ブリヂストンの沿革・歴史的証言
1931年〜2025年
ブリヂストンの1931年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1931 1-12月 | ブリッヂストンタイヤ株式会社を設立 | 地下足袋のゴム技術と別会社化が生んだ国産化と同族蓄財の構造 | ||||
1933 1-12月 | タイヤの初期不良が続出 1930年からタイヤ生産を開始したブリヂストンは、外国製1本100円台に対して50円という低価格で市場に参入。販売は拡大したが品質が安定せず、ゴム破裂など初期不良が続出した。無償交換を謳った結果、わざと破損させ交換を要求する購入者も誘発し、3年間で約10万本が返品された。返品品は廃棄せず荷馬車用に補修販売または再生ゴム原料に転用し全損を回避したが、3年間で100万円超の損失を計上。国産化の技術的困難を示す試練となった。 | 不良品10万本の返品を受け入れた創業期の品質保証コスト | ||||
1934 1-12月 | 久留米工場を新設 トヨタ・日産など国内自動車メーカーの相次ぐ創業・増産に対応するため、ブリヂストンは久留米市内にタイヤ量産工場の新設を決定し、1934年3月に久留米第1工場を竣工した。当初は自動車用タイヤが中心だったが、1939年に軍の要請で飛行機用タイヤ生産を開始。戦時中は陸海軍向けトラック用に加え軍用航空機向けタイヤを生産し、最盛期には学徒動員を含む5000名の工員が軍用タイヤ生産に従事した。 | |||||
1935 1-12月 | ゴルフボールの生産開始 | |||||
1937 1-12月 | 本社を東京に移転 | |||||
1942 1-12月 | 日本タイヤ株式会社へ社名変更 1942年2月に戦時下の英語名忌避を背景に「日本タイヤ株式会社」へ社名を変更した。1951年2月にブリヂストンタイヤへ復名するまで、創業ブランド名を一時的に手放した期間となった。 | |||||
1949 1-12月 | 自転車事業を「ブリヂストン自転車(株)」に分離 | |||||
1951 1-12月 | ブリヂストンタイヤ株式会社に商号変更 | |||||
米グッドイヤー社と提携 石橋正二郎は、ブリヂストンのタイヤ生産性を米国メーカーの1/5程度と判断し、原料も従来の綿コード(天然繊維)からレーヨンコード(化学繊維)への転換が急務とした。よって海外からの生産技術導入を決定し、1951年に米グッドイヤー社と提携、当時最先端のレーヨンによるタイヤ製造設備の導入を図った。なお、グッドイヤー社はブリヂストンの株式25%取得を要求したが、石橋正二郎はこの申し出を断っている。 | ||||||
1952 1-12月 | 本社にブリヂストンビルを竣工・ブリヂストン美術館を併設 1938年に石橋正二郎は関東大震災で空き地となった東京・京橋の土地を購入し、戦時中は木造2階建ての事務所として使用した。戦後、石橋は本格本社ビルの建設を決定し、1952年1月にブリヂストンビルを竣工。2階に絵画コレクションを公開するブリヂストン美術館を併設した。1950年の渡米で美術館を視察し公開すべきとの考えに至ったことが契機。1956年には個人寄付で石橋財団を設立し、年間2億円予算で美術館運営・購入・学術文化支援に配分した。 | 同族経営の蓄財が文化事業に転化した石橋財団の設計 | ||||
石橋家が富裕税納付申告で日本1位 | ||||||
1958 1-12月 | 久留米第2工場を新設 ナイロンコードによるタイヤ量産のため、久留米第2工場を新設。原料であるナイロンは、東レから購入 | |||||
FY59 1959/12 | 売上高 272億円 | 当期純利益 19.1億円 | ||||
FY60 1960/12 | 売上高 369億円 | 当期純利益 24.4億円 | 東京工場を新設(第1期・第2期) | 資本金の3倍超の投資が同族経営からの転換を促した構図 | ||
FY61 1961/12 | 売上高 487億円 | 当期純利益 55.3億円 | 東京証券取引所に株式上場 国内における自動車の普及によりタイヤの増産(東京工場の新設など)が必要になったため、資金調達のために株式上場を決定。1961年に東京証券取引所に株式を上場し、石橋家による非上場同族経営から決別した。なお、株式上場直後の1961年12月時点において、石橋幹一郎氏が20.4%。石橋正二郎氏が11.8%、石橋財団が10.0%保有しており、石橋家による保有形態は継続した。 | |||
FY62 1962/12 | 売上高 549億円 | 当期純利益 52.3億円 | ||||
