沿革年表 1931〜2025年における重要度別の出来事(合計36件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
ブリッヂストンタイヤ株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
ブリヂストンの設立は、地下足袋で培ったゴム技術のタイヤへの転用と、石橋家100%出資の別会社化という二つの判断に集約される。高リスク事業を母体の日本足袋から切り離すリスク分散策が、結果として石橋家にタイヤ事業の株主利益を独占させる構造を生んだ。富裕税申告で日本1位に至った石橋家の蓄財は、非上場30年間の資本政策の帰結であり、美術館運営や政財界への進出もこの構造に由来する。
1931
1-12月
タイヤの初期不良が続出
1930年からタイヤ生産を開始したブリヂストンは、外国製1本100円台に対して50円という低価格で市場に参入。販売は拡大したが品質が安定せず、ゴム破裂など初期不良が続出した。無償交換を謳った結果、わざと破損させ交換を要求する購入者も誘発し、3年間で約10万本が返品された。返品品は廃棄せず荷馬車用に補修販売または再生ゴム原料に転用し全損を回避したが、3年間で100万円超の損失を計上。国産化の技術的困難を示す試練となった。
不良品10万本の返品を受け入れた創業期の品質保証コスト
1933
1-12月
久留米工場を新設
トヨタ・日産など国内自動車メーカーの相次ぐ創業・増産に対応するため、ブリヂストンは久留米市内にタイヤ量産工場の新設を決定し、1934年3月に久留米第1工場を竣工した。当初は自動車用タイヤが中心だったが、1939年に軍の要請で飛行機用タイヤ生産を開始。戦時中は陸海軍向けトラック用に加え軍用航空機向けタイヤを生産し、最盛期には学徒動員を含む5000名の工員が軍用タイヤ生産に従事した。
1934
1-12月
ゴルフボールの生産開始
1935
1-12月
本社を東京に移転
1937
1-12月
日本タイヤ株式会社へ社名変更
1942年2月に戦時下の英語名忌避を背景に「日本タイヤ株式会社」へ社名を変更した。1951年2月にブリヂストンタイヤへ復名するまで、創業ブランド名を一時的に手放した期間となった。
1942
1-12月
自転車事業を「ブリヂストン自転車(株)」に分離
1949
1-12月
ブリヂストンタイヤ株式会社に商号変更
1951
1-12月
米グッドイヤー社と提携
石橋正二郎は、ブリヂストンのタイヤ生産性を米国メーカーの1/5程度と判断し、原料も従来の綿コード(天然繊維)からレーヨンコード(化学繊維)への転換が急務とした。よって海外からの生産技術導入を決定し、1951年に米グッドイヤー社と提携、当時最先端のレーヨンによるタイヤ製造設備の導入を図った。なお、グッドイヤー社はブリヂストンの株式25%取得を要求したが、石橋正二郎はこの申し出を断っている。
本社にブリヂストンビルを竣工・ブリヂストン美術館を併設
1938年に石橋正二郎は関東大震災で空き地となった東京・京橋の土地を購入し、戦時中は木造2階建ての事務所として使用した。戦後、石橋は本格本社ビルの建設を決定し、1952年1月にブリヂストンビルを竣工。2階に絵画コレクションを公開するブリヂストン美術館を併設した。1950年の渡米で美術館を視察し公開すべきとの考えに至ったことが契機。1956年には個人寄付で石橋財団を設立し、年間2億円予算で美術館運営・購入・学術文化支援に配分した。
同族経営の蓄財が文化事業に転化した石橋財団の設計
1952
1-12月
石橋家が富裕税納付申告で日本1位
久留米第2工場を新設
ナイロンコードによるタイヤ量産のため、久留米第2工場を新設。原料であるナイロンは、東レから購入
1958
1-12月
FY59
1959/12
売上高
272億円
当期純利益
19.1億円
重要事項
東京工場を新設(第1期・第2期)
歴史的意義yutaka sugiura
東京工場の投資額88億円は資本金25億円の3倍超に達し、その資金調達のために株式上場と倍額増資が必要となった。すなわち、モータリゼーションへの対応が石橋家の同族経営から公開企業への転換を促す構造的な契機となった。久留米から800名を配置転換する人事異動も含めて、ブリヂストンは九州の同族企業から首都圏の上場メーカーへと変貌し、国内シェア46%で業界首位を確立した。
FY60
1960/12
売上高
369億円
当期純利益
24.4億円
東京証券取引所に株式上場
国内における自動車の普及によりタイヤの増産(東京工場の新設など)が必要になったため、資金調達のために株式上場を決定。1961年に東京証券取引所に株式を上場し、石橋家による非上場同族経営から決別した。なお、株式上場直後の1961年12月時点において、石橋幹一郎氏が20.4%。石橋正二郎氏が11.8%、石橋財団が10.0%保有しており、石橋家による保有形態は継続した。
FY61
1961/12
売上高
487億円
当期純利益
55.3億円
FY62
1962/12
売上高
549億円
当期純利益
52.3億円
FY63
1963/12
売上高
607億円
当期純利益
43.4億円
乗用車向けラジアルタイヤを開発
FY64
1964/12
売上高
684億円
当期純利益
34.6億円
FY65
1965/12
売上高
736億円
当期純利益
38.6億円
FY66
1966/12
売上高
822億円
