結果

横河電機の長期業績

1950年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
5,401億円
売上高:2024/3
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
11.4%
利益率:2024/3
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
制御
-
5038億円
測定器
-
318億円
新事業
-
44億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
営業利益
2024/3 | 連結
制御
-
716億円
測定器
-
81億円
新事業
-
-10億円
1920
12月

株式会社横河電機製作所を設立

電気計器の国産化のために創業

1915年9月に横河民輔氏が「電気計器研究所」を東京渋谷に創業。大正時代を通じて工業用途の計測器は欧米からの輸入品(ウェスチングハウス、シーメンスなど)が日本国内で活用されており、国産化がなされていなかった。そこで、横河民輔氏は電気系機を国産化するために、電気計器研究所を発足した。

電気計器国産化のために、横河民輔氏は技術者の欧米留学を支援。研究開発の現場では、横河一郎氏(横河民輔氏の甥)、青木晋氏といった当時20代の人材が計器の国産化に注力した。

1917年には精密電気機器(電流計・電圧計・電力計)の国産化に成功。試作品を通信省や海軍省など見込み顧客に持ち寄ったところ、輸入品に劣らない評判を得た。

横河電機製作所を株式会社として発足

製品化にめどを立てたことで、1920年には株式会社横河電機製作所として株式会社化を実施。横河民輔氏による個人事業から、株式会社として企業を成長させる方向性で事業を展開した。

会社設立時点の株主は6名であり、筆頭株主として横河一郎氏が500株(約30%)を保有。横河民輔氏は株式保有をせず、以後、横河一郎氏を中心とした横河家による同族経営を志向した。

建築家である横河民輔氏による創業

横河民輔氏は建築家であり、米国出張を通じて現地の建築技術を学んだのちに、明治36年に横河工務所を創業。日本国内において「帝国劇場」「三越本店」「東京証券取引所」の建築に携わった。

また、横河民輔氏は建築設計にとどまらない事業展開を志向。明治40年には鉄骨橋梁分野に進出するために、横河橋梁製作所を創業し、大正4年には現在の横河電機に相当する「電気計器研究所」を個人創業するなど、技術を軸として手広く事業を展開した。

1915年
9月
電気計器研究所を創業
1917年
電流計・電圧計・電力計の国産化に成功
1920年
12月
株式会社横河電機製作所を設立
出所
参考文献
計測器ひとすじに : 横河電機の50年, 1965年
1930年
吉祥寺工場を新設(武蔵野本社)

戦時体制下において、横河電機製作所は主に軍需向けの計器の販売を拡大。1927年に陸軍の指定工場となり、高射砲の算定器の研究開発を開始し、以後、軍需品の開発および生産に従事した。

軍需品の生産拡大に対応するため、1927年に東京の吉祥寺に1.6万坪の土地を確保。1930年に吉祥寺工場を新設して、渋谷工場で行っていた計測器の生産を集約した。生産品目は、航空計器・航空用マグネトーなどであり、航空機に関する計器生産に従事した。

1927年
陸軍の指定工場となる
1930年
吉祥寺工場を新設(武蔵野本社)
1937年
小金井工場を新設
1943年
大久保・川越・辻堂の3工場を新設
1945年
小金井・大久保・川越・辻堂の4工場を新設
出所
参考文献
計測器ひとすじに : 横河電機の50年, 1965年
1945年10月
従業員約1万名を削減

第二次世界大戦の敗戦に伴い横河電機は軍需を喪失。戦時中は国内に5工場を稼働していたが、このうち4工場(小金井・大久保・川越・辻堂)を閉鎖し、吉祥寺の武蔵野本社に集約した。人員面においても、終戦時点で1.2万名存在した人員の大半を解雇し、1200名の体制で事業活動を再開した。

1945年
10月
従業員約1万名を削減
1945年
小金井・大久保・川越・辻堂の4工場を新設
1948年9月
東京証券取引所に株式上場
1955年6月
米The Foxboro Companyと技術援助契約を締結

