オリンパスの沿革(1919〜2024年)
オリンパスの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1919 1-12月 | founding | 株式会社高千穂製作所を設立 | 共同出資と株式分散が方向づけたオリンパスの経営構造 | |||
東京幡ヶ谷に本社工場を新設 オリンパスの設立にあたって新工場の建設を決定。常盤商会のグループ会社であった「帝国合金」という企業が幡ヶ谷駅付近にあった縁で、同じ幡ヶ谷に工場を新設することを決めた。1919年夏から工場の建設を開始して、同年10月に工場が完成。工場の完成をもって会社創立の総会を開催し、オリンパスは事業を開始した。
会社設立時点の従業員数は約80名であり、生産技術を担う職工が中心であった。特に顕微鏡の製造には、精密部品の加工や、レンズの研磨といった高度な生産技術が必要な工程が多く、専門職である職人を確保する必要があったためである。創業期のレンズの生産は秘匿化され、関係者以外は入室できない部屋で研磨していたという | ||||||
1921 1-12月 | 顕微鏡で「オリンパス」の商標取得 1920年にオリンパスは顕微鏡「旭号」を発売したものの、ドイツ製(ツァイスなど)の輸入品との競争に直面。日本国内では欧米からの輸入品が重視される時代であり、国産品であった「旭号」は販売で苦戦した。そこで、1920年10月に「オリンパス」の商標を取得。海外風の商標を採用するが、国産品への評判が悪い状態は続き、戦前を通じて顕微鏡の販売に苦戦した。 | |||||
1923 1-12月 | divestiture | 財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡 | 創業4年目の事業撤退と「工場分割」という構造的負債 | |||
1929 1-12月 | 森下仁丹を提訴。和解へ | 株主間紛争と「顕微鏡事業の存続」を賭けた法的決着 | ||||
1933 1-12月 | 海軍省指定工場に登録・海軍病院に納入へ 戦前の軍備増強を受けて、1933年に海軍はオリンパスについて指定工場に登録。オリンパスは顕微鏡を全国に点在した「海軍病院」に納入することで、販売数量を安定させた。
1937年からは軍需品の生産を本格化。砲鏡・双眼鏡・測定器の生産を開始するとともに、各種工作機械を導入して量産体制を敷いた。終戦間際の1943年12月には諏訪工場、1944年2月には伊那工場をそれぞれ長野県内に新設し、東京への空襲に備えてこれらの疎開工場に設備を移転した。その後、1945年の空襲により本社工場(渋谷区幡ヶ谷)が被災したことから、信州地区の疎開工場をオリンパスの主力工場として稼働した。
特に、諏訪工場は戦後のオリンパスの復興において、いち早くカメラの量産体制を確立し、業容拡大に寄与した。このため、オリンパスの生産体制は1930年代から1945年までを通じた戦時中に、その基盤が確立された。 | |||||
1939 1-12月 | 安宅商会が経営支援。穏便に経営体制の変更へ 戦時中の生産増強に対して、オリンパスは工場新設のための資金難に直面。そこで、国内の有力商社である安宅商会(のちの安宅産業)から財務支援を受けることを決め、創業者である山下氏を含めた経営陣の入れ替えを実施した。
安宅商会によるオリンパスの支援に際しては、穏便に行われ、目立った混乱は生じなかった。この結果、オリンパスの創業者である山下長氏は社長を穏便に退任し、安宅商会から派遣された後任者に経営を譲った。 | |||||
FY50 1950/3 | 東京証券取引所に株式上場 | |||||
胃カメラを開発。医療機器に参入 | 顧客主導で形成された内視鏡事業と学会ネットワーク | |||||
FY56 1956/3 | 輸出基本方針を策定。カメラ輸出を本格化 1954年の国内業界全体におけるカメラ販売の不振をうけて、オリンパスはカメラ輸出に注力する方針を決定。1955年に「輸出基本方針」を策定し、オリンパス製品の最低30%を輸出する方針を発表。輸出先は北米(アメリカ・カナダ)に集中する方向を打ち出し、ニューヨークを起点に輸出品の現地企業への売り込みを狙った。輸出機種はオリンパスの主力カメラ「オリンパス35」と「オリンパスワイド」に絞り込んだ。
輸出を具現化するために、1956年にオリンパス社長(高橋氏)が渡米し、現地の販売企業の状況を施設。この結果、オリンパスのアメリカの販売総代理店としてブロックウェイ社を選定し、1956年9月に総代理店契約を締結した。契約期間は5ヵ年とし、オリンパスが宣伝費用として年間400万ドルの負担を決めた。 | |||||
FY59 1959/3 | 売上高 15.6億円 | 当期純利益 1.28億円 | ||||
