沿革年表 1967〜2025年における重要度別の出来事(合計22件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 札幌市内で似鳥家具店を創業 歴史的意義yutaka sugiura 似鳥昭雄の創業動機は、出店予定地に競合が少ないという消去法的な理由であった。99㎡の小規模店舗から始まり、1971年の北栄店(990㎡)で大型化に踏み出すが、競合出店で融資が止まり夜逃げを検討するほどの危機に陥った。創業期から一貫して「大量仕入れ・大量販売」を志向した点は、後のSPAモデルへの伏線となるが、この段階では仕入れ信用の欠如という零細小売業の壁に阻まれていた。 | 1967 1-12月 | ||||
FY69 1969/2 | 売上高 0.2億円 | |||||
FY70 1970/2 | 売上高 0.4億円 | |||||
FY71 1971/2 | 売上高 0.5億円 | |||||
重要事項 | 株式会社似鳥家具卸センターを設立 歴史的意義yutaka sugiura 1972年の渡米視察で似鳥昭雄が受けた衝撃は、アメリカの家具が日本の3分の1の価格で、かつコーディネートされていた点にあった。この体験が「60年かけてアメリカに追いつく」という長期目標を生み、ニトリの事業構造を規定した。同時期に倒産メーカーからの原価割れ仕入れや、メーカー3社への社外役員参画による製造介入が始まっており、小売業でありながら製造に口を出すSPA的発想の萌芽がこの段階で見られる。 | FY73 1973/2 | 売上高 1.5億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY77 1977/2 | 売上高 11億円 | ||||
| 似鳥昭雄 | チェーン化構想を発表・札幌市内でドミナント展開 歴史的意義yutaka sugiura ニトリは1978年から1981年にかけて札幌市内に9店舗を集中出店し、本州進出前にドミナント戦略の原型を完成させた。物流センター(1980年)から9店舗をカバーする配送効率の設計と、メーカーへの製品規格の要求を同時に進めた点が重要である。新卒2〜3年目を店長に抜擢する人事と厳格な規律運用は、急拡大を支える管理体制の構築でもあった。札幌での成功パターンが、後の全国展開における「物流センター先行→ドミナント出店」の再現モデルとなった。 | FY78 1978/2 | 売上高 14.5億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY79 1979/2 | 売上高 22.4億円 | ||||
| 似鳥昭雄 | FY80 1980/2 | 売上高 29.4億円 | 当期純利益 0.6億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY81 1981/2 | 売上高 34.8億円 | 当期純利益 0.3億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 函館進出問題 1982年にニトリは北海道の函館への大型店舗の新設(売り場面積4900m2・想定年商8〜10億円)を発表するが、地元の函館の小売業者は「ニトリのような巨大店の進出は死活問題である」として反発。政治家を動員してニトリの排除を試みるなど、一筋縄で店舗の拡大は進まなかった。その後、1985年にニトリは函館進出に成功し、函館では良好な成績を収めた | FY82 1982/2 | 売上高 43億円 | 当期純利益 0.5億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY83 1983/2 | 売上高 54.3億円 | 当期純利益 1.2億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY84 1984/2 | 売上高 68.8億円 | 当期純利益 1.3億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY86 1986/2 | 売上高 77.9億円 | 当期純利益 1.6億円 | |||
業務提携 | 似鳥昭雄 | マルミツ木工と業務提携・部品輸入を開始 歴史的意義yutaka sugiura 1985年のプラザ合意による円高を予見し、マルミツ木工への出資を通じて東南アジア生産に着手した判断は、小売業の発想を超えている。いきなり完成品生産に踏み込まず、まず部品パーツの輸入から始め、品質管理(含水率問題への対応)のノウハウを蓄積した上で完成品生産に移行する段階的アプローチをとった。シンガポールに検品拠点を置いた体制は、後のベトナム集中生産における品質管理体制の原型となった。 | FY87 1987/2 | 売上高 90.7億円 | 当期純利益 1.5億円 | |
| 似鳥昭雄 | FY88 1988/2 | 売上高 103億円 | 当期純利益 2.3億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY89 1989/2 | 売上高 117億円 | 当期純利益 3.7億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 札幌証券取引所に株式上場 | FY90 1990/2 | 売上高 132億円 | 当期純利益 4億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY91 1991/2 | 売上高 159億円 | 当期純利益 4.6億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY92 1992/2 | 売上高 175億円 | 当期純利益 5.6億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 本州(東日本)での店舗展開を開始 1993年に茨城県勝田市にニトリの店舗新設を計画。北海道のドミナント展開から、東日本におけるドミナント展開を本格化 | FY93 1993/2 | 売上高 177億円 | 当期純利益 6.1億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY94 1994/2 | 売上高 193億円 | 当期純利益 7.4億円 | |||
