沿革年表 1936〜2026年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
理研感光紙部門の分離独立
理研コンツェルンは研究成果の事業化を目的とする組織だったが、市村清の事例が示すのは、事業化の担い手を内部に留めておけないという逆説的な構造である。外部から招いた人材を組織が受容できず、結果として独立させざるを得なかったという創業経緯は、「計画された起業」とも「偶発的な独立」とも異なる第三の類型を示している。大河内博士が最終的に「任せる」と判断した背景には、市村の販売実績に対する評価と、組織の軋轢を解消するコストの天秤があったと推定される。
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1936
1-12月
商号を理研光学工業に変更、カメラ製造開始
1938
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
リコーフレックス(二眼レフカメラ)発売
戦後カメラブームの先駆。朝鮮戦争特需で爆発的にヒットし、月産1万台を輸出した。ソニー、本田技研と並ぶ「花形三羽烏」と称された。
重要事項
ジアゾ式複写機「リコピー101」開発
リコピー101の開発は、感光紙という自社の中核技術を「素材」から「機器」へと応用した事例である。市村清が複写機に着目した背景には、感光紙の販売先であるオフィスの現場を日常的に訪問するなかで掴んだ需要への直感があった。技術的な飛躍よりも、既存の顧客接点と技術基盤を活かした「隣接領域への展開」であり、このパターンはリコーがその後も繰り返す事業開発の原型となった。
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FY56
1956/3
国産初の電子複写機「リコーファックス」開発
FY59
1959/3
売上高
32.6億円
当期純利益
1.6億円
FY60
1960/3
売上高
59.5億円
当期純利益
5.9億円
FY61
1961/3
売上高
73.2億円
当期純利益
7.8億円
株式上場
東京・大阪証券取引所市場第一部に上場
1961年10月、東京および大阪両証券取引所市場第一部に上場した。1949年の店頭公開から12年を経ての一部上場であり、複写機事業の本格拡大を支える資金調達基盤を整えた。
FY62
1962/3
売上高
105.3億円
当期純利益
11.1億円
海外進出
米国にRICOH OF AMERICAを設立
1962年12月、米国に現地法人RICOH OF AMERICA INC.(現RICOH USA, INC.)を設立した。リコーとして初の本格的な北米展開拠点であり、その後のSAVIN・LANIER・IKON買収を含む米国事業拡大の基盤となった。
FY63
1963/3
売上高
116.9億円
当期純利益
11.5億円
商号を株式会社リコーに変更
FY64
1964/3
売上高
134.6億円
当期純利益
9.4億円
無配転落と不良資産の一括処理
歴史的意義yutaka sugiura
市村清が選んだのは、粉飾的に赤字を分散させるのではなく、一期に集中して不良資産を吐き出すという手法だった。この「膿の一括処理」は、27年後の浜田広によるCRP、53年後の山下良則による減損処理と、リコーの歴史上3度にわたって繰り返される。危機のたびにドラスティックな処理を断行して再生する力がリコーにはある一方、危機に至るまでの予防的な舵取りが機能しにくい組織体質も浮き彫りになる。「経営の神様」でさえ、嬉野温泉で同級生に指摘されるまで自社の実態を把握できなかったという逸話が、この構造を象徴している。
FY65
1965/3
売上高
141.6億円
当期純利益
-5.5億円
FY66
1966/3
売上高
124.6億円
当期純利益
-7.4億円
FY67
1967/3
売上高
141.6億円
当期純利益
0.7億円
FY68
1968/3
売上高
216.9億円
当期純利益
5.6億円
創業者・市村清逝去(68歳)
リコー創業者の市村清氏が68歳にて逝去。葬儀は東京築地本願寺で行われ、財界人など7000名が参列した。
FY69
1969/3
売上高
338億円
当期純利益
24.9億円
FY70
1970/3
売上高
475億円
当期純利益
34億円
デミング賞実施賞を受賞
事務機業界初の受賞。TQC導入の成果として、PPCのベストセラー機「ニューリコピーDT1200」が生まれた。
FY71
1971/3
売上高
653億円
当期純利益
39億円
海外進出
オランダにRICOH NEDERLANDを設立
1971年6月、オランダに現地法人RICOH NEDERLAND B.V.(現RICOH EUROPE HOLDINGS B.V.)を設立した。欧州における販売拠点として位置づけられ、後年のGESTETNER買収による欧州販売網拡大の足がかりとなった。
FY72
1972/3
売上高
674億円
当期純利益
27億円
海外進出設備投資
米国にRICOH ELECTRONICSを設立
1973年1月、米国に現地法人RICOH ELECTRONICS, INC.を設立した。北米における製造拠点として、複写機関連の現地生産機能を整備した。
FY73
1973/3
売上高
