沿革年表 1919〜2026年における重要度別の出来事(合計39件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
株式会社高千穂製作所を設立
歴史的意義yutaka sugiura
光学機器の輸入途絶という外部環境の変化が起業の契機となった点は、創業者の個人的な構想と市場機会の一致を示している。注目すべきは資本政策の設計であり、創業者の山下氏が同族支配を選ばず共同出資の形態を採った点にある。上場前から株主が分散する構造は、所有と経営の分離を早期に確立させた一方、のちの経営ガバナンスにおける監視機能の脆弱性にもつながる構造的な伏線を含んでいた。
1919
1-12月
東京幡ヶ谷に本社工場を新設
オリンパス設立に伴い新工場の建設を決定。常盤商会グループの「帝国合金」が幡ヶ谷駅付近にあった縁で同地に新設した。1919年夏に着工し10月に完成。完成と同時に会社創立総会を開いて事業を開始した。設立時の従業員は約80名で、生産技術を担う職工が中心。顕微鏡製造は精密部品加工やレンズ研磨など高度な技術を要し、職人確保が不可欠だったためである。創業期のレンズ生産は秘匿化され、関係者以外立入禁止の部屋で研磨していたという。
顕微鏡で「オリンパス」の商標取得
1920年にオリンパスは顕微鏡「旭号」を発売したものの、ドイツ製(ツァイスなど)の輸入品との競争に直面。日本国内では欧米からの輸入品が重視される時代であり、国産品であった「旭号」は販売で苦戦した。そこで、1920年10月に「オリンパス」の商標を取得。海外風の商標を採用するが、国産品への評判が悪い状態は続き、戦前を通じて顕微鏡の販売に苦戦した。
1921
1-12月
事業売却
財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡
歴史的意義yutaka sugiura
創業期に二事業を並行運営した結果、資本金と同額の開発費を投じてもなお事業化の見通しが立たず、体温計事業の売却に至った。注目すべきは事業売却そのものよりも、本社工場を物理的に分割してテルモに譲渡した点であり、この決定が敷地境界問題として数年にわたる訴訟を招いた。事業撤退時の資産処理の設計が、その後の経営リスクとして残存した事例である。
1923
1-12月
森下仁丹を提訴。和解へ
歴史的意義yutaka sugiura
事業譲渡をきっかけに資本関係が生まれた二社の関係が、震災時の支援拒絶を境に対立へ転じた構図である。森下仁丹が5年の沈黙を経て突如として資産の追加譲渡と事業撤退を迫った点は、当時の株主権行使のあり方を映している。オリンパスが司法の場を選択して和解に至り、顕微鏡事業の存続を確保した判断は、祖業を守るための創業者の意志が法的手段として具体化された事例といえる。
1929
1-12月
海軍省指定工場に登録・海軍病院に納入へ
戦前の軍備増強を受けて1933年に海軍がオリンパスを指定工場に登録。同社は顕微鏡を全国の海軍病院に納入し販売数量を安定させた。1937年から軍需品生産を本格化し、砲鏡・双眼鏡・測定器を生産、各種工作機械で量産体制を敷いた。終戦間際の1943年12月に諏訪、1944年2月に伊那の両工場を長野県内に新設し疎開。1945年の空襲で本社工場(渋谷区幡ヶ谷)が被災し信州が主力となった。諏訪工場は戦後いち早くカメラ量産体制を確立し復興に寄与した。
1933
1-12月
安宅商会が経営支援。穏便に経営体制の変更へ
戦時中の生産増強に対して、オリンパスは工場新設のための資金難に直面。そこで、国内の有力商社である安宅商会(のちの安宅産業)から財務支援を受けることを決め、創業者である山下氏を含めた経営陣の入れ替えを実施した。安宅商会によるオリンパスの支援に際しては、穏便に行われ、目立った混乱は生じなかった。この結果、オリンパスの創業者である山下長氏は社長を穏便に退任し、安宅商会から派遣された後任者に経営を譲った。
1939
1-12月
高千穂光学工業に商号変更
高千穂製作所から高千穂光学工業株式会社に商号変更した。すなわち光学機器メーカーとしての位置づけを社名に明示する動きであり、戦時下の軍需対応にも対応した体制再編の一環であった。
1942
1-12月
オリンパス光学工業に商号変更
高千穂光学工業株式会社からオリンパス光学工業株式会社へ商号変更した。1921年に取得した「オリンパス」商標をついに社名に据え、ブランドと社名を一致させる転換となった。
1949
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
重要事項
胃カメラを開発。医療機器に参入
