小野薬品工業Bristol-Myers Squibbとの戦略提携による抗PD-1抗体の海外開発・販売権の供与

自社に乏しい海外の臨床開発と販売網を、権利の分与と引き換えに大手へ委ねるか——相良暁社長はどう世界展開の道を開いたか

時期 2011年9月
意思決定者(推定) 相良暁 社長
論点 世界初のがん免疫薬の海外展開と提携
概要
2011年9月21日、小野薬品工業はブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)と、抗PD-1抗体「BMS-936558/ONO-4538」をめぐる戦略的提携契約を締結した。小野薬品はBMSに、北米以外の地域のうち自社が権利を留保する日本・韓国・台湾を除く全世界での独占的な開発・商業化権を供与し、規模差のある相手と組んで世界市場へ到達する体制を築いた。
背景
小野薬品は京都大学の本庶佑教授との共同研究を通じてPD-1を標的とするがん免疫薬の開発に着手したが、がん領域も抗体技術も自社にはなかった。国内13社に開発を断られ、米メダレックス社と2005年に組んで研究を進めたものの、世界規模の臨床試験と各国での販売を中堅企業が単独で担うのは荷が重かった。
内容
2011年9月の提携で、小野薬品はBMSへ北米以外・日韓台を除く全世界での抗PD-1抗体の権利を供与した。あわせて関節リウマチ治療剤オレンシアの日本での共同開発・販売も取り決めた。2014年7月には日本・韓国・台湾についても新契約を結び、オプジーボや併用療法を共同で開発・商業化する体制へ踏み込んだ。
含意
提携で確保した海外の開発・販売網により、2014年発売のオプジーボは世界規模で適応を広げた。海外ロイヤルティを含む関連売上は数年で全社の5割を占め、収益構造を一変させた。一方で、世界展開の巨大な果実の配分は、発見者である本庶教授との対価をめぐる対立という別の課題も残した。
筆者の見解

権利を分けて世界へ届けるということ

この提携を、規模で劣る中堅が大手に世界市場を明け渡した妥協と読むのは、事の順序を取り違えているとみられる。がん領域も抗体技術も持たない小野薬品は、国内13社に開発を断られ、海外のメダレックス社をようやく探し当てて抗PD-1抗体をここまで運んできた。本庶教授との共同特許という基盤を握っていたからこそ、相良暁社長のもとで北米以外の世界の権利をBMSへ分け与える立場に立てた。単独では世界の承認競争に間に合わない現実を前に、権利の一部を手放してでも世界初のがん免疫薬を各国へ届ける道を選んだ判断だったといえる。

もっとも、権利を分けたことの代償は小さくなかった。海外で稼いだ売上の多くはBMSとの取り分やロイヤルティに姿を変え、収益の相当部分は自社の外で生まれる構造になった。さらに、世界展開で膨らんだ果実の配分は、PD-1を発見した本庶教授との対価をめぐる対立という別の火種を残している。巨大な成功を単独では生めなかった企業が、その成功をどう分け合うかという問いを、提携の相手とも発見者とも抱え続けている。世界初の薬を世界へ届けた判断の重さは、その配分の難しさとひとつづきのものだったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

プロスタグランジンからPD-1へ、難航した開発パートナー探し

小野薬品工業は大阪の中堅製薬会社で、およそ半世紀前からプロスタグランジンという脂質化合物の創薬研究に取り組んできた。この研究で協力を得た京都大学の早石修教授の門下から、1992年にPD-1分子を発見した本庶佑教授が出ている。本庶教授との共同研究の縁で、小野薬品はPD-1を標的とするがん免疫薬の開発に踏み込んだ[1]

だが小野薬品にとってがん領域は未経験で、抗体技術も自社にはなかった。それを補う開発パートナーを国内に求めたものの、免疫療法は信頼できないという理由で13社すべてに断られている。行き詰まった末に出合ったのが、米国のバイオベンチャー、メダレックス社であった。2005年、小野薬品は同社と抗PD-1抗体をめぐる共同研究契約を結んだ[2][3]

