日本特殊陶業の沿革(1936〜2024年)

日本特殊陶業の創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1936
1-12月
日本特殊陶業株式会社を設立
碍子由来のセラミック焼成技術と輸入途絶が生んだ国産独占の原型
1945
1-12月
終戦により2000名を解雇
戦時中を通じて航空機向け点火プラグを製造して軍需に対応。1945年3月時点で従業員数2,887名の規模に発展した。 しかし1945年に終戦を迎えると、日本特殊陶業は人員整理を決定。従業員数約200名が残り、約2600名の人員を解雇した。
FY50
1950/3
東京証券取引所に株式上場
FY52
1952/3
売上高
3.97億円
FY53
1953/3
売上高
4.8億円
FY54
1954/3
売上高
8.14億円
FY55
1955/3
売上高
7.38億円
FY56
1956/3
売上高
8.05億円
スパークプラグの生産改善
1956年に日本特殊陶業の経営陣が米国の大手プラグメーカーを視察。これらの海外メーカーの工場における生産性が優れており、その理由を工程全体に新鋭機械を導入している点にあると判断した。これは、スパークプラグはグローバル規格品(少品種)かつ量産品(1959年当時・単価190円)であり、生産工程の合理化メリットの効果が大きいためであった。 そこで、日本特殊窯業では、部分的な機械化ではなく生産工程全体における機械化を遂行。この結果、既存工場における生産能率を2倍に改善した。
FY57
1957/3
売上高
11.16億円
当期純利益
1.64億円
FY58
1958/3
売上高
10.87億円
当期純利益
1.35億円
FY59
1959/3
売上高
9.76億円
当期純利益
1.03億円
ブラジルで点火プラグの現地生産を開始
1950年代後半、ブラジル政府は自動車産業の国産化政策の一環として部品メーカーの現地進出を推進しており、日本特殊陶業に対しても工場誘致の依頼があった。点火プラグには国際規格が存在し、車種やメーカーごとに品種が異ならないため、現地でGM・フォルクスワーゲン・シムカなど欧米系メーカーの需要を取り込める見通しがあった。規格品であるがゆえに特定の顧客に依存せず、ブラジルで生産される自動車全般に供給可能という事業構造が、海外進出の判断を後押しした。 日本特殊陶業は100%出資の現地法人を設立し、1959年にブラジルでの点火プラグ生産を開始した。結果は好調で、1966年時点で組付用シェア80%・補修用シェア40%を確保するに至った。ただし、ブラジル政府は配当金の国外送金を禁止する措置を講じており、現地法人の利益を日本本社に還元することはできなかった。このため、収益はブラジル国内での再投資に充てられ、日本特殊陶業にとっては市場支配力を得ながらも資金回収が制約される構造であった。国際規格品の強みで市場を席巻しつつ、配当禁止という制度的制約に縛られた海外展開の初期事例となった。
国際規格品の強みと配当禁止が併存したブラジル進出の構造
FY60
1960/3
売上高
14.39億円
当期純利益
1.52億円
FY61
1961/3
売上高
20.31億円
当期純利益
2.23億円
FY62
1962/3
売上高
23.83億円
当期純利益
3.02億円
小牧工場を新設・プラグ増産体制へ
1960年代に入り、日本国内では乗用車の普及が急速に進んだ。自動車の保有台数が増加するにつれ、消耗品である点火プラグの需要も比例的に拡大し、既存の生産能力では対応が困難になりつつあった。1956年の米国視察で工場全体の機械化による生産性向上を実現していた日本特殊陶業にとって、次の課題は生産設備そのものの物理的な拡張であった。国内シェア70%超を維持するためには、需要増加のスピードに見合う量産体制の構築が不可欠であった。 1960年に日本特殊陶業は小牧市内で9万平方メートルの工場用地を取得し、1961年に小牧工場を新設した。以後、1966年の第2工場から1975年の第10工場まで、約10年間にわたって増設を続けた。製造対象はスパークプラグに限らず、セラミック・電子部品・切削工具と多岐にわたり、小牧工場は日本特殊陶業の製造拠点として中核的な役割を担った。1969年には隣接地2.9万平方メートルを追加取得し、1970年代には敷地面積が14.7万平方メートルに達している。10年間で10棟を建設するという継続的な投資は、モータリゼーション期の需要拡大を逃さず取り込む体制構築であった。
10年で10棟の継続投資が需要拡大を取り込んだ設備戦略
FY63
