沿革年表 1890〜2026年における重要度別の出来事(合計71件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
研究開発 | 丸ノ内建築所を設立 自社物件の設計監理部門を社内に設置。ジョサイア・コンドルを招聘し赤レンガ街の計画を始動 のちの三菱地所設計につながる設計監理機能の発祥 | 1890 1-12月 | ||||
重要事項企業買収 | 三菱財閥が丸ノ内の陸軍用地を一括買収 岩崎弥之助が松方正義蔵相の打診を受け、入札ゼロだった陸軍用地約35万坪を買い取った。岩崎は「竹を植えて虎でも飼うさ」と批判に応じたと伝わる 歴史的意義yutaka sugiura 丸ノ内買収の構造的特質は、市場が採算不可と判断した荒地を政府関係の維持を名目に取得し、30年の歳月をかけてオフィス街へ転換した点にある。東京駅の開業前は入札で落札者ゼロという市場評価が合理的であった。三菱財閥が本業の重工業・貿易の収益で赤字を吸収し続けられたことが超長期投資を可能にした唯一の条件であり、不動産開発における時間軸の設計という観点で極端な先行投資の事例といえる。 | |||||
設備投資 | 三菱1号館を竣工(ジョサイア・コンドル設計) ロンドンのロンバート街を模した赤レンガ造オフィス。丸ノ内で最初の本格的ビジネスビル 歴史的意義yutaka sugiura 三菱合資会社が丸ノ内の開発を「雑務」として位置づけ、専門部署を16年間設置しなかった事実は、不動産事業が三菱財閥の経営において副次的であったことを端的に示す。9年間の建築停止を挟みながら30年かけて段階的にオフィス街を形成した手法は、需要の不確実性を受容しつつ本業の収益で赤字を吸収する三菱ならではの開発モデルであった。東京駅開業という外部要因が立地改善の決定打となり、赤レンガからRC建築への転換を促した。 | 1894 1-12月 | ||||
設備投資 | 丸ノ内の開発を再開(1896年以来9年ぶり) 東京駅未開業でテナント誘致が難航し新築がほぼ止まっていたが、1904年から第2期開発を再開し1918年までに19棟を建設 「一丁倫敦」完成に向けた第2期開発の再起動 | 1904 1-12月 | ||||
設備投資 | 東京駅開業で丸ノ内の立地条件が一変 三菱の事業ではないが丸ノ内ビジネスセンター化の外部環境を決定づけた節目 荒地だった丸ノ内が日本最高の立地に転換した転機 | 1914 1-12月 | ||||
設備投資 | 「一丁倫敦」が完成(赤レンガ街19棟) 1894年の1号館から第26号館まで馬場先通り一帯に煉瓦造・RC造のビル群が並び、明治末期のビジネスセンターを形成 赤レンガ造による一体的な西洋型オフィス街の到達点 | 1918 1-12月 | ||||
設備投資 | 丸ノ内ビルヂング(初代丸ビル)竣工 桜井小太郎設計、東京駅前にアメリカ型の8階建て大貸事務所。耐震補強工事に約万円規模の投資。「東洋一の大貸事務所」と評された 歴史的意義yutaka sugiura 丸ビル竣工の意義は、三菱がロンドン模倣の赤レンガ建築からアメリカ型の大規模オフィスビルへと建築思想を転換した点にある。東京駅の開業で立地条件が改善され、サラリーマン文化の普及でオフィス需要が顕在化したことが転換の契機となった。丸ノ内買収から33年を経た竣工は、需要が存在しない段階では投資を抑制し、条件が整った時点で大規模投資に転じるという三菱の開発思想を体現している。 | 1923 1-12月 | ||||
設備投資 | 丸ビル敷地が全国一の土地賃貸価格に 大蔵省調査で東京駅前丸ビル敷地が全国で最も高い土地賃貸価格と認定された | 1927 1-12月 | ||||
設備投資 | 丸ノ内一帯が空き地なしのビジネスセンターへ 昭和初期の建築ブームで丸ノ内の空き地がほぼ消失、ウォール街になぞらえられた 戦前段階で丸ノ内が日本随一のビジネスセンターに到達した節目 | 1935 1-12月 | ||||
重要事項会社設立 | 三菱地所株式会社を設立 三菱合資会社より丸ノ内ビル並びに同敷地の所有権及び丸の内地区他の土地建物営業権を譲り受ける 歴史的意義yutaka sugiura 三菱地所の設立と再発足は、財閥の組織構造と戦後の制度変化が不動産事業に与えた影響を示す。三菱合資会社の一部門から独立した三菱地所は財閥解体で3社に分割されたが、陽和不動産への株式買い占めという外部脅威が再統合の契機となった。分割から3年での再合併は、丸ノ内という資産の一体的管理が事業運営上の不可欠な前提であることを裏付ける。財閥解体の政策意図に反する早期再統合は、不動産の資産集約がもつ経済合理性が制度的制約を上回った結果である。 | 1937 1-12月 | ||||
組織再編 | 三菱合資会社建築課を吸収 三菱合資会社より同社建築課の業務一切を引継ぐ 分離独立から半年後の建築機能統合で設計・開発・賃貸が一体化 | |||||
企業買収 | 丸ノ内八重洲ビルの所有権を三菱本社より譲受 太平洋戦争中に三菱本社から現物出資として八重洲ビルを取得 | 1945 1-12月 | ||||
組織再編 | 財閥解体により陽和・開東の2社を分離 丸ノ内、八重洲両ビルを除く丸の内地区他の土地建物営業権を三菱本社に返還。三菱本社解散に伴い、第二会社として陽和不動産・開東不動産を設立 GHQの財閥解体で丸ノ内の経営が事実上3分割された戦後の試練 | 1950 1-12月 | ||||
