日立製作所の沿革・歴史的証言

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1910年〜2025

日立製作所の1910年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1910
1-12月
会社設立
日立鉱山において日立製作所を創業
技術提携が主流の時代に「自前主義」を選んだ修理工場出身の創業者
1918
1-12月
株式会社日立製作所を設立
久原鉱業所の製作所部門が軌道に乗ったことを受け、1918年に株式会社日立製作所を資本金1000万円で設立し、久原鉱業所から資本面で独立した。創業者の久原房之助氏が機械部門への多角化に消極的だったため、小平浪平氏は独立を選択。同年10月には生産拠点拡大のため東京の佃島製作所を合併し「亀戸工場」として継承。したがって設立時は創業地の日立工場と亀戸工場の2拠点体制となった。
1921
1-12月
笠戸造船所を取得
第一次世界大戦後の不況を受けて経営難に陥っていた笠戸造船所(山口県下松市)を取得。機関車(鉄道車両)の製造を開始した
1937
1-12月
国産工業を吸収合併・国内工場を拡充
軍需対応のため全国各地の電機メーカーを買収。戦時中に18工場を運営し、日本有数の電機メーカーに発展
FY50
1950/3
労働組合と対立・約8500名を削減
全工場の生産停止を60日間許容し組合の疲弊を待った持久戦
FY53
1953/3
業務提携
GEと技術提携を締結・外国技術を導入
創業以来40年の「自前主義」を3年連続提携で転換した判断
FY55
1955/3
売上高
490億円
当期純利益
27.7億円
FY56
1956/3
売上高
572億円
当期純利益
27.5億円
事業売却
日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始)
50%超保有のまま上場させた「親子上場」60年間の設計と解体
FY57
1957/3
売上高
763億円
当期純利益
44.1億円
FY58
1958/3
売上高
1,117億円
当期純利益
73.3億円
FY59
1959/3
売上高
1,223億円
当期純利益
95.4億円
FY60
1960/3
売上高
1,628億円
当期純利益
130億円
海外進出
Hitachi New York(現Hitachi America)を設立
1959年10月、米国にHitachi New York, Ltd.(現Hitachi America, Ltd.)を設立した。日立製作所として初の本格的な海外現地法人であり、戦後の対米輸出と現地販売・サービス網構築の起点となった。
FY61
1961/3
売上高
2,248億円
当期純利益
182億円
FY62
1962/3
売上高
2,907億円
当期純利益
231億円
FY63
1963/3
売上高
3,112億円
当期純利益
246億円
FY64
1964/3
売上高
2,966億円
当期純利益
193億円
FY65
1965/3
売上高
3,055億円
当期純利益
139億円
FY66
1966/3
売上高
2,854億円
当期純利益
98.8億円
FY67
1967/3
売上高
3,215億円
当期純利益
110億円
FY68
1968/3
売上高
4,154億円
当期純利益
142億円
FY69
1969/3
売上高
5,432億円
当期純利益
235億円
システム開発を本格化
FY70
1970/3
売上高
6,750億円
当期純利益
302億円
組織再編
日立建設機械製造(現日立建機)を分離独立
1969年12月、建設機械事業を会社分割し、日立建設機械製造(現日立建機)として分離独立させた。電機事業に集中するための事業ポートフォリオ整理の一環であり、その後日立建機は2022年に持分法適用会社化された。
FY71
1971/3
売上高
7,887億円
当期純利益
281億円
FY72
1972/3
売上高
7,827億円
当期純利益
210億円
FY73
1973/3
売上高
8,610億円
当期純利益
285億円
FY74
1974/3
売上高
10,008億円
当期純利益
329億円
FY75
1975/3
売上高
10,947億円
当期純利益
204億円
FY76
1976/3
売上高
10,895億円
当期純利益
193億円
FY77
1977/3
売上高
12,948億円
当期純利益
303億円
FY78
1978/3
売上高
13,885億円
当期純利益
314億円
FY79
1979/3
売上高
15,094億円
当期純利益
375億円
FY80
1980/3
売上高
16,981億円
当期純利益
530億円
FY81
1981/3
売上高
19,470億円
当期純利益
618億円
FY82
1982/3
売上高
21,409億円
当期純利益
667億円
FY83
1983/3
売上高
23,332億円
当期純利益
745億円
