今村一輔氏が業界再編を思い描いたのはバブル崩壊のはるか前、1985年である。過剰供給から一社だけでも抜け出そうと、10年以上をかけて秩父小野田、続いて日本セメントとの二段の合併を仕掛けた。1998年10月の発足は、明治以来100年首位を競ってきた日本セメントと小野田の二つの系譜を、一つの会社の中で終わらせる決断でもあった。銀行はほとんど関与せず、企業集団を異にするトップ同士の合意で進んでいる。
もっとも、合併が競争を終わらせたわけではなかった。発足初年度は187億円の赤字を計上し、末端の価格競争も収まらなかった。国内を統合してなお、太平洋セメントは双龍やグランドセメントの買収で海外へ打って出るほかなく、欧米の巨大資本との競争はむしろこれから本番を迎えるところであった。三つの系譜を一つにまとめる作業は、国内の決着であると同時に、競争の舞台を国内から世界へ移す入り口でもあったと思われる。