当期純利益
42.6億円
ブリヂストンタイヤショップ制度を開始
FY67
1967/12
売上高
939億円
当期純利益
50.7億円
FY68
1968/12
売上高
1,050億円
当期純利益
57.4億円
FY69
1969/12
売上高
1,246億円
当期純利益
68.5億円
FY70
1970/12
売上高
1,511億円
当期純利益
76.5億円
FY71
1971/12
売上高
1,573億円
当期純利益
68.3億円
FY72
1972/12
売上高
1,788億円
当期純利益
96.7億円
柴本重理氏が社長就任
FY73
1973/12
売上高
2,258億円
当期純利益
118.4億円
FY74
1974/12
売上高
2,944億円
当期純利益
119.5億円
FY75
1975/12
売上高
2,953億円
当期純利益
165億円
創業者・石橋正二郎氏が逝去
FY76
1976/12
売上高
3,271億円
当期純利益
125億円
FY77
1977/12
売上高
3,538億円
当期純利益
137億円
FY78
1978/12
売上高
3,699億円
当期純利益
149億円
FY79
1979/12
売上高
4,343億円
当期純利益
253億円
豪UNIROYAL社を買収
FY80
1980/12
売上高
4,176億円
当期純利益
244億円
FY81
1981/12
売上高
5,140億円
当期純利益
141億円
FY82
1982/12
売上高
4,908億円
当期純利益
171億円
米ファイアストンのナッシュビル工場を取得
1980年代を通じてブリヂストンは自動車用タイヤのグローバル展開を志向し、1982年に米国現地法人を設立。1983年には米ファイアストンが閉鎖検討中のナッシュビル工場(トラック用)を取得し生産を開始した。改善で3年で黒字化したが、本質的課題は生産より販路にあった。利益率の高い補修用タイヤには現地ディーラー網が不可欠で後発は困難、完成車向けも米ビッグスリーは現地メーカーが占有。よってこの認識が1988年のファイアストン本体買収に直結した。
ナッシュビル工場の黒字化がFS本体買収に至る布石となった構図
FY83
1983/12
売上高
5,134億円
当期純利益
154億円
株式会社ブリヂストンに商号変更
FY84
1984/12
売上高
5,467億円
当期純利益
176億円
重要事項企業買収
米ファイアストンを買収(米国5工場・欧州6工場)
ファイアストン買収の本質は、国際化の機会に対してブリヂストンがいくら支払う用意があるかという問いであった。当初7.5億ドルの合弁計画がピレリの参入で26億ドルに膨張し、さらに設備更新1500億円を加えた総額4900億円が最終的な国際化コストとなった。GMの契約打ち切りと設備老朽化は想定外であったが、この買収がなければ欧米市場への参入機会は失われていた。投資回収に10年を要した事実は、大型M&Aの成否が短期業績では判断できないことを示す。
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FY88
1988/12
FY91
1991/12
売上高
17,638億円
当期純利益
74億円
米国現地法人BFSで大規模リストラ
1989年にブリヂストンは米国現地法人とファイアストンを統合し統括会社BFSを設立。日本から生産技術者を派遣し国内・BFS工場で「姉妹工場制度」を発足させノウハウ移転を実施したが、設備更新が広範に及び改善には3〜4年を要した。その間も低生産性と高コスト体質が業績を圧迫したため、1992年にBFSは2500名の人員削減を実施。工場閉鎖を辞さない態度で労組規約を改定し休日操業を勝ち取り、固定費削減で1993年3月期に黒字化した。
工場閉鎖を交渉材料に労組規約を改定し黒字化した再建の構図
FY92
1992/12
売上高
17,451億円
当期純利益
284億円
FY93
1993/12
売上高
15,991億円
当期純利益
283億円
欧州に統括会社を設立(組織再編)
米国BFSと同様に、ブリヂストンはファイアストンの欧州事業についても大規模なリストラを実施。ポーランドの工場閉鎖や、1500名の人員削減などを遂行した。
FY94
1994/12
売上高
15,950億円
当期純利益
318億円
FY95
1995/12
売上高
16,866億円
当期純利益
541億円
FY96
1996/12
売上高
19,580億円
当期純利益
703億円
企業買収
南アフリカのFedstoneを買収
1997年1月に南アフリカのFedstone(現ブリヂストン・サウスアフリカ・ホールディングス)を買収し、Firestone South Africaを連結子会社化した。すなわちアフリカ市場での生産・販売拠点を一括獲得し、グローバル網にアフリカを組み込んだ。
FY97
1997/12
売上高
21,708億円
当期純利益
391億円
FY98
1998/12
売上高
22,366億円
当期純利益
1,046億円
FY99
1999/12
売上高
20,857億円
当期純利益
886億円
タイに現地生産子会社を設立
FY00
2000/12
売上高
20,069億円
親会社株主に帰属する当期純利益
177億円
重要事項
米でタイヤ自主回収(欠陥疑惑)
