シャープの沿革・歴史的証言

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1912年〜2025

シャープの1912年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1912
1-12月
会社設立
早川徳次氏が個人創業
受託加工から自社製品メーカーへの転換を果たした創業期の分岐点
1923
1-12月
関東大震災で工場を消失
全財産を失った震災が関西拠点のシャープを生んだ地理的起点
1924
1-12月
大阪市に早川金属工業所を設立
ラジオの国産化と低価格戦略で金属加工業から電機メーカーへ転身
1935
1-12月
組織再編
株式会社化(早川金属工業研究所を設立)
資本金30万円で株式会社組織に改め、㈱早川金属工業研究所を設立した。個人企業から株式会社への転換を果たした。
1942
1-12月
組織再編
早川電機工業へ改称
早川金属工業㈱から早川電機工業㈱へ改称した。
FY50
1950/3
大阪証券取引所に株式上場
FY53
1953/3
業務提携
RCAと技術提携・白黒テレビの生産開始
先行参入で市場を切り開き大手に主導権を奪われる反復構造
FY55
1955/3
総合家電メーカーを志向
テレビ専業の限界が総合家電メーカーへの転換を強いた構造的必然
太陽電池の試作に成功
FY56
1956/3
株式上場
東京証券取引所に株式上場
東京証券取引所に株式を上場した。大阪上場(1949年)に続く東京上場を果たした。
FY57
1957/3
トランジスタラジオの生産開始
戦前のシャープは真空管ラジオで業容を拡大したが、戦後のトランジスタラジオについてはソニーに対して後発参入となった。1957年にトランジスタラジオ「TR-115」の生産を開始し、米国への輸出を本格化した。
FY59
1959/3
売上高
127.1億円
当期純利益
18.5億円
FY60
1960/3
売上高
203億円
当期純利益
24億円
FY61
1961/3
売上高
210億円
当期純利益
24億円
FY62
1962/3
売上高
253億円
当期純利益
27億円
FY63
1963/3
売上高
314億円
当期純利益
28億円
海外進出
米国にSharp Electronics Corporationを設立
アメリカ(現ニュージャージー)にSharp Electronics Corporationを設立した。シャープとして初の海外現地法人となり、米国市場への本格参入の起点となった。
FY64
1964/3
売上高
342億円
当期純利益
20億円
地区販売会社の設立
電子機卓上計算機CS-10Aを開発
世界初のオールトランジスタによる電卓「CS-10A」を開発。重量は25kgであり販売価格は53万円。以後、シャープは半導体の開発を通じて電卓の小型化を志向した。
FY65
1965/3
売上高
301億円
当期純利益
8億円
FY66
1966/3
売上高
292億円
当期純利益
9億円
FY67
1967/3
売上高
420億円
当期純利益
16億円
FY68
1968/3
売上高
567億円
当期純利益
32億円
広島工場を新設
輸出用のトランジスタラジオ量産のために、広島工場を新設。シャープとしては関西地区以外で初となる工場
FY69
1969/3
売上高
883億円
当期純利益
44億円
テレビ工場を新設(栃木県矢板市)
FY70
1970/3
売上高
1,207億円
当期純利益
52億円
商号をシャープ株式会社に変更
1970年に商号を早川電機工業から「シャープ」に変更。半導体などの新分野を本格展開することや、海外におけるブランド認知を高めることを目的とし、商号変更に踏み切った。商号変更の直後、1970年9月に創業者である早川徳次氏は社長を退任し、会長に就任。後任社長として佐伯旭氏が就任した。
FY71
1971/3
売上高
1,490億円
当期純利益
60億円
シャープ総合開発センターを新設(半導体の内製化)
万博を見送り資本金の7割を半導体に賭けた異例の投資判断
FY72
1972/3
売上高
1,340億円
当期純利益
28億円
FY73
1973/3
売上高
1,437億円
当期純利益
25億円
FY74
1974/3
売上高
1,643億円
当期純利益
32億円
FY76
1976/3
売上高
2,017億円
当期純利益
27億円
FY77
1977/3
売上高
2,850億円
当期純利益
57億円
FY78
1978/3
売上高
3,007億円
当期純利益
74億円
FY79
1979/3
売上高
2,296億円
当期純利益
86億円
大型冷蔵庫工場を新設(大阪府八尾市)
FY80
1980/3
売上高
2,952億円
当期純利益
125億円
創業者の早川徳次氏が逝去
FY81
1981/3
売上高
5,014億円
当期純利益
162億円
葛城事業所を新設(奈良県葛城市)
FY82
1982/3
売上高
5,800億円
当期純利益
203億円
FY83
1983/3
売上高
6,493億円
当期純利益
263億円
FY84
1984/3
売上高
7,565億円
当期純利益
291億円
FY85
1985/3
売上高
9,095億円
当期純利益
338億円
福山工場を新設
半導体(IC)の量産のため、広島県福山市に福山工場を新設
FY90
1990/3
液晶事業本部を発足
電卓で培った液晶技術を応用して小型液晶の量産を開始。1986年には液晶部門を液晶事業部に格上げし、シャープとして本格的な事業展開を決定した。さらに、1990年には液晶事業本部に格上げされた。1990年代までの主な液晶の用途は電子機器における表示部品や、ゲーム機、カメラ向けのモニターなど。当時の技術水準ではテレビなどの大型パネル向けは実用化が難しく、液晶テレビの普及は2000年台まで待つ必要があった。
奈良第8工場を新設(複写機生産)
FY91
1991/3
設備投資
天理工場を新設(液晶パネル)
奈良県天理市に液晶パネルの生産拠点として天理工場を建設した。後の液晶事業拡大の基盤となった。
FY92
1992/3
売上高
