北越コーポレーションの沿革(1907〜2025年)
北越コーポレーションの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1907 1-12月 | 北越製紙株式会社を設立 | 紙の流通を握る商人が製造に進出した川上統合の創業構造 | ||||
1920 1-12月 | 市川工場を新設(千葉県) 首都圏市場への輸送コストを削減する狙いで、千葉県に市川工場を新設した。しかし新設直後に第一次世界大戦終結による不況に直面し、採算割れの状況が続いた。 | |||||
1936 1-12月 | ファイバーの生産開始 ゴム・皮革の代替材料として注目されつつあった「ファイバー」の製造を開始。1941年には国内初となる生産設備「ファイバー連続機」を導入し、量産体制を確立した。 | |||||
1944 1-12月 | 北越パルプを合併 1937年に北越製紙は人絹(化学繊維)向けの原料を製造するために北越パルプを設立。北越製紙の新潟工場の隣接地を新たに取得することで、人絹パルプの生産工場を新設した。1944年に北越パルプは北越製紙と合併した。 | |||||
FY50 1950/3 | 東京証券取引所に株式上場 | |||||
FY54 1954/3 | 売上高 53.1億円 | 当期純利益 3.9億円 | ||||
FY55 1955/3 | 売上高 52億円 | 当期純利益 -2億円 | ||||
FY56 1956/3 | 売上高 55.9億円 | 当期純利益 1.9億円 | 洋紙生産高・国内シェア5位 1945年の終戦直後において、北越製紙は戦時中に空襲による被害を受けなかったことで迅速に復興。1951年には製紙業界でもトップレベルの収益を確保した。
そこで、1950年以降、これらの収益を設備投資に回すことで生産設備を増強。長岡・新潟・市川の主力3拠点において、それぞれ抄紙機を新設することで増産体制を確立。1955年4月には洋紙生産高ベースで国内シェア5位を確保し、地方企業にも関わらず、大手と互角に戦う会社として注目された。 | |||
FY57 1957/3 | 売上高 63.2億円 | 当期純利益 1.5億円 | ||||
FY58 1958/3 | 売上高 59億円 | 当期純利益 -3.3億円 | 北越製紙再建方策案を策定・人員削減へ 1955年から1957年にかけて、日本経済の一時的な低迷を受けて、製紙の需要が低迷。北越製紙は「設備老朽化・過剰人員・減産」の影響を受け、収益性が低下した。そこで、1957年に「北越製紙再建方策案」を取りまとめ、設備の近代化及び合理化を軸とした再建策をまとめた。
1958年には希望退職者の募集を含む再建案を発表。社員447名(全社員の14%)と、臨時作業員154名(全臨時作業員の59%)について、それぞれ人員整理を実施した。 | |||
FY59 1959/3 | 売上高 64億円 | 当期純利益 -4.7億円 | 本社機能を東京に移転 | |||
FY60 1960/3 | 売上高 75.1億円 | 当期純利益 1億円 | 鈴木一弘氏による株式買い占め事件 1959年11月ごろから鈴木一弘氏(買い占め屋)が北越製紙の株式を取得。合計36%の株式を保有した上で、北越製紙関係者に(高値での)買取を要求した。これに対して、北越製紙は不当な買い占めと主張し反発した。その後、鈴木一弘は、他の企業の買い占めの事案で「脅迫罪」の疑いで逮捕され、北越製紙の買い占めも立ち消えとなった。 | |||
FY61 1961/3 | 売上高 80.1億円 | 当期純利益 1.5億円 | ||||
FY62 1962/3 | 売上高 81.9億円 | 当期純利益 1.6億円 | ||||
FY63 1963/3 | 売上高 86.9億円 | 当期純利益 0.8億円 | ||||
FY64 1964/3 | 売上高 106.9億円 | 当期純利益 2.2億円 | 田村文吉会長が逝去 1963年6月28日に、北越製紙の会長・田村文吉氏が逝去。北越製紙の創業家出身であり、社長および会長を歴任した人物であった。田村文吉氏の逝去後、北越製紙は田村家の経営から脱却する。 | |||
FY65 1965/3 | 売上高 99.2億円 | 当期純利益 -9.4億円 | 新潟地震で新潟工場が被災・抄紙機新設で復興へ - | |||
FY66 1966/3 | 売上高 105.1億円 | 当期純利益 -1億円 | ||||
FY67 1967/3 | 売上高 142.8億円 | 当期純利益 5.1億円 | ||||
FY68 1968/3 | 売上高 164.8億円 | 当期純利益 4.9億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 179.1億円 | 当期純利益 3.6億円 | ||||
FY70 1970/3 | 売上高 215億円 | 当期純利益 3.4億円 | ||||
FY71 1971/3 | 売上高 256億円 | 当期純利益 7.8億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 276億円 | 当期純利益 2.6億円 | 勝田工場を新設・紙器の生産開始 首都圏向けの製造拠点として、従来の市川工場(千葉県)の拡張が難しくなったことを受けて、1971年に勝田工場(茨城県)を新設。米国の製紙業界では「板紙・洋紙の需要増大」がトレンドとなっており、北越製紙の経営陣は日本国内でも同様の市場が形成されると判断。勝田工場では「特殊白板」の生産を軸に据えた。 | |||
FY73 1973/3 | 売上高 324億円 | 当期純利益 4.7億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 467億円 | 当期純利益 13.4億円 | ||||
