沿革年表 1917〜2025年における重要度別の出来事(合計49件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
日本光学工業株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
三菱財閥が海軍の要請で設立した日本光学は、軍需光学機器の独占的供給者として急速に規模を拡大し、終戦時には2万5000名を擁する巨大企業となった。しかし軍需100%という事業構造は、終戦と同時に全需要を喪失する脆弱性を内包していた。光学ガラスの量産に10年を要したことが示すように、技術蓄積には長期間を要する一方、軍需依存の事業モデルは構造的に終戦リスクを排除できなかった。
1917
1-12月
重要事項会社設立
光学機器国産化へ東京計器製作所光学計器部門と岩城硝子製造所反射鏡部門を統合、三菱合資岩崎小彌太の出資で日本光学工業を設立(直後に藤井レンズ製造所も合併)
設備投資
大井第一工場(現・本社/イノベーションセンター)を新設
1918
1-12月
光学ガラスの量産に成功
1927
1-12月
軍需生産のため増産投資を本格化
軍需依存という事業の性格上、1922年に海軍軍縮条約が決まるとニコンは経営危機に陥る。解雇に反対する労働者との壮絶な労働争議に直面したが、1930年代の軍事拡張の流れに乗り業績を回復。1933年からは設備投資を積極化し、首都圏(平塚・溝の口)を中心に大規模な軍需工場を新設。爆撃照準器などの光学機器の量産をすることで、1945年の終戦時点でニコンは2.5万人・20工場を擁す巨大な軍事企業となった。
1933
1-12月
2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ
1945年の終戦で軍需を喪失したため、ニコン(斯波孝四郎・当時会長)は大井工場を除く19工場の閉鎖を決断。従業員約2万名を整理解雇し、1724名を残して再起を図った。生産規模の思い切った縮小であった。民需転換のため精密機械であるカメラ(ボディー)に新規参入を決定。戦時中のニコンは光学機器(レンズ)製造が中心であり、カメラへの参入は初となった。参入当初は部品製造や量産確立に苦労し、毎月のように給料は遅配であったという。
1945
1-12月
カメラ及びレンズの量産開始
1948
1-12月
東京証券取引所に株式上場
1949
1-12月
株式上場
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
海外進出
米国にNikon Sales Inc.(現・Nikon Inc.)を設立
FY54
1954/3
国内で生産拠点を拡充
1960年代以降、ニコンは「カメラ・レンズ」の輸出が本格化するために国内の生産体制を増強。国内における工場新設に加えて、外注先企業への資本参加を推進し、量産体制を確立した。外注先の買収は、桜電子(栃木ニコン)、橘製作所(水戸ニコン)であり、これに仙台ニコンを加えて3社が「ニコンの御三家」と呼ばれ、生産拠点として活用された。なお、別会社として運営した理由は、地方における賃金体系に合わせるため(人件費の抑制)であったと推定される。
FY63
1963/3
企業買収
桜電子工業株式会社(現・株式会社栃木ニコン)に経営参加
FY64
1964/3
高級カメラを重視
FY65
1965/3
設備投資
大井製作所大船工場 (現・横浜製作所) を新設
FY68
1968/3
海外進出
オランダにNikon Europe N.V.(現・Nikon Europe B.V.)を設立
FY69
1969/3
FY71
1971/3
売上高
304億円
当期純利益
22億円
設備投資
大井製作所相模原工場 (現・相模原製作所) を新設
FY72
1972/3
売上高
333億円
当期純利益
16億円
FY73
1973/3
売上高
404億円
当期純利益
18億円
FY74
1974/3
売上高
473億円
当期純利益
20億円
カメラ輸出の低迷・業績低迷へ
FY75
1975/3
売上高
560億円
当期純利益
17億円
FY76
1976/3
売上高
578億円
当期純利益
13億円
FY77
1977/3
売上高
662億円
当期純利益
16.2億円
FY78
1978/3
売上高
746億円
当期純利益
17.4億円
FY79
1979/3
売上高
841億円
当期純利益
27.8億円
重要事項
半導体製造装置(ステッパー)に参入
歴史的意義yutaka sugiura
ニコンのステッパーは社内傍流の特機部門から着想され、光学ガラスと精密位置決めの技術蓄積を活かして急速に事業化された。日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係を基盤に開発3年で売上100億円を突破したが、この国内顧客依存の構造は、1990年代以降の半導体産業の地理的シフトに対して脆弱性を内包していた。
FY80
