豊田英二

トヨタ自動車・元取締役社長

Toyoda Eiji(敬称略)

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社長就任 1967年10月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部機械工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

豊田佐吉の弟・平吉の子で、創業者・豊田喜一郎氏の従弟にあたる。東京帝国大学工学部機械工学科を出て1936年4月に豊田自動織機製作所の自動車部へ入り、喜一郎氏の命で東京・芝浦に研究所を開設してラジエーターや独DKW車の分解調査を担当した。1950年7月に常務取締役。設計の現場から上がった技術畑の人である。ただし創業家といっても資本の裏づけは薄く、在任中の1970年11月期・1974年11月期の大株主上位10位は銀行・生命保険と豊田自動織機(4.4%前後)が占め、豊田家個人は入らない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1967年10月、社長の中川不器男氏が急逝したことを受け、副社長から昇格した。石田退三氏・中川不器男氏の2代を挟み、豊田家から出た社長は豊田喜一郎氏以来17年ぶりであった。就任は、1966年9月に高岡工場でカローラの第1号車がラインオフし、大衆車の量産が立ち上がった直後にあたる。就任前の1966年11月期の売上高は2938億円。就任会見でなぜ選ばれたかを問われ、「社長として適任だから選ばれたのだと思う」と答えている。

在任中の主な施策
施策

不況下でも他社に先んじ設備投資を打ち、需要に先回りして能力を用意した。1966年10月に日野自動車工業、1967年11月にダイハツ工業と業務提携した。日本自動車工業会会長を兼ねた1970年代は排出ガス規制の矢面に立ち、NOxを走行1km当たり0.25グラムに抑える1976年度規制を2年の延長を経て全車種で達成した。第1次石油危機では1974年1〜3月の減産から4月に増産へ転じ、対米摩擦への答えとしたフォードとの共同生産交渉は1981年に決裂し、1982年3月にGMとの合弁で大枠合意に至った。 製造・販売部門の合併

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1936〜1982年
在任中の業績
就任前(FY66)4,013億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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