横浜ゴムの沿革・歴史的証言
1917年〜2025年
横浜ゴムの1917年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1917 1-12月 | 会社設立 | 横濱護謨製造株式会社を設立 横濱電線製造(現古河電工)と米B.F.グッドリッチ社の折半出資で、タイヤ・工業品の輸入販売を目的に設立 | 大正期の高級ゴム製品の輸入依存を脱する国産化の起点となり、古河系タイヤメーカーの母体を形成 | |||
1921 1-12月 | 設備投資 | 横浜市に平沼工場を建設 | ||||
1923 1-12月 | 設備投資 | 関東大震災で平沼工場の操業中止 本社を東京市麹町区に移転 | 創業6年目で生産基盤を失い、戦前期の事業立ち上げが大きく後退 | |||
1929 1-12月 | 設備投資 | 横浜市鶴見に横浜工場を再建 ホース・ベルト・パッキング・自動車用タイヤの量産を本格化 | 震災後の生産再建の起点であり、戦前タイヤ事業の基幹拠点となった | |||
1943 1-12月 | 設備投資 | 三重工場を建設 | ||||
1945 1-12月 | 組織再編 | 本社を東京都港区に移転 | ||||
設備投資 | 横浜工場が空襲で全焼 終戦に伴い海外5工場(中国・韓国・ベトナム・比)も全て放棄 | 戦前の生産設備を失い、戦後は平塚への集約戦略に転換する直接の引き金となった | ||||
1946 1-12月 | 設備投資 | 三島工場を建設 | ||||
1949 1-12月 | 組織再編 | B.F.グッドリッチとの技術提携を復活 | 戦中断絶した米国大手との技術関係を再開し、戦後の品質キャッチアップの土台となった | |||
FY50 1950/12 | 売上高 83.8億円 | 株式上場 | 東証・大証一部に株式を上場 | 戦後再建期に市場から資金調達を行い、平塚総合工場建設の財務基盤を固めた | ||
FY51 1951/12 | 売上高 78.3億円 | |||||
FY52 1952/12 | 売上高 70.8億円 | 設備投資 | 平塚製造所を建設し関東諸工場を統合 横浜・金町・藤沢の各工場と藤沢の技術研究所を集約した総合工場 | 戦災で散逸した生産設備を一拠点に集約し、戦後の生産効率化と多品種展開の母体となった | ||
FY53 1953/12 | 売上高 83.2億円 | |||||
FY54 1954/12 | 売上高 85.7億円 | |||||
FY55 1955/12 | 売上高 89.8億円 | |||||
FY56 1956/12 | 売上高 122.7億円 | |||||
FY57 1957/12 | 売上高 152億円 | 航空部品(燃料タンク・ホース)の生産を開始 | ||||
FY58 1958/12 | 売上高 132.1億円 | |||||
FY59 1959/12 | 売上高 168.9億円 | |||||
FY60 1960/12 | 売上高 219億円 | 組織再編 | 事業部制を導入 タイヤ・工業品・合成品・雑貨・部品・海外の6事業部体制 | ゴム製品総合メーカー化を志向した経営体制への転換点 | ||
FY61 1961/12 | 売上高 256億円 | 設備投資 | 本社ビル「浜ゴムビル」竣工 | |||
株式上場 | 名証一部に株式を上場 | |||||
FY62 1962/12 | 売上高 290億円 | |||||
FY63 1963/12 | 売上高 317億円 | 商号を「横浜ゴム株式会社」に変更 | 旧社名「横濱護謨製造」から脱皮し、戦後の総合ゴムメーカーとしてのブランドを確立 | |||
FY64 1964/12 | 売上高 343億円 | 設備投資 | 愛知県新城市にタイヤ専門の新城工場を建設 | モータリゼーションに対応する増産投資。ただし1960年に量産化したブリヂストンに先行を許した出遅れ投資でもあった | ||
FY65 1965/12 | 売上高 314億円 | |||||