歴史的意義yutaka sugiura
全社戦略ではなく、顧客である医師の要請と熱意によって事業が形成された点が構造的に特異である。学会の事務局を担うことで、製品開発のフィードバックと販路構築を同時に実現した仕組みは、メーカーが顧客コミュニティの基盤インフラを担うことで市場を形成する手法として注目に値する。ファイバースコープの技術蓄積が参入障壁として機能した点も、技術選択と市場支配の連動を示す事例である。
輸出基本方針を策定。カメラ輸出を本格化
1954年の国内カメラ販売不振を受け、オリンパスは輸出注力を決定。1955年に「輸出基本方針」を策定し、製品の最低30%を輸出する方針を発表した。輸出先は北米(米・加)に集中させ、ニューヨークを起点に売り込んだ。輸出機種は主力の「オリンパス35」と「オリンパスワイド」に絞った。1956年に高橋社長が渡米して現地販売企業を視察。米国販売総代理店としてブロックウェイ社を選定し同年9月に契約締結。期間5ヵ年、宣伝費年400万ドル負担とした。
FY56
1956/3
FY59
1959/3
売上高
15.6億円
当期純利益
1.28億円
FY60
1960/3
売上高
20.3億円
当期純利益
1.38億円
FY61
1961/3
売上高
28.6億円
当期純利益
1.8億円
カメラ「オリンパス・ペンEE」を発売。爆発的ヒットへ
歴史的意義yutaka sugiura
ペンEEの設計思想は、撮影の全工程を自動化するという明確な目的に基づいていた。自動露出装置の開発だけでなく、焦点距離の短いレンズを採用することで距離調節も省略した点に、ハードウェア設計と市場ニーズの統合がみられる。シャッター機構を外部調達から自社開発に切り替えた判断も、自動化という製品コンセプトの実現に不可欠な技術選択であった。
FY62
1962/3
売上高
41.6億円
当期純利益
3.4億円
FY63
1963/3
売上高
57.3億円
当期純利益
3.6億円
八王子事業を新設・本社工場を移転
1950年代を通じてオリンパスは「顕微鏡・測定器・胃カメラ・カメラ」といった多品種を展開し、このうち特にカメラの需要が増大した。一方で、本社工場の周辺は宅地化が進行しており工場の拡張が困難であったため、関東圏における新しい生産拠点として八王子に工場を新設することを決定。1963年8月に八王子事業所を新設し、1967年までに本社工場の移転を完了した。生産品目は本社工場で担当していた医療機器(グラスファイバー)が中心であった。
FY64
1964/3
売上高
79.3億円
当期純利益
3.3億円
現地法人を通じたカメラ輸出を本格化
FY65
1965/3
売上高
82.1億円
当期純利益
3.4億円
FY66
1966/3
売上高
79.8億円
当期純利益
3.1億円
FY67
1967/3
売上高
95億円
当期純利益
3.7億円
海外進出
米国販売法人Olympus Corporation of Americaを設立
Olympus Corporation of America(現・Olympus America Inc.)を設立した。米国における顕微鏡・医療機器の販売を強化する動きであり、後の北米事業統括会社設立への布石となった。
FY68
1968/3
売上高
117.3億円
当期純利益
4.8億円
第三事業部を発足・内視鏡事業を本格化
歴史的意義yutaka sugiura
1950年代から開発が続いていた内視鏡事業は、第三事業部の新設をもって初めて会社としての本格投資の対象となった。技術や製品の蓄積ではなく、事業体制の再編という経営判断が事業の成長フェーズを切り替えた構図である。医療と情報の二領域を一つの事業部にまとめた設計からは、ファイバー技術という共通基盤に基づいて新規事業を展開する構想が読み取れる。
FY69
1969/3
売上高
143.6億円
当期純利益
6.4億円
FY70
1970/3
売上高
189億円
当期純利益
8億円
FY71
1971/3
売上高
185億円
当期純利益
2億円
小型一眼レフカメラ「OM-1」を発売
FY72
1972/3
売上高
206億円
当期純利益
3億円
FY73
1973/3
売上高
266億円
当期純利益
6億円
FY74
1974/3
売上高
380億円
当期純利益
12億円
FY75
1975/3
売上高
459.36億円
当期純利益
26.9億円
FY76
1976/3
売上高
535.68億円
当期純利益
31.83億円
FY77
1977/3
売上高
639.57億円
当期純利益
39.26億円
FY78
1978/3
売上高
655.73億円
当期純利益
33.66億円
FY79