FY63 1963/12 | 売上高 607億円 | 当期純利益 43.4億円 | ||||
FY64 1964/12 | 売上高 684億円 | 当期純利益 34.6億円 | 乗用車向けラジアルタイヤを開発 | |||
FY65 1965/12 | 売上高 736億円 | 当期純利益 38.6億円 | ||||
FY66 1966/12 | 売上高 822億円 | 当期純利益 42.6億円 | ||||
FY67 1967/12 | 売上高 939億円 | 当期純利益 50.7億円 | ブリヂストンタイヤショップ制度を開始 | |||
FY68 1968/12 | 売上高 1,050億円 | 当期純利益 57.4億円 | ||||
FY69 1969/12 | 売上高 1,246億円 | 当期純利益 68.5億円 | ||||
FY70 1970/12 | 売上高 1,510億円 | 当期純利益 76.5億円 | ||||
FY71 1971/12 | 売上高 1,572億円 | 当期純利益 68.2億円 | ||||
FY72 1972/12 | 売上高 1,787億円 | 当期純利益 96.1億円 | ||||
FY73 1973/12 | 売上高 2,257億円 | 当期純利益 118億円 | 柴本重理氏が社長就任 | |||
FY74 1974/12 | 売上高 2,943億円 | 当期純利益 119億円 | ||||
FY75 1975/12 | 売上高 2,953億円 | 当期純利益 165億円 | ||||
FY76 1976/12 | 売上高 3,271億円 | 当期純利益 125億円 | 創業者・石橋正二郎氏が逝去 | |||
FY77 1977/12 | 売上高 3,538億円 | 当期純利益 137億円 | ||||
FY78 1978/12 | 売上高 3,699億円 | 当期純利益 149億円 | ||||
FY79 1979/12 | 売上高 4,343億円 | 当期純利益 253億円 | ||||
FY80 1980/12 | 売上高 4,176億円 | 当期純利益 244億円 | 豪UNIROYAL社を買収 | |||
FY81 1981/12 | 売上高 5,140億円 | 当期純利益 141億円 | ||||
FY82 1982/12 | 売上高 4,908億円 | 当期純利益 171億円 | ||||
FY83 1983/12 | 売上高 5,134億円 | 当期純利益 154億円 | 米ファイアストンのナッシュビル工場を取得 1980年代を通じてブリヂストンは自動車用タイヤのグローバル展開を志向し、1982年に米国現地法人を設立。1983年には米ファイアストンが閉鎖検討中のナッシュビル工場(トラック用)を取得し生産を開始した。改善で3年で黒字化したが、本質的課題は生産より販路にあった。利益率の高い補修用タイヤには現地ディーラー網が不可欠で後発は困難、完成車向けも米ビッグスリーは現地メーカーが占有。よってこの認識が1988年のファイアストン本体買収に直結した。 | ナッシュビル工場の黒字化がFS本体買収に至る布石となった構図 | ||
FY84 1984/12 | 売上高 5,467億円 | 当期純利益 176億円 | 株式会社ブリヂストンに商号変更 | |||
FY88 1988/12 | 企業買収 | 米ファイアストンを買収(米国5工場・欧州6工場) | ピレリとの入札で3倍に膨張した買収価格が問うた国際化の値段 | |||
FY91 1991/12 | 売上高 17,638億円 | 当期純利益 74億円 | ||||
FY92 1992/12 | 売上高 17,451億円 | 当期純利益 284億円 | 米国現地法人BFSで大規模リストラ 1989年にブリヂストンは米国現地法人とファイアストンを統合し統括会社BFSを設立。日本から生産技術者を派遣し国内・BFS工場で「姉妹工場制度」を発足させノウハウ移転を実施したが、設備更新が広範に及び改善には3〜4年を要した。その間も低生産性と高コスト体質が業績を圧迫したため、1992年にBFSは2500名の人員削減を実施。工場閉鎖を辞さない態度で労組規約を改定し休日操業を勝ち取り、固定費削減で1993年3月期に黒字化した。 | 工場閉鎖を交渉材料に労組規約を改定し黒字化した再建の構図 | ||
FY93 1993/12 | 売上高 15,991億円 | 当期純利益 283億円 | ||||
FY94 1994/12 | 売上高 15,950億円 | 当期純利益 318億円 | 欧州に統括会社を設立(組織再編) 米国BFSと同様に、ブリヂストンはファイアストンの欧州事業についても大規模なリストラを実施。ポーランドの工場閉鎖や、1500名の人員削減などを遂行した。 | |||
