日清食品ホールディングス の歴史

更新:

創業

1948年

創業者

安藤百福

創業地

大阪府泉大津市

直近売上高(2026/3)

7,881億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1958年、48歳の安藤百福氏は商社経営を捨てて即席麺の発明に賭けたのか
A 1957年、理事長を務めた信用組合の破綻処理で安藤百福氏は全財産を失い、48歳で振り出しに戻った。多角商社の延長では再起の見込みが薄いと判断し、戦後の闇市でラーメン屋台に並ぶ長い行列に隠れた需要を見て、家庭で湯を注ぐだけで食べられる麺に活路を求めた。1958年8月、自宅裏の小屋で1年がかりの試行錯誤の末、麺を油で揚げて乾かす油熱乾燥法のチキンラーメンを開発した。乾めん20円の時代に35円の高価格でも、調理を惜しむ家庭の需要に合致し、一人の発明から世界の即席麺が立ち上がった。
Q なぜ1971年、袋めん30円の時代に100円のカップヌードルを世に問うたのか
A 事業構造を決めたのは、1971年9月のカップヌードル発売である。安藤百福氏は米国視察で得たヒント、米国人がチキンラーメンを割って紙コップに入れ湯を注いで食べる光景から、麺と具とスープを容器に封じる調理型を考案し、袋めんとは別の即席麺カテゴリそのものを作り直した。袋めん30円の時代に100円という高価格で問屋は当初取り扱わなかったが、テレビCMと銀座歩行者天国での直接販売で爆発的に売れ、容器が食器を兼ねる利便性が日本の食文化を変えた。競合が動く前に創業者個人が次の発明で新しい稼ぎ口を開いた。
Q なぜ2008年の持株会社化と2015年の孫・徳隆氏起用で世襲の形を組み替えたのか
A 一人で発明と経営を兼ねた創業者の能力は属人的で、世襲を続けるには引き継げる仕組みが要った。そこで2008年10月、即席麺・チルド・冷凍を事業会社へ分け、商号を日清食品ホールディングスへ改めてグループ統治と事業別の責任を明確にした。2015年4月には孫の安藤徳隆氏を37歳で事業会社・日清食品の社長に据え、宏基氏がHD社長CEO、徳隆氏が副社長COOとして実務を握る父子並走に分けた。経営の分担は変えても、トップを安藤家が占める世襲は1948年の創業から一度も崩していない

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1948年〜 発明と、特許で業界そのものをつくった創業期

  1. 1948年 中交総社を設立
  2. 1949年 サンシー殖産に商号変更、本店を移転
  3. 1958年 瞬間油熱乾燥法の即席袋めん(「チキンラーメン」)を開発
  4. 1958年 本店を移転、日清食品に商号変更
  5. 1959年 工場が竣工、同時に本社を移転
  6. 1962年 チキンラーメンの発明と、特許を武器にした即席麺市場の主導権確立 数百社が乱立し模倣が横行する新市場で、安藤百福社長は先行者の地位をどう守ろうとしたか
  7. 1962年 エース食品に証拠保全を申請

中交総社からチキンラーメンまでの十年

1948年9月、安藤百福氏は魚介類の加工販売、紡績その他繊維工業、洋品雑貨の販売、図書の出版及び販売を目的として株式会社中交総社を大阪府泉大津市汐見町に設立[1]した。資本金は500万円[2]で、翌1949年9月にはサンシー殖産株式会社へ商号を変更し、本店を大阪市北区へ移した[3]。安藤氏は1910年3月5日に台湾南部で生まれ、22歳でメリヤス製品を日本内地へ移入する事業を興した[4]のち、幻燈機の製造やバラック住宅の製造など複数の事業を手がけた。戦時中は飛行機部品の下請けを営んでいた際に憲兵隊へ連行され、出獄したのは45日目、その後60日間を大阪市北区の中央病院で過ごした[5]。戦後は泉大津で製塩業やいわしの干物作りを始めたが、大阪府警の告発でGHQに逮捕され[6]、出獄したときにはほとんどの財産を没収されていた。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1948年9月 株式会社中交総社を泉大津市汐見町に設立
    • [2]設立時の資本金 500万円
    • [3]1949年9月 サンシー殖産株式会社へ商号変更・本店を大阪市北区へ移転
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [4]安藤百福 1910年3月5日 台湾南部生まれ・22歳でメリヤス製品の内地移入業を創業
    • [5]戦時中の憲兵隊による連行 出獄まで45日・中央病院で60日間の療養
    • [6]戦後の泉大津での製塩業・いわしの干物作りとGHQによる逮捕・財産没収

サンシー殖産の時代、安藤氏は大阪華銀という信用組合の理事長[7]を引き受けていたが、この信用組合が破綻して全財産を失った[8]。残ったのは大阪府池田市の自宅だけで、その裏庭に建てた小屋[9]で即席めんの開発に取りかかった。戦後の日本は食糧難のなかで政府が粉食を奨励し、学校給食にパンを取り入れていた[10]が、安藤氏は日本人に合うのはパンよりめん類ではないかと考え、美味栄養・調理簡便・耐保存・衛生的・廉価の五つを大衆食品の条件に置いて[11]製品を組み立てた。1年近い試行錯誤の末にたどり着いたのが油熱乾燥法[12]で、1958年8月[13]、その応用第1弾として即席袋めん「チキンラーメン」の製造販売を始めた[14]。同年12月には本店を大阪市中央区へ移すとともに、商号を日清食品株式会社へ変更[15]した。

  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [7]安藤百福 大阪華銀という信用組合の理事長
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [8]信用組合の破綻による全財産の喪失
    • [9]大阪府池田市の自宅の裏庭に建てた小屋での即席めん開発
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [10]戦後の政府による粉食奨励・学校給食へのパン導入
    • [11]大衆食品の5大要素(美味栄養・調理簡便・耐保存・衛生的・廉価)
    • [12]油熱乾燥法の発明とその応用第1弾としてのチキンラーメン
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1958年8月 即席袋めん(チキンラーメン)の開発
    • [15]1958年12月 本店を大阪市中央区へ移転・日清食品株式会社へ商号変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1958年8月からの即席チキンラーメンの製造及び販売開始
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1948年9月 株式会社中交総社を泉大津市汐見町に設立
    • [2]設立時の資本金 500万円
    • [3]1949年9月 サンシー殖産株式会社へ商号変更・本店を大阪市北区へ移転
    • [13]1958年8月 即席袋めん(チキンラーメン)の開発
    • [15]1958年12月 本店を大阪市中央区へ移転・日清食品株式会社へ商号変更
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [4]安藤百福 1910年3月5日 台湾南部生まれ・22歳でメリヤス製品の内地移入業を創業
    • [5]戦時中の憲兵隊による連行 出獄まで45日・中央病院で60日間の療養
    • [6]戦後の泉大津での製塩業・いわしの干物作りとGHQによる逮捕・財産没収
    • [7]安藤百福 大阪華銀という信用組合の理事長
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [8]信用組合の破綻による全財産の喪失
    • [9]大阪府池田市の自宅の裏庭に建てた小屋での即席めん開発
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [10]戦後の政府による粉食奨励・学校給食へのパン導入
    • [11]大衆食品の5大要素(美味栄養・調理簡便・耐保存・衛生的・廉価)
    • [12]油熱乾燥法の発明とその応用第1弾としてのチキンラーメン
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1958年8月からの即席チキンラーメンの製造及び販売開始

大商社を担保にした量産と全国流通の確保

チキンラーメンは乾めんが1食20円の時代に35円[16]と高く、当初は店が引き取らなかった。安藤氏は袋に「発売元、三菱商事」と刷り込んで問屋の信用を取りつけ[17]、現金での決済を迫った。三菱商事大阪支店の穀肥部長だった佐南正司氏が社名を外すよう頼んだ直後、安藤氏は社名入りの袋を大量に印刷所へ発注[18]しており、社長の高垣勝次郎氏から取引をやめる[19]と怒鳴られても袋は変わらなかった。原料代や設備費の支払いには手形を使った[20]ため、手元には現金が積み上がった。1959年春、安藤氏はその現金を注ぎ込んで大阪・高槻に15,000平方メートルの土地を一気に購入し、床面積6,600平方メートルの工場を建てて[21]量産を始めた。

  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [16]乾めん1食20円の時代にチキンラーメン35円
    • [17]袋への「発売元、三菱商事」の刷り込みによる問屋の信用と現金決済
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [18]三菱商事大阪支店穀肥部長 佐南正司の要請直後の社名入り袋の大量発注
    • [19]三菱商事社長 高垣勝次郎による取引中止の申し入れ
    • [20]原料代・設備費の手形払いによる手元現金の積み上がり
    • [21]1959年春 大阪・高槻に15,000平方メートルの土地を購入・床面積6,600平方メートルの工場を建設

工場は1959年12月に完成[22]し、日清食品は同時に本店を高槻へ移した。従業員は1961年に1,000人を超えた[23]。販売では当初から三菱商事、伊藤忠商事、東食の三社を総発売元に据え[24]、それぞれの傘下の流通機構へ製品を流すことで販売上のリスクを避けた。直売はほとんどなく、原材料の仕入も大部分[25]をこの三社に頼った。資本金は1960年3月に2,000万円、同年8月に5,000万円、同年11月に1億円、1961年6月に1億5,000万円[26]と、1年余りで30倍に増えた。1960年にはテレビCMの放映を始め[27]、取引金融機関には三和銀行と三井銀行が並んだ[28]。1962年6月にはウェーブ食品の営業権を譲り受け[29]、その地に東京工場を置いて関東の生産拠点とした。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1959年12月 大阪府高槻市に工場完成・同時に本店を移転
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [23]1961年に従業員1,000人超
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [24]三菱商事・伊藤忠商事・東食の三社を総発売元とする販売
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [25]直売がほとんどなく仕入も大部分を三社に依存
    • [26]資本金の推移 1960年3月2,000万円→8月5,000万円→11月1億円→1961年6月1億5,000万円
    • [28]取引金融機関 三和銀行・三井銀行
    • [29]1962年6月 ウェーブ食品の営業権譲受と東京工場化
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [27]1960年 テレビCMの放映開始
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [16]乾めん1食20円の時代にチキンラーメン35円
    • [17]袋への「発売元、三菱商事」の刷り込みによる問屋の信用と現金決済
    • [27]1960年 テレビCMの放映開始
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [18]三菱商事大阪支店穀肥部長 佐南正司の要請直後の社名入り袋の大量発注
    • [19]三菱商事社長 高垣勝次郎による取引中止の申し入れ
    • [20]原料代・設備費の手形払いによる手元現金の積み上がり
    • [21]1959年春 大阪・高槻に15,000平方メートルの土地を購入・床面積6,600平方メートルの工場を建設
    • [23]1961年に従業員1,000人超
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1959年12月 大阪府高槻市に工場完成・同時に本店を移転
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [24]三菱商事・伊藤忠商事・東食の三社を総発売元とする販売
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [25]直売がほとんどなく仕入も大部分を三社に依存
    • [26]資本金の推移 1960年3月2,000万円→8月5,000万円→11月1億円→1961年6月1億5,000万円
    • [28]取引金融機関 三和銀行・三井銀行
    • [29]1962年6月 ウェーブ食品の営業権譲受と東京工場化

