沿革年表 1925〜2025年における重要度別の出来事(合計37件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 中外新薬商会を創業 歴史的意義yutaka sugiura 中外製薬の創業は、関東大震災後の医薬品需要に着目した上野十蔵の参入判断に端を発する。輸入代理で市場知識と取引先の信用を積み上げた後に注射薬の自社製造へ転換し、単一製品に経営資源を集約する運営を戦前期を通じて維持した。多角化を選ばず販売数量に基づく設備拡張を繰り返した背景には、研究開発力の制約と資本の限界があり、この制約下での逐次的判断が戦後の製品展開の前提条件を形成した。 | 1925 1-12月 | ||||
会社設立 | 医薬品製造に着手 1925年の創業以来、輸入販売を主力としていた中外新薬商会は、1927年1月に医薬品製造に着手した。よって輸入依存から自社製造へ事業基盤を拡張し、後年の解毒剤グロンサン発売など独自製剤の土台を築いた。 | 1927 1-12月 | ||||
組織再編 | 株式会社化と「中外製薬」へ商号変更 1943年3月、中外新薬商会は株式会社に組織変更し、商号を中外製薬株式会社(本社・東京都)に変更した。すなわち戦時下における医薬品製造の体制整備を背景に、現在に続く社名と法人格をこの時点で確立している。 | 1943 1-12月 | ||||
組織再編設備投資 | 松永製薬所を吸収合併・松永工場開設 1944年4月、株式会社松永製薬所を吸収合併し広島県に松永工場を開設した。よって関西圏における製造拠点を獲得し、戦中・戦後の医薬品増産体制の一翼を担うこととなった。 | 1944 1-12月 | ||||
解毒剤「グロンサン」の発売 歴史的意義yutaka sugiura グロンサンの製品化は、学術研究を特許取得と製造技術で囲い込み、独占的な市場を構築した事例である。医療用注射薬から大衆薬への展開により売上は拡大したが、その過程で同製品への依存度が高まり、1966年の販売不振で無配転落に至った。需要が安定する局面での効率性と、変化への耐性の欠如は、単一製品集中型の事業構造が持つ表裏の関係として現れた。 | 1951 1-12月 | |||||
東京証券取引所に株式上場 - | FY56 1956/12 | |||||
総合研究所を新設 | FY60 1960/12 | |||||
無配転落・早期退職者を募集 中外製薬の売上成長を牽引してきた大衆向け医薬品「グロンサン」の販売不振により業績が悪化。1966年3月期に中外製薬は経営再建のために早期退職者420名の募集を実施。 | FY66 1966/12 | |||||
臨床検査薬に参入 | FY71 1971/12 | 売上高 204億円 | 当期純利益 5億円 | |||
FY72 1972/12 | 売上高 201億円 | 当期純利益 2億円 | ||||
FY73 1973/12 | 売上高 211億円 | 当期純利益 1億円 | ||||
FY74 1974/12 | 売上高 275億円 | 当期純利益 3億円 | ||||
FY75 1975/12 | 売上高 265.58億円 | 当期純利益 3.23億円 | ||||
FY76 1976/12 | 売上高 424.41億円 | 当期純利益 14.01億円 | ||||
FY77 1977/12 | 売上高 492.36億円 | 当期純利益 23.08億円 | ||||
FY78 1978/12 | 売上高 578.49億円 | 当期純利益 30.05億円 | ||||
FY79 1979/12 | 売上高 651.36億円 | 当期純利益 35.35億円 | ||||
FY80 1980/12 | 売上高 713.53億円 | 当期純利益 41.6億円 | ||||
FY81 1981/12 | 売上高 770.83億円 | 当期純利益 41.92億円 | ||||
FY82 1982/12 | 売上高 878.36億円 | 当期純利益 43.59億円 | ||||
FY83 1983/12 | 売上高 957.68億円 | 当期純利益 49.09億円 | ||||
米Genetics Instituteに資本参加・EPOの製造販売権を取得 | FY84 1984/12 | 売上高 1,001.79億円 | 当期純利益 45.46億円 | |||