752億円
当期純利益
29億円
FY74
1974/3
売上高
1,059億円
当期純利益
34億円
FY75
1975/3
売上高
1,217億円
当期純利益
25億円
FY76
1976/3
売上高
1,114億円
当期純利益
22億円
ハノーバーメッセでOAを提唱
企業として世界で初めてOA(オフィス・オートメーション)のコンセプトを提唱した。
FY77
1977/3
売上高
1,404億円
当期純利益
43億円
35歳能力主義を導入
大植武士社長が導入した年功序列賃金打ち止め制。35歳以降は実績で処遇するという方針は社会的に大きな話題となった。
FY78
1978/3
売上高
1,716億円
当期純利益
62億円
FY79
1979/3
売上高
1,974億円
当期純利益
78億円
FY80
1980/3
売上高
2,243億円
当期純利益
118億円
自社ブランド輸出を開始
OEM中心からリコーブランドでの欧米市場展開に転換。ハノーバーメッセで過去最大規模の展示を実施した。
FY81
1981/3
売上高
2,534億円
当期純利益
110億円
FY82
1982/3
売上高
2,948億円
当期純利益
95億円
FY83
1983/3
売上高
3,262億円
当期純利益
63億円
浜田広が49歳で社長に就任
生え抜きとして全職制を経験した初の社長。「使いにくい部下を育てなさい」「イエスマンばかり集めたら会社は潰れる」を信条とし、「緩い統制」の経営哲学を掲げた。
FY84
1984/3
売上高
3,887億円
当期純利益
121億円
FY85
1985/3
売上高
4,517億円
当期純利益
138億円
初のデジタル複写機「イマジオ320」発売
歴史的意義yutaka sugiura
イマジオの事例は、技術的な先行が必ずしも市場での優位に結びつかないことを示している。初代機の「複写中にファクシミリを受信できない」という制約は、技術者が描いた理想と、ユーザーが求める実用性との乖離を端的に表している。リコーの開発部門には「難しい技術を最初にクリアすれば、普及機の開発はやさしい」という発想があったとされるが、この論理は市場投入のタイミングという変数を見落としていた。
FY87
1987/3
CRP(リストラプログラム)の発表
歴史的意義yutaka sugiura
浜田広が掲げた「緩い統制」は、現場の自律性を尊重する経営哲学として機能した一方、エネルギーの拡散を制御できないという限界を露呈した。興味深いのは、リストラの引き金が社長自身の判断ではなく、役員からの突き上げだったという点である。「緩い統制」の組織では、トップダウンの危機対応が遅れがちになる。結果として「赤字」という外部からの明確なシグナルが、組織を動かす最も有効なショック療法として機能した。浜田自身が「赤字になったのが結果的に良かったのかもしれない」と述懐しているのは、この構造を正確に認識していたことを示している。
FY92
1992/3
売上高
10,174億円
当期純利益
20億円
FY93
1993/3
売上高
10,219億円
当期純利益
50億円
「ザ・マン」制度を創設
企業内起業家8名を選抜。特定業種向け業務システムの開発をユーザーと共同で進める制度で、CRP後の現場活性化策の一環。
FY94
1994/3
売上高
9,683億円
当期純利益
95億円
桜井正光
米SAVIN・GESTENER買収
FY95
1995/3
売上高
10,202億円
当期純利益
185億円
企業買収海外進出
桜井正光
英GESTETNER HOLDINGSを買収
1995年9月、英国のOA機器販売会社GESTETNER HOLDINGS PLC(現RICOH EUROPE PLC)を買収した。SAVIN買収と並ぶ1995年の海外販売網強化案件であり、欧州における自社ブランドおよび販売網を一気に拡張した。
FY96
1996/3
売上高
11,130億円
当期純利益
218億円
桜井正光が社長に就任
上席役員を八人抜いての抜擢。在任11年間で連結売上高を約2倍の2兆689億円に拡大した。
桜井正光
FY97
1997/3
売上高
13,160億円
当期純利益
289億円
桜井正光
FY98
1998/3
売上高
14,033億円
当期純利益
301億円
桜井正光
日本経営品質賞を受賞
FY99
1999/3
売上高
14,259億円
当期純利益
306億円
桜井正光
FY00
2000/3
売上高
14,471億円
当期純利益
419億円
企業買収海外進出
桜井正光
米LANIER WORLDWIDEを買収
2001年1月、米国のOA機器販売会社LANIER WORLDWIDE, INC.を買収した。SAVINに続く米国販売網の拡大であり、北米におけるリコーブランドの販売・サービス網を厚くする戦略の一環となった。
FY01
2001/3
売上高
15,382億円
当期純利益
532億円
桜井正光
FY02
2002/3
売上高
16,723億円
当期純利益
616億円
桜井正光
FY03
2003/3
売上高
17,383億円
当期純利益
725億円
桜井正光
FY04
2004/3
売上高
17,802億円
当期純利益
917億円
桜井正光
日立プリンティングソリューションズ買収
FY05
2005/3
売上高
18,141億円
当期純利益
831億円
近藤史朗