特許の行使と公開、そして二部上場

即席めんは装置が簡単で大量生産が利くため、新規参入が相次いだ[30]。1961年には130社に達し[31]、需給が崩れて乱売と粗悪品が出回った[32]。1962年6月、日清食品は即席めん製造法の特許を取得[33]すると、無断で製造を続ける業者には断固たる措置を取ると発表して約110社をけん制[34]した。警告を無視したエース食品に対しては、大阪地裁へ証拠保全を申請[35]した。当時の即席ラーメンのメーカー数はセミ・インスタントを含めて全国140社を超え[36]、特許騒動は業者の去就を迷わせた。特許の先願をめぐっては、自分が最初に開発し出願したと主張する大和通商の陳栄泰氏が、日清食品の横暴だとして仮処分を申請[37]した。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [30]装置が簡単で大量生産が可能なことによる新規参入の相次ぎ
    • [32]需給の崩壊による乱売と粗悪品の横行
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [31]1961年のメーカー数 130社
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1962年6月 即席めん製造法の特許取得
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [34]特許取得直後の約110社へのけん制
    • [35]エース食品に対する大阪地裁への証拠保全申請
  • 読売新聞 1962年6月23日 朝刊p10「もつれる"即席ラーメン"」
    • [36]セミ・インスタントを含む即席ラーメンのメーカー数 全国140社超
    • [37]大和通商の陳栄泰による先願主張と仮処分申請

日清食品は同業他社の要望を受けて特許を公開[38]し、61社と使用許諾契約を結んだ[39]。安藤氏は1959年に日本即席ラーメン協会を設立し、1964年には社団法人日本即席ラーメン工業協会[40]として品質向上と業界の共存共栄を図る組織に改めて、自ら理事長を務めた。300社を超えた業者の整理では、気心の合う者どうしを組ませてヘッドとなるメーカーを10社ほどに絞り、残りをその翼下へ入れる[41]方法を取った。メーカー数は1962年末には約50社まで減り、特許で争っていた大和通商とも和解が成立[42]した。安藤氏は後年、「私が特許をオープンにしたからこそ、この業界ができたわけです[43]」と振り返っている(日経ビジネス 2004年2月23日号)。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [38]同業他社の要望を受けた特許の公開
    • [40]1959年 日本即席ラーメン協会設立・1964年 社団法人日本即席ラーメン工業協会へ
  • 日経ビジネス 2004年2月23日号「日清食品 独創に飢える王者 会長安藤百福氏「終着駅など考えない」」
    • [39]特許使用許諾契約 61社
    • [43]安藤百福の発言「私が特許をオープンにしたからこそ、この業界ができたわけです」
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [41]業界整理の方法 ヘッドとなるメーカー10社ほどに絞り残りを翼下へ
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [42]1962年末のメーカー数 約50社と大和通商との和解成立

1963年10月21日[44]、日清食品は東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第二部へ株式を上場[45]した。上場時の資本金は1億5,000万円、上場株式数は300万株、従業員は930名[46]で、大株主には安藤百福氏の158万600株に続いて安藤宏寿氏の42万株、三菱商事の12万4,000株[47]が並んだ。1963年3月期の製品別売上比率はチキンラーメンとチキンラーメンプラスカレーで89%を占め、残る11%[48]がチキンラーメンニュータッチだった。売上高は3年で10倍に伸び[49]、2件の特許取得と三菱商事・伊藤忠商事・東食を販売代理店としたこと[50]がその背景にあった。上場時の役員は社長の安藤百福氏、専務の安藤宏寿氏、常務の砥上峰次氏と有元一馬氏[51]らで、決算期は3月31日の年1回[52]だった。上場と同じ1963年6月には「日清焼そば」の製造販売を始め[53]、上場の翌年には資本金を2億2,500万円へ増資[54]した。

  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [44]上場年月日 1963年10月21日
    • [46]上場時の資本金1億5,000万円・上場株式数300万株・従業員930名
    • [47]大株主 安藤百福1,580,600株・安藤宏寿420,000株・三菱商事124,000株
    • [48]1963年3月期の製品別売上比率 チキンラーメン系89%・ニュータッチ11%
    • [51]上場時の役員 社長 安藤百福・専務 安藤宏寿・常務 砥上峰次/有元一馬
    • [52]決算期 3月31日の年1回
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [45]東京・大阪両証券取引所市場第二部への株式上場
  • 読売新聞 1963年4月9日 夕刊p4「3年で10倍の増収」
    • [49]3年で10倍の増収
    • [50]成功の背景 2件の特許取得と大商社3社の販売代理店化
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [53]1963年6月「日清焼そば」の製造販売開始
    • [54]上場翌年の増資 資本金2億2,500万円
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [30]装置が簡単で大量生産が可能なことによる新規参入の相次ぎ
    • [32]需給の崩壊による乱売と粗悪品の横行
    • [38]同業他社の要望を受けた特許の公開
    • [40]1959年 日本即席ラーメン協会設立・1964年 社団法人日本即席ラーメン工業協会へ
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [31]1961年のメーカー数 130社
    • [42]1962年末のメーカー数 約50社と大和通商との和解成立
    • [44]上場年月日 1963年10月21日
    • [46]上場時の資本金1億5,000万円・上場株式数300万株・従業員930名
    • [47]大株主 安藤百福1,580,600株・安藤宏寿420,000株・三菱商事124,000株
    • [48]1963年3月期の製品別売上比率 チキンラーメン系89%・ニュータッチ11%
    • [51]上場時の役員 社長 安藤百福・専務 安藤宏寿・常務 砥上峰次/有元一馬
    • [52]決算期 3月31日の年1回
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1962年6月 即席めん製造法の特許取得
    • [45]東京・大阪両証券取引所市場第二部への株式上場
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [34]特許取得直後の約110社へのけん制
    • [35]エース食品に対する大阪地裁への証拠保全申請
  • 読売新聞 1962年6月23日 朝刊p10「もつれる"即席ラーメン"」
    • [36]セミ・インスタントを含む即席ラーメンのメーカー数 全国140社超
    • [37]大和通商の陳栄泰による先願主張と仮処分申請
  • 日経ビジネス 2004年2月23日号「日清食品 独創に飢える王者 会長安藤百福氏「終着駅など考えない」」
    • [39]特許使用許諾契約 61社
    • [43]安藤百福の発言「私が特許をオープンにしたからこそ、この業界ができたわけです」
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [41]業界整理の方法 ヘッドとなるメーカー10社ほどに絞り残りを翼下へ
  • 読売新聞 1963年4月9日 夕刊p4「3年で10倍の増収」
    • [49]3年で10倍の増収
    • [50]成功の背景 2件の特許取得と大商社3社の販売代理店化
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [53]1963年6月「日清焼そば」の製造販売開始
    • [54]上場翌年の増資 資本金2億2,500万円

1964年〜 袋めんの頭打ちと、容器内調理という作り直し

日清食品ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1964年 即席めんの生産工場として横浜工場が竣工
  2. 1970年 カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.を設立。(注1)
  3. 1971年 カップヌードル発売による即席麺の再発明 袋めん30円の時代に、安藤百福社長はなぜ100円の容器入り麺を問屋を通さずに売り切ったか
  4. 1971年 カップめんの生産工場として関東工場が竣工
  5. 1973年 米ダートインダストリーズとの合弁で日清ダートを設立
  6. 1973年 食品総合研究所を新設
  7. 1980年 年間売上高1,000億円達成。(注3)

乱立する市場と、コメへの最初の回り道

1964年10月、即席めんの生産工場として横浜市戸塚区に横浜工場が完成[55]した。新工場ではスパゲッティー系の新製品も製造[56]し、品目を広げる計画だった。1966年3月には佐賀県鳥栖市に合弁会社の九州日清株式会社を設立し、同年9月に「和風チキン」、1967年8月に「日清ランチ」[57]を投入した。1967年12月の倍額増資で資本金は4億5,000万円[58]に達した。1968年の即席ラーメン業界はメーカー200社、年産30億食、売上高550億円[59]の規模になり、大手専業4社で7割近いシェアを占めながら、どこも完全な優位に立てない[60]状態が続いた。さかのぼって1962年実績の全国生産高は約100億円で、需要の大部分は京阪神や京浜などの大都市に集中[61]していた。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1964年10月 横浜市戸塚区に横浜工場完成
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [56]横浜工場でのスパゲッティー系新製品の製造計画
    • [61]1962年実績の即席ラーメン全国生産高 約100億円・需要は大都市に集中
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [57]1966年3月 九州日清株式会社設立・1966年9月「和風チキン」・1967年8月「日清ランチ」投入
    • [58]1967年12月の倍額増資 資本金4億5,000万円
    • [59]1968年の即席ラーメン業界 メーカー200社・年産30億食・売上高550億円
  • 読売新聞 1968年3月11日 朝刊「即席ラーメン安売り戦争」
    • [60]1968年時点で大手専業4社が7割近いシェアを占め実力均等の状態

