小野薬品工業の歴史
沿革
1717年に初代小野市兵衛氏が大阪・道修町で始めた薬種仲買の伏見屋市兵衛が起源。
本庶佑氏が発見したPD-1をもとに2014年に世界初の抗PD-1抗体オプジーボを発売してがん免疫療法を切り開いた。2024年の米Deciphera買収で欧米に販売網を持ち、海外が売上の4割を超える。
創業期
1717年〜小野市兵衛の伏見屋創業と道修町の薬種仲買
- 初代小野市兵衛が大阪道修町で「伏見屋市兵衛」の屋号で薬種仲買として創業[1]
売上高
- 売上高
小野薬品工業売上高—
1908年〜東洋製薬化成の設立
- 東洋製薬化成設立[1]
売上高
- 売上高
小野薬品工業売上高—
転換期
1934年〜小野薬品工業への製販一本化とプロスタグランジンの合成
- 合名会社小野市兵衛商店に改組[2]
- 日本有機化工と日本理化学工業を設立し製造販売の一貫体制を確立[1]
- 日本有機化工を小野薬品工業に商号変更、日本理化学工業を解散[1]
- 日本有機化工から改称[1]
- 城東工場(綜合製剤工場)完成[1]
- 大阪証券取引所市場第二部に株式上場[2]
- 東京証券取引所市場第二部に株式上場[2]
- 中央研究所が竣工。生理活性物質プロスタグランジンの全化学合成に成功[2]
- 東京・大阪各証券取引所市場第一部に指定替え[1]
売上高経常利益率
- 売上高
- 経常利益率
小野薬品工業1970年11月期売上高96億円売上高経常利益率10.4%
安定成長期
1971年〜フジヤマ工場の増設と米英現地法人による海外進出
- フジヤマ工場本館・第一、第二工場が竣工[1]
- 本社新社屋が竣工[2]
- フジヤマ工場第三工場が竣工[1]
- フジヤマ工場第五工場が竣工、ビーブランド・メディコーデンタル設立[1]
- 英国にロンドン事務所を開設[2]
- 福井安全性研究所が竣工[2]
- 水無瀬研究所に新研究棟完成[1]
- 中央物流センターが竣工[1]
- 米国にシアトル事務所を開設[2]
- フジヤマ工場第六工場が竣工[1]
- 福井合成研究所が竣工[1]
- 韓国にソウル事務所を開設[2]
- 東京に新社屋が竣工[2]
- 水無瀬研究所に第二研究棟完成[1]
- オノ・ファーマ・ユーエスエー、英国オノ・ファーマ・ユーケー設立[1]
- フジヤマ工場第七工場(注射剤製造工場)完成[1]
- 筑波研究所が竣工[1]
- 本社社屋完成[2]
安定成長期
2011年〜オプジーボの発売とDeciphera買収による海外展開
- 米BMSと抗PD-1抗体提携
- 韓国小野薬品工業設立[1]
- 台灣小野藥品工業設立。世界初の抗PD-1抗体「オプジーボ点滴静注」発売[2]
- 「フォシーガ錠」を発売[3]
- 水無瀬研究所に第三研究棟完成[2]
- 多発性骨髄腫治療剤「カイプロリス」を発売[4]
- 東京都中央区に東京ビル完成[1]
- 山口工場が竣工[2]
- オノ ベンチャー インベストメント設立とファンドI組成[1]
- 「オンジェンティス錠」を発売[5]
- 小野薬品ヘルスケア設立[2]
- 「エドルミズ錠」を発売[6]
- 小野デジタルヘルス投資、小野薬品ユーディ、michiteku設立、プライム市場移行[1]
- 米Decipheraの買収[2]
- 変形性関節症治療剤「Gel-One」の共同開発・販売提携の基本合意書を締結[7]
- 再保険子会社Ono Global Reinsuranceの設立を決定[8]