沿革年表 1941〜2026年における重要度別の出来事(合計67件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 東洋光学硝子製造所を創業 歴史的意義yutaka sugiura 光学ガラスと無縁の製紙業出身者が軍の支援のもとで坩堝を独自開発し、BK7の溶融に到達した。戦時の国産化要請が技術的蓄積の欠如を補い、平時には不可能な異業種参入を可能にした構造である。しかし軍需に依存した需要基盤は終戦で一夜にして消滅し、100名で事業を維持する状態となった。単一顧客への完全依存が創業からわずか4年で崩壊した経験は、以後のHOYAが事業の分散を志向する原点と推定される。 | 1941 1-12月 | ||||
組織再編 | 資本金120万円の株式会社に改組、商号を株式会社東洋光学硝子製造所に変更。 | 1944 1-12月 | ||||
クリスタルガラスに参入 歴史的意義yutaka sugiura チェコの共産化で生じた北米シャンデリア市場の供給空白を突いて急成長したが、売上の90%を単一製品の輸出に集中させた構造は、1949年の単一為替レート制定により崩壊した。軍需消滅からわずか4年で依存先を変えただけの事業構造を再び組んだ事実は、リスク分散なき成長が外部環境の変動に対して構造的に脆弱であることを示している。従業員550名の大半を解雇する縮小の経験が、鈴木哲夫時代の直販体制構築と内需重視への転換を促した。 | 1945 1-12月 | |||||
組織再編 | 商号を株式会社保谷クリスタル硝子製造所に変更。 | 1947 1-12月 | ||||
光学ガラスの生産再開 | 1951 1-12月 | |||||
重要事項会社設立 | 鈴木哲夫氏が社長就任 歴史的意義yutaka sugiura 創業者兄弟の病と急逝が、光学ガラスの溶解技術を熟知する32歳の技師長を経営者に押し上げた。計画的承継ではなく、後継者の選択肢が実質的に存在しなかった結果である。しかし技術者出身ゆえの製造現場への理解が、後年の5ヵ年計画策定・事業部制導入・直販体制構築を支える基盤となった。一度は社内クーデターで退任しながら株式買い増しで復帰し、30年以上にわたり経営を主導した事実が、この非計画的承継の帰結の全体像を構成する。 | 1957 1-12月 | ||||
メガネ事業に進出 | 1958 1-12月 | |||||
FY59 1959/3 | 売上高 6.09億円 | 当期純利益 0.76億円 | ||||
企業買収 | 第1次5カ年計画を策定 歴史的意義yutaka sugiura 5ヵ年計画の核心は、系列合併や事業部制導入ではなく、直販体制を通じた操業設計にあった。自社の販売力を100として生産能力を80に抑え、不足分を外部に委託する仕組みは、不況期でも自社工場のフル稼働を維持し、在庫増と安売りの悪循環を回避する設計であった。好況でも不況でも収益が安定するこの操業思想は、鈴木哲夫が1950年代の為替崩壊とクリスタル危機から得た教訓に根ざしており、以後のHOYA高収益体質の骨格を形成した。 | FY60 1960/3 | 売上高 7.85億円 | 当期純利益 0.83億円 | ||
商号を保谷硝子に変更 | ||||||
量産工場を新設 | ||||||
組織再編 | 東京都昭島市に昭和工場(現・昭島工場)を新設。 保谷光学工業・山中光学工業・保谷光学硝子販売の3社を吸収合併し、商号を株式会社保谷硝子に変更。 | FY61 1961/3 | 売上高 13.59億円 | 当期純利益 1.11億円 | ||
東京証券取引所第2部に株式上場 | ||||||
株式上場 | 東京証券取引所市場第二部へ上場。 | FY62 1962/3 | 売上高 20.79億円 | 当期純利益 1.62億円 | ||
メガネレンズ製造開始。 | FY63 1963/3 | 売上高 30.52億円 | 当期純利益 2.77億円 | |||
FY64 1964/3 | 売上高 36.69億円 | 当期純利益 1.78億円 | ||||
FY65 1965/3 | 売上高 37.89億円 | 当期純利益 0.66億円 | ||||
FY66 1966/3 | 売上高 42.16億円 | 当期純利益 -7.21億円 | ||||