米国におけるタイヤの欠陥疑惑を受けて、650万本の自主回収を決定。2000年12月期に「製品自主回収関連損失」として814億円、翌年2001年12月期にも同803億円を計上し、合計1617億円を回収に係る損失として計上した。
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米国に統括会社を設立(組織再編)
FY01
2001/12
売上高
21,338億円
親会社株主に帰属する当期純利益
173億円
FY02
2002/12
売上高
22,477億円
親会社株主に帰属する当期純利益
453億円
FY03
2003/12
売上高
23,039億円
親会社株主に帰属する当期純利益
887億円
中国に統括会社を設立
FY04
2004/12
売上高
24,166億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,144億円
荒川詔四
FY05
2005/12
売上高
26,913億円
当期純利益
1,807億円
荒川詔四
FY06
2006/12
売上高
29,912億円
当期純利益
851億円
荒川詔四
BADAG社を買収(リトレッド)
FY07
2007/12
売上高
33,902億円
当期純利益
1,316億円
荒川詔四
FY08
2008/12
売上高
32,344億円
当期純利益
104億円
荒川詔四
FY09
2009/12
売上高
25,970億円
当期純利益
10億円
荒川詔四
FY10
2010/12
売上高
28,616億円
当期純利益
989億円
津谷正明
FY11
2011/12
売上高
30,243億円
当期純利益
1,029億円
津谷正明
FY12
2012/12
売上高
30,397億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,716億円
津谷正明
FY13
2013/12
売上高
35,680億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,020億円
津谷正明
FY14
2014/12
売上高
36,739億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,005億円
津谷正明
FY15
2015/12
売上高
37,902億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,842億円
津谷正明
FY16
2016/12
売上高
33,370億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,655億円
津谷正明
仏ETS PAUL AYME社を買収(タイヤ販売)
FY17
2017/12
売上高
36,434億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,882億円
津谷正明
FY18
2018/12
売上高
36,501億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,916億円
石橋秀一
蘭TOM TOM TELEMATICS社を買収(運行管理システム)
FY19
2019/12
売上高
35,256億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,925億円
石橋秀一
最終赤字に転落
FY20
2020/12
売上高
29,990億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-20億円
重要事項
石橋秀一
中期事業計画を公表・生産拠点集約を開始
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FY21
2021/12
売上高
32,460億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,940億円
米AZUGA HDを買収
OTRACO社を買収
石橋秀一
FY22
2022/12
売上高
41,100億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,003億円
石橋秀一
FY23
2023/12
売上高
43,138億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,313億円
石橋秀一
FY24
2024/12
売上高
44,300億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,849億円
森田泰博
FY25
2025/12
売上高
44,294億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,272億円
  1. ブリッヂストンタイヤ株式会社を設立
    ブリヂストンの設立は、地下足袋で培ったゴム技術のタイヤへの転用と、石橋家100%出資の別会社化という二つの判断に集約される。高リスク事業を母体の日本足袋から切り離すリスク分散策が、結果として石橋家にタイヤ事業の株主利益を独占させる構造を生んだ。富裕税申告で日本1位に至った石橋家の蓄財は、非上場30年間の資本政策の帰結であり、美術館運営や政財界への進出もこの構造に由来する。
  2. タイヤの初期不良が続出

