トヨタ自動車 国内シェア40%の死守 販売網の刷新より販促費と海外生産の拡大に資金を配った4年
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1995年8月25日、奥田碩副社長が社長に就任した。1967年の豊田英二氏の就任から28年ぶりの、豊田家に連なる家系ではない社長だった。旧トヨタ自動車販売の経理部に24年、フィリピン・マニラ駐在を経て財務・購買・国内営業・経営企画を歴任した経歴で、交代会見では 『豊田家は尊重したい。ただし、将来の人事は公平であるべきだ』 と、豊田家との間合いを自分の言葉で置いた。
国内の登録車シェアが1994年12月に11年ぶりで40%を割り、RVの流行に商品構成が追いつかないさなかの交代である。在任は2期4年で、1999年6月に会長へ移った。
- 背景
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国内乗用車の登録車シェアは1994年12月に36.5%まで落ち、11年ぶりに40%を割った。1990年には50%に迫り、それまでの10年ほどは42〜43%を保っていた水準からの後退である。
奥田碩社長は 『RVが市場の30%を超えるという市場の変化を読めなかったのは、マネジメントのミスでしょうね』 と、原因を商品構成ではなく経営の側に置いた。乗用車は本社、RVはボディー会社という生産の分担が、RVを変わりダネとみなす社内の位置づけを固定していた。連結の売上高も1993年6月期の10兆2,107億円から1994年6月期に9兆3,627億円へ落ち、営業利益は3期続けて減って1990年6月期の5分の1になっていた。
- 内容
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掲げたのは登録車で国内シェア40%の死守だった。新しい販売システムの必要は認めながら 『力仕事でも何でもいいから、とにかく今は40%を確保しようと言っているわけですよ』 と、当面は販売網の作り替えではなく物量で守ると割り切り、1995年度の販売諸費・広告宣伝費を前年度比で実質670億円・約40%多い2,348億円まで積み増した。同年度の営業利益2,353億円に匹敵する額である。
組織も入れ替えた。1996年5月、常務以上19人のうちポストに残ったのは2人で、16人を新たに登用して役員の平均年齢を約2歳下げ57歳とした。1996年1月1日には「トヨタ2005年ビジョン」を全社へ発表し、2005年に連結売上高15兆円・経常利益率11〜12%を置いた。1997年3月期の実績は12兆2,438億円・5.8%である。
- 含意
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番頭が創業家へ大政奉還する型に対し、奥田氏は人事の公平を先に宣言し、豊田家依存の社風を内側から崩そうとした。 『やっぱり批判を悠然と受けられる企業にならないと、いかんと思いますね。それが今までのトヨタにはなかった』 とも語り、外から批判を受けられる会社になることを社内に求めている。
在任中に海外生産事業体を10社新設し、1996年10月に北米の製造統括会社TMMNA、1997年7月にトヨタ自動車東北を置いた。海外生産は1995年の152万台から1999年に178万台へ、連結従業員は1996年3月期の14万6,855人から1999年3月期の18万3,879人へ増えている。掲げた40%シェアは1997年も39.3%で届かず、販売網の作り替えは後任へ残した。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
創業家の求心力に依存しない経営への転換
この人事の核心は、社長個人の交代よりも、豊田家がみずから求心力を薄める側に回った点にある。シェアが40%を割り、豊田達郎氏の退任という事情が重なったとき、創業家は番頭が大政奉還する型を選ばず、生え抜きの奥田氏に人事の公平までを委ねた。豊田家の血筋が経営の正統性を担保する構造から、業績と実行の速さがそれを担保する構造へ、会社がみずから移った決断だろう。
もっとも、奥田氏が実際に打った手は物量作戦だった。販売諸費・広告宣伝費を同年度の営業利益に匹敵する2,348億円まで積み増しても、国内登録車シェアは1997年に39.3%と2年続けて40%を割り、5系列の販売チャネルそのものには手を付けないまま任期を終えている。残したのは在任中に新設した海外生産事業体10社とプリウスという次の収益源で、シェア40%の回復と販売網の作り替えは張富士夫氏への申し送りになった。拡大の速さで社風を変え、構造の組み替えは次に渡す──同族企業が規模を超えて伸び続けるための、一つの分業の型がここにある。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
社長交代と拡大の条件
社長交代と拡大の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 就任の日 | 1995年8月25日 | 前任の豊田達郎氏は1992年9月25日に副社長から社長へ就任していた |
| 新旧の役職 | 副社長から社長へ | 第8代社長。旧トヨタ自動車販売の出身で、1992年から財務・購買・国内営業を担当 |
| 豊田家出身者の役職 | 名誉会長・会長・取締役相談役 | 1996年時点で豊田英二氏が名誉会長、豊田章一郎氏が会長、豊田達郎氏が取締役相談役 |
| 掲げた国内シェア | 登録車で40%(1996年時点) | 過去10年ほどは42〜43%。1994年12月に11年ぶりの40%割れとなっていた |
| 販売諸費・広告宣伝費 | 2,348億円(1995年度) | 前年度比で実質670億円・約40%の積み増し。同年度の営業利益2,353億円に匹敵する |
| 役員人事の入れ替え | 1996年5月に常務以上19人中留任2人 | 16人を新たに登用し、役員の平均年齢を約2歳下げて57歳とした |
| 長期ビジョンの発表 | 1996年1月1日 | 「トヨタ2005年ビジョン」を全社へ発表。基本テーマは「調和ある成長―Harmonious Growth」 |
| 2005年に置いた目標 | 連結売上高15兆円・経常利益率11〜12% | 1997年3月期の実績は連結売上高12.2兆円・経常利益率5.8% |
| 基本理念の改定 | 1997年4月1日 | 5年ぶりの改定で「内外の法およびその精神を遵守」などを加えた |
| 新設した海外生産事業体 | 在任中に10社 | 中国5社、米国2社、ベトナム・インド・フランスに各1社 |
| 北米の製造統括会社 | TMMNA(1996年10月1日設立) | 北米の製造事業を統括する会社として新たに置いた |
| 国内の新会社 | トヨタ自動車東北(1997年7月1日設立) | 1998年10月26日に工場の竣工記念式典を実施した |