鈴木哲夫氏が引責退任 歴史的意義yutaka sugiura 眼鏡直販網の先行投資が7億円の赤字を招き、銀行と社内の圧力で退任に追い込まれた。しかし3年後に株式買い増しで社長に復帰し、直販体制は後に収益安定の基盤となった。この経緯は、長期的に正しい投資が短期業績の悪化として顕在化した場合、経営者の退任という形で投資判断が否定される構造を示している。復帰後に対立した役員を入れ替えた事実は、退任と復帰が人事権の奪還戦であり、最終的に資本保有が経営権を規定したことを意味する。 | FY67 1967/3 | 売上高 46.04億円 | 当期純利益 0.52億円 | |||
FY68 1968/3 | 売上高 59.19億円 | 当期純利益 0.59億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 83.22億円 | 当期純利益 4.56億円 | ||||
多角化を遂行・シェアを重視 歴史的意義yutaka sugiura 主力製品でシェア50%以上、または2位の2倍、または2位と3位の合計を超えるという目標は、販売数量の追求ではなく、製品1単位あたりのコスト差を通じて競合の投資余力を構造的に封じる設計であった。シェアが高い企業ほど固定費が分散され、コスト差がさらに投資余力の差を生むという正のフィードバック構造を、鈴木哲夫は「シェアは資産」と表現した。この思想がHOYAの各事業で貫かれた結果、ニッチ市場の寡占体制が定着した。 | FY70 1970/3 | 売上高 93.12億円 | 当期純利益 7.74億円 | |||
FY71 1971/3 | 売上高 147億円 | 当期純利益 9.09億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 166億円 | 当期純利益 9.53億円 | ||||
ソフトコンタクトレンズの製造開始 | FY73 1973/3 | 売上高 214億円 | 当期純利益 12.1億円 | |||
株式上場 | 東京証券取引所市場第一部へ指定。 | |||||
半導体用マスクサブストレートの製造開始 歴史的意義yutaka sugiura IBM向け受注を起点に、ガラス素材からクロムブランクス、さらにクロムマスクまでの垂直統合を構築したことで、HOYAは半導体メーカーにとって代替困難なサプライヤーとなった。光学ガラスの組成・溶解・研磨技術が半導体製造工程の品質要求に合致した点は、創業以来の技術蓄積と多角化探索の帰結である。1980年時点でクロムブランクス世界シェア60%を確保した速度は、技術転用の適合度が高い領域では支配的地位が短期間で確立されうることを示唆する。 | FY74 1974/3 | 売上高 271億円 | 当期純利益 12.4億円 | |||
FY75 1975/3 | 売上高 306億円 | 当期純利益 6億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 394億円 | 当期純利益 15億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 466億円 | 当期純利益 15億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 488億円 | 当期純利益 20億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 518億円 | 当期純利益 26億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 598億円 | 当期純利益 31億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 629億円 | 当期純利益 33億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 618億円 | 当期純利益 30億円 | ||||
東京都八王子市に八王子工場を新設し、半導体用フォトマスク製造開始。 | FY83 1983/3 | 売上高 723億円 | 当期純利益 43億円 | |||
FY84 1984/3 | 売上高 785億円 | 当期純利益 49億円 | ||||
設備投資 | 新本社ビルを新宿区中落合に竣工。 | FY85 1985/3 | ||||