FY60 1960/3 | 売上高 20.3億円 | 当期純利益 1.38億円 | ||||
FY61 1961/3 | 売上高 28.6億円 | 当期純利益 1.8億円 | ||||
FY62 1962/3 | 売上高 41.6億円 | 当期純利益 3.4億円 | カメラ「オリンパス・ペンEE」を発売。爆発的ヒットへ | 自動露出とレンズ設計の組合せが開いたカメラの大衆化 | ||
FY63 1963/3 | 売上高 57.3億円 | 当期純利益 3.6億円 | ||||
FY64 1964/3 | 売上高 79.3億円 | 当期純利益 3.3億円 | 八王子事業を新設・本社工場を移転 1950年代を通じてオリンパスは「顕微鏡・測定器・胃カメラ・カメラ」といった多品種を展開し、このうち特にカメラの需要が増大した。一方で、本社工場の周辺は宅地化が進行しており工場の拡張が困難であったため、関東圏における新しい生産拠点として八王子に工場を新設することを決定。1963年8月に八王子事業所を新設し、1967年までに本社工場の移転を完了した。生産品目は本社工場で担当していた医療機器(グラスファイバー)が中心であった。 | |||
FY65 1965/3 | 売上高 82.1億円 | 当期純利益 3.4億円 | 現地法人を通じたカメラ輸出を本格化 | |||
FY66 1966/3 | 売上高 79.8億円 | 当期純利益 3.1億円 | ||||
FY67 1967/3 | 売上高 95億円 | 当期純利益 3.7億円 | ||||
FY68 1968/3 | 売上高 117.3億円 | 当期純利益 4.8億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 143.6億円 | 当期純利益 6.4億円 | 第三事業部を発足・内視鏡事業を本格化 | 事業部新設という「経営の意思」が変えた内視鏡の位置づけ | ||
FY70 1970/3 | 売上高 189.3億円 | 当期純利益 7.5億円 | ||||
FY71 1971/3 | 売上高 184.7億円 | 当期純利益 2.4億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 206.3億円 | 当期純利益 2.8億円 | 小型一眼レフカメラ「OM-1」を発売 | |||
FY73 1973/3 | 売上高 265.6億円 | 当期純利益 6.3億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 380.3億円 | 当期純利益 12.1億円 | ||||
FY75 1975/3 | 売上高 459億円 | 当期純利益 26.9億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 535億円 | 当期純利益 31.8億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 639億円 | 当期純利益 39.2億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 655億円 | 当期純利益 33.6億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 810億円 | 当期純利益 49億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 963億円 | 当期純利益 63.2億円 | 本社を西新宿に移転 | |||
FY81 1981/3 | 売上高 1,031億円 | 当期純利益 67.8億円 | 辰野事業所を新設 | |||
FY82 1982/3 | 売上高 1,089億円 | 当期純利益 72.9億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 1,058億円 | 当期純利益 35億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 1,159億円 | 当期純利益 40.5億円 | ||||
FY88 1988/3 | 金融資産運用を積極化 プラザ合意による円高によって輸出が中心であったオリンパスの収益性が悪化。利益確保のために、1987年5月20日のオリンパスの常務会において、金融資産の運用(債権・外国債権・株式先物取引・債権先物取引など)を積極化することを決定した。ただしバブル崩壊後に巨額の含み損(数百億円)を抱え、損失を取り戻すために1993年ごろからよりリスクの大きい金融商品の運用を積極化したが、状況は改善しなかった。1998年頃には損失額が950億円に達したという。
