ニコン

の歴史

創業

1917年

創業者

※三菱財閥

創業地

東京都

直近売上高(2025/3)

7,152億円

ニコンの長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1917年に創業したニコンは、軍需100%という偏った事業構造で出発したのか
A 第一次世界大戦でドイツ製光学機器の輸入が途絶し、軍艦の測距儀や潜望鏡を自前で賄えなくなった海軍が、国産化を強く求めたことが出発点である。要請を受けた三菱財閥の岩崎小弥太氏は、自前に精密光学の知見がなかったため、藤井レンズ製造所を買収し東京計器や岩城硝子の光学部門を統合して、1917年に日本光学工業を一から組み上げた。供給を保証する相手が海軍しかいない以上、需要は軍需へ偏らざるをえなかった。1927年に光学ガラスの安定量産へ届くまで試作と失敗の10年を要したのも、官需に支えられて初めて続けられた長期投資だった
Q なぜ1945年に軍需を失ったニコンは、量産経験のほぼ無い高級カメラへ転じたのか
A 終戦で軍需が一夜にして消え、残ったのは蓄えたレンズ設計力と高精度加工の技術だけだった。この技術を金に換えられる別の最終需要を探したとき、完成品カメラがその受け皿になった。大井工場を除く19工場を閉じて約2万名を整理し、1,724名で再起したニコンは、カメラボディの量産経験がほぼ無いまま1948年に量産を始める。国内にまだ本格的な高級カメラメーカーが育っておらず、進駐軍が持ち帰ったニッコールレンズが朝鮮戦争の報道現場で評価されたことが、輸出を前提とする高級機路線に賭ける後押しとなった。技術は同じまま、それを向ける需要だけを軍から民へ移した転換だった。
Q なぜ近年のニコンは、国内顧客と組む自前育成をやめて海外企業の買収で次の柱を探すのか
A 二度の業態転換を支えたのは、国内の高精度な顧客と組んで技術を磨く育成のやり方だった。だが半導体の主要顧客が台湾・韓国へ移り露光装置でASMLに抜かれ、カメラもスマートフォン普及とミラーレス出遅れで二本柱が同時に沈むと、1980年代に半導体メーカー群が果たしたような次の柱を国内で組む相手がいなくなった。そこで馬立稔和社長は2022年に最大3,000億円のM&A枠を掲げ、自前で育てる代わりに完成した事業を海外から買い取る道を選んだ。買う相手は眼底カメラのOptos、独自の圧縮・カラーサイエンスを持つRED.com、金属3DプリンターのSLM Solutionsと、いずれも祖業の光学と精密加工の延長にあった

1917年〜 戦前軍需光学の到達点と戦後の民需カメラへの転身

  1. 1917年日本光学工業株式会社を設立
  2. 1917年光学機器国産化へ東京計器製作所光学計器部門と岩城硝子製造所反射鏡部門を統合、三菱合資岩崎小彌太の出資で日本光学工業を設立(直後に藤井レンズ製造所も合併)
  3. 1918年大井第一工場(現・本社/イノベーションセンター)を新設
  4. 1933年軍需生産のため増産投資を本格化
  5. 1945年2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ
  6. 1953年米国にNikon Sales Inc.(現・Nikon Inc.)を設立
  7. 1963年国内で生産拠点を拡充

ニコンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

軍需依存から始まった光学ガラス国産化の10年

日本光学工業の前史は、明治末に芽生えた国内光学工業の黎明にさかのぼる。当時の光学機械は軍需民需を問わず外国からの輸入に頼っており、国内では陸海軍の兵器廠に加え、東京計器製作所の光学計器部門や藤井レンズ製造所といった少数の民間事業者が、光学兵器を中心に研究と試作を重ねていた段階にすぎなかった。望遠鏡や測距儀に欠かせない光学ガラスの自給はまだ遠く、これら民間の技術が散在したまま、まとまった量産基盤を欠いていた。第一次世界大戦が国産化の必要を一気に押し上げるまで、日本の光学工業は輸入品に依存する試作の域を出ていなかった。 [1][2]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]明治末に国内の光学工業が始まり、光学機械は軍需民需を問わず外国から輸入していた
    • [2]前史で光学兵器を研究試作した民間の担い手に東京計器製作所(光学計器部門)と藤井レンズ製造所が含まれる

