秩父セメント小型テスト窯を飛ばし、実用窯で開発したSF式セメント焼成法
回転窯の大型化が直径6メートルで限界に達したあと、石川島播磨重工業と組んで出した答え
- 概要
- 1971年4月、秩父セメントは石川島播磨重工業からの申し出を受けて気流炉によるセメント焼成法の共同開発研究を決めた。翌1972年7月にSF式セメント焼成法を両社で発表し、焼成能力は2〜2.5倍に上がった。
- 背景
- 1963年に導入されたSPキルンは急速に普及したが、増産の方向が回転窯の大型化に向かい、直径6メートルを超えると長期運転の面で限界に近づいていた。
- 内容
- 石川島播磨の当初の申し出は小型テストキルンによる共同研究だった。秩父セメントはこの中間段階を省き、秩父第一工場の第7号回転窯を改造して実用窯で開発研究に踏み切った。
- 含意
- SFはSPと回転窯の間に気流炉を組み込み、約90%を仮焼してから回転窯へ送る。日産8,000〜1万トン級を可能にし、NOx濃度も従来のSPキルンより著しく減った。
稼働窯を実験台にするという賭け方
この決断の核心は、共同開発に応じたことではなく、小型テストキルンという中間段階を省いた点にある。相手が持ちかけたのは小型機での共同研究で、そちらを選べば失敗しても工場の生産には影響しない。実用窯での開発は、数次の改造を稼働中の第7号窯に加えることを意味した。段階を飛ばした判断が成果の実現を早めたと社史は書くが、飛ばさなければ失わずに済んだものもあったはずである。その計算は記録に残っていない。
得たものは技術そのものよりも、時期だった。SF式は発表から1年以内に3つの賞を受け、同時期に開発された類似の3件とともにNSP方式という総称に吸収されている。方式が業界の標準になれば、先に出したこと自体は独占の源泉にならない。それでも、公害規制が強まりNOxの低減が要求される時期に、窯を大型化せずに能力を上げる方法を自社の大型機で先に実用化できたことが、1972年時点の秩父セメントにとっての実利だった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
直径6メートルで止まった大型化
1963年にわが国へ初めて導入されたサスペンションプレヒータ付きキルンは、短期間で急速に普及し、この間に設備の大型化と生産能力の拡大が図られた。増産の方向はキルンそのものの大型化へ向かうが、直径が6メートルを超えると長期運転の面で大型化の限界に近づく。径を増すほど耐火物と運転の安定に無理が出る。この限界を破るには、回転窯への熱負荷を軽減し、大型化を伴わずに焼成能力を増やす新しい焼成法を開発するしかなかった[1][2][3]。
一方の石川島播磨重工業は、1968年以来、気流炉によるセメント焼成の基礎的実験研究を進めていた。ただし実機規模での問題の把握とその解決策には検討の余地が多く残り、セメント業の技術陣との共同研究が望まれていた。秩父セメント側にも下地はあった。1969年4月に完成した秩父第一工場の第6号SPキルンによる自主的な実験研究を重ね、その成果は1972年9月に完成する熊谷工場第7号SPキルンへ織り込まれている。SPキルンを自分で動かして限界を知っている会社と、気流炉の基礎研究を持つ重機メーカーが、それぞれの手詰まりを持ち寄る形になった[4][5]。
決断
中間段階を省いて実用窯で始める
共同開発研究を始める決定は1971年4月に下された。社史はこれを技術的検討に基づく大友恒夫社長の決断と記している。判断はもう一段あった。石川島播磨の当初の申し出は小型テストキルンによる共同開発研究だったが、秩父セメントはこの小型キルンによる中間段階を省き、ただちに実用窯による開発研究に踏み切った。段階を1つ飛ばした結果、開発研究成果の実現は早まっている。研究に使われたのは秩父第一工場の第7号回転窯で、ACLキルンを改造したものだった[6][7][8]。
稼働している窯を実験台にする以上、失敗は生産の停止に直結する。改造は一度では済まず、両社の技術陣が一体となった研究の過程で数次にわたる回転窯の改造が行われた。1972年7月、焼成量の倍増、燃料原単位の低減、回転窯焼成帯の熱負荷軽減による耐火物寿命の大幅な延長という所期の成果が得られ、大容量かつ長期にわたる安定運転の可能性も確認された。社史はこの過程で関係者が多くの辛酸を味わったと記す。第7号窯の生産能力は倍増して月産6万トンになった[9][10][11][12]。
SPと回転窯の間に置いた気流炉
SFは Suspension with Flash Furnace の略で、特徴はSPと回転窯の間に組み込まれたバーナ付きの特殊炉、すなわち気流炉にある。SPで予熱された原料は気流炉に導かれ、炉内では二次空気の導入と燃料噴射によって渦流が生じる。この気流中で未分解の原料の吸熱と脱酸反応が一瞬で起こり、およそ90%の仮焼を終えてから回転窯へ送られるため、焼成能力は2〜2.5倍に引き上げられる。窯を大型化せずに能力を上げるという当初の狙いが、仮焼を窯の外へ出すという構成で実現した[13][14]。
結果
日産1万トン級とNOxの低減
焼成能力の大幅な増大は、日産8,000〜1万トン級という従来の常識を破る超大量焼成を可能にした。回転窯の熱負荷が下がったことで煉瓦の寿命が延びて長期運転ができるようになり、燃料費と動力費も下がっている。加えて気流炉の温度分布は低温に保たれ、火炎による高温域がないためコーチングの発生が皆無で、排ガス中のNOx濃度が従来のSPキルンに比べて著しく減った。公害規制が強まり、既設工場の増設や操業継続にも困難が生じていた時期にあって、社史はこの点を決定的なメリットと記している[15][16][17]。
発表は1972年7月、業界と産業界の注目を集めた。社史は、純粋な国産技術が初めて世界のセメント製造技術のリーダーシップをとったものとしてその意義を記す。受賞も続いた。1973年3月に「SF式新セメント焼成法の開発」で第19回大河内記念生産賞、同年5月に「SF式セメント焼成法の開発と実用化」で第27回窯業協会技術賞、同年10月に第8回機械振興協会賞を受けている。大河内記念生産賞は1965年4月の計算機制御方式の開発に次いで2度目だった[18][19][20]。
同時期に3件、NSPという総称
SF式とほとんど時を同じくして、国内では類似の新焼成法3件が開発された。いずれもSPと回転窯の間に別個の熱源による仮焼装置を組み込み、回転窯の熱負荷を軽減して生産高を高めるという共通点を持ち、これらを一括してNSP方式と呼ぶようになる。単独の専有技術ではなく、方式の総称へ吸収された形である。業界では1971年以降、増設回転窯がSP方式一本に集中する傾向が現れていた[21][22][23]。
実用化は自社の大型機で行われた。1972年11月、熊谷工場第6号回転窯のSF化工事の地鎮祭が営まれる。日産能力は7,200トンが見込まれ、第6号回転窯だけでみれば生産能力は3.5倍に達する計画だった。完成すれば熊谷工場は湿式ロングキルン5基、SPキルン1基、SFキルン1基を並べることになり、十余年にわたって変遷したセメント製造様式のそのおりおりの最新式が並列する工場となる。生産能力は月産54万トンに増える見通しだった[24][25][26]。
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第9章第4節 3.SF式セメント焼成法の開発
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第9章第4節 4.熊谷工場第6号回転窯のSF化
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第9章第1節 総観 2.業界動向