乱立を前に、安藤氏は新しい市場としてコメに向かった[62]。1967年に投入した「日清ランチ」がその答えだったが、ラーメンの技術で無理に切り開こうとしたため中途半端な製品[63]にとどまった。表示どおりに作れば美味しく食べられるのに、「コップ1杯の水」といってもコップの大きさが一定せず分量にばらつき[64]が出るなど、メーカーの意図が消費者へ届かなかった。撤収の決断は容易につかず、社内で進退の議論を重ねた末、5億円の損を出して引き下がった[65]。一方の即席めんは、スーパーの回転の速い目玉商品として安売り合戦の常連[66]となり、価格競争がさらに激しくなった。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [62]新市場としてのコメへの進出
    • [63]日清ランチの失敗要因 ラーメンの技術で無理に切り拓いた中途半端な製品
    • [64]「コップ1杯の水」の分量のばらつきなど調理表示が消費者へ浸透しなかったこと
    • [65]日清ランチの撤収 5億円の損失
  • 読売新聞 1968年3月11日 朝刊「即席ラーメン安売り戦争」
    • [66]スーパーの目玉商品としての即席めんの安売り合戦
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1964年10月 横浜市戸塚区に横浜工場完成
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
    • [56]横浜工場でのスパゲッティー系新製品の製造計画
    • [61]1962年実績の即席ラーメン全国生産高 約100億円・需要は大都市に集中
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [57]1966年3月 九州日清株式会社設立・1966年9月「和風チキン」・1967年8月「日清ランチ」投入
    • [58]1967年12月の倍額増資 資本金4億5,000万円
    • [59]1968年の即席ラーメン業界 メーカー200社・年産30億食・売上高550億円
  • 読売新聞 1968年3月11日 朝刊「即席ラーメン安売り戦争」
    • [60]1968年時点で大手専業4社が7割近いシェアを占め実力均等の状態
    • [66]スーパーの目玉商品としての即席めんの安売り合戦
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [62]新市場としてのコメへの進出
    • [63]日清ランチの失敗要因 ラーメンの技術で無理に切り拓いた中途半端な製品
    • [64]「コップ1杯の水」の分量のばらつきなど調理表示が消費者へ浸透しなかったこと
    • [65]日清ランチの撤収 5億円の損失

カップヌードルという世界共通食の設計

1966年、安藤氏は米国ロサンゼルスのスーパーへチキンラーメンを売り込み[67]に行った。試食しようにもどんぶりがなく、相手の米国人が麺を割って紙コップに入れ、湯を注いでフォークで食べた[68]。箸もどんぶりも使わない食べ方を見た安藤氏は、片手で食べられるめんを構想[69]した。即席ラーメンは簡便・美味・栄養・衛生・廉価の利点を備えていたものの、箸を使い鍋で調理する必要があり、箸を使わない国では受け入れられなかった[70]。国際的に同じ形で食べられるものを探した先[71]が「カップヌードル」だった。容器には当時マグロの箱にしか使われていなかった発泡スチロールを採り、厚さ2センチを2ミリまで薄く[72]した。

  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [67]1966年 米国ロサンゼルスのスーパーへのチキンラーメン売り込み
    • [68]米国人が麺を割って紙コップに入れ湯を注いでフォークで食べた光景
    • [69]片手で食べられるカップめんの構想
    • [72]容器 発泡スチロールを厚さ2センチから2ミリへ
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [70]箸と鍋を要する即席ラーメンが箸を使わない国で受け入れられなかったこと
    • [71]国際的に同じパターンで食べられる商品としてのカップヌードル

カップヌードルを国際商品にするため、日清食品は2年近くかけて市場調査[73]を行った。20,000体のモニターを動員した結果は全般に悲観的[74]で、とくに国内ではカップに麺を入れて歩きながら食べるのは良風美俗に反するという意見が強かった[75]。ところが若年層は喜んで食べると答え、外国のモニターからは美味しい・手軽だという声[76]が多く集まった。安藤氏はこの反応に将来を託し、1971年9月[77]、1個100円でカップヌードルを発売[78]した。袋めんの標準価格が30円の時代に100円という値は問屋から高過ぎると敬遠され[79]、既存の卸の流通には乗らなかった。日清食品はテレビCMで調理法を消費者へ直接伝え、始まって間もない銀座の歩行者天国で実演販売[80]した。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [73]カップヌードルの市場調査 2年近く
    • [74]20,000体のモニター動員と全般に悲観的な調査結果
    • [75]国内モニターの「歩き食いは良風美俗に反する」という意見
    • [76]外国モニターの好意的反応(美味しい・手軽)
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [77]1971年9月 カップめん(カップヌードル)の発売開始
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [78]カップヌードルの発売価格 1個100円
    • [80]テレビCMによる調理法の直接告知と銀座歩行者天国での実演販売
  • 日経流通新聞 1990年4月28日 p16「手軽さ受け一気に浸透」
    • [79]袋めん30円の時代の100円という価格と問屋の敬遠

生産は、ライス工場の建設用に確保していた茨城県取手の土地を転用[81]した。1971年3月から10億円を投じて専用工場を建て、同年10月16日[82]に関東工場として操業を始めた[83]。カップヌードルは四種の特許で組み上げた製品[84]で、生産設備にも大きな資金が要るため、後続メーカーは容易には出てこないと見込んでいた。ところが熱気を通さない特殊な紙を使うカップの成型が追いつかず、日産20万食の第一期生産計画は実施できなかった[85]。1972年1月時点の生産は日産4万食程度[86]にとどまり、日清食品は当期の売上と利益への寄与を見込まず、ほとんどを現物宣伝とマーケティングに回した[87]。具材のためには岡山県長船町に総工費4億円・月産5トンのフリーズドライ食品工場[88]を建て、1972年3月には同県瀬戸内市に日清エフ・ディ食品株式会社を設立[89]した。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [81]ライス工場用に用意していた茨城県取手の土地の転用
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [82]1971年3月からの10億円投資と1971年10月16日の操業開始
    • [84]四種の特許によるカップヌードルの完成
    • [85]カップ成型の遅れによる日産20万食の第一期生産計画の未達
    • [86]1972年1月時点の生産 日産4万食程度
    • [87]当期の売上・利益への寄与を見込まず現物宣伝とマーケティングへ充当
    • [88]岡山県長船町のフリーズドライ食品工場 総工費4億円・月産5トン
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [83]1971年10月 茨城県取手市に関東工場完成
    • [89]1972年3月 岡山県瀬戸内市に日清エフ・ディ食品株式会社を設立
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [67]1966年 米国ロサンゼルスのスーパーへのチキンラーメン売り込み
    • [68]米国人が麺を割って紙コップに入れ湯を注いでフォークで食べた光景
    • [69]片手で食べられるカップめんの構想
    • [72]容器 発泡スチロールを厚さ2センチから2ミリへ
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [70]箸と鍋を要する即席ラーメンが箸を使わない国で受け入れられなかったこと
    • [71]国際的に同じパターンで食べられる商品としてのカップヌードル
    • [73]カップヌードルの市場調査 2年近く
    • [74]20,000体のモニター動員と全般に悲観的な調査結果
    • [75]国内モニターの「歩き食いは良風美俗に反する」という意見
    • [76]外国モニターの好意的反応(美味しい・手軽)
    • [81]ライス工場用に用意していた茨城県取手の土地の転用
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [77]1971年9月 カップめん(カップヌードル)の発売開始
    • [83]1971年10月 茨城県取手市に関東工場完成
    • [89]1972年3月 岡山県瀬戸内市に日清エフ・ディ食品株式会社を設立
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
    • [78]カップヌードルの発売価格 1個100円
    • [80]テレビCMによる調理法の直接告知と銀座歩行者天国での実演販売
  • 日経流通新聞 1990年4月28日 p16「手軽さ受け一気に浸透」
    • [79]袋めん30円の時代の100円という価格と問屋の敬遠
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [82]1971年3月からの10億円投資と1971年10月16日の操業開始
    • [84]四種の特許によるカップヌードルの完成
    • [85]カップ成型の遅れによる日産20万食の第一期生産計画の未達
    • [86]1972年1月時点の生産 日産4万食程度
    • [87]当期の売上・利益への寄与を見込まず現物宣伝とマーケティングへ充当
    • [88]岡山県長船町のフリーズドライ食品工場 総工費4億円・月産5トン

海外での回収とコメの失敗、そして戦艦型商品

海外は1970年7月の米国カリフォルニア州ガーデナ市に置いたニッシンフーズ(U.S.A.)Co., Inc.[90]から始まった。ロサンゼルスの工場は1972年2月の稼働を予定して建てられた[91]が、初年度の売れ行きは5万食[92]にとどまった。麺が長すぎ、しょう油味のくさみが米国人になじまなかったため、麺を短くし、しょう油を隠し味に回す[93]作り替えを重ねた。5年目にようやく収支が均衡し、6年目から利益が出て、7年目からは毎年倍々の伸び[94]になった。1977年には米国で1億8,000万食を売り、1978年は3億5,000万食を目標[95]に置いた。同じ時期、日清食品は英国のユナイテッド・ビスケット社へ技術を供与[96]し、輸入に頼ってきた加工食品技術の流れを逆に向けた。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [90]1970年7月 米国カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.設立
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [91]ロサンゼルス現地工場 1972年2月稼働予定
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [92]米国初年度の販売 5万食
    • [93]米国向けの作り替え 麺を短くしょう油を隠し味に
    • [94]米国事業 6年目から利益・7年目から毎年倍々の伸び
    • [95]米国販売 1977年1億8,000万食・1978年目標3億5,000万食
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [96]英国ユナイテッド・ビスケット社への技術供与

コメへの二度目の挑戦がカップライス[97]だった。1974年秋、企業化のめどが立った日清食品は本格発表の1年前に30億円をかけ、滋賀工場内へ日産50トンの量産プラント建設に着手[98]した。年間2万トン・200億円という売上目標[99]を掲げ、1975年にエビピラフ・さけ茶・五目寿し・ドライカレー・中華シチュー・赤飯・チキンライスの7種類[100]を発売した。ところが本格発売から5年たった1980年3月期のカップライスの売上高は2億円で、当初の計画の約100分の1[101]にとどまった。1個200円という販売価格は、コメは安いものという通念[102]に照らして高すぎた。カップヌードルが準主食として売れたのに対し、カップライスは主食のコメと正面から[103]ぶつかった。