15,549億円
当期純利益
390億円
FY93
1993/3
売上高
15,083億円
当期純利益
296億円
FY94
1994/3
売上高
15,180億円
当期純利益
317億円
FY95
1995/3
売上高
16,176億円
当期純利益
445億円
FY96
1996/3
売上高
16,507億円
当期純利益
463億円
設備投資
三重工場を新設(液晶パネル)
三重県多気町に液晶パネルの生産拠点として三重工場を建設した。亀山工場新設前の主要液晶拠点となった。
FY97
1997/3
売上高
17,905億円
当期純利益
485億円
FY98
1998/3
売上高
17,905億円
当期純利益
247億円
町田勝彦氏が社長就任・液晶テレビ宣言
「液晶一点集中」宣言に見るシャープの先行参入戦略の再現と帰結
FY99
1999/3
売上高
17,455億円
当期純利益
46億円
FY00
2000/3
売上高
18,547億円
当期純利益
281億円
FY01
2001/3
売上高
20,128億円
親会社株主に帰属する当期純利益
385億円
FY02
2002/3
売上高
18,037億円
親会社株主に帰属する当期純利益
113億円
FY03
2003/3
売上高
20,032億円
親会社株主に帰属する当期純利益
325億円
FY04
2004/3
売上高
22,572億円
親会社株主に帰属する当期純利益
607億円
亀山工場を新設(大型液晶パネル)
テレビ向けの大型液晶パネルを量産するため、三重県亀山に工場を新設。大型パネルでは、パナソニックによるプラズマ方式への投資(尼崎工場の新設)と、シャープへの液晶方式への投資(亀山工場の新設)という、2方式が競争を繰り広げた。いずれも巨額投資を伴ったため、国内の電機メーカーによる大型投資の競争として注目を集めた。
亀山第2工場を新設(大型液晶パネル)
FY05
2005/3
売上高
25,398億円
親会社株主に帰属する当期純利益
768億円
FY06
2006/3
売上高
27,971億円
親会社株主に帰属する当期純利益
886億円
FY07
2007/3
売上高
31,277億円
当期純利益
1,582億円
FY08
2008/3
売上高
34,177億円
当期純利益
1,019億円
FY09
2009/3
売上高
28,472億円
当期純利益
-1,258億円
FY10
2010/3
売上高
27,559億円
当期純利益
43億円
堺に液晶パネル工場を新設
堺市に太陽電池工場を新設
FY11
2011/3
売上高
30,219億円
当期純利益
194億円
FY12
2012/3
売上高
24,558億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-3,760億円
FY13
2013/3
売上高
24,785億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-5,453億円
過去最大の最終赤字転落
FY14
2014/3
売上高
29,271億円
親会社株主に帰属する当期純利益
115億円
FY15
2015/3
売上高
27,862億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,223億円
FY16
2016/3
売上高
24,615億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,559億円
希望退職者の募集
FY17
2017/3
売上高
20,506億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-248億円
組織再編
本社を堺市へ移転
本社を大阪市から堺市堺区へ移転した。鴻海傘下入り直前の組織再編の一環であった。
第三者割当増資を実施・財務改善
台湾の鴻海精密工業から出資を受けて経営再建に着手
FY18
2018/3
売上高
24,272億円
親会社株主に帰属する当期純利益
702億円
FY19
2019/3
売上高
23,947億円
親会社株主に帰属する当期純利益
640億円
東芝クライアントソリューションを子会社化(PC・Dynabook)
FY20
2020/3
売上高
22,622億円
親会社株主に帰属する当期純利益
137億円
FY21
2021/3
売上高
24,259億円
親会社株主に帰属する当期純利益
532億円
ジャパンディスプレイ白山工場を取得
企業買収
NECディスプレイソリューションズを子会社化
日本電気㈱の子会社NECディスプレイソリューションズ㈱を子会社化した(現シャープNECディスプレイソリューションズ)。BtoB向けディスプレイ事業を強化した。
FY22
2022/3
売上高
24,955億円
親会社株主に帰属する当期純利益
739億円
FY23
2023/3
売上高
25,481億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,608億円
FY24
2024/3
売上高
23,219億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,499億円
FY25
2025/3
売上高
21,601億円
親会社株主に帰属する当期純利益
360億円
希望退職者の募集
液晶パネルの販売不振により、2024年3月期にディスプレイデバイス事業において、832億円の赤字に転落。構造改革のために、主力生産拠点である堺工場の減産を決定し、2024年7月に希望退職者500名(退職者には24ヶ月分の賃金を支給)を募集した。
  1. 会社設立
    早川徳次氏が個人創業
    受託加工から自社製品メーカーへの転換を果たした創業期の分岐点
  2. 関東大震災で工場を消失
    全財産を失った震災が関西拠点のシャープを生んだ地理的起点
  3. 大阪市に早川金属工業所を設立
    ラジオの国産化と低価格戦略で金属加工業から電機メーカーへ転身
  4. 組織再編
    株式会社化(早川金属工業研究所を設立)