重要事項組織再編 | 陽和不動産・開東不動産を吸収合併 陽和不動産の買い占め脅威を契機に再統合の機運が高まり、分割からわずか3年で三菱地所として再結集 丸ノ内という巨大資産の一体管理が不動産事業の本質と実務で裏付けた異例の早期再統合 | FY54 1954/3 | ||||
株式上場 | 東京・大阪証券取引所に株式を上場 戦後再統合直後の資本市場への登場。日本最大の不動産会社として公開企業へ | |||||
株式上場 | 札幌証券取引所に株式を上場 | FY55 1955/3 | ||||
株式上場 | 福岡証券取引所に株式を上場 | |||||
株式上場 | 名古屋証券取引所に株式を上場 | |||||
重要事項経営計画設備投資 | 丸ノ内総合改造計画を策定 渡辺武次郎社長の下、東京都都市計画局の指導で決定。明治期の赤レンガ街を31m統一の近代不燃化高層ビル群へ建て替える構想。1973年の三菱ビル竣工で一応完成 歴史的意義yutaka sugiura 丸の内総合改造計画の構造的特質は、老朽化した赤レンガ街の近代化と、財閥解体で弱体化した三菱グループの求心力回復を同時に達成した点にある。新設ビルをグループ各社に優先賃貸することで丸ノ内はグループの結束を物理的に担保する装置として機能した。ただし31mの高さ制限は渡辺社長の美観論に基づくものであり、超高層時代への対応を先送りにした側面も持つ。 | FY60 1960/3 | ||||
新規事業 | 住宅部を設置し住宅供給事業に進出 総合デベロッパーへの発展の第一歩。1970年に初のマンション赤坂パークハウスを供給 オフィス賃貸依存からの多角化の出発点 | FY68 1968/3 | ||||
FY71 1971/3 | 売上高 428.58億円 | 当期純利益 72.19億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 511億円 | 当期純利益 78.31億円 | ||||
新規事業海外進出 | 赤坂パークハウス分譲・三菱地所ニューヨーク社を設立 マンション事業への進出と米国初の現地法人設立を同時実行 住宅分譲の本格開始と海外展開の起点 | FY73 1973/3 | 売上高 639.47億円 | 当期純利益 92.16億円 | ||
設備投資 | 泉パークタウン第1期起工 仙台市郊外で1万3500戸・5万人規模の居住・工業・流通・スポーツ複合タウン開発に着手 大規模郊外開発の代表事例。総合デベロッパー化を象徴 | |||||
組織再編 | 名菱不動産・北菱不動産を吸収合併 | |||||
新規事業 | 三菱地所住宅販売(現 三菱地所リアルエステートサービス)を設立 住宅販売体制の整備。2007年4月に三菱地所リアルエステートサービスに改称 | |||||
設備投資 | 札幌・仙台・名古屋・大阪の4支店を新設 地方主要都市への拠点展開。札幌は2017年に北海道支店、仙台は1989年に東北支店、名古屋は2018年に中部支店、大阪は2016年に関西支店へ改称 | FY74 1974/3 | 売上高 823.54億円 | 当期純利益 98.18億円 | ||
FY75 1975/3 | 売上高 854.35億円 | 当期純利益 81.15億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 837.01億円 | 当期純利益 80.61億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 935.93億円 | 当期純利益 83.7億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 1,048.31億円 | 当期純利益 94.6億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 1,124.67億円 | 当期純利益 105.77億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 1,256.03億円 | 当期純利益 129.35億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 1,350.54億円 | 当期純利益 143.09億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 1,474.47億円 | 当期純利益 154.17億円 | ||||
設備投資 | 「みなとみらい21」計画区域内土地取得 横浜ランドマークタワー建設の土地仕込み のちのランドマークタワー開発につながる戦略的土地取得 | FY83 1983/3 | 売上高 1,538.45億円 | 当期純利益 161.07億円 | ||
新規事業 | 名古屋第一ホテルを開業しホテル事業に進出 ホテル事業という第三の収益源の出発点 | FY84 1984/3 | 売上高 1,856.13億円 | 当期純利益 184.21億円 | ||