EPOを巡り競合の米アムジェン社から提訴・特許係争へ | FY87 1987/12 | |||||
富士御殿場研究所を新設 | ||||||
米ジェンブローブ社を買収(DNA診断薬) | FY89 1989/12 | |||||
業務提携海外進出 | ローヌ・プーランと合弁・中外ローヌ・プーラン設立 1990年6月、フランスのローヌ・プーラン社との合弁企業として「中外ローヌ・プーラン」をフランスに設立した。すなわち1980年代以降の欧米製薬大手との提携路線を継続し、欧州市場におけるバイオ製剤の販路構築を狙った布石となっている。 | FY90 1990/12 | ||||
宇都宮工場を新設 | ||||||
バイオ製剤「ノイトロジン」を発売 歴史的意義yutaka sugiura ノイトロジンの開発は、収益化の時期が見通せない研究を十数年にわたって継続するという経営判断の産物であった。上野公夫と佐野肇による投資継続の決断は、短期的な財務指標では正当化しにくい選択であったが、バイオ医薬品の研究・製造に関する技術と人材を社内に蓄積する結果をもたらした。この蓄積がなければ、後年のアクテムラ開発やロシュとの提携における創薬集中の戦略は成立しなかった。 | FY91 1991/12 | |||||
| 永山治 | 永山治氏が代表取締役社長に就任 | FY92 1992/12 | 売上高 1,594億円 | 当期純利益 69億円 | ||
海外進出 | 永山治 | 英国に中外ファーマ・ユーケーを設立 1993年5月、英国に「中外ファーマ・ユーケー・リミテッド」を設立した。よって欧州市場における自社販売網の整備に着手し、その後ロンドン駐在事務所の現地法人化(1994年・中外ファーマ・ヨーロッパ)にもつながる欧州展開の起点となった。 | FY93 1993/12 | 売上高 1,713億円 | 当期純利益 82億円 | |
| 永山治 | FY94 1994/12 | 売上高 385億円 | 当期純利益 26億円 | |||
| 永山治 | 米国に現地法人を新設(バイオ) | FY95 1995/12 | 売上高 1,815億円 | 当期純利益 98億円 | ||
| 永山治 | FY96 1996/12 | 売上高 1,856億円 | 当期純利益 115億円 | |||
| 永山治 | FY97 1997/12 | 売上高 1,857億円 | 当期純利益 97億円 | |||
| 永山治 | FY98 1998/12 | 売上高 1,895億円 | 当期純利益 80億円 | |||
| 永山治 | FY99 1999/12 | 売上高 1,955億円 | 当期純利益 87億円 | |||
| 永山治 | FY00 2000/12 | 売上高 2,030億円 | 当期純利益 155億円 | |||
| 永山治 | 筑波研究所を新設 | FY01 2001/12 | 売上高 2,030億円 | 当期純利益 155億円 | ||
組織再編海外進出 | 永山治 | 米国持株会社・中外USAを設立 2002年3月、米国に持株会社「中外ユー・エス・エー・インコーポレーテッド」を設立した。すなわち米国における複数の現地法人を一元管理する体制を整え、後年(2015年10月)の持株会社と開発子会社の統合に至る米国組織再編の起点となった。 | FY02 2002/12 | 売上高 2,117億円 | 当期純利益 145億円 | |
事業売却 | ジェン・プローブをスピンオフ 2002年9月、1989年に買収した米国DNA診断薬企業ジェン・プローブ・インコーポレーテッドをスピンオフした。あわせて中外診断科学の全株式を富士レビオに譲渡している。よってロシュとの戦略提携に先立ち、診断薬事業を整理し創薬への集中を進めた。 | |||||
重要事項業務提携 | ロシュと戦略提携を締結 歴史的意義yutaka sugiura ロシュへの過半出資の受け入れは、自社の創薬力を世界市場に接続するために資本面の自主性を代償として差し出す選択であった。中外製薬は創薬と初期開発に特化し、後期開発と海外販売をロシュに委ねることで、限られた資本を研究に集中させる構造を構築した。永山治が「確信があったわけではない」と述べたように、この判断は確度の高い見通しではなく、バイオ医薬品時代の投資規模に対する構造認識から導かれたものであった。 | |||||
| 永山治 | 高田研究所・松永工場を閉鎖 | FY03 2003/12 | 売上高 2,327億円 | 当期純利益 284億円 | ||