    1930年からタイヤ生産を開始したブリヂストンは、外国製1本100円台に対して50円という低価格で市場に参入。販売は拡大したが品質が安定せず、ゴム破裂など初期不良が続出した。無償交換を謳った結果、わざと破損させ交換を要求する購入者も誘発し、3年間で約10万本が返品された。返品品は廃棄せず荷馬車用に補修販売または再生ゴム原料に転用し全損を回避したが、3年間で100万円超の損失を計上。国産化の技術的困難を示す試練となった。

    不良品10万本の返品を受け入れた創業期の品質保証コスト
  3. 久留米工場を新設

    トヨタ・日産など国内自動車メーカーの相次ぐ創業・増産に対応するため、ブリヂストンは久留米市内にタイヤ量産工場の新設を決定し、1934年3月に久留米第1工場を竣工した。当初は自動車用タイヤが中心だったが、1939年に軍の要請で飛行機用タイヤ生産を開始。戦時中は陸海軍向けトラック用に加え軍用航空機向けタイヤを生産し、最盛期には学徒動員を含む5000名の工員が軍用タイヤ生産に従事した。

  4. ゴルフボールの生産開始
  5. 本社を東京に移転
  6. 日本タイヤ株式会社へ社名変更

    1942年2月に戦時下の英語名忌避を背景に「日本タイヤ株式会社」へ社名を変更した。1951年2月にブリヂストンタイヤへ復名するまで、創業ブランド名を一時的に手放した期間となった。

  7. 自転車事業を「ブリヂストン自転車(株)」に分離
  8. ブリヂストンタイヤ株式会社に商号変更
  9. 米グッドイヤー社と提携

    石橋正二郎は、ブリヂストンのタイヤ生産性を米国メーカーの1/5程度と判断し、原料も従来の綿コード(天然繊維)からレーヨンコード(化学繊維)への転換が急務とした。よって海外からの生産技術導入を決定し、1951年に米グッドイヤー社と提携、当時最先端のレーヨンによるタイヤ製造設備の導入を図った。なお、グッドイヤー社はブリヂストンの株式25%取得を要求したが、石橋正二郎はこの申し出を断っている。

  10. 本社にブリヂストンビルを竣工・ブリヂストン美術館を併設

    1938年に石橋正二郎は関東大震災で空き地となった東京・京橋の土地を購入し、戦時中は木造2階建ての事務所として使用した。戦後、石橋は本格本社ビルの建設を決定し、1952年1月にブリヂストンビルを竣工。2階に絵画コレクションを公開するブリヂストン美術館を併設した。1950年の渡米で美術館を視察し公開すべきとの考えに至ったことが契機。1956年には個人寄付で石橋財団を設立し、年間2億円予算で美術館運営・購入・学術文化支援に配分した。

