沿革年表 1941〜2026年における重要度別の出来事(合計67件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
東洋光学硝子製造所を創業
歴史的意義yutaka sugiura
光学ガラスと無縁の製紙業出身者が軍の支援のもとで坩堝を独自開発し、BK7の溶融に到達した。戦時の国産化要請が技術的蓄積の欠如を補い、平時には不可能な異業種参入を可能にした構造である。しかし軍需に依存した需要基盤は終戦で一夜にして消滅し、100名で事業を維持する状態となった。単一顧客への完全依存が創業からわずか4年で崩壊した経験は、以後のHOYAが事業の分散を志向する原点と推定される。
1941
1-12月
組織再編
資本金120万円の株式会社に改組、商号を株式会社東洋光学硝子製造所に変更。
1944
1-12月
クリスタルガラスに参入
歴史的意義yutaka sugiura
チェコの共産化で生じた北米シャンデリア市場の供給空白を突いて急成長したが、売上の90%を単一製品の輸出に集中させた構造は、1949年の単一為替レート制定により崩壊した。軍需消滅からわずか4年で依存先を変えただけの事業構造を再び組んだ事実は、リスク分散なき成長が外部環境の変動に対して構造的に脆弱であることを示している。従業員550名の大半を解雇する縮小の経験が、鈴木哲夫時代の直販体制構築と内需重視への転換を促した。
1945
1-12月
組織再編
商号を株式会社保谷クリスタル硝子製造所に変更。
1947
1-12月
光学ガラスの生産再開
1951
1-12月
重要事項会社設立
鈴木哲夫氏が社長就任
歴史的意義yutaka sugiura
創業者兄弟の病と急逝が、光学ガラスの溶解技術を熟知する32歳の技師長を経営者に押し上げた。計画的承継ではなく、後継者の選択肢が実質的に存在しなかった結果である。しかし技術者出身ゆえの製造現場への理解が、後年の5ヵ年計画策定・事業部制導入・直販体制構築を支える基盤となった。一度は社内クーデターで退任しながら株式買い増しで復帰し、30年以上にわたり経営を主導した事実が、この非計画的承継の帰結の全体像を構成する。
1957
1-12月
メガネ事業に進出
1958
1-12月
FY59
1959/3
売上高
6.09億円
当期純利益
0.76億円
企業買収
第1次5カ年計画を策定
歴史的意義yutaka sugiura
5ヵ年計画の核心は、系列合併や事業部制導入ではなく、直販体制を通じた操業設計にあった。自社の販売力を100として生産能力を80に抑え、不足分を外部に委託する仕組みは、不況期でも自社工場のフル稼働を維持し、在庫増と安売りの悪循環を回避する設計であった。好況でも不況でも収益が安定するこの操業思想は、鈴木哲夫が1950年代の為替崩壊とクリスタル危機から得た教訓に根ざしており、以後のHOYA高収益体質の骨格を形成した。
FY60
1960/3
売上高
7.85億円
当期純利益
0.83億円
商号を保谷硝子に変更
量産工場を新設
組織再編
東京都昭島市に昭和工場(現・昭島工場)を新設。 保谷光学工業・山中光学工業・保谷光学硝子販売の3社を吸収合併し、商号を株式会社保谷硝子に変更。
FY61
1961/3
売上高
13.59億円
当期純利益
1.11億円
東京証券取引所第2部に株式上場
株式上場
東京証券取引所市場第二部へ上場。
FY62
1962/3
売上高
20.79億円
当期純利益
1.62億円
メガネレンズ製造開始。
FY63
1963/3
売上高
30.52億円
当期純利益
2.77億円
FY64
1964/3
売上高
36.69億円
当期純利益
1.78億円
FY65
1965/3
売上高
37.89億円
当期純利益
0.66億円
FY66
1966/3
売上高
42.16億円
当期純利益
-7.21億円
鈴木哲夫氏が引責退任
歴史的意義yutaka sugiura
眼鏡直販網の先行投資が7億円の赤字を招き、銀行と社内の圧力で退任に追い込まれた。しかし3年後に株式買い増しで社長に復帰し、直販体制は後に収益安定の基盤となった。この経緯は、長期的に正しい投資が短期業績の悪化として顕在化した場合、経営者の退任という形で投資判断が否定される構造を示している。復帰後に対立した役員を入れ替えた事実は、退任と復帰が人事権の奪還戦であり、最終的に資本保有が経営権を規定したことを意味する。
FY67
1967/3
売上高
46.04億円
当期純利益
0.52億円
FY68
1968/3
売上高
59.19億円
当期純利益
0.59億円
FY69
1969/3
売上高
83.22億円
当期純利益
4.56億円
多角化を遂行・シェアを重視
歴史的意義yutaka sugiura