海外進出
Hitachi Europe Ltd.を設立
1982年6月、欧州統括拠点としてHitachi Europe Ltd.を設立した。家電・産業機器・情報通信など複数事業の欧州販売およびサービス機能を集約し、欧州市場での事業展開の体制基盤となった。
FY84
1984/3
売上高
26,482億円
当期純利益
834億円
256KB・DRAMの量産を開始
FY85
1985/3
売上高
30,257億円
当期純利益
1,041億円
FY89
1989/3
海外進出
Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点)
1989年2月、シンガポールにHitachi Asia Pte. Ltd.(現Hitachi Asia Ltd.)を設立した。アジア地域における販売・マーケティング機能を集約する統括拠点として位置づけられ、その後ASEAN・南アジアでの事業拡大を支えた。
FY92
1992/3
売上高
77,655億円
当期純利益
1,276億円
FY93
1993/3
売上高
75,361億円
当期純利益
772億円
FY94
1994/3
売上高
74,002億円
当期純利益
652億円
家電事業を再編
FY95
1995/3
売上高
75,922億円
当期純利益
1,139億円
海外進出
日立(中国)有限公司を設立
1994年10月、中国本土事業の統括会社として日立(中国)有限公司を設立した。中国市場における家電・情報通信・産業機器事業を一元管理する体制を整え、1990年代以降の中国事業拡大の基盤となった。
FY96
1996/3
売上高
81,238億円
当期純利益
1,417億円
FY97
1997/3
売上高
85,231億円
当期純利益
883億円
FY98
1998/3
売上高
84,168億円
当期純利益
34億円
FY99
1999/3
売上高
79,773億円
当期純利益
-3,387億円
FY00
2000/3
売上高
80,012億円
当期純利益
169億円
NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立)
FY01
2001/3
売上高
84,169億円
当期純利益
1,043億円
FY02
2002/3
売上高
79,937億円
当期純利益
-4,838億円
最終赤字に転落。2万人の人員削減
FY03
2003/3
売上高
81,917億円
当期純利益
278億円
ディスプレイ事業を会社分離
三菱電機と合弁会社を設立(ルネサステクノロジー)
IBMからHDD事業を買収
IBMが手放したHDD製造事業を買収。買収時点でグローバルで11つの製造拠点・従業員数2.4万名で運営していた。2012年に48億ドルで売却して日立製作所の財務体質の改善に寄与
FY04
2004/3
売上高
86,324億円
当期純利益
158億円
組織再編
委員会等設置会社へ移行
2003年6月、委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)へ移行した。社外取締役を中心とする指名・監査・報酬の各委員会を設置し、ガバナンス改革を先取りする形で執行と監督の分離を進めた。
FY05
2005/3
売上高
90,270億円
当期純利益
514億円
FY06
2006/3
売上高
94,648億円
当期純利益
373億円
FY07
2007/3
売上高
102,479億円
当期純利益
-327億円
FY08
2008/3
売上高
112,267億円
当期純利益
-581億円
FY09
2009/3
売上高
100,003億円
当期純利益
-7,873億円
FY10
2010/3
売上高
89,685億円
当期純利益
-1,069億円
社長交代
財務危機改善のため川村隆氏が社長就任
出戻り社長が断行した3492億円の増資と55年のテレビ撤退
組織再編
カンパニー制を導入(事業グループ再編)
2009年10月、事業グループを社内カンパニーに再編しカンパニー制を導入した。リーマンショック後の最終赤字を受けた経営再建の一環であり、各事業の収益責任を明確化し、選択と集中を加速する組織基盤となった。
FY11
2011/3
売上高
93,158億円
当期純利益
2,388億円
4期ぶりの黒字転換
FY12
2012/3
売上高
96,658億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,471億円
事業売却
Western DigitalへHDD事業を売却
2012年3月、米Western Digital社へHDD事業を売却した。あわせて日立ディスプレイズ株式の譲渡により中小型ディスプレイ事業も売却。事業売却益を財務改善に充て、社会イノベーション事業への集中を加速する転換点となった。
FY13
2013/3
売上高
90,410億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,753億円