中堅企業ゆえの規模の制約

抗PD-1抗体の開発は2006年に臨床試験へ進んだものの、キワモノ扱いされる免疫療法は新薬候補のなかで優先順位が低く、患者が割り振られずに難航した。数人の末期患者に劇的な効果が現れて優先順位が上がり、開発はようやく動き出す。もっとも、悪性黒色腫から肺がん、腎がんへと適応を広げる世界規模の臨床試験を、小野薬品が単独で担うのは荷が重かった[4]

提携を模索していた2011年3月期の小野薬品は、連結売上収益1,357億円、営業利益352億円の規模であった。国内でこそ抗炎症薬などで安定した収益を上げていたが、欧米の大手製薬会社と比べれば体格の差は大きい。世界数十カ国で同時に治験を進め、承認後に各国で販売網を敷く力は、単独では備えていなかった[5]

決断

2011年9月の戦略提携と地域割

2011年9月21日、小野薬品はブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)と、抗PD-1抗体「BMS-936558/ONO-4538」をめぐる戦略的提携契約を締結した。小野薬品はBMSに対し、北米以外の地域のうち自社が権利を留保する日本・韓国・台湾を除く全世界で、この抗体を独占的に開発・商業化する権利を供与する内容であった。北米の権利は、メダレックス社を買収したBMSがすでに握っていた[6]

提携は抗PD-1抗体だけにとどまらなかった。両社は関節リウマチ治療用の生物製剤オレンシア(アバタセプト)を日本で共同開発・販売することも取り決めており、権利を一方的に手放すのではなく、相互に事業を持ち寄る形をとった。自社に乏しい海外の臨床開発力と販売網を、有力な世界市場の権利を分け与える代わりに大手から得る組み立てであった[7]

権利を分けるという判断

権利の供与は、将来の海外売上の大半をBMSと分け合うことを意味した。だが免疫チェックポイント阻害というPD-1の作用機序には欧米メガファーマが相次いで参入し、米メルクや英アストラゼネカなどが同種の薬の開発を急いでいた。患者の多いがん種でライバルより早く承認を得られるかが競争の分かれ目であり、単独開発に固執して時間を失う余裕は小野薬品になかった[8]

小野薬品が海外の権利を供与できた前提には、本庶教授との産学連携があった。両者はPD-1の発見後の2003年に共同特許を持ち分半々で出願し、2006年には小野薬品がその特許を独占的に使用するライセンス契約を結んでいる。この特許基盤があってはじめて、小野薬品は抗体の世界的な権利をBMSへ分与する立場に立てた[9]

結果

オプジーボの世界展開と提携の深化

2014年9月、小野薬品は世界初の抗PD-1抗体「オプジーボ点滴静注」を悪性黒色腫を対象に国内で発売した。BMSとの提携で確保した海外の臨床開発と販売網により、非小細胞肺がんや腎細胞がんなど20を超えるがん種へ適応を広げる世界規模の治験が並行して進んだ。日本発のがん免疫薬が、規模差のある相手と組むことで世界市場へ到達する構図ができた[10]

提携はその後も組み替えられた。2014年7月、両社は日本・韓国・台湾についても新たな契約を結び、オプジーボやイピリムマブなどを共同で開発・商業化する体制へ移った。オプジーボ単剤は小野薬品が開発費の大部分を負担して利益の大半を得る一方、BMS由来の化合物との併用療法は開発費と利益を両社で折半する取り決めであった[11]

売上構造の一変と、残された火種

オプジーボは発売から3年目で製品売上高が年間1,000億円を突破した。海外企業からのロイヤルティ収入を含めた2019年3月期の関連売上高は1,500億円近くに達し、小野薬品の全売上高の5割を占めるまでになった。連結売上高も2016年3月期の1,603億円から翌2017年3月期には2,448億円へ跳ね、一つの薬が中堅企業の収益構造を塗り替えた[12][13]

成功は新たな摩擦も生んだ。PD-1の発見者である本庶佑教授は、オプジーボの特許対価が不当に低いとして、2019年に小野薬品を提訴する方針を固めた。産学連携で生まれた画期的な新薬をめぐり、開発企業と発見者が対価を争う事態に至っている。世界展開で得た巨大な果実をどう配分するかが、提携の枠外で新たな課題として残った[14]

出典・参考

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