第一次世界大戦の勃発によって、日本海軍が依存していたドイツ製光学機器の輸入ルートが全面的に途絶した。軍艦の測距儀や双眼鏡、潜望鏡といった装備に不可欠な光学部品を自前で賄えない以上、戦力の維持そのものが危うくなる状況に置かれた。海軍からの強い要請を受けた三菱財閥の岩崎小弥太は、民間の光学技術者を糾合して1917年に日本光学工業を設立することを決断した。創業直後に藤井レンズ製造所を買収して既存の技術基盤を確保し、1918年には大井工場を新設して本格的な生産体制の構築に着手した。ガラスの溶融炉を安定させ、均質なブロックを反復して得るまでには試作と失敗の10年近くを要し、1927年にようやく光学ガラスの安定量産に到達した。軍需用の高精度要求が、その後の民需進出を支える光学技術の底を深めた。 [3][4][5][6]

  • ニコン 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1917年7月 三菱合資会社社長 岩崎小彌太の出資をもって日本光学工業株式会社を設立
    • [4]設立直後に藤井レンズ製造所を統合(有報は『合併』)
    • [5]1918年1月 大井第一工場を新設
    • [6]1927年 光学ガラスの量産に成功

量産成功後の日本光学は軍需依存を強めながら規模を拡大した。関東大震災ののちには陸海軍の光学関係事業と技術人材を一手に引き継ぎ、国内の光学兵器製造をほぼ一社で担う立場となった。1933年以降は設備投資を積極化し、平塚や溝の口に軍需工場を相次いで新設する。測距儀、双眼鏡、照準器、潜望鏡といった海軍向け光学機器を主軸に、陸軍向け軍需品の生産量も太平洋戦争中期から急増した。1945年の終戦時点で従業員は約2万5000名、国内に20工場を擁する巨大な軍需コングロマリットに成長していたが、この規模拡大はそのまま単一顧客・単一需要への極度の依存を意味した。軍需100パーセントという事業構造そのものが終戦と同時に全需要を一夜で失うリスクを内包しており、戦後の縮小とそこからの民需転換劇を予告していた。 [7][8][9][10][11]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]関東大震災後に陸海軍の光学関係事業と技術人材を引き継ぎ、光学兵器製造をほぼ一社で担った
  • ニコン 有価証券報告書
    • [8]1933年から軍需生産のため増産投資を本格化
    • [9]首都圏(平塚・溝の口)に軍需工場を新設
    • [10]1945年終戦時点の従業員 約2万5000名(一次資料=有報の値を採用)
    • [11]終戦時点で国内に20工場を擁する
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]明治末に国内の光学工業が始まり、光学機械は軍需民需を問わず外国から輸入していた
    • [2]前史で光学兵器を研究試作した民間の担い手に東京計器製作所(光学計器部門)と藤井レンズ製造所が含まれる
    • [7]関東大震災後に陸海軍の光学関係事業と技術人材を引き継ぎ、光学兵器製造をほぼ一社で担った
  • ニコン 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1917年7月 三菱合資会社社長 岩崎小彌太の出資をもって日本光学工業株式会社を設立
    • [4]設立直後に藤井レンズ製造所を統合(有報は『合併』)
    • [5]1918年1月 大井第一工場を新設
    • [6]1927年 光学ガラスの量産に成功
  • ニコン 有価証券報告書
    • [8]1933年から軍需生産のため増産投資を本格化
    • [9]首都圏(平塚・溝の口)に軍需工場を新設
    • [10]1945年終戦時点の従業員 約2万5000名(一次資料=有報の値を採用)
    • [11]終戦時点で国内に20工場を擁する

