沿革年表 1912〜2026年における重要度別の出来事(合計41件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
早川徳次氏が個人創業
歴史的意義yutaka sugiura
シャープの創業で注目すべきは、金属加工の受託業者が自社製品メーカーへと転換した経緯にある。文具メーカーからの開発依頼をきっかけにシャープペンシルを独自開発し、受注生産から自社ブランド製品の製造へ移行した。この転換がなければ、早川の事業は零細な金属加工業にとどまっていた可能性が高い。外部からの依頼を契機に事業の方向性を定めるという構造は、後のテレビや液晶への参入にも通じるシャープの事業展開パターンの原型といえる。
1912
1-12月
重要事項
関東大震災で工場を消失
歴史的意義yutaka sugiura
関東大震災で妻子・工場・特許のすべてを失った早川徳次が、大阪に転居して再起を図ったことが、シャープが関西を拠点とする電機メーカーとなる地理的な起点となった。借入金の返済不能からシャープペンシルの特許まで無償譲渡するに至った経緯は、創業者が築いた事業基盤がいかに脆弱であったかを示している。災害によって事業の地理的基盤が移動し、企業の性格そのものが変わるという構造は、日本の産業史においても稀な事例である。
1923
1-12月
重要事項
大阪市に早川金属工業所を設立
歴史的意義yutaka sugiura
シャープの事業転換で注目すべきは、輸入品を分解して国産化し、半額以下の価格で販売するという手法にある。鉱石ラジオでも真空管ラジオでも同じパターンを繰り返し、コスト競争力で市場を獲得した。この「新技術の国産化+低価格戦略」は、後のテレビや電卓への参入でも踏襲される。シャープの事業展開の原型が、創業からわずか数年で確立されていた点は興味深い。
1924
1-12月
組織再編
株式会社化(早川金属工業研究所を設立)
資本金30万円で株式会社組織に改め、㈱早川金属工業研究所を設立した。個人企業から株式会社への転換を果たした。
1935
1-12月
組織再編
早川電機工業へ改称
早川金属工業㈱から早川電機工業㈱へ改称した。
1942
1-12月
大阪証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
業務提携
RCAと技術提携・白黒テレビの生産開始
歴史的意義yutaka sugiura
シャープのテレビ参入は、ラジオと同じ「海外技術の導入→国産化→低価格量産」という手法で市場を先行開拓した事例である。4年連続でシェア1位を確保しながら、松下電器や日立の本格参入により短期間で優位性を失った。先行参入で市場を創造しつつも、大手メーカーの規模の経済に押されるという構造は、後の液晶テレビ市場でも再現される。シャープの事業史を貫く「先駆者のジレンマ」がこの時期にすでに表れている。
FY53
1953/3
総合家電メーカーを志向
歴史的意義yutaka sugiura
シャープの総合家電化は、テレビ市場での競争劣位と系列販売店の経営維持という二つの課題に迫られた結果であった。テレビ単品では松下電器に対抗できず、販売店もテレビだけでは経営が成り立たない。製品ラインの拡充は自社の成長戦略であると同時に、販売網を維持するための構造的な必然であった。3年間で3工場を新設するという急速な投資判断には、テレビのシェア陥落への危機感が如実に表れている。
FY55
1955/3
太陽電池の試作に成功
株式上場
東京証券取引所に株式上場
東京証券取引所に株式を上場した。大阪上場(1949年)に続く東京上場を果たした。
FY56
1956/3
トランジスタラジオの生産開始
戦前のシャープは真空管ラジオで業容を拡大したが、戦後のトランジスタラジオについてはソニーに対して後発参入となった。1957年にトランジスタラジオ「TR-115」の生産を開始し、米国への輸出を本格化した。
FY57
1957/3
FY59
1959/3
売上高
127.1億円
当期純利益
18.5億円
FY60
1960/3
売上高
203億円
当期純利益
24億円
FY61
1961/3
売上高
210億円
当期純利益
24億円
FY62
1962/3
売上高
253億円
当期純利益
27億円
海外進出
米国にSharp Electronics Corporationを設立
アメリカ(現ニュージャージー)にSharp Electronics Corporationを設立した。シャープとして初の海外現地法人となり、米国市場への本格参入の起点となった。
FY63
1963/3
売上高
314億円
当期純利益
28億円
地区販売会社の設立
FY64
1964/3
売上高
342億円
当期純利益
20億円
電子機卓上計算機CS-10Aを開発
世界初のオールトランジスタによる電卓「CS-10A」を開発。重量は25kgであり販売価格は53万円。以後、シャープは半導体の開発を通じて電卓の小型化を志向した。
FY65
1965/3
売上高
301億円
当期純利益
8億円
FY66
1966/3
売上高
292億円
当期純利益
9億円
FY67
1967/3
売上高
420億円
当期純利益
16億円
広島工場を新設
輸出用のトランジスタラジオ量産のために、広島工場を新設。シャープとしては関西地区以外で初となる工場
FY68
1968/3
売上高
567億円
当期純利益
32億円
テレビ工場を新設(栃木県矢板市)
FY69
1969/3
売上高
883億円
当期純利益
44億円
商号をシャープ株式会社に変更
1970年に商号を早川電機工業から「シャープ」に変更。半導体などの新分野を本格展開することや、海外におけるブランド認知を高めることを目的とし、商号変更に踏み切った。商号変更の直後、1970年9月に創業者である早川徳次氏は社長を退任し、会長に就任。後任社長として佐伯旭氏が就任した。
FY70
1970/3
