創業地新潟県長岡市
創業年1907
上場年1949
創業者田村文四郎・覚張治平
現代表岸本晢夫
従業員数3,711

1907年、長岡の紙卸商・田村文四郎と書籍商・覚張治平を中心とする143名が長岡で北越製紙を設立。新潟随一の紙商であった田村家の販路と、信濃川の水力・地元の稲藁を結びつけて板紙製造に進出した。原料・販路・水力という製紙業の3条件を地元で完結させた立地が創業期の強みとなった。

戦後は抄紙機増設で1955年に洋紙生産国内5位へ躍り出て、新潟地震と中越地震の被災を経ても設備投資を継続した。2006年の王子製紙による敵対的TOBを三菱商事への303億円の第三者割当増資で阻止し、24.09%の筆頭株主として系列下に置かれる13年間を引き受けた。2008年には三菱商事出身の岸本晢夫氏がCEOに就任し、2009年に紀州製紙を完全子会社化、2012年に大王製紙株22.3%を取得して業界再編の第三極を志した。

ただし2020年の大王製紙提訴敗訴で経営関与には至らず、22.3%の資本関係だけが残った。2018年の商号変更で総合紙業へ軸を広げ、2019年に三菱商事との提携が解消された後も同体制が続いたため、2021年のオアシスによる「A Better Hokuetsu」キャンペーンで岸本社長体制に異議が申し立てられた。買収防衛で招いた資本、業界再編で取得した株式、アクティビストという3層の株主構造のなかで、技術優位を新製品・新事業の超過利潤に変換できるか――この転用機会の活用度が同社の岐路となる。

北越コーポレーション:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
売上高(億円)営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
FY04
FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
FY14
FY15
FY16
FY17
FY18
FY19
FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
FY25
FY26
FY27
FY28
FY29
FY30
三輪正明
代表取締役社長
代..
歴代社長
FY02
FY03
FY04
FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
FY12
FY13
FY14
FY15
FY16
FY17
FY18
FY19
FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
三輪正明
代表取締役社長
三輪正明
代表取締役社長CEO
岸本晢夫代表取締役社長CEO
北越コーポレーション:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
大株主オアシスが「A Better Hokuetsu」のキャンペーンを開始2021
三菱商事との業務提携を解消2019
大王製紙の株式取得2012
王子製紙からの買収提案を拒絶2006
新潟県中越地震で長岡工場が被災2004

API for AI Agents— 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

MethodPath概要北越コーポレーション(証券コード3865)のURL文字数API仕様書
GET/api-manifest.jsonAPIマニフェストopenapi.yaml
GET/companies.json全社一覧openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/manifest.jsonリソース一覧openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/history.json歴史概略5,849openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/current.json直近の動向と展望2,778openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/data.json財務(PL/BS/CF・セグメント)88,870openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/timeline.json沿革10,438openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/executive.json役員・歴代経営者87,192openapi.yaml
GET/api/{stock_code}/shareholder.json大株主37,213openapi.yaml

歴史概略

1907年〜1963創業と製紙基盤の確立と事業ポートフォリオ再編

稲藁を活かした紙卸商の製造業転身

1907年4月、長岡の紙卸商・田村文四郎と書籍商・覚張治平を中心とする143名の出資者が北越製紙株式会社を設立した。稲作の盛んな新潟は原料となる稲藁の調達が容易な土地柄であり、新潟随一の紙商であった田村家が築き上げてきた広範な販路がそのまま創業時の販売基盤となった。翌年10月にはドイツ製の抄紙機を据え付けて長岡工場での板紙製造を開始し、1920年には北越板紙を買収して新潟工場を発足させ、長岡と新潟の2拠点体制を築いた。原料・販路・水力という製紙業の3条件を地元の信濃川流域で完結させたところに、創業期の北越製紙の独自性と強さがあった。

第1次世界大戦の好景気を受けて北越製紙は業容を急拡大したが、大戦後の反動不況により1920年に新設した市川工場は採算割れが続いた。好況期の拡張投資が不況期に大きな重荷となる構図は、設備投資の規模が直接固定費を押し上げる装置産業の宿命でもあり、北越製紙が直面した最初の本格的な経営試練となった。経営の中核には引き続き田村家の出身者が据えられ、田村家から出た社長が1950年代まで歴任する創業家支配の統治体制が、この時期にはっきりとした形をとって定着した。創業時の人脈と販路に支えられた経営構造は、戦後の業界再編期に至るまで色濃く残り続けた。

