沿革年表 1909〜2025年における重要度別の出来事(合計41件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
鈴木式織機製作所を創業
歴史的意義yutaka sugiura
1909年に浜松で創業した鈴木式織機製作所は、遠州製作所や豊田自動織機と同じ織機産業を出発点としていた。各社の命運を分けたのは「自動車に転じるか否か」の一点であり、技術力や経営資源の優劣ではなかった。豊田とスズキは自動車に転身して時価総額が兆円規模に達し、織機に留まった同業者は数十億円にとどまる。同じ出自の企業群が示す1000倍の格差は、事業領域の選択が長期的な企業価値を決定づけることを示している。
1909
1-12月
会社設立
鈴木式織機株式会社として改組設立
1909年10月の鈴木式織機製作所の創業から10年を経て、1920年3月に鈴木式織機株式会社として改組設立した。個人経営から株式会社化することで、織機事業の本格的な拡大体制を整えた。これが現在のスズキの法人格上の起点となった。
1920
1-12月
高塚工場を新設
1939
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
労働争議が発生・生産停止へ
二輪車に参入・パワーフリー号を発売
鈴木式織機と同じく浜松で事業を展開していた本田技研(ホンダ)が二輪車で業容を拡大していたことに刺激され、スズキも二輪車への参入を決定した。1952年6月に鈴木式織機は二輪車「パワーフリー号」を発売。2サイクル36ccのオートバイであり、先発企業であるホンダに追随した。
FY53
1953/3
商号を鈴木自動車工業株式会社に変更
1954年にスズキは念願の四輪乗用車参入を決め、社名を「鈴木自動車工業」に変更した。二輪車から本格的な乗用車メーカーへの転身を目論んだ。しかし、自動車業界はトヨタ・日産がシェアを握り、三輪はマツダ・ダイハツ、高級車はプリンス自動車(1965年に日産と合併)が押さえており、後発スズキに残された市場は軽自動車であった。よって、本格乗用車ではなく軽自動車に焦点を絞って四輪に参入した。
FY55
1955/3
軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭)
1955年10月に軽四輪乗用車を発売し、わが国における軽自動車の先鞭をつけた。1954年に鈴木自動車工業へ社名変更してから1年強で四輪市場へ参入した形となった。すなわち、トヨタ・日産が押さえる本格乗用車市場ではなく、軽自動車という空白市場に焦点を絞った後発戦略の起点となった。
FY56
1956/3
創業者の鈴木道雄氏が社長退任
FY57
1957/3
繊維機械部門を子会社に分離
鈴木自動車工業は新事業である二輪車および四輪車の量産に専念するため、祖業である織機(繊維機械部門)の分離を決定。1961年に鈴木式織機株式会社を子会社として設立し、鈴木自動車工業の繊維機械部門を同社へ移管した。
FY62
1962/3
国内生産拠点を増設
二輪車の増産および、四輪車の本格参入にあたって、静岡県内を中心に工場を新設。このうち、磐田工場(1967年新設)と湖西工場(1970年新設)が四輪車生産の拠点となった。
海外進出
米国直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立
1963年8月に米国に直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立した。当時はまだ二輪車事業中心の時期であり、二輪車輸出の現地販売チャネルを確保するための拠点設立であった。
FY64
1964/3
研究開発
船外機部門に進出
1965年4月に船外機部門に進出し、二輪・四輪・船外機という現在まで続く主要事業構成の一角を形成した。汎用エンジン技術の応用展開により、自動車以外の領域でも収益源を多様化した。
FY66
1966/3
FY67
1967/3
売上高
546億円
当期純利益
18億円
FY68
1968/3
売上高
703億円
当期純利益
23億円
FY69
1969/3
売上高
952億円
当期純利益
30億円
FY70
1970/3
売上高
1,181億円
当期純利益
33億円
FY71
1971/3
売上高
1,367億円
当期純利益
32億円
FY72
1972/3
売上高
1,482億円
当期純利益
31億円
FY73
1973/3
売上高
1,551億円
当期純利益
31億円
FY74
1974/3
売上高
1,666億円
当期純利益
24億円
排ガス規制により販売不振へ
FY75
1975/3
売上高
1,867億円
当期純利益
21億円
海外進出
四輪車初の海外生産を開始(パキスタン)