FY66 1966/12 | 売上高 352億円 | |||||
FY67 1967/12 | 研究開発 | 日本初の乗用車用スチールラジアルタイヤを開発 | 国内タイヤ産業のラジアル化を先導した技術的快挙 | |||
FY69 1969/12 | 組織再編 | 米国にヨコハマタイヤコーポレーション設立 タイヤ販売会社 | 本格的な海外市場開拓の出発点。後の現地生産展開の基盤拠点となった | |||
FY73 1973/12 | 設備投資 | 茨城工場を建設(茨城県東茨城郡) | ||||
組織再編 | 横浜エイロクイップ株式会社を設立 ホース関係の金属部門を分離し、米エイロクイップとの合弁 | |||||
FY74 1974/12 | 設備投資 | 建設用大型タイヤ専門の尾道工場を建設 | 非タイヤ・特殊用途への展開を強化し、国内6工場体制を確立 | |||
FY75 1975/12 | 売上高 1,383億円 | 当期純利益 14億円 | ||||
FY76 1976/12 | 売上高 1,408億円 | 当期純利益 4億円 | ||||
FY77 1977/12 | 売上高 1,483億円 | 当期純利益 -26億円 | ||||
FY78 1978/12 | 売上高 1,504億円 | 当期純利益 -19億円 | 2期連続で最終赤字に転落 第二次オイルショック前後の需要低迷と原料高の影響 | 戦後再建後はじめての経営危機的局面で、後のADVANによる高付加価値転換の伏線となる | ||
乗用車用ラジアルタイヤ「ADVAN」を発売 業界初の“ハイパフォーマンスタイヤ”コンセプト | 以降の高性能タイヤ時代の幕開けを作り、横浜ゴムのブランド差別化の核となった | |||||
FY79 1979/12 | 売上高 1,719億円 | 当期純利益 56億円 | ||||
FY80 1980/12 | 売上高 2,077億円 | 当期純利益 21億円 | ||||
FY81 1981/12 | 売上高 2,086億円 | 当期純利益 21億円 | 組織再編 | B.F.グッドリッチが横浜ゴム株式の大半を売却 設立以来の日米合弁関係が事実上解消 | 創業以来64年続いた米国大手との資本関係が終了し、独立系日本タイヤメーカーとしての歩みに転換 | |
FY82 1982/12 | 売上高 1,981億円 | 当期純利益 14億円 | ||||
FY83 1983/12 | 売上高 2,084億円 | 当期純利益 10億円 | 組織再編 | スポーツコンプレックス(現プロギア)を設立 ゴルフ用品事業への新規参入。1983年「プロギア」、88年「インテスト」ブランドを発売 | 非タイヤ多角化の象徴的事業で、ユニークな商品企画力で短期間に成長した | |
FY84 1984/12 | 売上高 2,251億円 | 当期純利益 27億円 | ||||
FY86 1986/12 | 設備投資 | 茨城県大子町に総合タイヤテストコースを建設 | ||||
FY88 1988/12 | 組織再編 | 米国でGTYタイヤカンパニーを3社合弁で設立 TB用タイヤ生産。1990年から生産開始 | 海外現地生産の第一歩で、北米TBタイヤ市場への足掛かりとなった | |||
FY89 1989/12 | 設備投資 | 北海道上川郡鷹栖町に冬用タイヤ専用テストコースを建設 | ||||
組織再編 | 米モホーク・ラバー・カンパニーを買収 乗用車用タイヤ生産。1990年から生産開始、92年にヨコハマタイヤコーポレーションが吸収合併 | 北米乗用車タイヤの現地生産・現地販売の一体化を実現し、80年代海外展開の集大成となった | ||||
FY92 1992/12 | 設備投資 | 平塚製造所内に研究開発センタービルを建設 ヨコハマタイヤコーポレーションがモホーク・ラバーを吸収合併 | ||||
FY93 1993/12 | 売上高 4,001億円 | 当期純利益 -2億円 | ||||
FY94 1994/12 | 売上高 3,793億円 | 当期純利益 20億円 | ||||