2万名整理解雇を経た民需カメラへの突破

1945年の終戦にともなって、日本光学は大井工場を除く19工場の即時閉鎖を決め、約2万名の従業員を整理解雇して僅か1724名の態勢で再起を図った。戦時中のニコンは光学機器すなわちレンズや測距儀の製造が事業の中心であり、完成品としてのカメラボディを自社で量産した経験はほとんど無いに等しかった。それでも民需転換のためには完成品への進出が不可欠と判断し、1946年からカメラボディ本体の開発が本格化する。戦時中に培ったレンズ設計力と高精度加工技術を民需用の小型カメラへ再適用する試みで、国内にまだ本格的な高級カメラメーカーが育っていない状況のもと、輸出を前提にした高級機路線に賭ける経営判断だった。 [12][13]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [12]1945年終戦で大井工場を除く19工場を閉鎖、約2万名を整理解雇、1724名で再起
    • [13]戦時中は光学機器(レンズ)製造が中心でカメラボディ量産経験はほぼ無く、カメラ参入は初

終戦後に日本に駐留した進駐軍の将兵が、日本光学製レンズの解像度と色再現の質を現場で認め、米国本国へ持ち帰ったレンズを通じて口コミで評判が広がった。1950年12月のNew York Timesは、「ライフ誌専属写真技師が朝鮮戦争の取材でニッコールレンズを使用し、ドイツ製小型カメラレンズよりはるかに高度の正確さを有すると評価した」(New York Times 1950/12/10)と紹介された。1961年9月のダイヤモンド臨時増刊は「日本光学が、最高製品の生産を第一目標としたのに対し、キヤノンは売れる物、もうかるものを追ってきた」(ダイヤモンド臨時増刊 1961/09/10)と両社の対比を描き、ニコンが品質第一主義で輸出市場を開いた経緯を記した。1948年にカメラとレンズの量産を正式に開始し、翌年から輸出を本格化させて高級カメラメーカーとしての国際評価を確立する。軍需の巨大企業から民需の高級光学ブランドへの非連続な転換は、戦後産業史でも異例である。 [14][15][16]

  • New York Times(1950年12月10日)
    • [14]1950年12月のNew York Times(1950/12/10)がニッコールレンズの評価を紹介
  • ダイヤモンド臨時増刊(1961年9月10日, ダイヤモンド社)
    • [15]1961年9月のダイヤモンド臨時増刊(1961/09/10)が日本光学とキヤノンの対比を記載
  • ニコン 有価証券報告書
    • [16]1948年にカメラ及びレンズの量産を正式開始
  • ニコン 有価証券報告書
    • [12]1945年終戦で大井工場を除く19工場を閉鎖、約2万名を整理解雇、1724名で再起
    • [13]戦時中は光学機器(レンズ)製造が中心でカメラボディ量産経験はほぼ無く、カメラ参入は初
    • [16]1948年にカメラ及びレンズの量産を正式開始
  • New York Times(1950年12月10日)
    • [14]1950年12月のNew York Times(1950/12/10)がニッコールレンズの評価を紹介
  • ダイヤモンド臨時増刊(1961年9月10日, ダイヤモンド社)
    • [15]1961年9月のダイヤモンド臨時増刊(1961/09/10)が日本光学とキヤノンの対比を記載

1980年〜 ステッパー参入と光学・半導体の二本柱確立

  1. 1980年半導体製造装置(ステッパー)に参入
  2. 1982年米国にNikon Precision Inc. を設立
  3. 1984年ステッパーの量産を開始
  4. 1984年熊谷製作所を新設
  5. 1988年商号を日本光学工業株式会社から、株式会社ニコンに変更
  6. 1988年ニコンカメラ販売(現・株式会社ニコンイメージングジャパン)を設立
  7. 1990年カメラ生産をタイに移管

ニコンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

傍流技術から突破口を開いた露光装置の誕生

1964年9月のダイヤモンドはカメラ業界の過剰淘汰を取り上げ、「1954年、1955年の2年間に約30社が倒産、1956年から1958年の3年間では約20社が姿を消している」(ダイヤモンド 1964/09/28)と書いた。同記事は「カメラ偏重をさけるため、兼業部門に力を入れる企業が多くなっている」(ダイヤモンド 1964/09/28)とも指摘し、リコーやミノルタの事務機進出、キヤノンの卓上電子計算機開発などカメラ専業からの脱皮が業界共通の課題であると伝えた。ニコンの露光装置事業への展開も、この業界構造からの要請が動機となる。1976年に通産省主導で発足した超LSI技術研究組合にニコンも参画し、半導体製造装置の国産化という国家プロジェクトの一翼を担うこととなった。米系ステッパー供給元への依存を脱したいという国内半導体メーカー各社の要望が、研究組合結成の推進力だった。 [17]

  • ダイヤモンド(1964年9月28日, ダイヤモンド社)
    • [17]1964年9月のダイヤモンド(1964/09/28)がカメラ業界の淘汰を報じた

ニコン社内でこのプロジェクトの中心を担ったのは、カメラ事業ではなく、ルーリングエンジンやマイクロニッコールレンズといった傍流の精密光学技術を扱ってきた特機部門の吉田庄一郎だった。1972年に彼らがレーザー干渉計を組み込んだ座標測定器を開発していたことが、後のステッパー開発における位置決め精度の技術的基盤となる。1980年に初号機NSR-1010Gの開発に成功し、翌1981年からNEC・東芝への実機納入が始まる。日本の半導体メーカーが必要とする精度と生産性を米系競合より早く提供できた結果、1983年にはステッパーで世界シェア首位を獲得した。1984年12月の日経ビジネスは「高級カメラのニコンから、半導体製造装置のニコンとでも呼ばれそうな勢い」(日経ビジネス 1984/12/24)と書き、純利益最高水準を伝えた。FY1984には半導体関連機器の売上高が567億円へ拡大し、カメラと並ぶ第二の収益柱となった。 [18][19][20]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [18]1980年に半導体製造装置(ステッパー)に参入(初号機NSR-1010Gの型番は資産に無いが参入年は一致)
    • [20]FY1984の半導体関連機器売上高 567億円
  • 日経ビジネス(1984年12月24日, 日経BP)
    • [19]1984年12月の日経ビジネス(1984/12/24)が半導体製造装置への勢いを記述
  • ダイヤモンド(1964年9月28日, ダイヤモンド社)
    • [17]1964年9月のダイヤモンド(1964/09/28)がカメラ業界の淘汰を報じた
  • ニコン 有価証券報告書
    • [18]1980年に半導体製造装置(ステッパー)に参入(初号機NSR-1010Gの型番は資産に無いが参入年は一致)
    • [20]FY1984の半導体関連機器売上高 567億円
  • 日経ビジネス(1984年12月24日, 日経BP)
    • [19]1984年12月の日経ビジネス(1984/12/24)が半導体製造装置への勢いを記述

国内顧客密着が生んだ成功と脆弱性の同居

1985年のプラザ合意後に進行した急激な円高はカメラ輸出の採算を深く蝕み、国内生産の維持が経済的に困難となった。ニコンは1990年にタイに現地法人を設立してカメラ生産の海外移管を本格化させ、30年をかけて国内カメラ生産のほぼ全量をタイ工場へと集約した。タイ工場の従業員は2007年時点で7964名に達し、為替変動と人件費格差に対する防御線となった。カメラ事業は円高の逆風下でも輸出採算を確保し、ブランド力を維持したまま海外市場で拡大を続けた。国内雇用の縮小と海外拠点の巨大化という相反する動きは、戦後復興期の民需転換に続くもう一つの非連続な経営判断だった。 [21][22]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [21]1990年にタイへ現地法人を設立しカメラ生産の海外移管を本格化
    • [22]タイ工場の従業員は2007年(2007年3月期)に7964名