FY14
2014/3
売上高
96,664億円
親会社株主に帰属する当期純利益
4,138億円
三菱日立パワーシステムを設立
火力発電システムの事業統合を決定。三菱重工65%・日立製作所35%の出資比率で「三菱日立パワーシステム」を設立した。日立製作所としては祖業である電機を縮小する意図があったと推定されるが、完全撤退によるハレーションを考慮して三菱重工との合弁会社の設立を選択したと思われる。
FY15
2015/3
売上高
97,749億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,174億円
FY16
2016/3
売上高
100,343億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,721億円
FY17
2017/3
売上高
91,622億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,312億円
組織再編
ビジネスユニット制を導入
2016年4月、マーケット別事業体制であるビジネスユニット制を導入した。顧客起点の事業運営を徹底するため、産業・電力・社会・情報通信等を市場軸で再編成し、社会イノベーション事業の強化基盤とした。
非注力事業の売却
FY18
2018/3
売上高
93,686億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,629億円
FY19
2019/3
売上高
94,806億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,225億円
システム子会社を吸収合併(3社)
ソフトウェア開発を強化するために、日立情報システムズ、日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムアンドサービスの3社を吸収合併
業務提携
南アフリカPJで三菱重工と和解・火力発電から撤退
受注5700億円が和解損失3759億円に帰結した合弁の構造問題
日立Astemoを発足・ホンダ系部品メーカー3社を統合
1960億円の子会社を4年で連結外に移した事業入替の速度
FY20
2020/3
売上高
87,672億円
親会社株主に帰属する当期純利益
875億円
FY21
2021/3
売上高
87,291億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,016億円
ABB社からパワーグリッド事業を買収
スイスABB社からパワーグリッド事業を約7200億円で買収。
GlobalLogic社を買収
デジタルエンジニアリングサービス(システム開発)を強化するため、米GlobalLogic社を約1兆円で買収した。GL社の売上高は年間1000億円()であり、1長円の買収をめぐって取締役会の議論は紛糾したという。
FY22
2022/3
売上高
102,646億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,834億円
Thales社を買収(鉄道信号システム)
鉄道におけるシステム事業を強化するために、フランスのThales社を2,150億円で買収。欧州を中心に車両および信号システムを納入することで、グローバルな鉄道事業の展開を意図した。
FY23
2023/3
売上高
108,811億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,491億円
ヘルスケア事業に注力(旧日立ハイテク)
2020年に日立製作所は子会社の日立ハイテクの株式を取得。2024年に日立ハイテクを吸収合併し、日立製作所としてヘルスケア事業に注力する方針を表明した。ヘルスケア事業における医療機器の製造を強化するため、2023年11月にひたちなか市足崎(茨城県)において9万平方メートルの土地を取得。
事業売却
日立金属(現プロテリアル)株式を譲渡
2023年1月、日立金属(現プロテリアル)株式の譲渡により同社事業を売却した。1956年の分離以来60年超続いた親子関係を解消し、ベインキャピタルらのコンソーシアムへ譲渡。日立Astemoの持分法化と並ぶ大型事業ポートフォリオ整理であった。
FY24
2024/3
売上高
97,287億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,898億円
FY25
2025/3
売上高
97,833億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,157億円
  1. 会社設立
    日立鉱山において日立製作所を創業
    技術提携が主流の時代に「自前主義」を選んだ修理工場出身の創業者
  2. 株式会社日立製作所を設立

