泉となりうるが、その技術を取り巻く事業環境が変化した場合には脆弱性をも内包する——技術的な勝利が市場での勝利を保証しないという革新者の根源的なリスクを、この事例は鮮明に示している。
  15. 海外進出
    ドイツに販売子会社を設立

    ドイツに販売子会社マツダモータース(ドイツランド)GmbHを設立し、欧州での販売基盤を整備した。輸出依存度の高い事業構造に対応する布石であった。

  16. 赤字転落・経営危機

    1973年10月のオイルショックで石油価格が高騰し、燃費性能に劣るロータリーエンジン搭載車の販売が国内外で低迷。マツダは在庫を抱え、1975年10月に経常赤字に転落した。メインバンクの住友銀行はこれを問題視し、以後マツダは実質的に住友銀行の管理下に置かれ、有力完成車メーカーとの協業を模索した。1975年から1980年代のマツダは「住友自動車」とも形容された。

  17. 防府工場を新設
  18. 設備投資
    防府西浦乗用車工場を新設

    防府地区に乗用車専門の西浦工場を新設し、輸出向けを含む乗用車の量産能力を増強した。前年の防府中関変速機工場と合わせ、防府を主力生産拠点に位置づけた。

  19. マツダ株式会社に商号変更
  20. 米国に現地生産子会社を新設

    1985年にマツダは北米に現地生産子会社を新設し、現地生産を開始した。1992年にフォードとの共同出資による合弁方式に移行したが、2013年にフォードとの提携解消を受けて現地生産から撤退。

  21. 国内販売5チャンネル体制を発表

    1989年にマツダは国内乗用車販売を改革し、従来の「車種別3チャネル(マツダ系・オート系・オートラマ系)」から5チャネルへ拡大。日産4・トヨタ5に対抗しシェア拡大を狙った。当時、車種拡大には販売チャネル増大が有利と判断した。1992年2月には防府第2工場を新設し、生産・販売への積極投資を遂行した。

  22. 設備投資
    防府第二工場を新設

    5チャネル体制への対応として、防府地区に第二工場を新設した。販売チャネル拡大に応じた量産能力増強の柱となったが、その後の販売不振局面では稼働率低下の重荷ともなった。

  23. 業務提携
    フォードと米AAI社を均等出資合弁化

    米国の現地生産拠点であるオートアライアンスインターナショナル(AAI)をフォードとの均等出資合弁会社へ移行した。これによってフォード車・マツダ車を共同生産する体制となり、北米事業のフォード依存が一段と深まった。

  24. 米フォードと戦略的協業を発表
  25. タイに現地生産子会社を設立

    フォードと合弁でタイにおける現地生産を開始

  26. 中国に現地生産子会社を設立

    フォードおよび現地企業と合弁で、中国における現地生産を開始

  27. 米フォードの提携解消へ

    リーマンショックにより米国における自動車販売が低迷。米フォードは経営危機に陥ったため、2008年までに同社が保有していたマツダ株式の段階的な売却を決定した。これによりマツダは、1979年から続いたフォードとの提携解消を決定した。

  28. 海外進出
    メキシコに住友商事との合弁工場を設立

    住友商事との合弁により、メキシコに完成車組立子会社マツダモトールマヌファクトゥリングデメヒコを設立した。北米向けの新たな生産拠点として、後に量産を開始する基盤を築いた。

  29. 最終赤字転落・構造改革プランを策定

    2012年3月期にマツダは1077億円の最終赤字に転落。リーマンショックにより2009年3月期に最終赤字へ転落し、以降、4期連続の最終赤字に転落した。2012年にマツダは「構造改革プラン」を策定。北米からの現地生産撤退や、固定費削減(間接部門の社員を海外販売の一線に配置転換)などを遂行。

  30. 北米現地生産から撤退

    収益性改善のために、フォードとの合弁による現地生産(ミシガン州・AAI社)からの撤退を決定。合弁会社の株式をフォードに売却し、北米向けの車種はメキシコ工場および国内(防府工場)での生産に切り替え

  31. 設備投資
    メキシコ工場で量産車生産を開始

    2011年に設立したメキシコの完成車組立子会社で量産車の生産を本格的に開始した。北米市場向けの供給網が、フォード合弁拠点からメキシコ自社拠点へ切り替わる転換点となった。

  32. 業務提携
    米国にトヨタ合弁マツダトヨタマニュファクチャリングUSAを設立

    トヨタとの資本業務提携に基づき、米国アラバマ州に完成車組立合弁会社マツダトヨタマニュファクチャリングUSA(MTMUS)を設立した。北米生産の主力拠点として位置づけ、CX-50・カローラの共同生産を計画した。

  33. 業務提携
    米TMT合弁で新工場を稼働・CX-50を量産
    フォードとの提携ではマツダは筆頭株主に経営を支配され、自社の戦略的自由度は制約されていた。トヨタとの合弁は折半出資による対等な枠組みとして設計され、マツダが自社ブランドの価値を前面に打ち出す余地が確保された。同じ「北米現地生産」でも出資構造と力関係の設計が企業の自律性を左右する——フォード時代の受動的展開とトヨタ時代の能動的戦略の対比は、提携の「質」が事業の方向性を根本から規定することを示唆している。
  34. 株式上場
    東証プライム市場へ移行

    東京証券取引所の市場区分再編に伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。グローバル投資家を含む投資家層への適合を維持した形となった。