日本M&Aセンターの沿革(1966〜2025年)

日本M&Aセンターの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1966
1-12月
分林保弘が日本オリッベティに入社
1991
1-12月
日本エム・アンド・エー・センターを設立
日本M&Aの創業者である分林保弘は、立命館大学を卒業後、会計系のコンピューターを取り扱う外資企業「日本オリベッティ」に入社。同社では会計士向けのシステム販売に従事し、中小企業の経営問題を解決してきた。なお、1970年代に日本オリベッティはTKC(栃木県計算センター)と提携した関係から、分林も会計事務所との接点を持つことになった。 分林保弘はM&Aの実務未経験にもかかわらず、日本M&Aセンターを設立。全国の地方に点在する会計事務所が出資することで、日本エムアンドエーセンターを中心とするM&Aのネットワークの構築に着手した。
M&A未経験者が会計事務所ネットワークで築いた情報優位
1992
1-12月
日経新聞に一面広告を出稿
顧客獲得のため、日本経済新聞の一面記事に「あなたの会社の後継社を探します」という広告を出稿。あえて「後継者」ではなく「後継社」と記載することで、日本の中小企業では馴染みのなかったM&Aの存在を啓蒙した。なお、この広告により全国から400社の問い合わせを獲得する。
1999
1-12月
分林保弘が『「中小企業」M&Aの時代が来た! : 後継者問題、相続対策を一挙に解決』を執筆
中小企業にM&Aを認知させるために、分林保弘は著書を出版。出版により、地方銀行から行員研修の依頼が舞い込むようになり、後述する「全国金融M&A研究会」に発展する契機となった。
2000
1-12月
全国金融M&A研究会を発足
地方銀行や信用金庫で「全国金融M&A研究会」という銀行員向けの研修を定期的に開催することで、地方の金融機関との接点を構築。以後、日本M&Aセンターは地銀との協力関係を構築し、その情報ネットワークが大きな強みなる。
2002
1-12月
商号を日本M&Aセンターに変更
日本国内でもM&Aという表記が一般的になったことから、商号を変更
2003
1-12月
本社を東京丸の内1丁目に移転
本社を都内随一の一等地である丸の内に移転。採用力の強化のための投資と推察される
FY05
2005/3
売上高
14.6億円
当期純利益
2.9億円
FY06
2006/3
売上高
20.9億円
当期純利益
3.9億円
東証マザーズに株式上場
創業者の分林保弘は、M&A仲介業は守秘義務の観点から上場できないと考えていたが、HISの創業者・澤田氏からのアドバイスを受けて株式上場を決意。2006年に東証マザーズへの上場を果たす
FY07
2007/3
売上高
26.3億円
当期純利益
5.6億円
東京証券取引所第一部に株式上場
FY08
2008/3
売上高
34.2億円
当期純利益
9億円
矢野経済研究所を持分法適用関連会社化
市場調査機能を強化するために、矢野経を取り込んだ
FY09
2009/3
売上高
40億円
当期純利益
8.7億円
FY10
2010/3
売上高
36.5億円
当期純利益
7.8億円
FY11
2011/3
売上高
50億円
当期純利益
12億円
FY12
2012/3
売上高
60億円
当期純利益
16億円
M&Aシニアエキスパート認定制度を開始
FY13
2013/3
売上高
72.1億円
当期純利益
20.7億円
バンクオブザイヤーの表彰制度を開始
FY14
2014/3
売上高
105億円
当期純利益
33.4億円
名古屋支社設置
FY15
2015/3
売上高
122億円
当期純利益
39.5億円
FY16
2016/3
売上高
147億円
当期純利益
48.4億円
企業総合評価研究所を設立
FY17
2017/3
売上高
190億円
当期純利益
61.7億円
シンガポール・オフィス設置
FY18
2018/3
売上高
246億円
当期純利益
81.4億円
FY19
2019/3
売上高
284億円
当期純利益
88.6億円
FY20
2020/3
売上高
320億円
当期純利益
102億円
インドネシア駐在員事務所開設
マレーシア駐在員事務所開設
FY21
2021/3
売上高
361億円
当期純利益
106億円
株式会社スピアを株式譲受により完全子会社化(現連結子会社)
FY22
2022/3
売上高
404億円
当期純利益
114億円
持株会社制に移行
不正会計が発覚
FY23
2023/3
売上高
413億円
当期純利益
98億円
FY24
2024/3
売上高
441億円
当期純利益
107億円
竹内直樹が代表取締役社長に就任
FY25
2025/3
売上高
440億円
当期純利益
109億円
株式会社日本サーチファンドを設立
減収決算を発表
品質管理の強化が成約を遅らせるという仲介業の構造矛盾
  1. 分林保弘が日本オリッベティに入社
  2. 日本エム・アンド・エー・センターを設立