1975年5月にパキスタンで四輪車の海外生産を初めて開始した。後のインド・マルチ参入(1982年)に先立つ南アジア生産経験となり、新興国における軽自動車・小型車生産のノウハウ蓄積の起点となった。
FY76
1976/3
売上高
1,669億円
当期純利益
14億円
鈴木修
FY77
1977/3
売上高
2,159億円
当期純利益
33億円
鈴木修
FY78
1978/3
売上高
2,533億円
当期純利益
35億円
鈴木修
鈴木修氏が社長就任
FY79
1979/3
売上高
2,715億円
当期純利益
34億円
鈴木修
軽自動車「アルト」を発売
歴史的意義yutaka sugiura
アルトの47万円という価格設定は、装備を加える発想ではなく不要なものを削る「引き算」の産物であった。この「最低限の移動手段で十分」という割り切りは、結果的にインド市場が求める価値観と本質的に一致していた。国内の2台目需要に応じた廉価な軽自動車が、GM提携やインド進出の突破口となった経緯は、製品コンセプトが企業の戦略的方向性を規定しうることを示している。
FY80
1980/3
売上高
3,450億円
当期純利益
40億円
鈴木修
FY81
1981/3
売上高
4,577億円
当期純利益
47億円
重要事項
鈴木修
GM・いすゞ・スズキの3社が業務提携
経営判断をよむ →
FY82
1982/3
売上高
5,515億円
当期純利益
54億円
重要事項
鈴木修
インド国営企業マルチに出資
歴史的意義yutaka sugiura
トヨタやルノーが見送ったインド市場にスズキが参入できたのは、大手にとっての「小さすぎる市場」が後発メーカーのスズキにとっては十分な規模であったためである。年間数万台の販売規模は大手の投資基準を満たさなかったが、軽自動車を主力とするスズキの事業規模には見合っていた。アルトの設計思想がインドの国民車としてそのまま通用した事実は、企業の規模と製品特性が参入機会を規定する構造を浮き彫りにしている。
FY83
1983/3
売上高
5,423億円
当期純利益
65億円
鈴木修
FY84
1984/3
売上高
5,242億円
当期純利益
50億円
鈴木修
FY85
1985/3
売上高
5,808億円
当期純利益
60億円
鈴木修
スズキ株式会社へ社名変更
1990年10月に鈴木自動車工業株式会社からスズキ株式会社へ社名変更した。「自動車」を社名から外し、二輪・四輪・船外機・汎用エンジンなどを横断するグループ全体の総称ブランドとして「スズキ」を統一的に押し出す形を取った。
FY91
1991/3
海外進出
鈴木修
ハンガリーにMagyar Suzuki Corporationを設立
1991年4月にハンガリーにMagyar Suzuki Corporation Ltd.を設立した。冷戦終結直後の中東欧地域での先行投資であり、欧州市場向け小型車生産の現地拠点として位置づけられた。インドに続く海外生産の柱としての欧州拠点構築であった。
FY92
1992/3
売上高
12,486億円
当期純利益
197億円
鈴木修
FY93
1993/3
売上高
12,591億円
当期純利益
190億円
鈴木修
中国での現地生産を開始
FY94
1994/3
売上高
12,269億円
当期純利益
152億円
鈴木修
相良エンジン工場を稼働
FY95
1995/3
売上高
12,582億円
当期純利益
200億円
鈴木修
マルチ問題(インド政府と対立)
1996年にインドで政権交代が起こり、外資企業に対する風当たりが強くなった。すでにインドでシェアを確保していたスズキも批判と対象となった。この過程で、インドマルチ社の社長人事をめぐって、インド政府とスズキが対立するに至った。スズキはインド政府との話し合いの末、マルチ社への出資比率を54%に高めることで連結子会社化を決定。以後、スズキはインドマルチ社をインド事業における子会社として運営し、四輪車生産のための設備投資を積極化した。
FY96
1996/3
売上高
13,811億円
当期純利益
266億円
鈴木修
FY97
1997/3
売上高
15,024億円
当期純利益
335億円
鈴木修
FY98
1998/3
売上高
14,887億円
当期純利益
301億円
鈴木修
FY99
1999/3
売上高
14,558億円
当期純利益
243億円
鈴木修
FY00
2000/3
売上高
15,211億円
当期純利益
268億円
業務提携
鈴木修
GMがスズキへ追加出資
歴史的意義yutaka sugiura
鈴木修氏がGMに対して株式の過半取得すら許容する姿勢を見せたのは、スズキ単独でのグローバル展開に限界を感じていたことの表れでもある。しかし27年に及ぶ提携は、パートナーの経営破綻という自社では制御できない事象により終了した。資本関係を深めるほど相手の経営リスクに自社の戦略が左右される構造は、アライアンスの本質的な脆弱性を示している。この教訓はVWとの紛争を経て、トヨタとの提携設計に活かされることになる。