FY85 1985/3 | 売上高 1,918.56億円 | 当期純利益 205.31億円 | ||||
海外進出 | ロンドンでアトラスハウスを取得 ロンドン・シティの歴史的建物アトラスハウスを取得し英国拠点を確保 欧州オフィス市場への本格参入の起点 | FY86 1986/3 | ||||
企業買収海外進出 | 三菱地所ホームを設立・メックユーケー社を設立 国内向け木造住宅事業と英国拠点運営会社を同時に設立 住宅事業の強化と欧州事業運営体制の整備 | |||||
設備投資 | 横浜事業所を新設(2000年4月横浜支店に改組) | FY87 1987/3 | ||||
経営計画 | 「丸の内マンハッタン化計画」構想を発表 東京駅を中心とした丸の内・有楽町・大手町・八重洲合計113haで総投資額約6兆円・40〜50階建てビル約60棟を建設する30年計画を発表。地元反発で挫折 「他人のビルまで勝手に変える気か」と猛反発を受け挫折、以後の再開発が慎重になる転機 | FY88 1988/3 | ||||
新規事業 | イムズ開業(商業施設事業に進出) 福岡のイムズ開業で本格的な商業施設運営事業を開始 オフィス賃貸中心からリテール系への事業領域拡張 | FY89 1989/3 | ||||
新規事業 | 箱崎ロイヤルパークホテルを開業しホテル事業部を設立 ホテル事業部を正式発足、ロイヤルパークブランドの起点 ホテル運営機能の組織化 | FY90 1990/3 | ||||
設備投資 | 広島・九州支店を新設 広島は2017年11月中四国支店に改称 | |||||
重要事項企業買収海外進出 | 米ロックフェラーグループ社に資本参加 ニューヨーク高層オフィスビル群「ロックフェラーセンター」を保有する同社に80%出資。1990年代の米国不動産不況で1995年に撤退、約1000億円の固定資産除却損計上 バブル期の象徴的海外大型M&A。巨額損失で国際不動産投資の難しさが顕在化 | FY91 1991/3 | ||||
設備投資 | ロサンゼルスで777タワー建設 地元資本と共同でロサンゼルスに777タワーを建設 | |||||
設備投資 | 大阪支店神戸営業所を新設 1999年6月大阪支店に統合 | FY92 1992/3 | 売上高 4,689億円 | 当期純利益 411億円 | ||
設備投資 | 木村惠司 | 大阪アメニティパーク着工 三菱マテリアルと共同で推進 | FY93 1993/3 | 売上高 4,688億円 | 当期純利益 262億円 | |
設備投資 | 木村惠司 | 横浜ランドマークタワー竣工 高さ296m、事務所・ホテル・商業施設等の複合機能を持つ大規模事業。当時日本一の高さ みなとみらい21地区開発の象徴。ビル事業の集大成として評価 | FY94 1994/3 | 売上高 5,588億円 | 当期純利益 225億円 | |
| 木村惠司 | FY95 1995/3 | 売上高 5,634億円 | 当期純利益 150億円 | |||
重要事項事業撤退海外撤退 | 木村惠司 | ロックフェラーセンター投資事業から撤退 子会社ロックフェラーセンター・プロパティーズとRCPAが5月に連邦破産法を申請、9月に三菱地所がビル投資事業撤退を決定 海外大型M&Aの失敗処理。国内回帰と慎重な海外投資への方針転換の契機 | FY96 1996/3 | 売上高 5,512億円 | 当期純利益 -989億円 | |
経営計画設備投資 | 初代丸ビルの建て替え計画を発表 1923年竣工の初代丸ビルは350テナントの立ち退き交渉難航で頓挫していたが、同年1月の阪神大震災で耐震の論拠が加わり建て替えを正式発表 歴史的意義yutaka sugiura 初代丸ビルの建て替えが長年頓挫した要因は、350の個人テナントの立ち退き交渉の困難さにあった。渡辺武次郎氏の超高層反対の意向が経営判断を制約していた可能性も否定できない。1995年の阪神大震災が防災面での建て替え論拠を提供し、ようやく正式発表に至った。2代目丸ビルでは商業施設を併設して複合都市化を図る新コンセプトが導入され、オフィス一辺倒だった丸ノ内の再定義が行われた点が注目に値する。 | |||||
設備投資 | 木村惠司 | 本店を東京ビルに移転 | FY97 1997/3 | 売上高 5,591億円 | 当期純利益 383億円 | |
| 木村惠司 | FY98 1998/3 | 売上高 5,487億円 | 当期純利益 318億円 | |||
| 木村惠司 | FY99 1999/3 | 売上高 5,652億円 | 当期純利益 223億円 | |||
設備投資経営計画 | 木村惠司 | 丸の内ビルの新築工事着工(丸の内再開発に着手) 2002年9月の2代目丸ビル竣工に向けた工事着工 「丸の内マンハッタン化計画」挫折から10年、超高層複合都市への再挑戦の起点 | FY00 2000/3 | 売上高 5,743億円 | 当期純利益 184億円 | |
組織再編 | 木村惠司 | 機構改革の実施(関係会社一体の事業本部制導入等) | FY01 2001/3 | 売上高 6,309億円 | 当期純利益 198億円 | |
新規事業 | ホテル事業統括会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツを設立 2024年1月三菱地所ホテルズ&リゾーツに改称 | |||||