| ダイハツ工業との関係 | 1998年8月28日に提携関係の強化を発表 | 1995年4月には日野・ダイハツとの商品相互供給の基本契約を締結している |
| 環境技術の投入 | 1997年10月14日に「プリウス」を発表 | 1997-1998年日本カー・オブ・ザ・イヤーを受けた。発売は同年12月 |
| 退任の日 | 1999年6月25日 | 2期4年で第7代会長へ移り、張富士夫副社長が社長に就任した |
出所:トヨタ自動車75年史 第3部第3章第3節・総合年表(1991年〜2000年)・資料編(海外生産事業体の変遷)/日経ビジネス 1996年8月26日号・1998年1月5日号
連結の売上高と利益
トヨタ自動車:連結の売上高と利益
| (百万円) | 売上高 | 営業利益 | 当期純利益 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1991年6月期 | 9,855,132 | 499,859 | 431,450 | |
| 1992年6月期 | 10,163,376 | 218,511 | 237,840 | |
| 1993年6月期 | 10,210,749 | 181,897 | 176,464 | |
| 1994年6月期 | 9,362,732 | 136,226 | 125,807 | 営業利益は3期続けて減り、1990年6月期の5分の1まで減少した |
| 1995年3月期 | 8,120,975 | 255,719 | 131,953 | 決算期を6月から3月へ変更し、1994年7月からの9か月決算 |
| 1996年3月期 | 10,718,739 | 348,069 | 256,976 | 1995年8月25日に奥田碩氏が社長へ就任した期。販売諸費・広告宣伝費を2,348億円へ積み増した |
| 1997年3月期 | 12,243,834 | 665,114 | 385,915 | |
| 1998年3月期 | 11,678,397 | 779,797 | 454,349 | |
| 1999年3月期 | 12,749,008 | 774,945 | 356,180 | 1999年6月25日に張富士夫氏へ社長を承継し、2期4年で会長へ移った |
| 2000年3月期 | 12,879,561 | 775,982 | 406,798 | |
| 2001年3月期 | 13,424,423 | 870,131 | 471,295 |
出所:トヨタ自動車75年史 資料編(損益計算書の推移・連結)
国内生産台数と海外生産台数
トヨタ自動車:国内生産台数と海外生産台数
| (台) | 国内生産 | 海外生産 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1991年 | 4,085,081 | 909,066 | |
| 1992年 | 3,931,341 | 981,271 | |
| 1993年 | 3,561,750 | 1,158,178 | |
| 1994年 | 3,508,456 | 1,353,686 | |
| 1995年 | 3,171,277 | 1,522,653 | 国内は5年で91万台減り、海外は61万台増えた |
| 1996年 | 3,410,060 | 1,586,417 | |
| 1997年 | 3,502,046 | 1,610,574 | |
| 1998年 | 3,165,805 | 1,614,159 | 海外生産が国内生産の半分を超えた |
| 1999年 | 3,118,226 | 1,777,126 | 在任の4年で海外生産は25万台増え、国内生産は5万台減った |
| 2000年 | 3,429,209 | 1,956,574 | |
| 2001年 | 3,354,424 | 1,908,942 |
出所:トヨタ自動車75年史 資料編(国内生産台数の推移/海外生産台数の推移)
総従業員数
トヨタ自動車:総従業員数
| (人) | 連結 | 単独 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1991年6月期 | 102,423 | 72,900 | |
| 1992年6月期 | 108,167 | 75,266 | |
| 1993年6月期 | 109,279 | 73,046 | |
| 1994年6月期 | 110,534 | 71,573 | この期だけ1994年3月31日時点。ほかは各期末時点 |
| 1995年3月期 | 142,645 | 69,748 | |
| 1996年3月期 | 146,855 | 68,641 | |
| 1997年3月期 | 150,736 | 70,524 | |
| 1998年3月期 | 159,035 | 69,753 | |
| 1999年3月期 | 183,879 | 67,912 | |
| 2000年3月期 | 210,709 | 65,290 | 連結は5年で6万8千人増え、単独は4千人減った |
| 2001年3月期 | 215,648 | 66,005 |
出所:トヨタ自動車75年史 資料編(総従業員数の推移)
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参考文献
- 日経ビジネス 1995年8月21日号
- 日経ビジネス 1995年9月18日号
- 日経ビジネス 1996年8月26日号
- 日経ビジネス 1998年1月5日号
- 日経ビジネス 1999年8月30日号
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 第3部第3章第3節第2項「トヨタ2005年ビジョン」「2010年グローバルビジョン」の策定」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 第3部第3章第3節第2項 基本理念の改定」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 総合年表(1991年〜2000年)」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 資料編 損益計算書の推移(連結)」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 資料編 総従業員数の推移」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 資料編 国内生産台数の推移」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 資料編 海外生産台数の推移」
- トヨタ自動車 社史「トヨタ自動車75年史 資料編 海外生産事業体の変遷」