    資本金30万円で株式会社組織に改め、㈱早川金属工業研究所を設立した。個人企業から株式会社への転換を果たした。

  5. 組織再編
    早川電機工業へ改称

    早川金属工業㈱から早川電機工業㈱へ改称した。

  6. 大阪証券取引所に株式上場
  7. 業務提携
    RCAと技術提携・白黒テレビの生産開始
    先行参入で市場を切り開き大手に主導権を奪われる反復構造
  8. 総合家電メーカーを志向
    テレビ専業の限界が総合家電メーカーへの転換を強いた構造的必然
  9. 太陽電池の試作に成功
  10. 株式上場
    東京証券取引所に株式上場

    東京証券取引所に株式を上場した。大阪上場(1949年)に続く東京上場を果たした。

  11. トランジスタラジオの生産開始

    戦前のシャープは真空管ラジオで業容を拡大したが、戦後のトランジスタラジオについてはソニーに対して後発参入となった。1957年にトランジスタラジオ「TR-115」の生産を開始し、米国への輸出を本格化した。

  12. 海外進出
    米国にSharp Electronics Corporationを設立

    アメリカ(現ニュージャージー)にSharp Electronics Corporationを設立した。シャープとして初の海外現地法人となり、米国市場への本格参入の起点となった。

  13. 地区販売会社の設立
  14. 電子機卓上計算機CS-10Aを開発

    世界初のオールトランジスタによる電卓「CS-10A」を開発。重量は25kgであり販売価格は53万円。以後、シャープは半導体の開発を通じて電卓の小型化を志向した。

  15. 広島工場を新設

    輸出用のトランジスタラジオ量産のために、広島工場を新設。シャープとしては関西地区以外で初となる工場

  16. テレビ工場を新設(栃木県矢板市)
  17. 商号をシャープ株式会社に変更

    1970年に商号を早川電機工業から「シャープ」に変更。半導体などの新分野を本格展開することや、海外におけるブランド認知を高めることを目的とし、商号変更に踏み切った。商号変更の直後、1970年9月に創業者である早川徳次氏は社長を退任し、会長に就任。後任社長として佐伯旭氏が就任した。

  18. シャープ総合開発センターを新設(半導体の内製化)
    万博を見送り資本金の7割を半導体に賭けた異例の投資判断
  19. 大型冷蔵庫工場を新設(大阪府八尾市)
  20. 創業者の早川徳次氏が逝去
  21. 葛城事業所を新設(奈良県葛城市)
  22. 福山工場を新設

    半導体(IC)の量産のため、広島県福山市に福山工場を新設

  23. 液晶事業本部を発足

    電卓で培った液晶技術を応用して小型液晶の量産を開始。1986年には液晶部門を液晶事業部に格上げし、シャープとして本格的な事業展開を決定した。さらに、1990年には液晶事業本部に格上げされた。1990年代までの主な液晶の用途は電子機器における表示部品や、ゲーム機、カメラ向けのモニターなど。当時の技術水準ではテレビなどの大型パネル向けは実用化が難しく、液晶テレビの普及は2000年台まで待つ必要があった。

  24. 奈良第8工場を新設(複写機生産)
  25. 設備投資
    天理工場を新設(液晶パネル)