| 永山治 | 一般用医薬品事業をライオンに譲渡 | FY04 2004/12 | 売上高 2,946億円 | 当期純利益 341億円 | ||
| 永山治 | 国産初の抗体医薬品「アクテムラ」を発売 | FY05 2005/12 | 売上高 3,271億円 | 当期純利益 536億円 | ||
筑波研究所を閉鎖 | ||||||
事業売却 | 鏡石工場と東北中外製薬をニプロに譲渡 2005年6月、鏡石工場および東北中外製薬株式会社をニプロ株式会社に譲渡した。よって筑波研究所の閉鎖(同年3月)に続く生産・研究の選別が進み、ロシュ提携後の創薬集中という戦略方針が拠点再編の形で具体化していった。 | |||||
| 永山治 | 医薬品製造事業を子会社に移管 | FY06 2006/12 | 売上高 3,261億円 | 当期純利益 384億円 | ||
| 永山治 | FY07 2007/12 | 売上高 3,448億円 | 当期純利益 400億円 | |||
| 永山治 | FY08 2008/12 | 売上高 3,269億円 | 当期純利益 392億円 | |||
| 永山治 | FY09 2009/12 | 売上高 4,289億円 | 当期純利益 566億円 | |||
事業撤退 | 永山治 | 中外製薬工業 鎌倉工場を閉鎖 2010年12月、中外製薬工業株式会社の鎌倉工場を閉鎖した。すなわち2006年の医薬品製造事業の子会社移管以降、生産拠点の集約が継続的に進められたことを示す動きとなっている。 | FY10 2010/12 | 売上高 3,795億円 | 当期純利益 414億円 | |
| 永山治 | FY11 2011/12 | 売上高 3,735億円 | 当期純利益 352億円 | |||
海外進出 | 永山治 | シンガポールに研究子会社を設立 2012年1月、抗体医薬の探索研究を担う「中外ファーマボディ・リサーチ・ピーティーイー・リミテッド」をシンガポールに設立した。よって国産初の抗体医薬アクテムラ発売後の研究機能を海外に拡張し、アジア圏における創薬研究拠点の整備を進めた。 | FY12 2012/12 | 売上高 3,912億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 482億円 | |
| 永山治 | FY13 2013/12 | 売上高 4,260億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 506億円 | |||
海外進出 | 永山治 | 中国に日健中外製薬を設立 2014年3月、中国に「日健中外製薬有限公司」を設立した。すなわち中国市場における事業展開の足場を整え、2016年6月の泰州日健中外製薬工業の設立、2022年4月の中国における開発・販売機能統合へと連なる中国体制構築の起点となった。 | FY14 2014/12 | 売上高 4,611億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 509億円 | |
| 永山治 | 海外子会社を再編 | FY15 2015/12 | 売上高 4,988億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 611億円 | ||
抗体医薬品・血友病A治療薬「ヘムライブラ」を発売(エミシズマブ) | ||||||
| 永山治 | FY16 2016/12 | 売上高 4,917億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 535億円 | |||
| 小坂達朗 | FY17 2017/12 | 売上高 5,341億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 727億円 | |||
| 小坂達朗 | FY18 2018/12 | 売上高 5,797億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 924億円 | |||
| 小坂達朗 | FY19 2019/12 | 売上高 6,861億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,575億円 | |||