1963/3
売上高
26.82億円
当期純利益
3.11億円
FY64
1964/3
売上高
33.09億円
当期純利益
3.27億円
FY65
1965/3
売上高
35.71億円
当期純利益
3.32億円
FY66
1966/3
売上高
38.03億円
当期純利益
3.5億円
点火プラグで国内シェア70%を確保・補修用で高収益
1966年時点の点火プラグの国内生産量ベースで、日本特殊陶業はシェア70%を確保した。競合はデンソー(ボッシュと技術提携)および日立製作所であったが、日本特殊陶業が国内生産を独占する構図であった。陶器の焼成に高度な生産技術が必要なため、参入企業が限られる事業であった。 業績面でも高収益を確保。完成車メーカー向けの点火プラグに加えて、補修用(スパークプラグは消耗品の側面がある)の点火プラグも全国に販売網を形成して対応。特に補修用は完成車用に比べて「メーカーから価格圧力」が少ないため、高収益を確保する原動力になったと推定される。
FY67
1967/3
米国に現地法人を設立
補修用点火プラグの販売拡大のため、米国ロサンゼルスにて「米国NGK」を設立。現地ディーラーの開拓を開始
FY68
1968/3
セラミックICパッケージの製造販売を開始
1960年代に半導体の集積回路が普及し始めると、ICチップを収納するパッケージ素材としてセラミックが台頭した。日本特殊陶業は点火プラグの主原料であるアルミナの焼成技術を保有しており、同じアルミナを素材とするICパッケージへの転用が技術的に可能であった。1962年に社内で半導体セラミック部門を新設し、研究開発を開始している。ただし、同じくアルミナ加工に強みを持つ京セラがセラミックICパッケージで先行しており、日本特殊陶業は後発参入であった。 1967年にセラミックICパッケージの製造販売を開始し、半導体の需要拡大に伴って売上を伸ばした。自動車向け点火プラグに加えて半導体向けパッケージという第二の事業柱を構築したことで、日本特殊陶業の全社売上は拡大基調を維持した。1993年時点の世界シェアは2位の30%で、世界シェア1位の京セラ(60%)に追随する構図であった。アルミナの焼成という共通技術基盤から自動車と半導体の二つの市場に展開した点が、日本特殊陶業の事業ポートフォリオの特徴であった。
アルミナ焼成を軸に自動車と半導体へ展開した多角化の構造
FY70
1970/3
売上高
104億円
FY71
1971/3
売上高
130億円
FY72
1972/3
売上高
135億円
スーパープラグの値上げ実施
1958年時点でスパークプラグ1個あたり190円の価格設定をしていたが、1970年4月から新製品「NGKスーパー」については250円に設定。1972年1月からは全品において250円に改定した。その後、オイルショックによる物価高騰により、1975年6月には360円に改定。
FY73
1973/3
売上高
151億円
東南アジアでの現地生産を本格化
FY74
1974/3
売上高
199億円
FY75
1975/3
売上高
219億円
FY76
1976/3
売上高
227億円
当期純利益
10億円
欧・米・豪で販売拠点を拡充
FY77
1977/3
売上高
282億円
当期純利益
17億円
FY78
1978/3
売上高
321億円
当期純利益
21億円
FY79
1979/3
売上高
355億円
当期純利益
20億円
FY80
1980/3
売上高
435億円
当期純利益
22億円
FY81
1981/3
売上高
498億円
当期純利益
21億円
FY82
1982/3
売上高
548億円
当期純利益
23億円
自動車向け酸素センターに参入
1982年に日本特殊陶業は、自動車の排ガス濃度を検出する装置「酸素センサー」の製造販売を開始。排ガス規制によるニーズ増加に対応した。 ただし、1975年にデンソーが酸素センサーに参入して先発していたため、日本特殊陶業は後発に相当した。このため、点火プラグで培った販路を活用し、米国など海外での販売(輸出)に注力した。1985年には米フォード、1986年にはクライスラー向けに酸素センサーの大量納入を実現したことで、酸素センサーは国内ではなく北米向けに展開した。
FY83
1983/3
売上高
590億円
当期純利益
24億円
FY84
1984/3
売上高
660億円
当期純利益
25億円
FY85
1985/3
売上高
810億円
当期純利益
45億円
FY88
1988/3
売上高
864億円
当期純利益
39億円
FY89
1989/3
売上高
930億円
当期純利益
46億円
FY90