一方でステッパー事業は、日本の半導体メーカーとの緊密な協業関係で世界シェア30から50パーセントを安定的に維持した。NEC、東芝、日立、富士通、三菱電機といった国内顧客との共同開発型のビジネスモデルは、高い技術要求を糧に装置の性能を磨き上げる仕組みとなった。しかしこの国内顧客密着という成功要因そのものが、顧客基盤の地理的偏在という構造的な脆弱性を同時に内包していた点は、後年まで表に出なかった。1990年代後半から半導体産業の重心が台湾・韓国の新興メーカーへ移行していく過程でも、ニコンは既存顧客との関係を軸に事業を運営し続け、新興顧客への転換に後れを取る原因を内在させた。ステッパー収益の潤沢さが社内の危機感を鈍らせた面は、後に経営陣自身が振り返る点となった。

  • ニコン 有価証券報告書
    • [21]1990年にタイへ現地法人を設立しカメラ生産の海外移管を本格化
    • [22]タイ工場の従業員は2007年(2007年3月期)に7964名

1999年〜 ASML寡占下での二本柱同時不振と構造改革の断行

  1. 1999年ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落
  2. 2002年中国でカメラの現地生産を開始
  3. 2009年ベルギーのMetris NV(現・Nikon Metrology NV)を完全子会社化
  4. 2012年インテルと半導体製造装置で提携
  5. 2015年オプトスを買収(眼底カメラ)
  6. 2015年英国の Optos Plc を完全子会社化
  7. 2016年構造改革を公表・1000名を削減計画

ニコンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

顧客転換の遅れが招いた露光装置シェアの喪失

1990年代後半を通じて半導体産業の地理的構造は劇的に変化し、サムスン電子やTSMCといった台湾・韓国の新興メーカーが急成長を遂げ、業界の勢力図を塗り替えた。オランダのASMLは早い段階からこれら新興顧客との協業関係構築に踏み込み、顧客の要求に即応する開発体制とサービス網を整備し、ニコンのシェアを侵食した。FY1998に182億円、FY2001に60億円、FY2002に81億円と、連続する最終赤字をニコンは計上した。当時の液浸ArF露光装置のレンズ加工は、髪の毛1本の断面に40本の線を焼き付ける水準と例えられるほど、線幅競争が極微細領域へ進んでいた。ニコンは2006年5月にASMLなどとの特許訴訟和解金158億円を特別利益に計上しており、競合との直接対立も抱えていた。 [23][24]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [23]最終赤字 FY1998 182億円/FY2001 60億円/FY2002 81億円(FY2001=2002/3 純損益 -60億・FY2002=2003/3 純損益 -81億)
  • 日経産業新聞(2006年5月16日, 日本経済新聞社)
    • [24]2006年5月にASMLなどとの特許訴訟和解金158億円を特別利益に計上

同じ半導体製造装置メーカーの東京エレクトロンが海外顧客への営業転換を実行したのに対し、ニコンは国内顧客との既存の協業関係に経営の重心を置き続けた。シェアを失ったことで研究開発費の原資そのものが縮小し、次世代機開発で資金的に劣後するという悪循環に陥る。2012年にはインテルと戦略的な業務提携を発表したが、ASMLが世界シェアの約8割を確保する寡占構造を覆すには至らなかった。液浸ArFからEUVへと露光装置の主戦場が移るなか、ニコンは主流から外れた位置でかつての首位の記憶を背負いながら戦う立場に変わり、露光装置事業はもはや単独で会社全体の浮沈を左右する規模ではなくなった。国内顧客密着という1980年代の成功方程式が、新興顧客地図の前で制約となった経緯がここに示される。 [25][26]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [25]2012年にインテルと戦略的業務提携を発表
    • [26]ASMLが世界シェア約8割を確保する寡占構造
  • ニコン 有価証券報告書
    • [23]最終赤字 FY1998 182億円/FY2001 60億円/FY2002 81億円(FY2001=2002/3 純損益 -60億・FY2002=2003/3 純損益 -81億)
    • [25]2012年にインテルと戦略的業務提携を発表
    • [26]ASMLが世界シェア約8割を確保する寡占構造
  • 日経産業新聞(2006年5月16日, 日本経済新聞社)
    • [24]2006年5月にASMLなどとの特許訴訟和解金158億円を特別利益に計上

