cdmaOneで日本移動通信がまず据えたのは、資本の統合ではなかった。DDIセルラーグループと共同で、cdmaOneを全国一つのサービスとして売ることであった。客が買うのは商品であって資本関係ではない。その順序に立って、方式の性能とブランドの統一を先へ置いた。
その順序は、最後まで守られなかった。ブランドを"au"へ揃えた2000年の10月、日本移動通信は第二電電に吸収されて法人格を失う。純増シェアを1.8%から7.0%へ戻した翌年に、会社そのものが消えた。商品で競争優位に立つことと、会社が残ることは別の問題であった。残ったのはcdmaOneとauの二つで、四つ目の方式にたどり着くまで10年を費やした事業者の名は残らなかった。