    久原鉱業所の製作所部門が軌道に乗ったことを受け、1918年に株式会社日立製作所を資本金1000万円で設立し、久原鉱業所から資本面で独立した。創業者の久原房之助氏が機械部門への多角化に消極的だったため、小平浪平氏は独立を選択。同年10月には生産拠点拡大のため東京の佃島製作所を合併し「亀戸工場」として継承。したがって設立時は創業地の日立工場と亀戸工場の2拠点体制となった。

  3. 笠戸造船所を取得

    第一次世界大戦後の不況を受けて経営難に陥っていた笠戸造船所(山口県下松市)を取得。機関車(鉄道車両)の製造を開始した

  4. 国産工業を吸収合併・国内工場を拡充

    軍需対応のため全国各地の電機メーカーを買収。戦時中に18工場を運営し、日本有数の電機メーカーに発展

  5. 労働組合と対立・約8500名を削減
    全工場の生産停止を60日間許容し組合の疲弊を待った持久戦
  6. 業務提携
    GEと技術提携を締結・外国技術を導入
    創業以来40年の「自前主義」を3年連続提携で転換した判断
  7. 事業売却
    日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始)
    50%超保有のまま上場させた「親子上場」60年間の設計と解体
  8. 海外進出
    Hitachi New York(現Hitachi America)を設立

    1959年10月、米国にHitachi New York, Ltd.(現Hitachi America, Ltd.)を設立した。日立製作所として初の本格的な海外現地法人であり、戦後の対米輸出と現地販売・サービス網構築の起点となった。

  9. システム開発を本格化
  10. 組織再編
    日立建設機械製造(現日立建機)を分離独立

    1969年12月、建設機械事業を会社分割し、日立建設機械製造(現日立建機)として分離独立させた。電機事業に集中するための事業ポートフォリオ整理の一環であり、その後日立建機は2022年に持分法適用会社化された。

  11. 海外進出
    Hitachi Europe Ltd.を設立

    1982年6月、欧州統括拠点としてHitachi Europe Ltd.を設立した。家電・産業機器・情報通信など複数事業の欧州販売およびサービス機能を集約し、欧州市場での事業展開の体制基盤となった。

  12. 256KB・DRAMの量産を開始
  13. 海外進出
    Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点)

    1989年2月、シンガポールにHitachi Asia Pte. Ltd.(現Hitachi Asia Ltd.)を設立した。アジア地域における販売・マーケティング機能を集約する統括拠点として位置づけられ、その後ASEAN・南アジアでの事業拡大を支えた。

  14. 家電事業を再編
  15. 海外進出
    日立(中国)有限公司を設立

    1994年10月、中国本土事業の統括会社として日立(中国)有限公司を設立した。中国市場における家電・情報通信・産業機器事業を一元管理する体制を整え、1990年代以降の中国事業拡大の基盤となった。

  16. NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立)
  17. 最終赤字に転落。2万人の人員削減
  18. ディスプレイ事業を会社分離
  19. 三菱電機と合弁会社を設立(ルネサステクノロジー)
  20. IBMからHDD事業を買収

    IBMが手放したHDD製造事業を買収。買収時点でグローバルで11つの製造拠点・従業員数2.4万名で運営していた。2012年に48億ドルで売却して日立製作所の財務体質の改善に寄与

  21. 組織再編
    委員会等設置会社へ移行

    2003年6月、委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)へ移行した。社外取締役を中心とする指名・監査・報酬の各委員会を設置し、ガバナンス改革を先取りする形で執行と監督の分離を進めた。

  22. 社長交代
    財務危機改善のため川村隆氏が社長就任
    出戻り社長が断行した3492億円の増資と55年のテレビ撤退
  23. 組織再編
    カンパニー制を導入(事業グループ再編)

    2009年10月、事業グループを社内カンパニーに再編しカンパニー制を導入した。リーマンショック後の最終赤字を受けた経営再建の一環であり、各事業の収益責任を明確化し、選択と集中を加速する組織基盤となった。