二本柱の同時失速と中期構造改革という帰着

2010年代半ば以降、カメラ事業もスマートフォンの普及によって入門機市場を失い、さらにソニーやキヤノンが先行したミラーレス化の波にも追撃される側に回った。報道用・プロ用高級機という戦後のニコンの代名詞の領域でも、像面位相差オートフォーカスと電子ファインダーを組み合わせた新世代機に対応するための開発資源を確保する難度が上がり、収益は後退した。半導体露光装置とカメラという二つの主力事業が同時に不振に陥る状況は、戦後の主力モデルが根本から揺らいでいるシグナルだった。構造改革の必要性は社内で広く共有され、希望退職の実施と拠点再編を連続して断行した。牛田一雄社長はこの時期の方針として半導体露光装置でのシェア奪回を掲げる一方、祖業の光学と精密技術を捨てない方針を繰り返し示し、構造改革と祖業継承を両輪に据えた。 [27]

  • ニコン 有価証券報告書【役員の状況】
    • [27]牛田一雄社長が半導体露光装置でのシェア奪回と祖業(光学・精密技術)継承の方針を示した

FY2020にはコロナ禍の影響も加わって売上が落ち込み、業績回復局面でも主力2事業の同時再成長という絵は描きにくい。馬立稔和は2019年の就任時から、半導体露光装置とカメラの主力2事業に加えて次の成長の柱を育成する方針を提示し、2022年にはM&A枠として最大3000億円を準備すると公表して非有機的成長を前面に掲げた。2023年に完全子会社化したドイツのSLMソリューションズを中核とするデジタルマニュファクチャリング事業も、金属3Dプリンターの一般産業領域での普及鈍化と中国勢の台頭に直面し、将来計画の見直しを迫られた。2026年3月期第3四半期には同事業で925億円の減損損失を計上することを決め、過去に期待された成長ストーリーを具体的な数字で再評価する作業が実施された。映像・精機・ヘルスケア・コンポーネントという四事業への再編を通じて、ニコンは新しい成長軸の探索と不採算事業の整理を同時並行で進めている。 [28][29][30][31][32][33]

  • ニコン 有価証券報告書
    • [28]FY2020(2021年3月期)にコロナ禍で売上落ち込み・最終赤字に転落
    • [33]映像・精機・ヘルスケア・コンポーネントという四事業への再編
  • ニコン 有価証券報告書【役員の状況】
    • [29]馬立稔和が2019年就任時から次の成長の柱を育成する方針を提示
    • [30]2022年にM&A枠として最大3000億円を準備すると公表
  • ニコン 有価証券報告書【沿革】
    • [31]SLMソリューションズは公開買付け2022年9月・完全子会社化2023年9月
  • ニコン 決算説明会(2026年3月期第3四半期)
    • [32]2026年3月期第3四半期にデジタルマニュファクチャリング事業で925億円の減損損失を計上
  • ニコン 有価証券報告書【役員の状況】
    • [27]牛田一雄社長が半導体露光装置でのシェア奪回と祖業(光学・精密技術)継承の方針を示した
    • [29]馬立稔和が2019年就任時から次の成長の柱を育成する方針を提示
  • ニコン 有価証券報告書
    • [28]FY2020(2021年3月期)にコロナ禍で売上落ち込み・最終赤字に転落
    • [33]映像・精機・ヘルスケア・コンポーネントという四事業への再編
    • [30]2022年にM&A枠として最大3000億円を準備すると公表
  • ニコン 有価証券報告書【沿革】
    • [31]SLMソリューションズは公開買付け2022年9月・完全子会社化2023年9月
  • ニコン 決算説明会(2026年3月期第3四半期)
    • [32]2026年3月期第3四半期にデジタルマニュファクチャリング事業で925億円の減損損失を計上

