重要な意思決定
北越製紙株式会社を設立
背景
新潟の紙商が稲藁原料の板紙製造に着目し製紙業への転身を企図
1907年に長岡の紙卸商・田村文四郎氏と書籍商・覚張治平氏を中心とする143名の出資者が、北越製紙株式会社を新潟県長岡市に設立した。稲作が盛んな新潟では原料となる稲藁の調達が容易であり、紙商として流通に精通していた田村氏は、紙の仕入先から製造元へと事業領域を拡張する構想を抱いた。新潟随一の紙商と称された田村家の参画により、北越製紙は創業当初から販路の基盤を有していた。
田村家は北越製紙の経営に深く関与し、1950年代まで田村家出身者が社長を歴任する伝統が形成された。設立時から創業家による経営が色濃い体制であったが、この構造が後に外部資本による買い占め事件や、創業家からの脱却という経営課題を生むことになる。北越製紙の創業は、紙問屋が川上の製造業に進出するという業態転換の試みであった。
決断
信濃川流域の長岡に工場を新設しドイツ製抄紙機で板紙製造を開始
工場用地の選定では、原料調達・工業用水・電力コストの3条件を基準に長岡市北端の蔵王町(信濃川流域)を選定した。製紙の中核設備である抄紙機はドイツから輸入し、会社設立から約1年をかけて製造体制を整備した。1908年10月の開所式には元長岡藩主や新潟県知事が出席し、地域の期待を背負う形で操業を開始した。
1914年からの第一次世界大戦による好景気を受けて北越製紙は業容を拡大し、1920年には北越板紙を買収して同社の工場を新潟工場とすることで長岡・新潟の2拠点体制を確立した。しかし大戦終結後の不況により、同年に新設した市川工場(千葉県)は採算割れの状況が続いた。好況期の拡張投資が不況期に重荷となる構図は、北越製紙の経営における最初の試練となった。