主力製品でシェア50%以上、または2位の2倍、または2位と3位の合計を超えるという目標は、販売数量の追求ではなく、製品1単位あたりのコスト差を通じて競合の投資余力を構造的に封じる設計であった。シェアが高い企業ほど固定費が分散され、コスト差がさらに投資余力の差を生むという正のフィードバック構造を、鈴木哲夫は「シェアは資産」と表現した。この思想がHOYAの各事業で貫かれた結果、ニッチ市場の寡占体制が定着した。
FY70
1970/3
売上高
93.12億円
当期純利益
7.74億円
FY71
1971/3
売上高
147億円
当期純利益
9.09億円
FY72
1972/3
売上高
166億円
当期純利益
9.53億円
ソフトコンタクトレンズの製造開始
FY73
1973/3
売上高
214億円
当期純利益
12.1億円
株式上場
東京証券取引所市場第一部へ指定。
半導体用マスクサブストレートの製造開始
歴史的意義yutaka sugiura
IBM向け受注を起点に、ガラス素材からクロムブランクス、さらにクロムマスクまでの垂直統合を構築したことで、HOYAは半導体メーカーにとって代替困難なサプライヤーとなった。光学ガラスの組成・溶解・研磨技術が半導体製造工程の品質要求に合致した点は、創業以来の技術蓄積と多角化探索の帰結である。1980年時点でクロムブランクス世界シェア60%を確保した速度は、技術転用の適合度が高い領域では支配的地位が短期間で確立されうることを示唆する。
FY74
1974/3
売上高
271億円
当期純利益
12.4億円
FY75
1975/3
売上高
306億円
当期純利益
6億円
FY76
1976/3
売上高
394億円
当期純利益
15億円
FY77
1977/3
売上高
466億円
当期純利益
15億円
FY78
1978/3
売上高
488億円
当期純利益
20億円
FY79
1979/3
売上高
518億円
当期純利益
26億円
FY80
1980/3
売上高
598億円
当期純利益
31億円
FY81
1981/3
売上高
629億円
当期純利益
33億円
FY82
1982/3
売上高
618億円
当期純利益
30億円
東京都八王子市に八王子工場を新設し、半導体用フォトマスク製造開始。
FY83
1983/3
売上高
723億円
当期純利益
43億円
FY84
1984/3
売上高
785億円
当期純利益
49億円
設備投資
新本社ビルを新宿区中落合に竣工。
FY85
1985/3
商号をHOYA株式会社に変更
1984年10月に保谷硝子は製造子会社2社(保谷クリスタル・保谷レンズ)を吸収合併し、商号をHOYA株式会社に変更。新事業の展開によって業態が変化したことから、東京証券取引所の会社コードを変更し、業種区分を「ガラス・土石」から「精密」に変更した。
主力製品で高シェアを確保
歴史的意義yutaka sugiura
眼鏡レンズ36%、クリスタル食器65%、光学レンズ60%、マスクブランクス世界75%という構成は、巨大市場を追わず技術的参入障壁の高い複数のニッチ市場で支配的地位を握る事業設計の帰結であった。個々の市場は小さいが、シェアの高さがコスト優位と価格決定力を生み、その集合体として営業利益率12.5%を実現した。1970年のシェア目標から17年を経て結実した事実は、この設計が経営思想の一貫した適用の産物であることを示している。
FY87
1987/3
眼内レンズ(白内障術後用)製造開始。
FY88
1988/3
光学ガラスによる非球面モールドレンズ製造開始。
海外進出
欧州統括会社HOYA EUROPE B.V.(現HOYA HOLDINGS N.V.)を蘭、北米統括HOYA CORPORATION USAを米に設立。
FY90
1990/3
未承認コンタクトレンズの回収
歴史的意義yutaka sugiura
承認申請時の成分表示の誤りという手続き上の不備が、製品安全性とは独立に事業を壊滅させた。経営陣が「副作用はない」と生産継続を期待した判断は、規制当局が審査するのは製品品質ではなく法的適合性であるという認識を欠いていた。シェア15%から1.3%への急落と39億円の損失は、規制産業において手続き違反が市場地位を不可逆的に毀損しうることを実証した。品質と適法性が別次元の問題であるという区別がHOYAに高い代償をもって刻まれた。
FY91
1991/3
HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売。
FY92
1992/3
売上高
1,417億円
当期純利益
78.4億円
FY93
1993/3
売上高
1,397億円
当期純利益
52.9億円
ROEを重視・組織改革を推進
歴史的意義yutaka sugiura
