ニコンの沿革(1917〜2024年)
ニコンの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1917 1-12月 | 日本光学工業株式会社を設立 | 軍需100%で急膨張した光学企業が内包した終戦リスク | ||||
1927 1-12月 | 光学ガラスの量産に成功 | |||||
1933 1-12月 | 軍需生産のため増産投資を本格化 軍需依存という事業の性格上、1922年に海軍軍縮条約が決まるとニコンは経営危機に陥る。解雇に反対する労働者との壮絶な労働争議に直面したが、1930年代の軍事拡張の流れに乗り業績を回復。1933年からは設備投資を積極化し、首都圏(平塚・溝の口)を中心に大規模な軍需工場を新設。爆撃照準器などの光学機器の量産をすることで、1945年の終戦時点でニコンは2.5万人・20工場を擁す巨大な軍事企業となった。 | |||||
1945 1-12月 | 2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ 1945年の終戦に伴い軍需を喪失したため、ニコン(斯波孝四郎・当時会長)は、大井工場を除く19工場の閉鎖を決断。従業員約2万名を整理回顧し、1724名を残して再起を図った。ニコンとしては思い切った生産規模の縮小を決断した。
ニコンは民需転換のために、精密機械であるカメラ(ボディー)に新規参入を決定。戦時中のニコンは光学機器(レンズ)の製造が中心であり、カメラへの参入は初となった。参入当初は部品製造や量産の確立に苦労し、毎月のように給料は遅配であったという。 | |||||
1948 1-12月 | カメラ及びレンズの量産開始 | |||||
1949 1-12月 | 東京証券取引所に株式上場 | |||||
FY63 1963/3 | 国内で生産拠点を拡充 1960年代以降、ニコンは「カメラ・レンズ」の輸出が本格化するために国内の生産体制を増強。国内における工場新設に加えて、外注先企業への資本参加を推進し、量産体制を確立した。
外注先の買収は、桜電子(栃木ニコン)、橘製作所(水戸ニコン)であり、これに仙台ニコンを加えて3社が「ニコンの御三家」と呼ばれ、生産拠点として活用された。なお、別会社として運営した理由は、地方における賃金体系に合わせるため(人件費の抑制)であったと推定される。 | |||||
FY65 1965/3 | 高級カメラを重視 | |||||
FY75 1975/3 | カメラ輸出の低迷・業績低迷へ | |||||
FY76 1976/3 | 売上高 578億円 | 当期純利益 13億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 662億円 | 当期純利益 16.2億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 746億円 | 当期純利益 17.4億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 841億円 | 当期純利益 27.8億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 974億円 | 当期純利益 32.7億円 | 半導体製造装置(ステッパー)に参入 | 傍流部門の技術が生んだステッパー事業と国内顧客依存の構造的脆弱性 | ||
FY81 1981/3 | 売上高 1,120億円 | 当期純利益 39億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 1,247億円 | 当期純利益 39.5億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 1,352億円 | 当期純利益 29.6億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 1,435億円 | 当期純利益 25.3億円 | ステッパーの量産を開始 | シェア首位を支えた国内顧客基盤がASML台頭で構造的弱点に転じた逆説 | ||
FY85 1985/3 | 売上高 1,877億円 | 当期純利益 50.3億円 | ||||
FY89 1989/3 | 商号を株式会社ニコンに変更 | |||||
FY90 1990/3 | カメラ生産をタイに移管 | 円高対応から始まり30年かけて完了した国内生産の海外移管 | ||||
FY91 1991/3 | 水戸製作所を新設 | |||||
FY94 1994/3 | 売上高 2,461億円 | 当期純利益 -43億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 2,884億円 | 当期純利益 15億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 3,327億円 | 当期純利益 185億円 | ||||
FY97 1997/3 | 売上高 3,790億円 | 当期純利益 199億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 3,721億円 | 当期純利益 83億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 3,057億円 | 当期純利益 -182億円 | ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落 | 国内顧客依存が招いたシェア喪失と研究開発費縮小の悪循環構造 | ||
FY00 2000/3 | 売上高 3,718億円 | 当期純利益 77億円 | ||||
FY01 2001/3 | 売上高 4,839億円 | 当期純利益 209億円 | ||||
FY02 2002/3 | 売上高 4,829億円 | 当期純利益 -60億円 | divestiture | 中国でカメラの現地生産を開始 | コンパクトデジカメの消滅が15年で中国進出を無に帰した市場構造変化 | |
FY03 2003/3 | 売上高 4,689億円 | 当期純利益 -81億円 | ||||