  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [97]カップライス コメへの二度目の挑戦
    • [100]1975年発売のカップライス7種類
  • 日経ビジネス 1980年12月15日号「社会通念を破れなかった商品 日清食品、ミドリ十字」
    • [98]1974年秋 30億円を投じ滋賀工場内に日産50トンの量産プラント着工
    • [99]カップライスの売上目標 年間2万トン・200億円
    • [101]1980年3月期のカップライス売上高2億円・計画の約100分の1
    • [102]カップライスの販売価格 1個200円とコメは安いものという通念
    • [103]準主食のカップヌードルと主食のコメに正面からぶつけたカップライスの違い

1972年8月、日清食品は東京・大阪各証券取引所の市場第一部に指定[104]された。この時期の即席ラーメン業界は全国100社・年産35億食で、うち約60社が大手5社の系列に属し、大手5社で総需要の約82%[105]を占めた。日清食品のシェアは22〜23%、年間供給量は7億食、従業員は500名[106]で、本社・横浜・関東の三工場に加えて全国18の専属工場を配して地域生産・地域販売[107]を敷いた。1973年2月には米国ダートインダストリーズ社との合弁で、滋賀県栗東市に日清ダート株式会社を設立[108]した。1973年9月に滋賀工場と食品総合研究所、1975年8月に下関工場が完成[109]し、1977年4月には本社ビルの完成に伴って本店を現在地の大阪市淀川区へ移した[110]。1978年時点の主力は「カップヌードル」「どん兵衛」「めん八珍」「UFO」の4商品[111]で、いずれも1件100億円以上の規模を持ち、細かい商品には手を出さない方針[112]を取った。1980年3月、年間売上高は1,000億円に達した[113]

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [104]1972年8月 東京・大阪各証券取引所市場第一部への指定
    • [108]1973年2月 米国ダートインダストリーズ社との合弁で日清ダート株式会社を設立
    • [109]1973年9月 滋賀工場・食品総合研究所完成/1975年8月 下関工場完成
    • [110]1977年4月 本社ビル完成に伴い本店を現在地の大阪市淀川区へ移転
    • [113]1980年3月 年間売上高1,000億円達成
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [105]1972年の即席ラーメン業界 全国100社・年産35億食・大手5社で総需要の約82%
    • [106]日清食品のシェア22〜23%・年間7億食・従業員500名
    • [107]全国18の専属工場による地域生産・地域販売
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [111]1978年の主力4商品 カップヌードル・どん兵衛・めん八珍・UFO
    • [112]主力商品は1件100億円以上・細かい商品には手を出さない方針
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [90]1970年7月 米国カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.設立
    • [104]1972年8月 東京・大阪各証券取引所市場第一部への指定
    • [108]1973年2月 米国ダートインダストリーズ社との合弁で日清ダート株式会社を設立
    • [109]1973年9月 滋賀工場・食品総合研究所完成/1975年8月 下関工場完成
    • [110]1977年4月 本社ビル完成に伴い本店を現在地の大阪市淀川区へ移転
    • [113]1980年3月 年間売上高1,000億円達成
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
    • [91]ロサンゼルス現地工場 1972年2月稼働予定
    • [105]1972年の即席ラーメン業界 全国100社・年産35億食・大手5社で総需要の約82%
    • [106]日清食品のシェア22〜23%・年間7億食・従業員500名
    • [107]全国18の専属工場による地域生産・地域販売
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [92]米国初年度の販売 5万食
    • [93]米国向けの作り替え 麺を短くしょう油を隠し味に
    • [94]米国事業 6年目から利益・7年目から毎年倍々の伸び
    • [95]米国販売 1977年1億8,000万食・1978年目標3億5,000万食
    • [111]1978年の主力4商品 カップヌードル・どん兵衛・めん八珍・UFO
    • [112]主力商品は1件100億円以上・細かい商品には手を出さない方針
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
    • [96]英国ユナイテッド・ビスケット社への技術供与
    • [97]カップライス コメへの二度目の挑戦
    • [100]1975年発売のカップライス7種類
  • 日経ビジネス 1980年12月15日号「社会通念を破れなかった商品 日清食品、ミドリ十字」
    • [98]1974年秋 30億円を投じ滋賀工場内に日産50トンの量産プラント着工
    • [99]カップライスの売上目標 年間2万トン・200億円
    • [101]1980年3月期のカップライス売上高2億円・計画の約100分の1
    • [102]カップライスの販売価格 1個200円とコメは安いものという通念
    • [103]準主食のカップヌードルと主食のコメに正面からぶつけたカップライスの違い

1981年〜 承継のやり直しと、社内競争でしのいだ成熟期

日清食品ホールディングスの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1984年 香港タイポー地区に日清食品有限公司を設立。(注1)
  2. 1988年 東京本社ビルが竣工、東京支社を東京本社に商号変更
  3. 1988年 中央研究所(食品総合研究所・食品安全研究所)完成
  4. 1989年 ベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.に資本参加。(注1)
  5. 1994年 中国内の第一号の生産基地として、珠海市金海岸永南食品有限公司が操業開始。(注1)
  6. 2006年 明星食品の買収——スティール・パートナーズの敵対的TOBに対するホワイトナイト参戦 業界2位・明星への1株700円の敵対的買収に、日清食品はなぜ870円を積んで対抗したか
  7. 2008年 持株会社制に移行

長男の解任と、安藤宏基体制の始まり

1981年、安藤百福氏は長男の安藤宏寿氏を社長に据えたが、在任2年の1983年に事実上解任[114]し、自ら会長と社長を兼務した。百福氏は宏寿氏について、会社をしばしば留守にして社内の重要な会議にも出ない[115]と注意したところ、そこまで言われるなら辞めたいと返ってきたと語った。宏寿氏の側は、父が役員会で皆に発言もさせず、自分の海外出張中に定款を変えて会長の権限を強化した[116]と反論した。1985年、百福氏は社長の座を二男の安藤宏基氏へ引き継いだ[117]。宏基氏は1947年10月に大阪府で生まれ、慶應義塾大学商学部を1971年3月に卒業、1973年7月に日清食品へ入社[118]して翌1974年5月に取締役[119]となっていた。

  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [114]1981年 長男・安藤宏寿の社長就任と1983年の事実上の解任
    • [115]安藤百福の宏寿評 会社を留守にし重要な会議にも出ない
    • [116]安藤宏寿の反論 海外出張中の定款変更による会長権限の強化
    • [117]1985年 安藤百福から二男・安藤宏基への社長交代
  • 日経ビジネス 1995年7月17日号「編集長インタビュー 安藤宏基氏[日清食品社長]消費者ニーズは誰より分かる そう言えてこそメーカーだ」
    • [118]安藤宏基 1947年10月大阪府生・1971年3月慶應義塾大学商学部卒・1973年7月日清食品入社
    • [119]安藤宏基 1974年5月に取締役就任

宏基氏は慶應義塾大学商学部の在学中に「出前一丁」の商品名を考え、卒業後は米国でマーケティングを学んで[120]から開発担当として日清食品に入った。円盤型容器入りの焼そばを考案して父に持っていったとき、百福氏は店の棚でスペースを取りすぎるうえ名前も駄目だと反対したものの、1億5,000万円と見積もった設備投資を5,000万円に削る[121]ことで承諾し、この「UFO」が当たった。1985年の日清食品はラーメンで年商1,500億円を上げ[122]、1971年に開発したカップヌードルが売上の4割[123]を占めた。創業前に理事長を務めた信用組合の破綻が教訓となり、日清食品は原則として借金をしない経営[124]を続けた。1988年3月には東京都新宿区に東京本社ビルが完成して東京支社を東京本社と改称[125]し、同年10月には滋賀県草津市に食品総合研究所と食品安全研究所を収める中央研究所が完成[126]した。

  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [120]安藤宏基 在学中に「出前一丁」の商品名を考案・卒業後に渡米しマーケティングを学ぶ
    • [121]焼そばUFOの設備投資 1億5,000万円の見積もりを5,000万円に削減して承諾
    • [122]1985年の年商 1,500億円
    • [123]カップヌードルが売上の4割を占めた
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [124]原則として借金をしない経営
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [125]1988年3月 東京都新宿区に東京本社ビル完成・東京支社を東京本社と改称
    • [126]1988年10月 滋賀県草津市に中央研究所(食品総合研究所・食品安全研究所)完成

特許で押す手法は海外でも変わらず、米国で東洋水産がカップ麺の生産を始めようとすると、日清食品は自社特許に触れるとして現地の裁判所へ訴えた[127]。東洋水産も日清食品の特許無効を訴え、訴訟合戦になった[128]。1979年2月20日、専務の砥上峰次氏が署名した親書[129]で、日清食品は両社が訴訟を取り下げること、米国へ進出した東洋水産が「いわゆる、あいさつ料」を払うことの二点を提案[130]した。あいさつ料の額は1億円[131]と提示されたが、東洋水産側が日本の官庁や業界各社へ公表すると告げると日清食品が折れ、互いの特許の使用を自由に認める内容で和解が成立[132]した。カップをめぐる訴訟のほとんどは日清食品が原告[133]だった。