商号をHOYA株式会社に変更 1984年10月に保谷硝子は製造子会社2社(保谷クリスタル・保谷レンズ)を吸収合併し、商号をHOYA株式会社に変更。新事業の展開によって業態が変化したことから、東京証券取引所の会社コードを変更し、業種区分を「ガラス・土石」から「精密」に変更した。 | ||||||
主力製品で高シェアを確保 歴史的意義yutaka sugiura 眼鏡レンズ36%、クリスタル食器65%、光学レンズ60%、マスクブランクス世界75%という構成は、巨大市場を追わず技術的参入障壁の高い複数のニッチ市場で支配的地位を握る事業設計の帰結であった。個々の市場は小さいが、シェアの高さがコスト優位と価格決定力を生み、その集合体として営業利益率12.5%を実現した。1970年のシェア目標から17年を経て結実した事実は、この設計が経営思想の一貫した適用の産物であることを示している。 | FY87 1987/3 | |||||
眼内レンズ(白内障術後用)製造開始。 | FY88 1988/3 | |||||
光学ガラスによる非球面モールドレンズ製造開始。 | ||||||
海外進出 | 欧州統括会社HOYA EUROPE B.V.(現HOYA HOLDINGS N.V.)を蘭、北米統括HOYA CORPORATION USAを米に設立。 | FY90 1990/3 | ||||
未承認コンタクトレンズの回収 歴史的意義yutaka sugiura 承認申請時の成分表示の誤りという手続き上の不備が、製品安全性とは独立に事業を壊滅させた。経営陣が「副作用はない」と生産継続を期待した判断は、規制当局が審査するのは製品品質ではなく法的適合性であるという認識を欠いていた。シェア15%から1.3%への急落と39億円の損失は、規制産業において手続き違反が市場地位を不可逆的に毀損しうることを実証した。品質と適法性が別次元の問題であるという区別がHOYAに高い代償をもって刻まれた。 | FY91 1991/3 | |||||
HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売。 | ||||||
FY92 1992/3 | 売上高 1,417億円 | 当期純利益 78.4億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 1,397億円 | 当期純利益 52.9億円 | ||||
ROEを重視・組織改革を推進 歴史的意義yutaka sugiura 改革の契機が米国子会社の役員からのROEの低さの指摘であった点に、日本企業の内発的な変革の難しさが表れている。220名の退職、取締役17名から8名への半減、社外取締役の起用、定期採用の廃止は、1990年代の日本企業では異例の施策であった。「終身雇用は70%でよいが年功序列は不必要」という鈴木哲夫の言葉は、雇用の全否定ではなく人材の流動化に力点を置いた改革の性格を示している。以後のペンタックス買収・売却やクリスタル撤退の布石であった。 | FY94 1994/3 | 売上高 1,344億円 | 当期純利益 61.1億円 | |||
FY95 1995/3 | 売上高 1,514億円 | 当期純利益 88.1億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 1,671億円 | 当期純利益 110億円 | ||||
設備投資 | 熊本県菊池郡大津町に熊本工場を新設。 | FY97 1997/3 | 売上高 1,934億円 | 当期純利益 153億円 | ||
組織改革の実施 歴史的意義yutaka sugiura 本社を全社戦略とファイナンスに限定し、人事権を5つの事業子会社に完全委譲した構造は、本社の役割を「事業ポートフォリオの管理」に再定義するものであった。人員を2020名から50名に削減した比率は約97.5%であり、日本企業の本社機能としては極端な軽量化である。取締役を8名に絞り社外取締役1名を起用した改革は、2000年代以降に広がるガバナンス改革に先行する形であり、ROE経営の組織的基盤として機能した。 | ||||||
組織再編 | カンパニー制導入。エレクトロオプティクス・ビジョンケア2社と、HOYA PHOTONICS・HOYAヘルスケア・HOYAクリスタル3子会社に改組。 | FY98 1998/3 | 売上高 1,934億円 | 当期純利益 123億円 | ||