FY01
2001/3
売上高
16,002億円
当期純利益
202億円
鈴木修
FY02
2002/3
売上高
16,682億円
当期純利益
223億円
重要事項
鈴木修
マルチ社を子会社化・増産投資
歴史的意義yutaka sugiura
1982年に出資比率26%で参画したスズキは、2002年の子会社化で経営主導権を確保し、以後20年間で年産能力を10万台から200万台へと引き上げた。この過程は合弁相手としての技術供与から、設備投資の意思決定を自ら主導する経営者への立場の変化を伴っている。インド事業がスズキの連結業績の過半を支える現在、この子会社化の判断なくして増産投資の迅速な実行は困難であったと考えられる。
FY03
2003/3
売上高
20,153億円
当期純利益
310億円
企業買収
PT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化
2002年11月にインドネシアのPT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化した。インドのマルチ子会社化(同年5月)と並ぶ動きであり、東南アジアにおいてもグループ運営権を握る形へ移行した。
株式上場
鈴木修
インドMaruti Udyog Ltd.がムンバイ証券取引所等に上場
2003年7月にインドのMaruti Udyog Ltd.がムンバイ証券取引所等に上場した。1982年の合弁出資、2002年の子会社化を経て、現地市場での株式公開によりインド事業の財務的自立度を高めた。すなわち、インド市場での「現地企業」としての存在感が一段と強まった。
FY04
2004/3
売上高
21,989億円
当期純利益
438億円
鈴木修
小型車「スイフト」を発売
スズキはグローバルな販売を見据えた小型車として「スイフト」を開発。欧州においてデザインおよび走行性能などを改善し、2004年から販売を開始した。
FY05
2005/3
売上高
23,655億円
当期純利益
605億円
鈴木修
FY06
2006/3
売上高
27,464億円
当期純利益
659億円
鈴木修
FY07
2007/3
売上高
31,636億円
当期純利益
750億円
鈴木修
小野専務が急逝(後継候補)
鈴木修氏の娘婿であり、後継者候補であった小野専務(当時52歳)が急逝。78歳であった鈴木修会長は社長を兼務し、スズキの経営トップを続投した
FY08
2008/3
売上高
35,024億円
当期純利益
802億円
GMとの提携を解消
提携先のGMが2008年に経営破綻したことを受けて、GMは保有するスズキの株式売却を決定。1981年から続いた提携関係に終止符を打った
鈴木修
FY09
2009/3
売上高
30,048億円
当期純利益
274億円
重要事項
鈴木修
フォルクスワーゲンと包括提携を締結(失敗)
歴史的意義yutaka sugiura
VWとの提携でスズキが最初に要請したのは「独立性の維持」であったが、提携開始直後にVWは株式追加取得を示唆した。独立を取り戻すために国際仲裁に訴え、最終的に4602億円を投じて株式を買い戻すことになる。技術を得るために差し出した資本関係が経営の自由を脅かすという構造は、提携の設計段階で「相手が約束を守らなかった場合の出口」を組み込む必要性を示唆している。
FY10
2010/3
売上高
24,690億円
当期純利益
289億円
鈴木修
米国四輪車市場から撤退
FY11
2011/3
売上高
26,082億円
当期純利益
451億円
鈴木修
FY12
2012/3
売上高
25,121億円
親会社株主に帰属する当期純利益
538億円
鈴木修
FY13
2013/3
売上高
25,783億円
親会社株主に帰属する当期純利益
803億円
海外進出
鈴木修
Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立
2014年3月にインドにSuzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立した。マルチ・スズキ・インディアの主力工場(ハリヤナ州)に続く第二拠点として、グジャラート州での量産体制を構築する動きであった。後の2024年新工場計画にもつながるインド増産戦略の中継点となった。
FY14
2014/3
売上高
29,383億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,074億円
鈴木俊宏
FY15
2015/3
売上高
30,154億円
親会社株主に帰属する当期純利益
968億円
鈴木俊宏
フォルクスワーゲンから株式を買い戻し
FY16
2016/3
売上高
31,806億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,166億円
