1946年10月
本田技術研究所を創業

戦時中にピストリングの製造会社を売却

終戦直後に実業家に出戻り。ホンダを設立

1946年
10月
本田宗一郎氏が本田技術研究所を創業
1948年
9月
本田技研工業株式会社を設立
資本金 100 万円
1949年
藤沢武夫氏が財務担当に就任
1950年
営業所を東京に新設
1950年
十条に組立工場を新設(東京都北区)
証言
本田宗一郎(ホンダ創業者)

オートバイを始めたのは戦後です。戦時中はずっとピストンリングの工場をやっておったんだが、終戦になったので、その会社、東海精機という資本金250万くらいの会社だけれども、その会社の株を全部トヨタへ売った。で、僕は社長を辞めて、その売った金で1年間遊んで暮らしたんですよ。というのは、あの当時のことだから、何をやっていいかわからんし、何か仕事をやると言っても、それが直接ヤミにつながるようになる。そんなことでは、しょうがないからね。だから、思い切って遊んだわけですよ。で、昭和21年に本田技術研究所を設立し、さらに23年に、それを今の本田技研工業株式会社と改めて社長になったんです。(略)

最初は他のものを研究しようと思ったんだけれども、なかなか適当な物がないんだよ。結局、小さい時に自動車の修理工場に奉公した関係もあって、軍で使っていた通信機の小型エンジンがあったので、そのエンジンを自転車に取り付けたわけだ。

1949年8月
二輪車の製造を開始

ドリーム号の生産を開始。自転車据付型のエンジンメーカーから、オートバイの完成品メーカーに転身

1949年
8月
ドリーム号の製造開始(二輪車完成品)
1952年
5月
カブの製造を開始(自転車据付エンジン)
1958年
スーパーカブの製造開始(二輪車完成品)
1952

輸入工作機械に投資。二輪車の大増産へ

方針
世界一を目指してリスクをとる
1952年の時点で本田宗一郎氏は「ホンダを世界一にする」という目標を設定。財務政策では積極的な借入に基づく投資を計画し、会社倒産のギリギ...
投資
工作機械4.5億円を発注
本田宗一郎氏は国産工作機械の品質の悪さを問題視し、1952年に高品質な工作機械を欧米から輸入することを決断した。輸入した工作機械は、マー...
生産
大和工場を新設(ドリーム号専用工場)
1952年3月に埼玉県和光市に遊休工場(敷地面積3600坪)を取得。1953年に二輪車の量産拠点として「大和工場(埼玉製作所・和光工場)...
人員
従業員1891名の体制。素人で構成
1953年8月時点でホンダ技研の従業員数は1891名(男性1284名・女性607名)に達した。1949年時点の従業員数は約40名であり、...
財務
倒産を覚悟した財務政策
ホンダの方針は、銀行からの借入によって資金調達を行い、その大半を工作機械の購入に充てる(有形固定資産)ものであった。本田の創業期を支援し...
販売
販売政策は後回し
販売政策について、ホンダは優先順位を落とす方針を決定。設備投資が終わり、強い製品を市場投入した後に、国内の自転車店に対してハガキを送付し...
詳細をよむ
1953年
5月
工作機械4.5億円を発注
1953年
5月
大和工場を新設(埼玉製作所和光工場)
1954年
5月
浜松製作所葵工場を新設(浜松製作所)
1955年2月
業績および財務体質の悪化で倒産危機

工作機械や工場新設などの設備投資によって借入金が増大。1955年の経済不況により二輪車の売れ行きが低迷して、減収減益に転落。ホンダの借入金の返済計画(短期借入金が大半)の履行が難しくなり債務超過の危機に陥った。自己資本比率は10.7%に低下した。

このため、ホンダは工場および設備を、競合の東京発動機に売却する案も浮上した。東京発動機は当時国内2位の二輪車メーカーで、業界の有力企業であった。

この状況に対して、融資銀行である三菱銀行・京橋支店はホンダの融資継続を決定。借入金返済を免れたことによりホンダは倒産危機を回避した。

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1955年2月期(単体)
売上高
60
億円
当期純利益
0.69
億円
1957年12月
東京証券取引所に株式上場

1955年の経済不況期を乗り切ると、ホンダは再び増収増益基調に回帰した。主に農村における好景気が需要の牽引役となり、ホンダの二輪車の販売を押し上げた。

この結果、1957年にホンダは東京証券取引所に株式上場を実施。資金調達によって懸案だった自己資本比率を改善した。

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1958年2月期(単体)
売上高
98
億円
当期純利益
5.06
億円
1959年6月
二輪車の北米輸出を積極化

1958年
スーパーカブの製造開始
1959年
6月
北米現地法人を設立(二輪車輸出)
1960年
5月
鈴鹿製作所を新設
1962年2月
売上高500億円を突破。利益率10%を確保

二輪車の量産体制を確立したことで、国内シェアトップを確保。ヤマハ発動機を除く競合の二輪車メーカーを軒並み駆逐し、ホンダの1強へ

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1962年2月期(単体)
売上高
579
億円
当期純利益
60
億円
1963年6月
四輪車に本格参入

1963年
6月
四輪車の生産開始
1964年
11月
狭山製作所を新設(四輪車製造)
1967年
3月
ホンダN360の製造開始
1970年
9月
真岡工場を新設(四輪車部品)
1990年
6月
栃木工場を新設
決算
ホンダ(本田技研)の業績
1964年2月期(単体)
売上高
831
億円
当期純利益
74
億円
1965年
二輪車の現地生産を開始