組織再編 | 木村惠司 | 設計監理事業本部を三菱地所設計に分社 1890年の丸ノ内建築所を起源とする設計機能を独立会社化 | FY02 2002/3 | 売上高 6,315億円 | 当期純利益 -710億円 | |
設備投資新規事業 | 木村惠司 | 2代目丸ビル竣工・超高層複合都市への転換 初代の純粋なオフィスビルと異なり商業施設を併設した超高層複合ビル。開業1カ月で来館者280万人。31m中層ビル群の統一景観からの転換 「丸の内のたそがれ」を覆し、平日のオフィス街から休日も賑わう複合都市への再定義 | FY03 2003/3 | 売上高 6,817億円 | 当期純利益 360億円 | |
設備投資 | 本店を大手町ビルに移転 | |||||
| 木村惠司 | FY04 2004/3 | 売上高 6,799億円 | 当期純利益 349億円 | |||
設備投資 | 木村惠司 | 丸の内オアゾ(OAZO)グランドオープン 所有ビル「丸の内北口ビル」 | FY05 2005/3 | 営業収益 7,753億円 | 当期純利益 362億円 | |
企業買収 | 藤和不動産に資本参加 マンション分譲の藤和不動産(持分法適用関連会社化) 住宅分譲事業強化の布石。のちの完全子会社化・三菱地所レジデンス発足につながる | |||||
設備投資 | 木村惠司 | 東京ビル竣工 | FY06 2006/3 | 営業収益 8,442億円 | 当期純利益 558億円 | |
| 木村惠司 | FY07 2007/3 | 営業収益 9,476億円 | 当期純利益 976億円 | |||
組織再編設備投資 | 木村惠司 | 事業本部制を廃止・新丸ビル竣工 事業本部制を廃止し担当役員制へ移行。同時に2代目新丸ビル竣工(商業店舗153店) 丸の内複合都市化の第2弾。商業ゾーンを一段と強化 | FY08 2008/3 | 営業収益 7,876億円 | 当期純利益 869億円 | |
設備投資 | ザ・ペニンシュラ東京オープン(同年5月竣工) | |||||
企業買収 | 藤和不動産の増資引受で連結子会社化 リーマンショック前後の市況悪化を機に段階的に支配権を取得 住宅分譲事業の中核化に向けた支配権取得 | |||||
企業買収 | サンシャインシティ株式のTOBで連結子会社化 公開買付けを実施し、同年3月同社株式を追加取得 池袋サンシャインシティの運営を取り込み、商業施設事業を拡充 | |||||
| 木村惠司 | FY09 2009/3 | 営業収益 9,426億円 | 当期純利益 454億円 | |||
組織再編企業買収海外進出 | 杉山博孝 | 事業グループ制導入・三菱地所アジア社設立・藤和不動産完全子会社化・丸の内パークビル竣工 事業部門を事業グループへ再編、シンガポールに三菱地所アジア社設立、チェルシージャパン(のち三菱地所・サイモン)を連結子会社化、藤和不動産を完全子会社化、丸の内パークビル・三菱一号館竣工(2010年4月三菱一号館美術館オープン) リーマンショック後のアジア拠点強化と丸の内再開発の象徴的ビル群完成が重なる転機 | FY10 2010/3 | 営業収益 10,134億円 | 当期純利益 119億円 | |
社長交代 | 杉山博孝 | 木村惠司社長が退任、杉山博孝が社長就任 丸の内再開発第2期への経営体制移行 | FY11 2011/3 | 営業収益 9,884億円 | 当期純利益 642億円 | |
重要事項組織再編新規事業 | 三菱地所レジデンス発足・「ザ・パークハウス」展開開始 藤和不動産と三菱地所の住宅事業を統合。分譲マンションブランドを「ザ・パークハウス」に統一 歴史的意義yutaka sugiura 三菱地所レジデンス設立の経緯で注目すべきは、藤和不動産への資本参加(2005年)から完全子会社化(2009年)への移行がリーマンショックで加速された点にある。当初は少数株主としての経営支援であったが、金融危機による業績悪化が増資引受・連結子会社化・完全子会社化というステップを急速に進展させた。外部環境の急変を事業再編の契機として活用し、ブランド統一まで一気に推進した判断に三菱地所の戦略的意図が読み取れる。 | |||||
| 杉山博孝 | FY12 2012/3 | 営業収益 10,130億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 565億円 | |||
設備投資 | 杉山博孝 | 大手町フィナンシャルシティ竣工 大手町地区の再開発を本格化 丸の内から大手町へ再開発エリアを拡張 | FY13 2013/3 | 営業収益 9,271億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 455億円 | |
設備投資 | 杉山博孝 | グランフロント大阪を開業 うめきた地区の大規模複合開発 関西エリアへの大型開発展開 | FY14 2014/3 | 営業収益 10,752億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 642億円 | |