    奈良県天理市に液晶パネルの生産拠点として天理工場を建設した。後の液晶事業拡大の基盤となった。

  26. 設備投資
    三重工場を新設(液晶パネル)

    三重県多気町に液晶パネルの生産拠点として三重工場を建設した。亀山工場新設前の主要液晶拠点となった。

  27. 町田勝彦氏が社長就任・液晶テレビ宣言
    「液晶一点集中」宣言に見るシャープの先行参入戦略の再現と帰結
  28. 亀山工場を新設(大型液晶パネル)

    テレビ向けの大型液晶パネルを量産するため、三重県亀山に工場を新設。大型パネルでは、パナソニックによるプラズマ方式への投資(尼崎工場の新設)と、シャープへの液晶方式への投資(亀山工場の新設)という、2方式が競争を繰り広げた。いずれも巨額投資を伴ったため、国内の電機メーカーによる大型投資の競争として注目を集めた。

  29. 亀山第2工場を新設(大型液晶パネル)
  30. 堺に液晶パネル工場を新設
  31. 堺市に太陽電池工場を新設
  32. 過去最大の最終赤字転落
  33. 希望退職者の募集
  34. 組織再編
    本社を堺市へ移転

    本社を大阪市から堺市堺区へ移転した。鴻海傘下入り直前の組織再編の一環であった。

  35. 第三者割当増資を実施・財務改善

    台湾の鴻海精密工業から出資を受けて経営再建に着手

  36. 東芝クライアントソリューションを子会社化(PC・Dynabook)
  37. ジャパンディスプレイ白山工場を取得
  38. 企業買収
    NECディスプレイソリューションズを子会社化

    日本電気㈱の子会社NECディスプレイソリューションズ㈱を子会社化した(現シャープNECディスプレイソリューションズ)。BtoB向けディスプレイ事業を強化した。

  39. 希望退職者の募集

    液晶パネルの販売不振により、2024年3月期にディスプレイデバイス事業において、832億円の赤字に転落。構造改革のために、主力生産拠点である堺工場の減産を決定し、2024年7月に希望退職者500名(退職者には24ヶ月分の賃金を支給)を募集した。

歴史的証言

実業の世界(第三者評価)
テレビブームを見越して早くからテレビの増産体制をとっていた/管球類を自家生産しなかった早川電機に、一種の先見の明があった
月刊経済(第三者評価)
メーカーの名前を指定して買う向きが増えてきた。そして、ご指定の少ないメーカーを、少ない順に挙げてみると、早川電機・八欧電機・三洋電機
シャープ社内(神戸工業出身者)
虎は死して皮を残す。神戸工業は死してシャープを残す
佐々木正(元副社長)
学界の大勢はバイポーラでしたし、モスは製品の歩留まりが悪い。そこでどの社もモスICの生産には乗り気でなかった。しかし、私はモスICの将来性に確信を持っていました
業界関係者(第三者評価)
シャープは半導体投資でつぶれる
シャープ経営陣
半導体需要がこれほど大きくなるとは思っていなかったが、エレクトロニクス化の流れ自体は間違いないと信じていたので、不安はなかった。3年から5年は苦労するのは仕方がない
辻晴雄(元社長)
1985年以降の急激な円高で、日本の賃金水準は世界最高になっています。もう日本では労働集約型のモノ作りは難しい/本当にコアになると思うモノは絶対自分でやらないといかん。それがうちの場合、TFT方式液晶であり、半導体レーザー、発光ダイオードなどだった
日経ビジネス(第三者評価)
かつては安売りブランドの代名詞で、企業イメージはせいぜい1.5流だったシャープが大変身している/経常利益率ではソニーや松下電器さえ上回るなど、一流企業に迫るところまできた
町田勝彦(元社長)
ラジオもテレビも元はといえばシャープ創業の早川徳次さんが開発に成功した商品だ。しかし、その後、量産化、販売力でことごとく松下(電産)さんにもっていかれた/最も考えたのが『松下に抜かれないものを作ろう』ということだった
町田勝彦(元社長)
やはりデジタル家電というのは、規格の標準化という流れに乗ってくる/ひょっとしたら液晶テレビというのはそんなに儲からない事業になるのではないか/最悪の場合、液晶テレビの収益率が悪い時代が来るかもしれない、それは覚悟しとけと言ってます

参考文献・出所

有価証券報告書
実業の世界 1959/6
月刊経済 1964/10
トップ・ブランドなき一流企業の全力疾走 1984/12
日経ビジネス 1975/4/14
日経ビジネス 1981/1/12
日経ビジネス 1991/8/19
日経ビジネス 1993/4/19
週刊東洋経済 2004/3/27
読売新聞大阪 2012/9/15
日経ビジネス 2019/6