FY75 1975/3 | 売上高 483億円 | 当期純利益 8.9億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 529億円 | 当期純利益 2.4億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 606億円 | 当期純利益 4億円 | ||||
FY78 1978/3 | 売上高 610億円 | 当期純利益 4.1億円 | 子会社北越パッケージ株式会社を設立 | |||
FY79 1979/3 | 売上高 587億円 | 当期純利益 3.9億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 731億円 | 当期純利益 3.8億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 739億円 | 当期純利益 1.5億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 776億円 | 当期純利益 -0.7億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 815億円 | 当期純利益 6.4億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 850億円 | 当期純利益 15.3億円 | ||||
FY87 1987/3 | 新潟工場への設備投資を再開 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 1,197億円 | 当期純利益 15億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 1,145億円 | 当期純利益 16億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 1,071億円 | 当期純利益 18億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 1,108億円 | 当期純利益 19億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 1,242億円 | 当期純利益 47億円 | ||||
FY97 1997/3 | 売上高 1,277億円 | 当期純利益 46億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 1,293億円 | 当期純利益 34億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 1,229億円 | 当期純利益 11億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 1,327億円 | 当期純利益 21億円 | 工場組織再編を実施 市川工場と勝田工場を統合し「関東工場」に改称 | |||
FY01 2001/3 | 売上高 1,454億円 | 当期純利益 68億円 | 三菱製紙との包括提携を発表 - | |||
FY02 2002/3 | 売上高 1,361億円 | 当期純利益 27億円 | 長岡工場に特殊抄紙機6号機を設置 | |||
FY03 2003/3 | 売上高 1,421億円 | 当期純利益 29億円 | ||||
FY04 2004/3 | 売上高 1,475億円 | 当期純利益 64億円 | ||||
FY05 2005/3 | 売上高 1,512億円 | 当期純利益 69億円 | 新潟県中越地震で長岡工場が被災 | |||
FY06 2006/3 | 売上高 1,536億円 | 当期純利益 32億円 | ||||
FY07 2007/3 | 売上高 1,589億円 | 当期純利益 43億円 | shareholder | 王子製紙からの買収提案を拒絶 | 敵対的買収の防衛策が招いた系列化と長期経営体制の固定化 | |
FY08 2008/3 | 売上高 1,727億円 | 当期純利益 40億円 | ||||
FY09 2009/3 | 売上高 1,828億円 | 当期純利益 19億円 | ||||
FY10 2010/3 | 売上高 1,939億円 | 当期純利益 72億円 | 株式交換により紀州製紙を完全子会社化 北越製紙は業界再編の主導権を握るべく、2009年10月に紀州製紙を完全子会社化した。これにより紀州製紙は上場廃止となった。 | |||
FY11 2011/3 | 売上高 2,170億円 | 当期純利益 54億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 2,305億円 | 当期純利益 127億円 | ||||
FY13 2013/3 | 売上高 2,082億円 | 当期純利益 83億円 | 大王製紙の株式取得 | 再編を仕掛けた側が被買収先の株主から経営刷新を迫られる逆転構造 | ||
FY14 2014/3 | 売上高 2,238億円 | 当期純利益 62億円 | ||||
FY15 2015/3 | 売上高 2,284億円 | 当期純利益 83億円 | ||||
FY16 2016/3 | 売上高 2,468億円 | 当期純利益 74億円 | Aplac Forest Productsを買収 | |||
FY17 2017/3 | 売上高 2,623億円 | 当期純利益 103億円 | ||||
FY18 2018/3 | 売上高 2,690億円 | 当期純利益 103億円 | ||||