1990/3
売上高
1,059億円
当期純利益
53億円
先進国での現地生産を本格化
FY91
1991/3
売上高
1,073億円
当期純利益
48億円
FY92
1992/3
売上高
1,105億円
当期純利益
38億円
FY96
1996/3
売上高
1,578億円
当期純利益
50億円
FY97
1997/3
売上高
1,797億円
当期純利益
86億円
FY98
1998/3
売上高
1,715億円
当期純利益
76億円
インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化
1990年代を通じてCPU・MPU向けパッケージ素材において、樹脂製(プラスチック)の価格低下が進行し、セラミックからの素材転換が現実味を帯びた。1996年にインテルが半導体パッケージの素材を従来のセラミックからプラスチックに切り替える決定を下し、供給元をイビデンとした。この決定は、1960年代から約30年続いたセラミック製パッケージの前提が崩れることを意味し、京セラと日本特殊陶業のセラミック勢にとって市場の構造的な変質であった。 日本特殊陶業はプラスチックパッケージに対応するため、1998年にインテル向けの量産体制を確立した。1998年6月時点で月産20万個、1999年初には月産160万個へと急速に生産規模を拡大している。しかし、プラスチックパッケージではイビデンが先発しており、日本特殊陶業はセラミックに続いて再び後発参入となった。素材転換という不可逆的な変化に対して量産体制の構築で追随したものの、先発者との競争構造は容易には覆らず、セラミック時代に築いた地位をプラスチック時代にそのまま移行できたわけではなかった。
素材転換への対応を迫られたセラミック勢の構造的後手
FY99
1999/3
売上高
1,887億円
当期純利益
54億円
FY00
2000/3
売上高
1,955億円
当期純利益
65億円
FY01
2001/3
売上高
2,242億円
当期純利益
130億円
FY02
2002/3
売上高
2,214億円
当期純利益
48億円
FY03
2003/3
売上高
2,289億円
当期純利益
73億円
FY04
2004/3
売上高
2,287億円
当期純利益
111億円
アジアでの生産増強
FY05
2005/3
売上高
2,411億円
当期純利益
171億円
FY06
2006/3
売上高
2,848億円
当期純利益
251億円
FY07
2007/3
売上高
3,448億円
当期純利益
340億円
半導体向けパッケージの増産・小牧工場で増産計画
FY08
2008/3
売上高
3,455億円
当期純利益
221億円
FY09
2009/3
売上高
2,921億円
当期純利益
-716億円
最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編
素材転換を10年放置した末にリーマンが引いた撤退の引き金
FY10
2010/3
売上高
2,439億円
当期純利益
135億円
FY11
2011/3
売上高
2,692億円
当期純利益
236億円
FY12
2012/3
売上高
2,847億円
当期純利益
255億円
FY13
2013/3
売上高
3,027億円
当期純利益
209億円
FY14
2014/3
売上高
3,297億円
当期純利益
327億円
スパークプラグ10億本生産計画を公表
半導体で衰退し点火プラグで障壁たり得たセラミック技術の非対称
FY15
2015/3
売上高
3,476億円
当期純利益
367億円
FY16
2016/3
売上高
3,832億円
当期純利益
308億円
FY17
2017/3
売上高
3,729億円
当期純利益
256億円
FY18
2018/3
売上高
4,099億円
当期純利益
443億円
FY19
2019/3
売上高
4,250億円
当期純利益
428億円
FY20
2020/3
売上収益
4,260億円
当期利益
336億円
FY21
2021/3
売上収益
4,275億円
当期利益
383億円
FY22
2022/3
売上収益
4,917億円
当期利益
602億円
FY23
2023/3
売上収益
5,625億円
当期利益
662億円
FY24
2024/3
売上収益
6,144億円
当期利益
826億円
英文商号をNittera Co., Ltd.に変更
過去最高益を達成
  1. 日本特殊陶業株式会社を設立
    碍子由来のセラミック焼成技術と輸入途絶が生んだ国産独占の原型
  2. 終戦により2000名を解雇