1979/3
売上高
810.54億円
当期純利益
49.01億円
本社を西新宿に移転
FY80
1980/3
売上高
963.58億円
当期純利益
63.26億円
辰野事業所を新設
FY81
1981/3
売上高
1,031.72億円
当期純利益
67.85億円
FY82
1982/3
売上高
1,089.53億円
当期純利益
72.98億円
FY83
1983/3
売上高
1,058.03億円
当期純利益
35.6億円
FY84
1984/3
売上高
1,159.83億円
当期純利益
40.52億円
金融資産運用を積極化
プラザ合意による円高で輸出依存のオリンパスは収益性が悪化。利益確保のため1987年5月20日の常務会で、債権・外国債権・株式先物・債権先物など金融資産運用の積極化を決定した。しかしバブル崩壊後に数百億円の含み損を抱え、回収のため1993年頃からよりリスクの高い金融商品の運用を強めたが状況は改善しなかった。1998年頃には損失額が950億円に達したという。含み損は計上を先送りしたが、1990年代後半の時価会計導入で暗礁に乗り上げた。
FY88
1988/3
FY92
1992/3
売上高
2,601億円
当期純利益
50億円
FY93
1993/3
売上高
2,677億円
当期純利益
38億円
日の出工場を新設(東京都西多摩郡)
FY94
1994/3
売上高
2,395億円
当期純利益
5億円
FY95
1995/3
売上高
2,520億円
当期純利益
31億円
FY96
1996/3
売上高
2,561億円
当期純利益
20億円
FY97
1997/3
売上高
3,104億円
当期純利益
23億円
FY98
1998/3
売上高
3,649億円
当期純利益
93億円
FY99
1999/3
売上高
4,137億円
当期純利益
88億円
菊川剛
FY00
2000/3
売上高
4,286億円
当期純利益
18億円
菊川剛
FY01
2001/3
売上高
4,667億円
当期純利益
117億円
菊川剛
FY02
2002/3
売上高
5,284億円
当期純利益
102億円
菊川剛
5カ年の「経営基本計画」を策定
歴史的意義yutaka sugiura
映像と医療の両方に積極投資するという経営基本計画の設計は、デジタルカメラ市場の急速な環境変化によって早期に修正を迫られた。大手電機メーカーの参入による価格下落は、カメラ事業単体での収益確保を困難にし、映像事業のセグメント赤字が全社業績の足かせとなる構造を生んだ。二事業を等しく成長させる戦略と、限られた経営資源のもとでの事業選択のジレンマが浮き彫りになった事例である。
FY03
2003/3
売上高
5,643億円
当期純利益
243億円
菊川剛
オリンパス株式会社に商号変更
FY04
2004/3
売上高
6,336億円
当期純利益
335億円
組織再編
菊川剛
映像・医療を会社分割で別法人化
映像事業をオリンパスイメージング株式会社、医療分野をオリンパスメディカルシステムズ株式会社として会社分割した。すなわち中核事業を分社化することで意思決定を機動化させる狙いであり、2015年の再吸収まで続く体制となった。
FY05
2005/3
売上高
8,135億円
当期純利益
-118億円
菊川剛
FY06
2006/3
売上高
9,781億円
当期純利益
285億円
菊川剛
FY07
2007/3
売上高
10,617億円
当期純利益
477億円
菊川剛
Gyrus Group PLCを買収
2008年2月にオリンパスは英医療機器メーカーGyrus Groupを2597億円で買収した。現預金控除後の取得支出は2322億円に及び、同社として大規模買収となった。Gyrusは低侵襲治療における高周波技術をコアとし、泌尿器・婦人科向け機器を製造販売していた。オリンパスは内視鏡に次ぐ新領域として展開を狙った。なお買収のFA報酬を6.8億円に設定し、粉飾決算の帳尻合わせも施された。よって本買収は2011年の粉飾露呈時に問題視された。
FY08
2008/3
売上高
11,288億円
当期純利益
579億円
菊川剛
FY09
2009/3
売上高
9,808億円
当期純利益
-1,148億円
菊川剛
FY10
2010/3
売上高
8,830億円
当期純利益
477億円
笹宏行
FY11
2011/3
売上高
8,471億円
当期純利益
38億円
笹宏行
Olympus Corporation of Asiaを設立
FY12
2012/3
売上高
8,485億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-489億円