| 杉山博孝 | FY15 2015/3 | 売上高 11,102億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 733億円 | |||
設備投資 | 吉田淳一 | 大名古屋ビルヂングを竣工 | FY16 2016/3 | 売上高 10,094億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 834億円 | |
社長交代ガバナンス改革 | 執行役制度に移行(杉山博孝社長が代表執行役執行役社長へ) 指名委員会等設置会社への移行準備となるガバナンス変更 | |||||
社長交代 | 吉田淳一 | 吉田淳一が代表執行役執行役社長に就任 杉山博孝社長退任。吉田は「どんなに社会が変化しても、営業利益で2000億円を安定して稼げる会社にしたい」と語った 海外進出とポートフォリオ多角化を掲げた経営体制への交代 | FY17 2017/3 | 売上高 11,254億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,026億円 | |
| 吉田淳一 | FY18 2018/3 | 売上高 11,940億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,204億円 | |||
| 吉田淳一 | FY19 2019/3 | 売上高 12,632億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,346億円 | |||
経営計画 | 吉田淳一 | 長期経営計画2030を策定 2030年度に事業利益3500〜4000億円・ROE10%の目標を設定。丸の内事業の質向上と海外成長事業の二本柱を掲げる 丸の内専業を超えた総合不動産企業像を打ち出した長期指針 | FY20 2020/3 | 売上高 13,021億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,484億円 | |
| 吉田淳一 | FY21 2021/3 | 売上高 12,075億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,356億円 | |||
設備投資 | 中島篤 | TOKYO TORCH 常盤橋タワー竣工 東京駅周辺の広域再開発を常盤橋まで拡張する象徴的物件 丸の内・大手町・常盤橋の3拠点一体再開発への拡張 | FY22 2022/3 | 売上高 13,494億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,551億円 | |
株式上場ガバナンス改革組織再編設備投資海外進出 | 中島篤 | 札幌・福岡・名古屋3取引所の上場廃止・プライム市場移行・指名委員会等設置会社へ移行・複数ビル竣工・台湾/上海拠点整備 東証市場第一部からプライム市場へ移行、指名委員会等設置会社へ移行、丸の内永楽ビル・大手町フィナンシャルシティノース/サウスタワー・大名古屋ビル・大手門タワー・大手町フィナンシャルシティグランキューブ・大手町パークビル・丸の内二重橋ビル・みずほ丸の内タワー他竣工、三菱地所(上海)投資諮詢・台灣三菱地所股份有限公司設立、本店を大手町パークビルに移転 ガバナンス・市場区分・開発・海外拠点が同時に刷新された大規模再編の年 | FY23 2023/3 | 売上高 13,778億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,653億円 | |
社長交代 | 中島篤 | 吉田淳一社長が退任し会長へ、中島篤が代表執行役執行役社長に就任 本流の外で鍛えた中島氏が新社長就任 丸の内一極から国内質向上と米国データセンターの二本柱体制への移行 | FY24 2024/3 | 売上高 15,046億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,684億円 | |
株主対応 | 中島篤 | 毎年3円の累進配当方針を発表 総還元割合80%程度を維持しつつ、累進配当と自社株買いを柔軟に組み合わせる株主還元方針 株主還元方針の明示化で資本効率重視の姿勢を鮮明化 | FY25 2025/3 | 売上高 15,798億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,893億円 | |
経営計画 | インフレ対応・賃料増額改定の加速方針を公表 丸の内エリアを中心に増額妥結率が足元で高まり、オフィス需要の持続性とコスト転嫁の受容が進むと説明。丸の内事務所空室率は1.45%まで低下 長期デフレ下での賃料慣行を転換する方針表明 | |||||
新規事業海外進出 | 米国データセンター事業を成長ドライバーに位置付け ノースバージニア1号案件を起点にTAリアルティ・TAデジタルグループで開発・ソーシングを内包。ファンド組成によるフィー収入拡大も構想 丸の内事業と並ぶ第二の収益源として海外データセンター事業を明示 | FY26 2026/3 | 売上高 17,461億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,225億円 | ||