戦後復興期に確保した洋紙生産国内5位

戦時中に空襲を免れた北越製紙は早期に生産体制を立て直し、1951年には製紙業界のなかでもトップレベルの収益を計上した。同社はこの収益を設備投資の原資として振り向け、長岡・新潟・市川の3拠点で抄紙機を相次いで新設して増産体制を整えた。その結果、1955年には洋紙生産高で国内シェア5位を確保し、新潟を本拠とする地方企業でありながら王子・本州・十條といった東京資本の大手と互角に競う存在として業界内外の注目を集めた。地方発の中堅メーカーが大手の一角に並ぶという、戦後の製紙業界では異例の位置取りを実現した時期である。

しかし1957年からの景気低迷で収益性が低下し、北越製紙は再建方策案を策定して希望退職を含む人員整理に踏み切らざるを得なくなった。1959年には鈴木一弘による株式買い占め事件が起き、外部からの経営介入のリスクが現実のものとして同社の前に立ち現れた。株式の買い占めは当時の上場企業に共通する脅威だったが、創業家支配が残る地方中堅メーカーにとっては組織防衛の足場そのものを問われる事件でもあった。さらに1963年には田村文吉会長の逝去によって創業家による経営に区切りがつき、半世紀以上にわたって続いた田村家中心の統治構造は終わりを迎えた。地方の中堅紙メーカーから業界中位の企業へと立場が変わるなか、北越製紙は新たな統治構造への転換を迫られた。

1964年〜2020設備更新と震災復興と事業ポートフォリオ再編

2度の地震被災を乗り越えた設備投資継続

1964年の新潟地震で新潟工場が大きな被害を受けたが、北越製紙は復旧と同時に抄紙機の新設に踏み切り、被災を生産能力増強の機会へと転換した。装置産業の紙メーカーにとって被災は操業停止と競合へのシェア流出を同時に招く危機だが、同社は復旧投資を増設投資に重ねることで被災後のシェア低下を食い止めた。1971年には首都圏市場を視野に入れた新たな拠点として茨城県に勝田工場を新設し、米国市場における紙の動向を踏まえて特殊白板の生産に注力した。さらに1977年には子会社の北越パッケージを設立し、抄紙だけでなく紙器加工分野への展開も始めた。本社所在地の新潟と首都圏の勝田、紙器加工の北越パッケージという3層の事業基盤が、この時期に形づくられた。

1986年には新潟工場への設備投資を再開し、2000年には市川工場と勝田工場を統合して関東工場と改称するなど、グループ全体の生産体制の合理化を進めた。2004年の新潟県中越地震では長岡工場が再び大きな被害を受けたが、ここでも復旧と操業再開にこぎつけた。新潟地震と新潟県中越地震という2度の大震災を経験しながら設備投資の手を緩めなかった点は、同じ装置産業でも被災のたびに減産や撤退を余儀なくされた他の地方紙メーカーと比べたときの北越製紙の大きな特徴である。震災と再投資の繰り返しが、同社の事業基盤の骨格そのものを形づくった。

紀州製紙統合と段ボール原紙への製品転換

2000年に三菱製紙との包括提携を発表して業界内での連携強化に動いたが、北越製紙が本格的に業界再編の主体として動いた最初の動きは2009年の紀州製紙完全子会社化であった。これにより同社の事業基盤は拡大し、洋紙偏重だった製品ポートフォリオに特殊紙分野の品揃えが加わって厚みを増した。さらに2020年には主力の新潟工場の抄紙機6号機を段ボール原紙用の抄紙機に改造する大型工事に踏み切り、紙離れによる印刷用紙需要の長期的な縮小と、通販市場の拡大による段ボール需要の継続的な増加という国内紙市場の構造変化に対応する製品転換に真っ向から着手した。

2018年には商号をそれまでのものから自社株式会社へと変更し、紙単業からの脱却と総合紙業会社への移行を志向する経営方針を社外に対しても示した。海外展開の面では、2015年にカナダのアルパック・フォレスト・プロダクツを買収し、北米における原料パルプ生産の北越コーポレーション拠点を確保した。創業以来の主力商品であった印刷用洋紙の国内需要が長期的に縮小するなか、紀州製紙の取り込み・段ボール原紙への生産シフト・海外原料拠点の獲得という3つの手を打ち、製品構成と事業領域の幅を広げた時期に当たる。震災対応の延長にあった設備投資を、市場構造の変化に合わせて組み替え直す作業でもあった。