重要事項企業買収 | 似鳥昭雄 | インドネシアに現地法人を設立・完成品輸入を開始 歴史的意義yutaka sugiura インドネシア工場は完成品の現地生産という戦略的な一歩だったが、無断欠勤率10%やストライキの頻発で計画通りに稼働しなかった。マルミツを通じた間接運営(当初出資9%)が管理の弱さを招いた面があり、最終的に完全子会社化して再建に乗り出した。この経験は、後のベトナム工場では最初から完全子会社で運営し、従業員9,000名規模の直接管理体制を構築する判断につながった。失敗を経て「現地生産は直接支配でなければ品質も生産性も保てない」という原則が確立された。 | FY95 1995/2 | 売上高 235億円 | 当期純利益 8.6億円 | |
| 似鳥昭雄 | FY96 1996/2 | 売上高 256億円 | 当期純利益 9.5億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY97 1997/2 | 売上高 308億円 | 当期純利益 9.9億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY98 1998/2 | 売上高 348億円 | 当期純利益 10.2億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY99 1999/2 | 売上高 404億円 | 当期純利益 9.7億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY00 2000/2 | 売上高 489億円 | 当期純利益 15.5億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 埼玉県白岡町に関東物流センターを新設 | FY01 2001/2 | 売上高 632億円 | 当期純利益 19.7億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY02 2002/2 | 売上高 787億円 | 当期純利益 34.9億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 東京証券取引所第1部に株式上場 | FY03 2003/2 | 売上高 882億円 | 当期純利益 51.2億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY04 2004/2 | 売上高 1,087億円 | 当期純利益 77.7億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 中国上海に平湖物流センターを新設 | FY05 2005/2 | 売上高 1,294億円 | 当期純利益 87億円 | ||
海外進出 | ベトナムでの現地生産を開始・集中生産体制へ 歴史的意義yutaka sugiura ベトナム工場は従業員9,000名規模の主力生産拠点に成長し、2017年にはインドネシア工場の操業を停止して生産を集約した。インドネシアでの労務管理の苦戦を教訓に、ベトナムでは直接管理体制を初期から整備したことが拡大の前提条件となった。似鳥昭雄が「製造5割・物流2割・小売3割」と語る通り、ニトリの本質は小売業ではなく製造物流業である。ベトナム生産が2009年リーマンショック時の値下げ原資となり、36期連続増収増益の中核を支えた。 | |||||
神戸市中央区に関西物流センターを新設 | ||||||
| 似鳥昭雄 | FY06 2006/2 | 売上高 1,567億円 | 当期純利益 109億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 東京都北区に赤羽店を開業(本部併設) | FY07 2007/2 | 売上高 1,891億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 134億円 | ||
| 似鳥昭雄 | 中国恵州に「恵州物流センター」を新設 | FY08 2008/2 | 売上高 2,172億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 154億円 | ||
| 似鳥昭雄 | 値下げ宣言をスタート | FY09 2009/2 | 売上高 2,440億円 | 当期純利益 183億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY10 2010/2 | 売上高 2,861億円 | 当期純利益 238億円 | |||
| 似鳥昭雄 | 商号をニトリホールディングスに変更 持ち株会社に移行 | FY11 2011/2 | 売上高 3,142億円 | 当期純利益 308億円 | ||
| 似鳥昭雄 | FY12 2012/2 | 売上高 3,310億円 | 当期純利益 335億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY13 2013/2 | 売上高 3,487億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 358億円 | |||
| 似鳥昭雄 | FY14 2014/2 | 売上高 3,876億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 384億円 | |||
| 白井俊之 | FY15 2015/2 | 売上高 4,172億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 414億円 | |||
| 白井俊之 | 白井俊之氏が代表取締役社長に就任 持ち株会社に移行 | FY16 2016/2 | 売上高 4,581億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 469億円 | ||
| 白井俊之 | FY17 2017/2 | 売上高 5,129億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 599億円 | |||
| 白井俊之 | FY18 2018/2 | 売上高 5,720億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 642億円 | |||