ニコンの沿革1917〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本光学工業株式会社を設立★★★
光学機器国産化へ東京計器製作所光学計器部門と岩城硝子製造所反射鏡部門を統合、三菱合資岩崎小彌太の出資で日本光学工業を設立(直後に藤井レンズ製造所も合併)★★★
大井第一工場(現・本社/イノベーションセンター)を新設★★
光学ガラスの量産に成功
軍需生産のため増産投資を本格化★★
2万名を整理解雇・軍需から民需転換へ★★
カメラ及びレンズの量産開始
東京証券取引所に株式上場
東京証券取引所に株式上場
米国にNikon Sales Inc.(現・Nikon Inc.)を設立★★
国内で生産拠点を拡充★★
桜電子工業株式会社(現・株式会社栃木ニコン)に経営参加
高級カメラを重視
大井製作所大船工場 (現・横浜製作所) を新設
オランダにNikon Europe N.V.(現・Nikon Europe B.V.)を設立
大井製作所相模原工場 (現・相模原製作所) を新設
カメラ輸出の低迷・業績低迷へ
半導体製造装置(ステッパー)に参入★★
米国にNikon Precision Inc. を設立★★
ステッパーの量産を開始★★★
熊谷製作所を新設
ニコンカメラ販売(現・株式会社ニコンイメージングジャパン)を設立
商号を日本光学工業株式会社から、株式会社ニコンに変更★★
商号を株式会社ニコンに変更
カメラ生産をタイに移管★★★
タイに Nikon (Thailand) Co., Ltd. を設立
水戸製作所を新設
水戸製作所を新設
シンガポールにNikon Singapore Pte. Ltd.を設立
ステッパーの顧客転換に失敗・最終赤字に転落★★
中国でカメラの現地生産を開始★★★
苅谷道郎横浜製作所横須賀分室(現・横須賀製作所)を新設
苅谷道郎中国に Nikon Imaging (China) Sales Co., Ltd. を設立
木村眞琴単元株式数を100株に変更
木村眞琴ベルギーのMetris NV(現・Nikon Metrology NV)を完全子会社化★★
木村眞琴最終赤字に転落
木村眞琴インテルと半導体製造装置で提携★★
牛田一雄オプトスを買収(眼底カメラ)★★
牛田一雄英国の Optos Plc を完全子会社化★★
牛田一雄監査等委員会設置会社へ移行
牛田一雄英国のMark Roberts Motion Control Limitedを完全子会社化
牛田一雄構造改革を公表・1000名を削減計画★★
馬立稔和最終赤字に転落★★
馬立稔和米国のMorf3D Inc.(現・Nikon AM Synergy Inc.)に出資、子会社化★★
馬立稔和SLM Solutionsを買収(3Dプリンター)
馬立稔和米国にNikon Advanced Manufacturing Inc.を設立
馬立稔和ドイツのSLM Solutions Group AG(現・Nikon SLM Solutions AG)を完全子会社化★★
馬立稔和米国のRED.com, LLC(現・RED Digital Cinema, Inc.)を完全子会社化★★
馬立稔和本社を東京都品川区に移転
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • ニコン 有価証券報告書【沿革】
  • ニコン 有価証券報告書
  • New York Times(1950年12月10日)
  • ダイヤモンド臨時増刊(1961年9月10日, ダイヤモンド社)
  • ダイヤモンド(1964年9月28日, ダイヤモンド社)
  • 日経ビジネス(1984年12月24日, 日経BP)
  • 日経産業新聞(2006年5月16日, 日本経済新聞社)
  • ニコン 有価証券報告書【役員の状況】
  • Bloomberg(2022年4月13日)
  • ニコン 決算説明会(2026年3月期第3四半期)

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