    戦時中を通じて航空機向け点火プラグを製造して軍需に対応。1945年3月時点で従業員数2,887名の規模に発展した。 しかし1945年に終戦を迎えると、日本特殊陶業は人員整理を決定。従業員数約200名が残り、約2600名の人員を解雇した。

  3. 東京証券取引所に株式上場
  4. スパークプラグの生産改善

    1956年に日本特殊陶業の経営陣が米国の大手プラグメーカーを視察。これらの海外メーカーの工場における生産性が優れており、その理由を工程全体に新鋭機械を導入している点にあると判断した。これは、スパークプラグはグローバル規格品(少品種)かつ量産品(1959年当時・単価190円)であり、生産工程の合理化メリットの効果が大きいためであった。 そこで、日本特殊窯業では、部分的な機械化ではなく生産工程全体における機械化を遂行。この結果、既存工場における生産能率を2倍に改善した。

  5. ブラジルで点火プラグの現地生産を開始

    1950年代後半、ブラジル政府は自動車産業の国産化政策の一環として部品メーカーの現地進出を推進しており、日本特殊陶業に対しても工場誘致の依頼があった。点火プラグには国際規格が存在し、車種やメーカーごとに品種が異ならないため、現地でGM・フォルクスワーゲン・シムカなど欧米系メーカーの需要を取り込める見通しがあった。規格品であるがゆえに特定の顧客に依存せず、ブラジルで生産される自動車全般に供給可能という事業構造が、海外進出の判断を後押しした。 日本特殊陶業は100%出資の現地法人を設立し、1959年にブラジルでの点火プラグ生産を開始した。結果は好調で、1966年時点で組付用シェア80%・補修用シェア40%を確保するに至った。ただし、ブラジル政府は配当金の国外送金を禁止する措置を講じており、現地法人の利益を日本本社に還元することはできなかった。このため、収益はブラジル国内での再投資に充てられ、日本特殊陶業にとっては市場支配力を得ながらも資金回収が制約される構造であった。国際規格品の強みで市場を席巻しつつ、配当禁止という制度的制約に縛られた海外展開の初期事例となった。

    国際規格品の強みと配当禁止が併存したブラジル進出の構造
  6. 小牧工場を新設・プラグ増産体制へ

    1960年代に入り、日本国内では乗用車の普及が急速に進んだ。自動車の保有台数が増加するにつれ、消耗品である点火プラグの需要も比例的に拡大し、既存の生産能力では対応が困難になりつつあった。1956年の米国視察で工場全体の機械化による生産性向上を実現していた日本特殊陶業にとって、次の課題は生産設備そのものの物理的な拡張であった。国内シェア70%超を維持するためには、需要増加のスピードに見合う量産体制の構築が不可欠であった。 1960年に日本特殊陶業は小牧市内で9万平方メートルの工場用地を取得し、1961年に小牧工場を新設した。以後、1966年の第2工場から1975年の第10工場まで、約10年間にわたって増設を続けた。製造対象はスパークプラグに限らず、セラミック・電子部品・切削工具と多岐にわたり、小牧工場は日本特殊陶業の製造拠点として中核的な役割を担った。1969年には隣接地2.9万平方メートルを追加取得し、1970年代には敷地面積が14.7万平方メートルに達している。10年間で10棟を建設するという継続的な投資は、モータリゼーション期の需要拡大を逃さず取り込む体制構築であった。

    10年で10棟の継続投資が需要拡大を取り込んだ設備戦略
  7. 点火プラグで国内シェア70%を確保・補修用で高収益

    1966年時点の点火プラグの国内生産量ベースで、日本特殊陶業はシェア70%を確保した。競合はデンソー(ボッシュと技術提携)および日立製作所であったが、日本特殊陶業が国内生産を独占する構図であった。陶器の焼成に高度な生産技術が必要なため、参入企業が限られる事業であった。 業績面でも高収益を確保。完成車メーカー向けの点火プラグに加えて、補修用(スパークプラグは消耗品の側面がある)の点火プラグも全国に販売網を形成して対応。特に補修用は完成車用に比べて「メーカーから価格圧力」が少ないため、高収益を確保する原動力になったと推定される。

