沿革年表 1927〜2011年における重要度別の出来事(合計28件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
日本ビクター蓄音機を設立
米国ビクターの全額出資(資本金200万円)
日本ビクターの設立で注目すべきは、米ビクターが代理店経由の輸入販売ではなく現地法人を設立した点にある。製造・販売を一体で運営する体制を日本市場に構築し、ブランド管理と供給体制を自社で握る構造を早期に築いた。1930年には三菱・住友の財閥資本も取り込んでいる。ただし、法人設立から十数年で日米関係が悪化し、外資としての経営基盤は日本企業に移管される形となった。
経営判断をよむ →
1927
1-12月
株主対応
三菱合資・住友合資が資本参加し日米合弁会社となる
日本財閥系資本との連携。日米合弁体制の確立
1929
1-12月
設備投資
横浜本社工場を新設
蓄音機およびレコードの製造競争で優位に立つため、1931年に日本ビクターは横浜に8000坪の大規模工場を新設した。投資額は350万円であった。この工場は日本ビクターの旗艦工場となり、日本ビクターにおける重要拠点として位置づけられた。
旗艦工場の確立。横浜=ビクターの象徴的拠点化
1931
1-12月
株主対応
東京芝浦電気が資本参加
軍需産業との結びつき強化
1937
1-12月
株主対応
RCAが資本撤収
日米関係悪化に伴う
日米開戦前夜の外資撤退。米資本との切離し
1938
1-12月
企業買収
東芝が日本ビクターを買収
商号を日本音響に変更
歴史的意義yutaka sugiura
日本ビクターの株主構成は、わずか16年で米RCA→日産財閥→東芝と二度の資本移動を経験した。外資排除という戦時統制の要請が最初の移転を生み、日産の事業的関心の薄さが二度目の移転を生んだ。東芝の取得は音響・映像技術との補完関係を見込んだものであったが、日本ビクターにとっては経営の主導権を自ら選べない受動的な資本再編であった。企業の所有構造が外部環境によって繰り返し変わるという構造は、同社の歴史を貫く特徴となる。
1943
1-12月
日本ビクター株式会社に商号変更
戦後の社名復活
1945
1-12月
業務提携
松下電器産業の資本参加を受ける
歴史的意義yutaka sugiura
日本ビクターの経営再建で興味深いのは、レコード販売で構築した全国の専門店網を新製品の販路として活用した点にある。松下電器の資本注入を受けつつ、自社の既存チャネルを基盤にテレビやラジオへ品目を拡大するV1計画は、限られた資源の中で成長を図る現実的な戦略であった。ただし、テレビ市場では大手との競争に勝てず、結果として音響・映像分野への特化に向かうことになる。
FY54
1954/3
FY60
1960/3
売上高
132.6億円
経常利益
10.34億円
株式上場
東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場
戦後復興期の上場企業化
FY61
1961/3
売上高
156.7億円
経常利益
11.72億円
設備投資
オーディオ生産拠点を新設
オーディオ機器の量産のために国内生産拠点を拡充。以後、日本ビクターは関東圏を中心に工場を新設し、関西圏の松下電器(親会社)との棲み分けを行う
松下傘下での事業領域分担の確立
FY62
1962/3
売上高
210.4億円
経常利益
16.83億円
FY63
1963/3
売上高
273.6億円
経常利益
21.41億円
FY64
1964/3
売上高
307.7億円
経常利益
21.23億円
FY65
1965/3
売上高
335.1億円
経常利益
17.31億円
FY66
1966/3
売上高
366.3億円
経常利益
17.82億円
FY67
1967/3
売上高
443億円
経常利益
22億円
FY68
1968/3
売上高
584億円
経常利益
30.3億円
海外進出
アメリカに現地法人US JVC CORP.を設立