業務提携
鈴木俊宏
トヨタ自動車と業務提携に向けた覚書を締結
2017年2月にトヨタ自動車との業務提携に向けた覚書を締結した。2016年の検討開始から1年弱を経て、両社の補完関係(トヨタの電動化・スズキの小型車)を前提とする協業協議を正式化した。すなわち、後の2019年資本提携へつながる第一段階となった。
FY17
2017/3
売上高
31,695億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,599億円
鈴木俊宏
FY18
2018/3
売上高
37,572億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,157億円
重要事項
鈴木俊宏
浜松工場を新設
歴史的意義yutaka sugiura
東日本大震災はスズキの生産拠点に直接的な被害をもたらしたわけではないが、海岸から200mに位置する二輪技術センターの脆弱性を経営課題として認識させる契機となった。注目すべきは、防災対策を単なるリスク回避にとどめず、分散拠点の集約による生産効率の向上という経営合理性と結びつけた点である。「いつか来る災害」への備えに610億円の投資判断を下すには、防災以外の経済的便益を同時に設計する必要があった。
FY19
2019/3
売上高
38,714億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,787億円
鈴木俊宏
トヨタ自動車と資本提携
2016年にスズキとトヨタは業務提携の検討を開始。2019年3月までにトヨタの電動化技術とスズキの小型車技術に補完関係があると判断し、協業の具体検討に入った。2019年8月に資本提携を発表し、スズキは第三者割当増資でトヨタにスズキ株4.9%を960億円で割り当てる一方、スズキも480億円相当のトヨタ株を取得する方針を示した。株式の相互持合により協業関係を強化した。
FY20
2020/3
売上高
34,884億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,342億円
鈴木俊宏
FY21
2021/3
売上高
31,782億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,464億円
鈴木俊宏
FY22
2022/3
売上高
35,683億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,603億円
株式上場
鈴木俊宏
東京証券取引所プライム市場へ移行
2022年4月の東京証券取引所市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ上場市場を移行した。
FY23
2023/3
売上高
46,416億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,211億円
鈴木俊宏
インドで新工場を計画
2024年1月にスズキは、インドのグジャラート州政府と新工場の建設で合意。クジャラート州内に年産100万台の大規模量産工場の新設を計画(すでに稼働しているクジャラート工場とは別の新工場)。投資予定額は約6000億円。
FY24
2024/3
売上高
53,742億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,677億円
鈴木俊宏
鈴木修相談役が逝去
元社長・会長であり、スズキ創業家である鈴木修氏が2024年12月に94歳で逝去。1978年6月にスズキの社長に就任して以来、2021年に当時91歳で会長を退任するまで経営トップを歴任した。鈴木修氏はスズキの社長として、インドでの乗用車展開を中心とするグローバル企業に育成しつつ、大手企業(GM・VW・トヨタ)とのアライアンスを志向。後発乗用車メーカーという不利な立場ではあったが、他社から買収されずに独立した自動車メーカーとして存続させた。
FY25
2025/3
売上高
58,430億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,901億円
  1. 会社設立
    鈴木式織機製作所を創業
    1909年に浜松で創業した鈴木式織機製作所は、遠州製作所や豊田自動織機と同じ織機産業を出発点としていた。各社の命運を分けたのは「自動車に転じるか否か」の一点であり、技術力や経営資源の優劣ではなかった。豊田とスズキは自動車に転身して時価総額が兆円規模に達し、織機に留まった同業者は数十億円にとどまる。同じ出自の企業群が示す1000倍の格差は、事業領域の選択が長期的な企業価値を決定づけることを示している。
  2. 会社設立
    鈴木式織機株式会社として改組設立