FY95 1995/12 | 売上高 801億円 | 当期純利益 -6億円 | ||||
FY96 1996/12 | 売上高 3,893億円 | 当期純利益 5億円 | 組織再編 | ヨコハマタイヤフィリピンを設立 川鉄商事(現JFE商事)との合弁 | ||
組織再編 | ヨコハマラバー(タイランド)を設立 ウインドシールドシーラント・高圧ホースの製造販売 | |||||
FY97 1997/12 | 売上高 4,026億円 | 当期純利益 37億円 | ||||
FY98 1998/12 | 売上高 4,153億円 | 当期純利益 8億円 | ||||
FY99 1999/12 | 売上高 4,011億円 | 当期純利益 32億円 | ||||
FY00 2000/12 | 売上高 3,921億円 | 当期純利益 -90億円 | ||||
FY01 2001/12 | 売上高 3,878億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 0億円 | 組織再編 | 中国で杭州横浜輪胎を設立 ユーハット社・杭州ゴム集団との合弁によるタイヤ製造販売 | 中国市場参入の基点となり、後の事業統括会社設立や子会社拡張の起点となった | |
FY02 2002/12 | 売上高 3,998億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 73億円 | 組織再編 | コンチネンタル社と合弁会社を設立 ヨコハマコンチネンタルタイヤ(東京都港区) | ||
FY03 2003/12 | 売上高 4,004億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 101億円 | ||||
FY04 2004/12 | 売上高 4,017億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 103億円 | 組織再編 | タイにヨコハマタイヤマニュファクチャリング(タイ)を設立 2008年に100%子会社化 | ||
組織再編 | 横浜ハイデックス株式会社を吸収合併 | |||||
FY05 2005/12 | 売上高 4,197億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 113億円 | 組織再編 | 中国に事業統括会社「横浜橡胶(中国)」を設立 | 中国事業のホールディング体制を整え、その後のTB用・コンベヤベルトなど中国子会社群を束ねる基盤となった | |
FY06 2006/12 | 売上高 4,519億円 | 当期純利益 214億円 | 組織再編 | 山東横浜橡胶工業制品を設立 コンベヤベルト製造販売の中国合弁 | ||
組織再編 | 中国・蘇州にTB用スチールラジアルタイヤ製造販売会社を設立 横浜橡胶(中国)の全額出資 | 中国TBタイヤ市場の現地生産で、中国を一大拠点化する戦略を本格化 | ||||
FY07 2007/12 | 売上高 4,973億円 | 当期純利益 163億円 | 組織再編 | ヨコハマ・インディアを設立 インドのタイヤ製造販売拠点 | 新興国市場のタイヤ需要を取り込む長期戦略の起点となった | |
FY08 2008/12 | 売上高 5,514億円 | 当期純利益 210億円 | 組織再編 | ヨコハマ・アジア(タイ)を設立 タイヤ販売・原材料調達 | ||
組織再編 | LLCヨコハマR.P.Z.(ロシア)を設立 タイヤ製造販売 | |||||
FY09 2009/12 | 売上高 5,172億円 | 当期純利益 -56億円 | リーマンショックで初の純損失に転落 営業利益は12,808百万円に半減、純損失▲5,654百万円 | 金融危機による世界自動車需要の急減で、創業以来の業績下振れ局面に直面した | ||
組織再編 | タイに総合タイヤプルービンググラウンドを建設 ヨコハマ工業品ヨーロッパGmbH(ドイツ)も設立 | |||||