| 奥田修 | FY20 2020/12 | 売上高 7,869億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,147億円 | |||
| 奥田修 | FY21 2021/12 | 売上高 9,997億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,029億円 | |||
組織再編 | 奥田修 | 中国における開発・販売機能を統合 2022年4月、中国における開発機能と販売機能等を統合した。よって2014年の日健中外製薬設立以降に拡張してきた中国拠点を一体運営し、現地での開発から販売までの意思決定を迅速化する体制へと再編した。 | FY22 2022/12 | 売上高 12,597億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,744億円 | |
事業撤退 | 奥田修 | 富士御殿場研究所と鎌倉研究所を閉鎖 2023年3月、富士御殿場研究所および鎌倉研究所を閉鎖した。すなわち中外ライフサイエンスパーク横浜(同年4月稼働)への研究機能の集約に伴い、地方研究所を整理する形で研究体制の再編を進めた。 | FY23 2023/12 | 売上高 11,113億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,254億円 | |
中外ライフサイエンスパーク横浜を稼働 | ||||||
| 奥田修 | FY24 2024/12 | 売上高 11,706億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,873億円 | |||
| 奥田修 | FY25 2025/12 | 売上高 12,579億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,340億円 |
- 中外新薬商会を創業中外製薬の創業は、関東大震災後の医薬品需要に着目した上野十蔵の参入判断に端を発する。輸入代理で市場知識と取引先の信用を積み上げた後に注射薬の自社製造へ転換し、単一製品に経営資源を集約する運営を戦前期を通じて維持した。多角化を選ばず販売数量に基づく設備拡張を繰り返した背景には、研究開発力の制約と資本の限界があり、この制約下での逐次的判断が戦後の製品展開の前提条件を形成した。
- 医薬品製造に着手
1925年の創業以来、輸入販売を主力としていた中外新薬商会は、1927年1月に医薬品製造に着手した。よって輸入依存から自社製造へ事業基盤を拡張し、後年の解毒剤グロンサン発売など独自製剤の土台を築いた。
- 株式会社化と「中外製薬」へ商号変更
1943年3月、中外新薬商会は株式会社に組織変更し、商号を中外製薬株式会社(本社・東京都)に変更した。すなわち戦時下における医薬品製造の体制整備を背景に、現在に続く社名と法人格をこの時点で確立している。
- 松永製薬所を吸収合併・松永工場開設
1944年4月、株式会社松永製薬所を吸収合併し広島県に松永工場を開設した。よって関西圏における製造拠点を獲得し、戦中・戦後の医薬品増産体制の一翼を担うこととなった。
- 解毒剤「グロンサン」の発売グロンサンの製品化は、学術研究を特許取得と製造技術で囲い込み、独占的な市場を構築した事例である。医療用注射薬から大衆薬への展開により売上は拡大したが、その過程で同製品への依存度が高まり、1966年の販売不振で無配転落に至った。需要が安定する局面での効率性と、変化への耐性の欠如は、単一製品集中型の事業構造が持つ表裏の関係として現れた。
- 東京証券取引所に株式上場
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- 総合研究所を新設
- 無配転落・早期退職者を募集
中外製薬の売上成長を牽引してきた大衆向け医薬品「グロンサン」の販売不振により業績が悪化。1966年3月期に中外製薬は経営再建のために早期退職者420名の募集を実施。
- 臨床検査薬に参入
- 米Genetics Instituteに資本参加・EPOの製造販売権を取得
- EPOを巡り競合の米アムジェン社から提訴・特許係争へ
- 富士御殿場研究所を新設
- 米ジェンブローブ社を買収(DNA診断薬)