FY04 2004/3 | 売上高 5,063億円 | 当期純利益 24億円 | ||||
FY05 2005/3 | 売上高 6,384億円 | 当期純利益 241億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 7,309億円 | 当期純利益 289億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 8,228億円 | 当期純利益 548億円 | ||||
FY08 2008/3 | 売上高 9,557億円 | 当期純利益 754億円 | ||||
FY09 2009/3 | 売上高 8,797億円 | 当期純利益 280億円 | ||||
FY10 2010/3 | 売上高 7,854億円 | 当期純利益 -126億円 | 最終赤字に転落 | |||
FY11 2011/3 | 売上高 8,875億円 | 当期純利益 273億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 9,186億円 | 当期純利益 593億円 | ||||
FY13 2013/3 | 売上高 10,104億円 | 当期純利益 424億円 | alliance | インテルと半導体製造装置で提携 | ASML寡占下でインテルの牽制策に乗じた事業存続の模索 | |
FY14 2014/3 | 売上高 9,805億円 | 当期純利益 468億円 | ||||
FY15 2015/3 | 売上高 8,577億円 | 当期純利益 183億円 | オプトスを買収(眼底カメラ) メディカルにおける新規事業の展開を決定し、海外の眼底カメラメーカーのオプトスを買収。 | |||
FY16 2016/3 | 売上高 8,229億円 | 当期純利益 221億円 | ||||
FY17 2017/3 | 売上収益 7,492億円 | 当期利益 39億円 | divestiture | 構造改革を公表・1000名を削減計画 | 外部CFOが主導した縮小均衡型の構造改革と残された成長課題 | |
FY18 2018/3 | 売上収益 7,171億円 | 当期利益 347億円 | ||||
FY19 2019/3 | 売上収益 7,086億円 | 当期利益 665億円 | ||||
FY20 2020/3 | 売上収益 5,910億円 | 当期利益 76億円 | ||||
FY21 2021/3 | 売上収益 4,512億円 | 当期利益 -344億円 | 最終赤字に転落 コロナによるカメラ需要のさらなる低迷により、映像事業で赤字が拡大。FY2020に最終赤字に転落へ | |||
FY22 2022/3 | 売上収益 5,396億円 | 当期利益 426億円 | ||||
FY23 2023/3 | 売上収益 6,281億円 | 当期利益 432億円 | SLM Solutionsを買収(3Dプリンター) | |||
FY24 2024/3 | 売上収益 7,172億円 | 当期利益 321億円 |
- 日本光学工業株式会社を設立軍需100%で急膨張した光学企業が内包した終戦リスク
- 光学ガラスの量産に成功
- 軍需生産のため増産投資を本格化
軍需依存という事業の性格上、1922年に海軍軍縮条約が決まるとニコンは経営危機に陥る。解雇に反対する労働者との壮絶な労働争議に直面したが、1930年代の軍事拡張の流れに乗り業績を回復。1933年からは設備投資を積極化し、首都圏(平塚・溝の口)を中心に大規模な軍需工場を新設。爆撃照準器などの光学機器の量産をすることで、1945年の終戦時点でニコンは2.5万人・20工場を擁す巨大な軍事企業となった。
- 2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ
1945年の終戦に伴い軍需を喪失したため、ニコン(斯波孝四郎・当時会長)は、大井工場を除く19工場の閉鎖を決断。従業員約2万名を整理回顧し、1724名を残して再起を図った。ニコンとしては思い切った生産規模の縮小を決断した。 ニコンは民需転換のために、精密機械であるカメラ(ボディー)に新規参入を決定。戦時中のニコンは光学機器(レンズ)の製造が中心であり、カメラへの参入は初となった。参入当初は部品製造や量産の確立に苦労し、毎月のように給料は遅配であったという。
- カメラ及びレンズの量産開始
- 東京証券取引所に株式上場
- 国内で生産拠点を拡充
1960年代以降、ニコンは「カメラ・レンズ」の輸出が本格化するために国内の生産体制を増強。国内における工場新設に加えて、外注先企業への資本参加を推進し、量産体制を確立した。 外注先の買収は、桜電子(栃木ニコン)、橘製作所(水戸ニコン)であり、これに仙台ニコンを加えて3社が「ニコンの御三家」と呼ばれ、生産拠点として活用された。なお、別会社として運営した理由は、地方における賃金体系に合わせるため(人件費の抑制)であったと推定される。
- 高級カメラを重視
- カメラ輸出の低迷・業績低迷へ
- 半導体製造装置(ステッパー)に参入傍流部門の技術が生んだステッパー事業と国内顧客依存の構造的脆弱性
- ステッパーの量産を開始シェア首位を支えた国内顧客基盤がASML台頭で構造的弱点に転じた逆説
- 商号を株式会社ニコンに変更
- カメラ生産をタイに移管円高対応から始まり30年かけて完了した国内生産の海外移管
- 水戸製作所を新設
- ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落国内顧客依存が招いたシェア喪失と研究開発費縮小の悪循環構造
- 中国でカメラの現地生産を開始コンパクトデジカメの消滅が15年で中国進出を無に帰した市場構造変化
- 最終赤字に転落
- インテルと半導体製造装置で提携ASML寡占下でインテルの牽制策に乗じた事業存続の模索
- オプトスを買収(眼底カメラ)
メディカルにおける新規事業の展開を決定し、海外の眼底カメラメーカーのオプトスを買収。
- 構造改革を公表・1000名を削減計画外部CFOが主導した縮小均衡型の構造改革と残された成長課題
- 最終赤字に転落
コロナによるカメラ需要のさらなる低迷により、映像事業で赤字が拡大。FY2020に最終赤字に転落へ
- SLM Solutionsを買収(3Dプリンター)