長年の不正会計が露呈(オリンパス事件)
笹宏行
情報通信事業を売却
携帯電話端末の販売を手がける子会社ITX社(FY2011・売上高2294億円・営業利益53億円)の売却を決定。売却額は530億円で、売却先は日本産業パートナーを選定
FY13
2013/3
売上高
7,438億円
親会社株主に帰属する当期純利益
80億円
笹宏行
FY14
2014/3
売上高
7,132億円
親会社株主に帰属する当期純利益
136億円
笹宏行
FY15
2015/3
売上高
7,646億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-87億円
組織再編
笹宏行
医療・映像を本体に再吸収
オリンパスメディカルシステムズ株式会社の吸収分割およびオリンパスイメージング株式会社との合併により、医療分野および映像事業をオリンパスに吸収した。2004年の分社化を経て、グループ運営を本体集約型へ戻す再編であった。
FY16
2016/3
売上高
8,045億円
親会社株主に帰属する当期純利益
625億円
笹宏行
本社を八王子に移転
FY17
2017/3
売上高
7,438億円
親会社株主に帰属する当期純利益
714億円
竹内康雄
FY18
2018/3
売上高
7,889億円
親会社株主に帰属する当期純利益
461億円
竹内康雄
バリューアクトが大量保有報告書を提出
FY19
2019/3
売上高
7,938億円
親会社株主に帰属する当期純利益
81億円
竹内康雄
医療分野のグローバル展開に集中投資を決定
FY20
2020/3
売上高
7,552億円
親会社株主に帰属する当期純利益
516億円
竹内康雄
映像事業(カメラ製造)から撤退
FY21
2021/3
売上高
7,305億円
親会社株主に帰属する当期純利益
129億円
医療機器で買収積極化
企業買収
蘭Quest Photonic Devicesを買収
Quest Photonic Devices B.V.を買収した。すなわち外科領域における蛍光イメージング技術を獲得する動きであり、内視鏡を超えた手術関連事業の拡張につながった。
企業買収
シュテファン・カウフマン
イスラエルMedi-Tateを買収
Medi-Tate Ltd.を買収した。泌尿器科領域を強化する狙いであり、医療機器ポートフォリオの中で前立腺関連治療デバイスの取り扱いを広げる動きであった。
FY22
2022/3
売上高
7,501億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,157億円
シュテファン・カウフマン
FY23
2023/3
売上高
8,819億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,434億円
竹内康雄
完全子会社エビデントを売却・顕微鏡領域から撤退
医療機器に集中するために、祖業である顕微鏡に加えて、非破壊検査、X線分析計からの撤退を決定。これらの事業を担当していた完全子会社「株式会社エビデント」の株式を全て売却することを決定した。売却先はベインキャピタル系の投資ファンド「株式会社BCJ-66」であり、売却の譲渡価格は4276億円となった。これに伴い、FY2023にオリンパスは子会社株式譲渡による売却益として2472億円を計上した。
FY24
2024/3
売上高
9,257億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,425億円
事業撤退
ボブ・ホワイト
整形外科事業をポラリス・キャピタルに譲渡
整形外科事業をポラリス・キャピタル・グループに譲渡した。すなわち医療分野の中でも内視鏡・治療機器に経営資源を集中する流れの中で、非中核とみなした領域を切り離す動きであった。
FY25
2025/3
売上高
9,973億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,178億円
FY26
2026/3
売上高
10,107億円
親会社株主に帰属する当期純利益
682億円
  1. 会社設立
    株式会社高千穂製作所を設立
    光学機器の輸入途絶という外部環境の変化が起業の契機となった点は、創業者の個人的な構想と市場機会の一致を示している。注目すべきは資本政策の設計であり、創業者の山下氏が同族支配を選ばず共同出資の形態を採った点にある。上場前から株主が分散する構造は、所有と経営の分離を早期に確立させた一方、のちの経営ガバナンスにおける監視機能の脆弱性にもつながる構造的な伏線を含んでいた。
  2. 東京幡ヶ谷に本社工場を新設