  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [127]米国で東洋水産のカップ麺生産に対し日清食品が特許侵害で現地裁判所へ提訴
    • [128]東洋水産による日清食品の特許無効の訴えと訴訟合戦
    • [129]1979年2月20日付 日清食品専務・砥上峰次署名の親書
    • [130]親書の条件 訴訟の取り下げと東洋水産による「いわゆる、あいさつ料」の支払い
    • [131]あいさつ料の提示額 1億円
    • [132]公表を告げられた日清食品の譲歩と互いの特許使用を自由に認める和解
    • [133]カップをめぐる訴訟のほとんどで日清食品が原告
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
    • [114]1981年 長男・安藤宏寿の社長就任と1983年の事実上の解任
    • [115]安藤百福の宏寿評 会社を留守にし重要な会議にも出ない
    • [116]安藤宏寿の反論 海外出張中の定款変更による会長権限の強化
    • [117]1985年 安藤百福から二男・安藤宏基への社長交代
    • [120]安藤宏基 在学中に「出前一丁」の商品名を考案・卒業後に渡米しマーケティングを学ぶ
    • [121]焼そばUFOの設備投資 1億5,000万円の見積もりを5,000万円に削減して承諾
    • [122]1985年の年商 1,500億円
    • [123]カップヌードルが売上の4割を占めた
    • [127]米国で東洋水産のカップ麺生産に対し日清食品が特許侵害で現地裁判所へ提訴
    • [128]東洋水産による日清食品の特許無効の訴えと訴訟合戦
    • [129]1979年2月20日付 日清食品専務・砥上峰次署名の親書
    • [130]親書の条件 訴訟の取り下げと東洋水産による「いわゆる、あいさつ料」の支払い
    • [131]あいさつ料の提示額 1億円
    • [132]公表を告げられた日清食品の譲歩と互いの特許使用を自由に認める和解
    • [133]カップをめぐる訴訟のほとんどで日清食品が原告
  • 日経ビジネス 1995年7月17日号「編集長インタビュー 安藤宏基氏[日清食品社長]消費者ニーズは誰より分かる そう言えてこそメーカーだ」
    • [118]安藤宏基 1947年10月大阪府生・1971年3月慶應義塾大学商学部卒・1973年7月日清食品入社
    • [119]安藤宏基 1974年5月に取締役就任
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
    • [124]原則として借金をしない経営
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [125]1988年3月 東京都新宿区に東京本社ビル完成・東京支社を東京本社と改称
    • [126]1988年10月 滋賀県草津市に中央研究所(食品総合研究所・食品安全研究所)完成

ブランドマネージャー制と最後発の「ラ王」

1990年春[134]、日清食品はブランドマネージャー制を導入[135]した。それまで袋めん担当とカップめん担当の2人だった体制を[136]、「カップヌードル」「ラ王」「どん兵衛」「焼きそばUFO」「出前一丁」などブランド別の8人へ増やし、担当ブランドの生産から販売、新製品の投入、利益責任までを一人に負わせた[137]。宏基氏は「ラ王がうちの他の商品と一部食い合いを起こすのは当然の結果。食い合いは結構、食われる方が悪い」と述べて社内で競わせた(日経ビジネス 1993年5月10日号)。1995年にはラーメンだけで10、ヨーグルトや菓子を加えて14のブランドマネージャー室[139]を置き、プロフィットセンターを9つの支店に置いて縦横2軸で管理[140]した。マネージャーごとに売上と利益の目標が決まり、達成すれば年俸が上がる[141]仕組みだった。この制度を通じて日清食品が力を入れたのがコンビニの販路で、1993年時点の販路別売上比率はコンビニ36%、量販店30%、その他小売店34%[142]だった。 [138]

  • 日経ビジネス 1993年5月10日号「日清食品 ブランドごとに責任者 最後発「ラ王」トップ奪う」
    • [134]1990年春 ブランドマネージャー制の導入時期
    • [136]袋めん担当とカップめん担当の2人からブランド別8人への増員
    • [137]担当ブランドの生産・販売・新製品投入・利益責任を一人が負う体制
    • [138]安藤宏基の発言「ラ王がうちの他の商品と一部食い合いを起こすのは当然の結果。食い合いは結構、食われる方が悪い」
    • [142]1993年時点の販路別売上比率 コンビニ36%・量販店30%・その他小売店34%
  • 週刊東洋経済 2004年2月14日号「[特集]こうすれば長く愛される カップヌードル 日清食品」
    • [135]1990年導入のブランドマネージャー制 商品ブランドごとに開発から損益まで一貫責任
  • 日経ビジネス 1995年7月17日号「編集長インタビュー 安藤宏基氏[日清食品社長]消費者ニーズは誰より分かる そう言えてこそメーカーだ」
    • [139]1995年 ラーメン10・ヨーグルトや菓子を加えて14のブランドマネージャー室
    • [140]プロフィットセンターを9支店に置く縦横2軸の管理
    • [141]目標達成で年俸が上がる仕組み

生タイプのカップラーメンは1991年7月に明星食品が商品化し、東洋水産と島田屋本店が追随[143]した。いずれも本物のラーメンに比べてめんのこしに問題があり、実質値下げをしても[144]売れ行きは伸びなかった。日清食品は1990年春に宏基氏の直属となる13人の開発チームを滋賀の開発研究所内へ発足させ[145]、完成品ができる1992年5月までの2年間、日曜以外は連休も盆休みもなく[146]開発に当たった。かんすいでこしを出す一方、長期保存には酸性化処理による完全密閉[147]が要るという相反する製法をどう両立させるかが鍵だった。東京地区での「日清ラ王」発売は明星に遅れること1年2か月の1992年9月[148]で、希望小売価格は先行各社と同じ250円、従来の即席カップめんより100円高かった[149]。それでも発売から半年で売上高65億円[150]を記録し、ファミリーマート関東地区約1,800店の金額ベース販売実績[151]では1992年11月以降トップを保った。

  • 日経ビジネス 1993年5月10日号「日清食品 ブランドごとに責任者 最後発「ラ王」トップ奪う」
    • [143]1991年7月 明星食品による生タイプカップラーメンの商品化と東洋水産・島田屋本店の追随
    • [144]先発商品のめんのこしの問題と実質値下げ後も伸びない売れ行き
    • [145]1990年春 滋賀の開発研究所内に13人の直属開発チームを発足
    • [146]1992年5月の完成まで日曜以外は連休も盆休みもない2年間の開発
    • [147]かんすいによるこしと酸性化処理による完全密閉という相反する製法の両立
    • [148]「日清ラ王」の東京地区発売 1992年9月・明星に遅れること1年2カ月
    • [149]ラ王の希望小売価格 250円・従来の即席カップめんより100円高い
    • [150]ラ王 発売から半年で売上高65億円
    • [151]ファミリーマート関東地区約1,800店の金額ベース販売実績で1992年11月以降トップ

1992年の即席めん市場は47億5,000万食で、日清食品のシェアは34.5%、サンヨー食品15.6%、東洋水産15.5%、明星食品9.1%、エースコック7.6%[152]と続いた。市場規模はメーカー出荷ベースで約4,800億円[153]、カップめんに限れば日清食品が4割近くを押さえ、カップヌードル1品で年商700億円[154]を稼いだ。ただし数量ベースの伸びは10年間で年1〜2%[155]と低く、営業利益率は1989年3月期の8.0%から1993年3月期の7.3%へ[156]下がっていた。即席めん以外では、1990年7月に株式会社ヨーク本社、1991年1月にピギー食品株式会社、1991年2月にシスコ株式会社へ相次いで資本参加[157]した。年間売上高は1993年3月に2,000億円に達し、1995年11月にはカップヌードルの国内販売累計が100億食[158]を超えた。1996年10月にはめんの総合工場として静岡県焼津市に静岡工場が完成[159]し、1999年11月には大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」が開いた[160]

  • 日経ビジネス 1993年5月10日号「日清食品 ブランドごとに責任者 最後発「ラ王」トップ奪う」
    • [152]1992年の即席めん市場47億5,000万食と各社シェア(日清34.5%・サンヨー15.6%・東洋水産15.5%・明星9.1%・エースコック7.6%)
    • [153]即席めん市場規模 メーカー出荷ベースで約4,800億円
    • [154]カップヌードル 年商700億円
    • [155]数量ベースの伸び 10年間で年1〜2%
    • [156]営業利益率 1989年3月期8.0%→1993年3月期7.3%
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [157]1990年7月 株式会社ヨーク本社/1991年1月 ピギー食品株式会社/1991年2月 シスコ株式会社へ資本参加
    • [158]1993年3月 年間売上高2,000億円/1995年11月 カップヌードル国内販売累計100億食
    • [159]1996年10月 静岡県焼津市にめんの総合工場・静岡工場完成
    • [160]1999年11月 大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」開設
  • 日経ビジネス 1993年5月10日号「日清食品 ブランドごとに責任者 最後発「ラ王」トップ奪う」
    • [134]1990年春 ブランドマネージャー制の導入時期
    • [136]袋めん担当とカップめん担当の2人からブランド別8人への増員
    • [137]担当ブランドの生産・販売・新製品投入・利益責任を一人が負う体制
    • [138]安藤宏基の発言「ラ王がうちの他の商品と一部食い合いを起こすのは当然の結果。食い合いは結構、食われる方が悪い」
    • [142]1993年時点の販路別売上比率 コンビニ36%・量販店30%・その他小売店34%
    • [143]1991年7月 明星食品による生タイプカップラーメンの商品化と東洋水産・島田屋本店の追随
    • [144]先発商品のめんのこしの問題と実質値下げ後も伸びない売れ行き
    • [145]1990年春 滋賀の開発研究所内に13人の直属開発チームを発足
    • [146]1992年5月の完成まで日曜以外は連休も盆休みもない2年間の開発
    • [147]かんすいによるこしと酸性化処理による完全密閉という相反する製法の両立
    • [148]「日清ラ王」の東京地区発売 1992年9月・明星に遅れること1年2カ月
    • [149]ラ王の希望小売価格 250円・従来の即席カップめんより100円高い
    • [150]ラ王 発売から半年で売上高65億円
    • [151]ファミリーマート関東地区約1,800店の金額ベース販売実績で1992年11月以降トップ
    • [152]1992年の即席めん市場47億5,000万食と各社シェア(日清34.5%・サンヨー15.6%・東洋水産15.5%・明星9.1%・エースコック7.6%)
    • [153]即席めん市場規模 メーカー出荷ベースで約4,800億円
    • [154]カップヌードル 年商700億円
    • [155]数量ベースの伸び 10年間で年1〜2%
    • [156]営業利益率 1989年3月期8.0%→1993年3月期7.3%
  • 週刊東洋経済 2004年2月14日号「[特集]こうすれば長く愛される カップヌードル 日清食品」
    • [135]1990年導入のブランドマネージャー制 商品ブランドごとに開発から損益まで一貫責任
  • 日経ビジネス 1995年7月17日号「編集長インタビュー 安藤宏基氏[日清食品社長]消費者ニーズは誰より分かる そう言えてこそメーカーだ」
    • [139]1995年 ラーメン10・ヨーグルトや菓子を加えて14のブランドマネージャー室
    • [140]プロフィットセンターを9支店に置く縦横2軸の管理
    • [141]目標達成で年俸が上がる仕組み
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [157]1990年7月 株式会社ヨーク本社/1991年1月 ピギー食品株式会社/1991年2月 シスコ株式会社へ資本参加
    • [158]1993年3月 年間売上高2,000億円/1995年11月 カップヌードル国内販売累計100億食
    • [159]1996年10月 静岡県焼津市にめんの総合工場・静岡工場完成
    • [160]1999年11月 大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」開設

