小野薬品工業 の歴史

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創業 1717年
創業者 初代小野市兵衛
創業地 大阪府大阪市道修町
創業 1717年、初代小野市兵衛氏が大阪・道修町で"伏見屋市兵衛"の屋号を掲げ、薬種仲
1717年、初代小野市兵衛氏が大阪・道修町で"伏見屋市兵衛"の屋号を掲げ、薬種仲買人として創業した。道修町は徳川幕府公認の薬種問屋街で、唐薬と和薬の輸入・卸売を担う薬業の中心地だった。1934年に合名会社小野市兵衛商店へ改組して資本金16万円の法人格を得たあと、1947年に医薬品製造部門を日本有機化工、注射アンプルなど硝子資材部門を日本理化学工業として分けている。1948年に日本有機化工を小野薬品工業へ改称し、翌年に商店本体を吸収合併して製販を一本化した。同じ1948年に日本で最初の合成エフェドリンの工業化に成功し、1962年に大阪証券取引所市場第二部へ上場した。
決断 海外で売る権利を渡し、13年後にその販売網を買収で取り戻した。1968年の中央研
海外で売る権利を渡し、13年後にその販売網を買収で取り戻した。1968年の中央研究所完成と同年のプロスタグランジン全合成が創薬の起点で、本庶佑氏が1992年に発見したPD-1については2003年に京都大学と持ち分半々で共同特許を出願している。だが世界規模の臨床試験と販売網を単独では担えず、2011年9月にBristol-Myers Squibbへ抗PD-1抗体の海外開発・販売権を供与した。オプジーボは2014年に世界初の抗PD-1抗体として発売され、受け取るロイヤルティが研究開発の原資となった。その原資で2024年4月に米Deciphera Pharmaceuticalsを約24億ドルで買収し、消化管間質腫瘍薬QINLOCKと欧米の販売網を取得した。2026年3月期の営業利益922億円は2024年3月期の1,599億円を下回り、取得の代金を利益から払い終える時期はまだ来ていない。
現況 日本2,871億円に対し米国が1,971億円へ伸び、海外が売上の4割を超えた。2
日本2,871億円に対し米国が1,971億円へ伸び、海外が売上の4割を超えた。2026年3月期の売上収益は5,157億円、営業利益922億円で、アジア177億円・欧州123億円がこれに続く。2014年発売のオプジーボは国内の主力であり続け、Bristol-Myers Squibbから受け取るロイヤルティが加わる。2020年には米国でベンチャー投資会社とファンドを設け、2021年以降も小野薬品ヘルスケアやがん患者支援のmichitekuを相次いで設立した。1品の成功で得た資金を外部の創薬と米国の販売会社へ配ったことが、単剤への集中を薄める端緒となっている。
競合 世界初の薬を出しながら、それを世界で売ったのは他社だった。中外製薬がスイス・ロシ
世界初の薬を出しながら、それを世界で売ったのは他社だった。中外製薬がスイス・ロシュへ経営権の過半を譲渡したのは2001年で、経営権の過半を渡す代わりに世界の販路を得ている。小野薬品は資本を渡さず製品の権利だけを渡し、Bristol-Myers Squibbの販売網でオプジーボを各国へ届けた。自社創製のADCエンハーツをアストラゼネカと共同で商業化した第一三共も同じ2010年代に、製品単位で利益と費用を折半する形を選んでいる。中堅が世界へ出る道は、資本・製品・販売のどれを渡すかで分かれてきた。小野薬品が2024年に選んだのはどれも渡さない道で、創業から300年を超えて初めて欧米に自社の売り場を持った。
長期業績の推移 1962〜2026年
小野薬品工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