    1909年10月の鈴木式織機製作所の創業から10年を経て、1920年3月に鈴木式織機株式会社として改組設立した。個人経営から株式会社化することで、織機事業の本格的な拡大体制を整えた。これが現在のスズキの法人格上の起点となった。

  3. 高塚工場を新設
  4. 東京証券取引所に株式上場
  5. 労働争議が発生・生産停止へ
  6. 二輪車に参入・パワーフリー号を発売

    鈴木式織機と同じく浜松で事業を展開していた本田技研(ホンダ)が二輪車で業容を拡大していたことに刺激され、スズキも二輪車への参入を決定した。1952年6月に鈴木式織機は二輪車「パワーフリー号」を発売。2サイクル36ccのオートバイであり、先発企業であるホンダに追随した。

  7. 商号を鈴木自動車工業株式会社に変更

    1954年にスズキは念願の四輪乗用車参入を決め、社名を「鈴木自動車工業」に変更した。二輪車から本格的な乗用車メーカーへの転身を目論んだ。しかし、自動車業界はトヨタ・日産がシェアを握り、三輪はマツダ・ダイハツ、高級車はプリンス自動車(1965年に日産と合併)が押さえており、後発スズキに残された市場は軽自動車であった。よって、本格乗用車ではなく軽自動車に焦点を絞って四輪に参入した。

  8. 軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭)

    1955年10月に軽四輪乗用車を発売し、わが国における軽自動車の先鞭をつけた。1954年に鈴木自動車工業へ社名変更してから1年強で四輪市場へ参入した形となった。すなわち、トヨタ・日産が押さえる本格乗用車市場ではなく、軽自動車という空白市場に焦点を絞った後発戦略の起点となった。

  9. 創業者の鈴木道雄氏が社長退任
  10. 繊維機械部門を子会社に分離

    鈴木自動車工業は新事業である二輪車および四輪車の量産に専念するため、祖業である織機(繊維機械部門)の分離を決定。1961年に鈴木式織機株式会社を子会社として設立し、鈴木自動車工業の繊維機械部門を同社へ移管した。

  11. 国内生産拠点を増設

    二輪車の増産および、四輪車の本格参入にあたって、静岡県内を中心に工場を新設。このうち、磐田工場(1967年新設)と湖西工場(1970年新設)が四輪車生産の拠点となった。

  12. 海外進出
    米国直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立

    1963年8月に米国に直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立した。当時はまだ二輪車事業中心の時期であり、二輪車輸出の現地販売チャネルを確保するための拠点設立であった。

  13. 研究開発
    船外機部門に進出

    1965年4月に船外機部門に進出し、二輪・四輪・船外機という現在まで続く主要事業構成の一角を形成した。汎用エンジン技術の応用展開により、自動車以外の領域でも収益源を多様化した。

  14. 排ガス規制により販売不振へ
  15. 海外進出
    四輪車初の海外生産を開始(パキスタン)