組織再編 | シンガポールにHOYA HOLDINGS ASIA PACIFICを設置。HOYA HOLDINGSの蘭N.V.・米INC.と合わせ3極の地域本社体制が整う。 | |||||
HOYA LENS DEUTSCHLAND GMBH.がHOYAグループ最初のISO14001を取得。 | ||||||
| 鈴木洋 | 国内主要全工場でISO14001を取得。 | FY99 1999/3 | 売上高 2,012億円 | 当期純利益 178億円 | ||
| 鈴木洋 | 東南アジアへの生産移管 2000年代を通じてHOYAは、生産拠点の国内から海外への移転を推し進め、タイを中心とした東南アジアでの生産を増強した。この結果、HOYAはグローバル競争において、メガネレンズなどのアイケア用品を中心に、コスト競争力を持続するメーカーとして業容を拡大した。 | FY00 2000/3 | 売上高 2,011億円 | 当期純利益 207億円 | ||
企業買収 | 鈴木洋 | 沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける。 | FY01 2001/3 | 売上高 2,368億円 | 当期純利益 218億円 | |
| 鈴木洋 | FY02 2002/3 | 売上高 2,352億円 | 当期純利益 237億円 | |||
| 鈴木洋 | 半導体新基板材料3C-SiC製造販売を開始。 | FY03 2003/3 | 売上高 2,462億円 | 当期純利益 200億円 | ||
業務提携 | 大日本印刷㈱と次世代半導体用マスクブランクスの技術アライアンス締結。 | |||||
重要事項組織再編 | 鈴木洋 | 委員会設置会社(現在の指名委員会等設置会社)へ移行。 経営判断をよむ → | FY04 2004/3 | 売上高 2,714億円 | 当期純利益 395億円 | |
組織再編 | グローバルベースでの財務マネジメント機能を欧州地域本社に移管。 | |||||
企業買収 | 日本板硝子㈱のHDD用ガラスディスク事業を譲り受ける。 | |||||
株式上場 | 鈴木洋 | 米国預託証券(ADR)プログラム Level-1を開設。 | FY05 2005/3 | 売上高 3,081億円 | 当期純利益 641億円 | |
株式上場 | 鈴木洋 | 普通株式1株につき4株の割合で株式分割を実施。 | FY06 2006/3 | 売上高 3,442億円 | 当期純利益 756億円 | |
| 鈴木洋 | FY07 2007/3 | 売上高 3,900億円 | 当期純利益 833億円 | |||
重要事項事業売却 | 鈴木洋 | ペンタックスを買収 歴史的意義yutaka sugiura 947億円でペンタックスを買収した目的は内視鏡事業の取り込みにあり、カメラ事業は当初から整理の対象であった。人員削減・工場閉鎖を経て内視鏡を手元に残し、旧ペンタックスをリコーに売却するまでの一連の過程は、買収と売却を組み合わせた事業ポートフォリオの入れ替えの実践例である。274億円の減損損失は不採算事業の切り離しに伴う摩擦コストであり、この損失を許容できたことが1994年以降のROE経営の組織体質を裏付けている。 | FY08 2008/3 | 売上高 4,816億円 | 当期純利益 817億円 | |
組織再編 | ペンタックス㈱を吸収合併。 | |||||
| 鈴木洋 | TFT液晶ガラス基板から撤退 TFT液晶ガラス基板からの事業撤退を決定。2008年6月に合弁会社のNHテクノグラス(出資比率はHOYA50%・日本板硝子50%)の株式について、21.5%を投資ファンドのカーライルに売却を実施した。売却により、HOYAは株式売却益として104億円を計上。 | FY09 2009/3 | 売上高 4,541億円 | 当期純利益 251億円 | ||
クリスタル事業から撤退 HOYAの創業事業でクリスタル製造(時計・ガラス製品・食器向けなど)に関して、採算が悪化していたことから2009年に撤退を決定した。すでに、HOYAは2006年にクリスタル製造の武蔵工場(埼玉県)の閉鎖を実施。2009年までにクリスタル事業の拠点であった東京昭島工場の設備の減損を実施し、クリスタル事業からの撤退を完了した。 | ||||||
事業売却 | クリスタル事業終了。 | |||||