改革の契機が米国子会社の役員からのROEの低さの指摘であった点に、日本企業の内発的な変革の難しさが表れている。220名の退職、取締役17名から8名への半減、社外取締役の起用、定期採用の廃止は、1990年代の日本企業では異例の施策であった。「終身雇用は70%でよいが年功序列は不必要」という鈴木哲夫の言葉は、雇用の全否定ではなく人材の流動化に力点を置いた改革の性格を示している。以後のペンタックス買収・売却やクリスタル撤退の布石であった。
FY94
1994/3
売上高
1,344億円
当期純利益
61.1億円
FY95
1995/3
売上高
1,514億円
当期純利益
88.1億円
FY96
1996/3
売上高
1,671億円
当期純利益
110億円
設備投資
熊本県菊池郡大津町に熊本工場を新設。
FY97
1997/3
売上高
1,934億円
当期純利益
153億円
組織改革の実施
歴史的意義yutaka sugiura
本社を全社戦略とファイナンスに限定し、人事権を5つの事業子会社に完全委譲した構造は、本社の役割を「事業ポートフォリオの管理」に再定義するものであった。人員を2020名から50名に削減した比率は約97.5%であり、日本企業の本社機能としては極端な軽量化である。取締役を8名に絞り社外取締役1名を起用した改革は、2000年代以降に広がるガバナンス改革に先行する形であり、ROE経営の組織的基盤として機能した。
組織再編
カンパニー制導入。エレクトロオプティクス・ビジョンケア2社と、HOYA PHOTONICS・HOYAヘルスケア・HOYAクリスタル3子会社に改組。
FY98
1998/3
売上高
1,934億円
当期純利益
123億円
組織再編
シンガポールにHOYA HOLDINGS ASIA PACIFICを設置。HOYA HOLDINGSの蘭N.V.・米INC.と合わせ3極の地域本社体制が整う。
HOYA LENS DEUTSCHLAND GMBH.がHOYAグループ最初のISO14001を取得。
鈴木洋
国内主要全工場でISO14001を取得。
FY99
1999/3
売上高
2,012億円
当期純利益
178億円
鈴木洋
東南アジアへの生産移管
2000年代を通じてHOYAは、生産拠点の国内から海外への移転を推し進め、タイを中心とした東南アジアでの生産を増強した。この結果、HOYAはグローバル競争において、メガネレンズなどのアイケア用品を中心に、コスト競争力を持続するメーカーとして業容を拡大した。
FY00
2000/3
売上高
2,011億円
当期純利益
207億円
企業買収
鈴木洋
沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける。
FY01
2001/3
売上高
2,368億円
当期純利益
218億円
鈴木洋
FY02
2002/3
売上高
2,352億円
当期純利益
237億円
鈴木洋
半導体新基板材料3C-SiC製造販売を開始。
FY03
2003/3
売上高
2,462億円
当期純利益
200億円
業務提携
大日本印刷㈱と次世代半導体用マスクブランクスの技術アライアンス締結。
重要事項組織再編
鈴木洋
委員会設置会社(現在の指名委員会等設置会社)へ移行。
経営判断をよむ →
FY04
2004/3
売上高
2,714億円
当期純利益
395億円
組織再編
グローバルベースでの財務マネジメント機能を欧州地域本社に移管。
企業買収
日本板硝子㈱のHDD用ガラスディスク事業を譲り受ける。
株式上場
鈴木洋
米国預託証券(ADR)プログラム Level-1を開設。
FY05
2005/3
売上高
3,081億円
当期純利益
641億円
株式上場
鈴木洋
普通株式1株につき4株の割合で株式分割を実施。
FY06
2006/3
売上高
3,442億円
当期純利益
756億円
鈴木洋
FY07
2007/3
売上高
3,900億円
当期純利益
833億円
重要事項事業売却
鈴木洋
ペンタックスを買収
947億円でペンタックスを買収した目的は内視鏡事業の取り込みにあり、カメラ事業は当初から整理の対象であった。人員削減・工場閉鎖を経て内視鏡を手元に残し、旧ペンタックスをリコーに売却するまでの一連の過程は、買収と売却を組み合わせた事業ポートフォリオの入れ替えの実践例である。274億円の減損損失は不採算事業の切り離しに伴う摩擦コストであり、この損失を許容できたことが1994年以降のROE経営の組織体質を裏付けている。
経営判断をよむ →
FY08
2008/3
売上高
4,816億円
当期純利益
817億円
組織再編
ペンタックス㈱を吸収合併。
鈴木洋
TFT液晶ガラス基板から撤退