海外での出遅れと、明星食品の買収

アジアの拠点づくりは1984年10月の香港タイポー地区・日清食品有限公司の設立[161]から広がった。1989年3月にはベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.(現・永南食品有限公司)へ資本参加[162]し、1994年12月には中国内の第一号の生産基地として珠海市金海岸永南食品有限公司が操業を始めた[163]。それでも2004年時点の日清食品は米国で東洋水産の後塵を拝し、中国のシェアは3%[164]にとどまった。1998年にインドネシア最大の即席麺メーカー、インドフードへの30%超の出資で基本合意したが、まもなく破談[165]になった。2003年には台湾の統一と中国での提携を決めながら、これも交渉を白紙に戻した[166]。手元資金は厚く、2003年3月期の連結自己資本比率は70.4%、現預金は1,600億円[167]を超えていた。百福氏は「見返りがはっきりするようなものについては、100億円や200億円は出せますよ[168]」と述べた(日経ビジネス 2004年2月23日号)。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [161]1984年10月 香港タイポー地区に日清食品有限公司を設立
    • [162]1989年3月 ベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.(現・永南食品有限公司)へ資本参加
    • [163]1994年12月 中国内第一号の生産基地・珠海市金海岸永南食品有限公司が操業開始
  • 日経ビジネス 2004年2月23日号「日清食品 独創に飢える王者 会長安藤百福氏「終着駅など考えない」」
    • [164]2004年時点で米国は東洋水産の後塵・中国シェア3%
    • [165]1998年 インドフードへの30%超出資の基本合意と破談
    • [166]2003年 台湾・統一との中国での提携の白紙撤回
    • [167]2003年3月期 連結自己資本比率70.4%・現預金1,600億円超
    • [168]安藤百福の発言「見返りがはっきりするようなものについては、100億円や200億円は出せますよ」

2006年10月末、米投資ファンドのスティール・パートナーズが即席麺大手の明星食品へ1株700円で敵対的TOB[169]を仕掛けた。明星食品は1960年代以来、日清食品・エースコック・サンヨー食品と並ぶ大手専業4社の一角[170]を占めてきた競合である。要請を受けた日清食品は同年11月16日、スティールの700円を170円上回る1株870円で対抗TOBを開始[171]した。スティールのTOBは11月27日の買付期間終了時点で応募株主ゼロとなって不成立[172]に終わり、日清食品と明星食品は12月21日に基本合意[173]した。2007年3月31日を効力発生日とする株式交換[174]で明星食品は完全子会社となり、同年3月27日に上場を廃止[175]した。公正取引委員会は、袋めんで合算シェア約35%、カップめんで約60%[176]となる本件について、小売店の価格交渉力や隣接市場からの競争圧力を理由に競争を実質的に制限しないと判断[177]した。

規模の節目も続き、2001年3月には年間連結売上高3,000億円、2003年8月にはカップヌードルの全世界販売累計200億食[178]に達していた。2005年5月には上海市閔行区へ日清(上海)食品安全研究開発有限公司を設立[179]し、2007年には創業者の安藤百福氏が死去した。2008年6月、日清食品は株式会社ニッキーフーズを完全子会社[180]にした。同年10月には持株会社制へ移行し、商号を日清食品ホールディングス株式会社へ変更[181]したうえで、日清食品株式会社、日清食品チルド株式会社、日清食品冷凍株式会社、日清食品ビジネスサポート株式会社を新設分割で設立[182]した。安藤宏基氏は持株会社の代表取締役社長CEOに就いた[183]。その年の1月、日清食品は即席麺製品を7〜11%値上げ[184]していたが、国内の即席麺市場は値上げ直後に販売数量が2割程度減った[185]。この経験は長く残り、2011年に小麦価格が再び上がったときには北米で7月からの値上げを発表する一方、国内の値上げは見送った[186]

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [178]2001年3月 年間連結売上高3,000億円/2003年8月 カップヌードル全世界販売累計200億食
    • [179]2005年5月 上海市閔行区に日清(上海)食品安全研究開発有限公司を設立
    • [180]2008年6月 株式会社ニッキーフーズの完全子会社化
    • [181]2008年10月 持株会社制へ移行・日清食品ホールディングス株式会社へ商号変更
    • [182]新設分割で設立した4社(日清食品・日清食品チルド・日清食品冷凍・日清食品ビジネスサポート)
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [183]安藤宏基 持株会社の代表取締役社長CEOに就任
  • 週刊東洋経済 2007年10月6日号「スペシャルリポート02 メーカーvs.巨大流通 食品値上げの裏側」
    • [184]2008年1月からの即席麺製品の7〜11%値上げ
  • 週刊東洋経済 2011年6月7日号「NEWS TOP4 03 食品 パンの相次ぐ値上げに 腰引ける麺・菓子業界」
    • [185]2008年の値上げ直後に国内即席麺の販売数量が2割程度減少
    • [186]2011年 北米で7月からの値上げを発表する一方で国内は見送り
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [161]1984年10月 香港タイポー地区に日清食品有限公司を設立
    • [162]1989年3月 ベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.(現・永南食品有限公司)へ資本参加
    • [163]1994年12月 中国内第一号の生産基地・珠海市金海岸永南食品有限公司が操業開始
    • [178]2001年3月 年間連結売上高3,000億円/2003年8月 カップヌードル全世界販売累計200億食
    • [179]2005年5月 上海市閔行区に日清(上海)食品安全研究開発有限公司を設立
    • [180]2008年6月 株式会社ニッキーフーズの完全子会社化
    • [181]2008年10月 持株会社制へ移行・日清食品ホールディングス株式会社へ商号変更
    • [182]新設分割で設立した4社(日清食品・日清食品チルド・日清食品冷凍・日清食品ビジネスサポート)
  • 日経ビジネス 2004年2月23日号「日清食品 独創に飢える王者 会長安藤百福氏「終着駅など考えない」」
    • [164]2004年時点で米国は東洋水産の後塵・中国シェア3%
    • [165]1998年 インドフードへの30%超出資の基本合意と破談
    • [166]2003年 台湾・統一との中国での提携の白紙撤回
    • [167]2003年3月期 連結自己資本比率70.4%・現預金1,600億円超
    • [168]安藤百福の発言「見返りがはっきりするようなものについては、100億円や200億円は出せますよ」
    • [169]2006年10月末 スティール・パートナーズによる明星食品への1株700円の敵対的TOB
    • [171]2006年11月16日 日清食品による1株870円の対抗TOB開始
  • 読売新聞 1968年3月11日 朝刊「即席ラーメン安売り戦争」
    • [170]明星食品は1960年代以来の大手専業4社の一角
  • 週刊東洋経済 2006年12月23日号「アウトルック 悪いM&A いいM&A 買収ファンドの堕落 コマツが放つ一矢」
    • [172]スティールのTOBは11月27日の買付期間終了時点で応募ゼロ・不成立
    • [173]2006年12月21日 日清食品と明星食品の基本合意
    • [174]2007年3月31日を効力発生日とする株式交換による完全子会社化
    • [175]明星食品 2007年3月27日に上場廃止
    • [176]合算シェア 袋めん約35%・カップめん約60%
    • [177]公正取引委員会の判断 競争を実質的に制限しない
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [183]安藤宏基 持株会社の代表取締役社長CEOに就任
  • 週刊東洋経済 2007年10月6日号「スペシャルリポート02 メーカーvs.巨大流通 食品値上げの裏側」
    • [184]2008年1月からの即席麺製品の7〜11%値上げ
  • 週刊東洋経済 2011年6月7日号「NEWS TOP4 03 食品 パンの相次ぐ値上げに 腰引ける麺・菓子業界」
    • [185]2008年の値上げ直後に国内即席麺の販売数量が2割程度減少
    • [186]2011年 北米で7月からの値上げを発表する一方で国内は見送り

2009年〜 三代目の登用と、値上げによる収益の作り直し

日清食品ホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2009年 持株会社アングルサイド Ltd.に資本参加
  2. 2011年 横浜みなとみらいに「カップヌードルミュージアム 横浜」を開設
  3. 2014年 ぼんちに資本参加。(注1)
  4. 2014年 新研究所「the WAVE」竣工
  5. 2016年 Premier Foods plcとRelationship Agreementを締結
  6. 2017年 日清食品有限公司が香港証券取引所メインボード市場に株式を上場

三代目の登用と合弁の整理、香港上場

2009年1月、日清食品ホールディングスはロシアの即席めんメーカーの持株会社アングルサイド Ltd.へ資本参加[187]した。2011年9月には横浜みなとみらいに「カップヌードルミュージアム 横浜」を開き[188]、正式名称を「安藤百福発明記念館 横浜」とした。2014年2月にぼんち株式会社へ資本参加、同年3月に新研究所「the WAVE」が竣工[189]し、年間連結売上高は4,000億円に達した[190]。2015年4月、事業会社である日清食品株式会社の社長に安藤徳隆氏が就いた[191]。徳隆氏は百福氏の孫で宏基氏の長男にあたり、37歳での登用[192]だった。徳隆氏は「100年ブランドカンパニー」「Beyond Instant Foods」を掲げ[193]、即席麺に加えてチルド・冷凍・健康食品といった周辺の品目へ手を伸ばし、「300年続く企業に」という決意も語った[194](日経ビジネス 2022年5月31日)。2016年4月には英国の食品大手Premier Foods plcとRelationship Agreementを締結[195]した。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [187]2009年1月 ロシア即席めんメーカー持株会社アングルサイドLtd.への資本参加
    • [188]2011年9月 横浜みなとみらいにカップヌードルミュージアム 横浜(安藤百福発明記念館 横浜)開設
    • [189]2014年2月 ぼんち株式会社への資本参加/2014年3月 新研究所「the WAVE」竣工
    • [190]2014年3月 年間連結売上高4,000億円達成
    • [195]2016年4月 Premier Foods plcとのRelationship Agreement締結
    • [191]2015年4月 日清食品株式会社社長に安藤徳隆が就任
    • [192]安藤徳隆の社長就任時の年齢 37歳
    • [193]安藤徳隆が掲げた「100年ブランドカンパニー」「Beyond Instant Foods」
    • [194]安藤徳隆の決意「300年続く企業に」