| 鈴木洋 | FY10 2010/3 | 売上高 4,135億円 | 当期純利益 378億円 | |||
事業売却 | 鈴木洋 | HDD用ガラスメディア製造事業及び関連資産をWESTERN DIGITAL CORPORATIONに譲渡。 | FY11 2011/3 | 売上収益 4,133億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 597億円 | |
事業売却 | 鈴木洋 | PENTAXイメージング・システム事業を㈱リコーに譲渡。 | FY12 2012/3 | 売上高 3,606億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 432億円 | |
重要事項企業買収 | 鈴木洋 | ライフケアへの優先投資の方針を表明 歴史的意義yutaka sugiura 2008年のリーマンショックで半導体向け事業が大幅減収に陥る中、アイケア事業が連結業績を下支えした経験が投資配分転換の契機となった。以後、HOYAはメガネレンズを軸に総額500億円超の連続的企業買収を実施し、ライフケアを売上面の主力に押し上げた。景気変動の影響を受けにくい生活財領域への傾斜は、半導体依存のリスク認識に基づく分散であるが、買収に伴うのれん累積という新たな財務上の論点も内包している。 | FY13 2013/3 | 売上高 3,724億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 722億円 | |
セイコーエプソンから眼鏡レンズ事業を買収 | ||||||
企業買収 | 鈴木洋 | セイコーグループ㈱の子会社でメガネ関連商品の販売事業を行うセイコーオプティカルプロダクツ㈱の株式を30%譲り受ける。 | FY14 2014/3 | 売上高 4,275億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 583億円 | |
企業買収 | イギリスに本社を置く医療機器開発製造のリーディング企業 Creo Medical Ltd.に出資。 | |||||
企業買収 | 自動内視鏡洗浄装置(AER)のリーディング企業であるWASSENBURG社の過半数株式を取得。 | |||||
| 鈴木洋 | FY15 2015/3 | 売上高 4,899億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 928億円 | |||
| 鈴木洋 | FY16 2016/3 | 売上高 5,057億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 931億円 | |||
| 鈴木洋 | 3Mから度付き保護メガネ事業を買収 | FY17 2017/3 | 売上高 4,789億円 | 親会社の所有者に帰属する当期利益 867億円 | ||
合弁設立 | 鈴木洋 | 中国Aohuaと医療用軟性内視鏡の合弁会社設立。 音声読み上げのReadSpeaker社を買収。 白内障用眼内レンズ拠点をタイに新設。 | FY18 2018/3 | 売上高 5,356億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 994億円 | |
米Performance Opticsを買収 | ||||||
設備投資 | 白内障用眼内レンズのR&Dセンターをシンガポールに開設。 | |||||
| 鈴木洋 | FY19 2019/3 | 売上高 5,658億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,221億円 | |||
| 鈴木洋 | FY20 2020/3 | 売上高 5,765億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,144億円 | |||
| 池田英一郎 | シンガポールでEUVマスクブランクスの量産開始 | FY21 2021/3 | 売上高 5,479億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,254億円 | ||
業務提携 | 中国の白内障用眼内レンズ販売代理店GeMaxとの合弁会社を設立。 | |||||