    同族経営の蓄財が文化事業に転化した石橋財団の設計
  11. 石橋家が富裕税納付申告で日本1位
  12. 久留米第2工場を新設

    ナイロンコードによるタイヤ量産のため、久留米第2工場を新設。原料であるナイロンは、東レから購入

  13. 東京工場を新設(第1期・第2期)
    東京工場の投資額88億円は資本金25億円の3倍超に達し、その資金調達のために株式上場と倍額増資が必要となった。すなわち、モータリゼーションへの対応が石橋家の同族経営から公開企業への転換を促す構造的な契機となった。久留米から800名を配置転換する人事異動も含めて、ブリヂストンは九州の同族企業から首都圏の上場メーカーへと変貌し、国内シェア46%で業界首位を確立した。
  14. 東京証券取引所に株式上場

    国内における自動車の普及によりタイヤの増産(東京工場の新設など)が必要になったため、資金調達のために株式上場を決定。1961年に東京証券取引所に株式を上場し、石橋家による非上場同族経営から決別した。なお、株式上場直後の1961年12月時点において、石橋幹一郎氏が20.4%。石橋正二郎氏が11.8%、石橋財団が10.0%保有しており、石橋家による保有形態は継続した。

  15. 乗用車向けラジアルタイヤを開発
  16. ブリヂストンタイヤショップ制度を開始
  17. 柴本重理氏が社長就任
  18. 創業者・石橋正二郎氏が逝去
  19. 豪UNIROYAL社を買収
  20. 米ファイアストンのナッシュビル工場を取得

    1980年代を通じてブリヂストンは自動車用タイヤのグローバル展開を志向し、1982年に米国現地法人を設立。1983年には米ファイアストンが閉鎖検討中のナッシュビル工場(トラック用)を取得し生産を開始した。改善で3年で黒字化したが、本質的課題は生産より販路にあった。利益率の高い補修用タイヤには現地ディーラー網が不可欠で後発は困難、完成車向けも米ビッグスリーは現地メーカーが占有。よってこの認識が1988年のファイアストン本体買収に直結した。

    ナッシュビル工場の黒字化がFS本体買収に至る布石となった構図
  21. 株式会社ブリヂストンに商号変更
  22. 米国現地法人BFSで大規模リストラ

    1989年にブリヂストンは米国現地法人とファイアストンを統合し統括会社BFSを設立。日本から生産技術者を派遣し国内・BFS工場で「姉妹工場制度」を発足させノウハウ移転を実施したが、設備更新が広範に及び改善には3〜4年を要した。その間も低生産性と高コスト体質が業績を圧迫したため、1992年にBFSは2500名の人員削減を実施。工場閉鎖を辞さない態度で労組規約を改定し休日操業を勝ち取り、固定費削減で1993年3月期に黒字化した。

    工場閉鎖を交渉材料に労組規約を改定し黒字化した再建の構図
  23. 欧州に統括会社を設立(組織再編)

    米国BFSと同様に、ブリヂストンはファイアストンの欧州事業についても大規模なリストラを実施。ポーランドの工場閉鎖や、1500名の人員削減などを遂行した。

  24. 企業買収
    南アフリカのFedstoneを買収

    1997年1月に南アフリカのFedstone(現ブリヂストン・サウスアフリカ・ホールディングス)を買収し、Firestone South Africaを連結子会社化した。すなわちアフリカ市場での生産・販売拠点を一括獲得し、グローバル網にアフリカを組み込んだ。

  25. タイに現地生産子会社を設立
  26. 米国に統括会社を設立(組織再編)
  27. 中国に統括会社を設立
  28. BADAG社を買収(リトレッド)
  29. 仏ETS PAUL AYME社を買収(タイヤ販売)
  30. 蘭TOM TOM TELEMATICS社を買収(運行管理システム)
  31. 最終赤字に転落
  32. 米AZUGA HDを買収
  33. OTRACO社を買収