FY19 2019/3 | 売上高 2,758億円 | 当期純利益 91億円 | 商号を北越コーポレーション株式会社に変更 | |||
FY20 2020/3 | 売上高 2,646億円 | 当期純利益 80億円 | 三菱商事との業務提携を解消 2006年の王子製紙からのTOBに対する対抗策として、三菱商事に対して第三者割当増資を行ったことを契機に、北越製紙は三菱商事との提携関係を開始。 | |||
FY21 2021/3 | 売上高 2,224億円 | 当期純利益 141億円 | 新潟工場の抄紙機6号機を「段ボール原紙抄紙機」に改造 | |||
FY22 2022/3 | 売上高 2,616億円 | 当期純利益 212億円 | shareholder | 大株主オアシスが「A Better Hokuetsu」のキャンペーンを開始 | 買収防衛・業界再編・株主対立という3つの資本関係が交差した株主総会 | |
FY23 2023/3 | 売上高 3,012億円 | 当期純利益 83億円 | ||||
FY24 2024/3 | 売上高 2,970億円 | 当期純利益 83億円 | ||||
FY25 2025/3 | 売上高 3,057億円 | 当期純利益 155億円 |
- 北越製紙株式会社を設立紙の流通を握る商人が製造に進出した川上統合の創業構造
- 市川工場を新設(千葉県)
首都圏市場への輸送コストを削減する狙いで、千葉県に市川工場を新設した。しかし新設直後に第一次世界大戦終結による不況に直面し、採算割れの状況が続いた。
- ファイバーの生産開始
ゴム・皮革の代替材料として注目されつつあった「ファイバー」の製造を開始。1941年には国内初となる生産設備「ファイバー連続機」を導入し、量産体制を確立した。
- 北越パルプを合併
1937年に北越製紙は人絹(化学繊維)向けの原料を製造するために北越パルプを設立。北越製紙の新潟工場の隣接地を新たに取得することで、人絹パルプの生産工場を新設した。1944年に北越パルプは北越製紙と合併した。
- 東京証券取引所に株式上場
- 洋紙生産高・国内シェア5位
1945年の終戦直後において、北越製紙は戦時中に空襲による被害を受けなかったことで迅速に復興。1951年には製紙業界でもトップレベルの収益を確保した。 そこで、1950年以降、これらの収益を設備投資に回すことで生産設備を増強。長岡・新潟・市川の主力3拠点において、それぞれ抄紙機を新設することで増産体制を確立。1955年4月には洋紙生産高ベースで国内シェア5位を確保し、地方企業にも関わらず、大手と互角に戦う会社として注目された。
- 北越製紙再建方策案を策定・人員削減へ
1955年から1957年にかけて、日本経済の一時的な低迷を受けて、製紙の需要が低迷。北越製紙は「設備老朽化・過剰人員・減産」の影響を受け、収益性が低下した。そこで、1957年に「北越製紙再建方策案」を取りまとめ、設備の近代化及び合理化を軸とした再建策をまとめた。 1958年には希望退職者の募集を含む再建案を発表。社員447名(全社員の14%)と、臨時作業員154名(全臨時作業員の59%)について、それぞれ人員整理を実施した。
- 本社機能を東京に移転
- 鈴木一弘氏による株式買い占め事件
1959年11月ごろから鈴木一弘氏(買い占め屋)が北越製紙の株式を取得。合計36%の株式を保有した上で、北越製紙関係者に(高値での)買取を要求した。これに対して、北越製紙は不当な買い占めと主張し反発した。その後、鈴木一弘は、他の企業の買い占めの事案で「脅迫罪」の疑いで逮捕され、北越製紙の買い占めも立ち消えとなった。
- 田村文吉会長が逝去
1963年6月28日に、北越製紙の会長・田村文吉氏が逝去。北越製紙の創業家出身であり、社長および会長を歴任した人物であった。田村文吉氏の逝去後、北越製紙は田村家の経営から脱却する。
- 新潟地震で新潟工場が被災・抄紙機新設で復興へ
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- 勝田工場を新設・紙器の生産開始
首都圏向けの製造拠点として、従来の市川工場(千葉県)の拡張が難しくなったことを受けて、1971年に勝田工場(茨城県)を新設。米国の製紙業界では「板紙・洋紙の需要増大」がトレンドとなっており、北越製紙の経営陣は日本国内でも同様の市場が形成されると判断。勝田工場では「特殊白板」の生産を軸に据えた。
- 子会社北越パッケージ株式会社を設立
- 新潟工場への設備投資を再開
- 工場組織再編を実施
市川工場と勝田工場を統合し「関東工場」に改称
- 三菱製紙との包括提携を発表
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- 長岡工場に特殊抄紙機6号機を設置
- 新潟県中越地震で長岡工場が被災
- 王子製紙からの買収提案を拒絶敵対的買収の防衛策が招いた系列化と長期経営体制の固定化
- 株式交換により紀州製紙を完全子会社化
北越製紙は業界再編の主導権を握るべく、2009年10月に紀州製紙を完全子会社化した。これにより紀州製紙は上場廃止となった。
- 大王製紙の株式取得再編を仕掛けた側が被買収先の株主から経営刷新を迫られる逆転構造
- Aplac Forest Productsを買収
- 商号を北越コーポレーション株式会社に変更
- 三菱商事との業務提携を解消
2006年の王子製紙からのTOBに対する対抗策として、三菱商事に対して第三者割当増資を行ったことを契機に、北越製紙は三菱商事との提携関係を開始。
- 新潟工場の抄紙機6号機を「段ボール原紙抄紙機」に改造
- 大株主オアシスが「A Better Hokuetsu」のキャンペーンを開始買収防衛・業界再編・株主対立という3つの資本関係が交差した株主総会