空気圧制御の技術を導入するため、Foxboro社と提携。

1957年10月
Yokokawa Electric Works, Inc.を設立
1970年4月
保守サービスの子会社3社を設立
決算
横河電機の業績
1971年3月期(単体)
売上高
307
億円
当期純利益
25
億円
1974年
販売低迷・人員削減は回避

1973年10月のオイルショックを機に、石油化学メーカーにおける設備投資が相次いで中止。石油産業向けの計測器の販売に依存していた横河電機は業績が低迷し、当時の横河正三社長は「夜も眠れない」状態となった。

証言
横河正三(横河電機・当時社長)

石油危機直後の1974年から1975年にかけては本当に困った。石油危機が起きた時、当社の製品は石油関連事業向けが83%もあったんです。社長としては目が回りますわね。それこそ何日も眠れなかった。減量すべきかどうか真剣に悩みましたね。そりゃあ、減量経営の方が社長にとっては楽ですよ。組合とちょっとチャンバラをやればいいんですから。しかし、一度減量したら、社員に生き甲斐を与えることは絶対出来ない。そう思い、拡大経営とはいかないまでも、少なくとも減量だけはやるまい、と決心したんです。

1980/4/21 日経ビジネス
決算
横河電機の業績
1975年3月期(単体)
売上高
488
億円
当期純利益
21
億円
1974年7月
甲府工場を新設
決算
横河電機の業績
1975年3月期(単体)
売上高
488
億円
当期純利益
21
億円
1975年6月
総合制御システムCENTUMを公表
1975年
6月
総合制御システムCENTUMを公表
1992年
12月
総合制御システムCENTUM CSを公表
1982年9月
オランダElectrofactを買収
決算
横河電機の業績
1983年3月期(単体)
売上高
853
億円
当期純利益
38
億円
1982

GEと合弁で横河メディカルシステムを設立

横河電機による医療機器(X線CT)への参入

1976年に横河電機は米GEと医療機器(X線CT)に関して国内における代理店区契約を締結。GEから製品を導入しつつ、日本国内で横河電機とGEが共同で販売することにより、医療機器事業に参入した。横河電機としては、オイルショックによって鉄鋼および石油産業向けの工業景気の販売が低迷したことから、新規事業として医療機器分野に注力した。

横河電機による医療機器の販売は好調に推移し、1981年3月期にはCTの年間販売額が136億円(1台あたりの単価は数億円)に達した。

GEと合弁会社横河メディカルシステムを発足・マイノリティー出資へ

CTの販売が好調に推移したことを受けて、1982年にはGEと横河電機の合弁により、横河メディカルシステムを設立。GEが51%、横河電機が49%を出資し、GEのX線CT装置を日本国内で販売した。合弁会社では全国40箇所以上の営業拠点を通じて、各地域の医療機関に対して、フィールドエンジニアが販売・修理・保守に従事した。

1986年には合弁会社への出資比率がGE75%・横河電機25%に変更され、GEの国内販売会社としての側面が濃くなった。

X線CTの市場においては、1981年の時点で東芝メディカルが国内シェア39.6%、横河電機(GE)が21.2%、日立メディコが10.5%のシェアをそれぞれ確保し、GEとしては東芝メディカルとのシェア競争を勝ち抜くために、国内の代理店である横河電機との合弁で、販売力の強化を図った。

1976年
GEと提携・日本国内のCTに関する代理店契約を締結
1982年
横河メディカルシステムを設立
横河電機の出資比率 49 %
1986年
GEが横河メディカルシステムの出資比率を75%へ引き上げ
横河電機の出資比率 25 %
1994年
商号をGE横河メディカルシステムに変更
2009年
商号をGEヘルスケアジャパンに変更
横河電機の出資比率 25 %
決算
横河電機の業績
1983年3月期(単体)
売上高
853
億円
当期純利益
38
億円
出所
参考文献
ヤノ・レポート, 1981/11
1983
4月

北辰電機と合併

横河電機(業界1位)と北辰電機(業界3位)が合併

1983年に横河電機は、競合である北辰電機(工業計器メーカーで当時国内売上高3位)との合併を決定。合併によって、横河電機は、米ハネウェル、米フォックスボローに次ぐ、世界3位の規模の工業計器メーカーとなった。国内では横河電機がトップをキープしつつ、業界2位の山武ハネウェルとの差を広げた。