2015年、日清食品ホールディングスはブラジルの日清味の素アリメントスをめぐって味の素との合弁を解消[196]した。同社は1965年に台湾出身の経営者が設立した企業を前身とし、1972年に味の素が、1975年に日清食品が出資[197]して両社折半の合弁となり、日清が開発と生産、味の素が営業と販売を担ってブラジル即席麺市場の65%[198]を占めるまでになっていた。話を持ちかけたのは日清食品で、2014年12月に今後の協議を味の素へ提案[199]した。味の素は全持ち株を325億円で売却し、10月末に日清食品の100%子会社[200]となった。合弁会社の2014年度の営業利益は約25億円で、稼ぎ頭である中国の33億円に次ぐ[201]規模だった。日清食品は2025年に海外売上高比率50%超を掲げており、2014年度の約20%[202]からの引き上げが課題として残った。

  • 週刊東洋経済 2015年10月9日号「核心リポート05 味の素、日清が関係解消 海外展開で「すれ違い」」
    • [196]2015年 ブラジルの日清味の素アリメントスをめぐる味の素との合弁解消
    • [197]前身は1965年設立・1972年に味の素、1975年に日清食品が出資
    • [198]日清味の素アリメントスのブラジル即席麺市場シェア65%
    • [199]2014年12月 日清食品から味の素への協議提案
    • [200]味の素の全持株を325億円で売却・10月末に日清食品の100%子会社化
    • [201]2014年度の合弁会社営業利益 約25億円・中国33億円に次ぐ
    • [202]海外売上高比率 2014年度約20%・2025年に50%超の目標

2017年12月、香港の子会社である日清食品有限公司が香港証券取引所メインボード市場へ株式を上場[203]した。上場の狙いは中国事業の成長を速めることにあり、それまで日本で決めてきた製品開発などの判断を現地へ委ねる[204]形に改めた。中国の即席麺市場は2012年の436億食をピークに2016年は372億食へと約15%[205]縮み、出前サービスの普及が需要を奪っていた。日清食品の中国子会社は即席麺全体では2.8%で6位にとどまる一方、単価5元以上の高品質麺では19.8%で2位[206]を占めた。宏基氏は2020年度までの5か年の中期経営計画で菓子・シリアル事業と低温・飲料事業を次の柱に据え[207]、それぞれ500億〜600億円だった売上を2020年までに1,000億円以上[208]へ引き上げる目標を置いた。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [203]2017年12月 日清食品有限公司の香港証券取引所メインボード市場への上場
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「トップに直撃 日清食品ホールディングス 社長 安藤宏基」
    • [204]上場の狙いは中国事業の加速・製品開発の判断を現地へ委譲
    • [207]中期経営計画で菓子・シリアル事業と低温・飲料事業を次世代の柱に位置づけ
    • [208]両事業の売上 各500億〜600億円を2020年までに1,000億円以上へ
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「中国動態 出前サービス2強の競争 日本企業への思わぬ影響」
    • [205]中国の即席麺市場 2012年436億食→2016年372億食(約15%減)
    • [206]日清食品の中国シェア 即席麺全体2.8%で6位・高品質麺19.8%で2位
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [187]2009年1月 ロシア即席めんメーカー持株会社アングルサイドLtd.への資本参加
    • [188]2011年9月 横浜みなとみらいにカップヌードルミュージアム 横浜(安藤百福発明記念館 横浜)開設
    • [189]2014年2月 ぼんち株式会社への資本参加/2014年3月 新研究所「the WAVE」竣工
    • [190]2014年3月 年間連結売上高4,000億円達成
    • [195]2016年4月 Premier Foods plcとのRelationship Agreement締結
    • [203]2017年12月 日清食品有限公司の香港証券取引所メインボード市場への上場
    • [191]2015年4月 日清食品株式会社社長に安藤徳隆が就任
    • [192]安藤徳隆の社長就任時の年齢 37歳
    • [193]安藤徳隆が掲げた「100年ブランドカンパニー」「Beyond Instant Foods」
    • [194]安藤徳隆の決意「300年続く企業に」
  • 週刊東洋経済 2015年10月9日号「核心リポート05 味の素、日清が関係解消 海外展開で「すれ違い」」
    • [196]2015年 ブラジルの日清味の素アリメントスをめぐる味の素との合弁解消
    • [197]前身は1965年設立・1972年に味の素、1975年に日清食品が出資
    • [198]日清味の素アリメントスのブラジル即席麺市場シェア65%
    • [199]2014年12月 日清食品から味の素への協議提案
    • [200]味の素の全持株を325億円で売却・10月末に日清食品の100%子会社化
    • [201]2014年度の合弁会社営業利益 約25億円・中国33億円に次ぐ
    • [202]海外売上高比率 2014年度約20%・2025年に50%超の目標
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「トップに直撃 日清食品ホールディングス 社長 安藤宏基」
    • [204]上場の狙いは中国事業の加速・製品開発の判断を現地へ委譲
    • [207]中期経営計画で菓子・シリアル事業と低温・飲料事業を次世代の柱に位置づけ
    • [208]両事業の売上 各500億〜600億円を2020年までに1,000億円以上へ
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「中国動態 出前サービス2強の競争 日本企業への思わぬ影響」
    • [205]中国の即席麺市場 2012年436億食→2016年372億食(約15%減)
    • [206]日清食品の中国シェア 即席麺全体2.8%で6位・高品質麺19.8%で2位

22年ぶりの新工場と、価格政策の転換

2018年8月、日清食品は滋賀県栗東市の即席麺新工場で一部ラインの稼働を始めた[209]。即席麺の新工場は1996年に竣工した静岡工場以来22年ぶりで、総投資額は655億円[210]に上った。工場は資材工場を併設して検品や搬入も自動化し、同規模の工場と比べて要員はおよそ半分[211]で済む設計だった。平成に入ってからの食品メーカーの多くは設備投資を絞って利益を捻出しており[212]、既存工場の老朽化と人件費の高騰が合理化投資を促した。日清食品ホールディングスは2019年12月までに新工場を全面稼働させる計画[213]を置いた。省人化は事務の側にも及び、2023年4月には対話型AI「NISSIN-GPT」を導入して、売り場の企画提案[214]などに使い始めた。

  • 週刊東洋経済 2018年12月29日号「[特集 2019大予測] PART1 国内産業 31 食品 人口減でも設備投資ラッシュ」
    • [209]2018年8月 滋賀県栗東市の即席麺新工場で一部ライン稼働開始
    • [210]1996年竣工の静岡工場以来22年ぶりの即席麺新工場・総投資額655億円
    • [211]資材工場の併設と検品・搬入の自動化により要員は同規模工場のおよそ半分
    • [212]平成以降の食品メーカーによる設備投資の抑制と利益捻出
    • [213]2019年12月までの新工場全面稼働計画
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「[特集 ChatGPT 超・仕事術革命] PART2 企業実装編 パナは用途拡大、日清は部門ごとに特訓」
    • [214]2023年4月 対話型AI「NISSIN-GPT」の導入と売り場企画提案への活用

価格政策が転じたのは2015年で、日清食品は即席袋麺、即席カップ麺、即席カップライスの製品価格を2015年1月1日の出荷分から5〜8%引き上げた[215]。発表の3日後には東洋水産が、続いてサンヨー食品など[216]が追随した。業界一斉の値上げは2008年1月以来7年ぶりで、前回の主因が小麦相場の高騰[217]だったのに対し、今回は円安と物流費の上昇が理由だった。即席麺は体積が大きく単価が低いため、1個当たりの物流費が割高[218]になる。原材料のほぼ100%を輸入に頼る[219]構造も円安の影響を強めた。値上げは収益を押し上げ、2024年3月期の営業利益は前期比31%増の733億円[220]となったが、同じ2024年には小売店へカップ麺の値上げを再三求めたとして、公正取引委員会から独占禁止法違反の恐れがあると警告[221]を受けた。

  • 週刊東洋経済 2014年12月5日号「価格を読む 即席麺 日清値上げに業界追随 PB商品は据え置きへ」
    • [215]2015年1月1日出荷分からの即席袋麺・即席カップ麺・即席カップライスの5〜8%値上げ
    • [216]発表の3日後に東洋水産、続いてサンヨー食品などが追随
    • [217]業界一斉値上げは2008年1月以来7年ぶり・前回の主因は小麦相場の高騰
    • [218]即席麺は体積が大きく単価が低いため1個当たりの物流費が割高
    • [219]即席麺の原材料はほぼ100%が輸入
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [220]2024年3月期 営業利益は前期比31%増の733億円
    • [221]2024年 小売店へのカップ麺値上げ要求に対する公正取引委員会の警告

連結売上高は2021年3月期の5,061億円から2023年3月期に6,692億円、2024年3月期に7,329億円、2025年3月期に7,766億円、2026年3月期に7,881億円[222]へ伸びた。営業利益は2021年3月期の555億円、2023年3月期の556億円から2024年3月期に734億円、2025年3月期に744億円へ上がり、2026年3月期は623億円[223]へ落ちた。親会社株主に帰属する当期純利益も2021年3月期の408億円から2025年3月期の550億円まで増えたのち、2026年3月期は454億円[224]へ減った。2026年3月期のセグメント別売上は日清食品2,419億円、米州地域1,637億円、低温・飲料事業1,042億円、菓子事業959億円、中国地域749億円、明星食品483億円[225]で、米州地域の利益は前期の189億円から106億円へ落ちた[226]。設備投資は米州地域の327億円が最も多い[227]。従業員は17,988名[228]まで増えた。安藤宏基氏は代表取締役社長CEO、安藤徳隆氏は代表取締役副社長COO[229]として、父子で経営に当たっている。