FY95 1995/12 | 売上高 16,866億円 | 当期純利益 541億円 | ||||
FY96 1996/12 | 売上高 19,580億円 | 当期純利益 703億円 | ||||
FY97 1997/12 | 売上高 21,708億円 | 当期純利益 391億円 | 企業買収 | 南アフリカのFedstoneを買収 1997年1月に南アフリカのFedstone(現ブリヂストン・サウスアフリカ・ホールディングス)を買収し、Firestone South Africaを連結子会社化した。すなわちアフリカ市場での生産・販売拠点を一括獲得し、グローバル網にアフリカを組み込んだ。 | ||
FY98 1998/12 | 売上高 22,366億円 | 当期純利益 1,046億円 | ||||
FY99 1999/12 | 売上高 20,857億円 | 当期純利益 886億円 | ||||
FY00 2000/12 | 売上高 20,069億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 177億円 | タイに現地生産子会社を設立 | |||
米でタイヤ自主回収(欠陥疑惑) 米国におけるタイヤの欠陥疑惑を受けて、650万本の自主回収を決定。2000年12月期に「製品自主回収関連損失」として814億円、翌年2001年12月期にも同803億円を計上し、合計1617億円を回収に係る損失として計上した。 | ||||||
FY01 2001/12 | 売上高 21,338億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 173億円 | 米国に統括会社を設立(組織再編) | |||
FY02 2002/12 | 売上高 22,477億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 453億円 | ||||
FY03 2003/12 | 売上高 23,039億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 887億円 | ||||
FY04 2004/12 | 売上高 24,166億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,144億円 | 中国に統括会社を設立 | |||
FY05 2005/12 | 売上高 26,913億円 | 当期純利益 1,807億円 | ||||
FY06 2006/12 | 売上高 29,912億円 | 当期純利益 851億円 | ||||
FY07 2007/12 | 売上高 33,902億円 | 当期純利益 1,316億円 | BADAG社を買収(リトレッド) | |||
FY08 2008/12 | 売上高 32,344億円 | 当期純利益 104億円 | ||||
FY09 2009/12 | 売上高 25,970億円 | 当期純利益 10億円 | ||||
FY10 2010/12 | 売上高 28,616億円 | 当期純利益 989億円 | ||||
FY11 2011/12 | 売上高 30,243億円 | 当期純利益 1,029億円 | ||||
FY12 2012/12 | 売上高 30,397億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,716億円 | ||||
FY13 2013/12 | 売上高 35,680億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,020億円 | ||||
FY14 2014/12 | 売上高 36,739億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,005億円 | ||||
FY15 2015/12 | 売上高 37,902億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,842億円 | ||||
FY16 2016/12 | 売上高 33,370億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,655億円 | ||||
