1969〜2022
推定売上高: 億円
■単体 | ■連結
8115億円
2022.2 | 売上高
推定売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
967億円
2022.2 | 当期純利益
1967 12月

札幌市内で似鳥家具店を開業

ニトリの歴史は1967年に似鳥昭雄氏が札幌にて家具の販売業を開始したことに始まる。周辺に競合が少なそうという理由で家具店を個人創業した。ただし、競合他社と比べて強みをもたなかったことから、何度も倒産の危機に瀕したという

1971 06月

店名を「似鳥家具卸センター」に変更。大型店を開業

店名を改称した上で、北海道で業界初となる大型家具店を開業。ただし、大型店舗は前代未聞であり、同業者はニトリの投資を懐疑的に思ったという。加えて、開業直後に、同業他社が近隣に大型店舗の出店を決めたため、銀行が似鳥への融資をストップ。この時、ニトリの資金繰りが悪化し、似鳥昭雄氏は夜逃げを考えたとされている(2017/10/10週刊女性)。

似鳥昭雄(ニトリ創業者)
今でこそ家具大型店の郊外進出は常識になっているが、私が初めの大型店である東店を手がけた当初は、周囲からあきれ顔で見られていた。若僧が何を馬鹿なことをやらかすのか、というのが家具業界および関係者の大方の感想だったろう
1977/11 近代中小企業 12(13)(156)
1972

欧米並みの豊かさを家具で実現する目標を掲げる

創業期におけるニトリにおける転機は、1972年に創業者である似鳥昭雄が小売業者の視察のためにアメリカを訪問した際、現地の生活環境が日本と比べて非常に豊かであったことに驚いたことであった。そこで、似鳥昭雄は日本でもアメリカと同じような豊かな生活が可能になるような家具や雑貨を販売することを決意し、リスクをとった事業の本格展開を開始した

1972 03月
会社設立

株式会社似鳥家具卸センターを設立

個人事業から株式会社に組織変更。金融機関からの資金調達を積極化して事業の本格展開を開始した

1974

仕入れ部門を別会社として設立

安い家具を確保するために、仕入れ部門を別会社として設立。倒産メーカーの家具を原価割れで仕入れる体制を構築した。また、別の仕入れルートとして、家具の有力メーカー3社に似鳥氏が社外役員として参画し、ニトリのオリジナル家具の製造を委託する方式も1977年までに整備した。ニトリは小売業でありながら、製造メーカーに口を出して自社商品を開発する体制を整えていった

1977 11月
リスク

遅刻3回で解雇する人事制度を運用(コンプラのリスク)

1977年11月時点で、ニトリは従業員に対しては信賞必罰の人事を遂行。雑誌記事によれば「遅刻3回、無断欠勤1回、私用も含めて交通事故2回で解雇」「競輪、競馬等のバクチは一切ご法度で、やった事がわかれば即刻クビとなる」(近代中小企業12(13)(156))運用をしていた。(これが事実であれば、労働基準法に準拠した制度であったかどうかは、議論の余地がある)

似鳥昭雄(ニトリ創業者)
今、中小企業が求めているのは、ホワイトもブルーも無難にこなす即戦力のオールラウンドプレイヤーだ。信賞必罰の徹底した能力主義こそ、中小企業の経営の原点である
1978 01月

北海道内におけるチェーン店構想を発表

ドミナントによるチェーン展開を開始。1985年までに北海道内において11店舗を展開

1978 06月

商号を「ニトリ家具」に変更

まとめ
北海道で家具チェーン店を展開。ドミナント展開を志向して家具ビジネスの仕組みを構築
1967〜1979
推定売上高: 億円
■単体 | ■連結
20億円
1979.2 | 推定売上高
推定売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
n/a億円
1979.2 | 当期純利益
1980 08月

札幌物流センターを新設

北海道内におけるドミナント展開を強化するために、札幌市内に「札幌物流センター」を設立。この時点では全国進出ではなく、北海道における家具販売店として有力企業に出ることを優先した

