cdmaOneへの転換(1999年・日本移動通信の決断)

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DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化1999年4月、日本移動通信(IDO)がDDIセルラーグループと共同でcdmaOneのサービスを開始し、資本の統合より先に"au"への全国ブランド統一を進めた経営判断。

何をなぜ決めたか:DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化

概要

1999年4月、日本移動通信(IDO)がDDIセルラーグループと共同でcdmaOneのサービスを開始し、資本の統合より先に"au"への全国ブランド統一を進めた経営判断。

背景

純増契約に占めるNTTドコモグループの比率は1999年1月に70.9%、日本移動通信は3月時点で1.8%だった。営業区域は首都圏・中部圏に限られ、通信方式もドコモと同じPDCで、価格以外に違いを説明する材料が乏しかった。

内容

途切れにくさと音質という基本性能をテレビ広告で正面から打ち出し、つながりにくさを抱えるドコモからビジネス客を切り替えさせる狙いを置いた。DDIセルラーグループとは全国一つのサービスとして売り、資本の統合を先に置かず、共同の全国ブランドづくりを優先した。

含意

純増シェアは1999年3月の1.8%から5月に7.0%へ戻り、ドコモグループは41.9%へ低下した。2000年にはブランドを"au"へ統一したが、同年10月に第二電電へ吸収合併され、法人格は設立から13年で消えた。

いつ何が起きたか5件
筆者考察
考察

考察:商品で優位に立つことと、会社が残ること

cdmaOneで日本移動通信がまず据えたのは、資本の統合ではなかった。DDIセルラーグループと共同で、cdmaOneを全国一つのサービスとして売ることであった。客が買うのは商品であって資本関係ではない。その順序に立って、方式の性能とブランドの統一を先へ置いた。

その順序は、最後まで守られなかった。ブランドを"au"へ揃えた2000年の10月、日本移動通信は第二電電に吸収されて法人格を失う。純増シェアを1.8%から7.0%へ戻した翌年に、会社そのものが消えた。商品で競争優位に立つことと、会社が残ることは別の問題であった。残ったのはcdmaOneとauの二つで、四つ目の方式にたどり着くまで10年を費やした事業者の名は残らなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考

  • 日経ビジネス 1999年6月28日号
  • 日経ビジネス 1997年3月31日号
  • 日経ビジネス 1992年6月22日号
  • 日経ビジネス 1995年1月30日号
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】

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