FY17 2017/12 | 売上高 36,434億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,882億円 | 仏ETS PAUL AYME社を買収(タイヤ販売) | |||
FY18 2018/12 | 売上高 36,501億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,916億円 | ||||
FY19 2019/12 | 売上高 35,256億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,925億円 | 蘭TOM TOM TELEMATICS社を買収(運行管理システム) | |||
FY20 2020/12 | 売上高 29,990億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -20億円 | 最終赤字に転落 | |||
FY21 2021/12 | 売上高 32,460億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,940億円 | 中期事業計画を公表・生産拠点集約を開始 | |||
米AZUGA HDを買収 | ||||||
OTRACO社を買収 | ||||||
FY22 2022/12 | 売上高 41,100億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,003億円 | ||||
FY23 2023/12 | 売上高 43,138億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,313億円 | ||||
FY24 2024/12 | 売上高 44,300億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,849億円 | ||||
FY25 2025/12 | 売上高 44,294億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,272億円 |
- ブリッヂストンタイヤ株式会社を設立地下足袋のゴム技術と別会社化が生んだ国産化と同族蓄財の構造
- タイヤの初期不良が続出
1930年からタイヤ生産を開始したブリヂストンは、外国製1本100円台に対して50円という低価格で市場に参入。販売は拡大したが品質が安定せず、ゴム破裂など初期不良が続出した。無償交換を謳った結果、わざと破損させ交換を要求する購入者も誘発し、3年間で約10万本が返品された。返品品は廃棄せず荷馬車用に補修販売または再生ゴム原料に転用し全損を回避したが、3年間で100万円超の損失を計上。国産化の技術的困難を示す試練となった。
不良品10万本の返品を受け入れた創業期の品質保証コスト - 久留米工場を新設
トヨタ・日産など国内自動車メーカーの相次ぐ創業・増産に対応するため、ブリヂストンは久留米市内にタイヤ量産工場の新設を決定し、1934年3月に久留米第1工場を竣工した。当初は自動車用タイヤが中心だったが、1939年に軍の要請で飛行機用タイヤ生産を開始。戦時中は陸海軍向けトラック用に加え軍用航空機向けタイヤを生産し、最盛期には学徒動員を含む5000名の工員が軍用タイヤ生産に従事した。
- ゴルフボールの生産開始
- 本社を東京に移転
- 日本タイヤ株式会社へ社名変更
1942年2月に戦時下の英語名忌避を背景に「日本タイヤ株式会社」へ社名を変更した。1951年2月にブリヂストンタイヤへ復名するまで、創業ブランド名を一時的に手放した期間となった。
- 自転車事業を「ブリヂストン自転車(株)」に分離
- ブリヂストンタイヤ株式会社に商号変更
- 米グッドイヤー社と提携
石橋正二郎は、ブリヂストンのタイヤ生産性を米国メーカーの1/5程度と判断し、原料も従来の綿コード(天然繊維)からレーヨンコード(化学繊維)への転換が急務とした。よって海外からの生産技術導入を決定し、1951年に米グッドイヤー社と提携、当時最先端のレーヨンによるタイヤ製造設備の導入を図った。なお、グッドイヤー社はブリヂストンの株式25%取得を要求したが、石橋正二郎はこの申し出を断っている。
- 本社にブリヂストンビルを竣工・ブリヂストン美術館を併設
1938年に石橋正二郎は関東大震災で空き地となった東京・京橋の土地を購入し、戦時中は木造2階建ての事務所として使用した。戦後、石橋は本格本社ビルの建設を決定し、1952年1月にブリヂストンビルを竣工。2階に絵画コレクションを公開するブリヂストン美術館を併設した。1950年の渡米で美術館を視察し公開すべきとの考えに至ったことが契機。1956年には個人寄付で石橋財団を設立し、年間2億円予算で美術館運営・購入・学術文化支援に配分した。