組織再編 | 国内市販用販社19社を統合しヨコハマタイヤジャパンを設立 | リーマンショック後の販売網再編で、国内市販用流通を一本化 | ||||
FY10 2010/12 | 売上高 4,663億円 | 当期純利益 114億円 | 組織再編 | 横浜ゴムMBジャパンを設立 工業品販社8社と本社機能の一部を統合 | ||
FY11 2011/12 | 売上高 4,651億円 | 当期純利益 116億円 | 組織再編 | ヨコハマピアサポートを設立 障がい者雇用のための特例子会社 | ||
FY12 2012/12 | 売上高 5,597億円 | 当期純利益 326億円 | ||||
FY13 2013/12 | 売上高 6,016億円 | 当期純利益 350億円 | 組織再編 | ヨコハマビジネスアソシエーション及びヨコハマ・モータースポーツ・インターナショナルを設立 | ||
設備投資 | 米国ミシシッピにタイヤ製造販売会社を設立 ヨコハマタイヤマニュファクチャリングミシシッピ | モホーク買収以来の北米第二の現地生産拠点で、北米市場でのシェア拡大の布石となった | ||||
FY14 2014/12 | 売上高 6,252億円 | 当期純利益 405億円 | 設備投資 | 米国ヴァージニアにタイヤ製造販売会社を設立 ヨコハマタイヤマニュファクチャリングヴァージニア。同時に国内更生タイヤ事業を統合 | 北米生産能力を一段と拡張 | |
企業買収 | 伊パーカーMHP社(マリンホース)を買収 パーカー・ハネフィン社から取得し「ヨコハマ工業品イタリア」に改称 | 非タイヤ事業の海洋商品分野で世界的シェアを確保 | ||||
FY15 2015/12 | 売上高 6,298億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 363億円 | 企業買収 | 亀山ビード(タイヤビード専業)を買収 不二精工から取得 | ||
FY16 2016/12 | 売上高 5,961億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 187億円 | 組織再編 | コンチネンタル社との合弁を解消 ヨコハマコンチネンタルタイヤを解散 | ||
企業買収 | Alliance Tire Group(YOHT)を買収 農機・産業車両・建設・林業機械用タイヤの蘭持株会社 | オフハイウェイタイヤ(OHT)事業への本格参入を決定づけた大型M&A。後のY-TWS・G-OTR買収につながる戦略軸となった | ||||
設備投資 | 米国NCにタイヤ開発研究センターを設立 | |||||
FY17 2017/12 | 売上高 6,680億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 352億円 | 企業買収 | 愛知タイヤ工業を買収 産業車両用タイヤメーカー | 産業車両用タイヤの国内シェアを取りに行き、OHT領域の補完を図った | |
社長交代 | 山石昌孝が代表取締役社長に就任 南雲忠信会長CEO体制から世代交代 | TWS買収などOHT軸の積極的M&A路線を主導する経営体制への移行 | ||||
FY18 2018/12 | 売上高 6,502億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 356億円 | ||||
FY19 2019/12 | 売上高 6,504億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 419億円 | ||||
FY20 2020/12 | 売上高 5,510億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 263億円 | ||||