経営計画資産圧縮 | 政策保有株式の2027年度半減方針・物価連動賃料の導入を公表 2025年度上期に200億円超、通期で600億円超の政策保有株式売却を予定。契約期間中の物価上昇対応で物価連動賃料への切替も進める 資本効率改善と賃料慣行刷新を同時に推進する姿勢を鮮明化 |
- 丸ノ内建築所を設立
自社物件の設計監理部門を社内に設置。ジョサイア・コンドルを招聘し赤レンガ街の計画を始動
のちの三菱地所設計につながる設計監理機能の発祥 - 三菱財閥が丸ノ内の陸軍用地を一括買収
岩崎弥之助が松方正義蔵相の打診を受け、入札ゼロだった陸軍用地約35万坪を買い取った。岩崎は「竹を植えて虎でも飼うさ」と批判に応じたと伝わる
丸ノ内買収の構造的特質は、市場が採算不可と判断した荒地を政府関係の維持を名目に取得し、30年の歳月をかけてオフィス街へ転換した点にある。東京駅の開業前は入札で落札者ゼロという市場評価が合理的であった。三菱財閥が本業の重工業・貿易の収益で赤字を吸収し続けられたことが超長期投資を可能にした唯一の条件であり、不動産開発における時間軸の設計という観点で極端な先行投資の事例といえる。 - 三菱1号館を竣工(ジョサイア・コンドル設計)
ロンドンのロンバート街を模した赤レンガ造オフィス。丸ノ内で最初の本格的ビジネスビル
三菱合資会社が丸ノ内の開発を「雑務」として位置づけ、専門部署を16年間設置しなかった事実は、不動産事業が三菱財閥の経営において副次的であったことを端的に示す。9年間の建築停止を挟みながら30年かけて段階的にオフィス街を形成した手法は、需要の不確実性を受容しつつ本業の収益で赤字を吸収する三菱ならではの開発モデルであった。東京駅開業という外部要因が立地改善の決定打となり、赤レンガからRC建築への転換を促した。 - 丸ノ内の開発を再開(1896年以来9年ぶり)
東京駅未開業でテナント誘致が難航し新築がほぼ止まっていたが、1904年から第2期開発を再開し1918年までに19棟を建設
「一丁倫敦」完成に向けた第2期開発の再起動 - 東京駅開業で丸ノ内の立地条件が一変
三菱の事業ではないが丸ノ内ビジネスセンター化の外部環境を決定づけた節目
荒地だった丸ノ内が日本最高の立地に転換した転機 - 「一丁倫敦」が完成(赤レンガ街19棟)
1894年の1号館から第26号館まで馬場先通り一帯に煉瓦造・RC造のビル群が並び、明治末期のビジネスセンターを形成
赤レンガ造による一体的な西洋型オフィス街の到達点 - 丸ノ内ビルヂング(初代丸ビル)竣工
桜井小太郎設計、東京駅前にアメリカ型の8階建て大貸事務所。耐震補強工事に約万円規模の投資。「東洋一の大貸事務所」と評された
丸ビル竣工の意義は、三菱がロンドン模倣の赤レンガ建築からアメリカ型の大規模オフィスビルへと建築思想を転換した点にある。東京駅の開業で立地条件が改善され、サラリーマン文化の普及でオフィス需要が顕在化したことが転換の契機となった。丸ノ内買収から33年を経た竣工は、需要が存在しない段階では投資を抑制し、条件が整った時点で大規模投資に転じるという三菱の開発思想を体現している。 - 丸ビル敷地が全国一の土地賃貸価格に
大蔵省調査で東京駅前丸ビル敷地が全国で最も高い土地賃貸価格と認定された
- 丸ノ内一帯が空き地なしのビジネスセンターへ
昭和初期の建築ブームで丸ノ内の空き地がほぼ消失、ウォール街になぞらえられた
戦前段階で丸ノ内が日本随一のビジネスセンターに到達した節目 - 三菱地所株式会社を設立
三菱合資会社より丸ノ内ビル並びに同敷地の所有権及び丸の内地区他の土地建物営業権を譲り受ける
三菱地所の設立と再発足は、財閥の組織構造と戦後の制度変化が不動産事業に与えた影響を示す。三菱合資会社の一部門から独立した三菱地所は財閥解体で3社に分割されたが、陽和不動産への株式買い占めという外部脅威が再統合の契機となった。分割から3年での再合併は、丸ノ内という資産の一体的管理が事業運営上の不可欠な前提であることを裏付ける。財閥解体の政策意図に反する早期再統合は、不動産の資産集約がもつ経済合理性が制度的制約を上回った結果である。 - 三菱合資会社建築課を吸収
三菱合資会社より同社建築課の業務一切を引継ぐ
分離独立から半年後の建築機能統合で設計・開発・賃貸が一体化 - 丸ノ内八重洲ビルの所有権を三菱本社より譲受
太平洋戦争中に三菱本社から現物出資として八重洲ビルを取得
- 財閥解体により陽和・開東の2社を分離
丸ノ内、八重洲両ビルを除く丸の内地区他の土地建物営業権を三菱本社に返還。三菱本社解散に伴い、第二会社として陽和不動産・開東不動産を設立
GHQの財閥解体で丸ノ内の経営が事実上3分割された戦後の試練 - 陽和不動産・開東不動産を吸収合併
陽和不動産の買い占め脅威を契機に再統合の機運が高まり、分割からわずか3年で三菱地所として再結集
丸ノ内という巨大資産の一体管理が不動産事業の本質と実務で裏付けた異例の早期再統合 - 東京・大阪証券取引所に株式を上場戦後再統合直後の資本市場への登場。日本最大の不動産会社として公開企業へ
- 札幌証券取引所に株式を上場
- 福岡証券取引所に株式を上場
- 名古屋証券取引所に株式を上場
- 丸ノ内総合改造計画を策定