重要事項 | 池田英一郎 | 鈴木洋氏が社長退任 鈴木洋氏が社長を退任。鈴木哲夫氏から2代続いた鈴木家による経営体制に終止符 経営判断をよむ → | FY22 2022/3 | 売上高 6,614億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,645億円 | |
事業売却 | HOYAデジタルソリューションズ株式会社を富士フイルムビジネスイノベーション株式会社へ 譲渡。 | |||||
業務提携 | 池田英一郎 | 中国メガネレンズメーカーJiangsu Sigo Optical Co.,Ltd.と合弁会社を設立。 | FY23 2023/3 | 売上高 7,235億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,686億円 | |
業務提携 | 日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)へ加盟。 中国BOEグループとFPD用フォトマスク事業の合弁会社を設立。 | |||||
組織再編 | 国連グローバルコンパクト(UNGC)へ加盟。 再生可能エネルギー100%を目指す国際イニシアチブ「RE100」にも加盟。 | |||||
| 池田英一郎 | FY24 2024/3 | 売上高 7,626億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,813億円 | |||
| 池田英一郎 | FY25 2025/3 | 売上高 8,660億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,021億円 | |||
FY26 2026/3 | 売上高 9,477億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,531億円 |
- 東洋光学硝子製造所を創業光学ガラスと無縁の製紙業出身者が軍の支援のもとで坩堝を独自開発し、BK7の溶融に到達した。戦時の国産化要請が技術的蓄積の欠如を補い、平時には不可能な異業種参入を可能にした構造である。しかし軍需に依存した需要基盤は終戦で一夜にして消滅し、100名で事業を維持する状態となった。単一顧客への完全依存が創業からわずか4年で崩壊した経験は、以後のHOYAが事業の分散を志向する原点と推定される。
- 資本金120万円の株式会社に改組、商号を株式会社東洋光学硝子製造所に変更。
- クリスタルガラスに参入チェコの共産化で生じた北米シャンデリア市場の供給空白を突いて急成長したが、売上の90%を単一製品の輸出に集中させた構造は、1949年の単一為替レート制定により崩壊した。軍需消滅からわずか4年で依存先を変えただけの事業構造を再び組んだ事実は、リスク分散なき成長が外部環境の変動に対して構造的に脆弱であることを示している。従業員550名の大半を解雇する縮小の経験が、鈴木哲夫時代の直販体制構築と内需重視への転換を促した。
- 商号を株式会社保谷クリスタル硝子製造所に変更。
- 光学ガラスの生産再開
- 鈴木哲夫氏が社長就任創業者兄弟の病と急逝が、光学ガラスの溶解技術を熟知する32歳の技師長を経営者に押し上げた。計画的承継ではなく、後継者の選択肢が実質的に存在しなかった結果である。しかし技術者出身ゆえの製造現場への理解が、後年の5ヵ年計画策定・事業部制導入・直販体制構築を支える基盤となった。一度は社内クーデターで退任しながら株式買い増しで復帰し、30年以上にわたり経営を主導した事実が、この非計画的承継の帰結の全体像を構成する。
- メガネ事業に進出
- 第1次5カ年計画を策定5ヵ年計画の核心は、系列合併や事業部制導入ではなく、直販体制を通じた操業設計にあった。自社の販売力を100として生産能力を80に抑え、不足分を外部に委託する仕組みは、不況期でも自社工場のフル稼働を維持し、在庫増と安売りの悪循環を回避する設計であった。好況でも不況でも収益が安定するこの操業思想は、鈴木哲夫が1950年代の為替崩壊とクリスタル危機から得た教訓に根ざしており、以後のHOYA高収益体質の骨格を形成した。
- 商号を保谷硝子に変更
- 量産工場を新設
- 東京都昭島市に昭和工場(現・昭島工場)を新設。 保谷光学工業・山中光学工業・保谷光学硝子販売の3社を吸収合併し、商号を株式会社保谷硝子に変更。