1980/3
売上高
974億円
当期純利益
32.7億円
FY81
1981/3
売上高
1,120億円
当期純利益
39億円
FY82
1982/3
売上高
1,247億円
当期純利益
39.5億円
海外進出
米国にNikon Precision Inc. を設立
FY83
1983/3
売上高
1,352億円
当期純利益
29.6億円
重要事項
ステッパーの量産を開始
ニコンは熊谷製作所の新設と継続的な研究開発投資により、1998年頃まで世界シェア1位を維持した。しかしその競争力は日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係に依存しており、半導体産業の重心が台湾・韓国にシフトした局面で、国内顧客基盤という強みが構造的な弱点に転じた。ASML社が海外顧客との協業でシェアを拡大する間に、顧客転換の遅れが表面化した。
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FY84
1984/3
売上高
1,435億円
当期純利益
25.3億円
設備投資
熊谷製作所を新設
FY85
1985/3
売上高
1,877億円
当期純利益
50.3億円
ニコンカメラ販売(現・株式会社ニコンイメージングジャパン)を設立
FY88
1988/3
商号を日本光学工業株式会社から、株式会社ニコンに変更
FY89
1989/3
商号を株式会社ニコンに変更
重要事項
カメラ生産をタイに移管
歴史的意義yutaka sugiura
プラザ合意後の円高を契機としたタイ進出は、当初は為替リスクへの対処であったが、30年をかけて国内カメラ生産の全量をタイに移管する結果となった。2007年時点でタイ現法の従業員は7964名に達し、ニコンの映像事業を支える唯一の生産拠点に成長した。生産移管の判断は為替対応を超え、ニコンの製造体制を構造的に転換させた。
FY90
1990/3
海外進出
タイに Nikon (Thailand) Co., Ltd. を設立
FY91
1991/3
水戸製作所を新設
設備投資
水戸製作所を新設
FY94
1994/3
売上高
2,461億円
当期純利益
-43億円
FY95
1995/3
売上高
2,884億円
当期純利益
15億円
海外進出
シンガポールにNikon Singapore Pte. Ltd.を設立
FY96
1996/3
売上高
3,327億円
当期純利益
185億円
FY97
1997/3
売上高
3,790億円
当期純利益
199億円
FY98
1998/3
売上高
3,721億円
当期純利益
83億円
重要事項
ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落
歴史的意義yutaka sugiura
ニコンのステッパー事業は日本の半導体メーカーとの協業で世界シェア1位を維持したが、半導体産業の重心が台湾・韓国にシフトした局面で顧客転換に後手を踏んだ。ASML社が海外顧客との協業で好循環を確立する一方、ニコンはシェア喪失により研究開発費の原資を失い、次世代機開発で資金的に劣後する悪循環に陥った。東京エレクトロンとの明暗が、顧客転換の実行力の差を示す。
FY99
1999/3
売上高
3,057億円
当期純利益
-182億円
FY00
2000/3
売上高
3,718億円
当期純利益
77億円
FY01
2001/3
売上高
4,839億円
当期純利益
209億円
重要事項事業売却
中国でカメラの現地生産を開始
歴史的意義yutaka sugiura
ニコンの中国進出はデジタルカメラ普及期のコンパクト機量産を目的としたが、スマートフォンの台頭でコンパクトデジカメ市場自体が消滅し、15年で撤退に至った。イメージセンサーをソニーに依存していたニコンはスマホ需要を自社に取り込めず、市場の構造変化が中国拠点の存在意義を根本から消失させた。生産拠点の立地選択が市場の前提変化で無効化される構造を示す事例である。
FY02
2002/3
売上高
4,829億円
当期純利益
-60億円
FY03
2003/3
売上高
4,689億円
当期純利益
-81億円
苅谷道郎
FY04
2004/3
売上高
5,063億円
当期純利益
24億円
設備投資
苅谷道郎
横浜製作所横須賀分室(現・横須賀製作所)を新設
FY05
2005/3
売上高
6,384億円
当期純利益
241億円
海外進出
苅谷道郎
中国に Nikon Imaging (China) Sales Co., Ltd. を設立
FY06
2006/3
売上高
7,309億円
当期純利益
289億円
苅谷道郎
FY07
2007/3
売上高
8,228億円
当期純利益
548億円
苅谷道郎
FY08
2008/3
売上高
9,557億円
当期純利益
754億円
木村眞琴
FY09
2009/3
売上高
8,797億円
当期純利益
280億円
株式上場
木村眞琴
単元株式数を100株に変更
FY10
2010/3
売上高