売上高
1,207億円
当期純利益
52億円
シャープ総合開発センターを新設(半導体の内製化)
歴史的意義yutaka sugiura
シャープの半導体内製化は、電卓の部品調達で直面した外部依存の限界から生まれた判断であった。資本金105億円の企業が75億円を研究開発施設に投じるという決断は、リスクの大きさにおいて異例である。大阪万博への出展を見送ってまで研究開発に資源を集中したことで、シャープは家電の組立メーカーから半導体を内製するデバイスメーカーへと性格を変えた。後の液晶技術の基盤もこの投資から生まれている。
FY71
1971/3
売上高
1,491億円
当期純利益
61億円
FY72
1972/3
売上高
1,341億円
当期純利益
29億円
FY73
1973/3
売上高
1,438億円
当期純利益
26億円
重要事項新規事業
世界初の液晶電卓EL-805を発売
COS(Crystal on Silicon)技術で電卓を大幅に薄型化。電卓の価格競争から半導体・液晶という独自デバイスへ軸足を移す転機となった。
経営判断をよむ →
FY74
1974/3
売上高
1,644億円
当期純利益
33億円
FY75
1975/3
売上高
1,902億円
当期純利益
26億円
FY76
1976/3
売上高
2,018億円
当期純利益
27億円
FY77
1977/3
売上高
2,850億円
当期純利益
58億円
FY78
1978/3
売上高
3,008億円
当期純利益
74億円
大型冷蔵庫工場を新設(大阪府八尾市)
FY79
1979/3
売上高
3,396億円
当期純利益
86億円
創業者の早川徳次氏が逝去
FY80
1980/3
売上高
3,952億円
当期純利益
125億円
葛城事業所を新設(奈良県葛城市)
FY81
1981/3
売上高
5,014億円
当期純利益
163億円
FY82
1982/3
売上高
5,801億円
当期純利益
204億円
FY83
1983/3
売上高
6,493億円
当期純利益
264億円
FY84
1984/3
売上高
7,566億円
当期純利益
291億円
福山工場を新設
半導体(IC)の量産のため、広島県福山市に福山工場を新設
FY85
1985/3
売上高
9,096億円
当期純利益
339億円
液晶事業本部を発足
電卓で培った液晶技術を応用して小型液晶の量産を開始。1986年には液晶部門を液晶事業部に格上げし、シャープとして本格的な事業展開を決定した。さらに、1990年には液晶事業本部に格上げされた。1990年代までの主な液晶の用途は電子機器における表示部品や、ゲーム機、カメラ向けのモニターなど。当時の技術水準ではテレビなどの大型パネル向けは実用化が難しく、液晶テレビの普及は2000年台まで待つ必要があった。
FY90
1990/3
奈良第8工場を新設(複写機生産)
設備投資
天理工場を新設(液晶パネル)
奈良県天理市に液晶パネルの生産拠点として天理工場を建設した。後の液晶事業拡大の基盤となった。
FY91
1991/3
FY92
1992/3
売上高
15,549億円
当期純利益
390億円
FY93
1993/3
売上高
15,083億円
当期純利益
296億円
FY94
1994/3
売上高
15,180億円
当期純利益
317億円
FY95
1995/3
売上高
16,176億円
当期純利益
445億円
設備投資
三重工場を新設(液晶パネル)
三重県多気町に液晶パネルの生産拠点として三重工場を建設した。亀山工場新設前の主要液晶拠点となった。
FY96
1996/3
売上高
16,507億円
当期純利益
463億円
町田勝彦
FY97
1997/3
売上高
17,905億円
当期純利益
485億円
重要事項
町田勝彦
町田勝彦氏が社長就任・液晶テレビ宣言
歴史的意義yutaka sugiura
町田社長の液晶テレビ宣言は、ラジオやテレビで繰り返されてきた「新技術への先行参入」というシャープの事業パターンの再現であった。有機EL・プラズマ・液晶の3方式が競合する中で液晶への一点集中を打ち出し、AQUOSブランドで市場を先行開拓した。しかし、先行参入で市場を創造しながら大手の追随で主導権を失うという構造もまた再現されることになる。この宣言は、シャープの強みと弱みの双方を凝縮した経営判断であった。
FY98
1998/3
売上高
17,905億円
当期純利益
247億円
町田勝彦
FY99
1999/3
売上高
17,455億円
当期純利益
46億円
町田勝彦
FY00
2000/3
売上高
18,547億円
当期純利益
281億円
町田勝彦
FY01
2001/3
売上高
20,128億円
親会社株主に帰属する当期純利益
385億円
町田勝彦
FY02
2002/3
売上高
18,037億円
親会社株主に帰属する当期純利益
113億円
町田勝彦
FY03
2003/3
売上高
20,032億円
親会社株主に帰属する当期純利益
325億円
重要事項
町田勝彦
亀山工場を新設(大型液晶パネル)
テレビ向けの大型液晶パネルを量産するため、三重県亀山に工場を新設。大型パネルでは、パナソニックによるプラズマ方式への投資(尼崎工場の新設)と、シャープへの液晶方式への投資(亀山工場の新設)という、2方式が競争を繰り広げた。いずれも巨額投資を伴ったため、国内の電機メーカーによる大型投資の競争として注目を集めた。
経営判断をよむ →
FY04
2004/3
売上高
22,572億円
親会社株主に帰属する当期純利益
607億円
亀山第2工場を新設(大型液晶パネル)
町田勝彦
FY05
2005/3
売上高
25,398億円
親会社株主に帰属する当期純利益
768億円
片山幹雄
FY06
2006/3
売上高
27,971億円
親会社株主に帰属する当期純利益
886億円
片山幹雄
FY07
2007/3
売上高
31,277億円
当期純利益
1,582億円
片山幹雄
FY08