TFT液晶ガラス基板からの事業撤退を決定。2008年6月に合弁会社のNHテクノグラス(出資比率はHOYA50%・日本板硝子50%)の株式について、21.5%を投資ファンドのカーライルに売却を実施した。売却により、HOYAは株式売却益として104億円を計上。
FY09
2009/3
売上高
4,541億円
当期純利益
251億円
クリスタル事業から撤退
HOYAの創業事業でクリスタル製造(時計・ガラス製品・食器向けなど)に関して、採算が悪化していたことから2009年に撤退を決定した。すでに、HOYAは2006年にクリスタル製造の武蔵工場(埼玉県)の閉鎖を実施。2009年までにクリスタル事業の拠点であった東京昭島工場の設備の減損を実施し、クリスタル事業からの撤退を完了した。
事業売却
クリスタル事業終了。
鈴木洋
FY10
2010/3
売上高
4,135億円
当期純利益
378億円
事業売却
鈴木洋
HDD用ガラスメディア製造事業及び関連資産をWESTERN DIGITAL CORPORATIONに譲渡。
FY11
2011/3
売上収益
4,133億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
597億円
事業売却
鈴木洋
PENTAXイメージング・システム事業を㈱リコーに譲渡。
FY12
2012/3
売上高
3,606億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
432億円
重要事項企業買収
鈴木洋
ライフケアへの優先投資の方針を表明
2008年のリーマンショックで半導体向け事業が大幅減収に陥る中、アイケア事業が連結業績を下支えした経験が投資配分転換の契機となった。以後、HOYAはメガネレンズを軸に総額500億円超の連続的企業買収を実施し、ライフケアを売上面の主力に押し上げた。景気変動の影響を受けにくい生活財領域への傾斜は、半導体依存のリスク認識に基づく分散であるが、買収に伴うのれん累積という新たな財務上の論点も内包している。
経営判断をよむ →
FY13
2013/3
売上高
3,724億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
722億円
セイコーエプソンから眼鏡レンズ事業を買収
企業買収
鈴木洋
セイコーグループ㈱の子会社でメガネ関連商品の販売事業を行うセイコーオプティカルプロダクツ㈱の株式を30%譲り受ける。
FY14
2014/3
売上高
4,275億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
583億円
企業買収
イギリスに本社を置く医療機器開発製造のリーディング企業 Creo Medical Ltd.に出資。
企業買収
自動内視鏡洗浄装置(AER)のリーディング企業であるWASSENBURG社の過半数株式を取得。
鈴木洋
FY15
2015/3
売上高
4,899億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
928億円
鈴木洋
FY16
2016/3
売上高
5,057億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
931億円
鈴木洋
3Mから度付き保護メガネ事業を買収
FY17
2017/3
売上高
4,789億円
親会社の所有者に帰属する当期利益
867億円
合弁設立
鈴木洋
中国Aohuaと医療用軟性内視鏡の合弁会社設立。 音声読み上げのReadSpeaker社を買収。 白内障用眼内レンズ拠点をタイに新設。
FY18
2018/3
売上高
5,356億円
親会社株主に帰属する当期純利益
994億円
米Performance Opticsを買収
設備投資
白内障用眼内レンズのR&Dセンターをシンガポールに開設。
鈴木洋
FY19
2019/3
売上高
5,658億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,221億円
鈴木洋
FY20
2020/3
売上高
5,765億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,144億円
池田英一郎
シンガポールでEUVマスクブランクスの量産開始
FY21
2021/3
売上高
5,479億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,254億円
業務提携
中国の白内障用眼内レンズ販売代理店GeMaxとの合弁会社を設立。
重要事項
池田英一郎
鈴木洋氏が社長退任
鈴木洋氏が社長を退任。鈴木哲夫氏から2代続いた鈴木家による経営体制に終止符
経営判断をよむ →
FY22
2022/3
売上高