FY21 2021/12 | 売上高 6,708億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 655億円 | 組織再編 | 本社ビル「浜ゴムビル本館」を売却 東京都港区新橋(1961年竣工) | 資産圧縮と本社平塚移転の伏線となる経営判断 | |
組織再編 | ハマタイト事業を売却 スイスSika AGに会社分割で譲渡 | 非タイヤ事業の選択と集中の一環で、シーリング材事業を切り離した | ||||
FY22 2022/12 | 売上高 8,604億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 459億円 | 株式上場 | 東証プライム市場に移行 市場区分見直し | ||
FY23 2023/12 | 売上高 9,853億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 672億円 | 組織再編 | 本社を神奈川県平塚市に移転 平塚製造所内に集約 | 本社ビル売却を経て生産・本社機能を平塚に集約。創業地・横浜近郊への回帰 | |
企業買収 | スウェーデンTrelleborg Wheel Systems(Y-TWS)を買収 農機・産業用タイヤ製造販売 | Alliance Tire以来のOHT領域の大型M&Aで、欧州系オフハイウェイタイヤを取り込み世界トップ級に | ||||
売上収益9,853億円・事業利益991億円で過去最高 円安・原料安定・TWS連結化が寄与 | TWS買収後初年度から増収増益を達成し、買収戦略の成功を市場に示した | |||||
FY24 2024/12 | 売上高 10,947億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 749億円 | 売上収益10,947億円・事業利益1,344億円で過去最高更新 TWSフル寄与とプレミアムタイヤ拡販 | 売上1兆円を突破し、ブリヂストン・住友ゴムに次ぐ国内3位の規模感を維持 | ||
FY25 2025/12 | 売上高 12,349億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,053億円 | 企業買収 | Goodyear社のOTR事業(G-OTR)を買収 建設・鉱山用車両向けタイヤ事業 | Alliance Tire・TWSに続く第3のOHT M&Aで、鉱山・建設領域を補完しOHT世界戦略を完成 | |
売上1兆2,200億円・事業利益1,380億円を計画 G-OTR連結化でOHT売上3,960億円規模 | OHT3事業統合で売上規模を大幅拡張するが、PMI負担と原料高で利益率はやや低下 |
- 横濱護謨製造株式会社を設立
横濱電線製造(現古河電工)と米B.F.グッドリッチ社の折半出資で、タイヤ・工業品の輸入販売を目的に設立
大正期の高級ゴム製品の輸入依存を脱する国産化の起点となり、古河系タイヤメーカーの母体を形成 - 横浜市に平沼工場を建設
- 関東大震災で平沼工場の操業中止
本社を東京市麹町区に移転
創業6年目で生産基盤を失い、戦前期の事業立ち上げが大きく後退 - 横浜市鶴見に横浜工場を再建
ホース・ベルト・パッキング・自動車用タイヤの量産を本格化
震災後の生産再建の起点であり、戦前タイヤ事業の基幹拠点となった - 三重工場を建設
- 本社を東京都港区に移転
- 横浜工場が空襲で全焼
終戦に伴い海外5工場(中国・韓国・ベトナム・比)も全て放棄
戦前の生産設備を失い、戦後は平塚への集約戦略に転換する直接の引き金となった - 三島工場を建設
- B.F.グッドリッチとの技術提携を復活戦中断絶した米国大手との技術関係を再開し、戦後の品質キャッチアップの土台となった
- 東証・大証一部に株式を上場戦後再建期に市場から資金調達を行い、平塚総合工場建設の財務基盤を固めた
- 平塚製造所を建設し関東諸工場を統合
横浜・金町・藤沢の各工場と藤沢の技術研究所を集約した総合工場