    1975年5月にパキスタンで四輪車の海外生産を初めて開始した。後のインド・マルチ参入(1982年)に先立つ南アジア生産経験となり、新興国における軽自動車・小型車生産のノウハウ蓄積の起点となった。

  16. 鈴木修氏が社長就任
  17. 軽自動車「アルト」を発売
    アルトの47万円という価格設定は、装備を加える発想ではなく不要なものを削る「引き算」の産物であった。この「最低限の移動手段で十分」という割り切りは、結果的にインド市場が求める価値観と本質的に一致していた。国内の2台目需要に応じた廉価な軽自動車が、GM提携やインド進出の突破口となった経緯は、製品コンセプトが企業の戦略的方向性を規定しうることを示している。
  18. インド国営企業マルチに出資
    トヨタやルノーが見送ったインド市場にスズキが参入できたのは、大手にとっての「小さすぎる市場」が後発メーカーのスズキにとっては十分な規模であったためである。年間数万台の販売規模は大手の投資基準を満たさなかったが、軽自動車を主力とするスズキの事業規模には見合っていた。アルトの設計思想がインドの国民車としてそのまま通用した事実は、企業の規模と製品特性が参入機会を規定する構造を浮き彫りにしている。
  19. スズキ株式会社へ社名変更

    1990年10月に鈴木自動車工業株式会社からスズキ株式会社へ社名変更した。「自動車」を社名から外し、二輪・四輪・船外機・汎用エンジンなどを横断するグループ全体の総称ブランドとして「スズキ」を統一的に押し出す形を取った。

  20. 海外進出
    ハンガリーにMagyar Suzuki Corporationを設立

    1991年4月にハンガリーにMagyar Suzuki Corporation Ltd.を設立した。冷戦終結直後の中東欧地域での先行投資であり、欧州市場向け小型車生産の現地拠点として位置づけられた。インドに続く海外生産の柱としての欧州拠点構築であった。

  21. 中国での現地生産を開始
  22. 相良エンジン工場を稼働
  23. マルチ問題(インド政府と対立)

    1996年にインドで政権交代が起こり、外資企業に対する風当たりが強くなった。すでにインドでシェアを確保していたスズキも批判と対象となった。この過程で、インドマルチ社の社長人事をめぐって、インド政府とスズキが対立するに至った。スズキはインド政府との話し合いの末、マルチ社への出資比率を54%に高めることで連結子会社化を決定。以後、スズキはインドマルチ社をインド事業における子会社として運営し、四輪車生産のための設備投資を積極化した。

  24. 業務提携
    GMがスズキへ追加出資
    鈴木修氏がGMに対して株式の過半取得すら許容する姿勢を見せたのは、スズキ単独でのグローバル展開に限界を感じていたことの表れでもある。しかし27年に及ぶ提携は、パートナーの経営破綻という自社では制御できない事象により終了した。資本関係を深めるほど相手の経営リスクに自社の戦略が左右される構造は、アライアンスの本質的な脆弱性を示している。この教訓はVWとの紛争を経て、トヨタとの提携設計に活かされることになる。
  25. マルチ社を子会社化・増産投資
    1982年に出資比率26%で参画したスズキは、2002年の子会社化で経営主導権を確保し、以後20年間で年産能力を10万台から200万台へと引き上げた。この過程は合弁相手としての技術供与から、設備投資の意思決定を自ら主導する経営者への立場の変化を伴っている。インド事業がスズキの連結業績の過半を支える現在、この子会社化の判断なくして増産投資の迅速な実行は困難であったと考えられる。
  26. 企業買収
    PT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化

    2002年11月にインドネシアのPT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化した。インドのマルチ子会社化(同年5月)と並ぶ動きであり、東南アジアにおいてもグループ運営権を握る形へ移行した。

  27. 株式上場
    インドMaruti Udyog Ltd.がムンバイ証券取引所等に上場

    2003年7月にインドのMaruti Udyog Ltd.がムンバイ証券取引所等に上場した。1982年の合弁出資、2002年の子会社化を経て、現地市場での株式公開によりインド事業の財務的自立度を高めた。すなわち、インド市場での「現地企業」としての存在感が一段と強まった。