  8. 米国に現地法人を設立

    補修用点火プラグの販売拡大のため、米国ロサンゼルスにて「米国NGK」を設立。現地ディーラーの開拓を開始

  9. セラミックICパッケージの製造販売を開始

    1960年代に半導体の集積回路が普及し始めると、ICチップを収納するパッケージ素材としてセラミックが台頭した。日本特殊陶業は点火プラグの主原料であるアルミナの焼成技術を保有しており、同じアルミナを素材とするICパッケージへの転用が技術的に可能であった。1962年に社内で半導体セラミック部門を新設し、研究開発を開始している。ただし、同じくアルミナ加工に強みを持つ京セラがセラミックICパッケージで先行しており、日本特殊陶業は後発参入であった。 1967年にセラミックICパッケージの製造販売を開始し、半導体の需要拡大に伴って売上を伸ばした。自動車向け点火プラグに加えて半導体向けパッケージという第二の事業柱を構築したことで、日本特殊陶業の全社売上は拡大基調を維持した。1993年時点の世界シェアは2位の30%で、世界シェア1位の京セラ(60%)に追随する構図であった。アルミナの焼成という共通技術基盤から自動車と半導体の二つの市場に展開した点が、日本特殊陶業の事業ポートフォリオの特徴であった。

    アルミナ焼成を軸に自動車と半導体へ展開した多角化の構造
  10. スーパープラグの値上げ実施

    1958年時点でスパークプラグ1個あたり190円の価格設定をしていたが、1970年4月から新製品「NGKスーパー」については250円に設定。1972年1月からは全品において250円に改定した。その後、オイルショックによる物価高騰により、1975年6月には360円に改定。

  11. 東南アジアでの現地生産を本格化
  12. 欧・米・豪で販売拠点を拡充
  13. 自動車向け酸素センターに参入

    1982年に日本特殊陶業は、自動車の排ガス濃度を検出する装置「酸素センサー」の製造販売を開始。排ガス規制によるニーズ増加に対応した。 ただし、1975年にデンソーが酸素センサーに参入して先発していたため、日本特殊陶業は後発に相当した。このため、点火プラグで培った販路を活用し、米国など海外での販売(輸出)に注力した。1985年には米フォード、1986年にはクライスラー向けに酸素センサーの大量納入を実現したことで、酸素センサーは国内ではなく北米向けに展開した。

  14. 先進国での現地生産を本格化
  15. インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化

    1990年代を通じてCPU・MPU向けパッケージ素材において、樹脂製(プラスチック)の価格低下が進行し、セラミックからの素材転換が現実味を帯びた。1996年にインテルが半導体パッケージの素材を従来のセラミックからプラスチックに切り替える決定を下し、供給元をイビデンとした。この決定は、1960年代から約30年続いたセラミック製パッケージの前提が崩れることを意味し、京セラと日本特殊陶業のセラミック勢にとって市場の構造的な変質であった。 日本特殊陶業はプラスチックパッケージに対応するため、1998年にインテル向けの量産体制を確立した。1998年6月時点で月産20万個、1999年初には月産160万個へと急速に生産規模を拡大している。しかし、プラスチックパッケージではイビデンが先発しており、日本特殊陶業はセラミックに続いて再び後発参入となった。素材転換という不可逆的な変化に対して量産体制の構築で追随したものの、先発者との競争構造は容易には覆らず、セラミック時代に築いた地位をプラスチック時代にそのまま移行できたわけではなかった。

    素材転換への対応を迫られたセラミック勢の構造的後手
  16. アジアでの生産増強
  17. 半導体向けパッケージの増産・小牧工場で増産計画
  18. 最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編
    素材転換を10年放置した末にリーマンが引いた撤退の引き金
  19. スパークプラグ10億本生産計画を公表
    半導体で衰退し点火プラグで障壁たり得たセラミック技術の非対称
  20. 英文商号をNittera Co., Ltd.に変更
  21. 過去最高益を達成

参考文献・出所

有価証券報告書
有価証券報告書 沿革
有価証券報告書 経理の状況