1919年〜 顕微鏡国産化と戦時疎開に始まる創業期の試練
- 1919年株式会社高千穂製作所を設立
- 1919年東京幡ヶ谷に本社工場を新設
- 1921年顕微鏡で「オリンパス」の商標取得
- 1923年財務状況が悪化。体温計事業を仁丹テルモに譲渡
- 1929年森下仁丹を提訴。和解へ
- 1933年海軍省指定工場に登録・海軍病院に納入へ
- 1949年東京証券取引所に株式上場
オリンパスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
体温計を手放してでも顕微鏡を守った資金制約
第一次世界大戦の勃発によってドイツから輸入されていた顕微鏡や測距儀といった光学機器が市場から姿を消し、日本国内でも教育・研究・軍事の各方面で深刻な不足が生じた。こうした外部環境のもとで、創業者の山下長氏は1919年10月に資本金30万円で株式会社高千穂製作所を東京渋谷区幡ヶ谷に設立し、光学機器の国産化に踏み切った。顕微鏡の製作経験を豊富に持つ寺田枠吉氏を技師長に招き、翌1920年には国産顕微鏡「旭号」を完成させて市場投入にこぎつけた。しかし創業期のオリンパスは体温計と顕微鏡の二事業を同時に運営する体制を取っており、資金繰りの観点から両事業の維持は次第に難しくなった。限られた資本をどちらの事業に集中するかという経営判断が、早くも創業者に突きつけられた。 [1][2]
- 有価証券報告書
- [1]1919年10月 山下長が資本金30万円で株式会社高千穂製作所を東京渋谷区幡ヶ谷に設立
- [2]1920年に国産顕微鏡「旭号」を完成
1923年にオリンパスは体温計事業を後のテルモへ売却し、顕微鏡事業へ経営資源の集中を図った。この撤退に伴って本社工場は物理的に二つに割れ、さらに1928年には株主であった森下仁丹が追加の資産譲渡と顕微鏡事業からの撤退を要求するまでに関係が悪化した。山下氏は東京地方裁判所に提訴する強硬な対応を選び、1929年に和解が成立して顕微鏡事業を自社で続ける基盤を残した。創業から10年にも満たないあいだに事業撤退と経営体制の動揺、そして株主間の法廷係争までを同時に経験した波乱の出発であり、この経験が選択と集中への志向を経営文化の底層に残した。 [3][4]
- 有価証券報告書
- [3]1923年に体温計事業を後のテルモへ売却
- [4]東京地方裁判所に提訴し1929年に和解
- 有価証券報告書
- [1]1919年10月 山下長が資本金30万円で株式会社高千穂製作所を東京渋谷区幡ヶ谷に設立
- [2]1920年に国産顕微鏡「旭号」を完成
- [3]1923年に体温計事業を後のテルモへ売却
- [4]東京地方裁判所に提訴し1929年に和解
戦時疎開が結果として残した信州の生産基盤
1933年にオリンパスは海軍省の指定工場として正式に登録され、顕微鏡を海軍病院へ安定的に納入する販路を得た。軍との関係を軸にした販売チャネルの安定は、民間市場の未成熟な時代における光学メーカーにとって事業基盤の骨格そのものであり、顕微鏡事業の継続性を支える柱となった。1936年4月には写真機の製造を開始し、顕微鏡で培った精密光学を民生のカメラへ広げる足がかりを得た。1937年からは砲鏡や双眼鏡といった軍需光学機器の本格生産に踏み切り、1939年には安宅商会から財務支援を受け、同時に創業者の山下長氏が退任して経営体制が入れ替わった。1942年6月には社名を高千穂光学工業へ改め、戦前期の日本の光学産業全体がそうであったように、オリンパスの生産も軍需中心へ傾斜した。 [5][6][7][8][9]
- 有価証券報告書
- [5]1933年に海軍省の指定工場として登録・海軍病院へ納入
- [7]1937年から砲鏡・双眼鏡など軍需光学機器の本格生産
- [8]1939年に安宅商会から財務支援を受け創業者山下長が退任
- [9]1942年6月に社名を高千穂光学工業へ改称
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [6]1936年4月に写真機の製造を開始
1943年12月に長野県岡谷市の諏訪、1944年2月には伊那へ疎開工場を新設して軍需生産の分散化を図る戦時体制を敷いた。これらの疎開拠点は1945年5月の空襲で本社および幡ヶ谷工場が戦災により焼失した後の復興基盤として結果的に役立ち、本社は渋谷区田毎町(現東一丁目)へ移転した。とりわけ諏訪工場はカメラの量産体制を早期に確立する拠点として戦後に重要な役割を担い、オリンパスの生産基盤は戦時中の疎開政策によって形づくられた側面が強い。1949年1月には社名をオリンパス光学工業へ改め、同年に株式上場を果たして、戦前の軍需メーカーから戦後の民需光学メーカーへ組織の性格を転じた。この過程で形成された信州中心の生産拠点配置は現在に至るまで同社のものづくり基盤の地理的な骨格を規定している。 [10][11][12][13]
- 有価証券報告書
- [10]1943年12月に長野県岡谷市の諏訪・1944年2月に伊那へ疎開工場を新設
- [11]1945年5月の空襲で本社および幡ヶ谷工場が戦災で焼失し本社を渋谷区田毎町(現東一丁目)へ移転
- [12]1949年1月に社名をオリンパス光学工業へ改称
- [13]1949年に株式上場
- 有価証券報告書
- [5]1933年に海軍省の指定工場として登録・海軍病院へ納入
- [7]1937年から砲鏡・双眼鏡など軍需光学機器の本格生産
- [8]1939年に安宅商会から財務支援を受け創業者山下長が退任
- [9]1942年6月に社名を高千穂光学工業へ改称
- [10]1943年12月に長野県岡谷市の諏訪・1944年2月に伊那へ疎開工場を新設
- [11]1945年5月の空襲で本社および幡ヶ谷工場が戦災で焼失し本社を渋谷区田毎町(現東一丁目)へ移転
- [12]1949年1月に社名をオリンパス光学工業へ改称
- [13]1949年に株式上場
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [6]1936年4月に写真機の製造を開始