東洋光学硝子製造所を個人創業
軍需向けレンズ生産のために創業。終戦後はガラス食器製造に転換
山中正一氏がHOYAを創業
東條英機首相の要請を受けて、軍需向けの光学ガラス製造を開始。クリスタルガラスの第一人者であった山中正一氏が個人創業する形をとった。創業地は西東京市(保谷)であった。
クリスタルガラス食器に業態転換
1945年の終戦によりHOYAは軍需向けレンズの顧客を失った。そこで、企業存続のために、1947年から民需製品としてクリスタルガラス食器の製造を開始した。主に高級食器として輸出された。
経営難による心労で創業者が脳溢血へ
1955年の経済不況により業績が悪化。1956年に創業者の山中氏は心労により脳溢血に倒れ、事業経営の遂行が難しい状況に陥った。後任社長には娘婿の鈴木哲夫氏が就任し、山中家としての経営体制に終止符が打たれた。