戦災で散逸した生産設備を一拠点に集約し、戦後の生産効率化と多品種展開の母体となった - 航空部品(燃料タンク・ホース)の生産を開始
- 事業部制を導入
タイヤ・工業品・合成品・雑貨・部品・海外の6事業部体制
ゴム製品総合メーカー化を志向した経営体制への転換点 - 本社ビル「浜ゴムビル」竣工
- 名証一部に株式を上場
- 商号を「横浜ゴム株式会社」に変更旧社名「横濱護謨製造」から脱皮し、戦後の総合ゴムメーカーとしてのブランドを確立
- 愛知県新城市にタイヤ専門の新城工場を建設モータリゼーションに対応する増産投資。ただし1960年に量産化したブリヂストンに先行を許した出遅れ投資でもあった
- 日本初の乗用車用スチールラジアルタイヤを開発国内タイヤ産業のラジアル化を先導した技術的快挙
- 米国にヨコハマタイヤコーポレーション設立
タイヤ販売会社
本格的な海外市場開拓の出発点。後の現地生産展開の基盤拠点となった - 茨城工場を建設(茨城県東茨城郡)
- 横浜エイロクイップ株式会社を設立
ホース関係の金属部門を分離し、米エイロクイップとの合弁
- 建設用大型タイヤ専門の尾道工場を建設非タイヤ・特殊用途への展開を強化し、国内6工場体制を確立
- 2期連続で最終赤字に転落
第二次オイルショック前後の需要低迷と原料高の影響
戦後再建後はじめての経営危機的局面で、後のADVANによる高付加価値転換の伏線となる - 乗用車用ラジアルタイヤ「ADVAN」を発売
業界初の“ハイパフォーマンスタイヤ”コンセプト
以降の高性能タイヤ時代の幕開けを作り、横浜ゴムのブランド差別化の核となった - B.F.グッドリッチが横浜ゴム株式の大半を売却
設立以来の日米合弁関係が事実上解消
創業以来64年続いた米国大手との資本関係が終了し、独立系日本タイヤメーカーとしての歩みに転換 - スポーツコンプレックス(現プロギア)を設立
ゴルフ用品事業への新規参入。1983年「プロギア」、88年「インテスト」ブランドを発売
非タイヤ多角化の象徴的事業で、ユニークな商品企画力で短期間に成長した - 茨城県大子町に総合タイヤテストコースを建設
- 米国でGTYタイヤカンパニーを3社合弁で設立
TB用タイヤ生産。1990年から生産開始
海外現地生産の第一歩で、北米TBタイヤ市場への足掛かりとなった - 北海道上川郡鷹栖町に冬用タイヤ専用テストコースを建設
- 米モホーク・ラバー・カンパニーを買収
乗用車用タイヤ生産。1990年から生産開始、92年にヨコハマタイヤコーポレーションが吸収合併
北米乗用車タイヤの現地生産・現地販売の一体化を実現し、80年代海外展開の集大成となった - 平塚製造所内に研究開発センタービルを建設
ヨコハマタイヤコーポレーションがモホーク・ラバーを吸収合併
- ヨコハマタイヤフィリピンを設立
川鉄商事(現JFE商事)との合弁
- ヨコハマラバー(タイランド)を設立
ウインドシールドシーラント・高圧ホースの製造販売
- 中国で杭州横浜輪胎を設立
ユーハット社・杭州ゴム集団との合弁によるタイヤ製造販売
中国市場参入の基点となり、後の事業統括会社設立や子会社拡張の起点となった - コンチネンタル社と合弁会社を設立
ヨコハマコンチネンタルタイヤ(東京都港区)
- タイにヨコハマタイヤマニュファクチャリング(タイ)を設立
2008年に100%子会社化
- 横浜ハイデックス株式会社を吸収合併
- 中国に事業統括会社「横浜橡胶(中国)」を設立中国事業のホールディング体制を整え、その後のTB用・コンベヤベルトなど中国子会社群を束ねる基盤となった
- 山東横浜橡胶工業制品を設立
コンベヤベルト製造販売の中国合弁
- 中国・蘇州にTB用スチールラジアルタイヤ製造販売会社を設立
横浜橡胶(中国)の全額出資
中国TBタイヤ市場の現地生産で、中国を一大拠点化する戦略を本格化 - ヨコハマ・インディアを設立
インドのタイヤ製造販売拠点
新興国市場のタイヤ需要を取り込む長期戦略の起点となった - ヨコハマ・アジア(タイ)を設立
タイヤ販売・原材料調達
- LLCヨコハマR.P.Z.(ロシア)を設立
タイヤ製造販売