6,614億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,645億円
事業売却
HOYAデジタルソリューションズ株式会社を富士フイルムビジネスイノベーション株式会社へ 譲渡。
業務提携
池田英一郎
中国メガネレンズメーカーJiangsu Sigo Optical Co.,Ltd.と合弁会社を設立。
FY23
2023/3
売上高
7,235億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,686億円
業務提携
日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)へ加盟。 中国BOEグループとFPD用フォトマスク事業の合弁会社を設立。
組織再編
国連グローバルコンパクト(UNGC)へ加盟。 再生可能エネルギー100%を目指す国際イニシアチブ「RE100」にも加盟。
池田英一郎
FY24
2024/3
売上高
7,626億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,813億円
池田英一郎
FY25
2025/3
売上高
8,660億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,021億円
FY26
2026/3
売上高
9,477億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,531億円
  1. 会社設立
    東洋光学硝子製造所を創業
    光学ガラスと無縁の製紙業出身者が軍の支援のもとで坩堝を独自開発し、BK7の溶融に到達した。戦時の国産化要請が技術的蓄積の欠如を補い、平時には不可能な異業種参入を可能にした構造である。しかし軍需に依存した需要基盤は終戦で一夜にして消滅し、100名で事業を維持する状態となった。単一顧客への完全依存が創業からわずか4年で崩壊した経験は、以後のHOYAが事業の分散を志向する原点と推定される。
  2. 組織再編
    資本金120万円の株式会社に改組、商号を株式会社東洋光学硝子製造所に変更。
  3. クリスタルガラスに参入
    チェコの共産化で生じた北米シャンデリア市場の供給空白を突いて急成長したが、売上の90%を単一製品の輸出に集中させた構造は、1949年の単一為替レート制定により崩壊した。軍需消滅からわずか4年で依存先を変えただけの事業構造を再び組んだ事実は、リスク分散なき成長が外部環境の変動に対して構造的に脆弱であることを示している。従業員550名の大半を解雇する縮小の経験が、鈴木哲夫時代の直販体制構築と内需重視への転換を促した。
  4. 組織再編
    商号を株式会社保谷クリスタル硝子製造所に変更。
  5. 光学ガラスの生産再開
  6. 会社設立
    鈴木哲夫氏が社長就任
    創業者兄弟の病と急逝が、光学ガラスの溶解技術を熟知する32歳の技師長を経営者に押し上げた。計画的承継ではなく、後継者の選択肢が実質的に存在しなかった結果である。しかし技術者出身ゆえの製造現場への理解が、後年の5ヵ年計画策定・事業部制導入・直販体制構築を支える基盤となった。一度は社内クーデターで退任しながら株式買い増しで復帰し、30年以上にわたり経営を主導した事実が、この非計画的承継の帰結の全体像を構成する。
  7. メガネ事業に進出
  8. 企業買収
    第1次5カ年計画を策定
    5ヵ年計画の核心は、系列合併や事業部制導入ではなく、直販体制を通じた操業設計にあった。自社の販売力を100として生産能力を80に抑え、不足分を外部に委託する仕組みは、不況期でも自社工場のフル稼働を維持し、在庫増と安売りの悪循環を回避する設計であった。好況でも不況でも収益が安定するこの操業思想は、鈴木哲夫が1950年代の為替崩壊とクリスタル危機から得た教訓に根ざしており、以後のHOYA高収益体質の骨格を形成した。
  9. 商号を保谷硝子に変更
  10. 量産工場を新設
  11. 組織再編
    東京都昭島市に昭和工場(現・昭島工場)を新設。 保谷光学工業・山中光学工業・保谷光学硝子販売の3社を吸収合併し、商号を株式会社保谷硝子に変更。
  12. 東京証券取引所第2部に株式上場
  13. 株式上場
    東京証券取引所市場第二部へ上場。
  14. メガネレンズ製造開始。
  15. 鈴木哲夫氏が引責退任
    眼鏡直販網の先行投資が7億円の赤字を招き、銀行と社内の圧力で退任に追い込まれた。しかし3年後に株式買い増しで社長に復帰し、直販体制は後に収益安定の基盤となった。この経緯は、長期的に正しい投資が短期業績の悪化として顕在化した場合、経営者の退任という形で投資判断が否定される構造を示している。復帰後に対立した役員を入れ替えた事実は、退任と復帰が人事権の奪還戦であり、最終的に資本保有が経営権を規定したことを意味する。
