日本新薬セレキシパグの日本を除く全世界の開発販売権のアクテリオンへの導出
自ら創った化合物を自ら売るか、先行する他社に託すか——中堅製薬が選んだ届け方
- 概要
- 2008年2月29日、日本新薬が自社で創製した肺動脈性肺高血圧症治療剤NS-304(セレキシパグ)について、日本を除く全世界の開発・販売をスイスのアクテリオンに委ねる基本契約を結んだと発表した経営判断。同年4月に正式なライセンス契約を締結し、日本国内は両社の共同開発・共同販売とした。
- 背景
- NS-304は経口で服用できる選択的IP受容体作動薬で、肺動脈性肺高血圧症に新しい作用機序を持ち込む見込みがあった。一方で2008年3月期の日本新薬は連結売上高594億円の国内中堅であり、海外の拠点は研究開発情報を集める米国子会社NS Pharmaにとどまっていた。
- 内容
- 日本以外の全世界の開発と販売をアクテリオンが担い、日本新薬は日本市場と、開発の進捗・売上に応じたマイルストーンおよびロイヤルティを受け取る。2010年には逆にアクテリオンからマシテンタンの権利を導入し、肺動脈性肺高血圧症の主要な三つの作用機序を国内で扱う立場を得た。
- 含意
- 自社創製品を最も早く世界の患者へ届ける道として、売る役割を手放す選択をとった。導出先が実施した国際共同試験GRIPHONの成績をもとに欧米で先行承認され、日本でも2016年に「ウプトラビ錠」として発売された。ロイヤルティは後年、連結売上収益の3割近くを占めるまでになった。
売る役を降りて、創る役を残す
2008年の日本新薬には、肺動脈性肺高血圧症の薬を世界で売る体制が無かった。米国子会社NS Pharmaは研究開発の情報を集めるための拠点で、販売の機能を持っていない。自社で創った化合物を最も早く患者へ届ける道を探せば、日本だけを手元に残し、それ以外をこの領域で先行するアクテリオンへ渡すという答えに行き着く。売る会社であることを一部あきらめる代わりに、創る会社としての成果を最大化する取引であったとみることができる。2010年にマシテンタンを受け取ったことも、渡した相手との関係を一方通行にしない工夫であったとみられる。
ただ、託した収益は自分の足では立たない。ロイヤルティは他社の売上に乗って入る対価で、特許が切れれば残らない。2026年3月期に494億円を稼いだ工業所有権等収益に対し、自ら売った国内のウプトラビは175億円にとどまる。第七次中期経営計画がその特許切れを越えるための先行投資に充てられた事実は、2008年の判断が同社にもたらしたものの性格をよく表している。創った成果は世界へ届いたが、届けた先の売り場は、最後まで他社のものであった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
自社で創った、世界初の経口IP受容体作動薬
肺動脈性肺高血圧症は、肺の血管が狭まって心臓の右側に負担がかかる難病で、患者数は世界規模でみても限られる。日本新薬が自社で創った化合物NS-304は、経口で服用できるプロスタサイクリン受容体作動薬として、この病気に新しい作用機序を持ち込む見込みがあった。同社はのちにこれを、世界で初めての経口投与が可能な選択的IP受容体作動薬と説明している。英国での第Ⅰ相試験を終え、2007年末には欧州で第Ⅱ相試験が始まっていた[1][2]。
一方、その化合物を世界へ届ける力は乏しかった。2008年3月期の日本新薬は連結売上高594億円、営業利益65億円で、国内の医薬品市場でも中堅にとどまる。海外の足がかりは1997年に開いたニューヨーク事務所と、それを引き継いで1999年7月に設けた米国子会社NS Pharmaだけであった。NS Pharmaの目的は米国の製薬企業やベンチャー、研究機関から研究開発の情報を集めることにあり、販売の機能は持たされていなかった[3][4]。
同じ病気で先行していた相手
相手として名が挙がったスイスのアクテリオンは、肺動脈性肺高血圧症の領域ですでに先行する企業であった。2008年の提携発表では、アクテリオン ファーマシューティカルズ ジャパンの田中社長が、同社がこの領域でリーダーの地位にあり、共同開発によって最適な臨床開発が可能になるとの見方を示している。同じ病気に別の作用機序で挑む日本新薬にとって、この会社は競合であると同時に、最も近い届け手でもあった[5]。
決断
日本を残し、それ以外を渡す
2008年2月29日、日本新薬はアクテリオンとの提携を発表した。NS-304について、日本を除く全世界の開発と販売をアクテリオンが担い、日本国内は両社が共同で開発し共同で販売するという建て付けであった。この時点では基本契約で、数カ月のうちに正式なライセンス契約を結ぶ予定と説明されている。実際の導出契約は同年4月に結ばれた。自社で創った化合物の世界市場を、自社の手から離す取り決めであった[6][7]。