これらの含み損については、損失計上を先送りにして対処したが、1990年代後半の日本における時価会計の導入によって暗礁に乗り上げた。 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 2,601億円 | 当期純利益 50億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 2,677億円 | 当期純利益 38億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 2,395億円 | 当期純利益 5億円 | 日の出工場を新設(東京都西多摩郡) | |||
FY95 1995/3 | 売上高 2,520億円 | 当期純利益 31億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 2,561億円 | 当期純利益 20億円 | ||||
FY97 1997/3 | 売上高 3,104億円 | 当期純利益 23億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 3,649億円 | 当期純利益 93億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 4,137億円 | 当期純利益 88億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 4,286億円 | 当期純利益 18億円 | ||||
FY01 2001/3 | 売上高 4,667億円 | 当期純利益 117億円 | ||||
FY02 2002/3 | 売上高 5,284億円 | 当期純利益 102億円 | ||||
FY03 2003/3 | 売上高 5,643億円 | 当期純利益 243億円 | 5カ年の「経営基本計画」を策定 | 「映像・医療の二軸投資」が浮き彫りにした事業選択の問い | ||
FY04 2004/3 | 売上高 6,336億円 | 当期純利益 335億円 | オリンパス株式会社に商号変更 | |||
FY05 2005/3 | 売上高 8,135億円 | 当期純利益 -118億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 9,781億円 | 当期純利益 285億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 10,617億円 | 当期純利益 477億円 | ||||
FY08 2008/3 | 売上高 11,288億円 | 当期純利益 579億円 | Gyrus Group PLCを買収 2008年2月にオリンパスはGyrus Groupを2597億円で買収した。現預金控除後の取得による支出は2322億円に及び、オリンパスとしては大規模な買収となった。
Gyrus Groupは英国の医療機器メーカーであり、低侵襲治療における高周波技術をコアとし、泌尿器及び婦人科向けの機器を製造販売する企業であった。オリンパスとしては、医療機器分野において、内視鏡に次ぐ新領域として展開することを目論んだ。
なお、買収におけるフィナンシャルアドバイザーへの報酬額が6.8億に設定され、粉飾決算の帳尻を合わす細工が施された。このため、ジャイラスの買収は、ある面では医療機器の強化、別の面では粉飾決算の帳尻合わせとして利用され、2011年の粉飾決算露呈時に問題視された。 | |||
FY09 2009/3 | 売上高 9,808億円 | 当期純利益 -1,148億円 | ||||
FY10 2010/3 | 売上高 8,830億円 | 当期純利益 525億円 | ||||
FY11 2011/3 | 売上高 8,471億円 | 当期純利益 38億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 8,485億円 | 当期純利益 -489億円 | Olympus Corporation of Asiaを設立 | |||
長年の不正会計が露呈(オリンパス事件) | ||||||
FY13 2013/3 | 売上高 7,438億円 | 当期純利益 80億円 | 情報通信事業を売却 携帯電話端末の販売を手がける子会社ITX社(FY2011・売上高2294億円・営業利益53億円)の売却を決定。売却額は530億円で、売却先は日本産業パートナーを選定 | |||
FY14 2014/3 | 売上高 7,132億円 | 当期純利益 136億円 | ||||