第1章 1717-1867 (気が向いたら執筆します!) 初代小野市兵衛が道修町で始めた伏見屋と、江戸の薬種中買仲間

第2章 1868-1907 (気が向いたら執筆します!) 明治維新と洋薬の流入、道修町の薬種問屋としての近代化

第3章 1908-1933 (気が向いたら執筆します!) 東洋製薬化成の設立と、大正・昭和初期に問屋から製薬へ向かう足がかり

第4章 1934-1970 (気が向いたら執筆します!) 合名会社小野市兵衛商店から製販一本化の小野薬品工業へ、上場とプロスタグランジン

第5章 1971-2010 (気が向いたら執筆します!) フジヤマ工場と研究所の拡充、プロスタグランジン製剤と米英法人の設立

第6章 2011-2026 (気が向いたら執筆します!) BMSとの抗PD-1抗体提携とオプジーボ、アジア展開とDeciphera買収

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歴史年表 1717〜2024年

小野薬品工業の沿革1717〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1717〜1867年初代小野市兵衛が道修町で始めた伏見屋と、江戸の薬種中買仲間初代小野市兵衛が大阪道修町で「伏見屋市兵衛」の屋号で薬種仲買として創業
1908〜1933年東洋製薬化成の設立と、大正・昭和初期に問屋から製薬へ向かう足がかり東洋製薬化成設立
1934〜1970年合名会社小野市兵衛商店から製販一本化の小野薬品工業へ、上場とプロスタグランジン合名会社小野市兵衛商店に改組
日本有機化工と日本理化学工業を設立し製造販売の一貫体制を確立★★
日本有機化工を小野薬品工業に商号変更、日本理化学工業を解散
小野市兵衛商店の吸収合併による製造と販売の一本化、小野薬品工業としての再出発

1947年、専務取締役の小野雄造氏は、生き抜く道は医薬品の製造しかないとして、合名会社小野市兵衛商店の医薬品製造部門を日本有機化工株式会社に、医薬用硝子資材部門を日本理化学工業株式会社に分けて設立した。1948年に日本有機化工を小野薬品工業株式会社と改称し、1949年には小野市兵衛商店そのものを吸収合併して、製造と販売を一つの会社に統合した。

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城東工場(綜合製剤工場)完成
大阪証券取引所市場第二部に株式上場
東京証券取引所市場第二部に株式上場
中央研究所が竣工。生理活性物質プロスタグランジンの全化学合成に成功★★
東京・大阪各証券取引所市場第一部に指定替え
1971〜2010年フジヤマ工場と研究所の拡充、プロスタグランジン製剤と米英法人の設立フジヤマ工場本館・第一、第二工場が竣工
フジヤマ工場第三工場が竣工
フジヤマ工場第五工場が竣工、ビーブランド・メディコーデンタル設立
福井安全性研究所が竣工
水無瀬研究所に新研究棟完成
中央物流センターが竣工
フジヤマ工場第六工場が竣工
福井合成研究所が竣工
水無瀬研究所に第二研究棟完成
オノ・ファーマ・ユーエスエー、英国オノ・ファーマ・ユーケー設立
フジヤマ工場第七工場(注射剤製造工場)完成
筑波研究所が竣工
本社社屋完成
2011〜2026年BMSとの抗PD-1抗体提携とオプジーボ、アジア展開とDeciphera買収相良暁北米以外・日韓台を除く全世界の開発販売権を委ね、対価をロイヤルティで受け取る道を選んだ

2011年9月、小野薬品工業はブリストル・マイヤーズ スクイブ社と、完全ヒト型抗PD-1抗体『BMS-936558/ONO-4538』をめぐる戦略的提携契約を締結した。供与したのは、自社が有してきた北米以外のテリトリーのうち、日本・韓国・台湾を除く全世界での独占的な開発販売権である。対価の受取はロイヤルティで、契約期間は2011年9月を起算に特許有効期間又は発売後13年間のいずれか長い方とした。同時に、相手方が全世界で開発販売を進める関節リウマチ治療剤オレンシアの日本における共同開発販売権を取得している。

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相良暁韓国小野薬品工業設立
相良暁台灣小野藥品工業設立。世界初の抗PD-1抗体「オプジーボ点滴静注」発売★★
相良暁水無瀬研究所に第三研究棟完成
相良暁東京都中央区に東京ビル完成
相良暁山口工場が竣工
相良暁オノ ベンチャー インベストメント設立とファンドI組成
相良暁小野薬品ヘルスケア設立
相良暁小野デジタルヘルス投資、小野薬品ユーディ、michiteku設立、プライム市場移行
滝野十一約24億米ドルを投じ、欧米で自ら薬を売る体を手に入れるという選択

2024年4月、小野薬品工業は米国のバイオ医薬品企業Deciphera Pharmaceuticals, Inc.を、買収のために新たに設立した完全子会社を通じ、現金を対価として取得する契約を締結した。取得対価は約24億米ドル。2024年6月11日(米国東部時間)に買収が完了し、議決権付資本持分の100%を取得して完全子会社とした。 支払対価の公正価値は3,821億3,500万円で確定し、自己資金に加えて金融機関からの短期借入1,500億円を充てた。取得関連費用は33億8,200万円。2024年6月30日を取得日とみなして連結の範囲に含め、2025年3月期には取得日以降の売上収益261億900万円を取り込んでいる。

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出典・参考

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