    日本M&Aの創業者である分林保弘は、立命館大学を卒業後、会計系のコンピューターを取り扱う外資企業「日本オリベッティ」に入社。同社では会計士向けのシステム販売に従事し、中小企業の経営問題を解決してきた。なお、1970年代に日本オリベッティはTKC(栃木県計算センター)と提携した関係から、分林も会計事務所との接点を持つことになった。 分林保弘はM&Aの実務未経験にもかかわらず、日本M&Aセンターを設立。全国の地方に点在する会計事務所が出資することで、日本エムアンドエーセンターを中心とするM&Aのネットワークの構築に着手した。

    M&A未経験者が会計事務所ネットワークで築いた情報優位
  3. 日経新聞に一面広告を出稿

    顧客獲得のため、日本経済新聞の一面記事に「あなたの会社の後継社を探します」という広告を出稿。あえて「後継者」ではなく「後継社」と記載することで、日本の中小企業では馴染みのなかったM&Aの存在を啓蒙した。なお、この広告により全国から400社の問い合わせを獲得する。

  4. 分林保弘が『「中小企業」M&Aの時代が来た! : 後継者問題、相続対策を一挙に解決』を執筆

    中小企業にM&Aを認知させるために、分林保弘は著書を出版。出版により、地方銀行から行員研修の依頼が舞い込むようになり、後述する「全国金融M&A研究会」に発展する契機となった。

  5. 全国金融M&A研究会を発足

    地方銀行や信用金庫で「全国金融M&A研究会」という銀行員向けの研修を定期的に開催することで、地方の金融機関との接点を構築。以後、日本M&Aセンターは地銀との協力関係を構築し、その情報ネットワークが大きな強みなる。

  6. 商号を日本M&Aセンターに変更

    日本国内でもM&Aという表記が一般的になったことから、商号を変更

  7. 本社を東京丸の内1丁目に移転

    本社を都内随一の一等地である丸の内に移転。採用力の強化のための投資と推察される

  8. 東証マザーズに株式上場

    創業者の分林保弘は、M&A仲介業は守秘義務の観点から上場できないと考えていたが、HISの創業者・澤田氏からのアドバイスを受けて株式上場を決意。2006年に東証マザーズへの上場を果たす

  9. 東京証券取引所第一部に株式上場
  10. 矢野経済研究所を持分法適用関連会社化

    市場調査機能を強化するために、矢野経を取り込んだ

  11. M&Aシニアエキスパート認定制度を開始
  12. バンクオブザイヤーの表彰制度を開始
  13. 名古屋支社設置
  14. 企業総合評価研究所を設立
  15. シンガポール・オフィス設置
  16. インドネシア駐在員事務所開設
  17. マレーシア駐在員事務所開設
  18. 株式会社スピアを株式譲受により完全子会社化(現連結子会社)
  19. 持株会社制に移行
  20. 不正会計が発覚
  21. 竹内直樹が代表取締役社長に就任
  22. 株式会社日本サーチファンドを設立
  23. 減収決算を発表
    品質管理の強化が成約を遅らせるという仲介業の構造矛盾

参考文献・出所

有価証券報告書
日本M&Aセンター 統合報告書 2025
日本M&Aセンター 沿革