同族経営の蓄財が文化事業に転化した石橋財団の設計 - 石橋家が富裕税納付申告で日本1位
- 久留米第2工場を新設
ナイロンコードによるタイヤ量産のため、久留米第2工場を新設。原料であるナイロンは、東レから購入
- 東京工場を新設(第1期・第2期)資本金の3倍超の投資が同族経営からの転換を促した構図
- 東京証券取引所に株式上場
国内における自動車の普及によりタイヤの増産(東京工場の新設など)が必要になったため、資金調達のために株式上場を決定。1961年に東京証券取引所に株式を上場し、石橋家による非上場同族経営から決別した。なお、株式上場直後の1961年12月時点において、石橋幹一郎氏が20.4%。石橋正二郎氏が11.8%、石橋財団が10.0%保有しており、石橋家による保有形態は継続した。
- 乗用車向けラジアルタイヤを開発
- ブリヂストンタイヤショップ制度を開始
- 柴本重理氏が社長就任
- 創業者・石橋正二郎氏が逝去
- 豪UNIROYAL社を買収
- 米ファイアストンのナッシュビル工場を取得
1980年代を通じてブリヂストンは自動車用タイヤのグローバル展開を志向し、1982年に米国現地法人を設立。1983年には米ファイアストンが閉鎖検討中のナッシュビル工場(トラック用)を取得し生産を開始した。改善で3年で黒字化したが、本質的課題は生産より販路にあった。利益率の高い補修用タイヤには現地ディーラー網が不可欠で後発は困難、完成車向けも米ビッグスリーは現地メーカーが占有。よってこの認識が1988年のファイアストン本体買収に直結した。
ナッシュビル工場の黒字化がFS本体買収に至る布石となった構図 - 株式会社ブリヂストンに商号変更
- 米ファイアストンを買収(米国5工場・欧州6工場)ピレリとの入札で3倍に膨張した買収価格が問うた国際化の値段
- 米国現地法人BFSで大規模リストラ
1989年にブリヂストンは米国現地法人とファイアストンを統合し統括会社BFSを設立。日本から生産技術者を派遣し国内・BFS工場で「姉妹工場制度」を発足させノウハウ移転を実施したが、設備更新が広範に及び改善には3〜4年を要した。その間も低生産性と高コスト体質が業績を圧迫したため、1992年にBFSは2500名の人員削減を実施。工場閉鎖を辞さない態度で労組規約を改定し休日操業を勝ち取り、固定費削減で1993年3月期に黒字化した。
工場閉鎖を交渉材料に労組規約を改定し黒字化した再建の構図 - 欧州に統括会社を設立(組織再編)
米国BFSと同様に、ブリヂストンはファイアストンの欧州事業についても大規模なリストラを実施。ポーランドの工場閉鎖や、1500名の人員削減などを遂行した。
- 南アフリカのFedstoneを買収
1997年1月に南アフリカのFedstone(現ブリヂストン・サウスアフリカ・ホールディングス)を買収し、Firestone South Africaを連結子会社化した。すなわちアフリカ市場での生産・販売拠点を一括獲得し、グローバル網にアフリカを組み込んだ。
- タイに現地生産子会社を設立
- 米でタイヤ自主回収(欠陥疑惑)
米国におけるタイヤの欠陥疑惑を受けて、650万本の自主回収を決定。2000年12月期に「製品自主回収関連損失」として814億円、翌年2001年12月期にも同803億円を計上し、合計1617億円を回収に係る損失として計上した。
- 米国に統括会社を設立(組織再編)
- 中国に統括会社を設立
- BADAG社を買収(リトレッド)
- 仏ETS PAUL AYME社を買収(タイヤ販売)
- 蘭TOM TOM TELEMATICS社を買収(運行管理システム)
- 最終赤字に転落
- 中期事業計画を公表・生産拠点集約を開始
- 米AZUGA HDを買収
- OTRACO社を買収
歴史的証言
年々ふえる自動車タイヤの需要に対処するため、同社の久留米工場(工場敷地10万坪・月産能力2500トン)に劣らぬ規模の生産設備を新設することになった
当社の生産活動でいちばん目につくのは、工場数が少ないことである。自動車タイヤは1960年まで久留米工場のみで生産していた。それでも、横浜ゴムや東洋ゴム、住友ゴムの全工場の生産高を上回っていたのである
国内で完勝した経営力が、世界の強豪を相手に、これからも通用するかどうかが見ものである
ブリヂストンの憂鬱は、国内での多角化に石橋を叩いても渡ろうとしない超堅実経営がもたらした発展の限界がある以上、米国内へ一歩踏み入れるまで晴れることはあるまい