    オリンパス設立に伴い新工場の建設を決定。常盤商会グループの「帝国合金」が幡ヶ谷駅付近にあった縁で同地に新設した。1919年夏に着工し10月に完成。完成と同時に会社創立総会を開いて事業を開始した。設立時の従業員は約80名で、生産技術を担う職工が中心。顕微鏡製造は精密部品加工やレンズ研磨など高度な技術を要し、職人確保が不可欠だったためである。創業期のレンズ生産は秘匿化され、関係者以外立入禁止の部屋で研磨していたという。

  3. 顕微鏡で「オリンパス」の商標取得

    1920年にオリンパスは顕微鏡「旭号」を発売したものの、ドイツ製(ツァイスなど)の輸入品との競争に直面。日本国内では欧米からの輸入品が重視される時代であり、国産品であった「旭号」は販売で苦戦した。そこで、1920年10月に「オリンパス」の商標を取得。海外風の商標を採用するが、国産品への評判が悪い状態は続き、戦前を通じて顕微鏡の販売に苦戦した。

  4. 事業売却
    財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡
    創業期に二事業を並行運営した結果、資本金と同額の開発費を投じてもなお事業化の見通しが立たず、体温計事業の売却に至った。注目すべきは事業売却そのものよりも、本社工場を物理的に分割してテルモに譲渡した点であり、この決定が敷地境界問題として数年にわたる訴訟を招いた。事業撤退時の資産処理の設計が、その後の経営リスクとして残存した事例である。
  5. 森下仁丹を提訴。和解へ
    事業譲渡をきっかけに資本関係が生まれた二社の関係が、震災時の支援拒絶を境に対立へ転じた構図である。森下仁丹が5年の沈黙を経て突如として資産の追加譲渡と事業撤退を迫った点は、当時の株主権行使のあり方を映している。オリンパスが司法の場を選択して和解に至り、顕微鏡事業の存続を確保した判断は、祖業を守るための創業者の意志が法的手段として具体化された事例といえる。
  6. 海軍省指定工場に登録・海軍病院に納入へ

    戦前の軍備増強を受けて1933年に海軍がオリンパスを指定工場に登録。同社は顕微鏡を全国の海軍病院に納入し販売数量を安定させた。1937年から軍需品生産を本格化し、砲鏡・双眼鏡・測定器を生産、各種工作機械で量産体制を敷いた。終戦間際の1943年12月に諏訪、1944年2月に伊那の両工場を長野県内に新設し疎開。1945年の空襲で本社工場(渋谷区幡ヶ谷)が被災し信州が主力となった。諏訪工場は戦後いち早くカメラ量産体制を確立し復興に寄与した。

  7. 安宅商会が経営支援。穏便に経営体制の変更へ

    戦時中の生産増強に対して、オリンパスは工場新設のための資金難に直面。そこで、国内の有力商社である安宅商会(のちの安宅産業)から財務支援を受けることを決め、創業者である山下氏を含めた経営陣の入れ替えを実施した。安宅商会によるオリンパスの支援に際しては、穏便に行われ、目立った混乱は生じなかった。この結果、オリンパスの創業者である山下長氏は社長を穏便に退任し、安宅商会から派遣された後任者に経営を譲った。