  16. 多角化を遂行・シェアを重視
    主力製品でシェア50%以上、または2位の2倍、または2位と3位の合計を超えるという目標は、販売数量の追求ではなく、製品1単位あたりのコスト差を通じて競合の投資余力を構造的に封じる設計であった。シェアが高い企業ほど固定費が分散され、コスト差がさらに投資余力の差を生むという正のフィードバック構造を、鈴木哲夫は「シェアは資産」と表現した。この思想がHOYAの各事業で貫かれた結果、ニッチ市場の寡占体制が定着した。
  17. ソフトコンタクトレンズの製造開始
  18. 株式上場
    東京証券取引所市場第一部へ指定。
  19. 半導体用マスクサブストレートの製造開始
    IBM向け受注を起点に、ガラス素材からクロムブランクス、さらにクロムマスクまでの垂直統合を構築したことで、HOYAは半導体メーカーにとって代替困難なサプライヤーとなった。光学ガラスの組成・溶解・研磨技術が半導体製造工程の品質要求に合致した点は、創業以来の技術蓄積と多角化探索の帰結である。1980年時点でクロムブランクス世界シェア60%を確保した速度は、技術転用の適合度が高い領域では支配的地位が短期間で確立されうることを示唆する。
  20. 東京都八王子市に八王子工場を新設し、半導体用フォトマスク製造開始。
  21. 設備投資
    新本社ビルを新宿区中落合に竣工。
  22. 商号をHOYA株式会社に変更

    1984年10月に保谷硝子は製造子会社2社(保谷クリスタル・保谷レンズ)を吸収合併し、商号をHOYA株式会社に変更。新事業の展開によって業態が変化したことから、東京証券取引所の会社コードを変更し、業種区分を「ガラス・土石」から「精密」に変更した。

  23. 主力製品で高シェアを確保
    眼鏡レンズ36%、クリスタル食器65%、光学レンズ60%、マスクブランクス世界75%という構成は、巨大市場を追わず技術的参入障壁の高い複数のニッチ市場で支配的地位を握る事業設計の帰結であった。個々の市場は小さいが、シェアの高さがコスト優位と価格決定力を生み、その集合体として営業利益率12.5%を実現した。1970年のシェア目標から17年を経て結実した事実は、この設計が経営思想の一貫した適用の産物であることを示している。
  24. 眼内レンズ(白内障術後用)製造開始。
  25. 光学ガラスによる非球面モールドレンズ製造開始。
  26. 海外進出
    欧州統括会社HOYA EUROPE B.V.(現HOYA HOLDINGS N.V.)を蘭、北米統括HOYA CORPORATION USAを米に設立。
  27. 未承認コンタクトレンズの回収
    承認申請時の成分表示の誤りという手続き上の不備が、製品安全性とは独立に事業を壊滅させた。経営陣が「副作用はない」と生産継続を期待した判断は、規制当局が審査するのは製品品質ではなく法的適合性であるという認識を欠いていた。シェア15%から1.3%への急落と39億円の損失は、規制産業において手続き違反が市場地位を不可逆的に毀損しうることを実証した。品質と適法性が別次元の問題であるという区別がHOYAに高い代償をもって刻まれた。
  28. HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売。
  29. ROEを重視・組織改革を推進
    改革の契機が米国子会社の役員からのROEの低さの指摘であった点に、日本企業の内発的な変革の難しさが表れている。220名の退職、取締役17名から8名への半減、社外取締役の起用、定期採用の廃止は、1990年代の日本企業では異例の施策であった。「終身雇用は70%でよいが年功序列は不必要」という鈴木哲夫の言葉は、雇用の全否定ではなく人材の流動化に力点を置いた改革の性格を示している。以後のペンタックス買収・売却やクリスタル撤退の布石であった。
  30. 設備投資
    熊本県菊池郡大津町に熊本工場を新設。
  31. 組織改革の実施
    本社を全社戦略とファイナンスに限定し、人事権を5つの事業子会社に完全委譲した構造は、本社の役割を「事業ポートフォリオの管理」に再定義するものであった。人員を2020名から50名に削減した比率は約97.5%であり、日本企業の本社機能としては極端な軽量化である。取締役を8名に絞り社外取締役1名を起用した改革は、2000年代以降に広がるガバナンス改革に先行する形であり、ROE経営の組織的基盤として機能した。
  32. 組織再編