- ローヌ・プーランと合弁・中外ローヌ・プーラン設立
1990年6月、フランスのローヌ・プーラン社との合弁企業として「中外ローヌ・プーラン」をフランスに設立した。すなわち1980年代以降の欧米製薬大手との提携路線を継続し、欧州市場におけるバイオ製剤の販路構築を狙った布石となっている。
- 宇都宮工場を新設
- バイオ製剤「ノイトロジン」を発売ノイトロジンの開発は、収益化の時期が見通せない研究を十数年にわたって継続するという経営判断の産物であった。上野公夫と佐野肇による投資継続の決断は、短期的な財務指標では正当化しにくい選択であったが、バイオ医薬品の研究・製造に関する技術と人材を社内に蓄積する結果をもたらした。この蓄積がなければ、後年のアクテムラ開発やロシュとの提携における創薬集中の戦略は成立しなかった。
- 永山治氏が代表取締役社長に就任
- 英国に中外ファーマ・ユーケーを設立
1993年5月、英国に「中外ファーマ・ユーケー・リミテッド」を設立した。よって欧州市場における自社販売網の整備に着手し、その後ロンドン駐在事務所の現地法人化(1994年・中外ファーマ・ヨーロッパ)にもつながる欧州展開の起点となった。
- 米国に現地法人を新設(バイオ)
- 筑波研究所を新設
- 米国持株会社・中外USAを設立
2002年3月、米国に持株会社「中外ユー・エス・エー・インコーポレーテッド」を設立した。すなわち米国における複数の現地法人を一元管理する体制を整え、後年(2015年10月)の持株会社と開発子会社の統合に至る米国組織再編の起点となった。
- ジェン・プローブをスピンオフ
2002年9月、1989年に買収した米国DNA診断薬企業ジェン・プローブ・インコーポレーテッドをスピンオフした。あわせて中外診断科学の全株式を富士レビオに譲渡している。よってロシュとの戦略提携に先立ち、診断薬事業を整理し創薬への集中を進めた。
- ロシュと戦略提携を締結ロシュへの過半出資の受け入れは、自社の創薬力を世界市場に接続するために資本面の自主性を代償として差し出す選択であった。中外製薬は創薬と初期開発に特化し、後期開発と海外販売をロシュに委ねることで、限られた資本を研究に集中させる構造を構築した。永山治が「確信があったわけではない」と述べたように、この判断は確度の高い見通しではなく、バイオ医薬品時代の投資規模に対する構造認識から導かれたものであった。
- 高田研究所・松永工場を閉鎖
- 一般用医薬品事業をライオンに譲渡
- 国産初の抗体医薬品「アクテムラ」を発売
- 筑波研究所を閉鎖
- 鏡石工場と東北中外製薬をニプロに譲渡
2005年6月、鏡石工場および東北中外製薬株式会社をニプロ株式会社に譲渡した。よって筑波研究所の閉鎖(同年3月)に続く生産・研究の選別が進み、ロシュ提携後の創薬集中という戦略方針が拠点再編の形で具体化していった。
- 医薬品製造事業を子会社に移管
- 中外製薬工業 鎌倉工場を閉鎖
2010年12月、中外製薬工業株式会社の鎌倉工場を閉鎖した。すなわち2006年の医薬品製造事業の子会社移管以降、生産拠点の集約が継続的に進められたことを示す動きとなっている。
- シンガポールに研究子会社を設立
2012年1月、抗体医薬の探索研究を担う「中外ファーマボディ・リサーチ・ピーティーイー・リミテッド」をシンガポールに設立した。よって国産初の抗体医薬アクテムラ発売後の研究機能を海外に拡張し、アジア圏における創薬研究拠点の整備を進めた。
- 中国に日健中外製薬を設立
2014年3月、中国に「日健中外製薬有限公司」を設立した。すなわち中国市場における事業展開の足場を整え、2016年6月の泰州日健中外製薬工業の設立、2022年4月の中国における開発・販売機能統合へと連なる中国体制構築の起点となった。
- 海外子会社を再編
- 抗体医薬品・血友病A治療薬「ヘムライブラ」を発売(エミシズマブ)
- 中国における開発・販売機能を統合
2022年4月、中国における開発機能と販売機能等を統合した。よって2014年の日健中外製薬設立以降に拡張してきた中国拠点を一体運営し、現地での開発から販売までの意思決定を迅速化する体制へと再編した。
- 富士御殿場研究所と鎌倉研究所を閉鎖
2023年3月、富士御殿場研究所および鎌倉研究所を閉鎖した。すなわち中外ライフサイエンスパーク横浜(同年4月稼働)への研究機能の集約に伴い、地方研究所を整理する形で研究体制の再編を進めた。
- 中外ライフサイエンスパーク横浜を稼働