FY06
2006/3
売上高
19,151億円
当期純利益
971億円
近藤史朗
FY07
2007/3
売上高
20,689億円
当期純利益
1,117億円
近藤史朗
FY08
2008/3
売上高
22,200億円
当期純利益
1,065億円
重要事項企業買収
近藤史朗
米IKON Office Solutions買収
歴史的意義yutaka sugiura
リコーが国内で築いた三層構造の販売網は、長年にわたる取引関係と業界特有の商慣行の上に成り立っていた。IKON買収は、この成功体験を海外にも移植しようとする試みだったが、買収した販売網と自社の製品・サービス体制を統合するには、国内で自然に醸成された暗黙知を組織的に移転する必要があった。1,705億円という買収対価は販売網の「ハードウェア」に対するものだったが、それを機能させる「ソフトウェア」は買収では手に入らなかった。
FY09
2009/3
売上高
20,917億円
当期純利益
65億円
近藤史朗
FY10
2010/3
売上高
20,158億円
当期純利益
270億円
三浦善司
リコージャパン設立(国内販売会社7社統合)
FY11
2011/3
売上高
19,413億円
当期純利益
186億円
設備投資
リコーテクノロジーセンター新棟が完成
2010年8月、神奈川県海老名市のリコーテクノロジーセンター敷地内に新棟が完成した。研究開発機能の集約をさらに進め、複合機・プリンタ事業の競争力強化を目的とした拠点整備であった。
三浦善司
HOYAからペンタックス事業を買収
FY12
2012/3
売上高
18,273億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-446億円
三浦善司
FY13
2013/3
売上高
18,118億円
親会社株主に帰属する当期純利益
389億円
三浦善司
FY14
2014/3
売上高
21,085億円
親会社株主に帰属する当期純利益
728億円
三浦善司
FY15
2015/3
売上高
21,514億円
親会社株主に帰属する当期純利益
686億円
山下良則
FY16
2016/3
売上高
22,090億円
親会社株主に帰属する当期純利益
630億円
山下良則
FY17
2017/3
売上高
20,289億円
親会社株主に帰属する当期純利益
35億円
山下良則
IKON等の減損1,759億円の一括計上
歴史的意義yutaka sugiura
IKON買収(2008年)から減損処理(2018年)まで10年を要したという事実は、買収時点で「期待通りにいかなかった場合の出口戦略」が十分に設計されていなかったことを示唆している。この10年間、北米事業の収益性は段階的に悪化していたが、巨額ののれんを抱えたまま抜本的な対策を先送りし続けた。山下社長が就任1年目で減損に踏み切れたのは、前任者が積み上げた負の遺産に対して「新任社長」という立場が持つ政治的な自由度が作用した面もある。リコーの3度の「膿の一括処理」はいずれも、経営者交代の直後に実行されている。
FY18
2018/3
売上高
20,634億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,354億円
非注力事業からの撤退
山下良則
FY19
2019/3
売上高
20,132億円
親会社株主に帰属する当期純利益
495億円
山下良則
FY20
2020/3
売上高
20,086億円
親会社株主に帰属する当期純利益
395億円
重要事項経営体制
山下良則
総還元性向50%を掲げ発行済株式の約2割・1,000億円を上限とする自社株買いを発表
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FY21
2021/3
売上高
16,821億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-327億円
大山晃
FY22
2022/3
売上高
17,586億円
親会社株主に帰属する当期純利益
304億円
株式上場
大山晃
東証プライム市場へ移行
2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。
FY23
2023/3
売上高
21,342億円
親会社株主に帰属する当期純利益
544億円
PFUを買収(840億円)
富士通子会社のPFU株式80%を840億円で取得。業務用スキャナー事業を取り込んだ。
大山晃
FY24
2024/3
売上高
23,490億円
親会社株主に帰属する当期純利益
442億円
大山晃
東芝テックとの合弁会社エトリア設立
FY25
2025/3
売上高
25,279億円
親会社株主に帰属する当期純利益
457億円
企業買収
PFU株式の20%を追加取得し完全子会社化
2025年3月、株式会社PFU株式の20%を追加取得し完全子会社化した。2022年の80%取得から3年で残株式を取得し、業務用スキャナ・ドキュメント関連事業をリコーグループへ完全に組み込んだ。
FY26
2026/3
売上高
26,083億円
親会社株主に帰属する当期純利益
557億円
  1. 商号を理研光学工業に変更、カメラ製造開始
  2. 東京証券取引所に株式上場
  3. リコーフレックス(二眼レフカメラ)発売

