日本ビクターの沿革(1927〜2011年)
日本ビクターの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1927 1-12月 | overseas | 日本ビクター蓄音機を設立 | 代理店モデルを捨て現地法人で日本市場に直接進出した米ビクター | |||
1928 1-12月 | 米RCAが日産財閥に株式譲渡 | |||||
1931 1-12月 | 横浜工場を新設 蓄音機およびレコードの製造競争で優位に立つため、1931年に日本ビクターは横浜に8000坪の大規模工場を新設した。投資額は350万円であった。この工場は日本ビクターの旗艦工場となり、日本ビクターにおける重要拠点として位置づけられた。 | |||||
1943 1-12月 | acquisition | 東芝が日本ビクターを買収 | 外資→日産→東芝と二度の資本移動を経た戦時下の産業再編 | |||
1945 1-12月 | 日本ビクターに商号変更 | |||||
FY54 1954/3 | alliance | 松下電器と資本提携を締結 | レコード専門店網を武器にした松下傘下での事業再構築 | |||
FY60 1960/3 | 売上高 132.6億円 | 計上利益 10.34億円 | 東京証券取引所へ株式上場 | |||
FY61 1961/3 | 売上高 156.7億円 | 計上利益 11.72億円 | オーディオ生産拠点を新設 オーディオ機器の量産のために国内生産拠点を拡充。以後、日本ビクターは関東圏を中心に工場を新設し、関西圏の松下電器(親会社)との棲み分けを行う | |||
FY62 1962/3 | 売上高 210.4億円 | 計上利益 16.83億円 | ||||
FY63 1963/3 | 売上高 273.6億円 | 計上利益 21.41億円 | ||||
FY64 1964/3 | 売上高 307.7億円 | 計上利益 21.23億円 | ||||
FY65 1965/3 | 売上高 335.1億円 | 計上利益 17.31億円 | ||||
FY66 1966/3 | 売上高 366.3億円 | 計上利益 17.82億円 | ||||
FY67 1967/3 | 売上高 443億円 | 計上利益 22億円 | ||||
FY68 1968/3 | 売上高 584億円 | 計上利益 30.3億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 734億円 | 計上利益 38.4億円 | ||||
FY70 1970/3 | 売上高 1,023億円 | 計上利益 52.5億円 | ||||
FY71 1971/3 | 売上高 1,054億円 | 計上利益 37.2億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 990億円 | 計上利益 16.5億円 | ||||
FY73 1973/3 | 売上高 912億円 | 当期純利益 17.4億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 1,084億円 | 当期純利益 16.7億円 | ||||
FY75 1975/3 | 売上高 1,065億円 | 当期純利益 11.8億円 | 競争激化により減益へ 1970年代を通じてオーディオ業界では大企業のソニーに加え、ベンチャー企業のパイオニアなどの新興勢力が台頭し、市場における競争が激化した。このため、名門企業であった日本ビクターを取り巻く競争環境が悪化し、1973年に発生したオイルショックの余波もあり業績が伸び悩みに転じた。このため、日本ビクターについて当時のメディアは「凋落か再起か、剣が峰に立つ名門」(1975/5/26日経ビジネス)と報道している。 | |||
FY76 1976/3 | 売上高 1,104億円 | 当期純利益 10.7億円 | 松下電器がVHSの規格採用 | 技術の優劣ではなく陣営形成の戦略で決着したビデオ規格戦争 | ||
FY77 1977/3 | 売上高 1,369億円 | 当期純利益 21.3億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 1,639億円 | 当期純利益 30.4億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 2,384億円 | 当期純利益 48.3億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 3,224億円 | 当期純利益 106億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 4,322億円 | 当期純利益 186億円 | 国内生産拠点を新設 | |||
FY82 1982/3 | 売上高 5,709億円 | 当期純利益 259億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 5,899億円 | 当期純利益 214億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 6,532億円 | 当期純利益 232億円 | ||||
FY85 1985/3 | 売上高 7,653億円 | 当期純利益 233億円 | ||||
FY86 1986/3 | 売上高 7,001億円 | 当期純利益 108億円 | ||||
FY87 1987/3 | 売上高 7,065億円 | 当期純利益 65.3億円 | S-VHSを発売 | 規格を握りながら利益を確保できないという構造的矛盾 | ||
FY88 1988/3 | 売上高 7,174億円 | 当期純利益 90.1億円 | ||||