以後海外各地に製造販売拠点を設ける
海外展開の起点
FY69
1969/3
売上高
734億円
経常利益
38.4億円
FY70
1970/3
売上高
1,023億円
経常利益
52.5億円
FY71
1971/3
売上高
1,055億円
当期純利益
37億円
FY72
1972/3
売上高
991億円
当期純利益
16億円
組織再編
音楽事業部門をビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)として分離独立
音楽事業の独立子会社化
FY73
1973/3
売上高
914億円
当期純利益
18億円
FY74
1974/3
売上高
1,085億円
当期純利益
17億円
競争激化により減益へ
1970年代を通じてオーディオ業界では大企業のソニーに加え、ベンチャー企業のパイオニアなどの新興勢力が台頭し、市場における競争が激化した。このため、名門企業であった日本ビクターを取り巻く競争環境が悪化し、1973年に発生したオイルショックの余波もあり業績が伸び悩みに転じた。このため、日本ビクターについて当時のメディアは「凋落か再起か、剣が峰に立つ名門」(1975/5/26日経ビジネス)と報道している。
オーディオ市場の競争激化と業績低迷の始まり
FY75
1975/3
売上高
1,066億円
当期純利益
12億円
重要事項
松下電器がVHSの規格採用
VHSの標準化で注目すべきは、技術的な優劣よりも陣営形成の戦略が規格競争の帰趨を決めた点にある。松下電器の量産力と販売網がVHS陣営に加わったことで、競争は技術の比較から供給能力と対応メーカー数の競争へと変質した。日本ビクターは欧米の大手メーカーへのOEM供給によりグローバルでの標準化を推し進め、規格主導企業としての地位を確立した。
経営判断をよむ →
FY76
1976/3
売上高
1,104.23億円
当期純利益
10.17億円
FY77
1977/3
売上高
1,369.75億円
当期純利益
21.39億円
FY78
1978/3
売上高
1,639.8億円
当期純利益
30.4億円
FY79
1979/3
売上高
2,384億円
当期純利益
48.3億円
FY80
1980/3
売上高
3,224億円
当期純利益
106億円
設備投資
藤枝工場を新設
VHS量産期の生産能力拡張
FY81
1981/3
売上高
4,322億円
当期純利益
186億円
FY82
1982/3
売上高
5,709億円
当期純利益
259億円
FY83
1983/3
売上高
5,899億円
当期純利益
214億円
FY84
1984/3
売上高
6,532億円
当期純利益
232億円
FY85
1985/3
売上高
7,653億円
当期純利益
233億円
FY86
1986/3
売上高
7,001億円
当期純利益
108億円
重要事項
S-VHSを発売
歴史的意義yutaka sugiura
S-VHSの投入は、VHS規格の主導企業が価格下落に対して規格進化で対抗しようとした試みであった。しかし、円高と韓国メーカーの低価格攻勢という構造的変化に対して、高付加価値モデルの投入だけでは収益悪化を止められなかった。世界標準を握った企業が利益を確保できないという矛盾は、規格支配と収益確保が一致しない局面が存在することを示している。
FY87
1987/3
売上高
7,065億円
当期純利益
65.3億円
FY88
1988/3
売上高
7,174億円
当期純利益
90.1億円
FY89
1989/3
売上高
8,209億円
当期純利益
150億円
FY90
1990/3
売上高
8,665億円
当期純利益
184億円
FY91
1991/3
売上高
9,262億円
当期純利益
160億円
FY92
1992/3
売上高
8,386億円
当期純利益
19.9億円
重要事項
最終赤字430億円を計上