  28. 小型車「スイフト」を発売

    スズキはグローバルな販売を見据えた小型車として「スイフト」を開発。欧州においてデザインおよび走行性能などを改善し、2004年から販売を開始した。

  29. 小野専務が急逝(後継候補)

    鈴木修氏の娘婿であり、後継者候補であった小野専務(当時52歳)が急逝。78歳であった鈴木修会長は社長を兼務し、スズキの経営トップを続投した

  30. GMとの提携を解消

    提携先のGMが2008年に経営破綻したことを受けて、GMは保有するスズキの株式売却を決定。1981年から続いた提携関係に終止符を打った

  31. フォルクスワーゲンと包括提携を締結(失敗)
    VWとの提携でスズキが最初に要請したのは「独立性の維持」であったが、提携開始直後にVWは株式追加取得を示唆した。独立を取り戻すために国際仲裁に訴え、最終的に4602億円を投じて株式を買い戻すことになる。技術を得るために差し出した資本関係が経営の自由を脅かすという構造は、提携の設計段階で「相手が約束を守らなかった場合の出口」を組み込む必要性を示唆している。
  32. 米国四輪車市場から撤退
  33. 海外進出
    Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立

    2014年3月にインドにSuzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立した。マルチ・スズキ・インディアの主力工場(ハリヤナ州)に続く第二拠点として、グジャラート州での量産体制を構築する動きであった。後の2024年新工場計画にもつながるインド増産戦略の中継点となった。

  34. フォルクスワーゲンから株式を買い戻し
  35. 業務提携
    トヨタ自動車と業務提携に向けた覚書を締結

    2017年2月にトヨタ自動車との業務提携に向けた覚書を締結した。2016年の検討開始から1年弱を経て、両社の補完関係(トヨタの電動化・スズキの小型車)を前提とする協業協議を正式化した。すなわち、後の2019年資本提携へつながる第一段階となった。

  36. 浜松工場を新設
    東日本大震災はスズキの生産拠点に直接的な被害をもたらしたわけではないが、海岸から200mに位置する二輪技術センターの脆弱性を経営課題として認識させる契機となった。注目すべきは、防災対策を単なるリスク回避にとどめず、分散拠点の集約による生産効率の向上という経営合理性と結びつけた点である。「いつか来る災害」への備えに610億円の投資判断を下すには、防災以外の経済的便益を同時に設計する必要があった。
  37. トヨタ自動車と資本提携

    2016年にスズキとトヨタは業務提携の検討を開始。2019年3月までにトヨタの電動化技術とスズキの小型車技術に補完関係があると判断し、協業の具体検討に入った。2019年8月に資本提携を発表し、スズキは第三者割当増資でトヨタにスズキ株4.9%を960億円で割り当てる一方、スズキも480億円相当のトヨタ株を取得する方針を示した。株式の相互持合により協業関係を強化した。

  38. 株式上場
    東京証券取引所プライム市場へ移行

    2022年4月の東京証券取引所市場区分見直しにより、市場第一部からプライム市場へ上場市場を移行した。

  39. インドで新工場を計画

    2024年1月にスズキは、インドのグジャラート州政府と新工場の建設で合意。クジャラート州内に年産100万台の大規模量産工場の新設を計画(すでに稼働しているクジャラート工場とは別の新工場)。投資予定額は約6000億円。

  40. 鈴木修相談役が逝去

    元社長・会長であり、スズキ創業家である鈴木修氏が2024年12月に94歳で逝去。1978年6月にスズキの社長に就任して以来、2021年に当時91歳で会長を退任するまで経営トップを歴任した。鈴木修氏はスズキの社長として、インドでの乗用車展開を中心とするグローバル企業に育成しつつ、大手企業(GM・VW・トヨタ)とのアライアンスを志向。後発乗用車メーカーという不利な立場ではあったが、他社から買収されずに独立した自動車メーカーとして存続させた。