1450度の焼成炉は、合併の前から同じ場所にあった。変えたのは設備ではなく、そこに入るものを何と呼ぶかであった。石炭灰や高炉スラグを"原価低減に使う副産物"と見ていた会社が、廃棄物を持ち込む相手から処理費を受け取る立場に転じ、千葉県の要請には100億円を投じて応じている。営業成績のよい者を集めた100人の部隊が自治体と企業を回り、受け入れる廃棄物は営業開始2年余りで120種類、取引先は190カ所に広がった。極端に言えばセメントのほうが副産物という順序であり、製品を売る会社という自己規定そのものを外しにいった判断なのだろう。
ただし、これで国内事業が立ち直ったわけではない。エコセメントは普通セメントより生産コストが50%高く、多摩地区の最終処分場を延命させる公共的な効果があって初めて成り立っている。埼玉工場と熊谷工場の製造原価を1トン約1000円下げた処理費収入も、相手のある商売である。この事業が支えたのは縮み続ける国内セメントの採算であって、需要そのものを取り戻したわけではない。稼ぎ方を替える判断と稼ぐ場所を替える判断は、このあと別々に必要になったといえる。