対外的には「対等合併」を謳ったが、業績面では横河電機が優位であった。このため、株式の合併比率は横河電機にとって有利な水準(横河電機1.0株に対して、北辰電機0.35株)となった。合併によって商号を横河北辰電機に変更したが、1986年には横河電機に変更している。

グローバル展開を見据えて北辰電気を合併

合併に至った背景は、北辰電機(清水正博・社長)が計測器業界におけるグローバル競争において単独では長期的に生き残れないと判断し、海外への販路に強い横河電機との合併を志向した点にある。

横河電機(横河正三・社長)としては、北辰電機において歴史的に強みのある製品(特に航空機向け計器)を取り込める点がメリットであった。

旧北辰電機の本社工場を閉鎖および売却・拠点集約によりPMIを実施

生産面では合併後から約3年をかけて「生産拠点統合計画」を推進。東京下丸子に存在していた北辰電機の旧本社工場(約4.8万m2)を閉鎖して、横河電機の生産拠点への集約を実施。旧北辰本社の約1,000名の人員を、横河電機の本社(武蔵野市)および甲府工場に配置転換した。北辰電機の旧本社跡地は隣接するキヤノンに売却され、売却益によって集約先となる工場における設備投資を実施した。

旧本社の閉鎖売却というドラスティックな拠点統合によって、横河電機としては北辰電機とのPMIをスピーディーに推進する狙いがあった。

人員削減を行わないことを確約

合併にあたって、横河電機は人員整理を行わないことを確約した。このため、1990年代前半までの横河電機は人員削減を行わない企業(子会社への出向により対処)として注目を浴びた。

1983年
4月
北辰電機と合併・商号を横河北辰電機に変更
1984年
11月
旧北辰電機の本社工場(下丸子)をキヤノンへ売却決定
敷地面積 4.8 万m2
1986年
10月
商号を横河電機に変更
証言
実業往来

工業計器工業会の会長(横河)、副会長(北辰)の両トップは、業界1位と3位の主導的立場にあり、商売上はライバル。だが、横河正三社長、清水正博社長は親父の代からの交際が深く、仲良しだったという。国内外の情勢をにらみ、会社の将来を考えて、北辰電機の清水社長の方から合併話を持ちかけたと言われる。(略)

対等合併というものの、1対0.35という合併比率が示すように、大(横河)が小(北辰)を呑み込んだ形の合併である。呑む側はいいが、呑み込まれる側に、悲壮感が生じ、それをうまく処理しなければ合併は効果を得ない。横河社長は、社内から突き上げをくうほど北辰サイドに配慮したのである。横河、北辰の合併が、業界筋から羨ましがられるほどスムーズに運んだのは、横河社長のこの巧みな融和策にあったといえよう。

決算
横河電機の業績
1984年3月期(単体)
売上高
1162
億円
当期純利益
103
億円
出所
参考文献
銀行時評 16(12), 1982/12
1994年4月
小峰工場を新設
決算
横河電機の業績
1995年3月期(連結)
売上高
2429
億円
当期純利益
24
億円
1999年
米HPとの合弁解消・株式売却
1995年
横河ヒューレットパッカードの商号を「日本ヒューレットパッカード」に変更
1999年
米HPとの合弁解消
決算
横河電機の業績
2000年3月期(連結)
売上高
3133
億円
当期純利益
58
億円
2001年4月
国内生産子会社5社を統合
決算
横河電機の業績
2002年3月期(連結)
売上高
3108
億円
当期純利益
-231
億円
従業員数
17244
営業CF
204
億円
投資CF
-43
億円
財務CF
-229
億円
2002年10月
安藤電気の株式33%を取得

NEC系列の安藤電気の株式33%を132億円で取得。1999年に横河電機はヒューレットパッカードとの合弁を解消しており、通信・半導体向けの計測器事業を強化するために買収を決定した。