  24. 4期ぶりの黒字転換
  25. 事業売却
    Western DigitalへHDD事業を売却

    2012年3月、米Western Digital社へHDD事業を売却した。あわせて日立ディスプレイズ株式の譲渡により中小型ディスプレイ事業も売却。事業売却益を財務改善に充て、社会イノベーション事業への集中を加速する転換点となった。

  26. 三菱日立パワーシステムを設立

    火力発電システムの事業統合を決定。三菱重工65%・日立製作所35%の出資比率で「三菱日立パワーシステム」を設立した。日立製作所としては祖業である電機を縮小する意図があったと推定されるが、完全撤退によるハレーションを考慮して三菱重工との合弁会社の設立を選択したと思われる。

  27. 組織再編
    ビジネスユニット制を導入

    2016年4月、マーケット別事業体制であるビジネスユニット制を導入した。顧客起点の事業運営を徹底するため、産業・電力・社会・情報通信等を市場軸で再編成し、社会イノベーション事業の強化基盤とした。

  28. 非注力事業の売却
  29. システム子会社を吸収合併(3社)

    ソフトウェア開発を強化するために、日立情報システムズ、日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムアンドサービスの3社を吸収合併

  30. 業務提携
    南アフリカPJで三菱重工と和解・火力発電から撤退
    受注5700億円が和解損失3759億円に帰結した合弁の構造問題
  31. 日立Astemoを発足・ホンダ系部品メーカー3社を統合
    1960億円の子会社を4年で連結外に移した事業入替の速度
  32. ABB社からパワーグリッド事業を買収

    スイスABB社からパワーグリッド事業を約7200億円で買収。

  33. GlobalLogic社を買収

    デジタルエンジニアリングサービス(システム開発)を強化するため、米GlobalLogic社を約1兆円で買収した。GL社の売上高は年間1000億円()であり、1長円の買収をめぐって取締役会の議論は紛糾したという。

  34. Thales社を買収(鉄道信号システム)

    鉄道におけるシステム事業を強化するために、フランスのThales社を2,150億円で買収。欧州を中心に車両および信号システムを納入することで、グローバルな鉄道事業の展開を意図した。

  35. ヘルスケア事業に注力(旧日立ハイテク)

    2020年に日立製作所は子会社の日立ハイテクの株式を取得。2024年に日立ハイテクを吸収合併し、日立製作所としてヘルスケア事業に注力する方針を表明した。ヘルスケア事業における医療機器の製造を強化するため、2023年11月にひたちなか市足崎(茨城県)において9万平方メートルの土地を取得。

  36. 事業売却
    日立金属(現プロテリアル)株式を譲渡

    2023年1月、日立金属(現プロテリアル)株式の譲渡により同社事業を売却した。1956年の分離以来60年超続いた親子関係を解消し、ベインキャピタルらのコンソーシアムへ譲渡。日立Astemoの持分法化と並ぶ大型事業ポートフォリオ整理であった。