2008/3
売上高
34,177億円
当期純利益
1,019億円
片山幹雄
FY09
2009/3
売上高
28,472億円
当期純利益
-1,258億円
重要事項設備投資
片山幹雄
堺に液晶パネル工場を新設
経営判断をよむ →
FY10
2010/3
売上高
27,559億円
当期純利益
43億円
堺市に太陽電池工場を新設
奥田隆司
FY11
2011/3
売上高
30,219億円
当期純利益
194億円
髙橋興三
FY12
2012/3
売上高
24,558億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-3,760億円
髙橋興三
過去最大の最終赤字転落
FY13
2013/3
売上高
24,785億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-5,453億円
髙橋興三
FY14
2014/3
売上高
29,271億円
親会社株主に帰属する当期純利益
115億円
髙橋興三
FY15
2015/3
売上高
27,862億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,223億円
戴正呉
希望退職者の募集
FY16
2016/3
売上高
24,615億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,559億円
組織再編
戴正呉
本社を堺市へ移転
本社を大阪市から堺市堺区へ移転した。鴻海傘下入り直前の組織再編の一環であった。
FY17
2017/3
売上高
20,506億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-248億円
重要事項
第三者割当増資を実施・財務改善
台湾の鴻海精密工業から出資を受けて経営再建に着手
経営判断をよむ →
戴正呉
FY18
2018/3
売上高
24,272億円
親会社株主に帰属する当期純利益
702億円
戴正呉
東芝クライアントソリューションを子会社化(PC・Dynabook)
FY19
2019/3
売上高
23,947億円
親会社株主に帰属する当期純利益
640億円
戴正呉
FY20
2020/3
売上高
22,622億円
親会社株主に帰属する当期純利益
137億円
呉柏勲
ジャパンディスプレイ白山工場を取得
FY21
2021/3
売上高
24,259億円
親会社株主に帰属する当期純利益
532億円
企業買収
NECディスプレイソリューションズを子会社化
日本電気㈱の子会社NECディスプレイソリューションズ㈱を子会社化した(現シャープNECディスプレイソリューションズ)。BtoB向けディスプレイ事業を強化した。
呉柏勲
FY22
2022/3
売上高
24,955億円
親会社株主に帰属する当期純利益
739億円
沖津雅浩
FY23
2023/3
売上高
25,481億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-2,608億円
沖津雅浩
FY24
2024/3
売上高
23,219億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,499億円
重要事項事業売却
沖津雅浩
堺SDPの大型液晶パネル生産停止を発表し大型液晶事業から撤退
テレビ用大型液晶を生産する堺ディスプレイプロダクト(堺SDP)の生産停止と「デバイス事業のアセットライト化」を2024年5月14日に発表。8月に堺の量産を終え、国内のテレビ用液晶量産拠点が消えた。堺の用地はソフトバンク等のAIデータセンターへ転用され、亀山第2工場も2026年8月を目途に停止する。
経営判断をよむ →
FY25
2025/3
売上高
21,601億円
親会社株主に帰属する当期純利益
360億円
希望退職者の募集
液晶パネルの販売不振により、2024年3月期にディスプレイデバイス事業において、832億円の赤字に転落。構造改革のために、主力生産拠点である堺工場の減産を決定し、2024年7月に希望退職者500名(退職者には24ヶ月分の賃金を支給)を募集した。
FY26
2026/3
売上高
18,928億円
親会社株主に帰属する当期純利益
474億円
  1. 会社設立
    早川徳次氏が個人創業
    シャープの創業で注目すべきは、金属加工の受託業者が自社製品メーカーへと転換した経緯にある。文具メーカーからの開発依頼をきっかけにシャープペンシルを独自開発し、受注生産から自社ブランド製品の製造へ移行した。この転換がなければ、早川の事業は零細な金属加工業にとどまっていた可能性が高い。外部からの依頼を契機に事業の方向性を定めるという構造は、後のテレビや液晶への参入にも通じるシャープの事業展開パターンの原型といえる。
  2. 関東大震災で工場を消失
    関東大震災で妻子・工場・特許のすべてを失った早川徳次が、大阪に転居して再起を図ったことが、シャープが関西を拠点とする電機メーカーとなる地理的な起点となった。借入金の返済不能からシャープペンシルの特許まで無償譲渡するに至った経緯は、創業者が築いた事業基盤がいかに脆弱であったかを示している。災害によって事業の地理的基盤が移動し、企業の性格そのものが変わるという構造は、日本の産業史においても稀な事例である。
  3. 大阪市に早川金属工業所を設立
    シャープの事業転換で注目すべきは、輸入品を分解して国産化し、半額以下の価格で販売するという手法にある。鉱石ラジオでも真空管ラジオでも同じパターンを繰り返し、コスト競争力で市場を獲得した。この「新技術の国産化+低価格戦略」は、後のテレビや電卓への参入でも踏襲される。シャープの事業展開の原型が、創業からわずか数年で確立されていた点は興味深い。
  4. 組織再編
    株式会社化(早川金属工業研究所を設立)

