日本セメントの歴史
創業期
1883年〜浅野総一郎氏への官営深川工場の払下げと国内初の回転窯
- 工部省深川工作分局セメント工場の浅野総一郎氏への貸下げ[1]
- 官営工場の払下げと匿名組合浅野工場の発足、資本金4万5000円[1]
- 皇居造営用セメント3000樽の納入契約、創業後最初の大口契約[1]
- 第1次増設の完成による月産3000樽への規模倍増[1]
- 横浜築港工事向けセメント3500トンの落札[1]
- 浅野門司分工場の発足による西日本での生産開始[1]
- 匿名組合から浅野セメント合資会社への改組、総資本金80万円[1]
- わが国最初の回転窯の導入と深川工場での試運転開始[1]
- 竪窯の取りこわしによる深川工場の全回転窯化[1]
- 坂内冬蔵氏(技師長)による生灰焼成法の特許取得[1]
- 降灰問題による深川区民への深川工場撤廃の約束[1]
成長期
1912年〜浅野セメントへの改組と相次ぐ合併による全国工場網の構築
- 浅野セメントの設立、資本金10万円[2]
- 合併完了に伴う資本金500万円への増資と支店制の採用[1]
- 北海道セメントの合併と上磯工場の取得[1]
- 門司工場へのわが国最大の200フィート回転窯の据付[1]
- 川崎工場の完成と7月の操業開始[1]
- 台湾工場の完成[1]
- 深川工場でのコットレル式電気集じん装置の稼働と工場撤廃要求の撤回[1]
- 川崎第2工場の完成と試運転開始[1]
- 関東大震災による深川工場の全設備焼失[1]
- 浅野スレートと日本カーリットの合併[1]
- 大阪木津川セメントの合併と大阪工場の取得[1]
- セメント連合会を創設[3]
- 西多摩工場の新設と高級品アサノベロセメントの誕生[1]
- 創業者である浅野総一郎社長の逝去[1]
- 副社長の浅野泰治郎氏の2代目社長就任[1]
- 満州吉林での大同洋灰の共同出資による設立[1]
- わが国初の低熱セメントの製造開始[1]
- 香春工場の完成によるアサノベロセメント全国供給網の整備[1]
- 笠井・金子協定による朝鮮向け出荷協定の成立[3]
- 香春工場での鋼塊製造の開始[4]
- 旧日本セメントの合併と八代・佐伯両工場の取得[1]
- 石炭事情の悪化による発祥地の東京工場の閉鎖[1]
- セメント共販の設立と公定価格による配給統制への移行[1]
- 土佐セメントの合併と土佐工場の取得[1]
- 日本鋼管などとの共同出資による日本高炉セメントの設立[1]
- 日東セメントの合併と糸崎工場の取得[1]
- 浅野総一郎社長のセメント統制会会長就任に伴う社長辞任[1]
- 東亜セメントの合併と尼崎工場の取得[1]
- 軍需省の指令による国営士別工場の完成と委任経営[1]
転換期
1945年〜財閥解体による浅野一族の退任と業界首位への到達
- 敗戦による朝鮮・台湾・満州など全海外資産の喪失[5]
- 浅野一族の浅野セメント役員からの退任[1]
- 浅野総一郎社長の辞任と徳根吉郎常務の社長就任[6]
- 浅野一族が役員退任[5]
- 事業所の改廃と人員整理を含む企業合理化方針の提示[1]
- 井上英煕専務の社長就任と会長・社長・常務制への移行[1]
- 企業再建整備法による整備計画の認可と新旧勘定の併合[5]
- セメントの配給・価格統制の全面撤廃と自由販売への復帰[1]
- 門司・横浜間のセメントタンカー輸送と横浜包装所の開設[7]
- スレート部門のアサノスレートとしての分離独立[1]
- 西多摩工場3号窯の完成とわが国初のエアクエンチングクーラの設置[1]
- アサノコンクリートの設立による生コンクリート事業への参入[1]
- 上磯工場3号窯の完成、わが国初の全溶接回転窯[1]
- 豪雨による門司工場の被災と従業員・家族29名の死亡[1]
- 埼玉工場の竣工[8]
- 熊谷工場の竣工[9]
- 大阪工場での人工軽量骨材アサノライトの生産開始[4]
- 井上英煕社長の会長就任と武安千春副社長の社長就任[10]
- 第一セメントとのセメント受託販売契約の締結[1]
- 超早強のアサノスーパーベロセメントの発売[4]
- 大型工場へ生産集約[1]
- ロックウールのアサノミネラルファイバーの発売[10]
- 明星セメントの全株式取得[9]
- 機械事業部の設置と香春製鋼所の産業機械部門への転換[4]
- 武安千春社長の会長就任と原島保氏の第6代社長就任[11]
転換期
1980年〜秩父小野田との合併による太平洋セメントの発足
- 門司・八代両工場を閉鎖[12]
- 単体売上高が1,884億円でピーク[13]
- 原島保社長の会長就任と北岡徹氏の社長就任[1]
- 香春工場に排熱発電設備が完成[14]
- 創立100周年と中央研究所の新築[9]
- 大日本セメント共同事業の設立[9]
- 木村道夫氏の社長就任[15]
- 北岡徹氏の会長就任[16]
- 秩父小野田との合併による太平洋セメントの発足[9]