7,854億円
当期純利益
-126億円
企業買収
ベルギーのMetris NV(現・Nikon Metrology NV)を完全子会社化
最終赤字に転落
木村眞琴
FY11
2011/3
売上高
8,875億円
当期純利益
273億円
木村眞琴
FY12
2012/3
売上高
9,186億円
親会社株主に帰属する当期純利益
593億円
業務提携
牛田一雄
インテルと半導体製造装置で提携
歴史的意義yutaka sugiura
ニコンのインテル提携は、ASML社がシェア80%を確保する寡占構造の中で、単独では研究開発費を賄えなくなったニコンが事業存続を図る選択であった。インテル側にはASMLへの依存度を下げる牽制の意図があり、双方の利害が一致した。ただし450mmウエハ規格自体の不透明さもあり、提携の戦略的効果は限定的であった。
FY13
2013/3
売上高
10,104億円
親会社株主に帰属する当期純利益
424億円
牛田一雄
FY14
2014/3
売上高
9,805億円
親会社株主に帰属する当期純利益
468億円
牛田一雄
オプトスを買収(眼底カメラ)
メディカルにおける新規事業の展開を決定し、海外の眼底カメラメーカーのオプトスを買収。
FY15
2015/3
売上高
8,577億円
親会社株主に帰属する当期純利益
183億円
企業買収
牛田一雄
英国の Optos Plc を完全子会社化
FY16
2016/3
売上高
8,193億円
親会社株主に帰属する当期純利益
182億円
組織再編
牛田一雄
監査等委員会設置会社へ移行
FY17
2017/3
売上高
7,488億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-71億円
企業買収
英国のMark Roberts Motion Control Limitedを完全子会社化
重要事項事業売却
構造改革を公表・1000名を削減計画
歴史的意義yutaka sugiura
映像事業と半導体製造装置の二本柱が同時に不振に陥ったニコンは、外部から登用した岡副社長の主導で構造改革を実行し、1143名の希望退職と特別損失613億円を計上した。半導体装置事業の黒字化と映像事業の選択と集中という短期的な成果を上げたが、構造改革は既存事業の縮小均衡であり、次の成長事業の確立という本質的な課題は残された。
馬立稔和
FY18
2018/3
売上高
7,170億円
親会社株主に帰属する当期純利益
347億円
馬立稔和
FY19
2019/3
売上高
7,086億円
親会社株主に帰属する当期純利益
665億円
馬立稔和
FY20
2020/3
売上高
5,910億円
親会社株主に帰属する当期純利益
76億円
馬立稔和
最終赤字に転落
コロナによるカメラ需要のさらなる低迷により、映像事業で赤字が拡大。FY2020に最終赤字に転落へ
FY21
2021/3
売上高
4,512億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-344億円
企業買収
馬立稔和
米国のMorf3D Inc.(現・Nikon AM Synergy Inc.)に出資、子会社化
FY22
2022/3
売上高
5,396億円
親会社株主に帰属する当期純利益
426億円
馬立稔和
SLM Solutionsを買収(3Dプリンター)
FY23
2023/3
売上高
6,281億円
親会社株主に帰属する当期純利益
449億円
馬立稔和
米国にNikon Advanced Manufacturing Inc.を設立
FY24
2024/3
売上高
7,172億円
親会社株主に帰属する当期純利益
325億円
企業買収
ドイツのSLM Solutions Group AG(現・Nikon SLM Solutions AG)を完全子会社化
企業買収
大村泰弘
米国のRED.com, LLC(現・RED Digital Cinema, Inc.)を完全子会社化
FY25
2025/3
売上高
7,152億円
親会社株主に帰属する当期純利益
61億円
設備投資
本社を東京都品川区に移転
  1. 日本光学工業株式会社を設立
    三菱財閥が海軍の要請で設立した日本光学は、軍需光学機器の独占的供給者として急速に規模を拡大し、終戦時には2万5000名を擁する巨大企業となった。しかし軍需100%という事業構造は、終戦と同時に全需要を喪失する脆弱性を内包していた。光学ガラスの量産に10年を要したことが示すように、技術蓄積には長期間を要する一方、軍需依存の事業モデルは構造的に終戦リスクを排除できなかった。
  2. 会社設立
    光学機器国産化へ東京計器製作所光学計器部門と岩城硝子製造所反射鏡部門を統合、三菱合資岩崎小彌太の出資で日本光学工業を設立(直後に藤井レンズ製造所も合併)
  3. 設備投資
    大井第一工場(現・本社/イノベーションセンター)を新設
  4. 光学ガラスの量産に成功
  5. 軍需生産のため増産投資を本格化