1980年代後半に日本ビクターはVHSで覇権を確立したが、1985年に主要各国政府で締結された「プラザ合意」によって猛烈な勢いで円高が進行すると、韓国のサムスンなどがVHSの量産で台頭したため競争が激化。日本ビクターの生産拠点は横浜などの国内が中心であったため、円高ドル安の打撃を受ける形となった。このため、FY1992に日本ビクターは430億円の巨額赤字に転落し、前途に暗雲が漂い始めた。
円高+韓国メーカー台頭による構造的赤字の始まり
経営判断をよむ →
FY93
1993/3
売上高
7,688億円
当期純利益
-430億円
FY94
1994/3
売上高
7,265億円
当期純利益
-195億円
FY95
1995/3
売上高
7,672億円
当期純利益
5.9億円
海外進出
シンガポールにアジア統括拠点を設立
JVC ASIA Pte. Ltd.
アジア地域統括の現地化
FY96
1996/3
売上高
8,065億円
当期純利益
43.4億円
海外進出
中国に傑偉世(中国)投資有限公司を設立
中国市場本格進出
FY97
1997/3
売上高
8,903億円
当期純利益
45.8億円
FY98
1998/3
売上高
9,163億円
当期純利益
-47億円
海外進出
イギリスにJVC Europe Limited(欧州統括会社)を設置
欧州地域統括の現地化
FY99
1999/3
売上高
9,466億円
当期純利益
-83.1億円
業務提携
寺田雅彦
テイチクに資本参加
音楽事業の補強
FY00
2000/3
売上高
8,702億円
当期純利益
-53.4億円
構造改革
寺田雅彦
カンパニー制を導入
事業部別経営体制への移行
FY01
2001/3
売上高
9,343億円
当期純損失
24.9億円
寺田雅彦
FY02
2002/3
売上高
9,541億円
当期純損失
-445億円
構造改革
寺田雅彦
「躍進21計画」をスタート
業績回復に向けた構造改革計画
FY03
2003/3
売上高
9,676億円
当期純利益
63億円
寺田雅彦
FY04
2004/3
売上高
9,219億円
当期純利益
156億円
寺田雅彦
FY05
2005/3
売上高
8,405億円
当期純損失
-18億円
佐藤国彦
FY06
2006/3
売上高
8,068億円
当期純損失
-306億円
佐藤国彦
FY07
2007/3
売上高
7,426億円
当期純損失
-78億円
重要事項株主対応
吉田秀俊
ケンウッドを割当先とする第三者割当増資を実施
ケンウッドとの統合への布石
経営判断をよむ →
FY08
2008/3
売上高
6,584億円
当期純損失
-475億円
事業売却
モータ事業を日本産業パートナーズ設立の新会社へ譲渡、サーキット事業をメイコーへ譲渡
非中核事業の売却。本社事業領域の集中
上場廃止
東京・大阪両証券取引所市場第一部の上場を廃止
株式公開企業としての終焉
FY09
2009/3
売上高
4,620億円
当期純損失
-243億円
重要事項組織再編
ケンウッドと共同で株式移転によりJVC・ケンウッド・ホールディングスを設立
歴史的意義yutaka sugiura
日本ビクターの経営統合は、規格主導企業が規格の陳腐化とともに存在意義を失うという構造を示している。VHSで世界標準を握った時期が事業の頂点であり、DVDへのデジタル転換後は次の柱を見出せないまま長期低迷に陥った。松下電器は過半株式を保有しながらグループ内再建を断念し、ケンウッドとの統合を選択した。独立企業としての消滅は、規格主導という競争優位が技術世代の交代によって消失した帰結であった。
事業売却
旧日本ビクター川崎本社工場を売却
JVCケンウッドは日本ビクターの資産売却を開始。旧本社工場の売却を決定
旧本社の象徴的売却。日本ビクターの実質的解体
2011
1-12月
  1. 株主対応
    三菱合資・住友合資が資本参加し日米合弁会社となる
    日本財閥系資本との連携。日米合弁体制の確立
  2. 設備投資
    横浜本社工場を新設