  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [222]連結売上高 2021年3月期5,061億円→2023年3月期6,692億円→2024年3月期7,329億円→2025年3月期7,766億円→2026年3月期7,881億円
    • [223]営業利益 2021年3月期555億円・2023年3月期556億円・2024年3月期734億円・2025年3月期744億円・2026年3月期623億円
    • [224]親会社株主に帰属する当期純利益 2021年3月期408億円→2024年3月期542億円→2025年3月期550億円→2026年3月期454億円
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [225]2026年3月期のセグメント別売上(日清食品2,419億円・米州1,637億円・低温飲料1,042億円・菓子959億円・中国749億円・明星483億円)
    • [226]米州地域の利益 2025年3月期189億円→2026年3月期106億円
    • [227]2026年3月期の設備投資 米州地域327億円が最大
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(従業員の状況)
    • [228]2026年3月期の従業員数 17,988名
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [229]安藤宏基 代表取締役社長CEO/安藤徳隆 代表取締役副社長COO
  • 週刊東洋経済 2018年12月29日号「[特集 2019大予測] PART1 国内産業 31 食品 人口減でも設備投資ラッシュ」
    • [209]2018年8月 滋賀県栗東市の即席麺新工場で一部ライン稼働開始
    • [210]1996年竣工の静岡工場以来22年ぶりの即席麺新工場・総投資額655億円
    • [211]資材工場の併設と検品・搬入の自動化により要員は同規模工場のおよそ半分
    • [212]平成以降の食品メーカーによる設備投資の抑制と利益捻出
    • [213]2019年12月までの新工場全面稼働計画
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「[特集 ChatGPT 超・仕事術革命] PART2 企業実装編 パナは用途拡大、日清は部門ごとに特訓」
    • [214]2023年4月 対話型AI「NISSIN-GPT」の導入と売り場企画提案への活用
  • 週刊東洋経済 2014年12月5日号「価格を読む 即席麺 日清値上げに業界追随 PB商品は据え置きへ」
    • [215]2015年1月1日出荷分からの即席袋麺・即席カップ麺・即席カップライスの5〜8%値上げ
    • [216]発表の3日後に東洋水産、続いてサンヨー食品などが追随
    • [217]業界一斉値上げは2008年1月以来7年ぶり・前回の主因は小麦相場の高騰
    • [218]即席麺は体積が大きく単価が低いため1個当たりの物流費が割高
    • [219]即席麺の原材料はほぼ100%が輸入
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
    • [220]2024年3月期 営業利益は前期比31%増の733億円
    • [221]2024年 小売店へのカップ麺値上げ要求に対する公正取引委員会の警告
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [222]連結売上高 2021年3月期5,061億円→2023年3月期6,692億円→2024年3月期7,329億円→2025年3月期7,766億円→2026年3月期7,881億円
    • [223]営業利益 2021年3月期555億円・2023年3月期556億円・2024年3月期734億円・2025年3月期744億円・2026年3月期623億円
    • [224]親会社株主に帰属する当期純利益 2021年3月期408億円→2024年3月期542億円→2025年3月期550億円→2026年3月期454億円
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [225]2026年3月期のセグメント別売上(日清食品2,419億円・米州1,637億円・低温飲料1,042億円・菓子959億円・中国749億円・明星483億円)
    • [226]米州地域の利益 2025年3月期189億円→2026年3月期106億円
    • [227]2026年3月期の設備投資 米州地域327億円が最大
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(従業員の状況)
    • [228]2026年3月期の従業員数 17,988名
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [229]安藤宏基 代表取締役社長CEO/安藤徳隆 代表取締役副社長COO

日清食品ホールディングスの沿革1948〜2017年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
中交総社を設立
サンシー殖産に商号変更、本店を移転
瞬間油熱乾燥法の即席袋めん(「チキンラーメン」)を開発★★
本店を移転、日清食品に商号変更
工場が竣工、同時に本社を移転
チキンラーメンの発明と、特許を武器にした即席麺市場の主導権確立数百社が乱立し模倣が横行する新市場で、安藤百福社長は先行者の地位をどう守ろうとしたか 詳細を読む★★★
エース食品に証拠保全を申請★★
東京証券取引所・大阪証券取引所市場第二部に株式上場
即席めんの生産工場として横浜工場が竣工
カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.を設立。(注1)★★
カップヌードル発売による即席麺の再発明袋めん30円の時代に、安藤百福社長はなぜ100円の容器入り麺を問屋を通さずに売り切ったか 詳細を読む★★★
カップめんの生産工場として関東工場が竣工
米ダートインダストリーズとの合弁で日清ダートを設立
食品総合研究所を新設
年間売上高1,000億円達成。(注3)
香港タイポー地区に日清食品有限公司を設立。(注1)
安藤宏基東京本社ビルが竣工、東京支社を東京本社に商号変更
安藤宏基中央研究所(食品総合研究所・食品安全研究所)完成
安藤宏基ベアトリースフーズCo.,(HK)Ltd.に資本参加。(注1)
安藤宏基ヨーク本社に資本参加。(注1)
安藤宏基ピギー食品に資本参加。(注1)
安藤宏基シスコに資本参加。(注1)
安藤宏基中国内の第一号の生産基地として、珠海市金海岸永南食品有限公司が操業開始。(注1)★★
安藤宏基「インスタントラーメン発明記念館」を開設
安藤宏基上海市閔行区に日清(上海)食品安全研究開発有限公司を設立
安藤宏基明星食品の買収——スティール・パートナーズの敵対的TOBに対するホワイトナイト参戦業界2位・明星への1株700円の敵対的買収に、日清食品はなぜ870円を積んで対抗したか 詳細を読む★★★
安藤宏基持株会社制に移行★★
安藤宏基日清食品HDに商号変更
安藤宏基持株会社アングルサイド Ltd.に資本参加
安藤宏基横浜みなとみらいに「カップヌードルミュージアム 横浜」を開設
安藤宏基ぼんちに資本参加。(注1)
安藤宏基新研究所「the WAVE」竣工
安藤宏基Premier Foods plcとRelationship Agreementを締結
安藤宏基日清食品有限公司が香港証券取引所メインボード市場に株式を上場
出典・参考
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1985年10月7日号「シリーズ・安藤百福 異郷でつかんだ自立の論理も長男には通じず」
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「ヤバイ会社烈伝 第71回 日清食品 カップヌードル手が出ないっす」
  • 証券アナリストジャーナル 1978年 第16巻第5号「日清食品 "幸せを売る企業"として躍進」(安藤百福 日清食品社長)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 日清食品の歴史/安藤百福(2017)
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第2号「日清食品 新しい食生活をきりひらく」(砥上峰次 日清食品常務取締役)
  • 証券 1963年15(11)(174)「新規上場会社紹介 日清食品株式会社」
  • 証券アナリストジャーナル 1975年 第13巻第10号「日清食品 世界の共通食品をめざして」(安藤百福 日清食品社長)
  • 読売新聞 1962年6月23日 朝刊p10「もつれる"即席ラーメン"」
  • 日経ビジネス 2004年2月23日号「日清食品 独創に飢える王者 会長安藤百福氏「終着駅など考えない」」
  • 読売新聞 1963年4月9日 夕刊p4「3年で10倍の増収」
  • 読売新聞 1968年3月11日 朝刊「即席ラーメン安売り戦争」
  • 日経流通新聞 1990年4月28日 p16「手軽さ受け一気に浸透」
  • 日経ビジネス 1980年12月15日号「社会通念を破れなかった商品 日清食品、ミドリ十字」
  • 日経ビジネス 1995年7月17日号「編集長インタビュー 安藤宏基氏[日清食品社長]消費者ニーズは誰より分かる そう言えてこそメーカーだ」
  • 日経ビジネス 1993年5月10日号「日清食品 ブランドごとに責任者 最後発「ラ王」トップ奪う」
  • 週刊東洋経済 2004年2月14日号「[特集]こうすれば長く愛される カップヌードル 日清食品」
  • M&A Online(2006年12月14日)「日清食品、明星食品への友好的TOBを終了」
  • 週刊東洋経済 2006年12月23日号「アウトルック 悪いM&A いいM&A 買収ファンドの堕落 コマツが放つ一矢」
  • 日本食糧新聞(2007年2月9日)「明星食品、株式交換契約を締結 日清食品の完全子会社に」
  • 公正取引委員会 平成18年度企業結合事例2「日清食品株式会社による明星食品株式会社の株式取得について」
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 2007年10月6日号「スペシャルリポート02 メーカーvs.巨大流通 食品値上げの裏側」
  • 週刊東洋経済 2011年6月7日号「NEWS TOP4 03 食品 パンの相次ぐ値上げに 腰引ける麺・菓子業界」
  • ダイヤモンド・チェーンストア(2015年4月)
  • 日経ビジネス(2022年5月31日)「創業者の孫の決意『300年続く企業に』」
  • 週刊東洋経済 2015年10月9日号「核心リポート05 味の素、日清が関係解消 海外展開で「すれ違い」」
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「トップに直撃 日清食品ホールディングス 社長 安藤宏基」
  • 週刊東洋経済 2017年11月18日号「中国動態 出前サービス2強の競争 日本企業への思わぬ影響」
  • 週刊東洋経済 2018年12月29日号「[特集 2019大予測] PART1 国内産業 31 食品 人口減でも設備投資ラッシュ」
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「[特集 ChatGPT 超・仕事術革命] PART2 企業実装編 パナは用途拡大、日清は部門ごとに特訓」
  • 週刊東洋経済 2014年12月5日号「価格を読む 即席麺 日清値上げに業界追随 PB商品は据え置きへ」
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(連結損益計算書)
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
  • 日清食品ホールディングス 有価証券報告書(従業員の状況)

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