    軍需依存という事業の性格上、1922年に海軍軍縮条約が決まるとニコンは経営危機に陥る。解雇に反対する労働者との壮絶な労働争議に直面したが、1930年代の軍事拡張の流れに乗り業績を回復。1933年からは設備投資を積極化し、首都圏(平塚・溝の口)を中心に大規模な軍需工場を新設。爆撃照準器などの光学機器の量産をすることで、1945年の終戦時点でニコンは2.5万人・20工場を擁す巨大な軍事企業となった。

  6. 2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ

    1945年の終戦で軍需を喪失したため、ニコン(斯波孝四郎・当時会長)は大井工場を除く19工場の閉鎖を決断。従業員約2万名を整理解雇し、1724名を残して再起を図った。生産規模の思い切った縮小であった。民需転換のため精密機械であるカメラ(ボディー)に新規参入を決定。戦時中のニコンは光学機器(レンズ)製造が中心であり、カメラへの参入は初となった。参入当初は部品製造や量産確立に苦労し、毎月のように給料は遅配であったという。

  7. カメラ及びレンズの量産開始
  8. 東京証券取引所に株式上場
  9. 株式上場
    東京証券取引所に株式上場
  10. 海外進出
    米国にNikon Sales Inc.(現・Nikon Inc.)を設立
  11. 国内で生産拠点を拡充

    1960年代以降、ニコンは「カメラ・レンズ」の輸出が本格化するために国内の生産体制を増強。国内における工場新設に加えて、外注先企業への資本参加を推進し、量産体制を確立した。外注先の買収は、桜電子(栃木ニコン)、橘製作所(水戸ニコン)であり、これに仙台ニコンを加えて3社が「ニコンの御三家」と呼ばれ、生産拠点として活用された。なお、別会社として運営した理由は、地方における賃金体系に合わせるため(人件費の抑制)であったと推定される。