FY89 1989/3 | 売上高 8,209億円 | 当期純利益 150億円 | ||||
FY90 1990/3 | 売上高 8,665億円 | 当期純利益 184億円 | ||||
FY91 1991/3 | 売上高 9,262億円 | 当期純利益 160億円 | ||||
FY92 1992/3 | 売上高 8,386億円 | 当期純利益 19.9億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 7,688億円 | 当期純利益 -430億円 | 最終赤字430億円を計上 1980年代後半に日本ビクターはVHSで覇権を確立したが、1985年に主要各国政府で締結された「プラザ合意」によって猛烈な勢いで円高が進行すると、韓国のサムスンなどがVHSの量産で台頭したため競争が激化。日本ビクターの生産拠点は横浜などの国内が中心であったため、円高ドル安の打撃を受ける形となった。このため、FY1992に日本ビクターは430億円の巨額赤字に転落し、前途に暗雲が漂い始めた。 | |||
FY94 1994/3 | 売上高 7,265億円 | 当期純利益 -195億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 7,672億円 | 当期純利益 5.9億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 8,065億円 | 当期純利益 43.4億円 | シンガポールにアジア統括拠点を設立 | |||
FY97 1997/3 | 売上高 8,903億円 | 当期純利益 45.8億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 9,163億円 | 当期純利益 -47億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 9,466億円 | 当期純利益 -83.1億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 8,702億円 | 当期純利益 -53.4億円 | ||||
FY01 2001/3 | 売上高 9,343億円 | 当期純利益 24.9億円 | ||||
FY02 2002/3 | 売上高 9,541億円 | 当期純利益 -445億円 | ||||
FY03 2003/3 | 売上高 9,676億円 | 当期純利益 63.3億円 | 「躍進21計画」をスタート | |||
FY04 2004/3 | 売上高 9,129億円 | 当期純利益 156億円 | ||||
FY05 2005/3 | 売上高 8,405億円 | 当期純利益 -18.5億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 8,068億円 | 当期純利益 -306億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 7,426億円 | 当期純利益 -78.9億円 | ||||
FY08 2008/3 | 売上高 6,584億円 | 当期純利益 -475億円 | restructuring | JVCケンウッドと経営統合 | VHS規格の消滅とともに独立性を失った規格主導企業の末路 | |
2011 1-12月 | 旧日本ビクター川崎本社工場を売却 JVCケンウッドは日本ビクターの資産売却を開始。旧本社工場の売却を決定 |
- 日本ビクター蓄音機を設立代理店モデルを捨て現地法人で日本市場に直接進出した米ビクター
- 米RCAが日産財閥に株式譲渡
- 横浜工場を新設
蓄音機およびレコードの製造競争で優位に立つため、1931年に日本ビクターは横浜に8000坪の大規模工場を新設した。投資額は350万円であった。この工場は日本ビクターの旗艦工場となり、日本ビクターにおける重要拠点として位置づけられた。
- 東芝が日本ビクターを買収外資→日産→東芝と二度の資本移動を経た戦時下の産業再編
- 日本ビクターに商号変更
- 松下電器と資本提携を締結レコード専門店網を武器にした松下傘下での事業再構築
- 東京証券取引所へ株式上場
- オーディオ生産拠点を新設
オーディオ機器の量産のために国内生産拠点を拡充。以後、日本ビクターは関東圏を中心に工場を新設し、関西圏の松下電器(親会社)との棲み分けを行う
- 競争激化により減益へ
1970年代を通じてオーディオ業界では大企業のソニーに加え、ベンチャー企業のパイオニアなどの新興勢力が台頭し、市場における競争が激化した。このため、名門企業であった日本ビクターを取り巻く競争環境が悪化し、1973年に発生したオイルショックの余波もあり業績が伸び悩みに転じた。このため、日本ビクターについて当時のメディアは「凋落か再起か、剣が峰に立つ名門」(1975/5/26日経ビジネス)と報道している。
- 松下電器がVHSの規格採用技術の優劣ではなく陣営形成の戦略で決着したビデオ規格戦争
- 国内生産拠点を新設
- S-VHSを発売規格を握りながら利益を確保できないという構造的矛盾
- 最終赤字430億円を計上
1980年代後半に日本ビクターはVHSで覇権を確立したが、1985年に主要各国政府で締結された「プラザ合意」によって猛烈な勢いで円高が進行すると、韓国のサムスンなどがVHSの量産で台頭したため競争が激化。日本ビクターの生産拠点は横浜などの国内が中心であったため、円高ドル安の打撃を受ける形となった。このため、FY1992に日本ビクターは430億円の巨額赤字に転落し、前途に暗雲が漂い始めた。
- シンガポールにアジア統括拠点を設立
- 「躍進21計画」をスタート
- JVCケンウッドと経営統合VHS規格の消滅とともに独立性を失った規格主導企業の末路
- 旧日本ビクター川崎本社工場を売却
JVCケンウッドは日本ビクターの資産売却を開始。旧本社工場の売却を決定