- リーマンショックで初の純損失に転落
営業利益は12,808百万円に半減、純損失▲5,654百万円
金融危機による世界自動車需要の急減で、創業以来の業績下振れ局面に直面した - タイに総合タイヤプルービンググラウンドを建設
ヨコハマ工業品ヨーロッパGmbH(ドイツ)も設立
- 国内市販用販社19社を統合しヨコハマタイヤジャパンを設立リーマンショック後の販売網再編で、国内市販用流通を一本化
- 横浜ゴムMBジャパンを設立
工業品販社8社と本社機能の一部を統合
- ヨコハマピアサポートを設立
障がい者雇用のための特例子会社
- ヨコハマビジネスアソシエーション及びヨコハマ・モータースポーツ・インターナショナルを設立
- 米国ミシシッピにタイヤ製造販売会社を設立
ヨコハマタイヤマニュファクチャリングミシシッピ
モホーク買収以来の北米第二の現地生産拠点で、北米市場でのシェア拡大の布石となった - 米国ヴァージニアにタイヤ製造販売会社を設立
ヨコハマタイヤマニュファクチャリングヴァージニア。同時に国内更生タイヤ事業を統合
北米生産能力を一段と拡張 - 伊パーカーMHP社(マリンホース)を買収
パーカー・ハネフィン社から取得し「ヨコハマ工業品イタリア」に改称
非タイヤ事業の海洋商品分野で世界的シェアを確保 - 亀山ビード(タイヤビード専業)を買収
不二精工から取得
- コンチネンタル社との合弁を解消
ヨコハマコンチネンタルタイヤを解散
- Alliance Tire Group(YOHT)を買収
農機・産業車両・建設・林業機械用タイヤの蘭持株会社
オフハイウェイタイヤ(OHT)事業への本格参入を決定づけた大型M&A。後のY-TWS・G-OTR買収につながる戦略軸となった - 米国NCにタイヤ開発研究センターを設立
- 愛知タイヤ工業を買収
産業車両用タイヤメーカー
産業車両用タイヤの国内シェアを取りに行き、OHT領域の補完を図った - 山石昌孝が代表取締役社長に就任
南雲忠信会長CEO体制から世代交代
TWS買収などOHT軸の積極的M&A路線を主導する経営体制への移行 - 本社ビル「浜ゴムビル本館」を売却
東京都港区新橋(1961年竣工)
資産圧縮と本社平塚移転の伏線となる経営判断 - ハマタイト事業を売却
スイスSika AGに会社分割で譲渡
非タイヤ事業の選択と集中の一環で、シーリング材事業を切り離した - 東証プライム市場に移行
市場区分見直し
- 本社を神奈川県平塚市に移転
平塚製造所内に集約
本社ビル売却を経て生産・本社機能を平塚に集約。創業地・横浜近郊への回帰 - スウェーデンTrelleborg Wheel Systems(Y-TWS)を買収
農機・産業用タイヤ製造販売
Alliance Tire以来のOHT領域の大型M&Aで、欧州系オフハイウェイタイヤを取り込み世界トップ級に - 売上収益9,853億円・事業利益991億円で過去最高
円安・原料安定・TWS連結化が寄与
TWS買収後初年度から増収増益を達成し、買収戦略の成功を市場に示した - 売上収益10,947億円・事業利益1,344億円で過去最高更新
TWSフル寄与とプレミアムタイヤ拡販
売上1兆円を突破し、ブリヂストン・住友ゴムに次ぐ国内3位の規模感を維持 - Goodyear社のOTR事業(G-OTR)を買収
建設・鉱山用車両向けタイヤ事業
Alliance Tire・TWSに続く第3のOHT M&Aで、鉱山・建設領域を補完しOHT世界戦略を完成 - 売上1兆2,200億円・事業利益1,380億円を計画
G-OTR連結化でOHT売上3,960億円規模
OHT3事業統合で売上規模を大幅拡張するが、PMI負担と原料高で利益率はやや低下
歴史的証言
私として期待しているのは(中略)平塚工場という新鋭工場が着々進捗していることでして、この完成によって私どもの会社は見違えるような総合ゴム会社となることです。さらに特に希望を持っているのは、ビニール加工事業で、本格的な仕事として成果を見ていただきたいと思います。