  12. 企業買収
    桜電子工業株式会社(現・株式会社栃木ニコン)に経営参加
  13. 高級カメラを重視
  14. 設備投資
    大井製作所大船工場 (現・横浜製作所) を新設
  15. 海外進出
    オランダにNikon Europe N.V.(現・Nikon Europe B.V.)を設立
  16. 設備投資
    大井製作所相模原工場 (現・相模原製作所) を新設
  17. カメラ輸出の低迷・業績低迷へ
  18. 半導体製造装置(ステッパー)に参入
    ニコンのステッパーは社内傍流の特機部門から着想され、光学ガラスと精密位置決めの技術蓄積を活かして急速に事業化された。日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係を基盤に開発3年で売上100億円を突破したが、この国内顧客依存の構造は、1990年代以降の半導体産業の地理的シフトに対して脆弱性を内包していた。
  19. 海外進出
    米国にNikon Precision Inc. を設立
  20. 設備投資
    熊谷製作所を新設
  21. ニコンカメラ販売(現・株式会社ニコンイメージングジャパン)を設立
  22. 商号を日本光学工業株式会社から、株式会社ニコンに変更
  23. 商号を株式会社ニコンに変更
  24. カメラ生産をタイに移管
    プラザ合意後の円高を契機としたタイ進出は、当初は為替リスクへの対処であったが、30年をかけて国内カメラ生産の全量をタイに移管する結果となった。2007年時点でタイ現法の従業員は7964名に達し、ニコンの映像事業を支える唯一の生産拠点に成長した。生産移管の判断は為替対応を超え、ニコンの製造体制を構造的に転換させた。
  25. 海外進出
    タイに Nikon (Thailand) Co., Ltd. を設立
  26. 水戸製作所を新設
  27. 設備投資
    水戸製作所を新設
  28. 海外進出
    シンガポールにNikon Singapore Pte. Ltd.を設立
  29. ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落
    ニコンのステッパー事業は日本の半導体メーカーとの協業で世界シェア1位を維持したが、半導体産業の重心が台湾・韓国にシフトした局面で顧客転換に後手を踏んだ。ASML社が海外顧客との協業で好循環を確立する一方、ニコンはシェア喪失により研究開発費の原資を失い、次世代機開発で資金的に劣後する悪循環に陥った。東京エレクトロンとの明暗が、顧客転換の実行力の差を示す。
  30. 事業売却
    中国でカメラの現地生産を開始
    ニコンの中国進出はデジタルカメラ普及期のコンパクト機量産を目的としたが、スマートフォンの台頭でコンパクトデジカメ市場自体が消滅し、15年で撤退に至った。イメージセンサーをソニーに依存していたニコンはスマホ需要を自社に取り込めず、市場の構造変化が中国拠点の存在意義を根本から消失させた。生産拠点の立地選択が市場の前提変化で無効化される構造を示す事例である。
  31. 設備投資
    横浜製作所横須賀分室(現・横須賀製作所)を新設
  32. 海外進出
    中国に Nikon Imaging (China) Sales Co., Ltd. を設立
  33. 株式上場
    単元株式数を100株に変更
  34. 企業買収
    ベルギーのMetris NV(現・Nikon Metrology NV)を完全子会社化
  35. 最終赤字に転落
  36. 業務提携
    インテルと半導体製造装置で提携
    ニコンのインテル提携は、ASML社がシェア80%を確保する寡占構造の中で、単独では研究開発費を賄えなくなったニコンが事業存続を図る選択であった。インテル側にはASMLへの依存度を下げる牽制の意図があり、双方の利害が一致した。ただし450mmウエハ規格自体の不透明さもあり、提携の戦略的効果は限定的であった。
  37. オプトスを買収(眼底カメラ)

    メディカルにおける新規事業の展開を決定し、海外の眼底カメラメーカーのオプトスを買収。

  38. 企業買収
    英国の Optos Plc を完全子会社化
  39. 組織再編
    監査等委員会設置会社へ移行
  40. 企業買収
    英国のMark Roberts Motion Control Limitedを完全子会社化
  41. 事業売却
    構造改革を公表・1000名を削減計画
    映像事業と半導体製造装置の二本柱が同時に不振に陥ったニコンは、外部から登用した岡副社長の主導で構造改革を実行し、1143名の希望退職と特別損失613億円を計上した。半導体装置事業の黒字化と映像事業の選択と集中という短期的な成果を上げたが、構造改革は既存事業の縮小均衡であり、次の成長事業の確立という本質的な課題は残された。
  42. 最終赤字に転落

    コロナによるカメラ需要のさらなる低迷により、映像事業で赤字が拡大。FY2020に最終赤字に転落へ

  43. 企業買収
    米国のMorf3D Inc.(現・Nikon AM Synergy Inc.)に出資、子会社化
  44. SLM Solutionsを買収(3Dプリンター)
  45. 米国にNikon Advanced Manufacturing Inc.を設立
  46. 企業買収
    ドイツのSLM Solutions Group AG(現・Nikon SLM Solutions AG)を完全子会社化
  47. 企業買収
    米国のRED.com, LLC(現・RED Digital Cinema, Inc.)を完全子会社化
  48. 設備投資
    本社を東京都品川区に移転