決算
横河電機の業績
2003年3月期(連結)
売上高
3287
億円
当期純利益
-262
億円
従業員数
18675
営業CF
18
億円
投資CF
-30
億円
財務CF
36
億円
2002年10月
中国に現地法人を新設
2002年
10月
単独出資で横河電機(蘇州)有限公司を設立
2003年
10月
中国で工場竣工・現地生産を開始
2008年
3月
中国事業を統括会社の横河電機(中国)有限公司に集約
決算
横河電機の業績
2003年3月期(連結)
売上高
3287
億円
当期純利益
-262
億円
従業員数
18675
営業CF
18
億円
投資CF
-30
億円
財務CF
36
億円
2003年3月
国内グループ15工場を閉鎖

横河電機は1983年から公言してきた「人員削減をしない方針」を撤回し、2003年に人員削減を伴う国内における生産再編を実施。グループ会社を含めた15工場の閉鎖を決定した。特に、傘下の安藤電気(2002年10月に買収)における改革を推進するため、同社において150名の希望退職者の募集を決定した。

決算
横河電機の業績
2003年3月期(連結)
売上高
3287
億円
当期純利益
-262
億円
従業員数
18675
営業CF
18
億円
投資CF
-30
億円
財務CF
36
億円
2005年4月
シンガポールに統括会社を設立
1974年
3月
Yokokawa Electric Singaporeを設立
2005年
4月
Yokokawa Electric Internationalを設立
決算
横河電機の業績
2006年3月期(連結)
売上高
3888
億円
当期純利益
215
億円
従業員数
17858
営業CF
256
億円
投資CF
-117
億円
財務CF
-140
億円
2009年3月
最終赤字に転落
決算
横河電機の業績
2009年3月期(連結)
売上高
3765
億円
当期純利益
-384
億円
従業員数
20247
営業CF
244
億円
投資CF
-240
億円
財務CF
284
億円
2010年4月
計測器事業を子会社の横河計測に移管
決算
横河電機の業績
2011年3月期(連結)
売上高
3256
億円
当期純利益
-66
億円
従業員数
19334
営業CF
161
億円
投資CF
-79
億円
財務CF
-256
億円
2013年4月
横河ソリューションサービスを発足
決算
横河電機の業績
2014年3月期(連結)
売上高
3884
億円
当期純利益
123
億円
従業員数
19837
営業CF
301
億円
投資CF
-138
億円
財務CF
-215
億円
2015年3月
希望退職者を募集

横河電機は約400億円規模の固定費削減のために余剰人員の削減を決定。希望退職者を募集し、合計1105名が退職に応募した。人員削減に伴って2015年3月期に事業構造改善費用を特別損失として166億円計上した。

決算
横河電機の業績
2015年3月期(連結)
売上高
4057
億円
当期純利益
172
億円
従業員数
19601
営業CF
382
億円
投資CF
-18
億円
財務CF
-201
億円
2015年11月
YOKOKAWAコーポレートガバナンス・ガイドラインを制定
2015年
11月
YOKOKAWAコーポレートガバナンス・ガイドラインを制定
2024年
6月
指名委員会設置会社に移行
決算
横河電機の業績
2016年3月期(連結)
売上高
4137
億円
当期純利益
301
億円
従業員数
18646
営業CF
319
億円
投資CF
-108
億円
財務CF
-268
億円
2016年4月
英KBC Advancedを買収

石油・ガス業界向けのソフトウェアおよびコンサルティングサービスを手掛けるKBC社(KBC Advanced Technologies plc)を279億円で買収。

決算
横河電機の業績
2017年3月期(連結)
売上高
3914
億円
当期純利益
257
億円
従業員数
18329
営業CF
392
億円
投資CF
-364
億円
財務CF
64
億円
2021年5月
中期経営計画AG2023を策定
決算
横河電機の業績
2022年3月期(連結)
売上高
3899
億円
当期純利益
212
億円
従業員数
17258
営業CF
516
億円
投資CF
-283
億円
財務CF
-161
億円
2024年5月
中期経営計画GS2028を策定
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