渡辺武次郎社長の下、東京都都市計画局の指導で決定。明治期の赤レンガ街を31m統一の近代不燃化高層ビル群へ建て替える構想。1973年の三菱ビル竣工で一応完成
丸の内総合改造計画の構造的特質は、老朽化した赤レンガ街の近代化と、財閥解体で弱体化した三菱グループの求心力回復を同時に達成した点にある。新設ビルをグループ各社に優先賃貸することで丸ノ内はグループの結束を物理的に担保する装置として機能した。ただし31mの高さ制限は渡辺社長の美観論に基づくものであり、超高層時代への対応を先送りにした側面も持つ。 - 住宅部を設置し住宅供給事業に進出
総合デベロッパーへの発展の第一歩。1970年に初のマンション赤坂パークハウスを供給
オフィス賃貸依存からの多角化の出発点 - 赤坂パークハウス分譲・三菱地所ニューヨーク社を設立
マンション事業への進出と米国初の現地法人設立を同時実行
住宅分譲の本格開始と海外展開の起点 - 泉パークタウン第1期起工
仙台市郊外で1万3500戸・5万人規模の居住・工業・流通・スポーツ複合タウン開発に着手
大規模郊外開発の代表事例。総合デベロッパー化を象徴 - 名菱不動産・北菱不動産を吸収合併
- 三菱地所住宅販売(現 三菱地所リアルエステートサービス)を設立
住宅販売体制の整備。2007年4月に三菱地所リアルエステートサービスに改称
- 札幌・仙台・名古屋・大阪の4支店を新設
地方主要都市への拠点展開。札幌は2017年に北海道支店、仙台は1989年に東北支店、名古屋は2018年に中部支店、大阪は2016年に関西支店へ改称
- 「みなとみらい21」計画区域内土地取得
横浜ランドマークタワー建設の土地仕込み
のちのランドマークタワー開発につながる戦略的土地取得 - 名古屋第一ホテルを開業しホテル事業に進出ホテル事業という第三の収益源の出発点
- ロンドンでアトラスハウスを取得
ロンドン・シティの歴史的建物アトラスハウスを取得し英国拠点を確保
欧州オフィス市場への本格参入の起点 - 三菱地所ホームを設立・メックユーケー社を設立
国内向け木造住宅事業と英国拠点運営会社を同時に設立
住宅事業の強化と欧州事業運営体制の整備 - 横浜事業所を新設(2000年4月横浜支店に改組)
- 「丸の内マンハッタン化計画」構想を発表
東京駅を中心とした丸の内・有楽町・大手町・八重洲合計113haで総投資額約6兆円・40〜50階建てビル約60棟を建設する30年計画を発表。地元反発で挫折
「他人のビルまで勝手に変える気か」と猛反発を受け挫折、以後の再開発が慎重になる転機 - イムズ開業(商業施設事業に進出)
福岡のイムズ開業で本格的な商業施設運営事業を開始
オフィス賃貸中心からリテール系への事業領域拡張 - 箱崎ロイヤルパークホテルを開業しホテル事業部を設立
ホテル事業部を正式発足、ロイヤルパークブランドの起点
ホテル運営機能の組織化 - 広島・九州支店を新設
広島は2017年11月中四国支店に改称
- 米ロックフェラーグループ社に資本参加
ニューヨーク高層オフィスビル群「ロックフェラーセンター」を保有する同社に80%出資。1990年代の米国不動産不況で1995年に撤退、約1000億円の固定資産除却損計上
バブル期の象徴的海外大型M&A。巨額損失で国際不動産投資の難しさが顕在化 - ロサンゼルスで777タワー建設
地元資本と共同でロサンゼルスに777タワーを建設
- 大阪支店神戸営業所を新設
1999年6月大阪支店に統合
- 大阪アメニティパーク着工
三菱マテリアルと共同で推進
- 横浜ランドマークタワー竣工
高さ296m、事務所・ホテル・商業施設等の複合機能を持つ大規模事業。当時日本一の高さ
みなとみらい21地区開発の象徴。ビル事業の集大成として評価 - ロックフェラーセンター投資事業から撤退
子会社ロックフェラーセンター・プロパティーズとRCPAが5月に連邦破産法を申請、9月に三菱地所がビル投資事業撤退を決定
海外大型M&Aの失敗処理。国内回帰と慎重な海外投資への方針転換の契機 - 初代丸ビルの建て替え計画を発表
1923年竣工の初代丸ビルは350テナントの立ち退き交渉難航で頓挫していたが、同年1月の阪神大震災で耐震の論拠が加わり建て替えを正式発表
初代丸ビルの建て替えが長年頓挫した要因は、350の個人テナントの立ち退き交渉の困難さにあった。渡辺武次郎氏の超高層反対の意向が経営判断を制約していた可能性も否定できない。1995年の阪神大震災が防災面での建て替え論拠を提供し、ようやく正式発表に至った。2代目丸ビルでは商業施設を併設して複合都市化を図る新コンセプトが導入され、オフィス一辺倒だった丸ノ内の再定義が行われた点が注目に値する。 - 本店を東京ビルに移転
- 丸の内ビルの新築工事着工(丸の内再開発に着手)
2002年9月の2代目丸ビル竣工に向けた工事着工
「丸の内マンハッタン化計画」挫折から10年、超高層複合都市への再挑戦の起点 - 機構改革の実施(関係会社一体の事業本部制導入等)
- ホテル事業統括会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツを設立
2024年1月三菱地所ホテルズ&リゾーツに改称
- 設計監理事業本部を三菱地所設計に分社
1890年の丸ノ内建築所を起源とする設計機能を独立会社化
- 2代目丸ビル竣工・超高層複合都市への転換