    資本金30万円で株式会社組織に改め、㈱早川金属工業研究所を設立した。個人企業から株式会社への転換を果たした。

  5. 組織再編
    早川電機工業へ改称

    早川金属工業㈱から早川電機工業㈱へ改称した。

  6. 大阪証券取引所に株式上場
  7. 業務提携
    RCAと技術提携・白黒テレビの生産開始
    シャープのテレビ参入は、ラジオと同じ「海外技術の導入→国産化→低価格量産」という手法で市場を先行開拓した事例である。4年連続でシェア1位を確保しながら、松下電器や日立の本格参入により短期間で優位性を失った。先行参入で市場を創造しつつも、大手メーカーの規模の経済に押されるという構造は、後の液晶テレビ市場でも再現される。シャープの事業史を貫く「先駆者のジレンマ」がこの時期にすでに表れている。
  8. 総合家電メーカーを志向
    シャープの総合家電化は、テレビ市場での競争劣位と系列販売店の経営維持という二つの課題に迫られた結果であった。テレビ単品では松下電器に対抗できず、販売店もテレビだけでは経営が成り立たない。製品ラインの拡充は自社の成長戦略であると同時に、販売網を維持するための構造的な必然であった。3年間で3工場を新設するという急速な投資判断には、テレビのシェア陥落への危機感が如実に表れている。
  9. 太陽電池の試作に成功
  10. 株式上場
    東京証券取引所に株式上場

    東京証券取引所に株式を上場した。大阪上場(1949年)に続く東京上場を果たした。

  11. トランジスタラジオの生産開始

    戦前のシャープは真空管ラジオで業容を拡大したが、戦後のトランジスタラジオについてはソニーに対して後発参入となった。1957年にトランジスタラジオ「TR-115」の生産を開始し、米国への輸出を本格化した。