半世紀かけて東南アジアを中心に、新興国での現地生産体制を確立

1965年
タイに現地生産法人を設立
1975年
ブラジルに現地生産法人を設立
1984年
インドに現地生産法人を設立
決算
ホンダ(本田技研)の業績
1966年2月期(単体)
売上高
1236
億円
当期純利益
65
億円
1972年7月
低公害エンジン「CVCC」の開発を発表

米国でマスキー法が制定

低公害エンジンでホンダが先発へ

シビックCVCCを北米輸出

燃費性能が歓迎され北米シェアを確保

1972年
低公害エンジン「CVCC」の開発を発表
1973年
12月
シビックにCVCCエンジンを搭載
1975年
シビックにCVCCの北米輸出を開始
1975年
米国でマスキー法が施行
決算
ホンダ(本田技研)の業績
1973年2月期(単体)
売上高
3276
億円
当期純利益
125
億円
1977年2月
四輪車輸出が好調で大幅増収

燃費性能の良いCVCCを搭載したシビックが、国内および北米市場でヒット。四輪車では最後発だったが、国内3位メーカーに浮上(1位トヨタ・2位日産・3位ホンダ)

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1977年2月期(単体)
売上高
6686
億円
当期純利益
155
億円
1978年3月
北米現地生産を開始

日米貿易摩擦の深刻化

1977年
2月
ニューヨーク証券取引所に上場(ADR)
1978年
3月
米オハイオ州に現地生産子会社を新設
1985年
2月
英ウィルシャー州に現地生産子会社を新設
決算
ホンダ(本田技研)の業績
1979年2月期(単体)
売上高
9222
億円
当期純利益
160
億円
1979年
HY戦争(二輪車の国内価格競争)

ホンダの北米進出を見たヤマハ発動機が、競合の手薄になると判断して価格競争を開始。だが、ホンダは競合のヤマハと国内で熾烈な価格競争を展開して対抗。BCGからコンサルティグを受けつつ、ヤマハ発動機を殲滅(同社を赤字転落)した

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1980年2月期(単体)
売上高
10694
億円
当期純利益
236
億円
1983年
本田宗一郎氏・藤沢武夫氏が退任

創業者の本田宗一郎氏(当時78歳)と、財務を支えてきた藤沢武夫氏(当時75歳)が、ともに同じタイミングでホンダの取締役を退任。経営は後任に任せて、ホンダの経営から退いた

決算
ホンダ(本田技研)の業績
1984年2月期(単体)
売上高
18460
億円
当期純利益
245
億円
1992年3月
東南アジアで二輪車および四輪車の現地生産を本格化

アジアでの現地生産を本格化。日本・北米・欧州・アジアのグローバル生産体制へ

1992年
3月
タイに現地生産法人を新設(四輪車)
1997年
ベトナムに現地生産法人を設立(二輪車)
2001年
中国に現地生産法人を設立(二輪車)
2001年
インドネシアに現地生産法人を設立(二輪車)
1998年5月
中国での現地生産を本格化
1998年
5月
中国で現地生産の合弁会社「広汽本田汽車」を新設
2003年
7月
中国で現地生産の合弁会社「東風本田汽車」を新設
2006年
9月
広汽本田第2工場を稼働
24 万台/年
2012年
7月
東風本田第2工場を稼働
24 万台/年
2015年
9月
広汽本田第3工場を稼働
12 万台/年
2015年
中国で年産100万台体制
101 万台/年
2009年9月
国内工場の再編

2002年
6月
埼玉製作所・和光工場を閉鎖
2009年
9月
埼玉製作所・小川工場を新設(エンジン)
2013年
7月
埼玉製作所・寄居工場を新設(完成車)
25 万台/年
2018年
7月
狭山工場の閉鎖発表(2023年閉鎖予定)
2021年
6月
真岡工場の閉鎖発表(2025年閉鎖予定)
決算
ホンダ(本田技研)の業績
2010年3月期(連結)
売上高
85791
億円
当期純利益
2684
億円
2016年3月
タカタ製エアバッグでリコール問題
2015年
3月
品質保証引当金を繰入
繰入額 1200 億円
2016年
3月
品質保証引当金を繰入
繰入額 4360 億円
2021年8月
英スウィンドン工場を閉鎖

欧州市場における競争が激化し、稼働率の維持が困難に陥った。このため、英国の四輪車生産拠点を閉鎖し、欧州での現地生産から撤退

決算
ホンダ(本田技研)の業績
2022年3月期(連結)
売上収益
145526
億円
当期利益
7070
億円
2021年8月
希望退職者を募集

55歳以上を対象に退職者を募集。EVシフトにあたって、従業員構成比の是正を意図

決算
ホンダ(本田技研)の業績
2022年3月期(連結)
売上収益
145526
億円
当期利益
7070
億円
2023年3月
四輪車事業で営業赤字

北米におけるリコール損失(リアビューモニター用ケーブルに関する品質問題)の計上で、FY2022における四輪車事業について166億円の営業損失を計上した

決算
ホンダ(本田技研)の業績
2023年3月期(連結)
売上収益
169077
億円
当期利益
6514
億円