- 東京証券取引所第2部に株式上場
- 東京証券取引所市場第二部へ上場。
- メガネレンズ製造開始。
- 鈴木哲夫氏が引責退任眼鏡直販網の先行投資が7億円の赤字を招き、銀行と社内の圧力で退任に追い込まれた。しかし3年後に株式買い増しで社長に復帰し、直販体制は後に収益安定の基盤となった。この経緯は、長期的に正しい投資が短期業績の悪化として顕在化した場合、経営者の退任という形で投資判断が否定される構造を示している。復帰後に対立した役員を入れ替えた事実は、退任と復帰が人事権の奪還戦であり、最終的に資本保有が経営権を規定したことを意味する。
- 多角化を遂行・シェアを重視主力製品でシェア50%以上、または2位の2倍、または2位と3位の合計を超えるという目標は、販売数量の追求ではなく、製品1単位あたりのコスト差を通じて競合の投資余力を構造的に封じる設計であった。シェアが高い企業ほど固定費が分散され、コスト差がさらに投資余力の差を生むという正のフィードバック構造を、鈴木哲夫は「シェアは資産」と表現した。この思想がHOYAの各事業で貫かれた結果、ニッチ市場の寡占体制が定着した。
- ソフトコンタクトレンズの製造開始
- 東京証券取引所市場第一部へ指定。
- 半導体用マスクサブストレートの製造開始IBM向け受注を起点に、ガラス素材からクロムブランクス、さらにクロムマスクまでの垂直統合を構築したことで、HOYAは半導体メーカーにとって代替困難なサプライヤーとなった。光学ガラスの組成・溶解・研磨技術が半導体製造工程の品質要求に合致した点は、創業以来の技術蓄積と多角化探索の帰結である。1980年時点でクロムブランクス世界シェア60%を確保した速度は、技術転用の適合度が高い領域では支配的地位が短期間で確立されうることを示唆する。
- 東京都八王子市に八王子工場を新設し、半導体用フォトマスク製造開始。
- 新本社ビルを新宿区中落合に竣工。
- 商号をHOYA株式会社に変更
1984年10月に保谷硝子は製造子会社2社(保谷クリスタル・保谷レンズ)を吸収合併し、商号をHOYA株式会社に変更。新事業の展開によって業態が変化したことから、東京証券取引所の会社コードを変更し、業種区分を「ガラス・土石」から「精密」に変更した。
- 主力製品で高シェアを確保眼鏡レンズ36%、クリスタル食器65%、光学レンズ60%、マスクブランクス世界75%という構成は、巨大市場を追わず技術的参入障壁の高い複数のニッチ市場で支配的地位を握る事業設計の帰結であった。個々の市場は小さいが、シェアの高さがコスト優位と価格決定力を生み、その集合体として営業利益率12.5%を実現した。1970年のシェア目標から17年を経て結実した事実は、この設計が経営思想の一貫した適用の産物であることを示している。
- 眼内レンズ(白内障術後用)製造開始。
- 光学ガラスによる非球面モールドレンズ製造開始。
- 欧州統括会社HOYA EUROPE B.V.(現HOYA HOLDINGS N.V.)を蘭、北米統括HOYA CORPORATION USAを米に設立。
- 未承認コンタクトレンズの回収承認申請時の成分表示の誤りという手続き上の不備が、製品安全性とは独立に事業を壊滅させた。経営陣が「副作用はない」と生産継続を期待した判断は、規制当局が審査するのは製品品質ではなく法的適合性であるという認識を欠いていた。シェア15%から1.3%への急落と39億円の損失は、規制産業において手続き違反が市場地位を不可逆的に毀損しうることを実証した。品質と適法性が別次元の問題であるという区別がHOYAに高い代償をもって刻まれた。
- HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売。
- ROEを重視・組織改革を推進改革の契機が米国子会社の役員からのROEの低さの指摘であった点に、日本企業の内発的な変革の難しさが表れている。220名の退職、取締役17名から8名への半減、社外取締役の起用、定期採用の廃止は、1990年代の日本企業では異例の施策であった。「終身雇用は70%でよいが年功序列は不必要」という鈴木哲夫の言葉は、雇用の全否定ではなく人材の流動化に力点を置いた改革の性格を示している。以後のペンタックス買収・売却やクリスタル撤退の布石であった。
- 熊本県菊池郡大津町に熊本工場を新設。