  12. 海外進出
    米国にSharp Electronics Corporationを設立

    アメリカ(現ニュージャージー)にSharp Electronics Corporationを設立した。シャープとして初の海外現地法人となり、米国市場への本格参入の起点となった。

  13. 地区販売会社の設立
  14. 電子機卓上計算機CS-10Aを開発

    世界初のオールトランジスタによる電卓「CS-10A」を開発。重量は25kgであり販売価格は53万円。以後、シャープは半導体の開発を通じて電卓の小型化を志向した。

  15. 広島工場を新設

    輸出用のトランジスタラジオ量産のために、広島工場を新設。シャープとしては関西地区以外で初となる工場

  16. テレビ工場を新設(栃木県矢板市)
  17. 商号をシャープ株式会社に変更

    1970年に商号を早川電機工業から「シャープ」に変更。半導体などの新分野を本格展開することや、海外におけるブランド認知を高めることを目的とし、商号変更に踏み切った。商号変更の直後、1970年9月に創業者である早川徳次氏は社長を退任し、会長に就任。後任社長として佐伯旭氏が就任した。

  18. シャープ総合開発センターを新設(半導体の内製化)
    シャープの半導体内製化は、電卓の部品調達で直面した外部依存の限界から生まれた判断であった。資本金105億円の企業が75億円を研究開発施設に投じるという決断は、リスクの大きさにおいて異例である。大阪万博への出展を見送ってまで研究開発に資源を集中したことで、シャープは家電の組立メーカーから半導体を内製するデバイスメーカーへと性格を変えた。後の液晶技術の基盤もこの投資から生まれている。
  19. 大型冷蔵庫工場を新設(大阪府八尾市)
  20. 創業者の早川徳次氏が逝去
  21. 葛城事業所を新設(奈良県葛城市)
  22. 福山工場を新設

    半導体(IC)の量産のため、広島県福山市に福山工場を新設

  23. 液晶事業本部を発足

    電卓で培った液晶技術を応用して小型液晶の量産を開始。1986年には液晶部門を液晶事業部に格上げし、シャープとして本格的な事業展開を決定した。さらに、1990年には液晶事業本部に格上げされた。1990年代までの主な液晶の用途は電子機器における表示部品や、ゲーム機、カメラ向けのモニターなど。当時の技術水準ではテレビなどの大型パネル向けは実用化が難しく、液晶テレビの普及は2000年台まで待つ必要があった。

  24. 奈良第8工場を新設(複写機生産)
  25. 設備投資
    天理工場を新設(液晶パネル)

    奈良県天理市に液晶パネルの生産拠点として天理工場を建設した。後の液晶事業拡大の基盤となった。

  26. 設備投資
    三重工場を新設(液晶パネル)

    三重県多気町に液晶パネルの生産拠点として三重工場を建設した。亀山工場新設前の主要液晶拠点となった。

  27. 町田勝彦氏が社長就任・液晶テレビ宣言
    町田社長の液晶テレビ宣言は、ラジオやテレビで繰り返されてきた「新技術への先行参入」というシャープの事業パターンの再現であった。有機EL・プラズマ・液晶の3方式が競合する中で液晶への一点集中を打ち出し、AQUOSブランドで市場を先行開拓した。しかし、先行参入で市場を創造しながら大手の追随で主導権を失うという構造もまた再現されることになる。この宣言は、シャープの強みと弱みの双方を凝縮した経営判断であった。
  28. 亀山第2工場を新設(大型液晶パネル)
  29. 堺市に太陽電池工場を新設
  30. 過去最大の最終赤字転落
  31. 希望退職者の募集
  32. 組織再編
    本社を堺市へ移転

    本社を大阪市から堺市堺区へ移転した。鴻海傘下入り直前の組織再編の一環であった。

  33. 東芝クライアントソリューションを子会社化(PC・Dynabook)
  34. ジャパンディスプレイ白山工場を取得
  35. 企業買収
    NECディスプレイソリューションズを子会社化

    日本電気㈱の子会社NECディスプレイソリューションズ㈱を子会社化した(現シャープNECディスプレイソリューションズ)。BtoB向けディスプレイ事業を強化した。

  36. 希望退職者の募集

    液晶パネルの販売不振により、2024年3月期にディスプレイデバイス事業において、832億円の赤字に転落。構造改革のために、主力生産拠点である堺工場の減産を決定し、2024年7月に希望退職者500名(退職者には24ヶ月分の賃金を支給)を募集した。