初代の純粋なオフィスビルと異なり商業施設を併設した超高層複合ビル。開業1カ月で来館者280万人。31m中層ビル群の統一景観からの転換
「丸の内のたそがれ」を覆し、平日のオフィス街から休日も賑わう複合都市への再定義 - 本店を大手町ビルに移転
- 丸の内オアゾ(OAZO)グランドオープン
所有ビル「丸の内北口ビル」
- 藤和不動産に資本参加
マンション分譲の藤和不動産(持分法適用関連会社化)
住宅分譲事業強化の布石。のちの完全子会社化・三菱地所レジデンス発足につながる - 東京ビル竣工
- 事業本部制を廃止・新丸ビル竣工
事業本部制を廃止し担当役員制へ移行。同時に2代目新丸ビル竣工(商業店舗153店)
丸の内複合都市化の第2弾。商業ゾーンを一段と強化 - ザ・ペニンシュラ東京オープン(同年5月竣工)
- 藤和不動産の増資引受で連結子会社化
リーマンショック前後の市況悪化を機に段階的に支配権を取得
住宅分譲事業の中核化に向けた支配権取得 - サンシャインシティ株式のTOBで連結子会社化
公開買付けを実施し、同年3月同社株式を追加取得
池袋サンシャインシティの運営を取り込み、商業施設事業を拡充 - 事業グループ制導入・三菱地所アジア社設立・藤和不動産完全子会社化・丸の内パークビル竣工
事業部門を事業グループへ再編、シンガポールに三菱地所アジア社設立、チェルシージャパン(のち三菱地所・サイモン)を連結子会社化、藤和不動産を完全子会社化、丸の内パークビル・三菱一号館竣工(2010年4月三菱一号館美術館オープン)
リーマンショック後のアジア拠点強化と丸の内再開発の象徴的ビル群完成が重なる転機 - 木村惠司社長が退任、杉山博孝が社長就任丸の内再開発第2期への経営体制移行
- 三菱地所レジデンス発足・「ザ・パークハウス」展開開始
藤和不動産と三菱地所の住宅事業を統合。分譲マンションブランドを「ザ・パークハウス」に統一
三菱地所レジデンス設立の経緯で注目すべきは、藤和不動産への資本参加(2005年)から完全子会社化(2009年)への移行がリーマンショックで加速された点にある。当初は少数株主としての経営支援であったが、金融危機による業績悪化が増資引受・連結子会社化・完全子会社化というステップを急速に進展させた。外部環境の急変を事業再編の契機として活用し、ブランド統一まで一気に推進した判断に三菱地所の戦略的意図が読み取れる。 - 大手町フィナンシャルシティ竣工
大手町地区の再開発を本格化
丸の内から大手町へ再開発エリアを拡張 - グランフロント大阪を開業
うめきた地区の大規模複合開発
関西エリアへの大型開発展開 - 大名古屋ビルヂングを竣工
- 執行役制度に移行(杉山博孝社長が代表執行役執行役社長へ)指名委員会等設置会社への移行準備となるガバナンス変更
- 吉田淳一が代表執行役執行役社長に就任
杉山博孝社長退任。吉田は「どんなに社会が変化しても、営業利益で2000億円を安定して稼げる会社にしたい」と語った
海外進出とポートフォリオ多角化を掲げた経営体制への交代 - 長期経営計画2030を策定
2030年度に事業利益3500〜4000億円・ROE10%の目標を設定。丸の内事業の質向上と海外成長事業の二本柱を掲げる
丸の内専業を超えた総合不動産企業像を打ち出した長期指針 - TOKYO TORCH 常盤橋タワー竣工
東京駅周辺の広域再開発を常盤橋まで拡張する象徴的物件
丸の内・大手町・常盤橋の3拠点一体再開発への拡張 - 札幌・福岡・名古屋3取引所の上場廃止・プライム市場移行・指名委員会等設置会社へ移行・複数ビル竣工・台湾/上海拠点整備
東証市場第一部からプライム市場へ移行、指名委員会等設置会社へ移行、丸の内永楽ビル・大手町フィナンシャルシティノース/サウスタワー・大名古屋ビル・大手門タワー・大手町フィナンシャルシティグランキューブ・大手町パークビル・丸の内二重橋ビル・みずほ丸の内タワー他竣工、三菱地所(上海)投資諮詢・台灣三菱地所股份有限公司設立、本店を大手町パークビルに移転
ガバナンス・市場区分・開発・海外拠点が同時に刷新された大規模再編の年 - 吉田淳一社長が退任し会長へ、中島篤が代表執行役執行役社長に就任
本流の外で鍛えた中島氏が新社長就任
丸の内一極から国内質向上と米国データセンターの二本柱体制への移行 - 毎年3円の累進配当方針を発表
総還元割合80%程度を維持しつつ、累進配当と自社株買いを柔軟に組み合わせる株主還元方針
株主還元方針の明示化で資本効率重視の姿勢を鮮明化 - インフレ対応・賃料増額改定の加速方針を公表
丸の内エリアを中心に増額妥結率が足元で高まり、オフィス需要の持続性とコスト転嫁の受容が進むと説明。丸の内事務所空室率は1.45%まで低下
長期デフレ下での賃料慣行を転換する方針表明 - 米国データセンター事業を成長ドライバーに位置付け
ノースバージニア1号案件を起点にTAリアルティ・TAデジタルグループで開発・ソーシングを内包。ファンド組成によるフィー収入拡大も構想
丸の内事業と並ぶ第二の収益源として海外データセンター事業を明示 - 政策保有株式の2027年度半減方針・物価連動賃料の導入を公表
2025年度上期に200億円超、通期で600億円超の政策保有株式売却を予定。契約期間中の物価上昇対応で物価連動賃料への切替も進める
資本効率改善と賃料慣行刷新を同時に推進する姿勢を鮮明化