1982 02月

函館進出問題

1982年にニトリは北海道の函館への大型店舗の新設(売り場面積4900m2・想定年商8〜10億円)を発表するが、地元の函館の小売業者は「ニトリのような巨大店の進出は死活問題である」として反発。政治家を動員してニトリの排除を試みるなど、一筋縄で店舗の拡大は進まなかった。その後、1985年にニトリは函館進出に成功し、函館では良好な成績を収めた

1985 05月
海外展開

海外からの直接輸入を開始

安い家具の品揃えを確保するために、1985年のプラザ合意を受けて海外からの直接輸入を開始。円高ドル安の進行を受けて、主に東南アジアで生産された家具を輸入

似鳥昭雄(ニトリ創業者)
輸入を始めた当初は、手痛い失敗も多かった。たとえば、東南アジアは高温多湿のため、木材の商品の含水率が20%前後あり日本の2倍近い。このため商品が日本に到着すると反りや割れが生じ、木製の椅子などは隙間ができて、座ったらバラバラになったというクレームもあった。また、テーブルなどの塗装は、欧米ではラッカーが主流だが、日本人の習性で水拭きすると剥がれてしまう弱みとなった。そこで、木製商品は、出荷前には必ず乾燥室に入れ、塗装については適切な方法を指導して検査を厳格にした。
1989 02月

シンガポールに現地法人を新設

1989 09月
株式上場

札幌証券取引所に株式上場

1993

本州(東日本)での店舗展開を開始

1993年に茨城県勝田市にニトリの店舗新設を計画。北海道のドミナント展開から、東日本におけるドミナンと展開を本格化

1994 10月
会社設立

インドネシアに現地法人を設立

東南アジアの製造拠点として活用。当初、ニトリによる出資比率は9.0%であり、マイノリティーとして参加。ニトリが作成した仕様書に基づいて製品を作る「開発輸入」の拠点として活用することを目論んだが起動に乗らなかった。社員の無断欠勤率が10%であることや、ストライキが頻発したことで、工場の労働者の統制に問題があった。そこでニトリは出資比率を100%に高めて、経営再建を図った

似鳥昭雄(ニトリ創業者)
円高は構造的で、日本の人件費や原材料費は東南アジアに比べ決定的に高くなっている。輸入木材を買うとしても商社などが間に入るから入手するときは相当に高くなる。これじゃ、日本人は欧米よりも2倍も3倍も高い家具を買うことになる。なんとしても安い家具をウチが提供しなければ。そんな使命感に燃えていたんですよ。
1994/06/18日経流通新聞p2「ニトリ社長似鳥昭雄氏(下)」
1999 09月
会社設立

タイに現地法人を設立

東南アジアの製造拠点として活用。ニトリによる出資比率は49%

まとめ
物流を強化。円高の進行とともにグローバル調達体制を構築
1980〜1999
推定売上高: 億円
■単体 | ■連結
404億円
1999.2 | 売上高
推定売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
9.7億円
1999.2 | 当期純利益
2000 07月

埼玉県白岡町に関東物流センターを新設

2002 10月
株式上場

東京証券取引所第1部に株式上場

2004 03月
海外展開

中国上海に平湖物流センターを新設

2004 10月

神戸市中央区に関西物流センターを新設

2006 04月

東京都北区に赤羽店を開業(本部併設)

2007 06月
海外展開

中国恵州に「恵州物流センター」を新設

まとめ
調達のグローバル化と並行して、全国での店舗展開を開始。安くて良い家具が顧客に支持された
2000〜2007
売上高: 億円
■単体 | ■連結
1891億円
2007.2 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
134億円
2007.2 | 当期純利益
2008 12月
プライシング

値下げ宣言をスタート

2010 08月

商号をニトリホールディングスに変更

持ち株会社に移行

2016 02月

白井俊之氏が代表取締役社長に就任

持ち株会社に移行

2020
業績好調

時価総額2兆円を突破

2021 03月

島忠を買収

まとめ
大型家具の需要減少に対応して小物・什器を充実。値下げしても利益を確保できるグローバル調達網が強みに
2008〜2023
売上高: 億円
■単体 | ■連結
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結