FY15 2015/3 | 売上高 7,646億円 | 当期純利益 -87億円 | ||||
FY16 2016/3 | 売上高 8,045億円 | 当期純利益 625億円 | ||||
FY17 2017/3 | 売上高 7,405億円 | 当期純利益 427億円 | 本社を八王子に移転 | |||
FY18 2018/3 | 売上高 7,864億円 | 当期純利益 570億円 | ||||
FY19 2019/3 | 売上高 7,938億円 | 当期純利益 81億円 | バリューアクトが大量保有報告書を提出 | |||
FY20 2020/3 | 売上高 7,974億円 | 当期純利益 516億円 | 医療分野のグローバル展開に集中投資を決定 | |||
FY21 2021/3 | 売上高 7,305億円 | 当期純利益 129億円 | 映像事業(カメラ製造)から撤退 | |||
医療機器で買収積極化 | ||||||
FY22 2022/3 | 売上高 8,689億円 | 当期純利益 1,157億円 | ||||
FY23 2023/3 | 売上高 8,819億円 | 当期純利益 1,434億円 | ||||
FY24 2024/3 | 売上高 9,362億円 | 当期純利益 2,425億円 | 完全子会社エビデントを売却・顕微鏡領域から撤退 医療機器に集中するために、祖業である顕微鏡に加えて、非破壊検査、X線分析計からの撤退を決定。これらの事業を担当していた完全子会社「株式会社エビデント」の株式を全て売却することを決定した。
売却先はベインキャピタル系の投資ファンド「株式会社BCJ-66」であり、売却の譲渡価格は4276億円となった。これに伴い、FY2023にオリンパスは子会社株式譲渡による売却益として2472億円を計上した。 |
- 株式会社高千穂製作所を設立共同出資と株式分散が方向づけたオリンパスの経営構造
- 東京幡ヶ谷に本社工場を新設
オリンパスの設立にあたって新工場の建設を決定。常盤商会のグループ会社であった「帝国合金」という企業が幡ヶ谷駅付近にあった縁で、同じ幡ヶ谷に工場を新設することを決めた。1919年夏から工場の建設を開始して、同年10月に工場が完成。工場の完成をもって会社創立の総会を開催し、オリンパスは事業を開始した。 会社設立時点の従業員数は約80名であり、生産技術を担う職工が中心であった。特に顕微鏡の製造には、精密部品の加工や、レンズの研磨といった高度な生産技術が必要な工程が多く、専門職である職人を確保する必要があったためである。創業期のレンズの生産は秘匿化され、関係者以外は入室できない部屋で研磨していたという
- 顕微鏡で「オリンパス」の商標取得
1920年にオリンパスは顕微鏡「旭号」を発売したものの、ドイツ製(ツァイスなど)の輸入品との競争に直面。日本国内では欧米からの輸入品が重視される時代であり、国産品であった「旭号」は販売で苦戦した。そこで、1920年10月に「オリンパス」の商標を取得。海外風の商標を採用するが、国産品への評判が悪い状態は続き、戦前を通じて顕微鏡の販売に苦戦した。
- 財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡創業4年目の事業撤退と「工場分割」という構造的負債
- 森下仁丹を提訴。和解へ株主間紛争と「顕微鏡事業の存続」を賭けた法的決着
- 海軍省指定工場に登録・海軍病院に納入へ
戦前の軍備増強を受けて、1933年に海軍はオリンパスについて指定工場に登録。オリンパスは顕微鏡を全国に点在した「海軍病院」に納入することで、販売数量を安定させた。 1937年からは軍需品の生産を本格化。砲鏡・双眼鏡・測定器の生産を開始するとともに、各種工作機械を導入して量産体制を敷いた。終戦間際の1943年12月には諏訪工場、1944年2月には伊那工場をそれぞれ長野県内に新設し、東京への空襲に備えてこれらの疎開工場に設備を移転した。その後、1945年の空襲により本社工場(渋谷区幡ヶ谷)が被災したことから、信州地区の疎開工場をオリンパスの主力工場として稼働した。 特に、諏訪工場は戦後のオリンパスの復興において、いち早くカメラの量産体制を確立し、業容拡大に寄与した。このため、オリンパスの生産体制は1930年代から1945年までを通じた戦時中に、その基盤が確立された。
- 安宅商会が経営支援。穏便に経営体制の変更へ
戦時中の生産増強に対して、オリンパスは工場新設のための資金難に直面。そこで、国内の有力商社である安宅商会(のちの安宅産業)から財務支援を受けることを決め、創業者である山下氏を含めた経営陣の入れ替えを実施した。 安宅商会によるオリンパスの支援に際しては、穏便に行われ、目立った混乱は生じなかった。この結果、オリンパスの創業者である山下長氏は社長を穏便に退任し、安宅商会から派遣された後任者に経営を譲った。