| 白井俊之 | FY19 2019/2 | 売上高 6,081億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 681億円 | |||
| 白井俊之 | 時価総額2兆円を突破 | FY20 2020/2 | 売上高 6,422億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 713億円 | ||
重要事項企業買収 | 白井俊之 | ニトリが1株5500円でTOBを表明、DCMとの争奪戦へ 経営判断をよむ → | FY21 2021/2 | 売上高 7,169億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 921億円 | |
重要事項企業買収 | 島忠を買収・ホームセンターに進出 歴史的意義yutaka sugiura 島忠買収はDCMとの経営統合交渉を覆す形で実現したが、買収後の統合は想定通りに進まなかった。「ニトリホームズ」へのブランド転換とニトリ商品の導入で集客を狙ったものの、ホームセンターの品揃えとの両立に苦戦。FY2023でセグメント利益21億円にとどまり、のれん316億円に対して店舗減損94億円を計上する事態となった。SPAモデルで成功したニトリの手法が、異なる業態であるホームセンターには直接移植できないことを示した。 | |||||
| 白井俊之 | FY22 2022/2 | 売上高 8,115億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 967億円 | |||
| 白井俊之 | FY23 2023/2 | 売上高 9,480億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 951億円 | |||
| 白井俊之 | FY24 2024/2 | 売上高 8,957億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 865億円 | |||
重要事項 | 似鳥昭雄 | 減収減益・36期連続増収増益で途絶 歴史的意義yutaka sugiura ニトリのSPAモデルは、円高ドル安環境下で東南アジア生産のコスト優位を最大化する設計であった。会社計画の前提であった1ドル=130円が外れ、想定以上の円安が進行したことで、仕入れと商品開発の前提が根底から崩れた。国内822店舗・海外179店舗という売上構成の偏りが為替リスクを増幅させた。36期連続増収増益の途絶は単なる記録の問題ではなく、円高を前提に構築されたビジネスモデルそのものが転換を迫られていることを示した。 | FY25 2025/2 | 売上高 9,289億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 768億円 |
- 札幌市内で似鳥家具店を創業似鳥昭雄の創業動機は、出店予定地に競合が少ないという消去法的な理由であった。99㎡の小規模店舗から始まり、1971年の北栄店(990㎡)で大型化に踏み出すが、競合出店で融資が止まり夜逃げを検討するほどの危機に陥った。創業期から一貫して「大量仕入れ・大量販売」を志向した点は、後のSPAモデルへの伏線となるが、この段階では仕入れ信用の欠如という零細小売業の壁に阻まれていた。
- チェーン化構想を発表・札幌市内でドミナント展開ニトリは1978年から1981年にかけて札幌市内に9店舗を集中出店し、本州進出前にドミナント戦略の原型を完成させた。物流センター(1980年)から9店舗をカバーする配送効率の設計と、メーカーへの製品規格の要求を同時に進めた点が重要である。新卒2〜3年目を店長に抜擢する人事と厳格な規律運用は、急拡大を支える管理体制の構築でもあった。札幌での成功パターンが、後の全国展開における「物流センター先行→ドミナント出店」の再現モデルとなった。
- 函館進出問題
1982年にニトリは北海道の函館への大型店舗の新設(売り場面積4900m2・想定年商8〜10億円)を発表するが、地元の函館の小売業者は「ニトリのような巨大店の進出は死活問題である」として反発。政治家を動員してニトリの排除を試みるなど、一筋縄で店舗の拡大は進まなかった。その後、1985年にニトリは函館進出に成功し、函館では良好な成績を収めた
- マルミツ木工と業務提携・部品輸入を開始1985年のプラザ合意による円高を予見し、マルミツ木工への出資を通じて東南アジア生産に着手した判断は、小売業の発想を超えている。いきなり完成品生産に踏み込まず、まず部品パーツの輸入から始め、品質管理(含水率問題への対応)のノウハウを蓄積した上で完成品生産に移行する段階的アプローチをとった。シンガポールに検品拠点を置いた体制は、後のベトナム集中生産における品質管理体制の原型となった。
- 札幌証券取引所に株式上場
- 本州(東日本)での店舗展開を開始
1993年に茨城県勝田市にニトリの店舗新設を計画。北海道のドミナント展開から、東日本におけるドミナント展開を本格化
- 埼玉県白岡町に関東物流センターを新設
- 東京証券取引所第1部に株式上場
- 中国上海に平湖物流センターを新設
- ベトナムでの現地生産を開始・集中生産体制へベトナム工場は従業員9,000名規模の主力生産拠点に成長し、2017年にはインドネシア工場の操業を停止して生産を集約した。インドネシアでの労務管理の苦戦を教訓に、ベトナムでは直接管理体制を初期から整備したことが拡大の前提条件となった。似鳥昭雄が「製造5割・物流2割・小売3割」と語る通り、ニトリの本質は小売業ではなく製造物流業である。ベトナム生産が2009年リーマンショック時の値下げ原資となり、36期連続増収増益の中核を支えた。
- 神戸市中央区に関西物流センターを新設
- 東京都北区に赤羽店を開業(本部併設)
- 中国恵州に「恵州物流センター」を新設
- 値下げ宣言をスタート
- 商号をニトリホールディングスに変更
持ち株会社に移行
- 白井俊之氏が代表取締役社長に就任
持ち株会社に移行
- 時価総額2兆円を突破
- 島忠を買収・ホームセンターに進出島忠買収はDCMとの経営統合交渉を覆す形で実現したが、買収後の統合は想定通りに進まなかった。「ニトリホームズ」へのブランド転換とニトリ商品の導入で集客を狙ったものの、ホームセンターの品揃えとの両立に苦戦。FY2023でセグメント利益21億円にとどまり、のれん316億円に対して店舗減損94億円を計上する事態となった。SPAモデルで成功したニトリの手法が、異なる業態であるホームセンターには直接移植できないことを示した。