    カンパニー制導入。エレクトロオプティクス・ビジョンケア2社と、HOYA PHOTONICS・HOYAヘルスケア・HOYAクリスタル3子会社に改組。
  33. 組織再編
    シンガポールにHOYA HOLDINGS ASIA PACIFICを設置。HOYA HOLDINGSの蘭N.V.・米INC.と合わせ3極の地域本社体制が整う。
  34. HOYA LENS DEUTSCHLAND GMBH.がHOYAグループ最初のISO14001を取得。
  35. 国内主要全工場でISO14001を取得。
  36. 東南アジアへの生産移管

    2000年代を通じてHOYAは、生産拠点の国内から海外への移転を推し進め、タイを中心とした東南アジアでの生産を増強した。この結果、HOYAはグローバル競争において、メガネレンズなどのアイケア用品を中心に、コスト競争力を持続するメーカーとして業容を拡大した。

  37. 企業買収
    沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける。
  38. 半導体新基板材料3C-SiC製造販売を開始。
  39. 業務提携
    大日本印刷㈱と次世代半導体用マスクブランクスの技術アライアンス締結。
  40. 組織再編
    グローバルベースでの財務マネジメント機能を欧州地域本社に移管。
  41. 企業買収
    日本板硝子㈱のHDD用ガラスディスク事業を譲り受ける。
  42. 株式上場
    米国預託証券(ADR)プログラム Level-1を開設。
  43. 株式上場
    普通株式1株につき4株の割合で株式分割を実施。
  44. 組織再編
    ペンタックス㈱を吸収合併。
  45. TFT液晶ガラス基板から撤退

    TFT液晶ガラス基板からの事業撤退を決定。2008年6月に合弁会社のNHテクノグラス(出資比率はHOYA50%・日本板硝子50%)の株式について、21.5%を投資ファンドのカーライルに売却を実施した。売却により、HOYAは株式売却益として104億円を計上。

  46. クリスタル事業から撤退

    HOYAの創業事業でクリスタル製造(時計・ガラス製品・食器向けなど)に関して、採算が悪化していたことから2009年に撤退を決定した。すでに、HOYAは2006年にクリスタル製造の武蔵工場(埼玉県)の閉鎖を実施。2009年までにクリスタル事業の拠点であった東京昭島工場の設備の減損を実施し、クリスタル事業からの撤退を完了した。

  47. 事業売却
    クリスタル事業終了。
  48. 事業売却
    HDD用ガラスメディア製造事業及び関連資産をWESTERN DIGITAL CORPORATIONに譲渡。
  49. 事業売却
    PENTAXイメージング・システム事業を㈱リコーに譲渡。
  50. セイコーエプソンから眼鏡レンズ事業を買収
  51. 企業買収
    セイコーグループ㈱の子会社でメガネ関連商品の販売事業を行うセイコーオプティカルプロダクツ㈱の株式を30%譲り受ける。
  52. 企業買収
    イギリスに本社を置く医療機器開発製造のリーディング企業 Creo Medical Ltd.に出資。
  53. 企業買収
    自動内視鏡洗浄装置(AER)のリーディング企業であるWASSENBURG社の過半数株式を取得。
  54. 3Mから度付き保護メガネ事業を買収
  55. 合弁設立
    中国Aohuaと医療用軟性内視鏡の合弁会社設立。 音声読み上げのReadSpeaker社を買収。 白内障用眼内レンズ拠点をタイに新設。
  56. 米Performance Opticsを買収
  57. 設備投資
    白内障用眼内レンズのR&Dセンターをシンガポールに開設。
  58. シンガポールでEUVマスクブランクスの量産開始
  59. 業務提携
    中国の白内障用眼内レンズ販売代理店GeMaxとの合弁会社を設立。
  60. 事業売却
    HOYAデジタルソリューションズ株式会社を富士フイルムビジネスイノベーション株式会社へ 譲渡。
  61. 業務提携
    中国メガネレンズメーカーJiangsu Sigo Optical Co.,Ltd.と合弁会社を設立。
  62. 業務提携
    日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)へ加盟。 中国BOEグループとFPD用フォトマスク事業の合弁会社を設立。
  63. 組織再編
    国連グローバルコンパクト(UNGC)へ加盟。 再生可能エネルギー100%を目指す国際イニシアチブ「RE100」にも加盟。