    蓄音機およびレコードの製造競争で優位に立つため、1931年に日本ビクターは横浜に8000坪の大規模工場を新設した。投資額は350万円であった。この工場は日本ビクターの旗艦工場となり、日本ビクターにおける重要拠点として位置づけられた。

    旗艦工場の確立。横浜=ビクターの象徴的拠点化
  3. 株主対応
    東京芝浦電気が資本参加
    軍需産業との結びつき強化
  4. 株主対応
    RCAが資本撤収

    日米関係悪化に伴う

    日米開戦前夜の外資撤退。米資本との切離し
  5. 企業買収
    東芝が日本ビクターを買収

    商号を日本音響に変更

    日本ビクターの株主構成は、わずか16年で米RCA→日産財閥→東芝と二度の資本移動を経験した。外資排除という戦時統制の要請が最初の移転を生み、日産の事業的関心の薄さが二度目の移転を生んだ。東芝の取得は音響・映像技術との補完関係を見込んだものであったが、日本ビクターにとっては経営の主導権を自ら選べない受動的な資本再編であった。企業の所有構造が外部環境によって繰り返し変わるという構造は、同社の歴史を貫く特徴となる。
  6. 日本ビクター株式会社に商号変更
    戦後の社名復活
  7. 業務提携
    松下電器産業の資本参加を受ける
    日本ビクターの経営再建で興味深いのは、レコード販売で構築した全国の専門店網を新製品の販路として活用した点にある。松下電器の資本注入を受けつつ、自社の既存チャネルを基盤にテレビやラジオへ品目を拡大するV1計画は、限られた資源の中で成長を図る現実的な戦略であった。ただし、テレビ市場では大手との競争に勝てず、結果として音響・映像分野への特化に向かうことになる。
  8. 株式上場
    東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場
    戦後復興期の上場企業化
  9. 設備投資
    オーディオ生産拠点を新設

    オーディオ機器の量産のために国内生産拠点を拡充。以後、日本ビクターは関東圏を中心に工場を新設し、関西圏の松下電器(親会社)との棲み分けを行う

    松下傘下での事業領域分担の確立
  10. 海外進出
    アメリカに現地法人US JVC CORP.を設立

    以後海外各地に製造販売拠点を設ける

    海外展開の起点
  11. 組織再編
    音楽事業部門をビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)として分離独立
    音楽事業の独立子会社化
  12. 競争激化により減益へ

    1970年代を通じてオーディオ業界では大企業のソニーに加え、ベンチャー企業のパイオニアなどの新興勢力が台頭し、市場における競争が激化した。このため、名門企業であった日本ビクターを取り巻く競争環境が悪化し、1973年に発生したオイルショックの余波もあり業績が伸び悩みに転じた。このため、日本ビクターについて当時のメディアは「凋落か再起か、剣が峰に立つ名門」(1975/5/26日経ビジネス)と報道している。

    オーディオ市場の競争激化と業績低迷の始まり
  13. 設備投資
    藤枝工場を新設
    VHS量産期の生産能力拡張
  14. S-VHSを発売
    S-VHSの投入は、VHS規格の主導企業が価格下落に対して規格進化で対抗しようとした試みであった。しかし、円高と韓国メーカーの低価格攻勢という構造的変化に対して、高付加価値モデルの投入だけでは収益悪化を止められなかった。世界標準を握った企業が利益を確保できないという矛盾は、規格支配と収益確保が一致しない局面が存在することを示している。
  15. 海外進出
    シンガポールにアジア統括拠点を設立

    JVC ASIA Pte. Ltd.

    アジア地域統括の現地化
  16. 海外進出
    中国に傑偉世(中国)投資有限公司を設立
    中国市場本格進出
  17. 海外進出
    イギリスにJVC Europe Limited(欧州統括会社)を設置
    欧州地域統括の現地化
  18. 業務提携
    テイチクに資本参加
    音楽事業の補強
  19. 構造改革
    カンパニー制を導入
    事業部別経営体制への移行
  20. 構造改革
    「躍進21計画」をスタート
    業績回復に向けた構造改革計画
  21. 事業売却
    モータ事業を日本産業パートナーズ設立の新会社へ譲渡、サーキット事業をメイコーへ譲渡
    非中核事業の売却。本社事業領域の集中
  22. 上場廃止
    東京・大阪両証券取引所市場第一部の上場を廃止
    株式公開企業としての終焉
  23. 組織再編
    ケンウッドと共同で株式移転によりJVC・ケンウッド・ホールディングスを設立
    日本ビクターの経営統合は、規格主導企業が規格の陳腐化とともに存在意義を失うという構造を示している。VHSで世界標準を握った時期が事業の頂点であり、DVDへのデジタル転換後は次の柱を見出せないまま長期低迷に陥った。松下電器は過半株式を保有しながらグループ内再建を断念し、ケンウッドとの統合を選択した。独立企業としての消滅は、規格主導という競争優位が技術世代の交代によって消失した帰結であった。
  24. 事業売却
    旧日本ビクター川崎本社工場を売却

    JVCケンウッドは日本ビクターの資産売却を開始。旧本社工場の売却を決定

    旧本社の象徴的売却。日本ビクターの実質的解体