米国で実用化済みの端末を持ち込めるかどうかが、方式選びの条件になった。無線方式を三つ抱え、1997年3月末に179億円の累積損失を残した会社に、四つ目を自力で仕上げる余力はない。塚田健雄社長の『NTTと同じ方式を採用していては勝負にならない』という言葉は、独自技術への意欲を語ったものではなかったであろう。開発の負担を負わずにドコモと異なる系統へ移れる手段が、一つしかなかったということである。区域が補完し合うセルラー8社という相手が同じ時期にいたことが、その道を通した。
ただし、この提携が資本の接近まで進むと1997年の時点で決まっていたわけではない。同じ資本系列のKDDは、日本移動通信と反対のW-CDMAを支持した。技術の共通化が両陣営の距離を縮めたのは確かである。それでも、資本の接近が提携の設計へ最初から織り込まれていたとは考えにくい。方式を揃えた二陣営が同じ商品を全国で売るうちに、別々でいる理由が減少した。順序としては、そちらに近い。