平塚工場は予定どおりに進行しています。大体、この工場建設は3つ(工業品工場・自動車タイヤ工場・ビニール加工工場)に分けて進めているのです。(中略)自動車タイヤ工場ですが、これは現在建物を建築中で12月には完成し、1月から動く予定となっています。私ども三重、三島工場は、従来は普通のサイズの自動車タイヤを製造していたのですが、今度の平塚工場では大型サイズのタイヤを作るわけです。
次にビニール加工工場です。これは従来も小規模にやっているが、平塚工場では本格的な生産を行う予定にしています。(中略)これに使用するビニールは、私どもが出資して設立された日本ゼオンの製品を使用するもので、今の予定としてはゼオン製品の1/3を私どもで使い、古河電工が1/3をビニール電線に使い、残り1/3を市販にする予定です。従来わが国で行われているビニール加工は、ほとんどがゴム加工の機械をビニール用に改良したもので、規模もあまり大きくない。私どものは、当初からビニール加工を目的として米国製の優秀機械を入れ、日本製のものも独自のものであるから完全操業になればそれだけプラスとなるだけに大いに期待しているわけです。
銀行というのは都合の悪いもので、こっちが景気がいいときには金を貸そうというのですが、どうしても金がいるというときになると貸してくれない。それで非常にいろいろ問題が起きて一番困りましたのは、ちょうどそのとき平塚工場の建設をしていたのです。ある銀行の人があれをやめなさい。あんなものをやっているから金が足らないのです。あれをやめなければ金を貸さないというのです。
せっかくやっているものを、私の方はあの鉄骨を赤サビにすることはできない。あれはなんとしてもやります、しかし金は貸してくれと言って、やっと貸してもらって、4ヶ月の間毎月1億円以上の損をずっと切り抜けました。
日本の賃金は、為替レートで換算してみると大体米国の1/7ですよ。(中略)その賃金をできるだけ有効に生産原価に織り込んでいかなければならぬ。だから合理化していかなければならぬ。それには第一に機械設備の改善、これはどうしてもやらなければならぬ。
当社はおかげで外資の導入が出来たから、その金をまず三重、三島両工場の改善に向けた。その次は高崎、横浜、藤沢という3つの工場を集めて平塚に総合工場を造った。これは改善じゃなくて新設みたいな形になってしまった。(中略)合理化には資本がいる。当社は幸か不幸か、横浜工場が焼けちゃったので、新しい工場を造ることが必要であった。
中川翁は、やっぱり日本資本主義の1ページを飾る人物で、古河財閥の血縁的一員であると同時に、大番頭と言う二重の強みを武器に古河コンツェルンの形を築き上げたリーダーである。(中略)1917年横浜ゴムの創立を手始めに、1923年に富士電機、1936年に日本アルミ、1937年に日本電信電話工事、1939年に東京電灯の小林一三とともに日本軽金属を、また1942年には日本特殊軽合金および日本海底電線と次々に新たな子会社を作り、古河コンツェルンの仕上げをやってのけたのは、まさに中川翁その人である。だから、「鉱業」と「保険」とを除けば古河系のほとんどは翁が育てた事業である。
中川翁が横浜ゴムの経営の表面に立たれたのは、たしか1924年であったと思う。横浜ゴムは関東大震災で全滅の厄に会い、6年間の空白を経た後、鶴見に新工場を建設して復興したのであるが、中川翁はこの間、全滅した横浜ゴムの諸施設をいかに復興するかについての米国グッドリッチとの困難なせ中止、さらには鶴見に地を移して工場を建設するまでの事業の主役をほとんど自らつとめられて、横浜ゴムを焦土のうちから立ち上がらせた。これは1917年の創立の苦心とともに、長く忘れることのできない功績と言えるのである。
その後は日本の客観情勢ならびにグッドリッチの財的事情をよく見透かし、1935年2月に自ら米国アクロンのグッドリッチの本社を訪問して、グッドリッチの持株の一部を古河側に肩代わりし、従来50:50の持株比率を85:15に変更した。その結果、純国産の横浜ゴムが再出発することになったのであるが、これは時勢を洞察し正気を掴んだ中川社長の慧眼によるものと言わなければならない。