  8. 高千穂光学工業に商号変更

    高千穂製作所から高千穂光学工業株式会社に商号変更した。すなわち光学機器メーカーとしての位置づけを社名に明示する動きであり、戦時下の軍需対応にも対応した体制再編の一環であった。

  9. オリンパス光学工業に商号変更

    高千穂光学工業株式会社からオリンパス光学工業株式会社へ商号変更した。1921年に取得した「オリンパス」商標をついに社名に据え、ブランドと社名を一致させる転換となった。

  10. 東京証券取引所に株式上場
  11. 胃カメラを開発。医療機器に参入
    全社戦略ではなく、顧客である医師の要請と熱意によって事業が形成された点が構造的に特異である。学会の事務局を担うことで、製品開発のフィードバックと販路構築を同時に実現した仕組みは、メーカーが顧客コミュニティの基盤インフラを担うことで市場を形成する手法として注目に値する。ファイバースコープの技術蓄積が参入障壁として機能した点も、技術選択と市場支配の連動を示す事例である。
  12. 輸出基本方針を策定。カメラ輸出を本格化

    1954年の国内カメラ販売不振を受け、オリンパスは輸出注力を決定。1955年に「輸出基本方針」を策定し、製品の最低30%を輸出する方針を発表した。輸出先は北米(米・加)に集中させ、ニューヨークを起点に売り込んだ。輸出機種は主力の「オリンパス35」と「オリンパスワイド」に絞った。1956年に高橋社長が渡米して現地販売企業を視察。米国販売総代理店としてブロックウェイ社を選定し同年9月に契約締結。期間5ヵ年、宣伝費年400万ドル負担とした。

  13. カメラ「オリンパス・ペンEE」を発売。爆発的ヒットへ
    ペンEEの設計思想は、撮影の全工程を自動化するという明確な目的に基づいていた。自動露出装置の開発だけでなく、焦点距離の短いレンズを採用することで距離調節も省略した点に、ハードウェア設計と市場ニーズの統合がみられる。シャッター機構を外部調達から自社開発に切り替えた判断も、自動化という製品コンセプトの実現に不可欠な技術選択であった。
  14. 八王子事業を新設・本社工場を移転

    1950年代を通じてオリンパスは「顕微鏡・測定器・胃カメラ・カメラ」といった多品種を展開し、このうち特にカメラの需要が増大した。一方で、本社工場の周辺は宅地化が進行しており工場の拡張が困難であったため、関東圏における新しい生産拠点として八王子に工場を新設することを決定。1963年8月に八王子事業所を新設し、1967年までに本社工場の移転を完了した。生産品目は本社工場で担当していた医療機器(グラスファイバー)が中心であった。

  15. 現地法人を通じたカメラ輸出を本格化
  16. 海外進出
    米国販売法人Olympus Corporation of Americaを設立

    Olympus Corporation of America(現・Olympus America Inc.)を設立した。米国における顕微鏡・医療機器の販売を強化する動きであり、後の北米事業統括会社設立への布石となった。

  17. 第三事業部を発足・内視鏡事業を本格化
    1950年代から開発が続いていた内視鏡事業は、第三事業部の新設をもって初めて会社としての本格投資の対象となった。技術や製品の蓄積ではなく、事業体制の再編という経営判断が事業の成長フェーズを切り替えた構図である。医療と情報の二領域を一つの事業部にまとめた設計からは、ファイバー技術という共通基盤に基づいて新規事業を展開する構想が読み取れる。
  18. 小型一眼レフカメラ「OM-1」を発売
  19. 本社を西新宿に移転
  20. 辰野事業所を新設
  21. 金融資産運用を積極化