    戦後カメラブームの先駆。朝鮮戦争特需で爆発的にヒットし、月産1万台を輸出した。ソニー、本田技研と並ぶ「花形三羽烏」と称された。

  4. 国産初の電子複写機「リコーファックス」開発
  5. 株式上場
    東京・大阪証券取引所市場第一部に上場

    1961年10月、東京および大阪両証券取引所市場第一部に上場した。1949年の店頭公開から12年を経ての一部上場であり、複写機事業の本格拡大を支える資金調達基盤を整えた。

  6. 海外進出
    米国にRICOH OF AMERICAを設立

    1962年12月、米国に現地法人RICOH OF AMERICA INC.(現RICOH USA, INC.)を設立した。リコーとして初の本格的な北米展開拠点であり、その後のSAVIN・LANIER・IKON買収を含む米国事業拡大の基盤となった。

  7. 商号を株式会社リコーに変更
  8. 無配転落と不良資産の一括処理
    市村清が選んだのは、粉飾的に赤字を分散させるのではなく、一期に集中して不良資産を吐き出すという手法だった。この「膿の一括処理」は、27年後の浜田広によるCRP、53年後の山下良則による減損処理と、リコーの歴史上3度にわたって繰り返される。危機のたびにドラスティックな処理を断行して再生する力がリコーにはある一方、危機に至るまでの予防的な舵取りが機能しにくい組織体質も浮き彫りになる。「経営の神様」でさえ、嬉野温泉で同級生に指摘されるまで自社の実態を把握できなかったという逸話が、この構造を象徴している。
  9. 創業者・市村清逝去(68歳)

    リコー創業者の市村清氏が68歳にて逝去。葬儀は東京築地本願寺で行われ、財界人など7000名が参列した。

  10. デミング賞実施賞を受賞

    事務機業界初の受賞。TQC導入の成果として、PPCのベストセラー機「ニューリコピーDT1200」が生まれた。

  11. 海外進出
    オランダにRICOH NEDERLANDを設立

    1971年6月、オランダに現地法人RICOH NEDERLAND B.V.(現RICOH EUROPE HOLDINGS B.V.)を設立した。欧州における販売拠点として位置づけられ、後年のGESTETNER買収による欧州販売網拡大の足がかりとなった。