2021年〜2026買収防衛と株主対立と事業ポートフォリオ再編

王子製紙のTOBと三菱商事の系列化

2006年8月、業界首位の王子製紙が北越製紙に対して敵対的買収を宣言した。国内製紙業界は紙離れで需要縮小が確実視され、王子の側には業界再編の主導権を握る狙いがあった。北越製紙は三菱商事に対する第三者割当増資によって303億円もの資金を調達し、三菱商事が24.09%の筆頭株主となる新たな資本構図を作ってTOBを阻止した。独立は維持されたが、その代償として北越製紙は三菱商事の系列企業としての立場を受け入れた。2008年には三菱商事出身の岸本晢夫氏がCEOに就任し、両社の提携関係は2019年まで13年間続いた。買収防衛の成功と引き換えに、北越製紙の経営の自律性は制約された。

北越製紙の大株主
  • 2006/3期に8.45%で筆頭株主だった日本マスタートラストに代わり、2007/3期以降は三菱商事が24.09%で筆頭株主に固定化した。
  • 王子製紙のTOBを退けるために招き入れた第三者割当増資が、北越製紙の株主構成を長期にわたって規定する出発点となった構図を示している。
unit三菱商事日本製紙日本マスタートラスト
%8.45%(筆頭株主)
%24.09%(筆頭株主)8.58%4.99%
%24.09%(筆頭株主)8.58%5.40%
%24.09%(筆頭株主)8.58%6.13%
出所:有価証券報告書 (2006/3)

買収防衛のために招き入れた資本が、その後の長期にわたる北越製紙の経営構造そのものを規定するという独特の結果が、この一連のやりとりからはっきりと生まれた。独立を守る名目で行われた第三者割当増資は、結果として経営判断の自由度を狭め、王子製紙の脅威が遠のいた後も意思決定の枠組みそのものを縛り続けた。さらに、三菱商事という強力な後ろ盾を失った瞬間に、新たな株主との対立を招く遠因となった点も見逃せない。買収防衛の成功という短期的な勝利と、10年単位での経営の硬直化という長期的な代償が、同じ一手から並行して生じた事例だといえる。

重要な意思決定

1907年4月

北越製紙株式会社を設立

北越製紙の創業は、新潟随一の紙商であった田村家が販売側から製造側に事業領域を拡張した業態転換である。流通の知見を持つ商人が原料の地理的優位性を組み合わせて製造業に参入する構造は、販路確保のリスクを低減する一方で、創業家支配の長期化という統治上の課題を内包した。1950年代まで田村家が社長を歴任した事実は、創業時の資本構成が半世紀にわたり経営構造を規定し続けたことを示唆する。

詳細を見る →
2006年8月

王子製紙からの買収提案を拒絶

北越製紙は王子製紙のTOBを三菱商事への第三者割当増資で阻止したが、その代償として三菱商事の系列企業となり、同社出身の岸本氏が長期にわたり経営トップを務める構造が固定化された。買収防衛という短期の意思決定が、13年間の資本関係と経営体制を規定し、2019年の提携解消後もなお岸本体制が継続したことで、オアシスによる経営刷新キャンペーンの標的となった因果の連鎖がある。

詳細を見る →
2012年8月

大王製紙の株式取得

北越製紙は大王製紙の株式22.3%を取得して業界再編を主導しようとしたが、大王製紙の経営陣は転換社債の発行で対抗し、訴訟でも北越製紙が敗訴した。資本関係を持ちながら経営統合が実現しない膠着状態は、2021年以降に大王製紙系の株主がオアシスに同調するという形で北越製紙に跳ね返った。再編の主導権を握るために取得した株式関係が、逆に自社の経営体制を揺さぶる構造的反転を生んだ。

詳細を見る →
2021年10月

大株主オアシスが「A Better Hokuetsu」のキャンペーンを開始

2024年の株主総会における岸本社長解任議案は、2006年のTOB防衛で形成された経営体制、2012年の大王製紙株取得による資本関係の歪み、そして2021年からのオアシスのキャンペーンという3つの時間軸が交差した局面であった。大王製紙系株主がオアシスに同調した事実は、過去に仕掛けた再編の摩擦が自社への圧力に転化する構造を示しており、企業間の資本関係が長期にわたり統治構造を規定し続ける力学を浮き彫りにする。

詳細を見る →

参考文献・出所

有価証券報告書
日本経済新聞 2023/5/27
日刊工業新聞 2024/2/15