- 東京証券取引所に株式上場
- 胃カメラを開発。医療機器に参入顧客主導で形成された内視鏡事業と学会ネットワーク
- 輸出基本方針を策定。カメラ輸出を本格化
1954年の国内業界全体におけるカメラ販売の不振をうけて、オリンパスはカメラ輸出に注力する方針を決定。1955年に「輸出基本方針」を策定し、オリンパス製品の最低30%を輸出する方針を発表。輸出先は北米(アメリカ・カナダ)に集中する方向を打ち出し、ニューヨークを起点に輸出品の現地企業への売り込みを狙った。輸出機種はオリンパスの主力カメラ「オリンパス35」と「オリンパスワイド」に絞り込んだ。 輸出を具現化するために、1956年にオリンパス社長(高橋氏)が渡米し、現地の販売企業の状況を施設。この結果、オリンパスのアメリカの販売総代理店としてブロックウェイ社を選定し、1956年9月に総代理店契約を締結した。契約期間は5ヵ年とし、オリンパスが宣伝費用として年間400万ドルの負担を決めた。
- カメラ「オリンパス・ペンEE」を発売。爆発的ヒットへ自動露出とレンズ設計の組合せが開いたカメラの大衆化
- 八王子事業を新設・本社工場を移転
1950年代を通じてオリンパスは「顕微鏡・測定器・胃カメラ・カメラ」といった多品種を展開し、このうち特にカメラの需要が増大した。一方で、本社工場の周辺は宅地化が進行しており工場の拡張が困難であったため、関東圏における新しい生産拠点として八王子に工場を新設することを決定。1963年8月に八王子事業所を新設し、1967年までに本社工場の移転を完了した。生産品目は本社工場で担当していた医療機器(グラスファイバー)が中心であった。
- 現地法人を通じたカメラ輸出を本格化
- 第三事業部を発足・内視鏡事業を本格化事業部新設という「経営の意思」が変えた内視鏡の位置づけ
- 小型一眼レフカメラ「OM-1」を発売
- 本社を西新宿に移転
- 辰野事業所を新設
- 金融資産運用を積極化
プラザ合意による円高によって輸出が中心であったオリンパスの収益性が悪化。利益確保のために、1987年5月20日のオリンパスの常務会において、金融資産の運用(債権・外国債権・株式先物取引・債権先物取引など)を積極化することを決定した。ただしバブル崩壊後に巨額の含み損(数百億円)を抱え、損失を取り戻すために1993年ごろからよりリスクの大きい金融商品の運用を積極化したが、状況は改善しなかった。1998年頃には損失額が950億円に達したという。 これらの含み損については、損失計上を先送りにして対処したが、1990年代後半の日本における時価会計の導入によって暗礁に乗り上げた。
- 日の出工場を新設(東京都西多摩郡)
- 5カ年の「経営基本計画」を策定「映像・医療の二軸投資」が浮き彫りにした事業選択の問い
- オリンパス株式会社に商号変更
- Gyrus Group PLCを買収
2008年2月にオリンパスはGyrus Groupを2597億円で買収した。現預金控除後の取得による支出は2322億円に及び、オリンパスとしては大規模な買収となった。 Gyrus Groupは英国の医療機器メーカーであり、低侵襲治療における高周波技術をコアとし、泌尿器及び婦人科向けの機器を製造販売する企業であった。オリンパスとしては、医療機器分野において、内視鏡に次ぐ新領域として展開することを目論んだ。 なお、買収におけるフィナンシャルアドバイザーへの報酬額が6.8億に設定され、粉飾決算の帳尻を合わす細工が施された。このため、ジャイラスの買収は、ある面では医療機器の強化、別の面では粉飾決算の帳尻合わせとして利用され、2011年の粉飾決算露呈時に問題視された。
- Olympus Corporation of Asiaを設立
- 長年の不正会計が露呈(オリンパス事件)
- 情報通信事業を売却
携帯電話端末の販売を手がける子会社ITX社(FY2011・売上高2294億円・営業利益53億円)の売却を決定。売却額は530億円で、売却先は日本産業パートナーを選定
- 本社を八王子に移転
- バリューアクトが大量保有報告書を提出
- 医療分野のグローバル展開に集中投資を決定
- 映像事業(カメラ製造)から撤退
- 医療機器で買収積極化
- 完全子会社エビデントを売却・顕微鏡領域から撤退
医療機器に集中するために、祖業である顕微鏡に加えて、非破壊検査、X線分析計からの撤退を決定。これらの事業を担当していた完全子会社「株式会社エビデント」の株式を全て売却することを決定した。 売却先はベインキャピタル系の投資ファンド「株式会社BCJ-66」であり、売却の譲渡価格は4276億円となった。これに伴い、FY2023にオリンパスは子会社株式譲渡による売却益として2472億円を計上した。