歴史的証言

倉田主税
1950年こそは正にこの苦難克服後の光明の年として期待されるところ極めて大なりと確信するのである。このことは具体的には、国際的にも対日講和条約の締結間近しと伝えられ、国内的にも見返り資金の運用はいよいよ本格化するであろうし、電機工業界にとっても電源開発、造船計画、国鉄電化、輸出の振興等々極めて明るい見通しがたてられている。
倉田主税
電力不足がわが国産業界全般に及ぼす悪影響は誠に大なるものがある。電力の生産増長、すなわち電源の積極的開発は、わが国経済復興のためには何よりもまず優先的に行われねばならぬことは、今更いうまでもないことである。(中略)ただ問題は、対日援助見返り資金がいかにこの方面に対して運用されるかという話だけであって、この話に関して強力な政治力が要望される。
倉田主税(日立製作所・社長)
わが国の明治以来の貿易を見れば、明らかなごとく、実際に国際収支の均衡を得ていたという年はほとんどなく、大半が赤字の連続であるのであって、それを日清戦争の賠償金で埋め、あるいは外国借款で埋め、民間社債を募集して臨時的な外資導入で賄っていたのであって、わが国の実情はやはり今後外資導入について真剣な方策を持たねばならぬ運命にあると思われるのである。
倉田主税(日立製作所・社長)
業界最大の課題は輸出振興の根幹たるべきコストの低減による製品の国際競争力を培うことに他ならないのである。何度となく言い繰り返されたことであるが、企業の合理化は経費の節減のみならず、あらゆる面に行わなければならぬのであって、わが国産業で最も必要なのは設備の合理化、すなわち近代化ということである。わがこくの機械設備は旧式で損耗が甚だしく、外国の新鋭優秀設備に比して、非常に劣っておることは事実であり、またこの機械設備の合理化、近代化におよんで、これを駆使する技術の工場についてもまた、同様、万全の措置を為さねばならぬことも事実である
倉田主税(日立製作所・社長)
産業合理化はもちろん企業自身の素力こそが根本条件ではあるが、この努力も限界があり設備の近代化、技術の高度化には必然的に莫大な資本の裏付けがなければならぬのである。(中略)この重大な資本蓄積に関連してもう一つ、外資導入の問題が起こるのであるが、この問題は企業より別な観点ではあろうが、国際収支に大きなマイナスが生ずる可能性があったり、わが国の電気工業界の発展に影響ありとせば、あらゆる角度から考えて行く必要はあるのであろう。
三田勝茂
雑誌や新聞ではよく企業は利益を上げるために存在するといいますでしょう。私はそういうことではないと思う。製品にしても世の中の役にたつからこそ売れるんであって、企業の方がこの成否を売れば儲かると考えても売れない。
三田勝茂
創業社長(小平波平氏)も言っていることなんですがね、なぜ日立製作所を作ったかというと、自分が大儲けして金持ちになろうとしたわけではない。大学を出て電力会社へ就職した。発電所の建設現場へ行くとすべての機会が外国製。しかも外国人技術者が現場で采配をフル言っている。こんなことで日本の将来があるだろうかと考えた、これが日立の出発点ですよ。日本人が自分たちの頭と手で未来を切り開いていくというのがね。
三田勝茂
組織は自分ではなかなか縮まらないんです。ある製品を作っている工場とか事業部は必ず自分たちがさらに生き延びるように最大の努力をする。そうなるとマーケットは伸びないのに組織は生きようとする跛行的競争状況になってしまう。(中略)やがて自己増殖した組織ばかりが林立し酸欠状態になってしまう。いってみれば大企業病ですよね。
三田勝茂
私どもも苦心しているんです。考えてみると石油ショック(1973年より)前は比較的楽でしたね。重電も家電もコンピューターも多少の差はあれ全部が伸びていましたから。今はそうはいきません。ばらつきが出てきた。その時まさに組織の対応力が問われているわけですよ。組織の中にいる人は例えて言えば機関室でボイラーをたいているようなものですから外の状況、つまり市場全体の動向をつかみにくい。こちらはその船を方向付けてやらなければいけないし、そのためのコンセンサス作りもしなければならない。
三田勝茂
茨城県には私どもの工場がたくさんあるんですけれど、今後30年、40年を考えた場合、はたして今のままでいれるかどうか。といいますのはね、今伸びているような製品を作っている工場は割に京浜地区に多いんです。そうしますと茨城県の方が将来、製品が沈没するのに従って、仕事のない人が大勢出てきかねない。それじゃ困る。
駒井健一郎
日立の火力は戦前はドイツAEGから技術導入していたものの経験も少なく、東芝や三菱重工の後塵を拝していた
駒井健一郎
早急に外国の一流メーカーと技術提携して、対等に勝負したい

参考文献・出所

有価証券報告書
私の履歴書 経済人12
読売 1950/06/23
証券 1950/01
経済時代 1954/01
ダイヤモンド臨時増刊 1961/09/10
日経新聞 1981/01
マネジメント 1959/06
日経ビジネス 1984/11/26
日経産業新聞 2001/03/06
日経ビジネス 2008/04/14
日経ビジネス電子版 2021/03/21
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