秩父セメントの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

新工場を建設する前に、手元の設備を限界まで作り直す順序を崩さなかった。1922年の武甲山の麓へ内陸の工場を建設した判断は、海運の便を立地条件とする当時の定型から外れていた。原料山に近接して鉄道本線沿いに置けるため、建設費は1樽3円5〜60銭と既設会社の平均6〜7円の半分で足りる。1949年上期の常務会は新工場建設案に傾いたが、諸井貫一氏が翌日これを覆し、既設工場の若返り整備を選んだ。1952年秋に回転窯5基の並列運転を実現し、1955年6月には月産7万トンの国内最大工場になった。1971年からは石川島播磨重工業とSF式焼成法を共同開発し、小型テスト窯の段階を省いて実用窯で一気に実証している。

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