    プラザ合意による円高で輸出依存のオリンパスは収益性が悪化。利益確保のため1987年5月20日の常務会で、債権・外国債権・株式先物・債権先物など金融資産運用の積極化を決定した。しかしバブル崩壊後に数百億円の含み損を抱え、回収のため1993年頃からよりリスクの高い金融商品の運用を強めたが状況は改善しなかった。1998年頃には損失額が950億円に達したという。含み損は計上を先送りしたが、1990年代後半の時価会計導入で暗礁に乗り上げた。

  22. 日の出工場を新設(東京都西多摩郡)
  23. 5カ年の「経営基本計画」を策定
    映像と医療の両方に積極投資するという経営基本計画の設計は、デジタルカメラ市場の急速な環境変化によって早期に修正を迫られた。大手電機メーカーの参入による価格下落は、カメラ事業単体での収益確保を困難にし、映像事業のセグメント赤字が全社業績の足かせとなる構造を生んだ。二事業を等しく成長させる戦略と、限られた経営資源のもとでの事業選択のジレンマが浮き彫りになった事例である。
  24. オリンパス株式会社に商号変更
  25. 組織再編
    映像・医療を会社分割で別法人化

    映像事業をオリンパスイメージング株式会社、医療分野をオリンパスメディカルシステムズ株式会社として会社分割した。すなわち中核事業を分社化することで意思決定を機動化させる狙いであり、2015年の再吸収まで続く体制となった。

  26. Gyrus Group PLCを買収

    2008年2月にオリンパスは英医療機器メーカーGyrus Groupを2597億円で買収した。現預金控除後の取得支出は2322億円に及び、同社として大規模買収となった。Gyrusは低侵襲治療における高周波技術をコアとし、泌尿器・婦人科向け機器を製造販売していた。オリンパスは内視鏡に次ぐ新領域として展開を狙った。なお買収のFA報酬を6.8億円に設定し、粉飾決算の帳尻合わせも施された。よって本買収は2011年の粉飾露呈時に問題視された。

  27. Olympus Corporation of Asiaを設立
  28. 長年の不正会計が露呈(オリンパス事件)
  29. 情報通信事業を売却

    携帯電話端末の販売を手がける子会社ITX社(FY2011・売上高2294億円・営業利益53億円)の売却を決定。売却額は530億円で、売却先は日本産業パートナーを選定

  30. 組織再編
    医療・映像を本体に再吸収

    オリンパスメディカルシステムズ株式会社の吸収分割およびオリンパスイメージング株式会社との合併により、医療分野および映像事業をオリンパスに吸収した。2004年の分社化を経て、グループ運営を本体集約型へ戻す再編であった。

  31. 本社を八王子に移転
  32. バリューアクトが大量保有報告書を提出
  33. 医療分野のグローバル展開に集中投資を決定
  34. 映像事業(カメラ製造)から撤退
  35. 医療機器で買収積極化
  36. 企業買収
    蘭Quest Photonic Devicesを買収

    Quest Photonic Devices B.V.を買収した。すなわち外科領域における蛍光イメージング技術を獲得する動きであり、内視鏡を超えた手術関連事業の拡張につながった。

  37. 企業買収
    イスラエルMedi-Tateを買収

    Medi-Tate Ltd.を買収した。泌尿器科領域を強化する狙いであり、医療機器ポートフォリオの中で前立腺関連治療デバイスの取り扱いを広げる動きであった。

  38. 完全子会社エビデントを売却・顕微鏡領域から撤退

    医療機器に集中するために、祖業である顕微鏡に加えて、非破壊検査、X線分析計からの撤退を決定。これらの事業を担当していた完全子会社「株式会社エビデント」の株式を全て売却することを決定した。売却先はベインキャピタル系の投資ファンド「株式会社BCJ-66」であり、売却の譲渡価格は4276億円となった。これに伴い、FY2023にオリンパスは子会社株式譲渡による売却益として2472億円を計上した。

  39. 事業撤退
    整形外科事業をポラリス・キャピタルに譲渡

    整形外科事業をポラリス・キャピタル・グループに譲渡した。すなわち医療分野の中でも内視鏡・治療機器に経営資源を集中する流れの中で、非中核とみなした領域を切り離す動きであった。