1717年〜 道修町の薬種問屋から戦後法人化まで
- 1717年 初代小野市兵衛が大阪道修町で「伏見屋市兵衛」の屋号で薬種仲買として創業
- 1918年 東洋製薬化成設立
- 1934年 合名会社小野市兵衛商店に改組
- 1947年 日本有機化工と日本理化学工業を設立し製造販売の一貫体制を確立
- 1948年 日本有機化工を小野薬品工業に商号変更、日本理化学工業を解散
- 1949年 日本有機化工の小野薬品工業への改称と、小野市兵衛商店の吸収合併による製販一本化 創業以来つないだ薬種問屋の商号を、九代目小野市兵衛はなぜ製造会社の側へ畳んだか
- 1961年 城東工場(綜合製剤工場)完成
享保2年の創業と江戸期道修町の系譜
1717年(享保2年)、初代小野市兵衛が大阪道修町で「伏見屋市兵衛」の屋号のもとに薬種仲買人として創業した。江戸期の道修町は徳川幕府公認の薬種問屋街で、唐薬・和薬の輸入・卸売を担う薬業の中心地だった。小野家は道修町の老舗薬種問屋として、近世日本の医薬流通を担う一翼を占め続けた。1918年に東洋製薬化成株式会社を設立し、近代的な製薬事業の足場を作り始めている。 [1][2][3][4][5]
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [1]1717年(享保2年)に初代小野市兵衛が創業した
- [2]創業者は初代小野市兵衛
- [3]創業時の屋号は「伏見屋市兵衛」
- [4]創業地は大阪道修町で薬種仲買として始まった
- [5]1918年に東洋製薬化成株式会社を設立した
1934年、合名会社小野市兵衛商店に改組し、資本金16万円で近代法人格を獲得した。個人商店から合名会社への法人化により、近代的な企業統治の体裁を整えている。1947年、商店の医薬品製造部門として日本有機化工株式会社(資本金19万5千円)と、注射アンプル等医薬用硝子資材部門として日本理化学工業株式会社を設立し、製造・販売の一貫体制を整えた。戦後の医薬品メーカーとしての企業形態が、ここで現代的な姿に整った。 [6][7][8][9]
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [6]1934年に合名会社小野市兵衛商店へ改組した
- [7]1934年改組時の資本金は16万円だった
- [8]1947年に日本有機化工株式会社を設立した(医薬品製造部門)
- [9]1947年に医薬用硝子資材部門として日本理化学工業株式会社を設立した
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [1]1717年(享保2年)に初代小野市兵衛が創業した
- [2]創業者は初代小野市兵衛
- [3]創業時の屋号は「伏見屋市兵衛」
- [4]創業地は大阪道修町で薬種仲買として始まった
- [5]1918年に東洋製薬化成株式会社を設立した
- [6]1934年に合名会社小野市兵衛商店へ改組した
- [7]1934年改組時の資本金は16万円だった
- [8]1947年に日本有機化工株式会社を設立した(医薬品製造部門)
- [9]1947年に医薬用硝子資材部門として日本理化学工業株式会社を設立した
「小野薬品工業」誕生と二市場上場
1948年、日本有機化工株式会社を現社名の「小野薬品工業株式会社」と改称し、工場を東成区の現城東工場へ移すとともに、日本理化学工業株式会社を解散して同工場を小分包装の淡路工場とした。同年、日本で最初の合成エフェドリンの工業化に成功し、薬種問屋系の企業が自前の製剤を持つ医薬品メーカーとしての基礎を確立している。1949年、合名会社小野市兵衛商店を小野薬品工業株式会社に吸収合併し、製造販売部門の一本化を図っている。問屋・商店時代から脱却し、製薬企業としての新たな出発を果たした。1961年に城東工場(綜合製剤工場)が完成し、戦後の生産能力拡張の中核施設として稼働を始めた。 [10][11][12][13][14][15]
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [10]1948年に日本有機化工を「小野薬品工業株式会社」へ改称した
- [13]1948年に日本理化学工業株式会社を解散した
- [14]1949年に合名会社小野市兵衛商店を小野薬品工業へ吸収合併した
- [15]1961年に城東工場(綜合製剤工場)が完成した
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [11]1948年に工場を東成区(現城東工場)へ移し、日本理化学工業を解散して同工場を小分包装の淡路工場とした
- [12]1948年に日本で最初の合成エフェドリンの工業化に成功し、医薬品メーカーとしての基礎を確立した
1962年、大阪証券取引所市場第二部に株式上場した。1963年、東京証券取引所市場第二部に株式上場し、1969年には東京・大阪各証券取引所市場第一部に指定替えしている。江戸期享保2年の創業から245年を経て、近代資本市場への参入を果たした。300年企業として、戦前の薬種問屋から戦後の上場製薬企業への転換を完遂した時期で、現代の小野薬品工業の事業形態がここで固まった。 [16][17][18][19]
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [16]1962年に大阪証券取引所市場第二部へ上場した
- [17]1963年に東京証券取引所市場第二部へ上場した
- [18]1969年に東京・大阪各証券取引所市場第一部へ指定替えした
- [19]享保2年(1717)創業から1962年の上場まで245年を経た
- 小野薬品工業 有価証券報告書(沿革欄)
- [10]1948年に日本有機化工を「小野薬品工業株式会社」へ改称した
- [13]1948年に日本理化学工業株式会社を解散した
- [14]1949年に合名会社小野市兵衛商店を小野薬品工業へ吸収合併した
- [15]1961年に城東工場(綜合製剤工場)が完成した
- [16]1962年に大阪証券取引所市場第二部へ上場した
- [17]1963年に東京証券取引所市場第二部へ上場した
- [18]1969年に東京・大阪各証券取引所市場第一部へ指定替えした
- [19]享保2年(1717)創業から1962年の上場まで245年を経た
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [11]1948年に工場を東成区(現城東工場)へ移し、日本理化学工業を解散して同工場を小分包装の淡路工場とした
- [12]1948年に日本で最初の合成エフェドリンの工業化に成功し、医薬品メーカーとしての基礎を確立した