  12. 海外進出設備投資
    米国にRICOH ELECTRONICSを設立

    1973年1月、米国に現地法人RICOH ELECTRONICS, INC.を設立した。北米における製造拠点として、複写機関連の現地生産機能を整備した。

  13. ハノーバーメッセでOAを提唱

    企業として世界で初めてOA(オフィス・オートメーション)のコンセプトを提唱した。

  14. 35歳能力主義を導入

    大植武士社長が導入した年功序列賃金打ち止め制。35歳以降は実績で処遇するという方針は社会的に大きな話題となった。

  15. 自社ブランド輸出を開始

    OEM中心からリコーブランドでの欧米市場展開に転換。ハノーバーメッセで過去最大規模の展示を実施した。

  16. 浜田広が49歳で社長に就任

    生え抜きとして全職制を経験した初の社長。「使いにくい部下を育てなさい」「イエスマンばかり集めたら会社は潰れる」を信条とし、「緩い統制」の経営哲学を掲げた。

  17. 初のデジタル複写機「イマジオ320」発売
    イマジオの事例は、技術的な先行が必ずしも市場での優位に結びつかないことを示している。初代機の「複写中にファクシミリを受信できない」という制約は、技術者が描いた理想と、ユーザーが求める実用性との乖離を端的に表している。リコーの開発部門には「難しい技術を最初にクリアすれば、普及機の開発はやさしい」という発想があったとされるが、この論理は市場投入のタイミングという変数を見落としていた。
  18. CRP(リストラプログラム)の発表
    浜田広が掲げた「緩い統制」は、現場の自律性を尊重する経営哲学として機能した一方、エネルギーの拡散を制御できないという限界を露呈した。興味深いのは、リストラの引き金が社長自身の判断ではなく、役員からの突き上げだったという点である。「緩い統制」の組織では、トップダウンの危機対応が遅れがちになる。結果として「赤字」という外部からの明確なシグナルが、組織を動かす最も有効なショック療法として機能した。浜田自身が「赤字になったのが結果的に良かったのかもしれない」と述懐しているのは、この構造を正確に認識していたことを示している。
  19. 「ザ・マン」制度を創設

    企業内起業家8名を選抜。特定業種向け業務システムの開発をユーザーと共同で進める制度で、CRP後の現場活性化策の一環。

  20. 米SAVIN・GESTENER買収
  21. 企業買収海外進出
    英GESTETNER HOLDINGSを買収

    1995年9月、英国のOA機器販売会社GESTETNER HOLDINGS PLC(現RICOH EUROPE PLC)を買収した。SAVIN買収と並ぶ1995年の海外販売網強化案件であり、欧州における自社ブランドおよび販売網を一気に拡張した。

  22. 桜井正光が社長に就任

    上席役員を八人抜いての抜擢。在任11年間で連結売上高を約2倍の2兆689億円に拡大した。

  23. 日本経営品質賞を受賞
  24. 企業買収海外進出
    米LANIER WORLDWIDEを買収

    2001年1月、米国のOA機器販売会社LANIER WORLDWIDE, INC.を買収した。SAVINに続く米国販売網の拡大であり、北米におけるリコーブランドの販売・サービス網を厚くする戦略の一環となった。

  25. 日立プリンティングソリューションズ買収
  26. 企業買収
    米IKON Office Solutions買収
    リコーが国内で築いた三層構造の販売網は、長年にわたる取引関係と業界特有の商慣行の上に成り立っていた。IKON買収は、この成功体験を海外にも移植しようとする試みだったが、買収した販売網と自社の製品・サービス体制を統合するには、国内で自然に醸成された暗黙知を組織的に移転する必要があった。1,705億円という買収対価は販売網の「ハードウェア」に対するものだったが、それを機能させる「ソフトウェア」は買収では手に入らなかった。
  27. リコージャパン設立(国内販売会社7社統合)
  28. 設備投資
    リコーテクノロジーセンター新棟が完成

    2010年8月、神奈川県海老名市のリコーテクノロジーセンター敷地内に新棟が完成した。研究開発機能の集約をさらに進め、複合機・プリンタ事業の競争力強化を目的とした拠点整備であった。

  29. HOYAからペンタックス事業を買収
  30. IKON等の減損1,759億円の一括計上
    IKON買収(2008年)から減損処理(2018年)まで10年を要したという事実は、買収時点で「期待通りにいかなかった場合の出口戦略」が十分に設計されていなかったことを示唆している。この10年間、北米事業の収益性は段階的に悪化していたが、巨額ののれんを抱えたまま抜本的な対策を先送りし続けた。山下社長が就任1年目で減損に踏み切れたのは、前任者が積み上げた負の遺産に対して「新任社長」という立場が持つ政治的な自由度が作用した面もある。リコーの3度の「膿の一括処理」はいずれも、経営者交代の直後に実行されている。
  31. 非注力事業からの撤退
  32. 株式上場
    東証プライム市場へ移行

    2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ移行した。

  33. PFUを買収(840億円)

    富士通子会社のPFU株式80%を840億円で取得。業務用スキャナー事業を取り込んだ。

  34. 東芝テックとの合弁会社エトリア設立
  35. 企業買収
    PFU株式の20%を追加取得し完全子会社化

    2025年3月、株式会社PFU株式の20%を追加取得し完全子会社化した。2022年の80%取得から3年で残株式を取得し、業務用スキャナ・ドキュメント関連事業をリコーグループへ完全に組み込んだ。