- 組織改革の実施本社を全社戦略とファイナンスに限定し、人事権を5つの事業子会社に完全委譲した構造は、本社の役割を「事業ポートフォリオの管理」に再定義するものであった。人員を2020名から50名に削減した比率は約97.5%であり、日本企業の本社機能としては極端な軽量化である。取締役を8名に絞り社外取締役1名を起用した改革は、2000年代以降に広がるガバナンス改革に先行する形であり、ROE経営の組織的基盤として機能した。
- カンパニー制導入。エレクトロオプティクス・ビジョンケア2社と、HOYA PHOTONICS・HOYAヘルスケア・HOYAクリスタル3子会社に改組。
- シンガポールにHOYA HOLDINGS ASIA PACIFICを設置。HOYA HOLDINGSの蘭N.V.・米INC.と合わせ3極の地域本社体制が整う。
- HOYA LENS DEUTSCHLAND GMBH.がHOYAグループ最初のISO14001を取得。
- 国内主要全工場でISO14001を取得。
- 東南アジアへの生産移管
2000年代を通じてHOYAは、生産拠点の国内から海外への移転を推し進め、タイを中心とした東南アジアでの生産を増強した。この結果、HOYAはグローバル競争において、メガネレンズなどのアイケア用品を中心に、コスト競争力を持続するメーカーとして業容を拡大した。
- 沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける。
- 半導体新基板材料3C-SiC製造販売を開始。
- 大日本印刷㈱と次世代半導体用マスクブランクスの技術アライアンス締結。
- グローバルベースでの財務マネジメント機能を欧州地域本社に移管。
- 日本板硝子㈱のHDD用ガラスディスク事業を譲り受ける。
- 米国預託証券(ADR)プログラム Level-1を開設。
- 普通株式1株につき4株の割合で株式分割を実施。
- ペンタックス㈱を吸収合併。
- TFT液晶ガラス基板から撤退
TFT液晶ガラス基板からの事業撤退を決定。2008年6月に合弁会社のNHテクノグラス(出資比率はHOYA50%・日本板硝子50%)の株式について、21.5%を投資ファンドのカーライルに売却を実施した。売却により、HOYAは株式売却益として104億円を計上。
- クリスタル事業から撤退
HOYAの創業事業でクリスタル製造(時計・ガラス製品・食器向けなど)に関して、採算が悪化していたことから2009年に撤退を決定した。すでに、HOYAは2006年にクリスタル製造の武蔵工場(埼玉県)の閉鎖を実施。2009年までにクリスタル事業の拠点であった東京昭島工場の設備の減損を実施し、クリスタル事業からの撤退を完了した。
- クリスタル事業終了。
- HDD用ガラスメディア製造事業及び関連資産をWESTERN DIGITAL CORPORATIONに譲渡。
- PENTAXイメージング・システム事業を㈱リコーに譲渡。
- セイコーエプソンから眼鏡レンズ事業を買収
- セイコーグループ㈱の子会社でメガネ関連商品の販売事業を行うセイコーオプティカルプロダクツ㈱の株式を30%譲り受ける。
- イギリスに本社を置く医療機器開発製造のリーディング企業 Creo Medical Ltd.に出資。
- 自動内視鏡洗浄装置(AER)のリーディング企業であるWASSENBURG社の過半数株式を取得。
- 3Mから度付き保護メガネ事業を買収
- 中国Aohuaと医療用軟性内視鏡の合弁会社設立。 音声読み上げのReadSpeaker社を買収。 白内障用眼内レンズ拠点をタイに新設。
- 米Performance Opticsを買収
- 白内障用眼内レンズのR&Dセンターをシンガポールに開設。
- シンガポールでEUVマスクブランクスの量産開始
- 中国の白内障用眼内レンズ販売代理店GeMaxとの合弁会社を設立。
- HOYAデジタルソリューションズ株式会社を富士フイルムビジネスイノベーション株式会社へ 譲渡。
- 中国メガネレンズメーカーJiangsu Sigo Optical Co.,Ltd.と合弁会社を設立。
- 日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)へ加盟。 中国BOEグループとFPD用フォトマスク事業の合弁会社を設立。
- 国連グローバルコンパクト(UNGC)へ加盟。 再生可能エネルギー100%を目指す国際イニシアチブ「RE100」にも加盟。