前川重信社長は発表にあたり、アクテリオンがNS-304の価値を正当に評価したことへの満足を述べ、この薬が速やかに患者のもとへ届くことを望むと語った。アクテリオンのジャン=ポール・クロゼルCEOも、画期的な新薬を臨床の場に届けるために日本新薬と協力できることを喜ばしいとしている。双方の言葉はいずれも「届ける」ことに置かれており、誰が売るかよりも、どれだけ早く広く届くかを基準に選んだことがうかがえる[8]。
渡すことと、受け取ること
導出から2年後の2010年2月、日本新薬はアクテリオンから肺動脈性肺高血圧症治療薬マシテンタンのライセンスを受けた。自社創製品を渡した相手から、今度は別の作用機序の薬を受け取る取引である。マシテンタンは海外で第Ⅲ相試験の途中にあり、国内では第Ⅰ相試験の後を両社共同で進め、承認後は共同で販売する条件であった。これによって同社は、この病気の治療に使われる主要な三つの作用機序すべてを国内で扱う立場を得た[9]。
結果
承認一時金と、跳ねた収益
導出先のアクテリオンは、39カ国・1,156例の患者を対象とする第Ⅲ相国際共同試験GRIPHONを実施し、病態悪化と死亡の発生リスクをプラセボ比で約40%抑える成績を得た。この結果をもとに欧米で先行して承認され、日本でも2016年9月28日に「ウプトラビ錠」として製造販売承認を取得し、同年11月21日に販売が始まった。国内の販促は日本新薬とアクテリオン ファーマシューティカルズ ジャパンが共同で担った[10][11]。
収益への効き方は、国内発売より先に表れた。2016年4月の薬価改定という逆風のもとでも日本新薬は営業増益率で上位に立つと見込まれ、その理由には肺高血圧症薬の承認一時金と欧米でのロイヤルティが挙げられていた。連結売上高は2016年3月期の842億円から翌期988億円へ、営業利益は85億円から153億円へ増えた。医薬品セグメントの利益も83億円から146億円へと伸びている[12][13]。
託した先で育った収益
導出先はその後、持ち主が変わった。2017年1月、米ジョンソン・エンド・ジョンソンがアクテリオンを300億ドル(当時の為替で約3兆4,200億円)で買収することに合意し、同年6月に傘下へ収めた。前川重信社長は同年11月の決算説明会で、セレキシパグが国内で当初計画を上回って浸透し、累計の投与例が約650例に達したと述べ、買収によって販売力が強まることへの期待を語っている。ウプトラビは提携先を通じて世界70カ国以上へ届いた[14][15][16]。
ロイヤルティは年を追って膨らんだ。2020年度のロイヤルティ収入は前年度比53.5%増の243億円で過去最高となり、2026年3月期の工業所有権等収益は494億5,700万円に達した。同じ期に国内で自ら売ったウプトラビは175億9,300万円で、他社が世界で売った対価の3分の1ほどにあたる。一方でこの収益には期限がある。同社は2024年度から始めた第七次中期経営計画を、ウプトラビの特許切れを越えるための先行投資の期間と定めた[17][18][19]。
- 日本新薬 ニュースリリース 2008年2月29日「新規肺高血圧症治療剤に関するアクテリオン社との提携について」
- 薬事日報 2010年2月19日「【日本新薬】肺動脈性肺高血圧症治療薬をアクテリオンから導入」
- 週刊東洋経済 2016年6月11日号「【第1特集 伸びる会社 沈む会社】『会社四季報』最新予想を先取り! 激変の2016年度を検証 企業業績ランキング350」
- 日本新薬 ニュースリリース 2016年9月28日「肺動脈性肺高血圧症治療薬『ウプトラビ®錠』の製造販売承認取得のお知らせ」
- 日本新薬 ニュースリリース 2016年11月21日「肺動脈性肺高血圧症治療薬『ウプトラビ®錠』販売開始のお知らせ」
- 日本経済新聞 2017年1月26日「米J&J、バイオ医薬のアクテリオン買収 3.4兆円で」
- 薬事日報 2017年11月10日「【日本新薬】自社創製品『セレキシパグ』、国内外で順調に浸透‐前川社長」
- ミクスOnline 2021年5月17日「日本新薬 20年度も増収増益 自社創製のウプトラビが国内外で好調 ロイヤルティ収入拡大」
- 日本新薬「グローバル展開(医薬品事業)」
- 日本新薬「注力領域(研究開発)」
- 日本新薬「主力製品売上収益(業績・財務情報)」
- 日本新薬 統合報告書2025(Nippon Shinyaku Report 2025)
- 日本新薬 有価証券報告書(2008年3月期・連結)
- 日本新薬 有価証券報告書(2017年3月期・連結)